昨年、認知症のお母さんの退職ビザを取得された方がいた。そのとき、「認知症患者の世話が日本では大きな社会問題となっているが、フィリピンではどうなのか」という話になった。そうしたら、マム・ジェーンは「フィリピンには認知症はいないのよ、なぜならその前に皆死んでしまうから」と、こともなげに語った。なるほど確かに認知症のことが話題になったこともないし、見かけたこともない、そもそも年寄りをあまり見かけない。その一方で、うじゃうじゃというほどガキがたくさんおり、街は若者であふれ、うろついている年寄りは我々外国人が大半だ。 いかにもかわいらしいKIANの寝姿。赤ん坊は無邪気なだけだが、周囲をとりこにする力を持っている フィリピン人の平均寿命は50歳代だというから、確かに長生きをする人は少ないのだろう。したがって認知症患者もいないのだ、となんとなく納得したが、その話を医者にしたら、「そんなはずはない」という。「フィリピンにも年寄りはたくさんいるし、平均寿命が短いのは幼児死亡率が高いからだ。そして日本と同等の割合で認知症患者はいるはずだ」という。しかし、フィリピン人から、「親が認知症で苦労した」、あるいは「苦労している」という話を聞いたことがない。そこで思い出したのが、ジェーンのお父さんの晩年の話だ。彼は下の世話を娘にさせながらタバコが欲しいとねだる。そこで娘は枯葉をまいて火をつけて与えたら、おいしそうに吸っていた、などと笑いながら話していたことがある。話からすると、彼は明らかに認知症だったはずだ。 何が悔しくて泣いているのか、床に伏して思いっきり泣き叫ぶKIAN、こうなったら手がつけられない しかし、フィリピン人は子育ても同様、肉親の老人の世話できることが幸せであり、役目だと思っている。自分を育ててもらった親の面倒を見ることは自分の子供の面倒を見るのと同様、当然のことで、家族の一員として当たり前の役割なのだ。人間誰しも老いて赤子に帰っていく。これから育って大きくなっていく赤子と、これから小さくなってなくなっていく赤子がいるだけのことだ。だからフィリピン人は認知症の親の面倒を苦労とはとらえない。 思い通りに行かないと泣き叫んで思いっきり不満を主張するKIAN。周囲が何を欲しているか分からなかったり、状況がそれを許さなくてもお構い無しだ。鼻ちょうちんがかわいい。 ならば、日本では何故社会問題となってきているのか。昨今の核家族化で認知症の親を面倒見るだけのゆとりが日本の家族にはない。だから、介護施設や病院に入れることになる。住み慣れた家や家族から引き離された認知症の老人は凶暴化したり、症状が悪化する。介護施設でも厄介者扱いで、挙句の果てにベッドに縛り付けるなどということがまかり通る。一方、家族に囲まれて住み慣れた家に住むフィリピンの認知症のお年よりは、穏やかで家族のお荷物にもならない。単に、最近物忘れがひどくてぼけてきた、程度なのだ。だからまるで赤子のように無邪気で敬愛されるべき存在なのだ。 この誕生ケーキは私のものなのだが、そんなことはお構い無しにろうそくの火を吹き消そうとするKIAN。赤ん坊は何をしても許される。老人も同じことのはずだ。 KIANの成長を見ていると、赤ん坊は、実にわがままで野蛮とさえ感じる。自分の思い通りにならないとすぐに泣き叫ぶ、むやみやたらにものをいじくりまわして壊す、小便も糞も垂れ流しだ。朝も昼も夜もなく、泣きわめいて親を困らす。それでも周囲の大人はKIANの一挙一同に歓声をあげて喜び、いつくしむ。何の知識もなく本能の赴くままに、分けの分からない行動をとる赤ん坊を、人は決して認知症とは呼ばない。赤ん坊なのだから、当たり前なのだ。一方、同じような行動をする認知症のお年寄りに対しても、「年寄りなのだから、当たり前のこと」と、フィリピン人は理解を示す。 階段の途中から下で執務する私に微笑んで手を振ったり、傘をさしてみたり、少々人間的な行動を取り始めたKIAN。その一挙一動が注目と賞賛の的だ。 フィリピンでは認知症を病気ととらえず、自然の老いととらえる。一方認知症になったとしても家族に囲まれているので、あえて患者呼ばわりされるような状況には陥らない。要は、認知症を病気ととらえて、治療するとか入院させるとか、そんな発想はフィリピンにはなくて、一人の人間の誕生から死に至るプロセスの一環として捉えている。すなわち、「フィリピンに認知症はいない」、ではなくて、「フィリピンに認知症患者はいない」、なのだ。 手にするものは何でも携帯と捉えて耳に当てて意味の分からないことをしゃべっているKIAN。年寄りが同じ事をしたら、認知症だとして大騒ぎになってしまうだろう。