Daily Archives: March 18, 2012


  サウス・スーパー・ハイウエイとブエンディア通りの角、マニラ寄りにCash and Carryというスーパー・マーケットがある。Hyper Market(SM系)、Hyper Mart, Pure Gold、Shop Wise、Robinson、Walter Martなど大型のスーパーマーケット・チェーンが幅を利かせているが、ここは1980年代からの老舗でお金持ち用のスーパーとして名が通っている。ちなみにCashは現金、Carryは運ぶという意味だから、現金取引問屋といった意味合いだ。 現在の広大な駐車場には、かつて輸入雑貨を扱う店がたくさんあって香水、タバコ、薬、くつなどを売っていた。それらが名前の由来にもなっている。それらは火事で消失して、改装された建物の2階に移って営業しているが、現在もNikeやAddidasのFactory Defect(傷物)が格安で手に入るそうだ。  久しぶりに行って見ると、とてもきれいになっていて、2、3階はモールで、映画館も併設され一大ショッピングセンターと化していた。入り口付近にはJolibee、太った少年(テリヤキボーイ)、Pancake Houseなどなど一通りのファスト・フード店も出店していてゆったりと買い物と食事を楽しむことができる。 広々としたスーパーはKIANもお気に入りで、カートに飽きると店内を走り回っている。あまりに広いので迷子にならないかとちょっと心配だが。 […]

スーパーマーケットの老舗、Cash and Carry 2012年3月18日


 私の事務所のあるサンアントニオ・ビレッジを横切るチノロセス(通称パソンタモ)通りのブエンディ通りからカマゴン通りまで、4つの交差点がある(Malugay、Yakal、Bagtikan、Estrella)。しかし、そこには信号機がついておらず、ラッシュ時には交通警官が交通整理を行うのが習慣だった。そして先日、ついに信号機が設置されたのだ。通りの名前も明記されてとてもわかりやすい。これで事務所への道もわかりやすくなるだろう。  マカティ市の中心はさておいてマニラには信号が実に少ないと、はじめてフィリピンを訪れた方が感想を漏らす。フィリピンでは、人が通りを渡ろうとしても車は停まらないから、混んだ道ではいつまでたっても通りを渡れないとこぼす。特に車の多いパソンタモ通りのマカティスクエア(リトル東京界隈)では、通りを渡ることができず、向かいのスーパーで買い物をすることをギブアップされた方もいた。  私の農場のあるタバコ市には信号機が一個もない。レガスピ市にあっても2個だけだ。まあ、田舎は車も少ないのでどうってことはないが、車の多いマニラでは死活問題だ。  時々、ラッシュでもないのに、やけに道が混んでいるときがある。交差点まで来ると、信号機を止めて交通警官が交通整理をしている。それで納得、交通警官が交通整理をしているから混んでいたのだ、余計な事をするものだと。彼らに言わせれば混んでいるから交通整理をマニュアルでやっていたのだと主張するだろうが、私にはそうは見えない。  パスコの事務所に来るときは上の写真の信号機があるパソンタモ(チノロセス)とバグチカンの交差点を目指すと判りやすい。徒歩の場合は、ここで車を降りて左に曲がるとパームタワーのコンドミニアムに面したセントポール通りに出る、そこを右に曲がるとすぐにパームタワー・コンドの前に出る。車だと一本先のエステレリアを左に曲がって、さらに一本目の角を左に折れて回り込む必要がある。  信号機がついたとなると、もはや交通警官は不要になる。彼らはTraffic Enforcerと呼ばれ、国家警察の組織とは関係なく、市役所に雇われているが(だから市ごとに制服の色が違う)、交通違反を取り締まる権限も持っている。この交通違反の取締りが、実際は彼らの小遣い稼ぎの場となっているのだ。  なんだかわけのわからない理由で彼らは車を停めてイチャモンをつける。特に外国人が運転しているとターゲットになる。例えば、左折をしようとして対向車がなくなるのを待ち、信号が変わる瞬間に道を横切る。そうすると件の交通警官がタイミングよく現れて、信号違反だから免許証を見せろとなる。日本ではこれは交通ルールの常識で、問題ない、と主張しても、ここはフィリピンだなどと意味のない議論がはじまる。結局500ペソほど渡して無罪放免となるのだが、なんとも癪に障る(フィリピン人ドライバーなら100ペソ程度が相場)。もちろん、彼らはそういう微妙な場所に張ってかもを待っているのだ。 信号機がついて、彼らが職を失う羽目になったら、それは大いに結構なことだ。もっと生産的な職業について欲しい。しかし、信号機がついて交通整理をやらなくも良くなって、彼らに交通取り締まりに専念されたとしたら、これはやばい。街の角々に張ってかもを待ち、しょっちゅう車を停めていたら、それこそ渋滞の元凶となってしまうだろう。

パソンタモ通りに待望の信号機がついた 2012年3月18日



   ママ・ジェーンがKIANを出産してから早くも2年、ヤンチャの度がますます激しい今日この頃だ。ママ・ジェーンは妊娠中、お腹がすいて仕方がないと、その食欲は目を見張るものがあった。食べ終わると、今度は赤ちゃんの分と軽く2人分を平らげていた。体重も70kgには達して、そんなに食べたらお腹の赤ちゃんが育ちすぎて大変なことになる、「小さく生んで大きく育てる」という日本の諺を話しても耳を貸さなかった。 出産の1週間前、ホテルのビュッフェの食べ放題で、うれしそうに大量の食事を摂るジェーン  そして分娩の段になると、自然分娩を試みたが、これ以上頑張ると母体が保障出来ないと医者に忠告され、帝王切開に踏み切った。そして、2010年3月31日、9ポンド、4kg強のKIANが出産したのだ。 この日は警察の車で出勤するパパ・カーネル。手入れに向かうときは決して自分の車は使わない。もちろん警察の車は私用には使わない、というけじめをつけている。 ジェーンも出産後2年経過して日ごろのジム通いの精進が効を奏して、ようやく真っ当な体型になってきた。以前着ていた服がようやく着れるようになったと喜んでいる。  フィリピンでは、ちょっと出産が難しいとなると、すぐに帝王切開をしてしまう。自然分娩はそもそも病気ではないから、病院側としても大きなお金を取るわけにはいかない。私の元部下は二人の子供を帝王切開で出産しそうだが、日本で一人がやっとと言われているはずだ。フィリピンの女性は生みの苦しみをお金で代替するようだ。しかし、そんなお金のない普通の妊婦は市営病院で、只で出産することができる。そして分娩の翌日には退院して母子ともに家で養生するが、子沢山で貧しい人の多いフィリピンではそうでもしないと処理しきれないのだ。 大人の真似をして私のサンダルに挑戦するKIANだが、親指と人差し指の間にひもを挟むのは大人の常識で、KIANは自由奔放にサンダルをはく。ママ・ジェーンの誕生日のケーキはKIANからとなっており、KIANも一人前の人格として認知されつつある。  ところで、フィリピン(英語)で帝王切開のことをシザリアン(CAESAREAN)と呼ぶ。何故そう呼ぶかは日英とも誰に聞いても知らない。このシザリアンとは、かの古代ローマ帝国の帝王シーザーに由来している。時の王は予言者から「あなたは女の股から生まれた子ではない人間に滅ぼされる」と告げられた。そこで王は「そんな人間がこの世にいるはずがない、だから自分は一生安泰だ」と考えた。しかし、その後、王は、シーザーによって滅ぼされることになる。まさにシーザーは帝王切開で生まれ、女の股から生まれた子ではなかったのだ。この秘話から後に、妊婦の腹を切開して出産することをシザリアンあるいは帝王切開と呼ぶようになったそうだ。 サウス・スーパー・ハイウエイに沿って走るPNR(フィリピン国鉄)のディーゼル機関車の通過を待っているとき、大きな口をあけて機関車を見守るKIAN。バックミラーに移ったKIANの顔に注目。彼はシーザーのような大物になれるのだろうか

帝王切開(シザリアン)の話題 2012年3月18日