1998年、私の相棒のジェーンの家の玄関にダンボールにいれられた赤ちゃんが捨てられていた。母親と目される女が人に頼んで玄関に置き去りにしたのだ。名前も誕生日もわからない乳飲み子だった。 サンパギータの花束を胸に飾って、拙著「金無し、コネなし、フィリピン暮らし」39ページのモデルとなったビアンカ、11歳(推定) ジェーン一家の恒例の年末の記念写真、右端のビアンカは心なしか遠慮気味におさまっている。 ジェーンの家には2歳なる長兄の子供が一人いるだけだったので、早速家で育てることにした。とりあえずブランカ(白紙)と名づけたが、後により一般的な女の子の名前のビアンカに変えた。色白で目の大きい可愛い子だった。 学校に入るにはちゃんとした出生証明がないと具合が悪い。そこでビアンカはマミーの子供すなわちジェーンの妹として届けられた。その後、長兄ダシンの長男、次兄アランの長女、次女、と次々と孫が生まれてマミーの愛情も実の孫へと移っていった。そしてビアンカの試練が始まったのだ。 2007年12月、韓国KBSの農場取材に当たって、その日は、丁度ビアンカの誕生日(捨てられていた日)だったので、急遽、盛大な誕生日パーティを行うことになった。右から3人目がビアンカ 小学校へ行くようになって、ある日、学校の先生から呼び出しがあった。全然やる気がなくて、他の子供達の迷惑になるから退学させたいというのだ。結局、留年の憂き目となり、農場の近くの学校に移して、マミーと農場で暮らすようになった。ビアンカとしては他の子供達が実の親に可愛がられているのを見て複雑な思いを胸に秘めていたのだ。 ジェーンが、ビアンカを責めて、「一体お前は何が欲しいのか」と聞いたら、ビアンカの答えは「Love」の一言だったそうだ。 学校を変わって農場で過ごす様になるとビアンカは見違えるように変わって行った。2003~2004年は私自身が農場で暮らしていて、マミーとデバインそして私の4人暮らしだった。 2011年4月KIANの1歳の誕生日。デバインも久しぶりに戻って13~15歳の娘達が可愛い。後ろに写っているのは私の息子。 タバコ港から船で1時間太平洋に浮かぶ孤島に恒例の海水浴に出かける。誰もいない白い砂浜に子供達は大満足だ。 ビアンカのの役割は豚小屋の掃除や鶏やテラピアのえさやり、庭掃除や食事の後片付けと休む時間もない。デバインと二人で農場と家の仕事をこなしていた。 当時はマミーに何か頼むとすぐに「デバインー」と大きな声でデバインを呼んで言いつけていた。そして今、デバインが家を出て、16歳になったビアンカは、いつもマミーに「ビアンカー」と呼ばれて頼りにされている。 2010年12月末のパーティではハイスクール3人娘らがポーズを取る。 他の子供達が 親の愛情のもとにぬくぬくと育っている間に、ビアンカはマミーを助け、思いやり、責任感のある、子の鏡とも言えるほどの良い子に育って行った。学校の成績もあがり、表彰されるほどだった。 […]