Daily Archives: May 26, 2012


 1998年、私の相棒のジェーンの家の玄関にダンボールにいれられた赤ちゃんが捨てられていた。母親と目される女が人に頼んで玄関に置き去りにしたのだ。名前も誕生日もわからない乳飲み子だった。 サンパギータの花束を胸に飾って、拙著「金無し、コネなし、フィリピン暮らし」39ページのモデルとなったビアンカ、11歳(推定) ジェーン一家の恒例の年末の記念写真、右端のビアンカは心なしか遠慮気味におさまっている。 ジェーンの家には2歳なる長兄の子供が一人いるだけだったので、早速家で育てることにした。とりあえずブランカ(白紙)と名づけたが、後により一般的な女の子の名前のビアンカに変えた。色白で目の大きい可愛い子だった。  学校に入るにはちゃんとした出生証明がないと具合が悪い。そこでビアンカはマミーの子供すなわちジェーンの妹として届けられた。その後、長兄ダシンの長男、次兄アランの長女、次女、と次々と孫が生まれてマミーの愛情も実の孫へと移っていった。そしてビアンカの試練が始まったのだ。 2007年12月、韓国KBSの農場取材に当たって、その日は、丁度ビアンカの誕生日(捨てられていた日)だったので、急遽、盛大な誕生日パーティを行うことになった。右から3人目がビアンカ 小学校へ行くようになって、ある日、学校の先生から呼び出しがあった。全然やる気がなくて、他の子供達の迷惑になるから退学させたいというのだ。結局、留年の憂き目となり、農場の近くの学校に移して、マミーと農場で暮らすようになった。ビアンカとしては他の子供達が実の親に可愛がられているのを見て複雑な思いを胸に秘めていたのだ。  ジェーンが、ビアンカを責めて、「一体お前は何が欲しいのか」と聞いたら、ビアンカの答えは「Love」の一言だったそうだ。  学校を変わって農場で過ごす様になるとビアンカは見違えるように変わって行った。2003~2004年は私自身が農場で暮らしていて、マミーとデバインそして私の4人暮らしだった。 2011年4月KIANの1歳の誕生日。デバインも久しぶりに戻って13~15歳の娘達が可愛い。後ろに写っているのは私の息子。 タバコ港から船で1時間太平洋に浮かぶ孤島に恒例の海水浴に出かける。誰もいない白い砂浜に子供達は大満足だ。  ビアンカのの役割は豚小屋の掃除や鶏やテラピアのえさやり、庭掃除や食事の後片付けと休む時間もない。デバインと二人で農場と家の仕事をこなしていた。 当時はマミーに何か頼むとすぐに「デバインー」と大きな声でデバインを呼んで言いつけていた。そして今、デバインが家を出て、16歳になったビアンカは、いつもマミーに「ビアンカー」と呼ばれて頼りにされている。 2010年12月末のパーティではハイスクール3人娘らがポーズを取る。 他の子供達が 親の愛情のもとにぬくぬくと育っている間に、ビアンカはマミーを助け、思いやり、責任感のある、子の鏡とも言えるほどの良い子に育って行った。学校の成績もあがり、表彰されるほどだった。 […]

ビアンカの物語 2012年5月26日


以前ブログで紹介した美人女子大生など、若い方がインターネットで見つけ出して利用しているのが、AMAX INN MAKATIだ。単なる普通の民家にも見えるが、いわゆるバックパッカー用の安宿で、この手の宿はフィリピンではめったにめったに見かけることがない。 場所はパソンタモ通りを一歩入ったSantillan通りとDela Rosa通りの角の近く、マカティスクエアの日本レストラン街にも近く便利な場所だ。見てくれは決してホテルやペンションには程遠いが、民家を改造して宿として使っている感じだ。     それでも、小さめの庭やロビーがあってくつろげる。45ペソ均一の格安のカフェもあってありがたい。 部屋は、大き目のスツジオ(ダブルベッドが2つ)が2000ペソ/泊。 普通サイズのスツジオ(シングルベッドが2つ)が1600ペソ、ここまでは値段も部屋も普通のコンドテルとかわらない。  しかし、ここにはさらに、一泊550ペソの個室がある。部屋といってもベッドの広さしかないが、大きな部屋を壁で区切ったもので、一応プライバシーがある。そこには共通スペースがあって、テレビもおいてある。さらに、ベッドスペースが、月極めで4200ペソで借りることができる。エアコンも効いているので、何とか過ごすことはできそうだ。  贅沢さえ言わなければ、十分ステイできそうなので、長期滞在で、しかも予算に限りがある方には向いている。 一応食事と言えるメニューがほとんど45ペソと格安だ。この値段は道路沿いのトロトロよりも安いかもしれない。

格安ペンションAMAX INN MAKATI の紹介 2012年5月26日



ホリーウイーク休暇の3日目、この日も快晴でKIANをつれてマヨン展望台に向かった。展望台に向かうマヨン・スカイウエイは山の西側から向かうが、この方向からマヨン火山の全貌を見ることができるのはまれだ。 一年ぶりの展望台にKIANは何を思うのだろうか。  以下の4枚の写真は展望台からながめたパノラマだ。本来は4枚が横に並んでいる。 展望台は3合目くらいのところにあり、標高はせいぜい700m。ここいらが森林限界で上を覗むと荒々しい岩山ばかりだ。頂上付近は傾斜角が45度くらいで、上ったとしたら地を這って進むことになるだろう。 山を下る段になって頂上付近の雲が晴れてマヨンの西側の斜面がくっきりと見ることができた。スカイウエイの途中から眺めたタバコ市の眺望。この辺には畑があるが、この辺ではトマト、レタス、キウリ、キャベツなどの日本の野菜ができるだろうと思う。  山をバックに車上のKIAN。完璧なマヨンを背景にたたずむKIAN。カメラを向けるとポーズをとるようになったKIANだが、背景のことはでは気にしないので、じっとしていさせることに苦労した。       大きなシダの木と直線に延びる道路、道路わきを歩く犬など、めったにお目にかかることのできない貴重な一枚だ。

マヨン火山の絶景 2012年5月26日


 ホリーウイーク開けの4月7日、KIANの1週遅れの誕生会を催した。今回は内輪だけのささやかな誕生会となったが、それでも大家族のジェーンの息子となると30名の出席者で沸いた。昨年は100以上の招待客で華々しく開催したものの、そうは毎年やってはいられないといったところだ。      料理はみんな手作りで、例の甘いスパゲッティにチキンのから揚げは欠かせない。予算は飲み物も入れて、5000ペソ、1万円程度だ。  KIANとしてはロウソクを吹き消すのが無常の喜びで、つけては消し、消しては付けの繰り返しだった。 すきっ腹を我慢して聴衆はKIANのロウソクの吹き消しを見つめ、そのたびに拍手のサービスだ。  食料は朝から大量に仕込んであるので問題ない。それにつけてもあの甘いスパゲッティが一番人気なのが解せない。  KIANもヌードルとからげには目がないから、ご満悦だ。食事が始まってもろうそく消しをやめない。  ちなみに皿代わりに使っているのが、ザルとバナナの葉、使い捨てでもごみにならないから極めて重宝だ。バナナの葉はその辺にいくらでもある。  最近農場に越してきたマミーのお姉さん、テラピア・ポンドの脇に家を作って住んでいる。彼らもKIANの仕草をながめて幸せそうだ。

KIAN2回目の誕生日 2012年5月26日