Monthly Archives: October 2012


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 最近、日本経済のグローバル化、放射能汚染の恐怖、そして学校でのいじめの蔓延などで、日本での教育に見切りをつけて、お子さんを海外で学ばせようとするお母さんが増えている。そうすれば、英語を堪能に話す国際人に育つ一方、放射能やいじめから疎開できるという一石2鳥と考えるのだ。  しかし、留学といえばアメリカやヨーロッパが定番だが、こんなところでで長年暮らすとなると、おいそれと決断するわけにはいかない。よほどのお金持ちだけができる特権だ。そこで2000年代、韓国のお母さん方が、お子さんの留学先として目をつけたのがフィリピンだ。ご承知の通り、韓国ママ達の教育熱心は尋常ではなく、大手企業への就職も真っ当な努力ではままならない。ちなみに超優良企業のサムソンはTOEIC900点以上でないと、玄関払いになるそうだ。一時、フィリピンには語学専門学校も含め、8万人の留学生がいたといわれるが、2005年当時、退職庁にも小さなお子さん連れの韓国ママ達が退職ビザの申請に列を成していた。   2歳半のKIANが通う保育園には、2歳~4歳の幼稚園前の子が通うが、ここでもなんとすべて英語なのだ。KIANにとっては英語でもタガログ語でもまだまだ片言しか話さないから、関係ないのだが。彼の第一言語は英語、そして2番がタガログ語、3番がビコラノ(家族の出身地の方言)、そして4番目が日本語だ。  意外と思うかも知れないが、フィリピンでは小学校から授業は国語と社会をのぞいて、全部英語で行われる。英語の授業ははもちろん英語だが(日本では英語の授業もほとんどの部分は日本語でやっている)、数学や理科も全部英語だ。だから、フィリピン人は、ハイスクール(日本の中学校相当だが、現状4年間)を終えるころには皆、英語に堪能なバイリンガルに育つ。  韓国ママ達は、小さい子はインターナショナル・スクールに通わせ、大きい子は英会話学校に通わせて英語の特訓を受けさせる。フィリピンには英語の先生なんて、はいて捨てるほどいるから、時間数百円という只みたいな金でいくらでも雇える。生活費も本国で暮らすより返って安いくらいだ。だから、小さい子は母親連れで留学し、旦那は本国で稼いでせっせと仕送りする生活だ。  こうやって国際人を養成してきた韓国に、日本は水をあけられようとしている。日本で虐待やいじめにおののきながら、内向きに暮らしてきた若者では太刀打ちができなくなってきている。企業も多くの外国人を雇い始めているが、日本人の就職戦線はますます厳しいものになってきている。ここでもしあなたの子供が、日本語と英語をネイティブとして流暢に使いこなすことができて、かつ色々な国籍の友人を持っているとしたら、どうだろう。企業からは引く手あまたに違いない。 マニラの大学の付属のインターナショナル・スクール、大学よりも金になると、海外の留学生用のスクールを併設する大学が増えている  フィリピンでは、最近、学校制度が変更され、今年ハイスクールに入学する生徒から、従来4年で卒業していたものが、4年+2年で大学に進学することになり、日本と同じになる。従来、フィリピンのハイスクールを卒業しても、日本の大学進学の資格はなかった。しかし、今から4年後には、すべて国際基準と同等になって、フィリピンのハイスクールを卒業すれば、日本の大学の進学する道が開かれる、一方、ターナショナルスクールは、はなから外国の大学に進学することを前提としているから、現状で、ハイスクールを卒業すれば、日本やそのほかの国の大学に進学する資格が得られる。  フィリピンにおける学校の種類は、公立(学費無料)、私立(学費は有料で年間2万ペソから10万ペソ程度、1ペソ=約2円)、それにインターナショナル・スクール(学費は年間10万ペソ~20万ペソ、中には80万ペソというところもある)がある。もちろん大多数のフィリピン人は公立の学校に通うが、お金持ちは私立へ通う。有名私立の子供達は皆、有名大学へ進み、社会に出てからも学校時代に培ったコネで、社会の上層部を形成するのだ。フィリピンの大学の雄、フィリピン大学(UP)は公立だが、ほとんどの学生が私立ハイスクールの出身で、エリート教育を受けてきた子弟だ。貧乏人が小中高と公立で学び、東大に入学して、高級官僚や企業の幹部になるという構図はフィリピンにはない。金=教育=出世=金、の循環なのだ。  インターナショナル・スクールは基本的に外国人の子弟を対象にしているのだが、お金持ちのフィリピン人も通っている。特にお母さんがフィリピン人でお父さんが日本人あるいはその他の外国人の場合、ここに通わせることが多いようだ。もちろん、インターナショナル・スクールは私立校の上を行くエリート校だ。 インターナショナル・スクールには幼稚園や保育園が併設されている、まさに幼小中高一貫で、学費が高いだけに質の高い教育環境を用意している。  さて、日本人の子弟が、留学してフィリピンの学校に通うということを想定したらどうなるだろう。小学校入学前、あるいはその前後だったら、万能細胞の子供はすぐにアジャストして問題ないだろうが、フィリピンの授業はほとんどが英語で行われるので、小学校も高学年になると、英語がかなり達者でないと授業についていけない。さらに、ハイスクールともなれば、ほとんどアメリカ人と同等の英語力を有しているので、そのままでキャッチアップすることはまず不可能だ。  インターナショナルスクールの場合は、授業はもちろん英語だが、新規にフィリピンにやってきた生徒は必ずしも英語は達者ではないので、補習授業をマンツーマンで十分な語学力がつくまでやってくれる。子供は学習能力が優れているので、数ヶ月で通常のクラスに編入できる子も多いそうだ。  フィリピンには大小のインターナショナル・スクールが数多くあり、学費が一般の私立校に比べて高いだけに良好な教育環境を提供してくれる。新規にやってきたお子さんは、そんな事情からインターナショナル・スクールに入学させるのが良い。入学手続きについて、日本の学校から成績表をもらってくること、フィリピンに滞在する資格(フィリピン国籍か就学ビザなど)を取得すること、後は簡単な面接と入学申込書に記入して提出するだけだ。 […]

フィリピンで子育ての勧め 2012年10月24日


 昨夜、NHKスペシャルでiPS細胞(万能細胞)を発見した功績でノーベル賞を受賞した山中伸弥教授の特集をやっていた。従来の万能細胞(ES細胞)は受精卵をこわして作る、すなわち、自然の命から取り出すものに対して、これは皮膚の細胞を初期化して、万能細胞を作りだすものだ。したがって、患者の皮膚から作った万能細胞で、臓器や神経細胞などを作って患者の体に戻せば拒否反応もなく、倫理的問題にもならない、まさに理想の再生治療=夢の技術が実現しようとしているのだ。  さらに種々の病気のメカニズムの解明や薬のテストなども実験室で行うことができて、パーキンソン氏病やアルツハイマーなどの難病に画期的な新薬ができることが期待される。すなわち、医学会に革命をもたらす画期的な発見なのだそうだ。  一方、山中教授は倫理的な規制の議論が必要と付け加えるが、この技術を使えば、様々な臓器を作って体に組み込んだり、さらには一個の生命そのものも人工的作ることができてしまう、ということを暗に示唆しているに違いない。 赤ちゃんはまさになんにでもなれる可能性をしめた万能細胞そのものだ。  昔、手塚治虫などの漫画で見た、人工の臓器などを人体に組み込んだ、まさにサイボーグ=鉄腕アトムの世界であり、さらに、生殖というプロセスを経ないで自分の分身、クローンを作ることができるという、FS映画の世界だ。ゴルゴ13でも「毛沢東の細胞を使って毛沢東の分身を数百人作り、彼らを訓練して、理想の国家指導者を作り上げるプロジェクト」の話があった。こんな漫画やFS映画の世界が技術的に可能となったのだ。   さらに、植物の世界で、すでに実用化されている遺伝子組み換え技術と組み合わせると、超人ハルクのような生命体もできるかもしれない。また、ハリーポッターに出てくる人と動物を組み合わせた半人半獣が出現しても不思議でない。 たったの2歳半で読書をするKIAN。本当の所は何も理解しているわけではないのだが。  山中教授は、その辺の倫理規制が必要で、どこまでこの技術の利用を可能とするか、国際的な取り決めが必要だという。しかし、原子爆弾がそうであるように、独裁国家などが取り組んだら、その動きを簡単押さえ込むことはできない。独裁者は自らのクローンを作って永遠の命を保とうとするだろうし、自らのクローンで軍隊でさえ作れるだろう。「地球外でクローンを増産し、軍隊を仕立てて販売するというビジネス」の映画があったが、そこでは、彼らは生命体ではなく使い捨ての機械という設定だった。  さらに、人工的に作った臓器や神経は命として認識されず、売買され、実験や治療に使われることが是とされている。しかし、その延長線上にある一個の独立した生命体はどうなるのだろう。近未来に、生殖という過程を経て誕生した人間と、人工的に作られた人間(クローン)という2種類の人間ができて、後者は機能的には全く同じでも、人権をもたない道具あるいは機械として売買されるという状況が出現するかもしれない。現代の技術をもってすれば、これらクローンに自分が機械であるという認識を植え込み、人間に逆らうことはできないようにプログラムすることは容易であろう。(以前たしか、こんな設定の映画を見たことがある)。 最近はCARという自動車のアニメに凝っていて一日中繰り返して見ている。まさに自分がCARになった気分でテレビの中に入り込んで車を運転している。  そうなってくると、このiPS細胞を夢の技術と呼んで、ノーベル賞を与えて浮かれていていいのだろうか。この夢の技術で、本来人間に与えられた生命の限界を、果てしなく克服して、寿命を延ばしていくことが、人類全体にとって益ととなるのだろうか。動物そして人類は世代を交代することによって進化を遂げてきた。言い換えると、動物は個々の生命が次の世代を生み、自らは死んでいくことによって多様化し、環境に適応したものが生き延びて、生命の宿る地球を維持してきた。  今、人間が、自分自身の細胞で悪い部分を取り替えて永遠の命を獲得したとしたとしたら、人類は進化することを止めて、まさに破滅の道を歩みはじめることになるだろう。さらに遺伝子組み換えにより、自然に存在し得ない生命体を作り出すなど、人間あるいは動物の生命というメカニズムを人間が操れる時代が来たとすると、このiPS細胞の技術はまさにパンドラの箱を開ける悪魔の技術となってしまうのではないだろうか。

iPS細胞は夢の技術かそれとも悪魔の技術か 2012年10月22日



昨夜、NHKのクローズアップ現代で、IMFのトップが「日本を救う道は女性の社会進出だ」という提案を行っていた。日本の女性で働いているのは20%程度で、欧米の60~80%に比べて、はるかに少ない。オランダが女性の労働力の活用による税収の増加で、政府財政が黒字に転換し経済が活性化されたと紹介していた。  確かに少子高齢化で、働く層が激減し、それがまた、次の世代を担う子育てを放棄させ、悪循環に陥って、いずれ日本が消滅しかねない危機的状況に直面してる。そこで、人口の半数を占める女性が労働力として活用されれば、一気に問題は解決されるのだろう。  しかし、日本では60%の女性が結婚を契機に退職し、子育てが終わって職場に復帰しようとしても、その道が閉ざされているという。一方、男性の勤務は長時間残業が常態化し、とても育児に時間を割くことができず、妻にまかせっきり。これがまた、ますます女性の産後の職場復帰を難しくしている。  解決策としては、産後の女性の職場復帰を可能にするために、保育所の充実、パートタイマーの待遇と地位向上、フレキシブルな勤務時間制度、など、学ぶべき福祉先進国の取り組みを紹介していたが、道のりは険しそうだ。 PRAのスタッフは半数以上が女性、彼らは結婚しても出産しても決して職場を去らない。出産休暇や産後の職場復帰が制度的に保障されているだけでなく、家族という強力な子育てのバックアップがあるのだ。  翻ってフィリピンを見てみると、PRAなどの役所や銀行を初め、女性スタッフが過半数を占める事務所が大多数のように見える。また一方、女性の管理職も普通で、男性も女性の管理職の下で働くことに何の違和感もない。大統領まで女性だった位で、去年の統計ではフィリピンは世界で8番目に女性の社会進出が盛んな国で、日本は先進国最下位の98位だった。   これは、海外出稼ぎが最大の産業で、国民の1割が海外で働くとと言われるフィリピンでは、女性が国を守る必要があるからだろう。しかも、フィリピンでは、かかあ殿下が普通で一家の大黒柱を自負する妻達は、金銭的にも強い責任感があるので、子供が何人いようが働くことを厭わない。  さらに、統計的には不確かだが、フィリピンには女性が男性の3倍いるという。これは多分、働き盛りの若者のことで、海外出稼ぎのゆえの現象であろう。フィリピンにいる男性は3人の彼女を持つ義務があると豪語する輩もいる位だ。こうなると女性の労働力抜きではフィリピンの企業は成り立っていかない。 フィリピンで働く女性は、ほとんど例外なくヤヤ(子守)を雇っている。彼らは1万円にも満たない月給で 住み込みで24時間子供の面倒を見てくれるので、働く女性の強い見方だ。また一方、ヤヤ自体も立派に働いて、社会貢献をしているのだ。 フィリピンでは保育所などほとんど見かけない。家庭でおばあさんやおばさん、それにお姉さん達が子供の面倒を見てくれる。必要があればヤヤ(子守)を雇えばよい。子供の数だけヤヤを雇っても知れている。  仮に日本で月々2~3万円で24時間勤務の住み込みの子守が雇えるとしたらどうなるだろう。子育てや介護の問題は一挙に解決するはずだ。香港やシンガポールでは数万人のフィリピン人メイドや子守がその国の女性の社会進出を援護している。そしてこれらフィリピン人女性も海外出稼ぎ労働者としてフィリピン国家の財政に貢献しているのだ。  頭の固い日本のお役所がちょっと発想を変えれば、IMFのお偉方が提案する女性の社会進出が簡単に実現できるのだ。世界では月々1万円以下で働く人々が人口の大半を占めている。そして、この労働市場の開放は両国にとって計り知れないメリットを持っているはずだ。 マム・ジェーンは自分の子供(KIAN 中央)を含めて、12名の甥姪を擁し、経済的に当てにならない親達(ジェーンの兄弟)に成り代わって、全員に高等教育を授けようと意気込んでいる。子育てはもちろん、親達に任せているが、金銭的なバックボーンとなっているのだ。  日本では看護士や介護士を外国から受け入れるのでさえ、EPAなどという摩訶不思議な制度を設けて、実質的に受け入れを拒んでいる。ましてやメイドや子守などとなると、どんな議論が巻き起こるのやら見当がつかない。だから、かつて発展途上国と呼ばれた、シンガポール、香港、台湾、韓国などに抜かれ、そして差をつけられ始めているのに違いない。   そこで、着目したいのが、2030年には人口の3分の一を超えるという65歳以上の高齢者だ。65歳になれば年金が100%もらえるから、それ以降は、言い方は悪いが、社会のお荷物となって悠々自適の生活をもくろんでいる方々だ。 […]

メタボ社会は国を滅ぼす(その4‐女性の社会進出が日本を救う)2012年10月18日


 マニラ新聞によると、世界の空港を評価するホームページ「スリーピング・イン・エアポート」でアジアのワースト1の空港としてマニラ空港(NAIA)のターミナル1が選ばれたそうだ。世界のワースト1は、各地のワースト1が出揃ってから決めるそうだが、ターミナル1が選ばれる可能性が大きい。もっとも、昨年2011年の世界ワースト1は、このターミナル1だったから、よほどのことがないと、その地位は揺るがないだろう。  私もかねてから、世界でもっとも出迎えが難しい空港ターミナルと評し、その出迎え方法を、拙著「金無し...」やこのブログで繰り返し紹介してきた。ターミナル1との付き合いは1989年以来23年になるが、一向に改善の兆しがない。それどころか、退化していると言える。それに比べて、ターミナル2とターミナル3は結構まともなターミナルで、同じ機関が運営していると思うのだが、どうしてこうも違うのか。入れ物が古くて汚いとそこで働く人々の心まで卑しくなるのだろうか。 出発ターミナルビルの外には荷物検査を待つ長だの列。炎天下では苦行となる。さすが最近は改造して屋内に行列を取り込んだようであるが。  最近でも、空港警備の警官が乗客の荷物検査のおりに、隙を見て荷物の中の金目の物を盗み取るということを日常的に組織ぐるみでやっているのが発覚して、多くの警官が処分された。  私自身、一度、ベレー帽をかぶって、いかにも鼻の下の長いおのぼりさんの顔をして搭乗前の荷物検査に臨んだ。すると係りの人が「かもが来た」と目で合図を送り、別の係りの人が荷物を開け、中をごそごそと探っている。私がタガログ語で応答すると、「何だベテランか」とがっかりしたような顔をして係りの人は荷物のふたを閉めた。  到着客の案内と称して客に声を一生懸命かけているのは、タクシーと称してレンタカーを押しつけて、5倍くらいの運賃をふんだくろうともくろむ係り人だから、決して頼りにしてはいけない。  私が、最近客をターミナル1でご夫婦を出迎えたとき、天井からぶら下がっている看板のSの文字の下で待つようにと指示をして、ひたすら待った。そうすると電話がかかってきて、係りの人に案内されて、すでにパーキングエリアにいるという。係りの人とやらと話したら、私にパーキングエリアに出て来いと言う。顔も知らない客だから、そんなことをしたら、永久に会えなくなってしまう。  腹を立てて、「どうでもいいからSの字の下に客を案内しろ」と怒鳴ってなんとか事なきを得た。きっとこのご夫婦を「いいかも」とばかり、レンタカーか乗用車に乗せて法外な運賃を取ってやろうと、もくろんでいたに違いない。  到着ターミナルの人ごみ。原則としてここには出迎えの人は入れず、道路を挟んだ、出迎え人用の待合所で待たなければならない。だから知らぬもの同士がここで出会うのは至難の業なのだ。  とにかくここでは係りの人が一番やばいのだ。特に声をかけてきたら無視すること。ほいほいとついて行ったら事件に巻き込まれることだってありうる。私は一部のフィリピン人を除いて一般のフィリピン人は人を騙したり、金を不法にせしめようとするようなことは決してない、と思っているが、ことターミナル1については「人を見たら泥棒と思え」の諺どおりで、係りの人の言うことを決して信用してはいけない、頼りにしてはいけない、何か言われても無視することだ。  ターミナル1はPAL、Cebu Pacific、それにANA以外の国際便のすべてが到着するフィリピンの空の玄関だ。外国人は、ここではじめてフィリピン人に出会うことになるのだから、こんな係りの人たちにフィリピンの第一印象を左右されてしまう。これが、どれだけフィリピンのイメージに悪影響を与えているか、アキノ大統領には肝に銘じて欲しい。彼は、自分のお父さんの名前(NAIA=Ninoy Akino International Airport)が冠せられた空港をこんな状態に置いておいて言いと思っているのだろうか。 […]

NAIAターミナル1がアジアのワーストNo.1 空港に選ばれる 2012年10月17日



退職ビザに関する2011年5月のルール改正によりスマイル・プログラムが新設された。これで、35歳以上、一律2万ドルの預託金で退職ビザがとれるようになり、50歳以下の若い退職者(?)が急増した。この2万ドルはコンドミニアムの購入等の投資には転換できないが、人生の終末のニーズ(入院費、埋葬費等)には近親者が引き出して使用できるという、画期的なものだ。  過去の預託金の推移を見てみると ① 2006年5月以前: 50歳以上 5万ドル、 35歳以上50歳未満 7万5千ドル ② ~2011年5月 : 50歳以上 2万ドル、 35歳以上50歳未満 5万ドル ③ 2011年5月~ : 50歳以上 2万ドル、 35歳以上50歳未満 2万ドル  (ただし、②と③で年金申請は50歳以上1万ドル、③でクラッシックは35歳以上5万ドル)  2011年5月以前に退職ビザを取得した人(上記の①と②)はスマイル・プログラム(③)に移行することにより、預託金の差額(5万‐2万=3万ドルなど)を引き出して自由に使うことができる。ただし、その場合、360ドルの年会費をおさめる必要がある。  その手順は下記の通りだ。 (1)スマイルへの移行をPRAに申請する(申請用紙に退職者本人が署名して提出する) (2)PRAからTransfer Clearanceが発行される(申請後1~2ヶ月後)同時に360ドルの年会費を支払う (3)上記のTransfer Clearanceを預け入れ銀行に提出して、スマイルに必要な2万ドルだけをDBPのPRA口座へ移動する (4)PRAから残りの3万ドルのWithdrawal Clearanceが発行される(2万ドルの移動後、1~2週間後) […]

スマイル・プログラムへの移行について 2012年10月16日


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最近は、日本の経済破綻を見据えて、35歳未満の若い方が永住ビザを取得しようとすることが多くなっている。35歳未満ではSRRVの申請はできないのでクオータビザかSIRVが選択肢となる。今回はSIRVの詳細について紹介する。   SIRVはBOI(投資庁、Board of Investment)で発行されるが、条件は75000ドルをフィリピン株式に投資すること(現状ではコンドミニアム等への投資は認められていない)。年齢制限は21歳以上で、配偶者と21歳未満の未婚の子供の同伴が可能で人数に制限がない(SRRVは2名まで、3人以上は一人当たり15000ドルの追加定期預金が必要)。    ステップが複雑なのでSRRV(退職ビザ)より、かなり時間がかかるが、申請料は返って低めで、しかも、SRRVのように年会費(360ドル)がないので、維持費が少なくて済む。  株式投資は、上場会社に投資するのが承認されやすいが、株式の売却はBOIが承認が必要なので、簡単に売り買いができず、塩漬けになる。そのため、ブルーチップと呼ばれる、価格が安定し、高配当を望める会社に投資するのが一般的だ。 申請の手順は下記の通り。 A.  日本での準備 ①日本からDBP(Development Bank of the Philippines)にビザ発行の条件となっている75000ドルの投資金を振り込む […]

SIRV(特別投資家居住ビザ)の取得について 2012年10月15日



 早いもので、昨年11月12日に開催されたのロングステイフェア2011から1年が経過しようとしている。今年は、11月17日(10:00~17:00)東京ビッグサイトで開催される、年に一度のロングステイ財団主催のビッグイベントだ。  昨年は、広島大学に留学中だったPRAのフィリップさんが私的に参加して、フィリピン観光省のブースで退職者の相談にのった(写真中央)。現在、彼は帰国して、PRAのサービス部門の長を勤めており、現在、無犯罪証明書の日本大使館での認証の実現などに協力してくれている。 私は、当時女子大生の太田さんが駆けつけてくれて楽しく過ごすことができた(写真右)。 今年は、現在フィリピンに滞在中の息子に手伝ってもらえるので、より充実した相談コーナーの運営ができそうだ。ブースはいつものように、フィリピン観光省のとなり。また、今年は、私が声をかけて本家本元のPRAのスタッフも参加することになったので、そのお世話に手間がかかりそうだ。

ロングステイフェア2012開催のお知らせ 2012年10月13日


パスコは退職ビザ申請に必要な定期預金の作成にもっぱらバンク・オブ・コマースを利用している。そのため、バンク・オブ・コマースに口座を維持している方が相当数にのぼっている。一方、そのまま何年もの間口座をほったらかしにしておいて、口座が凍結されたり、最低預金額を下回って口座維持手数料を徴収されたりする方が出ている。自分の口座であるかぎり、定期的に口座の状況を把握することに努めるべきだが、中々容易ではない。  そこで登場するのがインターネットバンキングだ。日本ではほとんど当たり前になっているが、フィリピンでも普及が進んできている。バンク・オブ・コマースの場合、ネットバンキングの内容は口座残高の照会と同じ銀行内の預金の移動に限定されるが、それでもかなり有用だ。  最近、ある退職者のネットバンキングの開設のお手伝いをしたのでその手順を記載する。詳細はバンク・オブ・コマースで配布している英語の説明書を参照。 ①「www.bankcom.com.ph」にアクセスして、「personal E-banking」を選択する ②「log in」ページで、「now ! Click here」をクリック  「User ID」と「Password」の入力は不要 ③「Termas and Condition」で、「I […]

インターネットバンキングの勧め(バンク・オブ・コマース)2012年10月13日



   この日は、PRAのフィリップさんの帰国歓迎ということで、梅林(Meylin)中華レストランで食事を取った。Jupitor通りのルートンマカオの並び、マニラ方面へ5分ほど歩いたところにある。ここの売りは手打ち麺の実演だ。かつて香港のレストランで見たことがある。  この、手打ち麺を注文すると、店の奥で麺をこねるところからゆでるところまで見せてくれる。KIANがさぞかし喜ぶことだろうと、ここで食事をとることにしたのだが、こねる部分に時間がかかり、KIANは飽きてしまった。 あの粉の塊から、一瞬のうちに麺まで仕上げる芸当はたいしたものだが、 よほど延びやすい麺を使っていると見え、麺の味そのものは今一だった。 メニューのほとんどは200ペソ程度で、一皿の料も少なめ。中華料理特有の大きな円形テーブルも一箇所しかなく、2~4人で楽しむのに適したメニューだ。ルートンマカオでいつも注文する野菜とシーフードのミンチスープ、パタティム(豚足を長時間煮込んでやわらかく仕上げた料理)、クラゲとピータンの前菜、などなど10皿ほど注文したが、量的には多少余る程度だった(出席者は全部でKIANも入れて9人、カーネルとキムは不在)。 中華料理の注文は一人につき一皿を原則としているのだが、あいかわらずあたっているようだ。パタティムは中華パンと一緒に食べるのだが、ルートンマカオと違って、肉まんの側のような生のパンだった(上の写真の中央)。その中にパタティムの肉を挟んで食べると大変美味だ。 全体的あっさりした味付けで、それなりにおいしい。ルートンマカオのような圧倒的な迫力には欠けるが、少人数で食事を取るにはもってこいだ。ただし、麺類はあまりいただけない。  たまたま居合わせた最近お子さん連れで移住してきた母子と一緒したが、KIANはすっかり意気投合し乾杯を繰り返していた。子供同士は国籍などなんの関係もない。領土問題も糞くらえだ。 ところで、最後になるが、PRAのフィリップさんとはこの場を借りて、最近の無犯罪証明書の認証に関わる問題を議論した。私が、現在日本大使館と交渉中の、「日本大使館と比外務省での認証」への道を開くよう協力することで、合意した。来週早々にもPRAのトップとミーティングを持ち、さらに一緒に日本大使館を訪問することにした。これがOK になれば、すでにフィリピンに居住している退職者が日本に行くことなしに無犯罪証明書を取得して、認証の上、PRAに提出することが可能となる。これは、退職者にとっての一大朗報となるはずだ。

Meilyn(梅林)レストランで歓迎会 2012年10月6日


   PRAの主催する催し物は、いつも場所がわかりにくいので困る。この日はモール・オブ・エイシアの近くのPARK METROというところなので、すぐにわかるだろうとたかをくくっていったが、その建物の横を通っても閑散としていて判らなかった。やっと会場を見つけて入ってみると、そこにはビルの模型やモデルルームがあるので、協賛のFEDERAL LANDのモデルルームの展示場に違いない。でも、比較的広々としていて会場としては申し分なかった。  早速出くわしたのが、2年間の日本への留学を終えて帰国したばかりのPRAのフィリップさんだ(写真下右側)。留学前はPRAの RRSC(ビザ発行と各種サービス部門)を束ねる部長で、PRAの要をなしていた人だ。早速、今度の金曜日にWELLCOME DINNERを持つ約束をした。フィリップさんはKIANのニノン(名付け親のようなもの)で、2年ぶりに会ったKIANの成長振りに目を見張っていた。 今回の敬老の日のテーマはフィリピンの伝統的遊びを味わおうというもので、KIANは始めてみる縄跳びに夢中だ。 子供達の合唱もあり、フィリピンのフォークソングを歌っていた。  開催は1時から6時までで、食事はミリエンダ(間食)しかなかったが、それでもいい加減腹が一杯になったので、今夜は夕食抜きとすることにした。メニューはパンシット・マラボン(太目のヌードル)やフィリピン風もち菓子、それにチキンのから揚げだ。 食事用のテーブルは中々立派。  我々はどうも裏口から入ってしまったようだが、表には下の看板が掲げられていた。しかし、これは前の道路を走っても見えなかった。 もう一つの協賛はKULTURAという民芸品店大手だったので民族衣装を身にまとった楽団が外で演奏をしていた。  クライマックスではPRAのGMとFEDERAL LANDの社長の風船飛ばし。これがまた、いたくKIANの感心を買ったようでいつまでも飛んでいく風船を眺めていた。 […]

PRA 敬老の日開催(ELDERLY DAY) 2012年10月3日