Yearly Archives: 2012


昨夜、NHKのクローズアップ現代で、IMFのトップが「日本を救う道は女性の社会進出だ」という提案を行っていた。日本の女性で働いているのは20%程度で、欧米の60~80%に比べて、はるかに少ない。オランダが女性の労働力の活用による税収の増加で、政府財政が黒字に転換し経済が活性化されたと紹介していた。  確かに少子高齢化で、働く層が激減し、それがまた、次の世代を担う子育てを放棄させ、悪循環に陥って、いずれ日本が消滅しかねない危機的状況に直面してる。そこで、人口の半数を占める女性が労働力として活用されれば、一気に問題は解決されるのだろう。  しかし、日本では60%の女性が結婚を契機に退職し、子育てが終わって職場に復帰しようとしても、その道が閉ざされているという。一方、男性の勤務は長時間残業が常態化し、とても育児に時間を割くことができず、妻にまかせっきり。これがまた、ますます女性の産後の職場復帰を難しくしている。  解決策としては、産後の女性の職場復帰を可能にするために、保育所の充実、パートタイマーの待遇と地位向上、フレキシブルな勤務時間制度、など、学ぶべき福祉先進国の取り組みを紹介していたが、道のりは険しそうだ。 PRAのスタッフは半数以上が女性、彼らは結婚しても出産しても決して職場を去らない。出産休暇や産後の職場復帰が制度的に保障されているだけでなく、家族という強力な子育てのバックアップがあるのだ。  翻ってフィリピンを見てみると、PRAなどの役所や銀行を初め、女性スタッフが過半数を占める事務所が大多数のように見える。また一方、女性の管理職も普通で、男性も女性の管理職の下で働くことに何の違和感もない。大統領まで女性だった位で、去年の統計ではフィリピンは世界で8番目に女性の社会進出が盛んな国で、日本は先進国最下位の98位だった。   これは、海外出稼ぎが最大の産業で、国民の1割が海外で働くとと言われるフィリピンでは、女性が国を守る必要があるからだろう。しかも、フィリピンでは、かかあ殿下が普通で一家の大黒柱を自負する妻達は、金銭的にも強い責任感があるので、子供が何人いようが働くことを厭わない。  さらに、統計的には不確かだが、フィリピンには女性が男性の3倍いるという。これは多分、働き盛りの若者のことで、海外出稼ぎのゆえの現象であろう。フィリピンにいる男性は3人の彼女を持つ義務があると豪語する輩もいる位だ。こうなると女性の労働力抜きではフィリピンの企業は成り立っていかない。 フィリピンで働く女性は、ほとんど例外なくヤヤ(子守)を雇っている。彼らは1万円にも満たない月給で 住み込みで24時間子供の面倒を見てくれるので、働く女性の強い見方だ。また一方、ヤヤ自体も立派に働いて、社会貢献をしているのだ。 フィリピンでは保育所などほとんど見かけない。家庭でおばあさんやおばさん、それにお姉さん達が子供の面倒を見てくれる。必要があればヤヤ(子守)を雇えばよい。子供の数だけヤヤを雇っても知れている。  仮に日本で月々2~3万円で24時間勤務の住み込みの子守が雇えるとしたらどうなるだろう。子育てや介護の問題は一挙に解決するはずだ。香港やシンガポールでは数万人のフィリピン人メイドや子守がその国の女性の社会進出を援護している。そしてこれらフィリピン人女性も海外出稼ぎ労働者としてフィリピン国家の財政に貢献しているのだ。  頭の固い日本のお役所がちょっと発想を変えれば、IMFのお偉方が提案する女性の社会進出が簡単に実現できるのだ。世界では月々1万円以下で働く人々が人口の大半を占めている。そして、この労働市場の開放は両国にとって計り知れないメリットを持っているはずだ。 マム・ジェーンは自分の子供(KIAN 中央)を含めて、12名の甥姪を擁し、経済的に当てにならない親達(ジェーンの兄弟)に成り代わって、全員に高等教育を授けようと意気込んでいる。子育てはもちろん、親達に任せているが、金銭的なバックボーンとなっているのだ。  日本では看護士や介護士を外国から受け入れるのでさえ、EPAなどという摩訶不思議な制度を設けて、実質的に受け入れを拒んでいる。ましてやメイドや子守などとなると、どんな議論が巻き起こるのやら見当がつかない。だから、かつて発展途上国と呼ばれた、シンガポール、香港、台湾、韓国などに抜かれ、そして差をつけられ始めているのに違いない。   そこで、着目したいのが、2030年には人口の3分の一を超えるという65歳以上の高齢者だ。65歳になれば年金が100%もらえるから、それ以降は、言い方は悪いが、社会のお荷物となって悠々自適の生活をもくろんでいる方々だ。 […]

メタボ社会は国を滅ぼす(その4‐女性の社会進出が日本を救う)2012年10月18日


 マニラ新聞によると、世界の空港を評価するホームページ「スリーピング・イン・エアポート」でアジアのワースト1の空港としてマニラ空港(NAIA)のターミナル1が選ばれたそうだ。世界のワースト1は、各地のワースト1が出揃ってから決めるそうだが、ターミナル1が選ばれる可能性が大きい。もっとも、昨年2011年の世界ワースト1は、このターミナル1だったから、よほどのことがないと、その地位は揺るがないだろう。  私もかねてから、世界でもっとも出迎えが難しい空港ターミナルと評し、その出迎え方法を、拙著「金無し...」やこのブログで繰り返し紹介してきた。ターミナル1との付き合いは1989年以来23年になるが、一向に改善の兆しがない。それどころか、退化していると言える。それに比べて、ターミナル2とターミナル3は結構まともなターミナルで、同じ機関が運営していると思うのだが、どうしてこうも違うのか。入れ物が古くて汚いとそこで働く人々の心まで卑しくなるのだろうか。 出発ターミナルビルの外には荷物検査を待つ長だの列。炎天下では苦行となる。さすが最近は改造して屋内に行列を取り込んだようであるが。  最近でも、空港警備の警官が乗客の荷物検査のおりに、隙を見て荷物の中の金目の物を盗み取るということを日常的に組織ぐるみでやっているのが発覚して、多くの警官が処分された。  私自身、一度、ベレー帽をかぶって、いかにも鼻の下の長いおのぼりさんの顔をして搭乗前の荷物検査に臨んだ。すると係りの人が「かもが来た」と目で合図を送り、別の係りの人が荷物を開け、中をごそごそと探っている。私がタガログ語で応答すると、「何だベテランか」とがっかりしたような顔をして係りの人は荷物のふたを閉めた。  到着客の案内と称して客に声を一生懸命かけているのは、タクシーと称してレンタカーを押しつけて、5倍くらいの運賃をふんだくろうともくろむ係り人だから、決して頼りにしてはいけない。  私が、最近客をターミナル1でご夫婦を出迎えたとき、天井からぶら下がっている看板のSの文字の下で待つようにと指示をして、ひたすら待った。そうすると電話がかかってきて、係りの人に案内されて、すでにパーキングエリアにいるという。係りの人とやらと話したら、私にパーキングエリアに出て来いと言う。顔も知らない客だから、そんなことをしたら、永久に会えなくなってしまう。  腹を立てて、「どうでもいいからSの字の下に客を案内しろ」と怒鳴ってなんとか事なきを得た。きっとこのご夫婦を「いいかも」とばかり、レンタカーか乗用車に乗せて法外な運賃を取ってやろうと、もくろんでいたに違いない。  到着ターミナルの人ごみ。原則としてここには出迎えの人は入れず、道路を挟んだ、出迎え人用の待合所で待たなければならない。だから知らぬもの同士がここで出会うのは至難の業なのだ。  とにかくここでは係りの人が一番やばいのだ。特に声をかけてきたら無視すること。ほいほいとついて行ったら事件に巻き込まれることだってありうる。私は一部のフィリピン人を除いて一般のフィリピン人は人を騙したり、金を不法にせしめようとするようなことは決してない、と思っているが、ことターミナル1については「人を見たら泥棒と思え」の諺どおりで、係りの人の言うことを決して信用してはいけない、頼りにしてはいけない、何か言われても無視することだ。  ターミナル1はPAL、Cebu Pacific、それにANA以外の国際便のすべてが到着するフィリピンの空の玄関だ。外国人は、ここではじめてフィリピン人に出会うことになるのだから、こんな係りの人たちにフィリピンの第一印象を左右されてしまう。これが、どれだけフィリピンのイメージに悪影響を与えているか、アキノ大統領には肝に銘じて欲しい。彼は、自分のお父さんの名前(NAIA=Ninoy Akino International Airport)が冠せられた空港をこんな状態に置いておいて言いと思っているのだろうか。 […]

NAIAターミナル1がアジアのワーストNo.1 空港に選ばれる 2012年10月17日



退職ビザに関する2011年5月のルール改正によりスマイル・プログラムが新設された。これで、35歳以上、一律2万ドルの預託金で退職ビザがとれるようになり、50歳以下の若い退職者(?)が急増した。この2万ドルはコンドミニアムの購入等の投資には転換できないが、人生の終末のニーズ(入院費、埋葬費等)には近親者が引き出して使用できるという、画期的なものだ。  過去の預託金の推移を見てみると ① 2006年5月以前: 50歳以上 5万ドル、 35歳以上50歳未満 7万5千ドル ② ~2011年5月 : 50歳以上 2万ドル、 35歳以上50歳未満 5万ドル ③ 2011年5月~ : 50歳以上 2万ドル、 35歳以上50歳未満 2万ドル  (ただし、②と③で年金申請は50歳以上1万ドル、③でクラッシックは35歳以上5万ドル)  2011年5月以前に退職ビザを取得した人(上記の①と②)はスマイル・プログラム(③)に移行することにより、預託金の差額(5万‐2万=3万ドルなど)を引き出して自由に使うことができる。ただし、その場合、360ドルの年会費をおさめる必要がある。  その手順は下記の通りだ。 (1)スマイルへの移行をPRAに申請する(申請用紙に退職者本人が署名して提出する) (2)PRAからTransfer Clearanceが発行される(申請後1~2ヶ月後)同時に360ドルの年会費を支払う (3)上記のTransfer Clearanceを預け入れ銀行に提出して、スマイルに必要な2万ドルだけをDBPのPRA口座へ移動する (4)PRAから残りの3万ドルのWithdrawal Clearanceが発行される(2万ドルの移動後、1~2週間後) […]

スマイル・プログラムへの移行について 2012年10月16日


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最近は、日本の経済破綻を見据えて、35歳未満の若い方が永住ビザを取得しようとすることが多くなっている。35歳未満ではSRRVの申請はできないのでクオータビザかSIRVが選択肢となる。今回はSIRVの詳細について紹介する。   SIRVはBOI(投資庁、Board of Investment)で発行されるが、条件は75000ドルをフィリピン株式に投資すること(現状ではコンドミニアム等への投資は認められていない)。年齢制限は21歳以上で、配偶者と21歳未満の未婚の子供の同伴が可能で人数に制限がない(SRRVは2名まで、3人以上は一人当たり15000ドルの追加定期預金が必要)。    ステップが複雑なのでSRRV(退職ビザ)より、かなり時間がかかるが、申請料は返って低めで、しかも、SRRVのように年会費(360ドル)がないので、維持費が少なくて済む。  株式投資は、上場会社に投資するのが承認されやすいが、株式の売却はBOIが承認が必要なので、簡単に売り買いができず、塩漬けになる。そのため、ブルーチップと呼ばれる、価格が安定し、高配当を望める会社に投資するのが一般的だ。 申請の手順は下記の通り。 A.  日本での準備 ①日本からDBP(Development Bank of the Philippines)にビザ発行の条件となっている75000ドルの投資金を振り込む […]

SIRV(特別投資家居住ビザ)の取得について 2012年10月15日



 早いもので、昨年11月12日に開催されたのロングステイフェア2011から1年が経過しようとしている。今年は、11月17日(10:00~17:00)東京ビッグサイトで開催される、年に一度のロングステイ財団主催のビッグイベントだ。  昨年は、広島大学に留学中だったPRAのフィリップさんが私的に参加して、フィリピン観光省のブースで退職者の相談にのった(写真中央)。現在、彼は帰国して、PRAのサービス部門の長を勤めており、現在、無犯罪証明書の日本大使館での認証の実現などに協力してくれている。 私は、当時女子大生の太田さんが駆けつけてくれて楽しく過ごすことができた(写真右)。 今年は、現在フィリピンに滞在中の息子に手伝ってもらえるので、より充実した相談コーナーの運営ができそうだ。ブースはいつものように、フィリピン観光省のとなり。また、今年は、私が声をかけて本家本元のPRAのスタッフも参加することになったので、そのお世話に手間がかかりそうだ。

ロングステイフェア2012開催のお知らせ 2012年10月13日


パスコは退職ビザ申請に必要な定期預金の作成にもっぱらバンク・オブ・コマースを利用している。そのため、バンク・オブ・コマースに口座を維持している方が相当数にのぼっている。一方、そのまま何年もの間口座をほったらかしにしておいて、口座が凍結されたり、最低預金額を下回って口座維持手数料を徴収されたりする方が出ている。自分の口座であるかぎり、定期的に口座の状況を把握することに努めるべきだが、中々容易ではない。  そこで登場するのがインターネットバンキングだ。日本ではほとんど当たり前になっているが、フィリピンでも普及が進んできている。バンク・オブ・コマースの場合、ネットバンキングの内容は口座残高の照会と同じ銀行内の預金の移動に限定されるが、それでもかなり有用だ。  最近、ある退職者のネットバンキングの開設のお手伝いをしたのでその手順を記載する。詳細はバンク・オブ・コマースで配布している英語の説明書を参照。 ①「www.bankcom.com.ph」にアクセスして、「personal E-banking」を選択する ②「log in」ページで、「now ! Click here」をクリック  「User ID」と「Password」の入力は不要 ③「Termas and Condition」で、「I […]

インターネットバンキングの勧め(バンク・オブ・コマース)2012年10月13日



   この日は、PRAのフィリップさんの帰国歓迎ということで、梅林(Meylin)中華レストランで食事を取った。Jupitor通りのルートンマカオの並び、マニラ方面へ5分ほど歩いたところにある。ここの売りは手打ち麺の実演だ。かつて香港のレストランで見たことがある。  この、手打ち麺を注文すると、店の奥で麺をこねるところからゆでるところまで見せてくれる。KIANがさぞかし喜ぶことだろうと、ここで食事をとることにしたのだが、こねる部分に時間がかかり、KIANは飽きてしまった。 あの粉の塊から、一瞬のうちに麺まで仕上げる芸当はたいしたものだが、 よほど延びやすい麺を使っていると見え、麺の味そのものは今一だった。 メニューのほとんどは200ペソ程度で、一皿の料も少なめ。中華料理特有の大きな円形テーブルも一箇所しかなく、2~4人で楽しむのに適したメニューだ。ルートンマカオでいつも注文する野菜とシーフードのミンチスープ、パタティム(豚足を長時間煮込んでやわらかく仕上げた料理)、クラゲとピータンの前菜、などなど10皿ほど注文したが、量的には多少余る程度だった(出席者は全部でKIANも入れて9人、カーネルとキムは不在)。 中華料理の注文は一人につき一皿を原則としているのだが、あいかわらずあたっているようだ。パタティムは中華パンと一緒に食べるのだが、ルートンマカオと違って、肉まんの側のような生のパンだった(上の写真の中央)。その中にパタティムの肉を挟んで食べると大変美味だ。 全体的あっさりした味付けで、それなりにおいしい。ルートンマカオのような圧倒的な迫力には欠けるが、少人数で食事を取るにはもってこいだ。ただし、麺類はあまりいただけない。  たまたま居合わせた最近お子さん連れで移住してきた母子と一緒したが、KIANはすっかり意気投合し乾杯を繰り返していた。子供同士は国籍などなんの関係もない。領土問題も糞くらえだ。 ところで、最後になるが、PRAのフィリップさんとはこの場を借りて、最近の無犯罪証明書の認証に関わる問題を議論した。私が、現在日本大使館と交渉中の、「日本大使館と比外務省での認証」への道を開くよう協力することで、合意した。来週早々にもPRAのトップとミーティングを持ち、さらに一緒に日本大使館を訪問することにした。これがOK になれば、すでにフィリピンに居住している退職者が日本に行くことなしに無犯罪証明書を取得して、認証の上、PRAに提出することが可能となる。これは、退職者にとっての一大朗報となるはずだ。

Meilyn(梅林)レストランで歓迎会 2012年10月6日


   PRAの主催する催し物は、いつも場所がわかりにくいので困る。この日はモール・オブ・エイシアの近くのPARK METROというところなので、すぐにわかるだろうとたかをくくっていったが、その建物の横を通っても閑散としていて判らなかった。やっと会場を見つけて入ってみると、そこにはビルの模型やモデルルームがあるので、協賛のFEDERAL LANDのモデルルームの展示場に違いない。でも、比較的広々としていて会場としては申し分なかった。  早速出くわしたのが、2年間の日本への留学を終えて帰国したばかりのPRAのフィリップさんだ(写真下右側)。留学前はPRAの RRSC(ビザ発行と各種サービス部門)を束ねる部長で、PRAの要をなしていた人だ。早速、今度の金曜日にWELLCOME DINNERを持つ約束をした。フィリップさんはKIANのニノン(名付け親のようなもの)で、2年ぶりに会ったKIANの成長振りに目を見張っていた。 今回の敬老の日のテーマはフィリピンの伝統的遊びを味わおうというもので、KIANは始めてみる縄跳びに夢中だ。 子供達の合唱もあり、フィリピンのフォークソングを歌っていた。  開催は1時から6時までで、食事はミリエンダ(間食)しかなかったが、それでもいい加減腹が一杯になったので、今夜は夕食抜きとすることにした。メニューはパンシット・マラボン(太目のヌードル)やフィリピン風もち菓子、それにチキンのから揚げだ。 食事用のテーブルは中々立派。  我々はどうも裏口から入ってしまったようだが、表には下の看板が掲げられていた。しかし、これは前の道路を走っても見えなかった。 もう一つの協賛はKULTURAという民芸品店大手だったので民族衣装を身にまとった楽団が外で演奏をしていた。  クライマックスではPRAのGMとFEDERAL LANDの社長の風船飛ばし。これがまた、いたくKIANの感心を買ったようでいつまでも飛んでいく風船を眺めていた。 […]

PRA 敬老の日開催(ELDERLY DAY) 2012年10月3日



 パスコのホームページのアクセス回数が先ほど80万回を達成した。70万回が4月19日だから5ヶ月と13日で10万回のアクセスがあったことになる。そうすると、大台の100万回アクセスは来年の8月末ということになるが、今のところ、それまでは現状でいけそうだ。  カウンターの800000の瞬間を撮影しようと、799900位から、頻繁に更新ボタンを押して、カメラを構えていたのだが、799960くらいのとこ ろで電話がかかってきた。出てみると日本から私への電話で、長電話になるのではないかと気が気ではない。なんとか電話を終えると、まだ、799980で ほっとして、また更新ボタンを押し続ける。しかし、残念ながら799998のあと、800001に数字が飛んでしまった。100万回は、何とかものにした いと思う。 KIANが生まれたのが2年半前の2010年3月31日、そのときはまだ、30万回アクセスだった。その後、50万回のアクセスを2年半で達成した。す なわち半年ごとに10万回だ。100万回達成のころはKIANが3歳半になっている。最近とみに子供らしさを増しているが、そのころはきっと幼稚園のボス になっているだろう。 最近、退職ビザのことでコンタクトしてこられる方の大半はパスコのHPか、「金無し、コネなし、フィリピン暮らし」をお読みになった方だ。本の方は今年 の初めに改訂版が出たばかりだが、HPのほうもいずれ抜本的にリニューアルが必要かと思う。しかし、HPが500ページ、ブログの方が560篇と膨大な数 になっているので、容易なことではないので、100万回アクセスを期に取り組んで見ようと思う。

PASCO HPのアクセスが80万回を達成 2012年10月2日


さきごろマラカニヤンの大統領府により、2013年のフィリピンの祝日・特別休日が発表された。アロヨ前大統領の人気取り作戦として行われてきた祝日の振り替えやブリッジ休みなどのばら撒きは影をひそめ、合計で16日が祝日・特別休日と指定された。ただし、土曜と重なっている日もあるので、実質13日。しかし、ラマダン開けや選挙、台風など、別途の休みが数日ある。 1月1日(火)New Year’s Day 元旦  2日(水)と3日(木)の三が日を休みとするところも多く、4日(金)も休みにして、1月7日(月)から業務が開始会社も多い。そうなると、前年の12月22日(土)からクリスマス休みを含めて16連休ということになる。 3月28日(木)Holly Week(聖週間) 3月29日(金)Holly Week(聖週間) 3月30日(土)Holly Week(聖週間) 4月9日(火)Araw ng Kagitingan(勇者の日) 5月1日(水)Labor […]

2013年フィリピンの休日 2012年10月2日