Yearly Archives: 2012


2ヶ月ぶりの農場訪問だが、KIANはしっかり覚えていて、つかの間の農場生活を満喫した。 義理の弟分、アンヘロと再会したKIANは不思議な面持ちだ。どうしてもマヨン火山をバックに写真を取らしてくれないKIANを抱っこしたままとった一枚。 アンヘロを無視しておどけるKIAN。ベビーベッドのオルゴールを懐かしそうに眺める。 最近はウンチを覚えてトイレで用を足す。鳥小屋をゆすって鳥をおどろかすKIAN。         トライシクルに乗ってママとお出かけだ。 歯磨きが苦手なKIAN。泣き叫ぶKAINを押さえつけて歯ブラシをする。もっとやり方があるだろうと、私は決して手助けをしない。 BiankaやYanaの通学につきそうKIAN。農場の道路を走る。マヨンを背景に堂々と道を行くKIAN。 デバインとビアンカに手を引かれてビアンカの通うサンアントニオスクールに向かう。デバインもビアンカも農場育ちだ。 街で食事をしての帰り、ダシン(マムジェーンのお兄さん)のトライシクルには大人子供総勢11人が乗り込んでお帰りだ。KIANがとった一枚。KIAN初の傑作写真だ。 翌日再び学校へ行く。この日は「先生の日」だそうで軍服姿の生徒が先生を迎えていた。残念ながらKIANは中には入れてもらえなかった。 お猿さんには興味を示すが近くに寄ると怖がるKIAN。猿はどういうわけか子供と女を威嚇する。マヨン火山をバックにママにチューをするKIAN。 どんなに機嫌が悪くても水遊びをさせると夢中になって時を忘れるKIAN。今日はお別れ、ママジェーンの実家でKIANをおろして空港に向かった。その後KIANは私を探して泣き続けたそうだ。 翌日、空港にKIANを迎えに行ったが、私を見つけてうれしそうに微笑むKIAN。私は彼からフィリピーノの本物の愛情というものを学んだ気がする。

KIANの学校訪問 2012年9月10日


   ゼスト・エアーという格安の航空会社がマニラとレガスピ間に就航したのは聞いていたが、今回、所要でタバコ市を訪問する折、初めて利用する機会があった。  ゼスト・エアーはターミナル4(従来ドメスティック・ターミナルと呼ばれていたもの)に発着するが、そこにはずらりとゼスト・エアーの飛行機が並んでいた。マニラーレガスピ間が往復で2767ペソと、大手格安空港のセブパシフィックが4000ペソ以上するのと比べて、かなり安い。  マム・ジェーンも一緒に行ったのだが、彼女はゼスト・エアーには絶対に乗らないと言い張って、翌日、セブパシフィックでタバコへ向かった。彼女いわく、ゼスト・エアーは他の航空会社の使い古した超中古機を買って運行しているので、いつ墜落しても不思議ではないと主張する。 そのせいか、内部はがらがらで、これで採算が取れるのかといぶかれるが、乗り心地はセブパシフィックとなんら遜色ない。窓から見えるニューポートシティや滑走路、マカティシティ、そしてグローバルシティもいつもと変わらない(当たり前だが)。  ロビンソンデパートの婦人服売り場には客がいない。いるのは売り子だけだ。これは昔、ここで試着をする若い女性客が消えていなくなる、といううわさが流れた。これはロビンソンのオーナーの息子が半身蛇で若い娘の生き血を吸っていきている、というなんともたわいもないデマによるものだ。 しかし、フィリピン人の多くはこれを信じてロビンソンには足を向けないそうだ。ゼスト・エアーにも同様の現象がおきているのかもしれない。 レガスピに近ずくと緑一面だ。この日は曇り空で、マヨンは厚い雲に覆われていた。レガスピ空港に予定通り降り立ったぜスト・エアーもなかなかの雄姿だ。      レガスピにも最近姿を見せたタクシー、レガスピータバコ間が700ペソの固定料金で、農場のあるサンアントニオは100ペソの割りましとなる。帰りも電話一本で迎えに来てくれるの大変重宝だ。今まで、タバコ市中心街まで、トライシクルで行って、そこからフィルキャブ、さらに空港の近くで再度トライシクルに乗り換えるというわずらわしさから開放された。 帰りも客が少なくて 、チェックインに並ぶ必要もなく、さらに30分も早く出発するという異例の事態だった。帰りも残念ながらマヨンの雄姿を拝むことはできなかったが、レガスピの街並みやボニファシオ・グローバルシティの全景を眺めることができた。 SLEX(南ルソン高速道路)の真上を通過して着陸。いつも地上から飛行機が高速道路のすぐ真上を通過する瞬間を撮影しようとしているのだが、未だに実現していない。 早くぬれ衣を晴らして、格安の飛行機を飛ばし続けて欲しいと思う。

フィリピンの格安航空ゼストエアーに初乗り 2012年9月9日



  8月31日の夜、妻から「あなた、大丈夫」という電話が入った。テレビでフィリピンで大地震が発生し、津波が押し寄せていると報道されていると言うのだ。そんなこととはつゆ知らず、あわててテレビをつけて情報の収集に努めた。 それによるとサマール島の沖合いでマグニチュード7.6の地震が発生し、津波警報が出ているというのだ。日本のテレビでも数時間後に50cm程度の津波が各地を襲うと、番組を中断して速報を継続して流していた。 それからはお見舞いの電話やE-メールが立て続けに入ってきた。当方は何の揺れも感じなかっただけに、少々照れくさい。いずれにせよマグニチュード7.6という数字は先の東北大震災のマグニチュード9に比べたら数千分の一のエネルギーで、交通事故に出会ったのと蚊に刺されたくらいの差がある。日本で番組を中断して速報を流し続けるほどのものでもない。中でもフィリピンに押し寄せた津波が3cmという報道には単位を間違えたのではないかと耳を疑った。そもそも3cmの津波などどうやって計測したのか想像もつかない。 メディアがちょっと過敏になりすぎて、人心をあおっているのではないかと感じられた。

フィリピンでも大地震そして津波発生? 2012年9月9日


  所用があってめずらしく9月に農場を訪問した。あらたに子豚が生まれていたが、どういうわけがハエが多く、豚小屋には一度だけしか訪れなかった。どうも手を抜いて手入れが行き届いていないようだ。水田は、前回の訪問では田植えをしたばっかりだったが、そろそろ刈り入れの時期になっている。 オクラやインゲンが植えてあった。おくらは身の丈まだ50cmくらいから収穫ができて、これから2mくらいになるまで毎日収穫できる。それも一日に2回くらい収穫しないと実が育ちすぎて食べられなくなるから油断ができない。ここのインゲンは長さが1mくらいまで育つ。        今年の初めに200本植えたパイナップルの苗はそろそろ実をつけるものも出ている。1年後くらいには毎日パイナップルが楽しめそうだ。ビコール名物のピリナッツはもはや5年近くになるがそろそろ実をつけるころだ。  庭の周辺に植えてあるランカ(ジャックフルーツ、世界最大の果物)は大きな実を大量につけている。10年近く前に植えたランブータンも実をつけている。 キャッサバはニューギニアなどでは主食としている芋だが、どこにでもなる。実をすりつぶして水にさらして毒を抜いて、バナナの葉に包んで蒸して食べる。もち米のちまきのようでとてもおいしい。  刈り入れ後の米のわらを食する牛。マヨンをバックに絵になる風景だ。10年近くになるココナッツもたわわに実をつけている。        馬のジンポはもっぱら草を食べるだけの生活だ。幹に直接実をつける果物は多いが、このカミアスはとてもすっぱくてちょっと果物とはいいがたい。 サツマイモの原種、カモテはいざというときに頼りになる食料だ。とうもろこしの苗。最近はジャパニーズコーンと呼ばれるスイートコーンがフィリピンでも主流だ。  パパイヤは1年で数メートルに育つ手っ取り早いバナナ、パイナップル、マンゴと並ぶ熱帯果物の王様だ。        熱帯で育つ小鳥はとてもカラフルだ。アンパラや(苦瓜あるいはゴーヤ)はカンコンやペッチャイと並ぶフィリピン野菜の王様だ。 草を刈って、野菜畑を拡幅している。さらにオクラを植えるているが、収穫が始まったら、ご近所に売りに出すそうだ。この土地を買ったときに唯一生えていたのがこの椰子の木だ。 […]

9月の農場は野菜や果物がいっぱい 2012年9月9日



   8月27日(月)は英雄の日で祝日となり、先週に続いて連休となり、再びプエルトガレラを訪問した。先週、騙し取られた50ペソを取り返そうと意気込んでいたが、呼び込みの輩は姿を消して、乗船賃や港の使用料の支払いはスムーズに済んだ。  今は、オフシーズンのプエルトガレラは熱帯モンスーンの影響で風が強く、波が大きく、乗船に苦労する一方、船中では船酔いの人が続出した。  今回の目的地はホワイトビーチだが、ここは船着場がなくて、この時期、船がつきにくくてプエルトガレラ港で下船、小型のバスで、目的地のホワイトビーチに向かう。 プエルトガレラ港は、入り江の奥深くで波が全くなく、数多くのヨットが停泊している。  ホワイトビーチは名の通り、サバンに比べて広い砂浜が続く。宿泊は、前回と同じホワイトビーチロッジで一泊1500ペソ。サバンに比べて、高級なレストランはなくて、バーベキューが一皿ライス付で100ペソと安い。 500mほど内陸に歩くと普通の田舎町が続く。ここからプエルトガレラまではトライシクルで、往復400ペソ、サバンまでなら800ペソもとられる。しかし値切ればサバンまで往復500ペソだ。ちなみに乗り合いのジープはない。 今回は、ホワイトビーチの先にあるタリパナン・ビーチに足を延ばした。 一番奥まったところにあるのが、エル・カノネロ・リゾートで一泊1800ペソで、リーゾナブルだ。  プライベートビーチの雰囲気が良い。客はまばらだ。  帰りはプエルトガレラまで小型バスで行く、乗船賃275ペソのうち、45ペソがバス代になる。このバスに14人がぎゅうぎゅう詰めなって、役15分の道のりだ。 12時発の筈が、出発は1時近く、その間、のんびりと海を眺めて待つ。 近所に小さなレストランが数軒あり、そこにはコッテージや土地の売り物が張り出されている。価格的にはマニラの郊外の物件と大差ない。価格はどういうわけかドルやポンドで示されている。15000平米のビーチの土地がなんと89万ドルという売り物があった。  オフシーズンは便数が少なくて、かえって満員だ。帰りは波はあったものの追い風で比較的スムーズな船旅がエンジョイできた。 バタンガス港について空腹のため食べるところを探したが、ターミナルの中に入らないと何もない。何故乗船客には食べ物を提供しても下船する人間にはなにも食べるところがないとは、なんという矛盾か。おかげでバスに乗ったら、車中は食い物を売る人であふれていた。我々もハンバーグと卵を買い求めて一息ついた。

プエルトガレラ・ホワイトビーチ、シーズンオフの訪問 2012年8月29日


   8月21日(火)はニノイアキノ記念日、20日(月)はブリッジ休みとなり、土日を含めて4連休となった。さらに先々週の8月7日(火)と8日(水)は洪水で官庁が休みで仕事にならなかった。さらに来週27日(月)は英雄の日で祝日となるので、ここのところ平均して週休3日という超先進国並みのゆとりある日々だ。しかし、日本のお盆を挟んで休暇をとり、限られた日数で退職ビザ取得を計画された退職者が多く、当方としてはやきもきする毎日だった。しかし、なんとかビザの発行をつつがなく終え、20日(月)と21日(火)は息子とプエルトガレラの海浜リゾートに遊びに出かけた。今回は特に息子の趣味の釣りに挑戦することにした。  今年は3度目のプエルトガレラ行きなので、慣れているつもりだったが、バタンガスの船乗り場で、船会社の社員と称する連中がしつこく付きまとい、つい言いなりに乗船賃(310ペソ)を支払うと、別の人間が環境税(一人50ペソ)を支払えという。しかも往復で一人100ペソだという。合計410ペソとられた。よく聞いてみると乗船賃が230ペソ、環境税が50ペソ(帰りの便には環境税は不要)、ターミナルフィーが30ペソ。全部で310ペソだ。最初の男に支払った310ペソですべて入っているはずだが、別の男に支払った環境税が二重払いだった。往復100ペソの嘘は見抜いて50ペソを取り返したものの、二重払いに気がつかず、50ペソを騙し取られる羽目になってしまった。たったの50ペソだが、金額の多寡にかかわらず騙されたということが癪にさわる。だから、この手の支払いは決して人任せにせず、窓口で自分で支払うべきだ。彼らはあの手この手で客を煙に巻いて小銭を騙し取ることに汲々としているのだ。きっとそれが彼らの生活の糧なのだろう。 今回はサバンに泊まった。ここはプエルトガレラの中でも最も繁華でゴーゴークラブさえも数軒ある。ただ、ビーチはそれだけ汚れた感じもする。リゾート客の多くは、ここを起点にボートで岬や島をめぐり、海水浴やダイビングをエンジョイする。 プエルトガレラはミンドロ島の北端の入り組んだ岬や島で、数百軒のコッテージがひしめく。今回泊まったのは海に面した部屋で1000ペソ/泊、3~5月のピークシーズンは5割り増し程度になるそう。プール付の立派なリゾートでも3000ペソ程度で泊まれるようだ。 浜の魚(そーだがつお?)の即売と浜で遊ぶ子供たち。 飾りを売る屋台が道端にある。みやげ物売り場はホワイトビーチの方が豊富だが、商品は似たようなものだ。 天気は雨は降ってはいなかったものの曇り空で、波も若干荒かった。 このような豪華なリゾートも、3~4千ペソ/泊で泊まれる。 浜に面したちょっとしゃれたレストラン、一品大体300~600ペソと、やや高めだが、チキンアドボを頼んだ息子はその量と味にいたく満足していた。 さすがマニラに一番近いダイビングのメッカとあって、ダイバー用のボートが並ぶ。 二日目、釣り船をチャーター、昼には帰らなければならないので、3時間、1500ペソを800ペソに値切って乗船。 途中、以前息子と一緒に泊まったビッグ・ラ・ラグナの端にあるリゾートを懐かしく眺める。息子といえば、船長の勧めでトローリングの道具を早速流して、大物を狙っている。 山の中腹にあるコッテージはとても洒落ている。 ここではボートが庶民の足だ。しかし、息子はトローリングの道具をスクリューに巻き込まれて無くなってしまい、浮きだけで3000円もしたのにとぼやくこと仕切り。 […]

プエルトガレラで釣りに挑戦 2012年8月25日



パスコのゲストハウスとして一年近く使っていたオリエンタルガーデン・コンドミニアムがオーナーの意向で急遽年単位で賃貸することになったので、すでに予約済みの方には別途のユニットを借りて提供することになった。本来は、予約済みの分を消化してから長期賃貸にまわすはずだったが、エージェントの早とちりで、賃貸契約を結んでしまったためだ。そのため、代替のユニットを見に行ったが、それはオーキッドタワーにあるために、マカティのビル街が一望できた。  スツジオタイプは33平米、日貸しで2000ペソ/日、月貸しなら25000ペソ/月(電気、水、ケーブルTVは別途、インターネットはない)だ。生活に必要なものは一応すべてそろっている。 一人で住むなら十分な広さで、特に月貸しの25000ペソは安い。 2~3日過ごすならホテルの方がよいが、月単位で済む場合はかなり経済的だ。 他に1ベッドルーム47平米のユニットがあって、日貸しで3000ペソ/日、月貸しで30,000ペソ/月(電気代など別途)、これも月貸しとしては安い。  エージェントはこのようなユニットを20室も管理しているそうで、大いに利用価値がありそうだ。 オーナーとしてはパスコがゲストハウスとして利用していたユニットを売却したかったのだが、客は、とりあえず住んでみて、その上で購入を考えるということだそうだ。現在のコンドミニアム建設ブームで大量の新築物件が出回りはじめているが、そのあおりを受けてか中古物件の売却は非常に難しいという。そうなると、今盛んに建設中のコンドミニアムをプレセール(未完成物件ないし未着工)で買い求め、完成後高値で売却して利益をあげる、というデベロッパーのうたい文句は絵に描いた餅になってしまうだろう。

オリエンタルガーデンの賃貸物件の紹介 2012年8月25日


学校探しをしていたご家族がパラニャケ/ラスピニャスにまたがっているBFホームズにお住まいになることとに決めたので、住まいを探しに出かけた。奥さんは40~50平米程度の住まいが希望ということなので、コンドミニアムにならざるをえない。しかし、大き目の戸建の住宅が多いBFホームズではコンドミニアムを探すのは至難の技と予測された。しかし、この方はインターネットで学校の至近距離に建設中のコンドミニアムプロジェクトを見事に探し当てたのだ。 前回BFホームズに出かけていったときは、見事に飛行機が着陸する模様をスカイウエイから見ることができた。こんなことはめったにないのだが、ご主人は飛行機の眼前の通過に自信を持っていて、この日こそとカメラを構えて待っていたが、大分遠くだった。道路の延長上、高速道路の陸橋の下にかすかに見えるのがそれだ。     コンドミニアムを訪れる前に、最近、退職ビザを取得してラスピニャスにお住まいの退職者を訪問した。部屋が余っているので、誰か借りる人がいたら紹介して欲しいと頼まれていたものだ。延べ床面積が140m2程度で、3LDK、屋根裏部屋もあって、住み安そうな住まいだ。新築で460万ペソだったそうだが、まだ、仕上げをやっている最中だった。  学校のすぐ裏手にあったコンドミニアム(Pacific Coast Residence)はまだ未完成だが、3棟が建設中だった。1棟目は売り切れて、2、3棟目はまだ空きがあるという。最終的には2ヘクタール程度の敷地に11棟できる予定だそうだ。最終的な完成は2014年だという。  BFホームズの中にあるために、建築協定で高層ビルの建設が禁止されており、今時、珍しい3階建てで、落ち着いた感じがする。特に高所恐怖症の私いはとても好ましく思える。 スツジオタイプ26平米、150万ペソ、2ベッドルーム43平米、240万ペソ、3ベッドルーム57平米、320万ペソ程度と、平米5万6千ペソ程度、最近のコンドミニアムが平米10万ペソ程度だから半値程度だ。パーキングスロットは別途35万ペソで購入しなければならないが、まさに掘り出し物の感がある。  家具は別途だが、全体的に明るくて、レイアウトも使いやすそうで、訪問したご家族にはまさに理想的に思える。しかし、引渡しが、11~12月になるので、9月から完成まで仮の住まいが必要となる。その間、上記の退職者の家に間借りすることも考慮に入れているようだ。 この場所の欠点は、当分は建設工事が継続するので、騒音、誇り、ワーカーの出入りなど、落ち着かないことだ。周囲のがれきも目ぐさい。しかし、周囲は緑が多く、また主要道路から奥まったところにあるので、完成したら閑静な住宅街を形成するだろう。クラブハウスやプールも建設が開始されている。1年後ぐらいには使えそうだ。 コンドミニアムとして登録されているので、ユニットの40%までは外国人でも自分の名義で買える。購入者はフィリピン人が主体だそうだが、ドイツ人、韓国人、日本人、中国人など多国籍だそうだ。フィリピン人が多いと環境が悪化する恐れがあるが、その点は厳重に管理して、資産価値の低下を防ぐといっていた。

BFホームのコンドミニアムプロジェクト 2012年8月19日



   学校のあるBFホームズからちょっと足を延ばしてアラバン・タウン・センター付近まで行くとかなりのコンドミニアムがある。その一つ、OHANAというプロジェクトをのぞいてみた。これは建設業界大手のDMCIの子会社DMCI Homesが開発業者だ。不動産開発業界の大手、アヤラランド、メガワールド、フィルインベストと、SMDC(デパートチェーン、SMの子会社)などと共に肩を並べる存在になっているそうだ。DMCI Homesの詳細は http://www.dmcihomes.com/ 参照。賃貸売り物物件の詳細は http://www.sulit.com.ph/index.php/classifieds+directory/q/ohana+las+pinas+condo+for+rent 参照。 ここは、2010年に完成したそうで、ランドスケーピングも完成し、すばらしい景観を提供している。ユニットはすでに完売しているが20%は未入居で、転売ないし賃貸用となっているそうだ。ユニットは2LDK50平米が主体で、3~3.5百万ペソ、平米6万~7万ペソ程度。賃貸は2~3万ペソとのこと。モデルルームも未だにのこしてあり、内装の感じを把握することができる。        実際の建物を見に行ってびっくりしたのが、その規模と景観の見事さだ。どこかのリゾート・ホテルとも見間違うほどで、このような見事なコンドミニアムはフィリピンではお目にかかったことがない。  マカティやボニファシオのプレセールの物件で平米10万~12万ペソ、完成新築物件なら10万~15万ペソ程度することを考えたら、その半値でこんな環境が買えるなんて、すばらしいと思う。SMDCの物件がショッピングモールと一体になった至便さが売りだとしたら、ここはリゾートのような環境が売りと言えるだろう。5階建ての低層でこの環境と値段はやはり掘り出し物といえる。しかし、今すぐ売り物があるわけではないので、担当に売り物が出たら連絡してもらうという方法によるとのこと。 ところでDMCIといえば、1990年代の建設ラッシュの急成長した、もと建設大臣のコンスージが起こした会社で、その息子さんの会長とは縁があって何度か面会したことがある。気さくで、どこかの現場監督と見間違うような、建設業界では伝説の人だ。 クラブハウスやプールの作りもまさにリゾート風だ。ちなみにOHANAとはハワイ語で家族という意味だと博識の奥さんが教えてくれた。 建物の内部の空間。中央の廊下部分が吹き抜けになっていて、なんとも心地の良い空間を作っている。 DMCIはこのほかにも、同様のプロジェクトをいくつか手がけているそうだが、さすが建設業界の雄だけあってセンスがよく、また安い。DMCIのプロジェクトはねらい目といった感じがした。  帰りはアラバンからスカイウエイに入ったが、スーカットのジャンクションまでは一車線で、支線といった構造だ。 スーカットとビクータンのSMの脇には大型のコンドミニアムがSMDCによって建設中だ。 件のご主人が念力で飛行機を呼び寄せようとしたが、今一タイミングが合わなかった。 家に戻ってみると、どうもKIANの様子がおかしい。いつもなら私を見るとすぐに手を出して抱っこをねだるのだが、シカとして私を無視している。ここのところ、毎日、朝から夕方まで出かけっぱなしで、お相手をしてもらえないので、すっかり、すねているらしい。夕食を一緒にとるあたりから回復し始めたが、決め手はショップ・ワイズ(近所のスーパーマーケット)でアイスクリームを買いに行くことでご機嫌を直してもらった。下の写真はKIANが保育園で作成した絵。手のひらと指で絵の具を紙に押して作ったもの。KIANももうすぐ2歳と5ヶ月だ。

アラバンの高級コンドミニアム”OHANA” 2012年8月19日


  学校探しのご家族に同行して、この日はBritespark International School を訪問した。ケソンとパシッグ市の境界、オルテガス・アベニューとC5(シーファイブ)の交差点の近くにあるこの学校は小規模で、場所も環状道路に面していて、環境は今一だ。しかし、裏は工場跡地にロビンソン・ランドが大規模なコンドミニアムを計画しているので、近々校舎を新築して移転するそうだ。 生徒数は幼稚園から高校まで全部で200人足らずとかなり小規模、特に高校は一クラス数人だそうで、私塾といった面持ちだ。先生は20人、それに職員らしき人がたくさんいる。月謝は年間14~15万ペソで、インターナショナルスクールとしては並だが、私立としてはかなり高額だ。幼稚園でも9万ペソもする。  お子さんが入学試験を受けている間に、教頭先生といろいろ話をしたが、少人数のせいか、理想的な教育を目指しており、将来のリーダーを養成するのだと張り切っていた。教科書はすべてアメリカ製、日本の教科書に比べて数倍のボリュームで、1年でこれだけの量を消化するのは容易ではないと思われる。        しかし、子供達が、こんな環境で勉強できたら、高校を出るころには一般の公立校出身の子とでは大きな差がついてしまうと思う。また、こんな高額の授業料を支払える親は外国人かお金持ちの子だろうから、人生のスタートからエリート教育を授けられ、将来社会を牽引する人材となるのだろう。  英語が全くできないお子さんがどうやって授業についていけるのか、色々議論をした。学年を一年遅らせて、スタートして、途中で英語が十分となったら、中途で進級する、といった芸当も可能だそうだ。いずれにせよ、放課後にESLという英語の補習授業を受けて、英語の特訓をする必要がある。その費用は授業料とは別途で、2万ペソ/月だそうだ。  月々2万ペソも支払って、英語の補習を何年も続けていたのでは、親がたまらない。先生によると、4月から入学した日本人の子供は2ヶ月ほどで、授業についていける英語力を身につけることができたそうだ。テストの結果、英語を除く学科は十分な力を持っているということで4年生への編入を許されたが、ESL を受講するという条件付だ。   最近、好みのトイ・ストーリーを見ていると、画面が訴える危機に対して、明らかにそれを理解し、はらはらどきどきしているKIAN。トイ達が救われる場面では完成をあげて喜んでいる。もちろん、言語は英語だが、かなり理解し始めているようだ。KIANが通う保育園の授業料は年間2万ペソだが、幼稚園に進んだら、上記のような環境で教育を受けさせたい。しかし、年間10万ペソを越えるような授業料の支払能力は両親にはないから、例のもっとも授業料の高いマニラ・インターナショナル・スクールの特待生(スコラーシップ、授業料免除)をねらっているそうだ。

Britespark International School 訪問 2012年8月15日