Yearly Archives: 2012


  マニラの南、パラニャケ市とラスピニャス市にまたがるBFホームズにあるのがSothville International Schoolだ。今回は日本からやってきているご夫婦の9歳になる娘さん(小学4年生)の入学手続きのために訪問する機会があった。小中高(12年)一貫教育で大学もある。生徒数は2000人、大学は2000人を擁し、中堅の学校だ。  住宅地にあるために、キャンパスは広大というわけではないが、一通りの施設を擁している。  幼稚園から小学校5年生までと6年生以上と中高が別棟になっており、校舎の全面は父兄の使う大きな駐車場がある。 年間の授業料は施設料も含めて20万ペソ、フィリピンの物価感覚では200万円に匹敵し、大卒社員の年収にも匹敵する。それでもボニファシオ・グローバルシティのインターナショナル・スクールに比べれば4分の一程度が、これは別格だ。またフィリピンの私立学校の授業料が2万~10万ペソだから、超私立といった感じだ。ちなみに先日訪問したエミリオ・アギナルド・インターナショナル・スクールは1600ドル(7万ペソ)だったから、約その3倍だ。  それだけの授業料をとるだけに施設も中々のもので、子供達にとって理想的な環境を提供している。 一クラス15~20人、我々が一クラス50人以上の教室だったことを思うと格段の相違だ。 図書室も立派の一語につきる。  食堂もあり、我々が教室で食べていたのとは少々勝手が違う。  早速、入学試験、算数と英語の試験があった。設問形式の算数と英語はギブアップ。しばらく待って校長先生の面接があって、両親と共に面接が行われた。それだけで、入学はOK。フィリピンはアメリカ式で入学は簡単で、中で頑張るというやり方だ。どこかの国のように才能のある子でも受験準備が不十分だと、さっさと門前払いをしてしまうのとはわけが違う。しかし、ほとんどの授業は英語だから、当面、普通クラスに入ってもついていけない。そのため当面は家庭教師(個人授業)をやってくれるそうだ(もちろん別途の授業料を支払う必要があるが)。さすがインターナショナル・スクール、外国からやってくる子供を受け入れる大勢が整っている。  小学6年生以上の生徒が学ぶキャンパスでは韓国人の子供が目立つ。中には大学生と見間違う生徒も多数いたが、子供達の国籍はまさに国際的だ。 コンピューターは現在の教育には必須で、一人一台の環境が整っている。 中庭の校庭も立派。  外国人やフィリピン人とのハーフが多く、20万ペソもの授業料が払える家庭の子供達だから、皆お金には困っていない。そして構内にはハンバーガーやアイスクリームを売っていて、いやがうえにも子供達の食欲をそそる。だから、その辺を歩いている子供は心なしか、デブちゃんがおおかった。

サウスビラ・インターナショナル・スクール訪問 2012年8月12日


しばらく外出の機会がなくストレスがたまっているKIANを連れて、久しぶりにシャングリラホテルのロビーでブランチとしゃれ込んだ。フィリピンで一番高いホテルとあって、いつ来てもロビーは立派で、中央の飾り付けに圧倒される。 KIANも入れて6人で、注文したのはクラブハウス サンドイッチ、クリスピー・パタ、パンシット・カントンの3人前、それにKIAN用のアイスクリームだけ。飲み物はなし。これで6人が腹いっぱいになる秘訣は、この無料のパンだ。 ホテル自慢のパンで、とてもおいしい。初参加の息子もびっくりしていた。これがお代わり自由だから、理論的には何か料理を一皿注文すれば、何人でも腹いっぱい食べられる。しかし、それはさすがに恥ずかしいので、人数の半分くらいは注文して取り繕う。グルメのKIANもこのパンには目がない。 ホテルの顔はクラブハウス・サンドイッチだ。色々嗜好を凝らしてある。 KIANは、クラブハウス・サンドイッチについてきたフレンチ・フライを独り占めする。 フィリピン人の誰もが大好きなクリスピー・パタ。豚の足をカリカリに仕上げたフィリピンの代表料理だが、シャングリラのクリスピー・パタは格別にうまかった。皆パンをたくさん食べたのでそろそろお腹がくちくなってきた。KIANも最近は白いご飯が大好きだ。 とどめはパンシットカントン。これもフィリピン料理の代表だ。具も色々入って、豪勢だ。特に白いせんべいにKIANが夢中になった。 仕上げはアイスクリームだが、腹が一杯になったKIANはホテルの中を走り回っていて、このアイスクリームは私と息子の腹に納まった。 広々としたロビーが気に入ったKIANはピアノをたたいたり、水槽の魚になったつもりで泳ぐまねをして、おおはしゃぎだ。小一時間ロビーを遊び場にしてご機嫌のKIAN。 大人4人、子供2人、6人がたっぷり食べて、〆て2200ペソ。これだけの豪華な場所で食事して、まさにリーゾナブルと言えるだろう。

シャングリラでブランチ(その3)2012年8月11日



8月7日(火)および8日(水)はマニラ首都圏を中心に豪雨に見舞われ、道路のほとんどが冠水し首都機能が麻痺した。所によっては水位が腰まで達して、車の通行を不可能としたが、当方にとっては雨季恒例の道路冠水のちょっと程度の激しいものといった感じで、家に閉じこもっていさえすれば、生活になんら支障を来たすものではなかった。  しかし、この日はビザの取り消し手続きのため、バギオから6時間のみちのりをやってきた客がいた。9時に事務所で会って、早速PRAに向かったが、この日、学校と役所はすべて閉鎖され、PRAの事務所も固く閉ざされたままだった。たかがこんな雨でさっさと事務所を閉めてしまうなんて、全くけしからんとぼやいて見ても始まらない。 PRAのドアは無常にも錠がかけられている  それで、銀行の手続きだけも終わらせておこうと、お馴染みのBank of Commerceに行ったが、なんと、銀行も閉まっている。携帯で支店長に文句を言うと、中央銀行が閉まっているから、とおかしな言い訳をしていた。バギオからまた来てもらうのも心苦しいので、委任状を作成して署名してもらい、あとの手続きは当方が代行することにして、昼食後バギオへ戻ることになった。 頼みの銀行も閉鎖  しかし、そうはどっこい、バスターミナルへ行ってみると、NLEX(北ルソン高速道路)が閉鎖され、北へ向かうバスは全部運休となっていたのだ。 仕方無しに、切符を明日の便に変更して、ホテルへ向かった。 そうこうしているうちに雨は激しさを増し、マカティスクエア近辺は歩道まで水が来ている。道のど真ん中で立ち往生したタクシーを放棄している人もいた。  なんとか、ホテルに送って我が家に戻るころには、すでに道路から車が絶えていた。マカティスクエア近辺は水が出やすいことで有名だが、車道と歩道が区別できず、一帯は湖のようになっている。 水しぶきを上げて走っているのはトラックとジープニーだけで、こんな時でも交通手段として役に立つのがジープニーでまさに庶民の足だ。さらに、こんな時活躍するのがサイドカーをつけた自転車、パジャックだ。エンジンなどという文明の利器は使っていないから水に浸かっても屁のカッパだ。  あとは歩くしかないが、マンホールの穴でも開いていたら、下水に飲み込まれて溺死する危険もあるので命がけだ。  現在、ビザの発行を待っているご一家は、この日勇敢にも、お子さんの入学に必要な出生証明をとりに日本大使館に出かけていった。午前中は良かったものの、パソンタモ沿いのウォルターマートでゆっくり買い物をしている間に、パソンタモ周辺は水に沈んだ。タクシーも走っていない。そこでこのパジャックを使って、当社のゲストハウスのあるプライムシティに決死の覚悟で向かったそうだ。 パジャックは、歩道など道なき道を進んでようやくゲストハウスにたどり着いたそうだが、とんだ冒険にお子さんは大喜びだったそうだ。ゲストハウスの近くの道端では子供や若人が天然のシャワーを楽しんでいた。 […]

大洪水‐頼みの綱は自転車 2012年8月10日


   EMILIO AGUINALD COLLEGEは、医学、薬学、看護・介護士など医学系の学生を中心に養成しているフィリピンの中堅大学だ。エルミタ、タフト通り沿い、LRT、UN駅の至近距離、いつもNBIクリアランスでお世話になるおなじみのNBIからも近い。  今回、ここで日本語クラスの先生を務める渡部さんから、退職者でボランティア的に日本語を教えてもらえる人はいないかと聞かれ、私のブログで紹介しましょうと、いうことになった。そこで日本語教室のあるエミリオ大学を訪問したのだ。ここでは日本語クラスのみならず、海外から英会話を勉強する留学生も受け入れている。留学生はEIENと同様にこの大学の寮に住むのだが、二人部屋で3食付、月々560ドルと安く、毎日(月~金)6時間、マンツーマンの授業料が月々880ドルだそうだ。中国人、日本人、韓国人など多国籍の学生が寮の中を歩いていたが、話声を聞くまで、全く区別がつかなかった。ちなみに日本語クラスは50時間で8000~9000ペソ程度。  タフト通りはUP、ラサール、フィリピン女子大、アダムソンなど多数の大学が並ぶ学生街だ。エルミタにあるので、多少ごみごみしているが、いたるところ学生であふれている。特に昼時のマクドナルドやジョルビーは学生で埋って席がとれないくらいだ。        エミリオ大学の周りは白い制服の女の子が圧倒的に多い。彼女達はきっと看護士の卵なのだろう。フィリピンでは看護士は天使の職業として人気があり、大量の看護士を世界に送り出す。アメリカの病院はフィリピン人医師と看護し無しでなりたたないと言われるほどだ。 エミリオ大学に隣接して大学病院がある。さらに近傍には大学のスポーツ施設があり、かなり大きいプールがあった。これらは日本語教室や英会話教室に通う生徒も使えるそうだ。 通りは制服姿の女子大生が闊歩する。  さらに、大学に隣接してホテルも経営しているので、日本から英会話の勉強にやってきて、寮に住むのは今一と言うような退職者には向いている。 さらにエミリオ大学ではインターナショナルスクールを経営しており、幼稚園から小中高(12年)、全体で200名ほどの子供が学んでいる。一クラスは 15名ほどで、それこそ先生の目の届く理想の教育をしているそう。学費は年間1600ドルで、新たにフィリピンにやって来て英語が不得意な子供には英語の補習授業もある。 英会話の授業は1平米程度の小部屋でマンツーマンで英会話の特訓を毎日6時間やるわけだが、3ヶ月から6ヶ月程度でものになるという(もちろん個人差や年齢の差はあろうが)。諸外国から生徒が来ているが、英会話学校の多くはセブやバギオの観光地にあり、エルミタの下町に位置するエメリオは苦戦していると言う。たしかにここでは土日の休みに遊ぶところがない。  しかし、逆にマニラ在住の日本人が通うとしたら、かえってこの立地が有利になるのではないだろうか。退職ビザを取る方々の半数近くが英会話を学びたいと思っているので、通学という形を受け入れたらいいのではないかと思う。その場合、1日2時間程度、月水金などいうフレキシブルな時間割が必要となろう。 […]

エミリオ・アギナルド・カレッジの紹介 2012年8月4日



  2歳を越えたKIANのやんちゃぶりはとどまるところを知らず、私の顔を見るたびに「Out Side」と言って、外へ出たがる。所要で出かけるとき、なるべく一緒に外に連れて出るのだが、客が同行するときはそうもいかない。最近はコンドミニアムの入り口でお茶を濁すだけではもの足らず、「Out Side」を連発し、一日中、外へ出る機会がないときは、事務所の中で暴れまわって、ストレスの発散に励む。 8月1日の通園初日、制服を着てパパに抱かれる姿は、まるで幼稚園児のようだ。  たったの2歳なのだからと、大人の考える枠にはめておくのはKIANにとっては酷なことのようだ。そこで私が提案したのが保育園に通わせて、同じような年頃の子供と遊び回って、友達との交遊やストレス発散に励ませることだ。いろんな経験を積ませれば積ませるほど子供は伸びて行く。せっかく伸びようとしている子供を枠にはめておくと、子供は伸びることを止めてしまうと、説いた。    2歳児を預かってもらえるところなど、あるはずがない、日本とは違い、ここではせいぜい4歳からの2年保育だとママジェーンは主張したが、探してみたら、それがコンドの中にあったのだ。そこで、2週間ほど前に体験入学に連れて行った。  両親に手を引かれて颯爽のお出ましだ。  回りの子供は皆、3歳児だが、そんなことお構い無しに、一緒に歌ったり、踊ったりして、皆を引っ張っていた。しかし、お絵かきに時間になって、もっと歌い続けたいKIANに、先生が絵を書くことを強制しようと、KIANの手を取った。そのとき、たまたま右手の人差し指の爪を剥いでしまい、バンドエイドを巻いていたKIANの逆鱗に触れた。痛みで大泣きをして、先生を蹴飛ばして教室を飛び出してしまったのだ。そこで、指の痛みが取れてから、ということで、きりの良い8月1日からの通園となった。 教室では早速ご機嫌に皆と交じり合う。  教室にKIANを置いて、ヤヤと私が帰ろうとした。それに気がついたKIANは大泣きをして追っかけてきた。父兄等の参観は禁止されているので、一時して私も、ヤヤも引き上げて行った。その後どうなってか気になっていたが、当のKIANは歌やダンス、お絵かきを満喫して、2時間後意気揚々と引き上げてきたそうだ。他の子供はすでに2ヶ月前から通園しているそうだが、そんな中でKIANの活発さと物怖じしない態度に先生は大いに喜んだそう。 同級生は、皆3歳児だがKIANは常にリーダーシップを発揮して、年の差などものともしない  通園初日から、KIANは他の子供達のおやつを取り上げて食べてしまったり、気に入らないとパンチを浴びせたり、KIANのやりたい放題に、他の子供達の親が抗議をして、退園の憂き目にならなければ良いのだがと、ママジェーンは心配している。当初から、KIANが年上の子供にいじめられたり、物怖じして泣いてばかりいる、などということは一切心配しなかったが、案の定、年上の先輩達をいじめて、保育園を追い出されてしまうのではないかということが、皆の気がかりだ。2歳4ヶ月にして18kgと、体重だけは4~5歳児並みのKIANにとって3歳児などはへのカッパのようで、日本で社会現象となっているいじめの逆バージョン、一体将来どんな子供そして大人へと育つのか興味深々だ。

KIAN保育園に通園開始 2012年8月1日


 無料情報誌フィリピンプライマーの2012年8号、18ページ、PRAの公告ページに紹介された。昨日、いつものようにPRAを訪問すると、営業のロリーさんが、うれしそうな顔をしてプライマーを手にして、私に声をかけてきた。開いたページには私が提供した写真が掲載してあり、プライマー25冊の包みをくれた。          そういえばしばらく前に、そんな話があって、ロリーさんのインタビューを受けた覚えがあるが、すっかり忘れていたが、退職ビザ取得のサポートを生業としているのだから、こんな形で紹介されるのは大いにありがたいことだ。早速、紹介記事を読ましてもらったが、あまりに事実と違う記載が多いので、このブログで訂正させていただくことにした。ロリーがインタビュー結果を英文で作成し、プライマーの編集者が、それを和訳したものであろうが、昔やった伝言遊びのように、ずいぶんと違った形で伝わるものだと、感心した。 「かつて、土木技師としてフィリピンの工務店に勤務」 このような事実はない。私の勤務先は日本のプラントエンジニアリング会社だった。 「その後ローカル企業の社長として。。。」、これは退職ビザを取る前の話で「勤務するエンジニアリング会社の現地法人の社長として。。。」が正しい。 「現在、PRAのマーケッティング担当者として。。。」は「現在、PRA認定のマーケッターとして。。。」が正しい。 「趣味は本の執筆と出版」、現在趣味はないが、強いて言えば「趣味は農業で、将来マヨン火山のふもとの農場(プライマー本文中の写真)で自給自足の生活を夢見ている」といったところだ。 「現在、マカティ市で奥さんのユーコさんと3人のお子さんと暮らしている」は「妻と3人の子供は日本にいて、単身で永住を目指している(ただし、今現在息子の一人がフィリピン滞在中)」 子供達と写った写真の背景にマヨン火山がそびえているが、実際はこの方向にマヨン火山は存在せず、直角の方向にある。これは2枚の写真をPRAが合成したもの。 「フィリピンに移住を決めた理由は?」については、確かに「フィリピンは大のお気に入り」ではあるが、お気に入りの理由はたくさんある。 ① 英語圏であり、会話に不自由しない、仕事も英語でかたずく ② 日本に近い ③ 物価が安い ④ 永住ビザの取得が簡単 ⑤ 気候が温暖で寒い冬がない […]

フィリピンプライマーに紹介される 2012年7月28日



先週の土曜日(21日)、退職者の方がゲストハウスに移るため、マラテに迎えに行った。この日は明け方から強い雨が降っていて、途中道路冠水していると思われたが、試しに出かけてみた。これは、ルソン島の東方沖に発生した熱帯性低気圧(ファーディー)の影響で、ルソン島北部に大雨をもたらし、マニラにも強い雨が降ったもの。この時期は、月に数回、こんな雨が降り、10~11月の雨期明けまで続く。 案の上、主要道路は10~20cmの冠水で、なんとか通れたものの、脇の道路は50cm程度冠水して、車も人もおらず、人々は水が引くまで家に閉じ込められている様子だ。 それでもマラテに近ずくと勇気ある人々が自転車を漕いで商売に励んでいる。乗用車は恐る恐る脇を走る。  ところどころ立ち往生している車や自転車が放置されており、人影は見えない。 こんな時は、トラックやSUVでないと安心して走れない。いつ何時エンジンが止まって、車を放置する羽目になりかねないからだ。 歩道にまで冠水が及ぶと人々はすそを折り曲げて道路を横断するしかない。しかし、そこに口を開けたマンホールがあったりすると一大事、ドブネズミになってしまう。  勢いよく走るトラックが起こす波にふらふらになって走るファストフードのデリバリーのバイク。家に閉じ込められた人々に食料を運ぶ彼らは、転んではならじと必死に走る。倒れてしまったら、ビザやハンバーガーは売り物にならず、配達員が弁償しなければならないから、命がけだ。  こんな時に役に立つのがサイドカーつきの自転車だ。かれらは人力だから、濡れてもへっちゃらで、稼ぎ時とばかりに、街の主要な交通手段になる。  人通りもほとんどない通り。こんな時に出かけていくのは我々ぐらいのもの好きだろう。結局、目当ての場所には近づけず、午後に出直す羽目になってしまった。 ちなみにメトロマニラの唯一の排水先ともいえるパシッグ・リバーは、普段でも満潮時は水位が地面より高くなり、すべての排水路は水門を閉めて逆流を防ぐ。だから、雨と満潮が重なると雨水はたまる一方で、簡単に道路冠水を引き起こす。メトロマニラはほとんど平だが微妙に高低差があって、低いところは簡単に腰ほどの高さまで水が来て動きが取れなくなるので、住宅の選定は雨季にするのが無難だ。

フィリピンは雨季の真っ只中 2012年7月25日


     今回の農場訪問は、農場を横断する水路の道路横断カルバートの改修工事と養子縁組予定の赤ちゃんとの面会だった。カルバートの建設は前回のブログでも紹介したとおり、本格的雨季を控え、家を洪水から守るもの。赤ちゃんは、ある日本人の依頼で赤ちゃんを探していたのだが、両親の希望で、ジェーン一家が預かることになってしまったもの。       ママ・ジェーンに連れられて、第3ターミナルをカートに乗って移動するKIAN。先日の誕生パーティでもらった熊の帽子をかぶってご機嫌だ。 搭乗手続き中も空港ロビーの中を走り回って忙しいKIAN。 係りのお姉さんと親しげに会話する(?)KIANだ。フィリピン人にとって無邪気な子供は天使なので、邪険に扱う人はいない。 4月に乗ったばかりの飛行機だから、KIANにとっては、もはやおなじみの光景だ。 飛行機の中でもKIANのやんちゃ振りはとどまることをしらいない。 毎日雨模様の天気だが、訪問中は比較的晴天が多く、カルバートの建設工事もはかどった。マヨンも時折顔を見せてくれた。4頭いる牛は相変わらず草を食べる毎日だ。 今回の訪問の主役は、子沢山の若い夫婦から預かったアンヘロ君、2ヶ月。KIANは見向きもしなかったが、おばあちゃんの興味がもっぱら、アンヘロに傾いているのを察知して、隙を見てはアンヘロを攻撃する。 今回突如として農場に現れ、ただひたすら眠り続けるアンヘロをKIANはどのように位置づけたらよいのか、見当がつかないようだ。 久しぶりに会ったいとこ達やおじさんやおばさんに大喜びのKIAN。 何かと「モンキー」と言って、家の外に出たがるKIANだが、子供を見ると攻撃しようとする猿におっかなびっくりのKIAN。 農場の養魚池の脇に小屋を作って生活するおばあちゃんの姉夫婦。旦那さんは今回のカルバート建設で活躍してくれた。       […]

KIANの農場訪問(弟との初対面)2012年7月15日



   本格的な雨季を控えて、農場を横断する水路の道路横断部(カルバート)改造工事を行った。特に家の脇を流れる水路については家の周りが冠水する恐れがあるので、可及的速やかな工事が必要だった。ここには直径60cmのコンクリートパイプが埋められていたが、ちょっと大雨が降ると簡単にオーバーフロー(越流)して道路が水浸しなった。そこで、上下の水路にあわせてV字型の水路に替えて流量を3~4倍にする計画だった。  しかし、いざ水路を覆うコンクリート製の床(スラブ)を壊し始めたら、それが大変な工事であることがわかった。なにしろ建設機械を使わず全くの手作業だ。スラブのコンクリートを壊すだけで一週間かかってしまった。さらにコンクリートパイプの周囲のコンクリートを壊すのにどれだけの時間がかかるか見当もつかない。そこで方針を変更してV字型の水路はあきらめて矩形の水路にすることにした。しかし、パイプの深さのままでは元のままなので、パイプの下を掘って深さをほぼ倍にした。          これで水路の断面積は2倍、さらに深さを増したために流速が2倍になると期待され、合計で4倍の水を流すことができる。これで雨水のオーバーフローも解消されることだろう。 水路を完成させるために、水の流れをせき止めて仮の水路を作り、カルバートの中をドライにする必要がある。その辺の段取りは、普段農夫として働いているダニーが詳しい。彼はかつで出稼ぎの建設労働者として働いていた経験があり、ほとんどすべての建設工事をこなす万能選手だ。土嚢で流れをせきとめ仮の水路をつくる手際は見事だった。  流れはあっという間に方向を変えられてカルバートの先に流れ込む。カルバートの中は多少の水が流れるだけだ。  水路ができるととたんに登場するのが子供達だ。浅い水路は子供達の格好の遊びと化した。水遊びの大好きなKIANも早速仮水路に飛び込んで大喜びだ。 セメントを買い付けて、いよいよ水路の壁面の工事だ。10年前、家の工事を始めたころ50kg入りのセメント一袋が60ペソだったが、この日買い付けたセメントは一袋、220ペソと4倍近い値段に跳ね上がっていた。 砂とセメントに水を混ぜてモルタルを作る。そして大き目の石やコンクリ-トの塊をモルタルでつないで壁を作る、いわゆるリップラップという方法で水路の壁を補強していく。 作業はダニーの指示の元にマミーの姉の亭主、この人も元建設労働者の経験者だ、そして私の息子が作業をする。  ダニーは水の残った水路のそこには空練りのモルタルを放り込み、その上に石を置いて基礎とするなど、一応土木エンジニアーを生業としていた私も舌を巻く知識だ。          3人の呼吸がかみ合って、瞬く間に壁が出来上がった。壊すのに1週間、作り始めたら2~3日で完成しそうな勢いだ。しかし、この翌日、電気の引込み線が燃えてしまって、配線工事をやらなければならにということで、ダニーが欠けてしまい、残りの二人で水路の工事を完成させた。 さらに翌日水路のそこをモルタルと石で仕上げて、あとはスラブの工事だけとなった。私は仕事の都合で帰ったが、あとは決まり決まった工事なので問題はないだろう。 […]

カルバートの建設工事 2012年7月8日


  私の20年以上の友人で建築屋のフィリピン人にKIANが、彼の孫のNathanちゃんの1歳の誕生日に招待された。以前KIANの誕生会を紹介したが、フィリピンでは1歳の誕生日は特別で、友人や親戚を集めた盛大なパーティでに赤ちゃんを紹介し、世の中への第一歩を祝い、そして、この子の将来のサポートをお願いするのだ。そのために、盛りだくさんの料理や出し物で招待客を振る舞う。しかし、当の赤ちゃんは何もわからず、ただ戸惑うばかり、KIANの時も熱を出して具合の悪いKIANにとってはとんでもない迷惑だった。 会場は、マカティでも最高級のコンドミニアム群が立ち並ぶロックウエルのコンドミニアムの1階のファンクションルームで開催された。Nathanの母親(私の友人の娘)は30代でネッスルのバイス・プレジデントに抜擢された名門ラサール大学出身の才女だ。 他人のパーティを乗っ取ってしまうのが得意のKIANは会場に入るなり、舞台に上がって、音楽にあわせて得意のダンスを披露している。パーティではいつも自分が主役と思い込んでいるKIANだ。そんなKIANを観客も大喜びをして、パーティを盛り上げている。 主催者の親戚の女の子に気に入られて談笑するKIAN。 招待客の主役は子供達だから舞台の周りは子供用のテーブルと椅子が用意され、さながら幼稚園のようだ。 会場の外のガーデンの一角にしつらえられた料理は100人前、ケータリングサービスのウエイトレスが料理を盛ってくれる。KIAN(中央)は必死に曲芸を見つめる。 曲芸や腹話術で子供達を楽しませることは誕生会の必須事項で、曲芸には夢中になっていたKIANは腹話術は意味がわからず飽きてしまっていた。 恒例の誕生ケーキに親子でロウソクを吹き消すセロモニー。KIANも遠くから息を吹いて応援している。 会場は風船で飾られ、ポップコーンや綿菓子などの屋台も出ている。 この写真が友人だが、70歳に手が届こうというのに、髪は黒々として、まだまだ現役のバリバリだ。Nathanは終始知らん顔だった。

KIAN、1歳の誕生会に招待される 2012年6月28日