Monthly Archives: September 2013


アラバンのOHANAコンドミニアムが最近、エージェントを伴わないビジターの入場を禁止されて、アラバン近辺ないし郊外のコンドミニアムの案内物件に事欠いていた。そんな話を、いつも学校の案内に協力してもらっている方に話をしたら、スカイウエイのスーカット出口の近くにOHANAと同じDMCIホームズのプロジェクトがあると教えてくれた。そこで今回早速訪問することにした。   アラバンないしスーカットの出口から高速道路に沿って走っているサービスロード(ラグナ湖側)を行けば、アラバンとスーカットの中間、スカイウエイの料金所の真横にあr、DMCI独特の作りで、かなり大規模なプロジェクトなので、すぐにわかる。 作りはOHANAと同じで、中央に大型のプールを配し、リゾート風の雰囲気をかもし出している。すでに5棟ほど完成し、残りの2~3棟が建設中だった。基本的にはすべて40~50m2程度の2LDKで、2ユニットをあわせた大型タイプもある。 最近の高層化の流れに逆らってDOCIのプロジェクトは、地下1階が駐車場で、5階建て、周辺もゆったりしていて、落ち着く作りだ。 ビルの中央部は吹き抜けの広場があって、ユニットの両面に窓があるDMCI独特の作りだ。最近の高層コンドミニアムはユニットの一面しか外に面していないが、大分趣が違う。 このユニットは280万ペソ。58m2となっているが、ベランダと廊下を含んでいるので、ネットは42m2だ。最近のSMDCのプロジェクトは50m2で700万ペソ、25m2で350万ペソもするから、半分程度の価格だ。たしかにSMDCの物件はすべてSMデパートの至近距離に建設して、利便さを押しているが、ちょっと常識はずれの価格という気がする。 このユニットを買うにしても、内装と家具、それに登記移転等に50万ペソ、駐車場は別途で50万ペソ、合計100万ペソほどかかるので、全体の投資は400万ペソ程度のなってしまう。  このユニットは後ろ向きなのでとなりのコンドミニアムに面し、遠くにはラグナ湖が望める。  次に反対側のユニットを見たが、ここは内装が施されて、しかも内側のプールを望めるとあって、なかなかの優れものだった。価格は内装を別にして330万ペソ、ネットは49.5m2だ。  さすがにプロが設計した内装のできはすばらしい。実用性は別にして、見るものをその気にさせる。今回はご夫婦とお子さん一人なので、十分な住居だ。価格は330万ペソだが、内装、家具、諸経費、駐車場まで入れると450万ペソ、1千万円くらいは用意しておかなければならないだろう。  DMCIの物件の売りは、リゾートをイメージさせる大きなプールを囲む庭園だ。必要以上の広大なプールを配置しているが、これは実用性というよりイメージの向上だろう。ただプールの維持費がかなりかかるのではないだろうか、管理費がかさむのではないかと心配になる。  クラブハウスは日本の神社をイメージしたものだそうだが、何か中途半端な違和感を覚える。  敷地の端には新棟を建設中だが、これは10階建ての中層ビルになるそうだ。しかし、あと1~2年は建設工事が続くの喧騒と埃に悩まされることだろう。この物件も、完成時には、すばらしいものになると思うが、問題はアクセスだ。近くにSMのハイパーマートはあるものの、モール、病院、学校などは近くには見当たらない。だから車は必須だろう。また、スカイウエイに隣接しているというのもマイナス要因だ。しかし、値段的に相場(10万~15万ペソ/m2)の半分程度で、この環境も含めて買えるというのは魅力だ。

DMCIのラプソディ・コンド(スーカット)の紹介 2013年9月29日


先日、KIANのブログ(KIAN3才の軌跡)で、KIANが「WHY、WHY」とママジェーンを困らせるという記事を載せた。そうしたら、フィリピンでお子さんをインターナショナルスクールに通わせているお母さんから、子供が「何故、どうして」を連発し始めたら、できる限り母親はそれに答えなければならない。それには図鑑を買って一緒に読んでやるのが一番、というアドバイスをいただいた。  これは「したり」と、早速、図鑑ないし子供向けの百科事典を買いに行った。恒例のサイカでの食事のあと、マカティ・スクエアの本屋に向かった。KIMからセールをやっているとの情報をもらったからなのだが、小さな本屋(BOOK SALEという名前の店)なので、もし、そこになかったら、National Book Storeが、近くのキャッシュ・アンド・キャリーにあるので、そこで買おうと思っていた。 子供百科は色々なトピックを絵を豊富に交えて簡易に説明しているすぐれものだ。9才の双子も興味深く見ている。幼稚園から小学校までつかえそうだ。 予算として、一冊2~3000ペソ、2~3ヶ月に一冊づつ買ってやろうと考えた。単なる幼児用のに絵本ではなくて、KIANには小学校程度のものを買ってやるつもりだった。子供には、常に先を行くものを与えるべきで、興味を持ったら、それが、まだ早いからなどと、親があらかじめ枠にはめてしまうことは、伸びようとする子供の芽を摘んでしまうことになる。思い起こせば、自分の子供には30冊くらいの図鑑を与えて、兄弟3人がぼろぼろになるまで使っていた。 世界百科は、世界の歴史、地理、文化など、なかなか興味深い話題が解説されている。これは小学校から高校程度だ  セールとあって店には大量の本が積まれていたが、子供用の百科事典などは見当たらない。そこで店に人に聞いてみると、まさにお目当ての本を探し出してくれた。まさに「CHILDREN’S ENCYCLOPEDIA」という表題で、4cm程度の厚さ、300ページの立派な本だ。そして、値段を見ると、たったの395ペソ、一桁間違えたのではないかという驚きの値段だ。多分、新古本なのだろうが、多少古いバージョンだとしても子供には関係ないので、これで十分だ。 科学百科はやはり豊富な絵を使って詳しく解説されている。これは中高と使えるかもしれない。 そうなると、2~3ヶ月に一冊ずつなどと流暢なことは言っていられない。こんな安い本はすぐに売り切れててしまうだろう。この本がおいてある場所を聞いて、これぞという子供向けの本を買い占めてしまった。子供百科、世界百科、科学百科、子供辞書、都合4冊を見つけた。世界と科学が520ペソ、厚さ4cm、850ページの辞書は、実に275ペソという、ほとんど只みたいな価格だった。さらに割引もあって、一冊分の予算以下で全部が買えてしまった。 子供辞書と言っても、語彙数も豊富で、これも高校まで使えそうだ。なんといっても絵が多いのが良いが、フィリピンの英語レベルで考えると小学校くらいまでかもしれない これらは、読み物としても楽しそうなので、退職者の英会話の勉強の副教材として役に立つかもしれない。一冊の本が相当重いのが難といえば難かも知れない。しかし、自宅の家で見る分にはどっしりしていて良いと思う。

格安「子供向け百科事典」を発見 2013年9月29日



こともあろうに国家警察の現役幹部、カーネルが車上荒らしにあってしまった。車を駐車してマッサージを受けている間の出来事だった。まさに「猿も木から落ちる」あるいは「弘法も筆の誤り」の例えのごとく、カーネルにとっては屈辱以外の何ものでもなかった。  窓ガラスの四方を上手にカッターで切り、中に押し込んだはずし、車内を物色した。取られた物はアイパッド、カメラ、パソコンなど、賊にとっては大きな収穫だっただろう。さらに、車が数日間使えないこともダメージだ。カーネルはさらに銃を車においていたが、わかりにくいように隠しておいたので難を免れた。これが盗まれたら、始末書ものだったろう。 後部座席の窓ガラスが一枚きれいになくなっている  幸い車両保険にも入っていたので、車の修理は保険が利くが、盗まれたものについては、今の所不明だ。カーネルによると、この種の犯罪は、国家警察として取締りが大変難しくて、有効な防御方法は車の中に貴重品をおいておかない、ということに尽きる。そして、そのような不注意が犯罪を誘発するのだと。そんな原則をうっかり忘れたカーネルは、自分を恥じることしきりだ。  ちなみに、防犯アラームはならなかったのかと言う疑問がわくが、試しに窓から手を入れてロックを解除してドアを開けてみたが、アラームはならなかった。もし、この状態でアラームがなったとしたら、中からドアを開けるたびにアラームがなるということになってしまうから、システム的に無理なのだろう。 車内には窓ガラスが丸まって散乱している

モンテーロが車上荒らしに遭遇 2013年9月28日


 2005年に開設されたパスコのホームページが苦節8年、遂に100万回のアクセスを達成した。80万回を達成したのが、昨年の10月2日なので、20万回のアクセスに11ヶ月と19日を要した。その前の10万回は5ヶ月と13日だから、少々、アクセス数が減ったようだ。これは、最近のブログのアップロードが月平均7回で、それまでの11~12回に比べて激減したせいだろう。この点、ブログを楽しみにしている読者に申し訳ない思いをしている。   見事シックスナインの撮影に成功  アップロードが減ったのは偏に多忙ということだが、話題が減ってきた、あるいは話題を取材する時間がないということにもある。もしかしたら、寄る年波で根気がなくなってきたのかもしれない。80万回アクセス達成の時に書いたブログでは、100万回達成にあたって、ホームページの全面見直しを約束したが、どうも時間がとれそうにない。  次の瞬間、残念ながらカウンターは1000001に変わっていた   5~6年前は、アクセスが100万回に達した時は、引退して農場に引っ込むころかと思っていた。しかし、今は、さらにあと100万回くらいは、頑張るか、という気持ちにもなってきている。そうなると、常に読者をひきつける話題が必要だが、そのためには、仕事だけではなく、多方面に活発でい続けなければならない。それが、また、若さを保つ秘訣かもしれないが。 テレビで自分のビデオを見ながら、思わずパーフォーマンスを始めるKIAN   ところで、KIANは、3才半、いよいよ子供になってきている。前々回のブログで詳しく紹介したが、会話という面で、この半年、驚異的な進歩をとげた。ママジェーンをやり込めることもしばしばだ。あと100万回となると、今のペースで5年、KIANは8才になっており、小学校の3年生だ。きっと、元気で活発な、そしてまた思いやりのある子に育っているに違いない。ガールフレンドも一杯できるだろう。 最近の得意のポーズはこれだ

パスコホームページのアクセスが100万回を達成2013年9月22日



KIANも3月31日で3才となり、段々、赤ちゃんらしさが抜けて幼児となってきた。KIAN、3才と6ヶ月、この半年の成長を振り返った見た。  近所のモデル紹介所でオーディションを受けるKIAN  もっとも顕著な相違は、自分の意志を言葉で表現できるようになったことだ。2才の時は、タガログ語で単語を言うだけだったが、現在は、しっかりした英語で文章を話す。たとえば、「抱っこ」は「Carry me」、「食べよう」、は「Eating time!」と皆に呼びかける。 せっかくよそ行き顔を疲労したのに、残念ながら、その後何のお声もかからない  何故、彼は英語をしゃべるのか。それはほとんどの中間層以上の子供達は幼少時代、英語だけで会話しているからだ。幼稚園に行ってタガログ語をしゃべると周りと会話ができない。だから、英語で話すようにしつけられる。タガログ語は、ほっておいてもいずれ覚えてしまう。現にKIANは周囲がタガログ語やビコール語(家族の国の言葉)で話しているとき、しっかりそれを理解して反応する。  シーツに包まってブランコ遊びに興じるKIAN  幼少から英語を自由に操る、これはフィリピンの教養人に取っては必須なことだ。小学校へ進めば、国語と社会以外の教科は英語で教えられるから、授業にも悠々ついて行ける。そしてハイスクールを終えるころにはネイティブ並みあるいはそれ以上に英語を操れるようになるのだ。 強い雨が降ると大喜びで水浴びに外へ飛び出すKIAN、まるでスコーターの子が雨でシャワーを浴びるようだ  ママジェーンの英会話のしつけは、当初、大変厳しかった。すでにタガログ語を覚え始めたKIANは自然にタガログ語が口に出る。そうすると、ママジェーンが即座にKIAN!と大きな声で叱る。KIANは、あわてて英語で言い直す。例えば、「ママヤ、Later」、そして「アトデ」と、ついでに日本語まで飛び出してしまう始末だ。 私の机の上に座ってプリンターをいたずらするKIAN,彼にとっては何でもおもちゃだ  このとき、KIANはすでに3つの言葉が同義語であることを理解している。しかし、こんなママジェーンのしつけもほんの2~3ヶ月のことで、現在、KIANは、流暢に英語だけを話している。 普段は風呂場で水浴びをするが、今日は屋上の洗濯場で気持ち良さそうに水浴びをするKIAN   こんなことが可能なのは、ママジェーンの指示で、周囲のすべてがKIANにたいして英語で話しかけているからだ。パパとママはもちろん、17才の姉のキム、ヤヤ(子守)、9才の従妹の双子、皆が英語がしゃべれるからこそできる芸当だ。ただ私だけは例外で日本語で話しかけるよう奨励されている。それは、あわよくば、日本語まで覚えさせてしまおうと策略だ。 […]

KIAN、3才の軌跡 2013年9月21日


クラークにお住まいのSさんは、フィリピン在住のため、退職ビザの取得の際、日本の警察証明を取得せず、NBIクリアランスでビザを取った。その後、ID更新の際、PRAが警察証明を取得して提出するよう求められたことはすでに詳細に報告した。  今回は、警察証明のフィリピンでの認証方法の度重なる変更に翻弄された話だ。Sさんは、まず警察証明を大使館に申請した。本人がマニラにやって来て、国家警察のキャンプクラミで指紋をとり、日本大使館に申請する。この申請には、代行は認められない。もちろん指紋採取も代行はありえない。  そして、申請から約2ヵ月、委任状で当方が、無事に警察証明を受け取ることができるはずだったが、大使館は、本人がフィリピンにいることを確認するためにパスポートの原本が必要と言い出した。これは、LBCで送ってもらえばいいことだから、どうってことはない。  次に、大使館は、従来大使館で開封していた警察証明を、提出先で開封してもらってこいと言い出した。お馴染みのPRAに持っていけばいいのだから、これもステップが一つ増えるだけで、大きな問題ではない。PRAは快く開封して、大使館宛のレター(Endorcement Letter)を発行してくれた。  そして、それを大使館に提出すると、従来翌日発行の印章証明が、その場でもらえるようになった。これはいいことだが、相変わらず、料金が2250ペソもするのはちょっと解せない。  次にDFA(フィリピン外務省)に書類を持って行って認証してもらわなければならない。これが今回のトピックだ。Sさんの書類を簡単な委任状(Authrization Letter)をつけてDFAに提出して、翌日の発行を待った。そして翌日、DFAに行くと、ルールが変わって、Authorization Letterではもはや受け付けることはできない。正式な委任状(SPA、Special Power of Attorney)が必要と言い出したのだ。  しかも、今回の申請はAuthorization Letterだけで申請したか、申請者本人の出頭が必要というのだ。ならば、SPAの後出しでよかろうと、SさんからはSPAにサインをしてもらい、公証したうえでDFAに提出した。そうしたら、今回の申請はSPA無しで申請したのだから、あとからSPAを提出してもだめだ。本人の出頭無しでは書類を渡せない、と言い張る。  政府とけんかしても始まらないので、PRAに協力を要請した。PRAも直接PRAに申請している退職者のDFAへの申請を代行しているので、その流れで政府ー政府間で処理してもらおうと頼み込んだ。しかし、初めにリストを提出しているので、それに載っていない限り、受け取りだけでは無理だという。 […]

警察証明の認証手続きの変更に右往左往 2013年9月21日



フィリピンの携帯電話の普及は目覚しいものがあり、現在はハイスクール以上の全国民が一人一台あるいは2台持っているのではないかと推定される。そうなると、国民の4人に3人は持っていることになって、その数は7千万台程度となる。シェアはGlobe、Smart、Sunが市場を分け合っているが、各社とも熾烈なシェア争いをしている。  フィリピンで普及しているのはプリペイド方式で、ロード(チャージ)した分だけ使えるというもので、携帯の器械とシムカード、それにプリペイドカードを買ってロードしたら、その場で使えるという便利なものだ。また、電話会社の乗り換えはシムカード(一枚50ペソ)を買い換えるだけだから、簡単にできる。一つの器械で何枚ものシムカードを使い分ける人もいるし、ダブルシムなんて器械もある。  だから電話会社はユーザーをつなぎとめるのに必死だ。ちょっと油断すると、ユーザーは50ペソ支払って、ほかの電話会社に移ってしまう。各電話会社の売りは、アンリテキスト(Unlimited Text、フィリピンではメールのことをテキストと呼ぶ)あるいはアンリコール(Unlimited Call)と呼ばれる、メール打ち放題あるいは電話かけ放題というサービスだ。例えば、20ペソ払えば、一日中メールが打ち放題などというものだ。ほとんどのフィリピーノは恋人との交信などにこれを利用して、実に、一日中メールを打ちまくっているのだ。  さらに同じ電話会社同士なら、通話料無料などというのもあって、外でメイドなどが、仕事をさぼって数時間も話しまくっている。こんなサービスをしていたら、電話会社は共倒れになってしまうのではないかと心配になるが、したたかな戦略を持って、彼らはたくみに通信料を稼いでいるのだ。  最近、ある退職者が日本へ帰るので、フィリピンの携帯が要らなくなったからと、おいていった。それを私の緊急用の携帯として持ち歩くことにした。いつも使う携帯の電池がなくなったり、ロードがなくなったりしたら、それを使おうという算段だ。また、カラオケなどでGRO(Guest Relation Office、ホステス)に携帯番号をせがまれたら、むげに断れないので、その番号を教えてお茶を濁すという利用方法もある。  その携帯は、めったに使わないので、ロードもほどほどに入れておいた。ちなみに、ロードには金額ごとに有効期限があって、数週間ないし数ヶ月するとロードは取り上げられてしまう。さらに、日本に帰ったりして長期間携帯を使わないと、シムカードそのものが無効になってしまう。だから、空港にはシムカードやロードを売る店が待ち合わせ場にある。  ある日、その携帯でメールを打とうとしたら、なぜか打てない。確か数十ペソあるはずのロードが有効期限内なのになくなってしまっていたのだ。携帯を新規にロードするとFree Textというものがもらえて、それは200回以上残っていたからメールはできるはずなのに、ロードがないとそれも使えないようだ。それから、再びロードして、全く使わないで、ロードの残りを毎日チェックした。ちなみに電話会社を呼ぶと一回1ペソで残りのロードをメールしてくる。そうしたら、毎日、10ペソずつロードが自動的に引かれていることを発見した。そういえば、このFree Textというやつも、そんなに使ったはずもないのに、どんどんなくなっていく。  一体、全く使わないのに何で料金がかかるのか、摩訶不思議な現象を解明しようと、ロードの残りのチェックは十数日続けた。ということはそのために数百ペソ費やしたことになる。もしかして、普段使う携帯も同じ現象があるのではないかと、夜、寝る前に残りをチェックして、翌朝、再度チェックしたら、見事に 10ペソ引かれていたのだ。普段は頻繁に使っているので、10ペソのロードの減少は気づかないが、夜の間に密かに差し引かれていたのを確かめることができた。 […]

プリペイド携帯電話の怪 2013年9月20日


9月の第2週は、パスコ史上、もっとも忙しい週となった。  月曜、午後から単身申請の方の健診などのビザ申請準備。一方、DBP(PRAの口座がある銀行)への送金が1週間前なので、PRAの受付には入金証書が届いていない。それで、アドミ部門のマネージャーに依頼して、翌日の申請に間に合うように銀行をプッシュしてもらった。そして翌日午後、無事に申請を終えた。  そして、その夜、マニラ入りしたのが今回の主役の4家族、10人様の一行だ。4人のお母さんと2歳から8歳まで、6人のお子さん、総勢10人だ。到着は夜の11時、出会いは12時近くとなり、ホテルに送って、家に着いたときは午前1時を回っていた。今回、10人ともなると、迷子が出る恐れがあるので、相棒の義理娘のキムを同行し、常に一行の後ろから見守るようにアレンジした。 クリニックで子供達のめんどうをかいがいしく見るキム  初日は、銀行口座開設とクリニック、それに送金手続き、不足書類の準備などで、通常、半日で終わるところだが、たっぷり丸一日を見込んだ。クリニックにしても10人が受診するとなると、1~2人が受診するのとでは、桁違いの時間がかかる。  クリニックで思わぬ伏兵が出現し、今回の準備を難しくしたのが、子供達のウンチだ。数ヶ月前に、申請用紙が変更され、従来の健康診断書兼申請用紙は使えなくなり、新しい健康診断書には便、小水、血液検査などが明記されており、避けようがない。ところが、子供達には、そうは簡単にウンチをだしてもらえない。仕方なく、後日提出ということで、クリニックを後にした。しかし、このウンチは排出後1時間以内に届けなければならない一方、出るとき、出るところをわきまえないウンチに振り回されることになる。 子供達が机の上に座って遊んでもいても、笑顔で対応する銀行員にお母さん達は感激していた  クリニックで入念に準備した書類のおかげで口座開設はスムーズに進んだ。その間、子供達は、銀行員の机の上で遊びだす始末。支店長は、アイパッドを持ち出して親子全員で記念撮影。もちろん支店長も加わって、皆、ポーズをとった。   事務所に戻って送金の手続きを始めたが、事務所に設置されたWifiのおかげで、皆さん、日本に残っているご主人に連絡して銀行口座などを連絡して、送金を依頼した。しかし、そのとき午後2時を回っており、銀行手続きは翌日となってしまった。  お一人は、香港のHSBCからネットバンキングで送金しようとしたが、なかなかうまく行かない。結局、用紙を送ってもらい、翌々日、ファックスをクリニックから送ってもらい、さらに電話で確認するという、従来の方法で送金する羽目になった。しかし、手続きの終わった翌日には入金するという、早さだった。どうも海外から送金した場合は、翌日にも着金するようだ。 事務所では6人の子供達にキアンも加わって、まるで幼稚園ないし保育園となり、喧騒のうずの中の作業だった。 庶民の信仰を一手に引き受けるキアポ教会  翌日水曜は、早朝からマニラツアーにでかけた。カーティマール・マーケット、イントラムロス、キアポ、ラスピニャスのサウスビラ・インターナショナル・スクール、退職者のお宅、2箇所、そして最後にグリーンベルトで食事で締めくくった。元々はボニファッシオ・グローバルシティに行く予定だったが、この日はポークバレル(議員の汚職の温床となっている制度)の抗議集会EDSA通りが閉鎖され、大渋滞のてめたどり着くことができなかった。  まずは朝一番、めでたくお出ましのウンチをクリニックに届ける。ただ二人の子がまだで、ツアーの途中で出たウンチをアイスボックスで保管して、翌朝クリニックに届けた。 キアポ教会の内部、休日だったら中に入れないくらいに熱心にお祈りする人であふれる  カーティマール・マーケットではお一人のお母さんを除いて、食肉売り場で、生肉の匂いがたまらず、中へ進むことができなかった。これからフィリピンに暮らすとなるとこのウエットマーケットで買い物できないようでは困るが、2~3年もすればなれるだろう。 […]

日本から妻と子がいなくなる(その2)2013年9月15日



毎週、土曜の昼はKIANと昼食をサイカでとるのが恒例だ。KIANの注文は焼きそばとエビフライが定番だが、エビフライは衣だけ食べて中身のエビはヤヤにくれてしまう。その焼きそばは、堅い焼きそばから冷やし中華に好みが移ってきている。最新版はソース焼きそばだが、ソバなら何でも大好きだ。  ここのところ、毎回注文しているのが写真のお子様ランチだ。メインディッシュはオムライス、スパゲッティ、それとカレーライスから一品選ぶ。サイドディッシュとしては鳥から上げ、エビフライ、肉団子、餃子など、8種類の料理及び2種類のデザートから4品選ぶ。それぞれにボリュームがあって、とても一人では食べきれない。だから、同行した子守のヤヤあるいは姉のキムの料理は注文する必要がない。画面をクリックして拡大して見てください。 それでいて、値段は320ペソだから、かなり経済的だ。問題は、まず冷やし中華が来るとKIANが独り占めをして、他に分けない。ひとしきりして、お子様ランチがくるともはや冷やし中華には目もくれず、お子様ランチを独り占めする。ヤヤやキムには何一つ分けようとはしない。それも一時でお腹が一杯になると料理を放り出して遊びに行ってしまうから、ヤヤやキムの食事はそれからだ。一方、私は海鮮ちらしなど刺身料理がもっぱらなのでバッティングすることはない。 はじめて、お子様ランチを注文したこの日は、スパゲッティ、エビフライ、肉団子、鳥のから揚げ、それにクリームコロッケ。しかし、KIANが一番気に入ったのは左側のスナック菓子だった。 双子と一緒のこの日は、カレーライス、餃子、エビフライ、たこ焼き、それに鶏肉のから揚げ。 久しぶりに同行したキムと一緒に選んだのが、オムライス、フレンチフライ、エビフライ、たこ焼き、それに鳥のから揚げ。 今日は、一巡して、スパゲッティ、エビフライ、春巻き、肉団子、そしてたこ焼きだ。エビフライだけは毎回欠かせない。KIANも箸を使うことに興味を覚えたようで、いろいろチャレンジしているが、まだまだ、もっぱら人差し指と親指の箸で食べている。

サイカのお子様ランチ 2013年9月4日


報告が遅れたが、8月15日、ジェーンの結婚式がつつがなく終了した。と言っても、今回の結婚式は前哨戦というか、あくまでも法的には正式なものであるが、裁判官の前で行う、略式のものだ。社会的には別途、師走も押し迫った 12月30日(月)にマニラの教会で行われる予定だが、こちらは花婿の職業柄、ミリタリー方式で行われるそうだ。 この日、KIANはカメラマンをかってでた  このミリタリー方式がどんなものか良く知らないが、ジェーンの話によると、新郎のカーネル・ヤンのポリスアカデミーの同窓、あるいは同僚の警察官が制服を着て、銃を空に向かってかざし、その銃のトンネルを二人で歩いて行くという、まるで王室か国賓の儀式みたいなものらしい。 新郎新婦、それに3才のKIAN。何を思うのかKIANは口を捻じ曲げて興奮気味だ  カーネルの直属の上司はジェネラルなので、彼も当然出席するだろうし、場合によっては国家警察(PNP)のトップが来るかもしれない。そうなると、PNPの重鎮がせいぞろいする大イベントになりそうだ。 新郎新婦は原告席に座って、被告席は誰もいない   場所は、我々の住まいから歩いてもいけるようなSacred Heart Churchという普通の教会だが、当日、教会は警察官で埋め尽くされることになるだろう。まさに、新郎新婦の晴れ舞台だ。後日、招待状ができたら別途報告したい。 KIANもそれなりに緊張して疲れ気味に肩を落とす  今回、マカティ市役所の法廷の一つで行われた式の出席者は、20人足らず、極めて質素なものだ。新婦のPRA関係、コンドミニアムの管理組合、それに親しくしている日本人の退職者だけで、新郎のは関係者はいない。  女性裁判官が登場し、おごそかに紙に書いた決まり文句を述べ、二人には、お互いを伴侶とすることを誓わせ、さらに出席者のニノン、ニナンには証人になることを求めた。ほんの10分くらいで終わったが、これが教会ならば神父の説教が延々と続いて、1時間はかかるところだ。 法廷とはいえ、皆にこやかにことは進む   裁判官が、この結婚を承認すると、ハンマーで机をたたいて、宣言し、出席していただいたニノン、ニナンには証人として署名をしてもらい、婚姻証明書が完成する。これを市役所に提出すれば、婚姻は成立する。その後はお決まりの写真撮影だ。 […]

ジェーンの結婚式と披露宴 2013年9月2日