Daily Archives: December 6, 2013


台風がフィリピン中部、ビサヤ地方(サマール、レイテ、セブ、パナイなど)を直撃して、今日、11月26日で18日目を迎えた。当地の日本語新聞であるマニラ新聞は、今日も一面全部を割いて、台風の記事を載せている。まさに、東日本大震災と同等あるいはそれをしのぐ災害となってしまったようだ。 24日午前6時現在の国家災害対策本部発表によると、死者5235人、行方不明1613人、合計6848人、全半壊した家屋数は114万棟で、73万8千世帯の345万5千人が避難生活を続け、被災者数は216万世帯、1001万人、実に人口の一割を超え、フィリピン歴史上最悪の災害と言えるようだ。 大統領府によるとと、外国政府や国際機関による援助表明額は24日までに、国家予算の3割に匹敵する149億8500万ドル(6433億ペソ、1兆5135億円)、さらにフィリピン政府として、554億ペソ(1288億円)の復興予算を確保した。日本からも5150万ドル(22億1500万ペソ、52億円)の資金援助と1000人を超す自衛隊員が救援活動にやってきている。 ちなみに、これらの支援を1000万人の被災者に分配したとしたら一人あたり15万円、一家族5人とすると合計75万円という数年分生活できる額になる。さらに全半壊した家の数(114万)で割ると130万円で、優に家を建て直すことのできるお金だ。しかし、これらのお金がいかに有効に分配されるかが鍵だ。 この台風が新聞に出始めたのは、11月7日のことで、猛烈な台風と称されていたものの、ここまでの被害になるとは誰しも予測していなかったにちがいない。台風が上陸した翌日、11月9日の発表が、死者は3人、そして、翌日が138人、そして、229人、1774人、2344人、3631人、3976人、4011人、5209人、そして25日は5235人と毎日、幾何級数的に増加していった。これは、現地の通信網が破壊されて、現地の状況が把握できなかったためだ。 しかし、街には義捐金を呼びかける姿は無く、庶民は親戚や知り合いに支援の手を差し延べるものの、公的機関への義捐金を出すことにはさほどの興味は示さない。これは、仮に現金を送ったところで、被災者に届くにはごくわずかで、途中で消えてなくなってしまうことを誰もが知っているからだ。だから、国際的支援も、約150億ドルのうち、資金援助は約35億ドルで残りの115億ドルは物資援助などだ。 ちなみに、フィリピンの英雄、ボクサーで国会議員のパクヤオ選手はこの試合を被災者にささげると表明して24日マカオで開催されたWBOウエルター級世界王座決定戦に判定で勝利した。タクロバンで無料の中継が行われて、被災者を多いにはげましたそうだ。 2006年11月30日、ビコール地方を襲った大型台風レミンは私の農場のあるアルバイ県などに甚大な被害をもたらしたが、私のビジネスパートナーは集まった義捐金、約32万ペソを使って、テント、米、缶詰、乾麺、Tシャツなどを購入し、約1300の袋に詰めて配布した。このような時、現金をバランガイ(フィリピンの最小行政単位)などに渡したとしても、決して困っている人には届かない、というのがパートナーの意見だった。 この時は、台風の翌々日に乗り込んだが、電信柱や倒れた木々で交通は遮断され、葉を落とした椰子の木で禿山のようになった大地に建っている家々は屋根を飛ばされ、台風のすさまじさを示していた。特に、マヨン火山の斜面に積もった溶岩が大雨で流れ出し、土石流となって河岸の家々押し流し、多くの死者をだした。このときの風速は60m/秒を越えていたと推測されるが、土石流の他には水害がなかったので、家が破壊されるという被害は局所的なものだった。 しかし、今回の台風ヨランダは、風速90m/秒というから、桁違いの台風だった。それに5mに達する桁違いの高潮、東日本大震災といい、やはり水害が壊滅的被害をもたらす。レイテのタクロバンに被害が集中したのも、タクロバンは湾の奥に位置しているために、三陸で津波の被害か大きくなるのと同様、甚大な高潮の被害受けたのだ。 地球温暖化の影響によるこのような桁違いの災害は、フィリピンや日本ばかりではなくこれからも、世界中で、頻繁に起こるような気がする。地球にとってはちょっと風邪を引いて熱が出た程度かもしれないが、地表にうごめく人類にとってはとてつもない災害となる。これに対して、いかに対処づべきか、あるいは対処できるのか、根本的に考え直す必要があるのではないか。

超大型台風30号(ヨランダ)がフィリピンを直撃(その3)2013年12月6日