Yearly Archives: 2013


 ある退職者の方が、「友人に、コンドミニアムの所有権が50年のところがあるから気をつけろ、とアドバイスされた」そうで、その真偽を私に問い合わせてきた。「デベロッパーが自社所有地に建設した場合は問題ないが、そうでない場合は、コンドミニアムの所有権の期限は50年だ」というのだ。  ご承知の通り、外国人が土地を持つことは、憲法で禁止されており、土地付戸建の住宅は外国人は保有することはできない。しかし、コンドミニアムの場合は、それぞれのユニットが個別に登記され(CCT、Condominium Certificate of Title、あるいは単にタイトル)、外国人でも、総ユニット数の40%まで保有できる(コンドミニアム法)。その場合、各々のユニットは土地を区分保有していることになり、このCCTが発行されている限り、50年という保有期限はない。   空港のターミナル3に向かう スカイウエイからのマカティの眺望  一方、バギオのキャンプジョンヘイあるいはスーービックなどの経済特別区で販売されているコンドミニアムは、開発から50年の期限付き所有権(Lease Hold Right)となる。これは、これらの経済特区では土地はすべて政府からの借地となっているために、コンドミニアムといえども、永久に保有できるわけではなくて、基本的に期限がきたら国へ返還しなければならない。    同様に、もしデベロッパーが50年の借地を行って、コンドミニアムを開発して販売した場合、その所有権は借地契約の終了とともに土地のオーナーに帰属することになる。その場合、その住宅をコンドミニアムとして登記することはできず、個別のユニットのタイトル、すなわちCCTは発行されない。従って、コンドミニアムを購入する場合、ユニット毎のCCTの存在がキーになるが、そのタイトルはコンドミニアム全体のタイトル(マザータイトル)では意味がないので要注意だ。ちなみに、土地のリース契約(借地権)は法的に50年が限度で、通常25年契約で、25年の延長を可とする。 同じくボニファイシオ・グローバル・シティの眺望  ちなみにフィリピンでは建物のタイトルというものはなくて、 […]

コンドミニアムの所有期限が50年?2013年11月11日


 11月6日(水)、日本からフィリピンに帰国した翌日、超大型台風がフィリピン中部のサマール・レイテそしてビコール地方に向かっているとの情報が耳に入った。 運転手のボボイが「農場のファームハウスは耐えられるだろうか」と心配している。2006年、ビコール地方を直撃した台風レミンでは、ファームハウスの屋根が吹き飛んで、大被害を被った。川沿いのスコーターはマヨン火山から流れ出た土石流に流され、数千人の死者がでた。台風の対策は十分とったつもりだったが、台風レミンをはるかに上回る超大型台風に対しては、一体何がおこるか見当もつかず、ただ、あのときの光景がよみがえった。  2006年の台風レミンで屋根が吹き飛ばされた農場の家 翌日7日(木)のマニラ新聞によると、中心気圧は920ヘクトパスカルで、最大瞬間風速は80メートルで、上陸するころにはそれぞれ900、85ととんでもない勢いに発達すると予測されている。さらに8日(金)の新聞では、東サマールに上陸する見込みで、上陸時には895、90という、私の生涯でも聞いたことのない猛烈な台風に発達するとの見通しだという。幸い農場が位置するビコールへの上陸は免れたようだが、その後の進路により、マニラも危険区域に含まれたいるので予断は許されなかった。  マニラ、パラニャケに在住する退職者のAさんからは、数回に渡って、警戒を促すメールが入った。曰く「今、生きている人々が経験したことのないような台風がやってくる。 90メートルという風ではすべての窓ガラスは破壊されるので、部屋の中にいたからといって安全ではない。窓のない、トイレなどに逃げ込むべきだ。地上のものは人も何もかも空を舞い、すべてのものが吹き飛ばされるだろう」と。  マニラに最も近づくのが8日(金)の夜半ということで、耳をこらしながら、風音が強まるのを待った。しかし、ちょっと強めの雨が降っただけで何事もなく過ぎてしまった。台風はマニラのはるか南を通過した模様で、マニラ首都圏はほとんど影響が出なかった。   9日(土)の新聞は、サマール・レイテの被害の模様を、事前に75万人が避難していたために、死者は3人で済んだと報じていた。しかし、この報道は、単に通信網が破壊され、状況が把握できなかっただけで、一日経った10日(日)の新聞では被害はさらに甚大で、死者138人と報じた。しかし、さらに1000人あるいは1万人にも達する可能性があると、インターネットでは報じている。 テレビに映し出される光景は、高潮の被害もあいまって、まるで東日本大震災のようだった。   台風の直撃を受けたレイテのタクロバン空港などは大きな被害を受けて再開の見通しが立っていないそうだ。台風が上陸した8日(金)にタクロバンからマニラに戻ってくる予定のビザ申請中の退職者がいた。前日の7日(木)朝、「8日(金)朝の便が台風の影響で、夕方に変更された。そうなると、10日(日)に帰国予定なので、パスポートを受け取ることができない。どうにかできないか」と連絡があった。そこで私はPRAに掛け合って、緊急事態に付、本来、本人が受け取らなければならないパスポートを、私が預かりPRAになり代わって9日(土)に引渡しの手続きをすることになった。    9日(土)に面会の予定だったが、その方からは、10日(日)になっても何の連絡もない。タクロバンの空港は閉鎖されているから、マニラには来ようがないであろうし、通信網も破壊されているので、連絡も取りようない。まさに、その安否が気になるところだ。   台風25号(サンティ)は10月12日にルソン中央部に大きな被害をもたらした。26号、27号はフィリピンをかすめ、日本に向かったが、幸い本州直撃は免れたものの大島に大きな被害をもたらした。ここのところ超大型台風が目白押しで、地球温暖化の影響と言われるが、フィリピンと日本は台風の影響という意味ではまさに、隣人同士で、隣ごとではない問題だ。先日発生したボホールの地震といい、同じ太平洋に面した島国として、かなり共通性があるような気がする。

超大型台風30号(ヨランダ)がフィリピンを直撃2013年11月10日



  11月2日(土)に東京ビッグサイトで開催されたロングステイフェアに参加するために日本に出張した。11月5日(火)に帰比したが、11月1日(金)は万聖節で休日、11月4日(月)は文化の日の振り替え休日で、まさに連休中の出張だった。 ターミナル1の入管はTの字型に一列に並ぶようになってブースの選択による運不運がなくなった  ジェットスターで行ったが、早朝の出発なので、家を4時半に出たが、空港は意外と混雑していた。しかし、出国手続きにおいては、退職ビザの保有者は、右端の特別ブースを使えるので、待たずに手続きが終わった。   久しぶりに日本に行ってみると、なにもかもが小奇麗で、箱もの(ビルや施設)だけが目立つが、そこにいる人影はまばらで、人の温かい息吹を感じることができない。 成田第2ターミナルの連絡電車がなくなってエスカレーターと歩道になっていた  東京ビッグサイトで開催されたロングステイフェア、今年は9671人の入場者を数え、過去最高だったそうだが、毎年9000人代で、あまり代わり映えがしない。 ロングステイフェアのパスコのブース、拙著「金無し...」を大量においたが、訪れるほとんどの皆さんがすでにこの本のファンで、1冊しか売れなかった  フィリピンブースは入り口正面に設けられ、宿敵マレーシアの半分程度のスペースだったが、同等の賑わいを見せ、フィリピンもロングステイ先として、いよいよ表舞台に出てきた感がある。 PRAからやってきたノエルさんとマービンさんは、フィリピン観光省と机を並べていた  フェアの翌日、助っ人に参上してくれた息子と共に、先般フィリピンで交流を深めた山本のぶ子さんのお宅を伺った。のぶ子さんのアレンジで、思いを一緒にする方々が20名近く集まって、フィリピン移住に関する話題で盛り上がった。 のぶ子さんと息子ののツーショット  たった一日の横浜(実家)滞在だったが、近所のすし屋で孫娘二人と会食、特に下の子(2才)が子供らしく成長していた。お姉さん(5才)のお茶目ぶりもますます磨きがかかり、おばあちゃんをやりこめることもしばしばだそうだ。 お土産のピンクの珊瑚のネックレスを首にかけるユっちゃんと妹のユメちゃんはおじさんに抱っこされてポーズ  夏の間は休む暇も無かったお父さん(私の三男坊)の肩に抱かれてご機嫌のお姉さん、洋の東西を問わず、子供はお父さんの肩車が大好きだ。そう言えば […]

ロングステイフェア2013に出展、一年ぶりの日本は? 2013年11月10日


 11月1日はALL SAINT DAY(万聖節)その前日をハロウインと呼んで、子供達が悪魔や妖怪の格好をして、家々を訪ね、お菓子をもらう。まさにクリスマスイブといった雰囲気のキリスト教の重要な催し物だ。 プライムシティコンドに門に飾られたハロウインパーティのお知らせ  日本ではクリスマスと同様、宗教的な意味合いは忘れられ、単なるイベントとしてとらえられ商業的に利用されている。しかし、フィリピンでは、翌日は家族一同がお墓に参り、故人と一夜を過ごす重要な日だ。帰省ラッシュのため地方へ行くバスはこの前後、満員となり、ターミナルには人があふれる。 入り口にはモンスターの人形が飾られる、首にはコンドへの入門票が下げられている    All Saint Day(万聖節)とは、年に一度、死の世界と現世との門が開かれ、死者が現世によみがえり、家族と過ごすことができる日だ。開かれた門からは死者だけでなく、悪魔や妖怪も一緒に出てきて、人々を怖がらせる。その魔よけとしてカボチャの中身をくりぬいて飾るのがジャック・ランタンだ。  仮装したKIAN(中央)とカンバル(双子)、田舎からやってきたヤナ   それが、いつしか、子供達が悪魔や妖怪の仮装をして、家々をまわり、お菓子を受け取るという、行事に替わっていった。子供達は死の世界からやってきた悪魔や妖怪で、家々では彼らに渡すお菓子を用意しておく。お菓子がもらえなかった家は悪魔や妖怪の復讐を受けるので、必ずお菓子を用意しておく。 どこの家でもお菓子をもらえるので、子供達は大喜びで家々を回る、クリスマスについで一年で2番目に楽しいときだ。 仮装で優勝に輝いた少女   ハロウインが近づいてくると、街のあちらこちらで仮装した子供達を見かける。 […]

ハロウイン(Halloween) 2013年10月30日



昨夜、NHKで、人類の起源と心臓病についての番組をやっていた。人類は進化と引き代えに心臓病になるリスクを抱え込んだというものだ。数億年前に高性能ポンプ(心臓)を持って俊敏な行動を可能とする哺乳類が誕生し地球を制覇した。そして、700万年前に人類は2足歩行を開始し、両手を自由に使えるようになり、食料の確保が容易になった。血管の総延長は10万km、地球2週半に至るとが、その隅々に血液を絶え間なく送り続けるという至難の役割を担っているが、2足歩行により、重力のために血液が足にたまってしまう一方、脳への血液を送るために大きな負担が心臓に生じたのだ。  そして270万年前に急速に脳を巨大化させる代償にコレステロールが血管に沈着して心筋梗塞を引き起こすリスクを抱えた。それにはGCという脳の成長を抑制する物質が関与し、人類はこれを失うことにより、脳が急速に発達したのだが、これが1万年前にはじまった農耕牧畜文化により、動物の肉を食することにより大量にGCを体内に取り込む結果となった。このGCを異物と認識し、免疫細胞が攻撃することにより、血管の内壁が損傷され、コレステロールが沈着し、血管を詰まらせ、心筋梗塞にいたるというわけだ。  姉のKIMと従妹のIAを抱きかかえて微笑むKIAN。ただし二人といえば、KIANに首を強く絞められて悲鳴を上げている  損傷した心臓は脳に十分な血液を送ることができず、死に至るわけだが、最近、心臓手術のあとのリハビリテーションにジムのトレーニングが取り入れられているそうだ。歩行訓練等により、第2の心臓と呼ばれる足の筋肉を増強し、血液を心臓へ送り返す機能を高め、心臓の負担を軽減しようというのだ。従来は、心臓の術後といえば安静が第一で、歩くことさえはばかれていたが、まさに逆転の発想だ。心臓が弱いからこそ、静かにしていないで、運動しろということなのだ。   さらに、先週、NHKの「ためして ガッテン」で、世界の記憶王の脳のトレーニングが、なんとサイクリングだという、意外な事実を紹介していた。心臓のリハビリに運動、記憶力のトレーニングに運動、何か相反するものが意外と連動しているというわけだ。最近は介護施設でも認知症の予防、老化防止に筋力トレーニングが取り入られているそうだが、これも同じ発想だ。 髪をなびかせスケーターで爆走するKIAN  人類が700万年前に2足歩行を開始し、手を自由に使うことにより、脳を急速に発達させ、他の動物を差別化し食物連鎖の頂点に立った。そして、ついには文明という武器により地球を制覇した。この原点は手を器用に使うことにある。赤ちゃんは6ヶ月もすぎると、身の回りのものすべてを手にとって遊び始める。そして、彼らの日常は遊びに始まって遊びに終わる。おもちゃは彼らの命だ。こうしている間に脳はものすごい勢いで発達しているのだろう。まさに全身を使って遊びまわることが脳の育成と訓練に欠かせないのだ。遊びやスポーツが楽しいのはそれを彼らが必要としているからで、勉強や塾のために彼らの遊びやスポーツの機会を奪ってはいけない。 あちらこちらにガールフレンドがいるKIAN  机に座ってABCや123を勉強すること、さらには学校の授業や受験勉強が脳を発達させるだろうか。たしかに出来上がった脳に情報を書き込むことはできても、脳そのものを発達させることは無いような気がする。記憶力のトレーニングにサイクリング、認知症の予防に筋力トレーニングというのが、それを物語っている。子供の脳を発達させるには、好きなだけ十分に遊び回らせることだ。そして疲れ切って寝ている間に脳細胞が合成されるのだ。だからこそ、やんちゃな子供ほど将来は大物になれるのだ。静かで、とても良い子なんて赤ちゃんは、とても将来は期待できない。脳に書き込まれた情報量の差異をテストする入学試験が真の能力を測ることができないのは、自明の理だ。 私の執務机の下にもぐりこむのが大好きなKIAN  私は、 ウォーキングが血糖値を下げるのに劇的な効果があることを体感し、毎日、歩くことを心がけていた。しかし、マニラの環境がゆえにウオーキングの楽しみを味わえず、2年ほど前に中断してしまった。そして、しばらく前にジムに入会したが、機械の上でひたすら足を動かすことに飽きて、数回通っただけでギブアップした。いずれ引退したら、ビコールの農場で野良仕事に明け暮れるのだから、運動は十分と、それだけを頼りにしていた。しかし、引退は何年先の話になるか誰にもわからない。そうこうしているうちに野良仕事もできないへなへなになっても困る。 姉のKIMの体にあわせてポーズをとるKIAN  そもそも人類が健康のために運動する、という発想はなかったはずだ。人類の活動は猟や農耕であって、食料を得るために不可欠な行動で、無駄なエネルギーを費やす運動などは子供達の遊び以外ではなかったろう。腹が減るから寝ていたほうがましだ、てなところだろう。だから、子供の遊びのように、アンチエイジングの活動も、楽しくなければ長続きはしない。 セロテープに貼り付けた花札を橋に見立てて車を走らせるKIAN  そこで思いついたのが、仕事とウオーキングの結合だ。客がいなくて、一人でPRAや銀行に行くときは歩いて行くことにした。平日、混んでいるときは、車で行っても歩いて行っても時間的に大差ない。仕事だから、後回しというわけには行かないし、ただ行くための手段を変えるだけだから、抵抗もなさそうだ。以前、事務所が遠くにあるときは事務所まで毎日歩いた。それが住居と事務所が一緒になってしまい、歩く機会がなくなってしまったのだが、その時も歩くこと自体は苦にはならなかった。明日から早速実行しよう。いつも車で走っている同じ道も歩いたら別のものが見えてくるかもしれない。毎日コースを代えて歩くのも面白しろそうだ。思いがけない出会いがあるかもしれない。 […]

アンチエイジングの秘訣(赤ちゃんは天才)その2 2013年10月28日


2013年10月28日(月)は、全国のバランガイ議長(キャップテン)と議員(カウンセル)を選ぶ(任期は3年)、いわゆるバランガイ選挙のため休日となった。ちなみにバランガイとは、フィリピンの最小行政区で、町ないし村に相当し、全国に約42000ある。ちなみに私が住んでいるところはバランガイ・サンアントニオというが、住所はサンアントニオ・ビレッジと表記されている。 街角にはポスターが貼られ、選挙中ということを教えてくれる  全国の有権者は、約5400万人、その80%程度が投票するというから、4300万人が投票所に向かうことになる。一つのバランガイに平均1000人だが、マカティのバランガイなら5000~1万人くらいにはなるのだろう。これを14万8千人の警官が警備するそうだが、ここにも10人程度の警官が来ていた。 自分が割り当てられたブースを探し当て投票用紙を受け取る。ジェーンはIDカードを忘れてきたが、係りの人と顔見知りでOKとなった  上院、下院議員、さらに知事や市長を選ぶ統一選とは異なり、はでな選挙運動は無く、なにか、村長さんか、学校の級長を選ぶといった雰囲気だ。 投票場の前でMommy GoはKIANを見つけるとポーズをとってくれた  今回、再選を目指して立候補しているMommy Goは、先日、票田のプライムシティ・コンドを訪問し、KIANから花束をもらってご機嫌だった。お返しに車のおもちゃをもらったが、なかなか立派なおもちゃで、かなりの出費になってしまったろう。 投票場の前にはたくさんの屋台が出ていて、まさにお祭りの気分だ  Mommy Goはジェーンとは顔見知りで、先日もコンドの管理組合のごたごたで大分お世話になったようだ。従って清き一票がMommy Goに行くのは間違いないだろう。帰り際、選挙事務所ならぬ、Mommy Go陣営のテントによると、Mommy Goの取り巻きから、次回は是非、議員(カウンセル)に立候補して欲しいと誘われたそうだ。政治家志望のジェーンとしてはまんざらでもないようだ。 Mommy […]

バランガイ選挙2013年 2013年10月28日



スイスの経済フォーラムは2013年版の「男女格差報告」でフィリピンが世界第5位と発表した。上位、4カ国はすべて北欧諸国で、東南アジアの国としてはダントツ。ちなみに、日本は136か国中、105位だった。  男女格差と表現すると、当然のように男性に比べて女性が差別されており、その格差が小さいことの順位ということだろう。しかし、世の中、常に男性が上位とは限らない。フィリピンでは、どう見ても女性上位、女性が世の中や家庭を引っ張って行っているのではないかと感じる。  従って、男女格差というよりも、女性の地位の順位という事なのではないか。そうなると、少なくともフィリピンなどのトップ10の国々は、男性よりも女性のほうが、色々な面で上位にあるということであろう。  私の住まいがあるバランガイ・サンアントニオのバランガイキャップテンの現職はマミー・ゴーで再選をねらっている   フィリピンでは、女だてらにとか、女のくせに、などという、言葉は死語だ。上司が女性であることに男性は何の抵抗も示さない。マルコス以降、女性大統領が2人半、男性が2人半で拮抗している(エストラーダは任期途中でアロヨに変わったので0.5人と数えた、一方エストラーダの後継で、かつその次の大統領となったアロヨは1.5人と数えた)。一方、司法長官、最高裁長官など国の主要な役職の多くを女性が占めている。従って、女だからこそ、という言葉が当てはまるだろう。   銀行の支店長などはほとんどが女性で、PRAなどの役所でも、マネージメントをはじめ、半数が女性だ。職場においては、男女の区別は全く無い。唯一違いがあるとすれば、女性は60日間のマタニティー・リーブ(有給出産休暇)が保障されていることだ。従って、妊娠のための退職という現象はおこらない。それでは子育ては、どうなるのかということだが、フィリピンではママの親、兄弟姉妹、あるいはメイドやヤヤ(子守)が皆で子育てするから、ママが仕事を放棄する必要は無いのだ。もちろん、介護辞職なんてのもない。だから、女性が職場で自由に能力を発揮できる。 そのマミー・ゴーが票田である我がコンドミニアムに選挙活動にやってきた。KIANから花束をプレゼントされて、最大限の感謝の意を示す。右は管理組合長の検事さまだ。   それでは家庭内ではどうなっているのだろうか。ここでは、紛れも無いかかあ殿下で、フィリピンでは例外なく、妻が家庭を仕切る。家庭内の仕事は料理は夫、洗濯は妻、などと役割が分担されているが、決定権は常に妻にある。そうなると、社会では50:50、家庭内では100:0で女性が有利となると、どちらが上位か、自ずと答えは明らかだ。 ジェーンの結婚式でこの結婚が有効であることの裁定を下した判事、そしてその右はコンドの管理組合の理事長で、二人は法科の同期生だ   1990年代にフィリピンでエンジニアリング子会社の運営を担当しており、多くの学生を面接し雇用していたが、日本では男の仕事と思われている土木工学(Civil Engineering)の学生が、フィリピンでは半数以上が女性だったのに驚いた。そいて機械、電気、建築なども少なからず、女性がおり、化学工学においては大多数が女性だった。工学系でさえ、その有様だから、文系では女性が圧倒していることだろうと容易に想像される。ちなみにフィリピンの大学進学率は日本と同等で30%を越えるが、女性のほうが若干高い。   そんなわけで、 大志をいだく日本女性は、閉塞感のある日本を抜け出して、是非フィリピンに渡って能力を存分に発揮して欲しいと思う。 先日、ダバオに退職者用施設を計画している石野田さん(中央右)をアシストして計画のプレゼンテーションを行った、この時、GM(中央左)他PRAの部長クラスの3名の幹部(両端)が同席したがいずれも女性だった。

男女平等、フィリピンが世界第5位に躍進 2013年10月27日


退職者の方が入院している関係で、サント・トマス大学(University of Santo Tomas, UST)を訪れる機会があった。USTといえば、1611年に設立されたアジアでも最古の大学で、42000人の学生を有するフィリピン最大の大学でもある。マニラ市内の繁華な場所にある約25ヘクタール(7万5千坪)のゆったりしたキャンパスは学生であふれ、ここには、いかにも大学のキャンパスという雰囲気があった。 構内にあるUST付属病院はUPなどと並んでフィリピン有数の病院だ  UST出身者には、ケソン、オスメニア、ローレル、マカパガル(アロヨ前大統領のお父さん)など、フィリピン共和国の初期の大統領の名が連なる。特にケソンはケソン・シティの名の由来でもある。ちなみにローレルは日本がフィリピンを占領していたときの傀儡政権でもあったので、今では歴史から抹消されて、道路などの名前になっていないので、めったに耳にすることはない。英雄ホセ・リザールもここでも学んでいる(彼は大学を3つ出ているそうだ)。 キャンパス内の道路は広々として学生が自由に闊歩する  ちなみにフィリピンNo.1の大学は、押しも押されぬ国立のフィリピン大学(University of the Philippines、UP)で、全国に10校を有し、学生総数は5万人を超えるが、単独の大学としてはUSTに席をゆずる。中でもケソンシティに500ヘクタール(150万坪)近い広大なキャンパスを構えるなUP Diliman校は旗艦大学として25000人の学生を擁し、幾多の国家的指導者を輩出してきた。  遊歩道にはミリエンダ(おやつ)とるを学生がくつろぐ   フィリピンの歴史に名を残す第10代大統領、マルコス、マニラの大通りの名前でおなじみのRoxas(ロハス)、Quirino(キリノ)は第5代と6代の大統領、そして、現在の副大統領、Binay(ビニャイ)などがUPの出身だ。UPの学生は、国家あるいは社会の指導層になるべくエリート学生の集合体で、その誇りと自信ははなみなみならぬものがある。なんでも一番にならなければ気が済まず、組織の中でトップとなることができないとさっさとやめてしまう。UP出身者ということで、ある程度経験を積みさえすれば、いくらでも転職先はある。 都会のど真ん中に広大な校庭を持ち、学生がスポートを楽しんでいる […]

University of Santo Tomas(UST)に潜入-フィリピンの大学事情 2013年10月27日



フィリピンの、あるいはマニラのコンドミニアムブームはとどまるところを知らぬ勢いで、次々と大型プロジェクトが完工し、入居ないし入居間近となっている。3年近く前に報告したときには、まだ姿を見せていなかったコンドミニアムも、あらかた完成して形を見せ始めている。  今回は、従来のマカティの市街地を囲む、ブエンデ通りの北側、マルガイ通り、あるいはジュピター通りに沿って完工ないし建設中のプロジェクトに着目した。 早朝、ジェットスターの機内からマカティを望む。こんな機会は10年に一度あるかないかだ。手前は超高級住宅街のダスマリニャスビリッジだが、一戸の家の敷地の広さが(1000~2000m2程度)想像できるだろう(写真をクリックして拡大して見てください)     マカティの市街地は北はブエンジア通り、南がパサイロード、東がエドサ通り、西がパソンタモ通りに囲まれた扇型のエリアで、アラヤ・トライアングルを中心にグロリエッタ・グリーンベルトがあるコマーシャル・エリア、サルセドとレガスピのコンドミニアム/オフィスビル街、それにウルダネッタ・ビレッジ(超高級住宅街)の4つのエリアに別れる。この4つのエリアを区分しているのが、アヤラ・アベニュー、マカティ・アベニュー、そしてパセオ・デ・ロハスの3本の道路で、これら7本の道を押さえておけば、マカティの地理は把握できる。 ブエンジア、パソンタモ、パサイ通りはいずれも旧称で、現在はそれぞれヒルプヤット、チノロセス、アラナイツが正式な名称  そして、さらにその周辺は、北にベル・エアー、東にダスマリニャスやフォルベスパーク、そして南はサン・ロレンソーなどのビレッジ(超高級住宅街)が取り囲んでいる。唯一、マニラの街並みに接しているのが、パソンタモ通りの西と、ブエンジア通りの北西だけだが、特に、ブエンジア通りの北を走るマルガイ通り沿い、サン・アントニオ・ビレッジには工場などが多く、まとまった敷地がある。この地上げの必要ない大きな敷地が大型コンドミニアム開発の舞台となっており、まさに従来の扇型のマカティが北へ膨張しつつあるのだ。 マカティの東に開発されたボニファシオ・グローバル・シティ(ボニファシオ国軍基地の跡地)。これだけの街が、ここ10年で出来上がってしまったいうことは信じがたいところだ。写真上方に見えるのがマカティ市だ  メトロ・マニラの主だった市街地はマカティ以外には、ボニファシオ・グローバル・シティとオルティガスがある。それぞれ超高層ビルが立ち並ぶ国際都市で、マニラの旧市街地と比べると別世界の趣がある。さらに、今後はアラバンのフィルインベスト・コーポレート・シティ、パサイ市からパラニャケにかけてモールオブエイシア周辺のショッピング・リゾート地帯などが発展していくものと期待される。 ちょっと北に進むと第2位の都市、オルテガスがあるが、この街の高層ビルの密度はマカティを上回る。右上方に見えるのはワクワクゴルフコースで36ホールあるが、高層ビルとゴルフ場の対比がおもしろい。   マルーガイ通りをサウス・スーパー・ハイウエイを基点に西から東に歩くと、まず目に付くのが、大手デベロッパーの老舗、Fill Investが手がけるLINEAR(リニアー)で、信じがたいスピードで立ち上がった。ちなみにFill Investといえば、アラバンにFill Invest Corporate Cityと自分の会社の名前を冠した街を作り出した会社だ。その隣にあるのがAVIDA […]

コンドミニアム開発の現況 2013年10月23日


 ロハスブルバード沿い、バクララン・チャーチの近くにナイトクラブが数軒並んでいるが、その一つがBinibini(ビニビニ)という変わった名前のクラブだ。  Binibiniが何を意味するのか、長い間、判らなかったが、最近ミス・ワールドの記事を書いているときに、KIMの発言で、その意味を知った。  ヤムヤムがおいしいという意味のレストランの名前だが、こちらは女の子というような、いかにも直接的な名前のクラブだ  要は、独身の若い女性、すなわち、世の男性の恋のお相手をする女性のことだ。この言葉をほとんど耳にすることがなかったのは、この言葉がスパニッシュタイムの古語に属する言葉だそうで、今では、女の子のことをBinibiniと呼ぶことはないそうだ。日本語で言えば、姫、お嬢、あるいはギャルといったところのようだ。ジェーンの姪っ子たちもいよいよビニビニのお年頃だ    年齢的には、下は、16才くらいから、上限は特にないが、独身であることが条件で、イメージ的には20代前半、最近の晩婚の傾向から30代前半くらいまでと言ってよさそうだ。しかし、これは、男性側の好みにもよるだろうが、ちなみにBinibiniのナイトクラブでで働いている子は18才~24才程度なので、この辺が一般的にBinibiniのイメージなのだろう。世間では16才~17才も立派にBinibiniなのだが、法的に許されないので、ナイトクラブにこの年齢の子はいない(はずだ)。カラオケ・ニュー・サチのダンサー達も、まさにまさにBiniBiniだ アヤラロードで見かけたBinibiniコンテストの優勝パレード  話は違うが、閉鎖の危機にさらされていた、おなじみのナイトクラブ「Asian Entertainment Network Manila」がついに消滅した。といっても名前が代わっただけで、中身は全く一緒だ。マネージャーの話によると従業員全員が辞表を書かされて、再雇用されたそうだ。「The BAY Entertainment」というのが新しい名前で、なんとも平凡でつまらない名前だが、中は相変わらずBinibiniの熱気があふれている。

Binibini(ビニビニ)の意味 2013年10月21日