Yearly Archives: 2014


熟年男性に生きがいを与え、社会現象ともなった医薬品バイアグラが、特許切れのため、ジェネリック(後発医薬品)が販売されている。従来、一粒、1000ペソ以上していたものが、十分の一程度で買えるそうだ。まさにコンドームと大差のない値段で買えるので、熟年男性にとっては、夜のお供に気軽に使える時代が来たといえる。まさに、バイアグラの販売が第一次セックス革命ならば、これは、第二次セックス革命とも言える出来事だ。Sildenafilというなんとも覚えようもない名前だが、薬屋に行ってバイアグラのジェネリックと言えば通じるだろう。 厳密には、バイアグラと同様、医者の処方箋がないと買えないが、その辺は、大分緩やかのようで、男性薬剤師であれが同病相哀れむといったところで、売ってくれるらしい。女性薬剤師の場合は、このスケベ親父と映るせいかルールを盾にとって、なかなか首をたてに振らない。男性薬剤師がいるときを見計らってまとめ買いするのがよさそうだ。           効き目の方は、名前こそ違え、バイアグラと成分は、全く同じなので、問題はないと、経験者は語る。私も試してみたいが、いまだ、その必要はないし、また、必要とする機会もほとんどないので、人の話をたよりにするしかない。しかし、この薬を必要とする熟年者は意外と多いようで、先日お会いした同年齢の退職者は、これを機に、再度、夜の生活を復活させたいと意気込んでいた。 かわいそうなのは、花街で、バイアグラのまがい物を数百ペソで売りつけていたお兄さん達だ。本物が、同じよう値段で売り出されたとあっては、商売上がったりだ。それを、「Sildenafilはいかがですか。本物ですよ」といったところで振り向く人はいないだろう。逆に本物の薬をそんな形で売っていたら、背に手が回ることは間違いない。

バイアグラのジェネリック(後発医薬品)が販売に 2014年12月21日


12月中旬に、マカティスクエア/リトル東京に近いWalter Martに、子供の遊び場、kidzooona がオープンすると無料雑誌 「Primer」に広告が載っていた。そのため、毎週、土曜日、サイカの食事の後、Walter Martに寄るのが日課になっていた。そして、暮れも押し迫っ た20日(土)にようやくオープンの運びとなった。まさに、この日、Grand Openだったのだが、入場者は、数えるほどだった。入場料は一時間200ペ ソ/人、3時間が400ペソ/人と、決して安くはない。たかが子供の遊び場にそれだけのお金を払う余裕は庶民にはないのだろう。ちなみに同行する保護者 (18歳以上であることが条件)は無料だ。        無料情報誌Primerの宣伝と(左)、Grand Openingを知らせる張り紙(右) kidzooona(キッズーナ)は日本のイオン・ファンタジーの経営で、日本(330箇所)、バンコック、マレーシア、そしてフィリピンのロビンソン・ガラリア(オルティガス、将来的には50か箇所))などで、営業展開している。http://www.aeonfantasy.co.jp/brand/kidzooona.html うたい文句は「遊びで育つこころとからだ」となっているが、私に言わせれば、遊びで一番育つのは脳そのものなのであり、2歳ごろから小学校入学前までごろは、遊びが子供の発育のすべての先生なのだ。KIANは最近、テレビを見て時間を過ごすことが多いが、私は、この状況に危機感を覚えていた。だからこそ、このkidzooonaのオープンを心待ちにしていたのだ。 KIDと絆の合成語、kidzooonaとは良く考えたものだ。入り口には、日本経営らしく、事細かに注意事項が記載されていた。 kidzooonaというネーミングは明らかにキッズと絆の合成語で、子供同士、あるいは親子の絆を遊びを通して身に着けようという想いなのだろう。だから、中は、保護者もゆっくりくつろげるようにレイアウトされ、大人と子供が一緒に遊べるようになっている。まさに、日常を忘れて子供と時を過ごす絶好の場所でもある。特に、保護者無料というところが気に入った。ここで、KIANとゆっくり楽しい時間を過ごすことができそうだ。ここでは、親も子も土足厳禁、靴下をはかなければならない。靴下がなければ買える。子供は20ペソ、大人は同じものが50ペソするので、次回からは是非持参したい。私は、いつも靴下をはいているので問題はないが。 ゲートはかなり厳重に管理されている(左)。入場も申込用紙に記入して入場券を買うなど面倒だ。せめて、会員権など発行して割引制度があるとありがたい。保護者もゆっくりくつろげる空間になっている(右) […]

子供の遊び場kidzooonaがWaltermartにオープン2014年12月21日



KIANがいよいよ公文(KUMON)に通い始めた。公文式というのは、以前から名前だけは知っていたが、具体的には一体何なのか良く知らなかった。しかし、大分前に仕事柄付き合いのあったインドネシアの石油省(ペルタミナ)の高官が日本に来て、子供のために公文式の教科書を買い漁っていたのが、印象に残っていた。そしてフィリピンでも、やたらと公文の文字が目に付くようになった。         バランガイの体育館にはKUMONと書かれた大きな垂れ幕が下がっている(左)。街を行くトライシクルの後ろにも垂れ幕がある(右) フィリピーノが数字に弱いのは厳然たる事実だ。フィリピンの東大、UP(University of the Philippine)にも楽勝で入学できるという才女のアティ・キムも数字の話になると口を閉ざして、下を向く。かの大手弁護士事務所、シシップ・サラサールの辣腕弁護士も数字の話になってくるとパニクってしまった。そんな環境で、もし、せめて日本人の平均位の数字・算数の力があったら、フィリピンでは周囲に尊敬されるに違いない。女の子にも憧れの的になるだろうし、まさに手っ取り早く女の子にもてるコツだ。だから、KIANの将来のために今から公文に通わせて、数字に親しませることが、必要だ。そんなわけでKIANの両親を説得したら、二つ返事で同意してくれた。ただし、学費は私持ちという条件付だ。参考ブログ「フィリピーノは何故数字に弱いのか 2014年9月13日」参照。 実は、トランプやサイコロ、碁や将棋でKIANに数字の概念を植えつけようと思ったが、KIANが理解できるのは数字の3までで、それ以上となると、単に言葉として数字を唱えるだけだ。頭の中のイメージは「たくさんMany」というものなのだろう。だから、ルールに従ってゲームをやるなんて程遠い。トランプをめくって数字の大小で勝ち負けを争うという簡単なゲームでも、スペードのエースが最強と知って、それを手離そうとしない。そこで数字の概念を把握させるというような困難な教育は、プロに任せた方が間違いないと、公文ということになった。公文ならば2歳の子供でも入学できるそうで、きっと数字そのものの概念を植えつけてくれるに違いないと期待できる。 公文通学初日、緊張気味のKIANだが素直に先生の指示に従っている。隣でアシストの女性が何故かずっとビデオを撮っていた。 キムと私が近くの公文を探したが、一つの街に一つ位あるようだ。いくつか当たって、環境や通学の便からサルセド・ビレッジの公文を選定した。公園に面したTWO SALCEDOというコンドミニアムの2階でわかりやすい。場所柄、外国人の子弟が多いようだ。しかし、両親の面接が必要ということで、それを実現するのに1ヶ月以上かかってしまった。それでも暮れも押し迫って、ようやく入学の運びとなった。月謝が1800ペソ、週二回の30分のレッスンだが、この程度ならば、私でも出せる。 初日は、ママ・ジェーンが忘れてしまってパス、2回目は、私が付き添った。面接の時は大分ナーバスになって、いやがっていたそうだが、この時は、積極的に教室へ入っていった。2回目は、ママ・ジェーンが連れて行ったが、タクシーが捕まらず、もたもたしているママ・ジェーンを叱責するほど、熱心だったそうだ。何事にも積極的なKIANだから、なにか新しいことが楽しいらしい。  ゲーム感覚で数字になじんでいくところがKIANの興味を引いているらしい。 付き添いは中に入ることはできないがガラス越しに様子を伺うことができる。何をやっているのか覗いてみると、丸の絵を指差して、1、2、3と数え、3個と答える、そして二つの絵を線で結ぶという、馬鹿馬鹿しいほど簡単なことだ。これを何度も何度も繰り返している。面接で、その子供のレベルをはかり、それに合わせて教えていくという、マン・ツー・マンなればこそできる指導だ。こんな簡単なことを繰り返してやらせるなんて根気は、私にはないし、思いつかない、さすがプロだと思う。30分の授業が終わると、毎回、宿題を渡される。学校でやったものとほとんど同じで、アティ・キムが先生になって、KIANにやらせるのだが、かかった時間を記録することが大事だそうだ。 三つの丸を人差し指でさして数えるだけ、あるいは二つの絵を線で結ぶだけという単純な作業だが、これがKIANに丁度よいようだ。 2日目のレッスンは、ちょっとレベルが上がって絵は4つ、数字も付いている。絵と絵を結ぶのもちょっと複雑になっている。この日も、宿題も渡されたが、簡単なので、KIANはもっとないのかと催促する。これが公文の狙いで、家で勉強をするという癖をつけようとしているのだ。確かに家でテレビ漫画ばかり見ているよりもましなことだ。KIANとしては、達成感を味わっているようだ。  しかし、線を引くだけで一枚の絵を使うのは、ちょっと資源の無駄遣いとも思える。冒頭のインドネシア石油省の高官が教科書を日本で求めたという話が思い起こされる。 KIANの授業を待っている間、周囲を見回してみたら、壁に公文の教育の姿勢が書いてあった。「悪いのは子どもではない」、「ちょうどの学習」など、なるほどとうなずくことが書いてある。成績が悪いと、えてして親は子を叱るが、叱られる子供にとって見れば、手のうち様がない。どうすれば成績が上がるのか、10歳未満の子供達に、その解を見つけられるはずもない。親でさえ、わからないのだから。まさに、日ごろの生活態度、教育方法を改めない限り、伸びるはずもなく、これは、まさに親の責任なのだ。 学校教育の悪弊は、年度ごとに目標が定められており、千差万別の子供達は、一律に目標を押し付けられ、それについていけない子供は劣等性というレッテルを貼られ、上を行く子供は、さらに上に行くことを止められる。それを、それぞれの子供のレベルに見合った教育をして、おちこぼれを防ぎ、さらに高みを目指すことができるシステムはやはり、マン・ツー・マンだからこそ可能なことだろう。 […]

KIANが公文に挑戦 2014年12月20日


台風22号(ルビー)が、何事もなく過ぎ去って、街はいよいよクリスマス一色だ。何とはなしに、街には人が溢れている。19日(金)、若い退職者のビザの発行を無事に終えて、3時ごろ、事務所に向かったが、タクシー待ちの人がたくさんいて、タクシーがどうしても拾えない。ちなみに、この日、相棒のジェーンが友人のクリスマスパーティのためにパラニャケに出かけてしまい、車が使えなかったのだ。仕方なく、歩きとジープの組み合わせ事務所に戻ったが、途中雨が降り始めた時は、少々あせった。ジェーン曰く、「クリスマスパーティ真っ盛りで、人々は忙しくて、仕事どころではないのだ」と。 今年の年末年始の休みは24日(水)のクリスマスイブの特別休日から始まる。そして、25日(木)がクリスマスで休日、26日(金)はブリッジ休み、27日(土)と28日(日)をあわせると実に5連休となる。 29日(月)は平日だが30日(火)は英雄リザールの処刑の日で休日、31日(水)は一年の締めくくりの日で休日、翌年、1月1日は新年の休み、2日(金)はビリッジ休み、そして3日(土)と4日(日)を加えて、これまた、実に6連休となる。 5連休と6連休の狭間の29日(月)に働こうとする人はいないので、結局、24日から4日まで、12連休を取る人がほとんどだ。ちなみに、23日(火)は天皇誕生日で、日本大使館は休み。そうなると22日(月)も休んで、20日(土)から4日(日)まで、16連休が実現してしまうことになる。そんなに休んだとしたら、その間、一体何をしたらいいのか悩ましい、あるいは、商売をしている人は、半月も営業を止めたら死活問題だ。 したがって、今年は、15日の週と、22日(月)、23日(火)そして29日(月)しか残っていないことになり、PRAの玄関には、今年は22日、23日、そして29日しか営業日がないこと、そして来年の営業開始は1月5日(月)であることを誇らしげにアナウンスしていた。 しかも、最近のニュースでは、来年、1月15日(木)から19日(月)までローマ法王が来比するということで、首都圏に大渋滞の発生がする恐れがあり、MMDA(首都圏開発局)が、その間、5連休にするよう大統領に提言することが決まったそうだ。こんな休みばかりで、フィリピン経済はどうなるのだろうかと、余計な心配をしたくなる。 一方、この年末年始の大型連休を前に、KIANと言えば、サンタの大きな靴下を毎朝、調べるのが楽しみだ。4歳と9月目を迎えたKIANは、靴下の中にプレゼントを見つけると、「サンタがくれた」と、疑いもなく喜んでいる。         PRAの玄関に誇らしげ掲げられた年末・年始の営業日のアナウンスは、当方にとっては非情とも映る(左)。KIANはサンタの靴下をクリスマスプレゼントを生み出す魔法の袋とでも思っているのだろうか(右) マカティ北に位置するロックウエルは元発電所、その跡地に20年ほど前、最高級のコンドミニアム街が出現した。パワープラント(発電所)モールは小さめながら、高級感を漂わせる。  すべての店はクリスマスの飾り付けで覆われ、そこかしこにクリスマスのオブジェがしつらえられている。            サンタの出現にKIANは大喜び、サンタはKIANに「月曜日には幼稚園に出かけて行ってクリスマスプレンゼントをあげるからね」とささやいた。もちろんこれはジェーンが頼んだもので、私がトイザラスで買ったトランスフォーマーのおもちゃのことをさしている。KIANは、そんな作り話を素直に信じて、両手を挙げジャンプして奇声をあげて喜んでいた。  

年末年始の大型連休 2014年12月14日



先週、再び、昨年の台風ヨランダ(台風30号)に匹敵する猛烈な台風がやってくるというニュースが流れた。週末にヨランダと同じサマール・レイテ地方に上陸し、そのままビサヤ地方を横断、あるいは首都圏に向かうと予測された。昨年、ヨランダの甚大な被害を経験した大統領は、今度こそはと、広範な避難を呼びかけ、数十万人の人を避難させ、万全を期した。 台風ルビーは、6日(土)、7日(日)には首都圏を通過し、週明けには、平常になるものと予測された。当方としては、週明けに退職者のビザの発行を予定しており、自然災害とはいえ、切羽詰まるものがあった。この退職者のチケットの予約変更のためにフィリピン航空とすったもんだした挙句の果てに、ようやく10日(水)に席がとれてほっとしたという、いきさつがある。 台風ルビーは、上陸寸前に速度を落とし、6日(土)にサマール・ビコールに上陸した。コースが北にずれたために、ビコールの農場も暴風雨圏に入り、停電のため、連絡がとれなかった(ちなみに、強い台風が近づくと電力会社は、あらかじめ、電源を切って停電にしてしまう。台風が過ぎてから、送電・配電設備の無事を確かめながら送電を開始していくのだ)。その日の夕方連絡がとれたが、かなり強い風が吹いたものの、農場の被害はわずかだったと聞いて安心した。 サマール・ビコールを横切ってから、台風ルビーはさらに速度と勢いを落とし、まさによちよち台風となった。そのため、首都圏接近は2日ずれて、8日(月)の夜と予測された。8日の新聞では、ヨランダのトラウマから、政府が住民の避難に躍起になっている報道がなされてた。そして、もっとも恐れいてた学校の一斉休校が報道されており、この日、官庁も全部休みになる公算が大きい。退職者には、10日(水)に予定を変更する際、いつ雨が降るとといって官庁が休みになるかもしれないからと、一日の余裕をみることをアドバイスしたのだが、まさにそれが現実になってしまった。 それでも念のためと8日の朝、PRAに行って見ると、ドアはむなしくも硬く閉ざされたままだった(右)。ドアの前では日本から着いたばかりの退職者が、ため息をつき、ビルの警備員は、PRAは休みであることを必死にPRA訪問者に伝えていた。新聞は、大被害を予告するニュースを載せている(左) さらに、よちよち台風は、10日(水)まで居座る公算が強く、9日(火)も官庁は休みになり、10日(水)のフライトも危ぶまれるという。そのため、件の退職者と連絡を取って、フライトを台風が来る前、今日(8日)の午後に変更してはどうかと提案した。この方は、仕事の都合上、どうしても10日までには帰らなければならないというのだ。 フィリピン航空のチケットオフィスに行って相談したが、フライトの変更は可能だが、誰も10日のフライトの状況は予測できない。しかし、ここで気がついた問題は、パスポートがPRAに預けてあって、それがなければ飛行機にも乗れないことだ。しかし、PRAの事務所には誰もいないので、パスポートの入手は至難の業だ。結局、この案もリスクが大きいということで、静観して天に祈るしかないという結論になった。 官庁が休みになっていつもの交通渋滞がないため、退職者をボニファシオ・グローバル・シティのアメリカン・セメタリーに案内した。まさに都会のど真ん中に位置するここは、ほとんど人もおらず、静かにたたずんでいた。 一方、相棒のジェーンは、こともあろうに、息子KIANを連れてMall of Asiaにスケートに行ったという。こんな時に不謹慎と思ったが、「全国の聖職者が神に祈りをささげて、台風ルビーがよちよちになったのだ」とうそぶいている。たしかに夜半になっても、一向に風も雨も強まる気配はなく、ジェーンは、KIANはスケートの才能があると、喜んでいたが、当方は、台風の動向に気が気ではない。 結局、官庁は、8日(月)何の意味もない臨時の休日を行ったのだが、翌日、9日(火)の朝、運転手のボボイは、今日も官庁は休みだという。ジェーンに聞いても、前日やケーブルTVの故障で情報はないという。しかし、一縷の望みを持ってPRAに行ったら、そこはいつもの通り営業中だった。そうなると今度は、この日の内にビザを発行して、退職者が晴れて、当初の目的を達成し、予定通り、日本に帰れるようにするのが当方の役割だ。相棒のジェーンの大車輪の活躍で、なんとかやり遂げることができ、退職者には大いに喜んでいただいたが、当方の面目躍如といったところだった。 台風の記事に気を取られたが、同じ紙面には、もっと影響の大きい情報がのっていた 結局、首都圏には、何の影響も与えることなく過ぎ去った台風ルビーだが、台風ヨランダのトラウマにおびえる政府は大げさな避難活動を行い、官庁を休みにして、右往左往させられたのは我々外国人だった。しかし、特に在留邦人にとってもっと衝撃的だったのは、この時、1万円が3660ペソという、7年ぶりの安値をつけたことだ。ここ数年、5200~ 300ペソを推移していたので、30%以上の収入の目減りで、実に収入が3分の二になってしまったのだ。

台風22号(ルビー)が首都圏を直撃 2014年12月13日


「2014年12月13日追記」 このブログを書いて数日後アティ・キムが一通の書類を見せてくれた。幼稚園で書いたサンタ宛のKIANの手紙だ。なかなか読めなかったが、そこには「僕はとてもいい子にしていたから、プレゼントにロボットをください」と幼稚な文字で書かれていた。KIANはすでに文章を書くことができるとアティ・キムは、話していた。KIANがABCが苦手だと思っていたが、どうもそれは杞憂のようだ。  翌日には、そのプレゼントを幼稚園に届けて、15日(月)のクリスマス会に間にあわさなければならないというので、その日、早速、新装成ったグロリエッタのトイザラスを目指した。このToysRusが皆、読めなくて、Toy for Usとか、わけのわからない読み方をしていたが、当方は、誇らしげにトイザラスと読むのだと教えた。 KIANの手紙はほとんど判読不能だが、彼が文章を書けるとは思いもよらなかった。多分、見本を書き写したものだろうが、言葉を文字で書くという概念が大事だ(左)。トイザラスの店員は一つ物を売るのに10分くらいかかって、全くの新米で往生した。また、この店はいつごろ開店したのかという問いに、店の開店時間である11amと答えるばかりだった。ちなみにトイザラスはSMのすぐ近く、2階にある。 しかし、すでに夕方の5時半、ラッシュアワーだ。家から歩いて10分ぐらいのところで、車は全く動かなくなり、あきらめて、歩いて家に帰った。運転手のボボイが戻ってきたのは、なんと7時を回っていた。 翌朝、といっても10時過ぎに再びグロリエッタに向かった。しかし、トイザラスの場所を聞いても、ほとんど誰も知らない。それは、この3年間、改修工事を行っていたグロリエッタ(1)が新装オープンにしたばかりだったのだ。外側にはHoliday Innやワタミなど新しいホテルやレストランが開店し、その対面には高層のコンドミニアムが完成間近だ。ガス爆発事件以来、再開発が続いていたものだが、マカティ・コマーシャル・センター/アヤラセンターの顔として生まれ変わったのだ。      グロリエッタの中央には吹き抜けの大きな広場があるが、改装された部分は、大きなイベントホールとなっていた。グロリエッタの外、パサイロードとの間には、高層コンドミニアムが完成間近だ。 KIANがこのままでは留年させざるをえないと、幼稚園に脅かされて、ママ・ジェーンはKIANに家庭教師をつけた。週、3回 一回、一時間、時間400ペソで、月々5000ペソ程度、少々負担になるが、しばらくの間ということで決心した。そして、約2ヶ月が経過した。とてもやさしそうな、いかにも子供に教えることをプロとしているといった感じの先生でKIANも大好きだ。 教えることは、もっぱらABC、abc、で、その文字の発音と呼び方だ。26文字x2の52文字を毎回、繰り返すだけだ。しかし、それでは、飽きてしまうので、歌のように唱えたり、正解すると床のマス目を一歩進めるとか、先生は、色々と飽きさせない工夫をしている。KIANにとってはそれが楽しいようだ。 事務所で、教えているので、私も気になってパソコンの画面の脇から、そっと観察しているが、2ヶ月間、ABCから次のステップへは進んでいない。KIANにとってABCを覚えるのは相当苦労のようだ。幼稚園を一年間さぼった罰かもしれない。しかし、二人は、しっかりと英語で会話しているのに、今更、ABCを唱えるのは、日本人にとってはいかにも違和感がある。2ヶ月もたったのに、先生はKIANは「A little bit improved.  少しだけ進歩した」、と評していた。 […]

KIANはABCに苦戦 2014年11月30日



モールと言えば、映画とゲーセン(ゲームセンター)はつきものだ。中でも、マカティ グロリエッタのゲーセンは群を抜いている。KIANも、ここが大好きだ。恒例のサイカでのランチの後、KIANにおもちゃかTime Zoneかとたずねたら、間髪をいれずにTime Zoneという答えが返ってきた。 私自身は、ゲーセンブームのかなり前に育っており、かつ、子育て時代にも、ゲーセンはブームとなっていなかった。思い出すのは、せいぜい、お祭りの夜店くらいのものだ。フィリピンに置いてあるものは、セガなど、ほとんどが日本で使い古したものを改造したもののようだ。しかし、中には最新のキャラクター、トランスフォーマーなどもあるが、これらの看板のゲームは、使い古しではなさそうだ。 4階は映画とゲーセンで、入り口ではカードにポイントをロードしてもらう。3人で1000ペソロードした。ゲームの景品の切符で再度ロードすることができる。 入り口にはトランスフォーマーのコーナーがあった。ここの売りらしい。 画面にあわせてダンスをする少女たち 小さい子供用の乗り物などもある 日本にあるかどうかわからないが、バスケットボールをゴールに入れるゲームが人気がある(右) KIANはヤヤ・ドナに見守られてゲームに夢中だ トランスフォーマーのゲームをゲットしてご機嫌のKIAN シェルのプロモのディスプレイの前で記念撮影

フィリピンのゲーセン、TIME ZONE(グロリエッタ) 2014年11月29日


昨夜、ビッグ・マミー(相棒のジェーンのお母さん)の髪が赤いのに、ふと気がついた。マミー(ママ・ジェーン)に聞いてみると、グスト・コ(好き、したい)と回答しただけだった。ジェーンとしてもお母さんに少しでも若く、きれいでいてほしいと言う娘心なのだろう。 長髪は若い娘の特権なのか、マミーともなると、皆、髪は短くしている。しかし、茶髪ブームは老若男女に共通のようだ。左がビッグマミー、右がマミー。 ちなみに、ビッグマミーは孫のジェムジェム(ジェーンの弟、ボボイの子供)とともに、一ヶ月ほど、我が家に滞在している。その前、一週間おいて、一ヶ月以上滞在していたから、かれこれ3ヶ月、ほとんど続けて滞在していることになる。その目的は定かではないが、特に田舎(ビコールノ農場)にいなければならない理由もないので、好きにしているのだろう。 相棒のジェーンは、我が家ではマミーと呼ばれ、我が家のボスとして君臨して、我が家のメンバー全員は、マミーの許可なしでは何もできない。しかし、ジェーンのお母さんの登場で、区別が付かないので、お母さんはビッグ・マミーと呼ばれ、やはり、義理の孫にあたるキムやヤヤ・ドナに指示を飛ばしている。本来ならばロラ(おばあさん)なのだが、農場では、現役でマミー役をこなしているので、まだまだ、引退してロラにはなっていないという意思表示なのだろう。 キムの同級生は長髪で一部茶髪だ 話を茶髪に戻すと、確かに最近、やたらと街に茶髪があふれているのが気にはなっていた。若い女性のほとんどが髪を染めている。20年ほど前に、日本で茶髪ブームが巻き起こったころ、フィリピンでは、長い黒髪はフィリピン女性の誇りであり、美の象徴だった。私は勝手に茶髪文化はフィリピンには受け入れられないものと信じていた。 しかし、昨今、あるいは今年に入ってから、にわかに茶髪が目立つようになり、あの1メートル近い長髪を見事に茶色に染めている女性も目に付く。カラオケに行っても、ほとんど100%のGRO(ホステス)が髪を染めている。 キムの友達は、服装を替える様に、髪の色や模様を替えて、まさにファッションとして着こなしている 流行に敏感な10代ともなると、女子大生の大半が髪を染めているそうで、キムの通うマプア工科大学でも茶髪はもちろん、金髪、赤毛、果ては青や緑の多色髪のオンパレードだそうだ。キムのコメントによると、火付け役はK・POPやJ・POPあるいはゴスプレイやアニメで多分に日本や韓国の影響によるものとのこと。ちなみにキムは黒髪のままだ。            まるで、その日のできばえを競うようだ             

フィリピンにも茶髪ブームが到来 2014年11月29日



フィリピンでは1歳と7歳の誕生日が特別な意味を持つ。日本の七五三のようなものらしい。KIANの一歳の誕生日では、農場で150人もの人を招待して盛大に催したが、この日は近所の子供、Luigi君の7歳の誕生日に招待された。 City Garden Hotel屋上レストランを借り切って行われて誕生会は、50人くらいの招待客でにぎわっていたが、ピエロやマジッシャンを呼んだ豪華なものだった。子供達は、ピエロやマジッシャンのパフォーマンスを楽しんでいたが、4歳のKIANもお兄さんやお姉さんに混じって負けずに参加していた。 KIANも7歳になったら、これに負けない誕生会を開かなければならない。きっと、レガスピの丘の上の土地に計画/希望しているレストハウスで、盛大に開くことになるだろう。3年後のブログに期待してほしい。 こんな誕生会を催してもらえるのは、中間層以上の子弟だが、フィリピンの子供に対する投資は日本の比ではない    マカティアベニューに位置するCity Garden Hotelの屋上からは、マカティの中心街を眺望する絶景だ        Happy Birthday Luigi~~~~~~と、どれだけ息が続くかのコンテストだが、KIANは、それが理解できず、Happy Birthday to youの歌を歌うだけだった。それでもアティ・キムは、たても上手とおだてて、KIANとしては達成感を感じたようだ。司会者は、KIANに「名前は何ですか」と日本語で聞いて、聞かれたKIANはどぎまぎしていた。私が、うろうろしていたせいか、てっきりKIANを日本人と思ったらしい。     子供達はマジッシャンのパーフォーマンスを真剣に見つめている。その後は、早めの夕食、子供向け料理に舌鼓をうつ 恒例の記念撮影の後は、プール遊び。この日KIANは水着を持ってこなかったので、誘惑に駆られながらも決して泳ごうとはしなかった。パパカーネルはパンツで泳げと促したが、すでに恥じらいを覚えたKIANは決して首を縦に振らなかった。翌日、私がKIANの水着を買いに言ったのはいうまでもない。 6時ごろにはすでに暗くなり、マカティアベニューやビル街の夜景がきれいだ           フィリピンで一番高いとされる新築のコンドミニアムが夜空に浮かび上がる。ホテルのクリスマスツリーの前で記念撮影におさまるKIAN

KIAN、誕生会に招待される 2014年11月23日


恋も戦いと一緒で、前進、すなわち、それを成就させるための努力は楽しくて、何の苦もないが、恋が破綻して手仕舞いする時は、戦いに負けて退却するのと一緒で大きな苦痛と痛手がともなう。 フィリピンの若者が恋をするとき、男のアタックは強烈で、女心をとろけさせる。特に10代となると、やりたい一心で、身も心をささげる。こんなに愛してくれるならと、女は、なけなしの処女をささげてしまうのだが、それが悲劇のもととなる。フィリピンでは避妊をきらい、堕胎は殺人だから、恋=セックス=妊娠=出産となる。妊娠となると、生涯の愛を誓った件の色男は、手のひらを返したように、トンずらしてしまう。子供を生み育てる使命を神から授かった女は、子供のために、それこそ、身も心もささげなくてはならなくなる。それでも女たちは、子供がいて幸せと感じる。 彼らの別れ方はいたって簡単で、男は女との一切のコミュニケーションを絶つ。携帯電話番号も代えてしまう。なまじ、別れ話を持ち出して女に納得させようとか、手切れ金を渡そうとか、余計なことは考えない。1~2ヶ月もなしのつぶてを続ければ、女もあきらめる。子供がいなければ、女も次の相手を探すから、それで済むのだが、子供を作って、相手の人生を台無しにしてしまったとなると、そうは行かない。どっかでばったり会ったりしたら、ずぶりとやりかえされるから気をつけなければならない。 KIANは、若い女、ヤヤ・ドナ(20歳)とアテ・キム(18歳)に面倒を見てもらって、男冥利につきる これが、日本人だったら、そうはいかない。女を孕ませて、例え、日本に帰ってしまったとしても、NPO法人を名乗る日本人が現れて、あの手この手で、責めて来る。認知していようがしていまいがDNA鑑定なるものがあるから、そう簡単には逃げ通せない。特に、役人や大企業に勤めている場合は、世間体というものがあるから、結局、数百万円レベルのお金で和解となる。もちろん、和解金の半分はNPOの取り分になるのは必定だ。 ならば、大多数のシングルマザーを作り出したはずのフィリピン人の男は何故追及されないのか。それは、いたって簡単な理屈で、幾ら追求したとしても、取るべきものが何もないからなのだ。そんな馬鹿なことに女は時間も金もかけないが、恨みだけは一生続く。 久しぶりにフィリピン人の友人と会うと、ところで、あの娘はどうした、今でもコミニュケーションはあるのか、聞かれる。コミニュケーションがある、すなわち交流、関係が続いているということなのだ。だから、女との別れは、コミニュケーションを絶つ、それにつきる。 ところかまわず姉のアテ・キムとイチャイチャしているKIAN。こうしてKIANは女をくどく手練手管を学ぶのだ 若いみそらをはげ親父にささげて、ある日、「この携帯は使われていません」では、女としても身もふたもない。だから、GRO(フィリピーナホステス)は、大きな魚(熟年日本人男性ないしはげ親父)が針にかかったとたんに、周到な仕掛けをする。それは、一緒に生活するための家を建てようなどと持ちかけるのだ。田舎に両親の土地があるとか、サブディビジョン(団地)の出物があるとか、今の内なら建売が安く買えるとか、あるいは、おじさんが建築屋で安く建築できるとか、様々な有利な話を持ち出して攻めてくる。 はげ親父は、若い彼女との甘い生活を夢見て口元と財布の紐が緩む。退職金の半分程度だから、まあ、いいだろう、これで彼女との絆も深まるだろう、などと、ますます鼻の下を長くする。 しかし、そこに女のしたたかな作戦がある。フィリピンでは、外国人は土地が買えないから、土地付き一戸建ての名義は彼女とならざるをえない。だから、彼女たちは、外人でも所有できるコンドミニアムの購入は決して勧めない。自分名義の家を建てる、あるいは買ってしまったら、例え、ある日突然、携帯が「この携帯は使われていません」とささやいても、にやっとするだけだ。これで、名実ともに家が手に入った、はげ親父なんていないほうがせいせいする、とほくそえむ。彼女から三行半を突きつけられる場合もあるが、そんな時、件のはげ親父は、騙されたと歯軋りするが、それこそ、後の祭りだ。 最近、用意周到に準備した書類で、女のしたたかな作戦を、こなごなに粉砕した賢い退職者がいる。別れの原因は二股かけていた女の方にあるのだが、上述の仕掛けは、しっかりとかけられており、女としては準備万端だった。しかし、その退職者から、PRAの預託金を使用したいという相談が私にあり、女の仕掛けに対して、逆仕掛けをしたのだ。退職者は、半信半疑だったが、そんなこともあろうと、素直に私が作成した書類に彼女の署名を取りつけ、準備万端としたのが功を奏した。 そして、2年後、まさに、そのときが来た。女の二股作戦に業を煮やした退職者は、彼女名義の資産をすべて売却し、始末してしまった。それを知った女は当然、金切り声をあげて抗議したが、後の祭り、退職者の携帯は冷ややかに「この携帯は、使われていません」を繰り返すだけだった。 息子の見送りに一族の子供達がマニラにやってきた。彼らが息子の家族となる日も遠くない その仕掛けの逆仕掛けとは下記だ。 […]

フィリピン流恋の手ほどき(その5 賢い別れ方)2014年11月23日