Monthly Archives: March 2014


3月も後半になると夏真っ盛り、毎日暑い日が続き、日中に外に出るのがはばかれる。そんな今、フィリピンでは全国的に卒業式のシーズンだ。これが終わると長い夏休みが始まり、6月早々に新学期を迎える。3月26日はKIANが通う幼稚園の卒園式だった。いつもサボってばかりいるKIANだが、こんなときだけは張り切っている。1週間後の3月31日には4歳の誕生日を迎えるKIANの晴れ舞台だ。 この日は、いつも多忙でほとんど家にいることのないパパ・カーネルが半日休暇をとって息子KIANの晴れの姿を一目見ようと式に参加した。もちろん、ママ・ジェーン、それに姉のキム、ダダ(私)、さらには私の息子と、総勢5人の大人が式に参列した。KIANは2012年8月(2歳と5ヶ月)から通園を開始したので、約1年半通ったことになる。今年の6月からは近所の本格的な幼稚園に通うことになっており、卒園というよりも保育園のお別れ会といった雰囲気だ。          昨年の終了式では五つくらいの表彰状をもらったそうだが、今回は最後に「Most Active Award(大変元気だったで賞)」という、とってつけたような表彰だった。確かに終盤はほとんど幼稚園には通わなかったし、Active(元気)であることは間違いない。それでも、表彰状を渡すために先生がKIANの名前を呼ぶと歓声をあげて表彰台によじ登り上り、父兄の喝采を浴びていた。 他の児童は、ちゃんといすに座って行儀がよいが、KIANだけが、ちょろちょろと動き回って、悪く言えば落ち着きがない。しかし、それが子供らしくて好ましく、他の子供には精気がなくて三つ四つの子供とは、とても見えない。こんな子供たちばっかりではKIANが幼稚園をさぼってばかりいたのもうなずける。 フィリピンは、プラック(表彰状)社会と言われ、学校でも会社でも生徒や社員を何かと表彰する。悪いところを探すのではなくて、なにかよいところを見つけて表彰する、この習慣は幼稚園でも始まっているのだ。KIANの喜びようを見ていて、なかなかよい習慣だと思った。         そういえば、ここ2~3日、ヤヤを見かけない。ジェーンによると、娘の小学校の卒業式に田舎に帰ったそうだ。給与を前借して一週間ほど田舎に帰っているという。一方、2~3日前、ジェーンの兄のアランが、家に来ていた。娘のハイスクールの卒業のために田舎に帰っていて、お土産に農場から米を一袋持ってきてくれた。娘といっても別れた妻の実家に引き取らせて、金銭的にもまったく面倒を見すにほったらかしなのに、卒業式だけはわざわざ田舎に帰って出席したのだ。 卒業式は、子供にとって、大変大事な行事で、親は何が何でも出席するのがフィリピンの慣わしだ。考えてみると、自分の卒業式に親が参加したというのは全く覚えがないし、自分が子供の卒業式に出たことも一度もない。まあ、出席したいと言っても子供が拒否するだろうが。 フィ リピンでは、バプティスマル(洗礼式)に始まって、1歳の誕生日、幼稚園、小学校、ハイスクールの卒業式、18歳のデビュー(女の子の成人式)、大学の卒 業式、そして最後に結婚式と、親の参加は必須だ。締めくくりは葬式だが、その後も墓地で、毎年、万聖節(All Saint […]

KIANの卒園式 2014年3月30日


毎週土曜、恒例となっているサイカでのKIANとのランチで、料理を待っているとき、KIANが突如として、「ダダはガールフレンドがいるのか」とただならぬ発言をした。発言の根拠は、私が、その時、KIANを無視して携帯のテキスト(携帯メール)に集中していたためだった。私が発信していた相手は客だが、KIANにしてみればテキスト=ガールフレンドと思っているのだ。 その根拠は、以前、しばらく我が家に居候していたママ・ジェーンのお兄さん、アランがテキストしているのを見て、KIANが「誰にテキストを送っているのか」と聞いたら、アランおじさんは正直に「ガールフレンド」と答えた。そういえばボボイおじさんも携帯を一時も離さず、常にテキストにいそしんでいる。彼らにしてみれば、他にやることもないから、ガールフレンドと一緒にいないときは、ほとんど一日中、テキストで会話しているようだ。ちなみにアンリ・・・・と称して、携帯電話会社各社は同じ携帯電話同士であれば、一日十ペソのロードで無制限の(Unlimited=アンリ)テキスト、25ペソなら無制限の会話もできるサービスを提供している(スマートの場合)。だから、一日中、テキストにいそしんでいられるのだ。 コンドでは、次々と赤ちゃんが誕生して、KIANはもはやお兄さんだ。この双子は男と女で、一卵性双生児ではない。しかし、瓜二つだ。 そういえば、ママ・ジェーンもほとんどの時間を携帯とにらめっこをしている。彼女はI フォンを利用しているので、テキストばかりではなくて、E-メール、Face Bookやさらには新聞などを読むのにも利用している(ちなみに事務所兼住居の我が家には複数のパソコンでインターネットを利用できるようにWifi環境を整えてある)。もちろん、友人あるいはパパ・カーネルとのテキストもあるが、私にも、時に大量のテキストを送ってくる。たとえ、二人とも家にいる時でさえも、2階と1階でテキストの交換をしているくらいだ。 私にガールフレンドがいるという話は、KIANからジェーンにも伝わっていた。「KIANが、お腹がすいているのに、ダダはガールフレンドにテキストを送るのに夢中だった。」と、報告したそうだ。さらに、パパ・カーネルには、「マミーは携帯とにらめっこばかりをしていて、ちっとも自分をかまってくれない。」と小言を言ったそうだ。ちなみに、17歳のキムは携帯の所有やFace Bookの利用を禁止されている。それはもちろん、いい寄る虫から彼女を守るための親の算段だ。 私の部屋でテレビを楽しむ子供たち。私の部屋では、小言はないので、子供たちはのびのびと時間をすごすことができる。 フィリピーノがテキストで会話することと言えば、「How are you, Dd you finish […]

ダダ(私)にガールフレンドができた 2014年3月24日



息子が一ヵ月ぶりに日本から帰ってきた。息子の帰還にはピザで歓迎するのが最近の我が家のしきたりだ。この日は、近所で見かけた張り紙のモンスターピザのを試してみることに決めていた。直径3フィート(90cm)の巨大なピザにいたく興味を引かれていたのだ。しかも888ペソは以外に安い。 午後の4時ごろ、キムに注文させたが、いくら待っても誰も電話に出ない。やっと出たと思ったら、マカティのサンアントニオに届けるのならば、別の電話番号にかけてほしいという。そうしたら、やはりうんともすんともない。やっとつながって注文したのだが、その間、約20分、自分が注文したら、とっくに切れてあきらめるところだ。しかし、そこは、待つことに慣れているフィリピン人は、根気良く待っている。ちなみにデリバリーには2時間かかるというが、夕食にはちょうど良い時間だ。 ぴったり2時間後、ピザが配達された。興奮気味のKIANは表に飛び出してきた。直径90cmのピザを家の中に運ぶのは容易なことではない。キムと二人がかりで運んだが、KIANがまとわりついて往生した。この巨大なピザは、まさに6人がけの円形のダイニングテーブルを占領したが、8種類の具が一枚のピザにしつらえられて、たっぷり10人前はある。一体こんな大きなピザをどうやって作るのか、一度製作現場を見てみたいものだ。 飛行機が遅れて6時の夕食時間になっても息子は現れず、待ちくたびれたKIANは箱の脇からピザをちぎって食べ始めてしまった。かわいそうなので、息子の帰還を待たずにピザパーティが始まった。パパカーネルとママジェーンは、友人のパーティで出かけていたが、この日は、特別と、禁酒令を破って、缶ビール開け、私もピザを食べ始めた。         食事を始めて、しばらくして息子が帰った来た。転げるように階段を下りてKIANが出迎え、クヤ・ケイシー(恵之おじさん)と叫んで、息子に飛びついて行った。KIANは息子が大好きなのだ。それから、食事が終わっても、KIANは息子から離れなかった。 ちなみに、ピザの生地は薄手で、フィリピーノの評判は大変良かった。KIANとなると相変わらずピザの縁の硬いところだけをほおばっていた。歯の矯正ブレスレッドで硬いものが噛み切れないキムははさみで細かく切って食べていた。私も食べ過ぎて、寝る前に血糖値を計ったら189もあってちょっと反省した。

モンスターピザに子供たちは大はしゃぎ 2014年3月23日


最近 往年の名クラブ、ミス・ユニバースが復活したといううわさを耳にした。2002年ごろから10年近くお世話になっていたが、2011年6月21日に閉鎖されたことは、このブログでも報告した。その後、オーナーが代わって名前を変えて復活したものの、往年の華やかしころの面影はなく、また閉店、そしてまた開店と閉店を繰り返し、人々の記憶から消えていった。今、マニラで一番熱いとマネージャーが豪語するほど、隆盛を誇ったミスユニバースだった そのミスユニバースが、いよいよ復活したといううわさが飛び交っていた。どうも、女の子達にリクルート攻勢があり、ベイ(もとエイシアン)の子達にも声がかかっていたようだ。そんなわけで夕べ、ゲストと外食したついでに軽く覗いてみることにした。 ミス・ユニバースの命日(6月21日)の翌日、ネオンも消え、さびしげにたたずんでいた。そして8月24日、カンポスという名前で復活したものの、往年の名声を獲得することなく消えていった 表のネオンが壊れていて、名前を確認できなかったが、単なるユニバースという名前になったようだ。入り口では、まず、マネージャーの名前を聞かれたが、まさかいるとは思わず、昔のなじみのマネージャー「トニーボーイ」の名を告げた。そうしたら、いるというのである。 ネオンの一部が消えているが universe GIRLS CLUBというのが正式名称らしい 中に入ってみて、最初に気がついたのが、全体的にきれいで、安食堂のいすとテーブルだったのが全部ソファーになっていたことだ。これなら十分くつろげる。舞台には2本のポールが立っていてポールダンスも楽しめるが、ショーも垢抜けていて、ベイの一枚上を行く。 早速やってきたトニーボーイに詳しく聞くと、提供サービスは基本的に前と同じで、価格体系は、入場料;200ペソ、ビールが90ペソ、レディズ・ドリンクが600ペソ、VIPルームは別途500ペソで使えてカラオケがあるそう。その他の特別サービスも前と同じ料金だそうだ。 しばらくすると、ベイで顔おなじみだった懐かしい女の子が、こっちを見つけて微笑みを投げかけてきた。様子見といってもテーブルに女の子も呼ばないで、様子見にもならないと、ひとり呼び、二人呼び、そして席がいっぱいになってしまった。ここいらで酩酊し始めたので、お開きにしたが、明朗会計は相変わらずだった。

速報ミスユニバースが完全復活 2014年3月14日



最近、ママ・ジェーンからKIANの前ではビールを飲んではいけないというおふれが出た。これは一大事、私の人生の最大の楽しみを奪うつもりかと反発したが、敵もかたくなに主張を繰り返し、パパ・カーネルのきついお達しだともいう。 私の日々の楽しみは、KIANと一緒に食事をとる事で、その時のビールがたまらなくおいしい。夜は、食事中にサンミゲル・ビールの小瓶2本、そして、そのあと寝るまでに2本と大体4本くらい空ける。最近はランチにも1~2本飲んで、少々度が過ぎているかなと思うこともないが。 サンミゲルビール(主にピルセンとライトが人気)は圧倒的なシェアを誇る。私は氷を入れて呑むが、そうすれば、飲み終わるまで冷たくておいしい。ビールに氷をいれて呑んだら、フィリピン通の証拠だ しかし、減らせというのならばまだしも、一気に食事中に飲んではいけないというのはいかにもつらい。もし、飲んだら、KIANを一緒に食事させないとまで言い張る。KIANもママ・ジェーンに洗脳されて、私がビールを飲むかどうか見張っている。先日、ママ・ジェーンがいないので、ヤヤもキムも私にビールを飲むことを勧めた。鬼のいぬまに洗濯といったところだ。 ヤヤも、KIANに「Secret、ヒ・ミ・ツ」と言い聞かせた。KIANはわかったようなわからないような顔をして「Secret?」と繰り返した。うわさをすればなんとかやらで、その時、ママ・ジェーンがちょうど帰ってきた。KIANはママ・ジェーンのところに飛んでいって「ダダ(私のこと)がビールを飲んだ」と言いつけた。「フィリピーノに秘密はない。皆に知ってほしかったら、秘密ね、と言えば、あっという間に広がる」といわれるが、まさにKIANは3歳にして、そんな意識をもちあわせているようだ。 セブンイレブンの冷蔵庫に並んでいるビール。サンミゲルのほかにもレッド・ホース、コルト45、などの地元のビールが並んでいるがキリン一番絞りや朝日・辛口も奮闘している(香港等からの輸入品)。ただし、値段は70~80ペソで倍誓い。レッド・ホースはアルコール度が6.9%でサンミゲルの5%より、高い。そのせいか庶民には人気がある ジェーンの主張は、先日、KIANがパパ・カーネルに向かって「パパもビールを飲め、そうすればダダのように強くなる。」進言したそうだ。ジェーンは「ダダはKIANのアイドルだから、ダダのやることは何でも正しいと思っている。3歳のうちから酒を礼賛するようでは、先が思いやられる」と、カーネルがとても心配している、と言うのである。 そもそもフィリピン人で普段から酒を呑む人はあまりいない。酒を飲むのは誕生日などのパーティだけで、食事をしてから、未明まで飲み明かす。したがって、晩酌という習慣はないようだ。酒を飲むときは外に出て、それなりのところで飲んでいるが、もしかしたら皆、恐妻家だからかもしれない。特に女性が食事中に外で飲んでいるのを見たことがない。普段からビールを飲むのはビア・ハウスのGRO(ホステス)くらいかもしれない。 近所のとろとろレストランは、夜になるとビール酒場になる。GROはいないが、夜な夜な、たくさんの男女がビールとカラオケを楽しんでいる。特に土日は昼真っから、テーブルに大量のビール瓶を並べて酒盛りをしている姿がある もともと瓶入りのサンミゲル・ビールを飲んでいたが、ある日、国家警察の警官がビール瓶が爆発してまともに歩けなくなるような大怪我をした。その情報がつたわるやいなや、我が家では瓶ビールが禁止となり、缶ビールに変更された。缶ビールはサリサリには売っていないので、セブンイレブンかスーパーで買うしかない。したがって22~3ペソで買えるものが、一気に40ペソになってしまった。しかし、今回は缶ビールさえも禁止となったのだ。 KIANがボトルから豪快に飲んでいるのは、もちろんビールではなくてただの水。ビールはコップではなくて瓶から直接飲むのがフィリピン流だ もっとも、禁酒はKIANとの食事中だけの話で、食後は自由というのだが、一滴の酒も受け付けないママ・ジェーンは、食前の一杯が格別だということを知らない。ちなみにジョルビーやマクドナルドなどのファースト・フード系は一切アルコールを出さない。一方、ビア・ハウスと呼ばれる庶民の遊びどころは、もっぱらビールしか出さない。 しかも、そのビールが40~50ペソ程度と格安で飲めて、男性客を呼び寄せる売りになっている。ちなみに、かの高級ナイトクラブ、ベイ・エンターテイメントでさえも110ペソだ。GROのレデイズ・ドリンクもビール(どういうわけかサンミグ・ライト)のみで、だからビア・ハウスのGROは皆ビール腹だ(ただし、GROがのむビール200ペソ程度)。ビール=ビアハウス=GROという連想が働いて世の女性軍はビールを敵視するのではないか、と疑いたくなる。 空港に近い、バクララン、エアポートロード沿いには20~30軒のビア・ハウスが並び、夜遅くなると道路にGROがお出ましして、客を店に引き込んでいる ビール無しの食事も、やってみるとどうってことはなく、その代わり、氷入りの冷たい水をがぶがぶ飲んでいる。一方、我が家は大分前から禁煙で、私は、仕方なくサリサリ・ストアで一本買いをして、外で吸っている。おまけに、ビールも隠れて飲まなければならなくなってしまって、肩身がせまい。しかし、内心、健康のためにはよろしかろうと、あえて我が家のルールに従ってはいるのだが、愛飲家と愛煙家にとっては天国だったはずのフィリピンも、そうとばかりは言っていられないようだ。

我が家の禁酒令 2014年3月12日


NTTホテルといえば、一時パスコがユニットオーナー(退職者)の依頼で退職者がビザ申請の間利用するゲストハウスとして利便を図っていたところだ。パソンタモ通り、マカティ・スクエア(リトル東京のあるエリア)から至近距離で日本人が住むには大変便利で、また、パソンタモ通りから、一歩奥まったところにあるから、返って車の騒音も少なくて暮らしやすい。 最近はマネージメントが変わって、エレベーターにはIDカードを差し込まないと作動しないなど、セキュリティがしっかりして、以前と比べて住みやすいコンドミニアム/ホテルに生まれ変わった。その分宿泊料も大分高くなったが、そのNTTにスツジオタイプ(ワンルーム)のオーナーとしてお住まいの方が、勤める会社の事務所の引越しに伴ってユニットを売却をしたいと希望している。2014年4月10日、本ユニットは売却先が決定しました。 NTTホテルの入り口は道路冠水に備えて大分高くなっている 入り口を入るとすぐ左にレストラン、正面右にはレセプションがある、その奥がエレベーターだ ユニットは今時のスツジオとしては大型の32m2で、左をキッチンと居間、右側をベッドと執務スペースとしてうまくレイアウトしている。ベランダもあって、洗濯物も干せるし、窓には網戸が備えられ、蚊などに悩まされる心配も皆無とのこと。オーナーは数年の歳月を費やして、住みやすい快適な住宅に仕上げたと自負されており、是非日本人の退職者、特にお子様連れの奥さん等に買ってもらって大切に使ってほしいと期待している。 左側の居間の部分はベッドとしても利用できる。右側のベッドスペースには大型のダブルベッドが置いてある。入り口からはベッドが見えないように仕切りが設置してある。  居間から台所をトイレの方向。ベッドの脇は執務机が設置されている オーナーは自ら料理することはめったにないそうだが、一通りの調理器具はそろっている。また、お湯は、シャワー、洗面台、台所の3箇所で使える。風呂桶はないが、シャワーはトイレとはスライド・ドアーで仕切られていて、日本人の好みにあっている。                               窓からはマニラ、パサイ方面が望め、モールオブエイシアの花火はすばらしいとのこと。ということは西向きなので、天気の良い日の午後はカーテンをしめて日差しを防ぐ必要があるだろう。その他、パソンタモは雨季には道路が冠水することで有名だが、現在、下水道工事をしているので、完成したら、改善されるだろうと期待されるとのこと。 […]

中古コンドミニアムユニット(NTTホテル)の売却物件の紹介 2014年3月8日



フィリピンでは家の中を蟻やゴキブリが闊歩するのは当たり前のことだ。ゴキブリは捕獲器や毒餌をおいて気をつければ、気にならないほどにすることはできるが、蟻はなかなか退治が難しい。私のベッドの脇のテーブルにも、ちょっと食べ物を落としたりすると、朝、目が覚めると蟻がたくさん寄ってきている。 しかし、ここに来る蟻(だと思うが)は、とても小さくて、肉眼では蟻かどうか識別できない。テーブルの上の点であって、動かなかったら埃かどうか区別がつかないほど小さい。しかし、その動きは活発で通常の蟻と同等の動きをするから、すぐわかる。  比較のために耳かきをおいて撮影したが、耳かきの先の左上と右下にいる。右は拡大写真。    前の写真と同じだが、左の写真のどこに蟻がいるかお分かりだろうか だから、この蟻を指で狙い撃ちにしてつぶすのが日課となっている。しかし、これが気配を感じると、健気に逃げるのだ。ボールペンの点にしか見えないこの蟻に、手足があって、脳もあり、判断して行動する、なんて信じがたいところだ。また、通常の蟻の様に、出会いがしらに情報(餌のありか)を交換しているようにも見受けられる。歩く早さは秒速1~2cm、体長の10~20倍も走る。体長、約2mの人間に換算すると秒速20~40mとなる。  2匹のありが一丁前に情報交換をしている様子だ 拡大鏡で見てみると、確かに手足があって、お腹と頭のふくらみから、蟻のように見える。もしかしたら虱や他の動物かも知れないが、その行動から蟻の類と見れる。 私のカメラではここまでが限界で、まだ、よく実像がわからない そして夕べ、彼らが、まさに蟻である証の行動をしたのだ。私が食べたチーズの長さ7~8mmの屑がテーブルに落ちていたが、それを一匹の蟻が運んでいたのだ。しかもまるで、自分の10倍もあろうかというチーズの屑を軽々振り回しているのだ。動画がアップロードできないのが残念だが、こんな怪力は蟻以外の何者でもない。 左上に蟻がしがみついているが、このチーズの屑を振り回す様は豪快だ 彼らもどこかに巣があって、そこで共同生活をしているに違いないが、こんな小さな生き物にも組織や役割があって、一つの社会生活を営んでいるなんて、なんとも感慨深い。これから、指で狙い撃ちする代わりに餌でもおいて置いてやろうかなどという気持ちになってしまう。 のど飴を砕いておいておいたら、一時間もしないうちに大量のミニ蟻が集まってきた。今度はかなりクリアーに撮影できた。まさに社会生活を営む知能を感じさせる 翌朝、小さな蟻が見当たらず、大きめの黒い蟻が現れていた。数は少ないが、小さい蟻を駆逐してのど飴に食らいついている。大き目といっても普段見かける蟻の中では最小の部類だ。これが秒速5~10cm(人間に換算すると秒速50~100m位)くらいで走りまわってとても可愛げがない。そのため、早速、退治することにした

脅威のミニ蟻 2014年3月2日


お子さんをフィリピンの学校に入れて子育てをしている奥さんの招待で、マカティ、サルセドのコンドミニアムのプールにKIANをつれて行った。ゴム製のプールは経験のあるものの本物のプールはKIANにとって始めての経験だった。一緒に連れて行った双子は、さっさとメインのプールで遊びを始めているが、KIANは怖がって子供用のプールに近づくことさえためらっている。しかし、水遊びが大好きなKIANがそのまま黙っているはずがない。私の手を引いてプールに近づき、あわててヤヤのところへ戻ってくることを繰り返していたが、30分後、ついに子供用プールのへり、10cmくらいの深さの部分に足を入れた。そうなったら水遊びの達人のKIANの独壇場だ。 しばらく、プールのへりで遊んでいたが、この深さは経験済みだから、怖いはずもない。水を足でけったり、浮き袋をつかって泳ぐまねをしたり、いつもの水遊びを繰り返している。その間、約30分。無理強いするのも良くないと思い、そのまま遊ばせておいた。当方は、少しでも涼しい日陰に隠れていた。           そうこうしているうちに他の子供たちが遊ぶ深い部分、といっても、50cmくらいで、KIANの腰ぐらいの深さだが、KIANは足をつっこんだ。このぐらいなら倒れても起き上がれるから危険なことはない。しかし、この深さはKIANにとって未体験ゾーンだ。そこに入ろうとしてバランスを崩して、顔が水につかった。そうしたらKIANはあわててプールから出てヤヤのところに飛んでいて飲んだ水を吐き出す。しかし、強気のKIANは「唾を吐いただけ」と言い訳している。ちなみに唾は「サライバ、Saliva」というが、KIANはこんな言葉も使いこなしている。   泳ぐというには程遠いKIANだが、約一時間、本物のプールを満喫したKIANは、そろそろ帰ろうという声に素直にしたがってプールを出て家路についた。外ではアランおじさんが車でお出迎えだ。それにしてもまだまだ遊びたいとダダをこねたのは双子の方だったが、KIAN、もうすぐ4歳の一夏の経験だった。今後、毎週、恒例のサイカの食事の後はプール遊びになるかもしれない。私も一緒に泳げば、いい運動になるのだろうが、ちょっと気が進まないところだ。しかし、水の中に入ってKIANのお相手をするくらいは良いかなとも思う。

KIANのプール初体験 2014年3月2日



SRRVクラシック・プログラムで退職ビザを取得し、いざ、その預託金を使用してコンドミニアムを購入して、預託金を引き出す段になって、コンドミニアムの開発業者がPRAの要求する書類を用意できないで、預託金の引き出しができないという事態が発生している。         完成間近のSMDC開発のJAZZ、マカティのサルセドビレッジの間近の好立地に開発された巨大プロジェクトだ PRAは退職者の保護のために下記の条件を開発業者に課しているが、この条件を開発業者がクリアーできないのだ。参考ブログ「コンドミニアムの所有期限が50年?2013年11月11日」参照。  ①売り手の名義で個々のコンドミニアムユニットのタイトル(CCT)が存在すること   ②180日以内にタイトル(CCT)を買い手名義に変更するとともに、PRAの許可なしに勝手に売買できないという趣旨の裏書をすること PRAは購入対象のコンドミニアムは価格が5万ドル以上、かつ居住可能であることという条件を課している。この居住可能ということは物理的にコンドミニアムが完成しているとともにタイトル(CCT)が売り手の名義で存在しているということである。 新規開発のコンドミニアムは、それが完成してからCCT発行の手続きが開始される。したがって、コンドミニアムを見に行って、例えそれが出来上がっていても、PRAの定義する居住可能だとみなすことはできない。さらにPRAはユニットのタイトルを180日以内に退職者名義に書き換えるという覚書(Undertaking)の提出を求めているが、種々の事情により、開発業者は、それに対応することができない場合がある。 一方、未完成のコンドミニアム(Pre-Selling)を購入する場合、タイトル(CCT)が存在していなくても、そのプロジェクトがPRAに認定(Accredit)されている場合に限って購入することができる。PRAは、開発業者から履行保証書(Performance Bond)などの提出を求め、退職者が安全に購入することを確認したうえで認定している。 したがって、退職者が、預託金を使用してコンドミニアムを購入する場合、事前にPRAに相談して、この物件を購入可能かどうか(タイトルの存在しているか、あるいは認定されているかどうかなど)確認してから購入を決定する必要がある。開発業者あるいはエージェントはタイトルの不在やその他の不利な条件を明らかにせず、売らんかなの姿勢でせまる。契約後、いざPRAに書類を提出する段になって、開発業者は、いつまでたっても書類をそろえず、いたずらに時間を浪費することになる。挙句の果てには支払い済みの予約金や契約金の一部が宙に浮いてしまうことになることさえある。 コンドミニアムはいまだ建設中だが、一階にはすでにSMのハイパーマーケットなどが開業していた 「事例1」 退職者のAさんはマカティの一等地に建設された財閥系の開発業者から約600万ペソで60平米のユニットを購入することにした。ユニットは完成しており、いわゆる居住可能なユニットだ(と思った)。支払い条件は100万ペソを6回、最後の2回分の支払いにPRA預託金(5万ドル)を使用するつもりだった。予約金は即刻支払った。 エージェントには当初からPRA預託金利用の旨を伝え、PRAの要求する書類を用意するよう指示した。しかし、エージェントからは何のコメントもなかったが、書類の提出は一向に進まなかった。そうこうしているうちに2ヶ月が経過し、2回分の支払いを行った。 […]

SRRV預託金を使ったコンド購入の事例 2014年3月1日