Monthly Archives: July 2014


先日、新たに退職ビザをおとりになったかたから、大量のおそばをいただいた。早速、食べてみたが、大変おいしいので、周りのフィリピーノにも勧めたが、反応は今一だ。一人で食べていたのでは、100束くらいあるので、とても賞味期限内には食べ切れそうにない。 そこで、PRAの創立記念のおりに我が家に立ち寄った鏡さんなどの退職者の方に、おすそ分けをした。皆さん、そばが大好きと喜んでくれたが、まだまだ、大量にある。また、誰かにおすそ分けをしようと思ったら、ジェーンからストップがかかった。 子供達が、そばつゆのかわりにスパゲッティソースで食べたら、大好評だったというのだ。せっかくのそばをスパゲッティソースでは、誰しも、もったいないと思うだろうが、そばは健康によいし、KIANが喜んでいるとなっては、NOと言えない。実際に、食べてみると、たしかにまんざらでもない。名づけてそばゲッティは我が家の定番料理となった。 そばとスパゲッティソースの組み合わせ、まるでゲテモノのようだが、意外といける そばゲッティ・セカンドバージョン、私のために野菜たっぷりのそばゲッティを料理してくれた。 右は、お客さんのお土産のJaw Bonesという組み立ておもちゃに夢中のKIAN。色々組み合わせて形ができるので、レゴのように子供の創造力を養う教育的おもちゃだ。しかし、これが35ピース入りで5500円もすると後で知ってびっくりした。 先日、ラスピニャスにお住まいの退職者を案内して、ビコールの農場を訪問した。いずれ紹介するつもりだが、ジェーンがレガスピ市の丘の上の土地を手に入れて、その契約に行くというので、同行したものだ。ジェーンは、先日、3~4日、同じ用事で家を留守にしたが、KIANがさびしがっていたので、今度はKIANを同行したい。しかし、KIANの面倒を見る人間が必要なので白羽の矢が立ったのが私、いわば、子守(ヤヨ)として同行させられたのだ。 同行した退職者は、農場のお米がおいしい、そしてどの料理もおいしいと、大変喜んでくれた。そこで、お土産に2kgのお米をあげたのだが、その後も継続して買いたいという。そして、PRAの創立記念においでになったおり、ビコールの農場から送ってきたお米、5kgを46ペソ/kgで売ったのだが、しめて230ペソの売り上げ、この程度の収入ならプレゼントしたほうがましだと思った。 そのほかにも農場でとれた、アボカドとバナナが送られてきた。今まで、いつ農場に行っても、まだ収穫するには時期尚早で次回の楽しみとした。そして、次回行ってみると収穫も終わって何もない、ということが繰り返されてきたのだ。そこで、収穫したら、すべてマニラに送ることという指令をだした結果が今回だ。しかし、おすそ分けで、あっという間になくなってしまい、やっぱり、味わうことができそうにない。 農場で取れたアボカドとバナナ、おすそ分けで熟れる前に瞬く間になくなってしまった。 タガイタイから来た退職者の方からいただいたパイナップル。スーパーにあるものに比べて、外観がとても新鮮できれいだ。もちろん味も格別だ。右の写真はチョコレートとピリナッツ、カーネルのお母さんがつくったものらしいが、まるで砂糖の塊で、私には今一だった。 本文とはあまり関係ないが、ラスピニャスの退職者を訪問した折にたちよった日本料理店KEI。マカティスエアの本格和食レストランで食べなれている私には、ちょっと違和感のあるメニューだったが、味は、案外いける。お勧めの味噌ラーメンは昔、仙台のラーメン屋で食べた洗面器ラーメンのように大型だった。

新作料理、そばゲッティ 2014年7月13日


2014年7月4日、第29回、PRA創立記念パーティが開催された。今回のパーティは3年ぶりになるが、PRA職員、マーケッター、10年あるいは20年目など節目の退職者など、限定的な招待客に限定されたパーティだった。私は、今回の表彰の目玉の鏡さんのお父さんの招待に成功したという功績で、Shiga and Familyという招待状をもらって、キムやKIANを引き連れて参加した。他にも5~6名の退職者の招待枠をもらって、皆さんに楽しんでもらった。ちなみに、鏡さんのお父さんは101歳、PRAの会員としては最高齢、さらにフィリピンに在住する日本人の最高齢というわけで、日本政府からも、つい最近、表彰されたそうだ。 今年のPRAのロゴはかなりあっさりしている。パーティ好きのKIANは緊張気味であごを突き出している。 会場はロハスブルバード沿いのGolden Empire Towerだが、そこに一時間遅れで到着するころ、PRAのGMの秘書から、TV局がインタービューのために待っていると催促の電話がかかってきた。この日、某TV局が取材に来ていたのだが、二人の退職者/マーケッターの一人としてインタビューの依頼を受けていたのだ。PRAの活動に協力している外国人の話をTVプログラムの一部として流したいということだ。 こんなチャンスを見逃さないジェーンは息子のKIANを抱きながらのインタビューの演出に成功。本人もTVに出たくて仕方がないのだが。かなりのスタッフに囲まれてのインタービューだったが、私は、中の会場でのパーティの演説がうるさくて、司会者の英語が聞き取れず往生した。ちなみに、いつ放映されるのかあるいはされたのか、いまだに不明だ。 会場へ入ると、退屈な演説は終わっており、退職者の表彰に移っていた。10年、20年、そして最長は、25年、1985年にPRAは創立され、4年目の1989年にビザを取得した場合、25年勤続となる。PRA日本人クラブ会長の家田さんが名誉ある25年勤続として表彰されていた。1989年といえば、現役だった私が、初めてフィリピンに来て駐在を開始した年だ。表彰の目玉は、101歳の鏡 末吉さんだ。アナウンサーは「なんと、一世紀と一日!」と驚きのメッセージを送っていた。日本では100歳というのは、さほど珍しくはないが、フィリピンではかなりまれなことらしい。 鏡さんを囲んでカガヤンデオロの議員さんとPRAのGMらが記念写真。外の会場では着飾ったPRAのきれいどころがポーズを取る。 この日のパーティはダンス、手品、さらにはプレスリーなども出演して、かなり盛り上がった。特にカガヤンでオロの議員さんの歌と踊りにやんやの喝采だった。 PRA GMのVIPのテーブルにキムとKIANをちゃっかりと同席させてご満悦のジェーン 会場の3箇所のビュッフェには普段と違い、かなり大量の食事が用意されていた。オープンテラスにもたくさんの席が設けられて、もっとたくさんの退職者を招待してもよさそうだった。 パーティは予定を一時間オーバーして7時ごろお開きとなったが、鏡さんは特等席で最後まで出し物を楽しんでいた。キムやKIANもちゃっかりと隣に座ってはしゃいでいた。

第29回PRA創立記念パーティ開催される 2014年7月13日