Monthly Archives: October 2014


マニラ空港(NAIA)、ターミナル3の目の前にあるResort Worldには、てっきりカジノがあるだけと思っていた。しかし、そこは高級ブランド店が立ち並ぶ立派なモールで、食事や映画も楽しめる高級社交場だった。 この日、カーネルも休みで、久しぶりにホテルでブランチを楽しもうと提案したら、ジェーンはResort Worldに行ってみたいと言い出した。そこは、カジノだから子供は入れないと言うと、素敵な食事どころがあるということなので、皆で出かけることにした。 入り口にはスーパーカーが10台ほど陳列されており、いかにも別世界の感を呈していた。カジノを横目に置くに入ると、まさに名の知れた高級ブランド店が立ちならんでいる。そんなところに用はないので、2階、3階に上がっていくと、確かに普通のレストランが並んでいる。さらに映画館、ゲームセンターもあり、ちょっとお金のありそうな庶民が楽しんでいた。 おなじみのど派手な看板が目を引く。その前の駐車場には、アウディ、ベンツ、BMWなどのスポーツカー、さらに、マセラッティ、ポルシェ、ランボルギーニなどのスーパーカーが並べられ、いかにも高級感をかもし出していた。 カジノは、もちろん18歳未満は入場禁止。せめてもと記念写真を撮る 一階、中央通路には流行の映画の主人公の人形やレゴで作った街などが陳列されKIANを喜ばせた。        2階に上る階段にはディスプレイが施され、動画が映し出されるという面白い嗜好だ。 アジア各国の料理が楽しめるジョニー・チューというレストランで食事をすることになったが、メニューはほとんど肉で、健康志向の我々には選択に窮した。KIANにとってはパンシット広東(焼きそば)がありさえすればご機嫌だ。 ヨーロッパ風にアレンジされた中庭は、催し物の会場のようだ。 2階の中庭では来週に迫ったハロウィンにちなんだ催し物があるようで、悪魔の衣装に身を固めた子供達が集っていた。       ゲームセンターを見つけて夢中でゲームに励むKIANだが、4歳のKIANに適したゲームはあまりなかった。    雨上がりのスカイウエイから眺めるマカティ、そしてボニファシオは非常にクリアだった。 […]

Resort World で食事 2014年10月29日


相棒のジェーンは毎週、日曜の朝、家族(ジェーン、カーネル、キム、KIAN)で教会のミサに参加するのが日課だ。我が家のあるPrime City Condoの隣はセント・ポールという有名な教会なので、歩いて5分の至近距離にある。特に我が家は敷地の端にあるので、塀の向うは教会の敷地だ。この教会には神学校が併設されているので(といより新学校に教会が併設されているといったほうが正しい)、広大な敷地を有するが、もともとPrime City Condoの敷地も、この神学校のものだった。 この日、キムは警察学校の入学試験で、不在だったが、代わりに私が、3人に同行した。コンドと教会の間の塀には小さな出入り口があって、日曜の朝だけは、扉が開いていて、コンドの住民は近道を通って教会へ行くことができる。両親はKIANを敬虔なクリスチャンとして育てようと考えているのか、以前は、見向きもしなかった教会通いをしている。 私と言えば、宗教には全く無関心なので、何も語ることはできないが、心の平穏を得るために、必要なものだとは思う。しかし、イスラム国にように平穏を乱すように作用することもあるので、一概には語れないだろう。歴史的には主教には弾圧と戦争がつきもので、キリスト教といえどもだった例外ではなかった。 教会の回りは緑に囲まれ、落ち着いた雰囲気をかもし出している。ミサの参加者も、ほとんどがPrime City Condoの住民で、いわば中間層だ。 小粒の教会だが、凝ったつくりをしている。そこかしこにおかれた扇風機が目を引いた。          後ろのほうに座ったが、KIANは今一興味がなさそうだ。天井の巨大な扇風機も珍しい。 寄付を神父に届ける役割を与えられたKIANは緊張気味だ。それが終わると、ほっとしたのかうれしそうに走って戻ってきた。 延々と続くミサに痺れを切らしたKIANは、しばし私と息抜きに外へ出た。涼しい木陰で戯れるKIAN。ろうそく台では5ペソで平たいろうそくを買い、それを吹き消すKIAN。ろうそくと言えば、KIANにとっては誕生日なのだ。   ようやくミサが終わって、近所のお医者さんに抱かれるKIAN(ジェーンのまぶたの整形手術した整形医)。教会の外では例の甘いタホ(豆腐)を売るおじさんが大忙しだ。

日曜のミサに参加 2014年10月29日



先ごろ、退職ビザをおとりになった退職者が、早速、コンドミニアムを購入された。知り合いの方が住まわれているDMCI HOMESのSiena Parkで、スカイウエイのビクータン出口にほど近いところにある建設済みの物件だ。車がないとちょっと不便だが、SMに歩いて行けるところが売りだ。 はじめは、PRA預託金を購入費の一部に充当する予定だったが、DMCIと打ち合わせると、どうもPRAの要求する書類をすみやかにそろえるのが、例のごとく難航しそうだった。そこで、まず、別途の資金で購入し、タイトルが退職者名義に移動されてからPRA預託金を引き出すという代案で進めることにした。 すでに完成済みということで、支払い完了後、すみやかに引き渡されるものと想定した。しかし、実際は、全額を支払って、売買契約が完了してから、最終仕上げにかかるということで、それに2ヶ月を費やしてしまった。そして、ようやく、引渡しにこぎつけ、最終検査と鍵の引渡しを無事に終えた。 しかし、ユニットが引き渡されたとはいえ、まだまだ予断を許さない。こちらは、すでに購入価格の全額を支払い条件を満たしているにも関わらず、DMCI からは、何一つ必要書類が手渡されていないのだ。取引を完璧にするため、下記の5つの書類を手にするまでは、決して安心してはいけない。 1.OR(Official Receipt);領収書は支払いと同時に渡されるもののはずだが、エージェントの仮の領収書がその場で発行されただけで、ORの発行には一週間かかるという。それが、一ヵ月後くらいになってようやく発行され、E-メールでスキャンコピーがエージェントから送られてきた。その後もエージェントが預かったままで、引渡しのときになっても手にすることができていない。 2.売買契約書(Deed of Absolute Sale);これも、お金の支払いと同時に双方が署名して渡されるべきものだが、発行は、1ヵ月後になるという。ユニットと駐車場、それに物干し上の3つの契約が、それぞれ10部、10ページくらいあって、全部で300枚に署名するのは大仕事だったので、さもありなんと思ったが、2ヵ月後の引渡し時点でも手にできる気配が全くない。 3.権利書(CCT、Condominium Certificate […]

DMCI Siena Park購入の顛末 2014年10月24日


3歳の誕生日までは、まるで女の子のように髪を長くしていて、まずは100%、女の子と身間違えられていた。しかし、4歳半になって、見事な短髪になって、まさに男の子のイメージに変身した。フィリピンでは一歳の誕生日までは髪を切ってはいけないという習慣があるが、KIANは2歳までほとんど髪を切ることはなかった。今回の決断についてジェーン曰く、単に散髪代を倹約するためだと。しかし、刈上げ頭のKIANのイメージが乱暴な男と映って、幼稚園で、他の園児に敬遠されがちになってしまった。そこで、ジェーンは、女の子に見られない程度の長髪に戻すことにしたそうだ。しかし、髪が伸びるまで少々時間がかかりそうだ。 2歳のころのKIANは肩まで届く長髪で、誰しもが女の子と思って疑いもしなかった。一方、本人も多分にそう思っていたふしがある 3歳の誕生日の前日に髪を切って誕生パーティに臨んだKIAN。3本の指を突き出し、大量の誕生ケーキを吹き消すのに躍起となっていた 今月、4歳半になって短髪にイメージチェンジをしたKIAN。髪を切って来た当初は恥ずかしがって写真を撮らせなかったが、ちょっと慣れるとポーズをとって、いよいよボーイとしてのデビューだ         幼稚園に出かけるときもまさに男の子のいでたちだ(左)。農場を歩くために買ってもらった長靴を得意になって披露するKIAN(右) 私のベッドの下にもぐりこんでお茶目振りを発揮するKIAN(左)。恒例のサイカのランチもかなり雰囲気が違っている(右) 腕を組んで怒りのポーズのKIAN(左)と怒られたときにとる新しいポーズを披露するKIAN(右) このとき田舎からやってきているいとこのジェムジェム(4歳)と喧嘩していたのだが(左)、真正面から挑みかかるジェムジェムに対して、横を向きながら、「I punch you」と小声でつぶやくKIANの態度は、ママジェーンとそっくりだ。右の写真はろうそくに日をつけて「I wish ...」と願をかけるKIAN 足を組んで寝入るKIAN、新しい寝姿だ(右)と姉のキムとのツーショットを私のベッドの上で楽しむKIAN(右)

KIANが髪を切りました 2014年10月19日



当社は2台の車を使って、退職者のサービスを行っているが、2台ないと毎日のサービスができないのだ。すなわちナンバー・コーディングという厄介なルールで、平日の一日は車が使えないのだ。一台はもっぱらジェーンの旦那のカーネルが使っているのだが、彼の場合は、国家警察の幹部なのでナンバー・コーディングも関係なくいつでも乗れる役得がある。 シニア・シチズンシップのおこぼれで、マカティ市内に限って、私が乗っているときだけは、このナンバーコーディングからは免除される恩恵によくしている。ただし、日本大使館や空港へ行くときなどはパサイ市になるので、使うことはできない。ホンダのCRVを使っていたときは、末尾番号が1と2で2台とも月曜に乗れないという馬鹿馬鹿しい状況にあったこともある。 そんなわけで、退職者のサービスに欠かせない車だが、持ち主のジェーンがそろそろ新車のSUVに替えたいと、これらの車を売りたがっている。希望売買価格はともに85万ペソだ。私としては、ナンバー・コーディングが適用されないPNP(国家警察)のナンバー・プレートをつけてほしいと願うのだが。一方、カーネルは当面タクシー通いとなるのだろうか。 三菱モンテーロ 3列シートで7人乗り、後部座席はフラットになり、多人数、多荷物、道路冠水時などには威力を発揮する。年式は2010年、走行キロ数は約55000km 三菱ランサー スポーティセダンタイプ、5人乗り。年式は2013年、走行距離は18700km足らず、ほとんど新車に近い

車売りたし 2014年10月19日


KIANが今の幼稚園に通い始めては半年、今日は、待望の学芸会だ。この日は、それぞれの幼児が外国の衣装をつけるよう義務付けられているが、はじめはKIANに日本が割り当てられた。そのため、急遽、和服を調達するよう頼まれたが、そう容易なことではない。日本の妻にでも頼んでEMSで送ってもらうことが考えていたら、突如としてアメリカに変更になったという。そのため、ジェーンは知り合いから背広を借りたのだが、大きすぎて合わない。そのため、結婚式であつらえた警官の制服で間に合わせることにした。 学芸会の出番を待っている間。恒例の記念撮影。KIANは、いつもうれしそうにはしゃいでいる。観客席には、両親とおばあちゃん、それに私と、3世代が集う。 国立マカティ大学の会場に行ってみると、確かに子供達は、割り当てられた世界各国の衣装を着けて学芸会に臨んでいた。皆それぞれかなり凝った衣装を着けていたが、間違いなく、この日のためにあつらえたものに違いない。皆、数千ペソのお金をかけた模様だが、KIANは一銭もかけなかったと、ジェーンはうそぶいていた。 いよいよ本番だ。舞台の前にはアイパッドを掲げ、わが子の晴れ舞台を撮影しようと親ばかが並んでいるが、この光景は、どこの国も一緒のようだ。 子供達が舞台に勢ぞろいすると、両親たちも起立して、国家斉唱だ。そして、その後、それぞれのクラスに分かれて、にわか仕込みの踊りを披露。KIANは踊りには大いなる才能を持っているのだが、舞台の前で指導する先生に習って体を動かすとなると、どうも苦手のようで、なかなか先生の動きについて行けない。KIAN、4歳のお披露目、あるいは試練だ。彼は、なまじ、教えないで、音楽を流して、即興で演技させたほうが、はるかに才能を発揮できる。まるで、日本のラジオ体操のように皆に、一斉に同じ動きをさせるというのは、それぞれの創造性をそいでしまうようで、いかがなものかと思う。 KIANは気が散って、舞台の前で手本を示す先生に目が行っていない。必死にカメラを構える私やパパ・カーネルを探しているようだ。 ほんの、2時間ほどの学芸会を終えて、楽屋での記念撮影にほっとしたKIAN。アメリカの旗をもらって、愛想を振りまく。両親とおばあちゃんとの記念撮影も無事に終えた。実を言うと、KIANの演技の後も他の幼児たちの演技が続いていたのだが、わが子の晴れ姿を見たら、もう用事はないと、さっさと皆で退出してしまったのだ。 アメリカ国旗をかざして、おどけるKIAN。3世代がそろって、幼稚園の行事に参加するのはフィリピンでは当たり前。田舎から出てきたおばあちゃんは、もしかしたら、わざわざこのために遠路はるばるやってきたのかもしれない。 会場のある国立マカティ大学はボニファシオ・グローバルシティ(タギッグ市の一部)を挟んでマカティ市とは反対側にある。しかし、ここもマカティ市の一部なのだ。要はグローバルシティはマカティ市の中に首を突き出したようななっていて、周囲はほとんどマカティ市だ。だから、マカティ市がグローバルシティはマカティ市の一部であると主張するのは良く、理解できる。ちなみにマカティ大学はさながら東京都立大学のような位置づけだそうで、かなり大きな大学だ。通りすぎる学生は何故か私に「おはようございます」などと日本語で声をかけていった。きっと日本語を学んでいる学生なのだろう。 マカティ中心部から、車でグローバルシティを越えて、30分以上走るので、私は、今まで国立マカティ大学の存在を知らなかった。なかなか立派な大学だった。

KIANの学芸会 2014年10月18日



我が家があるマカティ、サンアントニオビレッジから歩いて5分くらいのところに日本食材店の老舗「はっちん」がある(カマゴンとセイクレッドハート通りの角の近く)。週に一度くらいは、私の朝食用に納豆や地鶏の卵などを買いに行くのだが、この日、久々に生うにがたくさん置いてあった。10cmx12cmx4cmくらいのタッパーにいっぱい詰まって、450ペソ。これはとばかりに買い求めた。良くみると、サーモンの刺身(120ペソ/100g)、マグロ、イカ、など刺身の具が色々おいてある。さらに奥には冷凍のしめさばなどもあり、まさに5点船盛りができそうだ。さらに塩サバも買い求めて、〆て1500ペソ。5点盛り、サバ塩焼き、うに丼、これを4~5人で食べると、おなじみのサイカの半分ぐらいで出費で済みそうだ。ジェーンは、もうサイカからのTake Outはいらない、これで十分と言っていた。 田舎からやってきているKIANのおばあさん(ジェーンのお母さん)も加えて、KIANの学芸会の後、サイカで食事。注文した料理は、刺身、サバ塩焼きなど、純日本料理ばかりだ。 はっちんに並んでいる刺身の材料。100gあたり100ペソはkg1000ペソになり、破格の値段だが、生で食べるためには必要なコストだ。 ここには海苔巻き弁当などもおいてあって他の日本食材店とは一線を画す。 我が家では、ジェーンが刺身大好きで、とりわけ、ウニとしめ鯖には目がない。カーネルは、毎回決まってサバの塩焼き定食だ。最近はキムも加わって、従来のビーフ鉄板焼きからサーモンの刺身、あるいはサバ塩焼きに乗り換えた。私は、もっぱら海鮮チラシ寿司だが、畑や海から取れたものをそのまま生で食べるのが一番と聞いているので、まさに、我が家の健康食のスターだ。 ちょっと多すぎて刺身で食べるだけでは終わらない。そのため、うに丼にしてたっぷり味わった。このうに丼を食べたキムが翌日、下痢に悩まされた。私はなんともないので、ウニの責任ではないと思うのだが、はじめて食べた大量のウニに胃がびっくりしてしまったのだろう。 ご存知の方もあると思うが、フィリピンではウニを日本に輸出している。だから、はっちんでウニがこんなに安く売っている。大分前にフィリピン人の友人とはっちんを訪れたら、ウニがあると感激していた。彼はウニが大好きなのだがなかなか手に入らないので、それ以来、はっちんを頻繁に訪れているとのこと。まさにウニ中毒なのだそうだ。 フィリピンのウニは、馬糞ウニというウニから採る。素手で持っても痛くない、とげの短いウニで、熱帯の海の2~3mの深さにいくらでもいる。昔、ポリリオ島に出かけた折、これをバケツにいっぱいとって、ホテルでさばいて、同行した日本人に振舞ったことがある。実が柔らかくて、採るのが非常に難しくて、小さなおわんに半分くらいしか採れなかったが、採れたてのウニの味は格別だった。

我が家はお刺身ブーム 2014年10月18日


将来、フィリピンに永住することを計画している日本人ご夫婦のマニラ案内を行った。さらにこの日は、今後、日本人ゲストの送迎や案内を手伝ってもらえるというお若い退職者を見習いとして同行してもらった。 マニラツアーの順序は下記の通りだ。このうち当たり前の観光コースは、イントラムロスだけで、あとは、私が選んだマニラの見所だ。庶民の町キアポから最新鋭の都市、グローバルシティまで、マニラの上から下まで満喫できるコースと自負している。同行した若い退職者もイントラムロス以外は、すべてはじめての訪問だと、大いに満喫していた。 ① カーティマール・マーケット;パサイシティ、リベルタッド/ブエンジアの交差点近くにあるウエットマーケットは、普通の庶民の台所だが、外国人の買い物客が多く、エビやカニなどの高級食材や細めのきゅうりなど他では手に入らない食材が並んでいる。また、日本食材店が3軒あるほか、100軒ほどのペットショップがたち並ぶウエットマーケットの雄だ。 ② イントラムロス;マニラ観光のメッカ、世界遺産のサンアガスティン教会、スペイン統治時代の旧家、カーサマニラ、それにサンチャゴ要塞などが定番の見所だ。特に、土日に行くと、教会で結婚式に出くわすことが多い。 ③ キアポ;フィリピン随一といわれ、庶民の信仰を集めるブラック・ナザレ(キリスト像)を祭る。参道は屋台で埋め尽くされ、教会の中はいつでも人であふれる。1月9日のフィエスタには100万人の信者がブラック・ナザレに触ろうと押し寄せ、死者も出るくらいだ。 ④ チャイナタウン;サンタクルス教会とビノンド教会を結ぶ、オンピン通りには金屋が立ち並ぶ。旧正月には獅子舞と龍の舞が練り歩き、爆竹が鳴り響く。川沿いの、安くてうまい中華屋台が穴場だ。 ⑤ グリーンヒル;掘り出し物のメッカ、数百の一坪ショップが立ち並び、バッグ、靴、時計、衣類などのブランド品(ただしコピー商品)で、埋め尽くされる。冷房の効いた屋内にあるので、ゆっくり買い物を楽しめる。この日の最大の見ものだった。 ⑥ ボニファシオ・グローバルシティ(アメリカン・セメタリー);2000年代に建設が始まった新興都市で、いずれは、マカティをしのぐ経済の中心になる勢いだ。その一角に、陸軍基地の時代からひっそりとあるのがアメリカンセメタリー、訪れる人もまばらだが、新興のビルとのコントラストが、マニラで、一番美しい景観を作っている。 ⑦ ダスマリニャス・ビレッジ;マカティの東に広がる超高級住宅街。マカティは、このほかに、フォルベスパーク、ウルダネッタ、ベルエアー、サンロレンソーなどの高級住宅街に囲まれているが、そこには、小さな学校ほどもあるような邸宅が数千軒並んでいる。 ⑧ アラバン;マニラ南方の住宅街。外国人が多く住み、パラニャケ、ラスピニャスなどとともに首都圏のベッドタウンを形成し、Sky Way開通により都心部へのアクセスが良くなっている。しかし、最近はかなりの交通渋滞が日常的になっているのが難点だ。 ⑨ニューポートシティ;ターミナル3の前面、元海軍基地のビラモールの一部をメガワールド社が開発したコンドミニアム街。マキシム、マリオットなどの高級ホテルも開業しており、Resort Worldという最高級カジノもある。 ⑩ グリーンベルト;マカティのど真ん中、都会のオアシス。庭園に面した屋外のテーブルに世界各国の人々が集う。ツアーの最後を飾るのにふさわしい。 カーティマール・マーケットでは、お米の平均的値段がキロ50ペソ(125円)くらいになっていた。かつて、日本の十分の一、最近は5分の一、そして、今は、円安も手伝って3分の一くらいだろうか。比較的、朝が早かったので、魚も豊富においてあった。 […]

マニラ観光の目玉、グリーンヒルが空っぽに 2014年10月12日



先日、退職ビザ(SRRV)を保有する若い退職者から、「入管のホームページによると、フィリピンに在住するすべての外国人はSSRN(Special Security Registration Number)を取得するよう義務付けられたとのことだが、SRRV保有者も該当するのか?」という問い合わせがあった。 早速、入管のホームページ(http://www.immigration.gov.ph/)にアクセスしてみたが、たしかに、そのようなアナウンスがある。隅から隅まで読んでみたが、SRRV保有者は免除されているという記述はない。しかし、ページの右下の隅に、「Exemption(免除」という欄があり、「法律によって免除されているもの」、という記述があり、SRRVがそれに該当するのかもしれない、ということが読み取れた。 クリックして拡大してみてください これは、PRAに聞いてみるより他に方法はないと、翌日早速、PRAに出向いた折に受付のミッシェルにに聞いてみた。彼女は、早速、件のアナウンスの紙を取り出して、SRRVは上記の「法律で免除されたもの」に該当すると、教えてくれた。一体、どの法律で免除されているのか、わからないが、RPAがそういうのだから、間違いはないであろう。しかしながら、ここに、「SRRVなどは免除」とはっきり記述されていれば、悩むことはないのに、なんとも不親切なことだ。 さらに、「ACR I-Cardの保有者」あるいは「滞在が59日を越えないツーリスト」も対象外となっている。このことは、すべての外国人というよりも、ACR(Alian Certification of Registratioー外国人登録証)を保有せず、59日以上滞在してる外国人、すなわち短期滞在ビザ(9a)で延長を繰り返して滞在している一部の外国人が対象のようだ。(ちなみにACRはSRRVやSIRVなど以外の長期ビザを保有している外国人はその取得が義務付けられている) そうなると、すべて外国人というよりも、長期ビザを保有せず、フィリピンに長期(60日以上)滞在している、ごく一部の外国人が対象となっているようだ。見出しに「ALL FOREIGN NATIONALS」となっているのは、まるで脅し文句のようで、なんとも人騒がせな話だ。   […]

SSRNの取得が義務付けられた? 2014年10月12日 


メトロマニラの周辺の各県(北はブラカン、リザール、南はラグナ、カビテ、バタンガス)あるいは郊外の各市(北はケソン、バレンツエラ、マリキナ、パシッグ等、南はパラニャケ、ラスピニャス、ムンティンルパなど)の住宅地から都心部(マカティ、マニラ、ボニファシオ、オルテガスなど)へ向かう道路の、朝夕のラッシュは、まさに通勤地獄ともいえる渋滞で、毎日の往復に3~4時間を通勤に費やす人々はざらだ。 人々は、ジープ、バス、UVエクスプレス(始点と終点が決まっている中距離小型バン)、などの車を乗り継いで、家路に着くが、帰り着くころにはくたくたで、夕食を終えて、一眠りすると、もう朝の出勤が待っている。カビテ方面の玄関口のロハス・ブルバード沿いのバクラランでは、毎日、いつ来るのか、乗れるかどうかもわからないバスを待ち続ける人々の姿は、まさに悲惨だ。最近、首都圏のスコーターの撤去作業が進んでいるが、住民はカビテ県などに作られた低所得者住宅に強制的に移住させられている。これらの人々も、生活の糧を得るために、毎日、首都圏に通うわけで、渋滞に拍車をかけている。 その切り札的存在がLRTなどの鉄道だが、現状、マニラ湾沿いのLRT1、エドサ沿いのMRT(LRT1とMRTで環状線となっている)、メトロマニラを横断するLRT2の3本の高架鉄道、さらに、メトロマニラを縦断するPNR(国鉄)だけでは、もはや焼け石に水だ。最近は事故や、車両不足によるラッシュ時の超過密状況に、返ってLRT/MRTを敬遠する気配もあるくらいだ。参考ブログ「メトロマニラ高架鉄道の建設状況(その3)2009年7月27日」参照 高架鉄道路線計画図(クリックして拡大してみてください) これに対して、MRT4(ケソン方面)、NR(メトロマニラ縦断)、MRT6(パラニャケ、カビテ方面)が計画されているが、このほど、ようやく、MRT6(LRT1の南部延伸事業)の工事契約がアヤラと香港の会社の合弁会社に649億ペソで発注された。これで数年後にはバクラランを起点とするカビテ方面の通勤事情が飛躍的に改善されるものと期待される。 マニラ湾沿いのLRT1の南側の終点、バクララン駅の周辺は高架の下に衣類や靴の屋台が所狭しと並んでいる。ここは、庶民の買い物所の南の横綱で、無数の一坪ショップが軒を連ねる。カビテ方面の新線MRT6はここから始まる。 一方、メトロマニラの南に位置するもう一つのベッドタウンのラグナ県方面はPNR(国鉄)が奇跡の復活を遂げたが、車両の増強による運輸能力の増強が期待されるところだ。参考ブログ「国鉄(PNR)の復活 2010年10月25日」参照。 奇跡の復活をとげたPNR(国鉄)の駅には人が列をなしている。線路周辺のスコーター(スラム)も姿を消した。一応、鉄道としての機能を果たしているものの、車両が極端にすくなくて、SLEX(南ルソン高速道路)の地獄の渋滞を救う役割は果たしているとは言いがたい。 新聞によると、既存の高架鉄道の拡充だけでは、首都圏の交通網の改善は、望めず、地下鉄の建設が必須と、JAICAが進言したそうだ。しかし、私は、この地下鉄案に疑問がある。 メトロマニラの地盤は泥岩ともいえる、きわめて固い地層でできており、その証拠にコンドミニアムの建設などで基礎杭の工事を見かけることはない。都会のど真ん中でダイナマイトを使うわけにも行かず、こんなところで、トンネルを掘るのは、最新の技術を持ってしてもきわめて困難であろう。また、たとえ可能であってもかなりのコスト高となるだろう。 高架鉄道の乗車賃は、ジープなどとの比較から政策的に決まっており、15ペソ(35円)程度に抑えられ、政府は毎年大きな赤字を補填している。ODAなどが巨額の援助をしたとしても、その返済にこの国の経済がおかしくなってしまうだろう。街の景観を汚すかも知れないが、フィリピンではコストが比較的かからない高架鉄道が適している。 マニラ湾沿いの一番古い高架鉄道(LRT1)とエドサ沿いのMRTは北のエドサ通り沿いの東西の線が完成して、環状線をなしている。これらの車両は、ほとんど同サイズで、モノレールといった風情で、車内も狭苦しい。しかも、3両編成では、朝夕のラッシュにはすし詰め状態が発生する。   最新鋭のLRT2(メトロマニラ横断高架鉄道)の車両は、LRT1、MRTよりも大きめで、車内も大分ゆったりしている。 […]

念願のLRT1の延長工事が着工へ(カビテ方面)2014年10月5日