Monthly Archives: November 2014


「2014年12月13日追記」 このブログを書いて数日後アティ・キムが一通の書類を見せてくれた。幼稚園で書いたサンタ宛のKIANの手紙だ。なかなか読めなかったが、そこには「僕はとてもいい子にしていたから、プレゼントにロボットをください」と幼稚な文字で書かれていた。KIANはすでに文章を書くことができるとアティ・キムは、話していた。KIANがABCが苦手だと思っていたが、どうもそれは杞憂のようだ。  翌日には、そのプレゼントを幼稚園に届けて、15日(月)のクリスマス会に間にあわさなければならないというので、その日、早速、新装成ったグロリエッタのトイザラスを目指した。このToysRusが皆、読めなくて、Toy for Usとか、わけのわからない読み方をしていたが、当方は、誇らしげにトイザラスと読むのだと教えた。 KIANの手紙はほとんど判読不能だが、彼が文章を書けるとは思いもよらなかった。多分、見本を書き写したものだろうが、言葉を文字で書くという概念が大事だ(左)。トイザラスの店員は一つ物を売るのに10分くらいかかって、全くの新米で往生した。また、この店はいつごろ開店したのかという問いに、店の開店時間である11amと答えるばかりだった。ちなみにトイザラスはSMのすぐ近く、2階にある。 しかし、すでに夕方の5時半、ラッシュアワーだ。家から歩いて10分ぐらいのところで、車は全く動かなくなり、あきらめて、歩いて家に帰った。運転手のボボイが戻ってきたのは、なんと7時を回っていた。 翌朝、といっても10時過ぎに再びグロリエッタに向かった。しかし、トイザラスの場所を聞いても、ほとんど誰も知らない。それは、この3年間、改修工事を行っていたグロリエッタ(1)が新装オープンにしたばかりだったのだ。外側にはHoliday Innやワタミなど新しいホテルやレストランが開店し、その対面には高層のコンドミニアムが完成間近だ。ガス爆発事件以来、再開発が続いていたものだが、マカティ・コマーシャル・センター/アヤラセンターの顔として生まれ変わったのだ。      グロリエッタの中央には吹き抜けの大きな広場があるが、改装された部分は、大きなイベントホールとなっていた。グロリエッタの外、パサイロードとの間には、高層コンドミニアムが完成間近だ。 KIANがこのままでは留年させざるをえないと、幼稚園に脅かされて、ママ・ジェーンはKIANに家庭教師をつけた。週、3回 一回、一時間、時間400ペソで、月々5000ペソ程度、少々負担になるが、しばらくの間ということで決心した。そして、約2ヶ月が経過した。とてもやさしそうな、いかにも子供に教えることをプロとしているといった感じの先生でKIANも大好きだ。 教えることは、もっぱらABC、abc、で、その文字の発音と呼び方だ。26文字x2の52文字を毎回、繰り返すだけだ。しかし、それでは、飽きてしまうので、歌のように唱えたり、正解すると床のマス目を一歩進めるとか、先生は、色々と飽きさせない工夫をしている。KIANにとってはそれが楽しいようだ。 事務所で、教えているので、私も気になってパソコンの画面の脇から、そっと観察しているが、2ヶ月間、ABCから次のステップへは進んでいない。KIANにとってABCを覚えるのは相当苦労のようだ。幼稚園を一年間さぼった罰かもしれない。しかし、二人は、しっかりと英語で会話しているのに、今更、ABCを唱えるのは、日本人にとってはいかにも違和感がある。2ヶ月もたったのに、先生はKIANは「A little bit improved.  少しだけ進歩した」、と評していた。 […]

KIANはABCに苦戦 2014年11月30日


モールと言えば、映画とゲーセン(ゲームセンター)はつきものだ。中でも、マカティ グロリエッタのゲーセンは群を抜いている。KIANも、ここが大好きだ。恒例のサイカでのランチの後、KIANにおもちゃかTime Zoneかとたずねたら、間髪をいれずにTime Zoneという答えが返ってきた。 私自身は、ゲーセンブームのかなり前に育っており、かつ、子育て時代にも、ゲーセンはブームとなっていなかった。思い出すのは、せいぜい、お祭りの夜店くらいのものだ。フィリピンに置いてあるものは、セガなど、ほとんどが日本で使い古したものを改造したもののようだ。しかし、中には最新のキャラクター、トランスフォーマーなどもあるが、これらの看板のゲームは、使い古しではなさそうだ。 4階は映画とゲーセンで、入り口ではカードにポイントをロードしてもらう。3人で1000ペソロードした。ゲームの景品の切符で再度ロードすることができる。 入り口にはトランスフォーマーのコーナーがあった。ここの売りらしい。 画面にあわせてダンスをする少女たち 小さい子供用の乗り物などもある 日本にあるかどうかわからないが、バスケットボールをゴールに入れるゲームが人気がある(右) KIANはヤヤ・ドナに見守られてゲームに夢中だ トランスフォーマーのゲームをゲットしてご機嫌のKIAN シェルのプロモのディスプレイの前で記念撮影

フィリピンのゲーセン、TIME ZONE(グロリエッタ) 2014年11月29日



昨夜、ビッグ・マミー(相棒のジェーンのお母さん)の髪が赤いのに、ふと気がついた。マミー(ママ・ジェーン)に聞いてみると、グスト・コ(好き、したい)と回答しただけだった。ジェーンとしてもお母さんに少しでも若く、きれいでいてほしいと言う娘心なのだろう。 長髪は若い娘の特権なのか、マミーともなると、皆、髪は短くしている。しかし、茶髪ブームは老若男女に共通のようだ。左がビッグマミー、右がマミー。 ちなみに、ビッグマミーは孫のジェムジェム(ジェーンの弟、ボボイの子供)とともに、一ヶ月ほど、我が家に滞在している。その前、一週間おいて、一ヶ月以上滞在していたから、かれこれ3ヶ月、ほとんど続けて滞在していることになる。その目的は定かではないが、特に田舎(ビコールノ農場)にいなければならない理由もないので、好きにしているのだろう。 相棒のジェーンは、我が家ではマミーと呼ばれ、我が家のボスとして君臨して、我が家のメンバー全員は、マミーの許可なしでは何もできない。しかし、ジェーンのお母さんの登場で、区別が付かないので、お母さんはビッグ・マミーと呼ばれ、やはり、義理の孫にあたるキムやヤヤ・ドナに指示を飛ばしている。本来ならばロラ(おばあさん)なのだが、農場では、現役でマミー役をこなしているので、まだまだ、引退してロラにはなっていないという意思表示なのだろう。 キムの同級生は長髪で一部茶髪だ 話を茶髪に戻すと、確かに最近、やたらと街に茶髪があふれているのが気にはなっていた。若い女性のほとんどが髪を染めている。20年ほど前に、日本で茶髪ブームが巻き起こったころ、フィリピンでは、長い黒髪はフィリピン女性の誇りであり、美の象徴だった。私は勝手に茶髪文化はフィリピンには受け入れられないものと信じていた。 しかし、昨今、あるいは今年に入ってから、にわかに茶髪が目立つようになり、あの1メートル近い長髪を見事に茶色に染めている女性も目に付く。カラオケに行っても、ほとんど100%のGRO(ホステス)が髪を染めている。 キムの友達は、服装を替える様に、髪の色や模様を替えて、まさにファッションとして着こなしている 流行に敏感な10代ともなると、女子大生の大半が髪を染めているそうで、キムの通うマプア工科大学でも茶髪はもちろん、金髪、赤毛、果ては青や緑の多色髪のオンパレードだそうだ。キムのコメントによると、火付け役はK・POPやJ・POPあるいはゴスプレイやアニメで多分に日本や韓国の影響によるものとのこと。ちなみにキムは黒髪のままだ。            まるで、その日のできばえを競うようだ             

フィリピンにも茶髪ブームが到来 2014年11月29日


フィリピンでは1歳と7歳の誕生日が特別な意味を持つ。日本の七五三のようなものらしい。KIANの一歳の誕生日では、農場で150人もの人を招待して盛大に催したが、この日は近所の子供、Luigi君の7歳の誕生日に招待された。 City Garden Hotel屋上レストランを借り切って行われて誕生会は、50人くらいの招待客でにぎわっていたが、ピエロやマジッシャンを呼んだ豪華なものだった。子供達は、ピエロやマジッシャンのパフォーマンスを楽しんでいたが、4歳のKIANもお兄さんやお姉さんに混じって負けずに参加していた。 KIANも7歳になったら、これに負けない誕生会を開かなければならない。きっと、レガスピの丘の上の土地に計画/希望しているレストハウスで、盛大に開くことになるだろう。3年後のブログに期待してほしい。 こんな誕生会を催してもらえるのは、中間層以上の子弟だが、フィリピンの子供に対する投資は日本の比ではない    マカティアベニューに位置するCity Garden Hotelの屋上からは、マカティの中心街を眺望する絶景だ        Happy Birthday Luigi~~~~~~と、どれだけ息が続くかのコンテストだが、KIANは、それが理解できず、Happy Birthday to youの歌を歌うだけだった。それでもアティ・キムは、たても上手とおだてて、KIANとしては達成感を感じたようだ。司会者は、KIANに「名前は何ですか」と日本語で聞いて、聞かれたKIANはどぎまぎしていた。私が、うろうろしていたせいか、てっきりKIANを日本人と思ったらしい。     子供達はマジッシャンのパーフォーマンスを真剣に見つめている。その後は、早めの夕食、子供向け料理に舌鼓をうつ 恒例の記念撮影の後は、プール遊び。この日KIANは水着を持ってこなかったので、誘惑に駆られながらも決して泳ごうとはしなかった。パパカーネルはパンツで泳げと促したが、すでに恥じらいを覚えたKIANは決して首を縦に振らなかった。翌日、私がKIANの水着を買いに言ったのはいうまでもない。 6時ごろにはすでに暗くなり、マカティアベニューやビル街の夜景がきれいだ           フィリピンで一番高いとされる新築のコンドミニアムが夜空に浮かび上がる。ホテルのクリスマスツリーの前で記念撮影におさまるKIAN

KIAN、誕生会に招待される 2014年11月23日



恋も戦いと一緒で、前進、すなわち、それを成就させるための努力は楽しくて、何の苦もないが、恋が破綻して手仕舞いする時は、戦いに負けて退却するのと一緒で大きな苦痛と痛手がともなう。 フィリピンの若者が恋をするとき、男のアタックは強烈で、女心をとろけさせる。特に10代となると、やりたい一心で、身も心をささげる。こんなに愛してくれるならと、女は、なけなしの処女をささげてしまうのだが、それが悲劇のもととなる。フィリピンでは避妊をきらい、堕胎は殺人だから、恋=セックス=妊娠=出産となる。妊娠となると、生涯の愛を誓った件の色男は、手のひらを返したように、トンずらしてしまう。子供を生み育てる使命を神から授かった女は、子供のために、それこそ、身も心もささげなくてはならなくなる。それでも女たちは、子供がいて幸せと感じる。 彼らの別れ方はいたって簡単で、男は女との一切のコミュニケーションを絶つ。携帯電話番号も代えてしまう。なまじ、別れ話を持ち出して女に納得させようとか、手切れ金を渡そうとか、余計なことは考えない。1~2ヶ月もなしのつぶてを続ければ、女もあきらめる。子供がいなければ、女も次の相手を探すから、それで済むのだが、子供を作って、相手の人生を台無しにしてしまったとなると、そうは行かない。どっかでばったり会ったりしたら、ずぶりとやりかえされるから気をつけなければならない。 KIANは、若い女、ヤヤ・ドナ(20歳)とアテ・キム(18歳)に面倒を見てもらって、男冥利につきる これが、日本人だったら、そうはいかない。女を孕ませて、例え、日本に帰ってしまったとしても、NPO法人を名乗る日本人が現れて、あの手この手で、責めて来る。認知していようがしていまいがDNA鑑定なるものがあるから、そう簡単には逃げ通せない。特に、役人や大企業に勤めている場合は、世間体というものがあるから、結局、数百万円レベルのお金で和解となる。もちろん、和解金の半分はNPOの取り分になるのは必定だ。 ならば、大多数のシングルマザーを作り出したはずのフィリピン人の男は何故追及されないのか。それは、いたって簡単な理屈で、幾ら追求したとしても、取るべきものが何もないからなのだ。そんな馬鹿なことに女は時間も金もかけないが、恨みだけは一生続く。 久しぶりにフィリピン人の友人と会うと、ところで、あの娘はどうした、今でもコミニュケーションはあるのか、聞かれる。コミニュケーションがある、すなわち交流、関係が続いているということなのだ。だから、女との別れは、コミニュケーションを絶つ、それにつきる。 ところかまわず姉のアテ・キムとイチャイチャしているKIAN。こうしてKIANは女をくどく手練手管を学ぶのだ 若いみそらをはげ親父にささげて、ある日、「この携帯は使われていません」では、女としても身もふたもない。だから、GRO(フィリピーナホステス)は、大きな魚(熟年日本人男性ないしはげ親父)が針にかかったとたんに、周到な仕掛けをする。それは、一緒に生活するための家を建てようなどと持ちかけるのだ。田舎に両親の土地があるとか、サブディビジョン(団地)の出物があるとか、今の内なら建売が安く買えるとか、あるいは、おじさんが建築屋で安く建築できるとか、様々な有利な話を持ち出して攻めてくる。 はげ親父は、若い彼女との甘い生活を夢見て口元と財布の紐が緩む。退職金の半分程度だから、まあ、いいだろう、これで彼女との絆も深まるだろう、などと、ますます鼻の下を長くする。 しかし、そこに女のしたたかな作戦がある。フィリピンでは、外国人は土地が買えないから、土地付き一戸建ての名義は彼女とならざるをえない。だから、彼女たちは、外人でも所有できるコンドミニアムの購入は決して勧めない。自分名義の家を建てる、あるいは買ってしまったら、例え、ある日突然、携帯が「この携帯は使われていません」とささやいても、にやっとするだけだ。これで、名実ともに家が手に入った、はげ親父なんていないほうがせいせいする、とほくそえむ。彼女から三行半を突きつけられる場合もあるが、そんな時、件のはげ親父は、騙されたと歯軋りするが、それこそ、後の祭りだ。 最近、用意周到に準備した書類で、女のしたたかな作戦を、こなごなに粉砕した賢い退職者がいる。別れの原因は二股かけていた女の方にあるのだが、上述の仕掛けは、しっかりとかけられており、女としては準備万端だった。しかし、その退職者から、PRAの預託金を使用したいという相談が私にあり、女の仕掛けに対して、逆仕掛けをしたのだ。退職者は、半信半疑だったが、そんなこともあろうと、素直に私が作成した書類に彼女の署名を取りつけ、準備万端としたのが功を奏した。 そして、2年後、まさに、そのときが来た。女の二股作戦に業を煮やした退職者は、彼女名義の資産をすべて売却し、始末してしまった。それを知った女は当然、金切り声をあげて抗議したが、後の祭り、退職者の携帯は冷ややかに「この携帯は、使われていません」を繰り返すだけだった。 息子の見送りに一族の子供達がマニラにやってきた。彼らが息子の家族となる日も遠くない その仕掛けの逆仕掛けとは下記だ。 […]

フィリピン流恋の手ほどき(その5 賢い別れ方)2014年11月23日


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人は他人(ヒト)のために生きるというのが、人生の終盤にさしかかった私の結論だった。(参考ブログ「人は何のために生きる 2012年11月11日」参照)。そして、晩年は、ビコールの農場に孤児院を開設して、親に見捨てられた恵まれない子供達を育てようという夢を持っていた。 その後、息子が農場を継いで、フィリピーナと結婚して、農場で暮らすと言いはじめた。そして、フィリピンを基盤として、日本へは一年の半分ぐらいを出稼ぎに行くという。さらに子供は、3人作ると宣言している。そのころには私も現役を引退して、農場で余生を送ることになっているだろう。そうなると、孫たちを面倒見るのは、第一は母親であろうが、父親代わりは私となるだろう。 KIANの得意な寝姿はまるで椅子に座ってパソコンを操作しているような格好だ。家庭教師からABCを教わるKIANだが、彼が意外と勉強好きなのに驚いた。回りで、うろうろしていると手で追い払われる たとえ、日本人を父親に持っていたとしても、フィリピン人の母親とその家族と暮らしていたのでは、瞬く間に現地化して、日本人としてのアイデンティティーを失ってしまう。日本に行っても、たどたどしい日本語では、変なガイジンになってしまうので、日本語はネイティブでなければならない。英語、そしてタガログ語、さらに地元のビコール語は、ほっておいてもこなすようになるだろう。この日本語だけは、私の役割なので、家では、日本語だけを使うというルールのほか、インターネットやテレビで日本語の環境を整え、常に日本語に接する環境を用意するつもりだ。日本語の読み書きもインターネットで自習させなければならないだろう。 そんなことを考えていると、私の引退後の生活が見えてきて、子育てが、私の引退後の生きがいとなるだろうと、喜んでいる自分を発見した。そもそも、子育ては両親だけで行うものではない、家族全員がをれぞれの役割を担って行うものだ、というのが私の持論だ。参考ブログ「恋愛・結婚・家族のメカニズム2009年3月4日」参照。 夜は私のベッドで映画を楽しむのが日課のKIAN、いろいろなものを使っておどけてみせる KIANとの4年半の暮らしで、学んだものは、たとえ他人の子供であっても、子育ては、楽しい、ということだ。別に、何の見返りも期待するものではないが、KIANと一緒にいるだけで人生の充実感を覚え、与えるというより、受け取るものが多い。KIANの喜びが私の喜びであり、幸せだ。カラオケでGRO(ホステス)を相手にしているよりも、KIANを相手にしているほうがよほど楽しい。今や、KIANは私のベストフレンドだ。 甘やかしすぎるという感は大いにあるが、KIANの母親-ママ・ジェーンあるいは姉-アティ・キムがきびしく対応しているので、良いバランスだと思っている。おじいちゃんやおばあちゃんが甘いのは古今東西共通だ。問題は、同居しているKIANのいとこ達には、申し訳ないが、何の感情もわかない、ということだ。不公平といわれるかも知れないが、公平にしなければならない理由も見当たらないし、私は、神ではないから、自分の感情をコントロールする気にもなれない。 小さいころよくやったBeautiful Eyes(天使の瞬き)をやって見せるが、あのころのかわいらしさにはかなわない(右) 最近、退職者の方が、子育ては何のためにもならないという話があった。老後の面倒をみてもらえるわけでもないし、結婚するとさっさと家を出て、たまに孫を連れて遊びに来るくらいで、子育ての苦労に見合うものではないと。しかし、それには異論がある。 知り合いの40代の男性は、40歳で、子供をもうけ、猛烈なやる気が出た、だから60歳になって、その子が育ったら、また子供を作って、がんばるのだと語っていた。我が子のために稼ぐのは、男としての本能だろう。そう考えてみると、恋愛、結婚は子作りの準備段階で、子作り・子育てが本命なのだ。だから、子育ては何かのために行うのではなくて、子育てそのものが人生の目的であり、人生そのものなのだ。 自分が、20代から30代にかけての子育て時代は無我夢中で、子育ては生きがいだなんて悠長なことを言っている余裕はなかった。そして、今、自分の子供が育ってしまい、生きている目的を見失っていたような気がするが、KIANと出会って、子育てこそが、人生の永遠の目的であり、人生そのものなのだと悟ったのだ。 ヤヤ・ドナに見守られてパソコンで遊ぶKIANと大きなガンのおもちゃを担いでご機嫌のKIAN […]

人は何のために生きる(その2 子育ては人生そのもの)2014年11月16日



ここ数年、生理学者から、毎日、メールマガジンが送られてくる。題目は、不老長寿で、健康で長生きするための食生活、食品と薬の効能と害、病気のメカニズム、臓器の役割と仕組み、などなど、幅広い分野を、毎回数十ページで解説し、すでに1000編以上が送られて来ている。そして、最近の話題が、生活習慣病を溶解する(なくす)方法は、糖質制限、すなわち、米、パン、麺類等の主食を制限して、野菜・果物、肉・魚、それにナッツや豆など、たんぱく質と脂肪そして繊維質中心の食生活を行うことだと説いている。これは、最近話題になっている糖質制限ダイエット法の理論的バックグランドでもあるようだ。 生活習慣病とは、ご承知の通り糖尿病や肥満を代表とするいわゆるメタボで、脳溢血や心臓病など、細菌やウイルスによらない、人体そのものの機能障害に起因する病気で、癌もその一部で死因の60%以上を占めている。血糖値や血圧を下げる薬など製薬会社の儲け頭になっているが、これらの病気は薬で完治させることはできず、人々を一生、薬漬けにして莫大な利益を製薬会社にもたらせている。 これらの病気は、すべて、現代人の米、パン、麺類など糖質中心の食生活に起因しており、それを変えない限り、増加する一方で、やがて国を滅ぼす。現に、医療費の増大などによる健康保険の破綻など国家の財政を揺るがす問題となっている。 今日は恒例の土曜食事会にKIANの家族一同が参加して、いつものハーフ塩ラーメンとエビフライの衣、糖質ばかりを食べている。右は、姉のキムといちゃいちゃしているKIAN 人類700万年の歴史のほとんどは狩猟採集生活で、肉や昆虫、魚貝や海草、果物・木の実や山菜などを食して生きてきた。それは常に飢餓との戦いだったが、やがて、牧畜により、牛乳、チーズやバターなどの乳製品を食するようになり、さらに1万年ほど前から農耕が始まり、穀物という食料を安定的に確保できるようになった。 人類は、つい最近になって穀物というものを口にするようになったのだが、これら穀物は、炭水化物あるいは糖質が主で、米、パン、麺類、いわゆる主食といわれるものだ。そして、穀物から主要なエネルギーを賄うことにより、人類は人口を飛躍的に増加することが可能となり、地球制覇を成し遂げた。現代人にとって、穀物抜きでは食生活を語ることはできない。 しかし、件の生理学者は、この糖質の摂取こそが、人類をして生活習慣病に罹病させる原因だと説く。人類は700万年の間、糖質以外の食物を摂取して生きるよう体の仕組みを作ってきた。しかし、糖質を主に摂取するようになって、人体が機能障害を起こし、いわゆる生活習慣病を引起こしているというのだ。ちなみに野生動物は生活習慣病にかからない。しかし、人間に飼われたペットは、人間と似た食生活をするために、生活習慣病にかかり、メタボ犬やメタボ猫が出現している。 さらに、700万年の間、常に飢餓にさらされてきた人類は、食べられるときに食べて脂肪をためて、飢餓に備えるという仕組みを体内に持っている。この蓄えられた脂肪は、現代は飢餓によって消費される機会がないため、体内に蓄え続けられる。これが肥満となり、現在、世界人口の30%、約21億人の肥満とされ、生活習慣病の主因になっている。人類は農耕により、穀物を手に入れ、地球を制覇するに至ったが、その代わりに、生活習慣病という宿命を背負ったのだ。 街で見かけた、生活雑貨の移動販売。私が、子供のころは、豆腐、納豆、金魚、などの移動販売が盛んだった。なにか、昭和の半ばの雰囲気がある 血糖は糖質の摂取で急激に増加する。上昇した血糖値のコントロールのために多量のインシュリンが必要となるので、すい臓の機能の障害が発生し、糖尿病になる。さらに高血糖、高血圧などによる血管と血液の不具合が脳卒中や心臓病の原因になり、糖質は、人体にとって有害なばかりなのだ。特に砂糖はその作用が急速で、糖尿病を加速する一方、麻薬と同様、中毒作用があり、酒やタバコよりもはるかに害がある。さらに、癌細胞の栄養素は糖質から作られるブドウ糖であり、糖質を制限させることにより、癌細胞を消滅させることが可能だそうだ。 このように糖質の制限により、すべての生活習慣病が溶解するのだと学者は説く。 札幌一番ソース焼きそばKIANの一番の好みだ。キムと二人で一本のそばをはじから食べて、最後はめでたくキス。昔、カラオケのお姉ちゃんを口説くのに良く使った手だ 一方、フィリピン人の食生活を振り返ってみると、とにかく米を食べる。米におかずの汁をかけて、大皿に山盛りのご飯をたいらげる。さらにミリエンダ(おやつ)でスパゲッティやピザ、さらに焼きそば(パンシット)など、炭水化物/糖質のオンパレードだ。これは、安価にエネルギーをとる最も効率の良い方法で、貧困を生き抜く知恵でもある。だから、少し豊かになってくると、この食生活の延長で、半数以上の女性がおでぶちゃんになってしまった。だから、彼らは50台ともなると、糖尿病や心臓病で亡くなっていく人が実に多い。 一方、KIANの食生活と言えば、パンシットとご飯、それに鶏のからあげ位のもので、徹底的な野菜嫌いだ。ただ、私の影響で味噌汁と海苔が好物なのがせめてもの救いだが、白いご飯にしょうゆあるいはポン酢をかけて食べる根っからの糖質依存証だ。また、我が家では、ソフトドリンクとジャンクフードを禁止しているが、ジャンクフードのほうは、私に隠れて食べているようだ。これら野放しにしたら、すべての食品が糖質になってしまい、KIANの将来はメタボ一色になってしまう。 今日は、パパカーネルの45歳の誕生日。早朝からケーキにローソクをたててKIANが部屋にやってきた。KIANはローソクの火を吹き消すのが大好きで、いつも誰かの誕生日を心待ちにしている […]

メタボ社会は国を滅ぼす(その6、糖質制限で生活習慣病を溶解)2014年11月15日


ママジェーンがシェルのガソリンスタンドからレゴの車を手に入れてきた。1500ペソ以上のガソリンを入れると180ペソの追加料金でレゴがもらえる。中国製ではなくてオリジナルのレゴなので、市中で買ったら1000ペソ位するかもしれない。パッケージはプラスティックでコストと運搬・貯蔵費を節約しており、シェル特注のもののようだ。 かつて、ペトロンでも同様なプロモを行っており、KIANのために5~6台のスポーツカーのおもちゃを手に入れたものだった。そして恒例のサイカでのランチのあと、2台目を手に入れたのだが、シェルのガソリンスタンドはレゴ目当ての客であふれていた。 サイカのランチでは、若い退職者が参加されたが、シェルのレゴの話をしたら、是非、全種類をそろえたいと語っていた。ジオラマや兵隊の人形あるいは車の模型などが大好きな人だから、大人でさえ、大いに興味を引かれる優れものだ。 ママジェーンからプレゼントされたレゴの車は、KIANが分解組み立てするには丁度良いサイズで、一日中、肌身離さず持ち歩いて、大事にしていた。元通りに組み立てるのはちょっと難しいので、好き勝手な形に作り変えて遊んでいる。レゴとしては、特殊でチョロキューの引いて話すと走り始めるのが、私にとっても面白い。 最近、田舎からおばあちゃんとやってきたいとこのジェムジェム(4歳)が、KIANが幼稚園に行っている間に、勝手に持ち出して、遊んでいた。学校から帰るやいなやそれを発見したKIANの怒り用は尋常ではなかった。取り返してからも泣き叫んで、自分で組み立てなおして怒りが静まるまで30分はかかった。   サイカの食事のあと、マカティスクエアのいつものプラモデルやで、レゴの人形を買いに行ったが、KIANは一人で3個(大き目のもので120ペソ、小さいものが50ペソ)買うと主張する。そうなると、ジェムジェムや双子の手前、ちょっと具合が悪い。ジェムジェムはジェムジェムで、ヤヤに小さな車を買ってくれとせがむ。これが意外と高くて300ペソもするので、ヤヤにとってはどうしようもない。わたしとしても300ペソはちょっと痛い。結局、何も買わないで店を出たが、KIANの落胆振りは想像に難くない。それから、シェルのガソリンスタンドで件のレゴカーを手に入れる泣き止まなかった。KIANのおもちゃに対する執念はちょっと異常なものがあり、そろそろ我慢することもしつけないと、やばいかなと思う。 家に戻ってから、双子の一人、アレクサがさっさと組み立ててくれた。アレクサは、こんなことが得意だが、もう一人のアレアは見向きもしない。だから、KIANはアレクサが大好きで、いつもアレクサ、アレクサと傍に呼びたがる。ちなみにアレクサはトンボイで発想が男じみているそうだ。せっかく組みあがったレゴカーだが、しばらくするとKIANは自分風に組み立てなおして、遊んでいた。

KIANは現在、レゴに夢中(その2)2014年11月9日



KIANがまだ、1歳のころ、毎週のように出かけた高級ホテルでのブランチを再開した。この日はまだ万聖節の余韻が残る往年の最高級ホテル、マニラホテルのロビーでの食事だ。まずは広々としたロビーで撮影会、そして、食事、ただ、それだけだが2000ペソ強で、家族全員8人が存分に高級な雰囲気を味わった。 マニラホテルと言えば、1980年代、マルコス時代には、押しも押されぬ高級ホテル、外国要人を迎える迎賓館としてにぎわった。しかし、現在は、マカティを中心とする高級ホテルの出現で、人々から忘れ去られようとしている。しかし、その重厚感あふれる内装はさすがといえる。 ロビーの食卓には骸骨が食事中で、少し気持ちが悪い雰囲気に、顔をしかめるKIAN   魔女との記念撮影、そして変わったチョコレートに興味を示すKIAN マニラホテルのロビーのシャンデリア、そして木造の内装は、さすがの一言だ 皆、記念撮影に夢中だ パパ・カーネルとママ・ジェーンは、記念撮影には興味はなく、いち早くソファーでくつろぐ   料理は、定番のクラブハウスサンドイッチ、それぞれのホテルが工夫をこらしていて、面白い。マニラホテルでは丸型の食パン一個をくりぬいてサンドイッチにして元へ戻すというすぐれものだ。それにKIANにパンシット広東(焼きそば)は欠かせない   それに、カンバル(双子)には、スパゲッティも欠かせない。私に欠かせないのは、もちろんビールだ しばらくしたら、動き回るKIAN、KIANにとってはお行儀などはくそくらえだ 3人前の料理を大人5人、子供3人で、分けたのだが、あまるほどだった。ここに飾られていたカボチャは、実に本物のカボチャだった。万聖節用に特別に品種改良して作ったものなのだろう

マニラホテルでブランチ 2014年11月9日


フィリピンで退職生活を目指す日本人女性の依頼で、タガイタイ・ツアーを行った。はじめは、スービック、クラークを回る予定だったが、往復400kmの日帰りは、いかにも強行軍ということで、適当な距離のタガイタイを目指すことにした。 タガイタイは、1990年の後半から、別荘地ブームにのって、急速にホテル、レストランやアミューズメント施設が整い、リゾートとして脚光を浴びている。マニラから一時間あまりという地理からも、休日は渋滞するほどの混みようだ。この日は、万聖節(All Saint Day)あるいはハロウィンデイなので、敬虔なクリスチャンは皆、墓に行って、リゾートは空っぽと思いきや、意外と観光客であふれていた。 タガイタイ名物はパイナップル。パイナップル畑が丘を覆う(写真左)。タアルビスタホテル庭園よからのタアル湖の絶景(写真右) この日の旅程は下記だが、マニラのきれいな部分を取り上げている。 1.タガイタイ;タアル湖を望む絶景(タアルビスタホテルの庭がベスト)のほか、マホガニーマーケット、スカイランチ(遊園地)、ジョセフィンレストランなど 2.アラバン・パラニャケ;アヤラアラバン・ビリッジを筆頭とするBFホームズ(イリジウム)などの住宅街、外国人が多く居住するメトロマニラ屈指のベッドタウン 3.モールオブエイシア;世界屈指の巨大モール、マニラ湾の夕日、金・土耀の花火が見もの 4.シティランド・コンドミニアム;マカティの庶民向けコンドミニアム 5.グリーンベルト;都会のオアシス、マカティのど真ん中の庭園とレストラン、外国人のたまり場 6.ボニファイシオ・グローバル・シティ;21世紀の新興都市。将来はメトロマニラの中心になると目される(今回は旅程に含まれなかったが是非含めたいところだった)         タアルビスタホテルのロビー(写真左)とジョセフィン・レストラン(写真右)、ともにタアル湖の絶景を見渡しながら食事ができる。 建設が、あらかた完了して、入居も始まったSMDCの大型コンドミニアム・WIND(写真左)、タガイタイの景観を損ねることはなはだしい。タガイタイ名物道端に立ち並ぶ果物商(写真右) モールオブエイシアのスケートリンク、ここからオリンピック選手も出てきているらしい(写真左)。グリーンベルトの夜景、いかにも都会のオアシスだ。 […]

万聖節のタガイタイ・ツアー 2014年11月2日