人は他人(ヒト)のために生きるというのが、人生の終盤にさしかかった私の結論だった。(参考ブログ「人は何のために生きる 2012年11月11日」参照)。そして、晩年は、ビコールの農場に孤児院を開設して、親に見捨てられた恵まれない子供達を育てようという夢を持っていた。 その後、息子が農場を継いで、フィリピーナと結婚して、農場で暮らすと言いはじめた。そして、フィリピンを基盤として、日本へは一年の半分ぐらいを出稼ぎに行くという。さらに子供は、3人作ると宣言している。そのころには私も現役を引退して、農場で余生を送ることになっているだろう。そうなると、孫たちを面倒見るのは、第一は母親であろうが、父親代わりは私となるだろう。 KIANの得意な寝姿はまるで椅子に座ってパソコンを操作しているような格好だ。家庭教師からABCを教わるKIANだが、彼が意外と勉強好きなのに驚いた。回りで、うろうろしていると手で追い払われる たとえ、日本人を父親に持っていたとしても、フィリピン人の母親とその家族と暮らしていたのでは、瞬く間に現地化して、日本人としてのアイデンティティーを失ってしまう。日本に行っても、たどたどしい日本語では、変なガイジンになってしまうので、日本語はネイティブでなければならない。英語、そしてタガログ語、さらに地元のビコール語は、ほっておいてもこなすようになるだろう。この日本語だけは、私の役割なので、家では、日本語だけを使うというルールのほか、インターネットやテレビで日本語の環境を整え、常に日本語に接する環境を用意するつもりだ。日本語の読み書きもインターネットで自習させなければならないだろう。 そんなことを考えていると、私の引退後の生活が見えてきて、子育てが、私の引退後の生きがいとなるだろうと、喜んでいる自分を発見した。そもそも、子育ては両親だけで行うものではない、家族全員がをれぞれの役割を担って行うものだ、というのが私の持論だ。参考ブログ「恋愛・結婚・家族のメカニズム2009年3月4日」参照。 夜は私のベッドで映画を楽しむのが日課のKIAN、いろいろなものを使っておどけてみせる KIANとの4年半の暮らしで、学んだものは、たとえ他人の子供であっても、子育ては、楽しい、ということだ。別に、何の見返りも期待するものではないが、KIANと一緒にいるだけで人生の充実感を覚え、与えるというより、受け取るものが多い。KIANの喜びが私の喜びであり、幸せだ。カラオケでGRO(ホステス)を相手にしているよりも、KIANを相手にしているほうがよほど楽しい。今や、KIANは私のベストフレンドだ。 甘やかしすぎるという感は大いにあるが、KIANの母親-ママ・ジェーンあるいは姉-アティ・キムがきびしく対応しているので、良いバランスだと思っている。おじいちゃんやおばあちゃんが甘いのは古今東西共通だ。問題は、同居しているKIANのいとこ達には、申し訳ないが、何の感情もわかない、ということだ。不公平といわれるかも知れないが、公平にしなければならない理由も見当たらないし、私は、神ではないから、自分の感情をコントロールする気にもなれない。 小さいころよくやったBeautiful Eyes(天使の瞬き)をやって見せるが、あのころのかわいらしさにはかなわない(右) 最近、退職者の方が、子育ては何のためにもならないという話があった。老後の面倒をみてもらえるわけでもないし、結婚するとさっさと家を出て、たまに孫を連れて遊びに来るくらいで、子育ての苦労に見合うものではないと。しかし、それには異論がある。 知り合いの40代の男性は、40歳で、子供をもうけ、猛烈なやる気が出た、だから60歳になって、その子が育ったら、また子供を作って、がんばるのだと語っていた。我が子のために稼ぐのは、男としての本能だろう。そう考えてみると、恋愛、結婚は子作りの準備段階で、子作り・子育てが本命なのだ。だから、子育ては何かのために行うのではなくて、子育てそのものが人生の目的であり、人生そのものなのだ。 自分が、20代から30代にかけての子育て時代は無我夢中で、子育ては生きがいだなんて悠長なことを言っている余裕はなかった。そして、今、自分の子供が育ってしまい、生きている目的を見失っていたような気がするが、KIANと出会って、子育てこそが、人生の永遠の目的であり、人生そのものなのだと悟ったのだ。 ヤヤ・ドナに見守られてパソコンで遊ぶKIANと大きなガンのおもちゃを担いでご機嫌のKIAN […]