セブで英会話学校に通っていた退職者ののぶ子さんが日本に帰国する前に我が家に寄って行った。バギオの湿気に耐えかねて逃げ出したあと、農場で過ごすつもりだったが、例の噴火警報でセブで過ごすことにしたのだ。今回も、数日、農場に行くつもりだったが、噴火警報が3のまま維持され、次回のチャンスということになった。 セブで2ヶ月ほど過ごしたのぶ子さんは、見違えるように元気になって、以前の活発さを取り戻していた。日本で放射能に汚染された体がセブの英語学校の環境で見事によみがえったそうだ。のぶ子さん、お勧めの英会話学校は、松本文夫さんが経営するストーリーシェアという英会話学校で、バギオ、セブなどに開港しているが、ビリッジの一軒家を借りて、良好な環境で英会話が学べるとのこと。詳細は http://storyshare-e.com/ にアクセス。 CそITADINEからの景色(写真左)久々に面会したジェーンの喜びようは尋常ではなく、早速、その晩、我が家で鉄板焼きパーティ、大量の食材を買い入れて、夜の11時まで歓談した(写真右)。 今回、のぶ子さんは、友人とともに、マカティ、サルセドのCITADINESというコンドテルに泊まった(PRAから100m位の至近距離)。高級コンドミニアムをホテルとして営業しているが、外見とロビーは地味だが、部屋そのものは五つ星ホテルをはるかにしのぐ、のぶ子さんのお気に入りだ。窓からは、公園とそれを取り巻く高級コンドミニアムが見える。ただし宿泊料金は、ワンベッドルームが一泊150ドルで決して安いとは言いがたい。 翌日は、おいしい日本食が食べたいということで、最高級と思われる、シャングリラホテルの稲菊で食事をとった。さすが、五つ星の最高級ホテルというだけあって、ロビーやレストラン等のアニメティはすばらしい。 1時間もするとKIANは飽きてしまい、私を誘って、外に遊びに出た。ロビーは広々としているので、KIANは喜んで走り回っていた(写真右)。 以前食べた幕の内弁当がすばらしかったので、メニューにはないが、それを6個注文にした。20~30分たってから、それは昼のメニューで、夜はないと、ウエイトレスが言ってきた。そして、セットメニューは会席になるというが、3000~6000ペソ/人という値段に注文する勇気が出ない。アラカルトの値段を見て、躊躇している私を尻目に、のぶ子さんがさっさと注文してくれた。しかし、値段のわりに量が少なくて、物足りない。でも、個々の料理の味はたしかにうまい。ジェーン曰く、サイカは、ここに比べたらトロトロのレベルだと。 KIANは、僕には何を注文してくれるのと、何度も聞くが、ここには焼きそばやラーメンなどの庶民のメニューはない。それに一番近い、焼きうどんを注文したのだが、KIANは一口食べて、後は手をつけなかった。我々にはサイカ・レベルが一番合っているようだ。 食事の後は、さらにロビーでデザートを食べる。このときもKIANはテーブルの下にもぐりこんだりして、遊びに余念がない。 いざ、帰ろうとしたら、入り口がやけに物々しい。ホテルの従業員が一列に並んで、誰かVIPを迎える体勢だ。聞いてみると、マライア・キャリーが泊まるそうで、われわれもその到着を待つことにした。翌日、モールオブエイシアで行われるショーは15000ペソもするというので、ジェーン夫妻は涙を飲んだそうだが、この際、只見を決め込んだ。 スタッフはすべて黒人、何人ものカメラマンが大きなカメラを抱え、準備に余念がない。太目の女性スタッフがノーカメラとわめいている。爆弾犬も警戒に余念がない。 ようやく到着したバスから、体格の良い黒人女性が次々と降りてくる。しかし、見慣れたマライア・キャリーの顔が見当たらない。どうも、隠密行動で、どこか別のところに宿を取るか、明日の到着になるらしい。とんだ人騒がせな話だ。時計は、11時近くになっていて、とんだとばっちりを受けたKIANはパパ・カーネルの腕の中で眠りについていた。 この日、のぶ子さんがしゃれたバッグをジェーンにプレゼントした。きっとバリクバヤンかSMのKulturaあたりで、買ったものだろうが、日本へのお土産に買おうと心に決めた。さすが女性はいいものを選ぶもんだと感心する。