Yearly Archives: 2014


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人は他人(ヒト)のために生きるというのが、人生の終盤にさしかかった私の結論だった。(参考ブログ「人は何のために生きる 2012年11月11日」参照)。そして、晩年は、ビコールの農場に孤児院を開設して、親に見捨てられた恵まれない子供達を育てようという夢を持っていた。 その後、息子が農場を継いで、フィリピーナと結婚して、農場で暮らすと言いはじめた。そして、フィリピンを基盤として、日本へは一年の半分ぐらいを出稼ぎに行くという。さらに子供は、3人作ると宣言している。そのころには私も現役を引退して、農場で余生を送ることになっているだろう。そうなると、孫たちを面倒見るのは、第一は母親であろうが、父親代わりは私となるだろう。 KIANの得意な寝姿はまるで椅子に座ってパソコンを操作しているような格好だ。家庭教師からABCを教わるKIANだが、彼が意外と勉強好きなのに驚いた。回りで、うろうろしていると手で追い払われる たとえ、日本人を父親に持っていたとしても、フィリピン人の母親とその家族と暮らしていたのでは、瞬く間に現地化して、日本人としてのアイデンティティーを失ってしまう。日本に行っても、たどたどしい日本語では、変なガイジンになってしまうので、日本語はネイティブでなければならない。英語、そしてタガログ語、さらに地元のビコール語は、ほっておいてもこなすようになるだろう。この日本語だけは、私の役割なので、家では、日本語だけを使うというルールのほか、インターネットやテレビで日本語の環境を整え、常に日本語に接する環境を用意するつもりだ。日本語の読み書きもインターネットで自習させなければならないだろう。 そんなことを考えていると、私の引退後の生活が見えてきて、子育てが、私の引退後の生きがいとなるだろうと、喜んでいる自分を発見した。そもそも、子育ては両親だけで行うものではない、家族全員がをれぞれの役割を担って行うものだ、というのが私の持論だ。参考ブログ「恋愛・結婚・家族のメカニズム2009年3月4日」参照。 夜は私のベッドで映画を楽しむのが日課のKIAN、いろいろなものを使っておどけてみせる KIANとの4年半の暮らしで、学んだものは、たとえ他人の子供であっても、子育ては、楽しい、ということだ。別に、何の見返りも期待するものではないが、KIANと一緒にいるだけで人生の充実感を覚え、与えるというより、受け取るものが多い。KIANの喜びが私の喜びであり、幸せだ。カラオケでGRO(ホステス)を相手にしているよりも、KIANを相手にしているほうがよほど楽しい。今や、KIANは私のベストフレンドだ。 甘やかしすぎるという感は大いにあるが、KIANの母親-ママ・ジェーンあるいは姉-アティ・キムがきびしく対応しているので、良いバランスだと思っている。おじいちゃんやおばあちゃんが甘いのは古今東西共通だ。問題は、同居しているKIANのいとこ達には、申し訳ないが、何の感情もわかない、ということだ。不公平といわれるかも知れないが、公平にしなければならない理由も見当たらないし、私は、神ではないから、自分の感情をコントロールする気にもなれない。 小さいころよくやったBeautiful Eyes(天使の瞬き)をやって見せるが、あのころのかわいらしさにはかなわない(右) 最近、退職者の方が、子育ては何のためにもならないという話があった。老後の面倒をみてもらえるわけでもないし、結婚するとさっさと家を出て、たまに孫を連れて遊びに来るくらいで、子育ての苦労に見合うものではないと。しかし、それには異論がある。 知り合いの40代の男性は、40歳で、子供をもうけ、猛烈なやる気が出た、だから60歳になって、その子が育ったら、また子供を作って、がんばるのだと語っていた。我が子のために稼ぐのは、男としての本能だろう。そう考えてみると、恋愛、結婚は子作りの準備段階で、子作り・子育てが本命なのだ。だから、子育ては何かのために行うのではなくて、子育てそのものが人生の目的であり、人生そのものなのだ。 自分が、20代から30代にかけての子育て時代は無我夢中で、子育ては生きがいだなんて悠長なことを言っている余裕はなかった。そして、今、自分の子供が育ってしまい、生きている目的を見失っていたような気がするが、KIANと出会って、子育てこそが、人生の永遠の目的であり、人生そのものなのだと悟ったのだ。 ヤヤ・ドナに見守られてパソコンで遊ぶKIANと大きなガンのおもちゃを担いでご機嫌のKIAN […]

人は何のために生きる(その2 子育ては人生そのもの)2014年11月16日


ここ数年、生理学者から、毎日、メールマガジンが送られてくる。題目は、不老長寿で、健康で長生きするための食生活、食品と薬の効能と害、病気のメカニズム、臓器の役割と仕組み、などなど、幅広い分野を、毎回数十ページで解説し、すでに1000編以上が送られて来ている。そして、最近の話題が、生活習慣病を溶解する(なくす)方法は、糖質制限、すなわち、米、パン、麺類等の主食を制限して、野菜・果物、肉・魚、それにナッツや豆など、たんぱく質と脂肪そして繊維質中心の食生活を行うことだと説いている。これは、最近話題になっている糖質制限ダイエット法の理論的バックグランドでもあるようだ。 生活習慣病とは、ご承知の通り糖尿病や肥満を代表とするいわゆるメタボで、脳溢血や心臓病など、細菌やウイルスによらない、人体そのものの機能障害に起因する病気で、癌もその一部で死因の60%以上を占めている。血糖値や血圧を下げる薬など製薬会社の儲け頭になっているが、これらの病気は薬で完治させることはできず、人々を一生、薬漬けにして莫大な利益を製薬会社にもたらせている。 これらの病気は、すべて、現代人の米、パン、麺類など糖質中心の食生活に起因しており、それを変えない限り、増加する一方で、やがて国を滅ぼす。現に、医療費の増大などによる健康保険の破綻など国家の財政を揺るがす問題となっている。 今日は恒例の土曜食事会にKIANの家族一同が参加して、いつものハーフ塩ラーメンとエビフライの衣、糖質ばかりを食べている。右は、姉のキムといちゃいちゃしているKIAN 人類700万年の歴史のほとんどは狩猟採集生活で、肉や昆虫、魚貝や海草、果物・木の実や山菜などを食して生きてきた。それは常に飢餓との戦いだったが、やがて、牧畜により、牛乳、チーズやバターなどの乳製品を食するようになり、さらに1万年ほど前から農耕が始まり、穀物という食料を安定的に確保できるようになった。 人類は、つい最近になって穀物というものを口にするようになったのだが、これら穀物は、炭水化物あるいは糖質が主で、米、パン、麺類、いわゆる主食といわれるものだ。そして、穀物から主要なエネルギーを賄うことにより、人類は人口を飛躍的に増加することが可能となり、地球制覇を成し遂げた。現代人にとって、穀物抜きでは食生活を語ることはできない。 しかし、件の生理学者は、この糖質の摂取こそが、人類をして生活習慣病に罹病させる原因だと説く。人類は700万年の間、糖質以外の食物を摂取して生きるよう体の仕組みを作ってきた。しかし、糖質を主に摂取するようになって、人体が機能障害を起こし、いわゆる生活習慣病を引起こしているというのだ。ちなみに野生動物は生活習慣病にかからない。しかし、人間に飼われたペットは、人間と似た食生活をするために、生活習慣病にかかり、メタボ犬やメタボ猫が出現している。 さらに、700万年の間、常に飢餓にさらされてきた人類は、食べられるときに食べて脂肪をためて、飢餓に備えるという仕組みを体内に持っている。この蓄えられた脂肪は、現代は飢餓によって消費される機会がないため、体内に蓄え続けられる。これが肥満となり、現在、世界人口の30%、約21億人の肥満とされ、生活習慣病の主因になっている。人類は農耕により、穀物を手に入れ、地球を制覇するに至ったが、その代わりに、生活習慣病という宿命を背負ったのだ。 街で見かけた、生活雑貨の移動販売。私が、子供のころは、豆腐、納豆、金魚、などの移動販売が盛んだった。なにか、昭和の半ばの雰囲気がある 血糖は糖質の摂取で急激に増加する。上昇した血糖値のコントロールのために多量のインシュリンが必要となるので、すい臓の機能の障害が発生し、糖尿病になる。さらに高血糖、高血圧などによる血管と血液の不具合が脳卒中や心臓病の原因になり、糖質は、人体にとって有害なばかりなのだ。特に砂糖はその作用が急速で、糖尿病を加速する一方、麻薬と同様、中毒作用があり、酒やタバコよりもはるかに害がある。さらに、癌細胞の栄養素は糖質から作られるブドウ糖であり、糖質を制限させることにより、癌細胞を消滅させることが可能だそうだ。 このように糖質の制限により、すべての生活習慣病が溶解するのだと学者は説く。 札幌一番ソース焼きそばKIANの一番の好みだ。キムと二人で一本のそばをはじから食べて、最後はめでたくキス。昔、カラオケのお姉ちゃんを口説くのに良く使った手だ 一方、フィリピン人の食生活を振り返ってみると、とにかく米を食べる。米におかずの汁をかけて、大皿に山盛りのご飯をたいらげる。さらにミリエンダ(おやつ)でスパゲッティやピザ、さらに焼きそば(パンシット)など、炭水化物/糖質のオンパレードだ。これは、安価にエネルギーをとる最も効率の良い方法で、貧困を生き抜く知恵でもある。だから、少し豊かになってくると、この食生活の延長で、半数以上の女性がおでぶちゃんになってしまった。だから、彼らは50台ともなると、糖尿病や心臓病で亡くなっていく人が実に多い。 一方、KIANの食生活と言えば、パンシットとご飯、それに鶏のからあげ位のもので、徹底的な野菜嫌いだ。ただ、私の影響で味噌汁と海苔が好物なのがせめてもの救いだが、白いご飯にしょうゆあるいはポン酢をかけて食べる根っからの糖質依存証だ。また、我が家では、ソフトドリンクとジャンクフードを禁止しているが、ジャンクフードのほうは、私に隠れて食べているようだ。これら野放しにしたら、すべての食品が糖質になってしまい、KIANの将来はメタボ一色になってしまう。 今日は、パパカーネルの45歳の誕生日。早朝からケーキにローソクをたててKIANが部屋にやってきた。KIANはローソクの火を吹き消すのが大好きで、いつも誰かの誕生日を心待ちにしている […]

メタボ社会は国を滅ぼす(その6、糖質制限で生活習慣病を溶解)2014年11月15日



ママジェーンがシェルのガソリンスタンドからレゴの車を手に入れてきた。1500ペソ以上のガソリンを入れると180ペソの追加料金でレゴがもらえる。中国製ではなくてオリジナルのレゴなので、市中で買ったら1000ペソ位するかもしれない。パッケージはプラスティックでコストと運搬・貯蔵費を節約しており、シェル特注のもののようだ。 かつて、ペトロンでも同様なプロモを行っており、KIANのために5~6台のスポーツカーのおもちゃを手に入れたものだった。そして恒例のサイカでのランチのあと、2台目を手に入れたのだが、シェルのガソリンスタンドはレゴ目当ての客であふれていた。 サイカのランチでは、若い退職者が参加されたが、シェルのレゴの話をしたら、是非、全種類をそろえたいと語っていた。ジオラマや兵隊の人形あるいは車の模型などが大好きな人だから、大人でさえ、大いに興味を引かれる優れものだ。 ママジェーンからプレゼントされたレゴの車は、KIANが分解組み立てするには丁度良いサイズで、一日中、肌身離さず持ち歩いて、大事にしていた。元通りに組み立てるのはちょっと難しいので、好き勝手な形に作り変えて遊んでいる。レゴとしては、特殊でチョロキューの引いて話すと走り始めるのが、私にとっても面白い。 最近、田舎からおばあちゃんとやってきたいとこのジェムジェム(4歳)が、KIANが幼稚園に行っている間に、勝手に持ち出して、遊んでいた。学校から帰るやいなやそれを発見したKIANの怒り用は尋常ではなかった。取り返してからも泣き叫んで、自分で組み立てなおして怒りが静まるまで30分はかかった。   サイカの食事のあと、マカティスクエアのいつものプラモデルやで、レゴの人形を買いに行ったが、KIANは一人で3個(大き目のもので120ペソ、小さいものが50ペソ)買うと主張する。そうなると、ジェムジェムや双子の手前、ちょっと具合が悪い。ジェムジェムはジェムジェムで、ヤヤに小さな車を買ってくれとせがむ。これが意外と高くて300ペソもするので、ヤヤにとってはどうしようもない。わたしとしても300ペソはちょっと痛い。結局、何も買わないで店を出たが、KIANの落胆振りは想像に難くない。それから、シェルのガソリンスタンドで件のレゴカーを手に入れる泣き止まなかった。KIANのおもちゃに対する執念はちょっと異常なものがあり、そろそろ我慢することもしつけないと、やばいかなと思う。 家に戻ってから、双子の一人、アレクサがさっさと組み立ててくれた。アレクサは、こんなことが得意だが、もう一人のアレアは見向きもしない。だから、KIANはアレクサが大好きで、いつもアレクサ、アレクサと傍に呼びたがる。ちなみにアレクサはトンボイで発想が男じみているそうだ。せっかく組みあがったレゴカーだが、しばらくするとKIANは自分風に組み立てなおして、遊んでいた。

KIANは現在、レゴに夢中(その2)2014年11月9日


KIANがまだ、1歳のころ、毎週のように出かけた高級ホテルでのブランチを再開した。この日はまだ万聖節の余韻が残る往年の最高級ホテル、マニラホテルのロビーでの食事だ。まずは広々としたロビーで撮影会、そして、食事、ただ、それだけだが2000ペソ強で、家族全員8人が存分に高級な雰囲気を味わった。 マニラホテルと言えば、1980年代、マルコス時代には、押しも押されぬ高級ホテル、外国要人を迎える迎賓館としてにぎわった。しかし、現在は、マカティを中心とする高級ホテルの出現で、人々から忘れ去られようとしている。しかし、その重厚感あふれる内装はさすがといえる。 ロビーの食卓には骸骨が食事中で、少し気持ちが悪い雰囲気に、顔をしかめるKIAN   魔女との記念撮影、そして変わったチョコレートに興味を示すKIAN マニラホテルのロビーのシャンデリア、そして木造の内装は、さすがの一言だ 皆、記念撮影に夢中だ パパ・カーネルとママ・ジェーンは、記念撮影には興味はなく、いち早くソファーでくつろぐ   料理は、定番のクラブハウスサンドイッチ、それぞれのホテルが工夫をこらしていて、面白い。マニラホテルでは丸型の食パン一個をくりぬいてサンドイッチにして元へ戻すというすぐれものだ。それにKIANにパンシット広東(焼きそば)は欠かせない   それに、カンバル(双子)には、スパゲッティも欠かせない。私に欠かせないのは、もちろんビールだ しばらくしたら、動き回るKIAN、KIANにとってはお行儀などはくそくらえだ 3人前の料理を大人5人、子供3人で、分けたのだが、あまるほどだった。ここに飾られていたカボチャは、実に本物のカボチャだった。万聖節用に特別に品種改良して作ったものなのだろう

マニラホテルでブランチ 2014年11月9日



フィリピンで退職生活を目指す日本人女性の依頼で、タガイタイ・ツアーを行った。はじめは、スービック、クラークを回る予定だったが、往復400kmの日帰りは、いかにも強行軍ということで、適当な距離のタガイタイを目指すことにした。 タガイタイは、1990年の後半から、別荘地ブームにのって、急速にホテル、レストランやアミューズメント施設が整い、リゾートとして脚光を浴びている。マニラから一時間あまりという地理からも、休日は渋滞するほどの混みようだ。この日は、万聖節(All Saint Day)あるいはハロウィンデイなので、敬虔なクリスチャンは皆、墓に行って、リゾートは空っぽと思いきや、意外と観光客であふれていた。 タガイタイ名物はパイナップル。パイナップル畑が丘を覆う(写真左)。タアルビスタホテル庭園よからのタアル湖の絶景(写真右) この日の旅程は下記だが、マニラのきれいな部分を取り上げている。 1.タガイタイ;タアル湖を望む絶景(タアルビスタホテルの庭がベスト)のほか、マホガニーマーケット、スカイランチ(遊園地)、ジョセフィンレストランなど 2.アラバン・パラニャケ;アヤラアラバン・ビリッジを筆頭とするBFホームズ(イリジウム)などの住宅街、外国人が多く居住するメトロマニラ屈指のベッドタウン 3.モールオブエイシア;世界屈指の巨大モール、マニラ湾の夕日、金・土耀の花火が見もの 4.シティランド・コンドミニアム;マカティの庶民向けコンドミニアム 5.グリーンベルト;都会のオアシス、マカティのど真ん中の庭園とレストラン、外国人のたまり場 6.ボニファイシオ・グローバル・シティ;21世紀の新興都市。将来はメトロマニラの中心になると目される(今回は旅程に含まれなかったが是非含めたいところだった)         タアルビスタホテルのロビー(写真左)とジョセフィン・レストラン(写真右)、ともにタアル湖の絶景を見渡しながら食事ができる。 建設が、あらかた完了して、入居も始まったSMDCの大型コンドミニアム・WIND(写真左)、タガイタイの景観を損ねることはなはだしい。タガイタイ名物道端に立ち並ぶ果物商(写真右) モールオブエイシアのスケートリンク、ここからオリンピック選手も出てきているらしい(写真左)。グリーンベルトの夜景、いかにも都会のオアシスだ。 […]

万聖節のタガイタイ・ツアー 2014年11月2日


セブで英会話学校に通っていた退職者ののぶ子さんが日本に帰国する前に我が家に寄って行った。バギオの湿気に耐えかねて逃げ出したあと、農場で過ごすつもりだったが、例の噴火警報でセブで過ごすことにしたのだ。今回も、数日、農場に行くつもりだったが、噴火警報が3のまま維持され、次回のチャンスということになった。 セブで2ヶ月ほど過ごしたのぶ子さんは、見違えるように元気になって、以前の活発さを取り戻していた。日本で放射能に汚染された体がセブの英語学校の環境で見事によみがえったそうだ。のぶ子さん、お勧めの英会話学校は、松本文夫さんが経営するストーリーシェアという英会話学校で、バギオ、セブなどに開港しているが、ビリッジの一軒家を借りて、良好な環境で英会話が学べるとのこと。詳細は http://storyshare-e.com/ にアクセス。 CそITADINEからの景色(写真左)久々に面会したジェーンの喜びようは尋常ではなく、早速、その晩、我が家で鉄板焼きパーティ、大量の食材を買い入れて、夜の11時まで歓談した(写真右)。 今回、のぶ子さんは、友人とともに、マカティ、サルセドのCITADINESというコンドテルに泊まった(PRAから100m位の至近距離)。高級コンドミニアムをホテルとして営業しているが、外見とロビーは地味だが、部屋そのものは五つ星ホテルをはるかにしのぐ、のぶ子さんのお気に入りだ。窓からは、公園とそれを取り巻く高級コンドミニアムが見える。ただし宿泊料金は、ワンベッドルームが一泊150ドルで決して安いとは言いがたい。 翌日は、おいしい日本食が食べたいということで、最高級と思われる、シャングリラホテルの稲菊で食事をとった。さすが、五つ星の最高級ホテルというだけあって、ロビーやレストラン等のアニメティはすばらしい。 1時間もするとKIANは飽きてしまい、私を誘って、外に遊びに出た。ロビーは広々としているので、KIANは喜んで走り回っていた(写真右)。 以前食べた幕の内弁当がすばらしかったので、メニューにはないが、それを6個注文にした。20~30分たってから、それは昼のメニューで、夜はないと、ウエイトレスが言ってきた。そして、セットメニューは会席になるというが、3000~6000ペソ/人という値段に注文する勇気が出ない。アラカルトの値段を見て、躊躇している私を尻目に、のぶ子さんがさっさと注文してくれた。しかし、値段のわりに量が少なくて、物足りない。でも、個々の料理の味はたしかにうまい。ジェーン曰く、サイカは、ここに比べたらトロトロのレベルだと。 KIANは、僕には何を注文してくれるのと、何度も聞くが、ここには焼きそばやラーメンなどの庶民のメニューはない。それに一番近い、焼きうどんを注文したのだが、KIANは一口食べて、後は手をつけなかった。我々にはサイカ・レベルが一番合っているようだ。 食事の後は、さらにロビーでデザートを食べる。このときもKIANはテーブルの下にもぐりこんだりして、遊びに余念がない。 いざ、帰ろうとしたら、入り口がやけに物々しい。ホテルの従業員が一列に並んで、誰かVIPを迎える体勢だ。聞いてみると、マライア・キャリーが泊まるそうで、われわれもその到着を待つことにした。翌日、モールオブエイシアで行われるショーは15000ペソもするというので、ジェーン夫妻は涙を飲んだそうだが、この際、只見を決め込んだ。 スタッフはすべて黒人、何人ものカメラマンが大きなカメラを抱え、準備に余念がない。太目の女性スタッフがノーカメラとわめいている。爆弾犬も警戒に余念がない。 ようやく到着したバスから、体格の良い黒人女性が次々と降りてくる。しかし、見慣れたマライア・キャリーの顔が見当たらない。どうも、隠密行動で、どこか別のところに宿を取るか、明日の到着になるらしい。とんだ人騒がせな話だ。時計は、11時近くになっていて、とんだとばっちりを受けたKIANはパパ・カーネルの腕の中で眠りについていた。 この日、のぶ子さんがしゃれたバッグをジェーンにプレゼントした。きっとバリクバヤンかSMのKulturaあたりで、買ったものだろうが、日本へのお土産に買おうと心に決めた。さすが女性はいいものを選ぶもんだと感心する。

高級和食料理稲菊(シャングリラホテル)で食事 2014年11月2日



マニラ空港(NAIA)、ターミナル3の目の前にあるResort Worldには、てっきりカジノがあるだけと思っていた。しかし、そこは高級ブランド店が立ち並ぶ立派なモールで、食事や映画も楽しめる高級社交場だった。 この日、カーネルも休みで、久しぶりにホテルでブランチを楽しもうと提案したら、ジェーンはResort Worldに行ってみたいと言い出した。そこは、カジノだから子供は入れないと言うと、素敵な食事どころがあるということなので、皆で出かけることにした。 入り口にはスーパーカーが10台ほど陳列されており、いかにも別世界の感を呈していた。カジノを横目に置くに入ると、まさに名の知れた高級ブランド店が立ちならんでいる。そんなところに用はないので、2階、3階に上がっていくと、確かに普通のレストランが並んでいる。さらに映画館、ゲームセンターもあり、ちょっとお金のありそうな庶民が楽しんでいた。 おなじみのど派手な看板が目を引く。その前の駐車場には、アウディ、ベンツ、BMWなどのスポーツカー、さらに、マセラッティ、ポルシェ、ランボルギーニなどのスーパーカーが並べられ、いかにも高級感をかもし出していた。 カジノは、もちろん18歳未満は入場禁止。せめてもと記念写真を撮る 一階、中央通路には流行の映画の主人公の人形やレゴで作った街などが陳列されKIANを喜ばせた。        2階に上る階段にはディスプレイが施され、動画が映し出されるという面白い嗜好だ。 アジア各国の料理が楽しめるジョニー・チューというレストランで食事をすることになったが、メニューはほとんど肉で、健康志向の我々には選択に窮した。KIANにとってはパンシット広東(焼きそば)がありさえすればご機嫌だ。 ヨーロッパ風にアレンジされた中庭は、催し物の会場のようだ。 2階の中庭では来週に迫ったハロウィンにちなんだ催し物があるようで、悪魔の衣装に身を固めた子供達が集っていた。       ゲームセンターを見つけて夢中でゲームに励むKIANだが、4歳のKIANに適したゲームはあまりなかった。    雨上がりのスカイウエイから眺めるマカティ、そしてボニファシオは非常にクリアだった。 […]

Resort World で食事 2014年10月29日


相棒のジェーンは毎週、日曜の朝、家族(ジェーン、カーネル、キム、KIAN)で教会のミサに参加するのが日課だ。我が家のあるPrime City Condoの隣はセント・ポールという有名な教会なので、歩いて5分の至近距離にある。特に我が家は敷地の端にあるので、塀の向うは教会の敷地だ。この教会には神学校が併設されているので(といより新学校に教会が併設されているといったほうが正しい)、広大な敷地を有するが、もともとPrime City Condoの敷地も、この神学校のものだった。 この日、キムは警察学校の入学試験で、不在だったが、代わりに私が、3人に同行した。コンドと教会の間の塀には小さな出入り口があって、日曜の朝だけは、扉が開いていて、コンドの住民は近道を通って教会へ行くことができる。両親はKIANを敬虔なクリスチャンとして育てようと考えているのか、以前は、見向きもしなかった教会通いをしている。 私と言えば、宗教には全く無関心なので、何も語ることはできないが、心の平穏を得るために、必要なものだとは思う。しかし、イスラム国にように平穏を乱すように作用することもあるので、一概には語れないだろう。歴史的には主教には弾圧と戦争がつきもので、キリスト教といえどもだった例外ではなかった。 教会の回りは緑に囲まれ、落ち着いた雰囲気をかもし出している。ミサの参加者も、ほとんどがPrime City Condoの住民で、いわば中間層だ。 小粒の教会だが、凝ったつくりをしている。そこかしこにおかれた扇風機が目を引いた。          後ろのほうに座ったが、KIANは今一興味がなさそうだ。天井の巨大な扇風機も珍しい。 寄付を神父に届ける役割を与えられたKIANは緊張気味だ。それが終わると、ほっとしたのかうれしそうに走って戻ってきた。 延々と続くミサに痺れを切らしたKIANは、しばし私と息抜きに外へ出た。涼しい木陰で戯れるKIAN。ろうそく台では5ペソで平たいろうそくを買い、それを吹き消すKIAN。ろうそくと言えば、KIANにとっては誕生日なのだ。   ようやくミサが終わって、近所のお医者さんに抱かれるKIAN(ジェーンのまぶたの整形手術した整形医)。教会の外では例の甘いタホ(豆腐)を売るおじさんが大忙しだ。

日曜のミサに参加 2014年10月29日



先ごろ、退職ビザをおとりになった退職者が、早速、コンドミニアムを購入された。知り合いの方が住まわれているDMCI HOMESのSiena Parkで、スカイウエイのビクータン出口にほど近いところにある建設済みの物件だ。車がないとちょっと不便だが、SMに歩いて行けるところが売りだ。 はじめは、PRA預託金を購入費の一部に充当する予定だったが、DMCIと打ち合わせると、どうもPRAの要求する書類をすみやかにそろえるのが、例のごとく難航しそうだった。そこで、まず、別途の資金で購入し、タイトルが退職者名義に移動されてからPRA預託金を引き出すという代案で進めることにした。 すでに完成済みということで、支払い完了後、すみやかに引き渡されるものと想定した。しかし、実際は、全額を支払って、売買契約が完了してから、最終仕上げにかかるということで、それに2ヶ月を費やしてしまった。そして、ようやく、引渡しにこぎつけ、最終検査と鍵の引渡しを無事に終えた。 しかし、ユニットが引き渡されたとはいえ、まだまだ予断を許さない。こちらは、すでに購入価格の全額を支払い条件を満たしているにも関わらず、DMCI からは、何一つ必要書類が手渡されていないのだ。取引を完璧にするため、下記の5つの書類を手にするまでは、決して安心してはいけない。 1.OR(Official Receipt);領収書は支払いと同時に渡されるもののはずだが、エージェントの仮の領収書がその場で発行されただけで、ORの発行には一週間かかるという。それが、一ヵ月後くらいになってようやく発行され、E-メールでスキャンコピーがエージェントから送られてきた。その後もエージェントが預かったままで、引渡しのときになっても手にすることができていない。 2.売買契約書(Deed of Absolute Sale);これも、お金の支払いと同時に双方が署名して渡されるべきものだが、発行は、1ヵ月後になるという。ユニットと駐車場、それに物干し上の3つの契約が、それぞれ10部、10ページくらいあって、全部で300枚に署名するのは大仕事だったので、さもありなんと思ったが、2ヵ月後の引渡し時点でも手にできる気配が全くない。 3.権利書(CCT、Condominium Certificate […]

DMCI Siena Park購入の顛末 2014年10月24日


3歳の誕生日までは、まるで女の子のように髪を長くしていて、まずは100%、女の子と身間違えられていた。しかし、4歳半になって、見事な短髪になって、まさに男の子のイメージに変身した。フィリピンでは一歳の誕生日までは髪を切ってはいけないという習慣があるが、KIANは2歳までほとんど髪を切ることはなかった。今回の決断についてジェーン曰く、単に散髪代を倹約するためだと。しかし、刈上げ頭のKIANのイメージが乱暴な男と映って、幼稚園で、他の園児に敬遠されがちになってしまった。そこで、ジェーンは、女の子に見られない程度の長髪に戻すことにしたそうだ。しかし、髪が伸びるまで少々時間がかかりそうだ。 2歳のころのKIANは肩まで届く長髪で、誰しもが女の子と思って疑いもしなかった。一方、本人も多分にそう思っていたふしがある 3歳の誕生日の前日に髪を切って誕生パーティに臨んだKIAN。3本の指を突き出し、大量の誕生ケーキを吹き消すのに躍起となっていた 今月、4歳半になって短髪にイメージチェンジをしたKIAN。髪を切って来た当初は恥ずかしがって写真を撮らせなかったが、ちょっと慣れるとポーズをとって、いよいよボーイとしてのデビューだ         幼稚園に出かけるときもまさに男の子のいでたちだ(左)。農場を歩くために買ってもらった長靴を得意になって披露するKIAN(右) 私のベッドの下にもぐりこんでお茶目振りを発揮するKIAN(左)。恒例のサイカのランチもかなり雰囲気が違っている(右) 腕を組んで怒りのポーズのKIAN(左)と怒られたときにとる新しいポーズを披露するKIAN(右) このとき田舎からやってきているいとこのジェムジェム(4歳)と喧嘩していたのだが(左)、真正面から挑みかかるジェムジェムに対して、横を向きながら、「I punch you」と小声でつぶやくKIANの態度は、ママジェーンとそっくりだ。右の写真はろうそくに日をつけて「I wish ...」と願をかけるKIAN 足を組んで寝入るKIAN、新しい寝姿だ(右)と姉のキムとのツーショットを私のベッドの上で楽しむKIAN(右)

KIANが髪を切りました 2014年10月19日