Monthly Archives: February 2015


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洞窟探検の後は、まずは、レガスピ市のなじみのアリバーレストランでランチ、そして、その後、ジェーンが将来、展望レストランを計画している土地を尋ねた。 レガスピ市の市庁舎の裏手の丘にあるジェーンの土地は、北にマヨン火山、東にレガスピ市を望む絶景だ。この日、マヨン火山は、雲に隠れて見えなかったが、レガスピ市は、ばっちりだった。そこには、ジェーンのもち物であることを示すたて看板が誇らしげに立っていた。 道路を挟んで反対側に1000m2ほどの、小高い土地があって、そこからは360度の景色を楽しめる。西側は広大な椰子の木林が広がっており、ここで、展望レストランとペンションを建設し、この子達に運営を委ねるという算段だ。未来のオーナーはもちろんKIANだ。幼くして、レストランのオーナーを約束された、KIANは幸せ者だ。 この日は、適度な風も吹いて、将来の夢を描きながら、心地の良いひと時を皆で過ごした。  

レガスピの展望レストラン用地訪問 2015年2月5日


ジェーンの勧めで、今日は、皆で近くの鍾乳洞を探検に行った。2~3度、行ったことはあるのだが、KIANにとっては初体験なのできっと喜ぶだろうという主旨だ。農場から車で一時間くらいのところにあるこの洞窟は、Hoyop-hoyopan Cave と呼ばれ、フィリピンでは、あまりおめにかかれない鍾乳洞だ。しかし、山の中腹にあるためか、水はほとんどなくて、美しいとは、ちょっと言いにくい洞窟だ。 農場に遊びに来ていたカレッジグループを伴い、トライシクルでタバコの街に向かったが、途中、年末のパレードに遭遇。ジェーンの長兄、ダシンの家で、教会に出かけていたジェーン一家を待つ。 カレッジが5人、ハイスクールが一人、それにKIAN、私と息子、それにカーネルとジェーンの総勢11人が7人乗りの三菱モンテールでぎゅうぎゅう詰めでで出かけた。年長組みで車はいっぱいだったので、後、7人の年少組みは、割愛された。1時間くらいで、 ホヨップホヨパンというおかしな名前の洞窟に到着。カーネルとジェーンは、どういうわけか車で待っているというので、子供達を伴って、急坂を登ること、約5分、いよいよ洞窟に到着だ。       ホヨップホヨッパンと風が吹き抜けるというような意味らしいが、暗闇に恐れをなしたKIANは、常に抱っこをねだる。私は、写真撮影に忙しいので、もっぱら息子が抱っこ役だ。 洞窟を突き抜けると反対側の斜面に出る。そこからは、マヨンの絶景が拝めるはずだったが、今日は雲って見えなかった。さらに、ちょっと上にある入り口から再び洞窟に入ると、天井にはこうもりがいて、KIANはものめずらしそうに懐中電灯をあてている。 大きな手のように見える鍾乳石には頭をつけて挨拶するKIAN。           洞窟を出ると、おきまりのお土産屋だ。記帳をしてから、皆、キーホルダーなど他愛のないものを買い求めていた。

洞窟探検 2015年2月3日



翌日、一日違いで農場を訪問する息子を出迎えにレガスピ空港に皆で出かけた。しかし、息子からの連絡によると、空港は大混乱で、出発予定になってもチェックインもできず、この日の内に出発できるかどうかも知れず、ただ、ひたすら空港で待っているだけとのこと。それでも、レガスピに遊びに行けると期待している子供達の手前、出迎えを中止するわけにも行かず、とりあえず、大勢で出かけて行った。 二日目の農場といえば、雨がちで、気温も25度を下回り23.5度、寒いというのが実感だった。マヨン火山の中腹にはかすかながら滝が見えた。 カーネルとキムは、あらかじめ送っておいたマウンテンバイクで早朝からサイクリングとしゃれこんだものの、2時間後、帰宅した時、カーネルはへとへとになっていた。一方、18歳の娘のキムはけろりとしていた。      息子が気を入れて作った黒豚の放牧場にも子豚が生まれて11頭にに増え、息子を出迎える準備も整っていた。 定員が7人の三菱モンテーロに子供3人を含めて8人が乗り込み、息子が乗るスペースがなくなっていた。レガスピに到着すると、まずは、おなじみのアリバー・レストランで食事。その後、ガイサノ・モールのゲームセンターで一遊びして時間をつぶした。      息子から、予定の次の便に乗れることになったと聞いて、空港へ向かう。しかし、出発が遅れ、時間がありそうなのでレゴのおもちゃを買って、レストランで組み立てて時間をつぶす。   息子が乗った便がいよいよ到着間近となって、待ち合わせ場所に急ぐ。ティーンエイジャーはいつでもどこでも楽しい。 いよいよ、息子が到着した。息子を見ると、KIANは「クヤ ケイシー」と大声をあげて歓迎。皆で、まずは記念撮影だ。天気男と自称する息子が現れると、まさに虹がでて、息子を歓迎した。 農場に到着すると、恒例のカラオケだ。子供達に人気のクヤ・ケイシを迎えて、皆、楽しそうだ。 後日談だが、この日のセブパシフィックの混乱は尋常ではなくて、人災天災が重なって、怒号が飛び交う状態だったそうだ。チェックインシステムがダウンし、係員の無断欠勤、などなど、カウンターは、ほとんど機能しなかったらしい。そのため、当局は、セブパシフィックに厳重に注意し、罰金刑を課したそうだ。

息子の出迎えも大仕事 2015年2月3日


2014~2015年の年末年始は、土日と祝日が重ならず、実に効率よく配置され、超ド急の大型連休となった。12月20日(土)から帰省ラッシュが始まり、23日(火)あるいは24日(水、クリスマスイブ、祝日)あたりがピークとなり、25日(木、クリスマス、祝日)には、マニラは空になる。 そんな訳で、チケットが安くなり始める25日(木)にビコールへとびだった。車で移動したキム、ヤヤ、双子、ボボイらは、前日の早朝に出発し、無事にダシン(ジェーンの兄)の誕生日(奇しくも24日のクリスマスイブが誕生日)に間に合った。 余裕を見て3時間前に空港に到着するよう、出発したが、スカイウエイに車の影は見えない。しかし、空港は、いつもよりは、かなり混雑していたが、混乱というほどではなくて、粛々と順番を待った。私の荷物だけをチェックインする予定だったが、係りの人が、携帯でチェックインをしていて、荷物さえ預けなければ、そのまま、出発ターミナルに行けるということで、大分時間を節約できた。   空港へ向かうスカイウエイはがらがらだった。まだまだ眠いKIANはカーネルに抱かれてご機嫌。 空港の混在はかなりのものだったが、まだまだ尋常の範囲だった。 この日は、幸い、マヨンが顔を見せていた。半年ぶりのKIANは、大分慣れたせいか、さほど興奮した様子は見せなかった。 年に数回、訪れるビコールだが、マヨンの勇姿を眺めると、故郷に戻ってきた気分になる 空港には前日先行したモンテーロに乗って子供達が迎えに来ていた。KIANの宿敵、いとこのジェルミーは、この年、半分ぐらいをマニラで過ごしていたので、久々の再会というほどのものではなく、感慨も半分だったようだ。 出迎えは、皆でやってくるのがフィリピン風、車に乗り切れないほどの人数だった。途中、バイクの衝突事故に遭遇 一休みして、早速、KIAN憧れの農場を散策、KIANは家畜に餌をやるのが大好きだ。まずは南のライスフィールドに向かう。 テラピアの養殖池ではえさやり、母豚は、いつもちょっと苦手のKIAN ハンモックで一休みして、農場の入り口近くの鶏ファームに向かう子供達。 大型のカビアは先の台風で全滅してしまったが、今は、ネイティブチッキンという普通の鶏を飼っている。バナナ園も、実りが近い 家の近くにはお猿さんを飼っている。残念ながらメスは死んでしまったようで、今は、一匹だけだ。このサルは、女の子と子供を見ると敵愾心をむき出しにする。私が、手を出したり、手をつかんでも全く無視しているのだが、原因は不明だ。 […]

2014~2015、年末年始の農場訪問 2015年2月3日