Monthly Archives: February 2016


2月25日(木)はエドサ革命記念日で祝日だ。エドサ革命とは30年前(1986年)、1965年以来21年間続いたマルコス大統領の独裁政権を打倒した、ピープルズ・パワー革命とも呼ばれる政変の記念日だ。この政変は、上院議員だったベニグノ・アキノ(通称ニノイ・アキノ、マニラ国際空港は彼の名をとってNinoy Akino International Airport(NAIA)と呼ばれる)が1983年、死を覚悟して帰国し、飛行機からおりるタラップで射殺されるという事件に端を発している。そして夫の遺志をついで大統領選に立候補したコーリー・アキノに対しマルコスが当選とされた選挙を不正として、ラモス(コーリー・アキノの次の大統領)などの将校がキャンプ・アギナルドに立てこもり、それを民衆が取り囲んで守り、マルコスを国外においやった無血革命だった。 首都圏、マカティのアヤラとパセオデロハ大通りの交差点にあるニノイ・アキノの像 首都圏のバイパス、エドサ通りのキャンプ・アギナルドに隣接した広場に置かれたピープルズ・パワー・モニュメント、左端の像が英雄ニノイ・アキノだ この記念日に現大統領のノイノイ・アキノ(コーリー・アキノ元大統領の息子)が演説で強調したのが、マルコス独裁政権の批判だ。 コーリー・アキノのあと、ラモス元大統領は名宰相と呼ばれたが、その後の大統領、エストラーダ(現マニラ市長)、そしてアロヨ(服役中)は汚職にまみれ腐敗した政権だった。それを嘆き悲しんだコーリー・アキノが亡くなったのが2009年で、その葬式は国葬を上回る国民葬で、全国民がフィリピン最後の英雄との別れを惜しんだ。そのブームにあやかって、翌年の2010年の大統領選挙では息子のノイノイ・アキノが圧勝した。そして6年がたった今、マルコスの実の息子、ボンボン・マルコスが副大統領に立候補して、しかも現在支持率一位で、アキノ現大統領が危機感を募らせているのだ。 マニラ大聖堂からマニラ・メモリアル・パークまでの21km、8時間の行進に、沿道は20~30万の人々で埋めつくされた。 コーリーアキノの娘、人気女優のクリス・アキノが母を語る姿はテレビを独占した エドサ革命から30年、国民の半分以上は、この政変後に生まれた。また、選挙権を持っている18歳以上の国民の半数近くがこの事件の記憶はないだろう。一方、マルコス時代は、古き良き時代、フィリピンの黄金期という認識も出てきている。これは、エストラーダ、アロヨと続いた腐敗政治、そして現アキノ大統領になっても、これといった変化はないという、国民の率直な感想だろう。マルコスのような力強い指導者を期待している面があり、その証拠に、ダーティハリーの名をほしいままにしているダバオ市長のドテルテ大統領候補も人気が高い。アメリカ大統領の共和党候補のトランプ人気に通じるものある。 ルソン島北部、北イロコス地方のラワグ(Laoag)はマルコスの出身地、そこにはマルコスの像が高々とたっている マルコスの廟には、今でもマルコスの遺体が安置され、参拝することができる マルコス一家の故郷、北イロコス地方およびラワグ市は、今でもマルコス一家の人気は高い。2010年の選挙では、マルコスの妻、イメルダが下院議員、息子のボンボン・マルコスが上院議員、そして娘のアイミーが知事に当選して、まさにこの地方の支配者として君臨した。1990年代、イメルダが亡命先のハワイからフィリピンに戻ってきたとき、人々(特に貧困層)は「Well Come […]

エドサ革命とマルコスの復権 2016年2月28日


2月14日(日)は世界的にバレンタインデイ。日本では女性が目当ての男性にチョコレートを贈って気持ちを伝える、ということになっているが、これはチョコレートメーカーの陰謀だそうで、一般的には男性が女性に愛を示すときであるらしい。最近はお目当てというより義理チョコが優勢のようで、チョコレートメーカーは、狙い通りとほくそ笑んでいるに違いない。 ちなみにフィリピンでは、前日、赤いバラの販売所が街中にあふれ、価格が高騰する。我が家にも毎年、大きな赤いバラの花束が当然のようにどこからともなく現れる。もちろん、カーネルからジェーンへのプレゼントだが、私が目にしたときは一緒の特製ケーキにすでに手がつけられていた。食いしん坊のビアンカかアリアの仕業に違いない。 そして、この日は、札幌からフィリピンを訪問されていた藤田さんと出野さんが家にこられ、自慢のたんたん麺をご馳走してくれた。藤田さんは札幌で税理士の事務所を営んでいて、これから企業のフィリピン進出を支援したいと考えている。そして出野さんは札幌に評判のたんたん麺専門店を3店営んでおり、今回はフィリピンへの進出の可能性を探って、進出ブームとなっているラーメン専門店を下見に食べ歩きしているそうだ。 11時を過ぎて、二つのことに気がついた。まず、ラーメンは湯を大量に使うので、事前にお湯を沸かせて置くこと、さらに、我が家には出来上がったラーメンを入れる大き目のお椀がないことだ。お湯を沸かすおなべについては、幸いちょうどよい深鍋があった。一方、お椀については急遽、ビアンカに、近くのスーパーに買いに行かせた。 そうこうしているうちに皆さんがやってきた。藤田さんと出野さん以外に友達のマユさんが一緒だった。さすが、北海道出身、ジェーンやキムも色は白いほうだが、マユさんの桁違いの色白にびっくり。昼も近いので、挨拶もそこそこに早速持参した材料で、ラーメン店オーナーの自らのたんたん麺作りが始まった。 一方、女性陣は早速、談笑と記念撮影に花を咲かせる。ジェーンにとってみれば、赤いバラの花束は、いわば勲章だから手から離さない。そして、私からは、札幌の名物ラーメンの出張サービスがバレンタインのプレゼントだ。 出来上がったたんたん麺はつゆありとつゆ無しの二種類。カシューナッツが入っていて、ピーナッツバターの味がして家系(いえけい)のラーメンとは一味違う。麺も太めで、普通のラーメンとはちょっと違うが、また、中国料理の麺とも一線を画している。    まずは、ラーメンお宅のKIANに試食してもらったが、親指を上にして「Good」と一言、合格点だという。しかし、ちょっと食べて後は手をつけなかった。実はKIANが食べるラーメンは具も何も入っていない麺だけをお皿にとって食べるので、このような味わいのある本格的なラーメンは食べることができないのだ。5歳にして、状況をとらまえてそれなりのお世辞を言うあたりは、すでにフィリピン人としての処世術をすでに身に着けているようだ。 そしてカーネルやジェーンが味見をしたが、これなら優にフィリピン人の食通に受け入れられるというものだった。このほか、サイドディッシュとして餃子ないしチキンのから揚げがほしいとのコメントがあったが、チキンのから揚げも、ラーメンに負けないおいしいものを提供してほしいところだ。何しろチキンのから揚げはフィリピン人庶民の食文化の最高峰に位置していて、チキンのから揚げさえあれば、フィリピン人は一年中すごせるというものだ。ちなみにジョリビーは、このチキンのから揚げでフィリピンを制覇し、新興のINASALもチキンのバーベキューで一世を風靡した。 ジェーンは知らぬ間に友人とラーメンの食べ歩きをしているようで、事務所/コンド街のマカティ・サルセド・ビレッジのど真ん中にある「MENDOKORO RAMEN BA、麺所ラーメン場」では富裕/中間層のフィリピン人が列を成しているという。彼らにもこのラーメンなら十分やっていけるという評価だが、コメントは「一見して野菜が少なくて健康志向に欠ける印象をもたれるのではないか、そしてラーメンといえば、黄身が生のゆで卵が感激的だ」。これに対し、このたんたん麺はまったく人口調味料を使っていないこと、つゆなしにおいては、塩の使用量が一般の半分以下であるなど、非常の健康的なラーメンであるとのことだった。ゆで卵については考慮の余地はあるとのこと。 たんたん麺を味わい終わったところで、みなで記念撮影。とても貴重なバレンタインパーティだった。それにつけても関心するのがフィリピーノのホスピタリティで、見ず知らずの日本人のたんたん麺の試食の依頼に対して、快く受け入れるばかりか、それを多いに楽しみにして喜んでいるところだ。訪問客の藤田さん、出野さん、そしてマユさんもフィリピン人との出会いを大いに楽しんでくれたものと思う。  

たんたん麺とバレンタインデイ 2016年2月21日



2016年2月19日追記 昨年の12月11日に申請した方のビザがようやく発行の運びとなった。さらに今年、1月22日に申請した方のビザも一緒に発行された、この場合、3週間とちょっとで発行されたことになり、ようやく元の状況に戻ったようだ。PRAとしても、ビザの発行をフォローする専門の職員を配置して入管の担当と連携をとっている。今まで、入管に書類を回した後、ブラックボックスだったものが、ようやくフォローということが行われるようになった。これで一安心というところだが、今後は、3週間以内、さらに2週間以内に縮めるという努力をしてほしいと切に願うところだ。   最近、入管のトップが汚職疑惑で更迭されたというニュースを新聞で見た。また、それ以前、11月ごろからPRAの窓口では、入管の手続が遅れそうだと告げられていた。ビザ発行を承認するコミッショナー(入管の幹部)が交代し、しかも承認をするコミッショナーが二人になって、誰が承認するかは、事前にはわか らないという。入管内部の手続が変更されると、しばし、承認手続きが滞ってしまうのが通例で、PRAも頭を抱えていた。   案の定、11月23日に申請して、12月 28日に帰国予定の退職者のビザが一ヶ月経っても発行される気配もなく、入国ビザ(30日有効)を延長して、かつ申請を中断して帰国せざるを得なくなっ た。さらに、12月10日と15日に申請した方(2名、計3名)も、1月15日現在、ビザ発行の気配もない。年末年始の休みを挟んだので、ある程度時間がかかるこ とは覚悟していたものの、なんとか入国ビザ(30日有効)の間に発行して欲しかったが、3人とも入国ビザの延長を余儀なくされた。   一方、11月3 日にビザのキャンセルを申請された方は、1月4日にキャンセルのオーダー(承認書)が発行され、通常、一ヶ月かかるところが2ヶ月かかってしまった。それでも、年が明けて入管もなんとか動き出してはいるようだが、PRAの話では、現在、200人のビザ申請が承認待ちの状態で、まさに開店休業の状況だそうだ。   幸 […]

退職ビザの発行が遅れています 2016年1月17日


旧正月(2月8日、月曜)の3連休を利用して家族全員でプエルトガレラを訪問した。プエルトガレラと言えば、マニラの南、バタンガス州から船で小一時間、ミンドロ島の北端に位置する海浜リゾートのメッカだ。このブログでも何度か紹介したが、今回は、家族全員(8人)で出かけることになった。2泊3日で予算は2万ペソ(ただしジェットスキー、アイランドホッピングなどの遊行費用は含まず)。KIANも、もう5歳、今年は小学校に入学する年齢で、是非連れて行きたいと、かねがね思っていた。今回は、パパ・カーネルの都合もついて、2泊3日の旅を決行した。 皆、大喜びであるが、意外と私と私の息子以外はプエルとガレラに行ったことがないという。2月6日(土)、早朝から準備して、いざ出発と思いきや、なんと雨模様。この乾季の真っ只中だというのに、朝からしとしとと雨が降り続いていたのだ。どうせすぐに止むだろうとたかをくくっていたが、この雨は、なんと翌日まで降り続いたのだ。それで、これなら陽に焼けないとほくそ笑んだのが、ママ・ジェーンだ。例え天気が悪くて寒気さえ覚えるような天気でも、海の水は温かくて水遊びには全く支障がないのが与えないのが、熱帯、フィリピンの良いところだ。 連休の初日とあって、南に向かう高速道路は料金場で大渋滞。2時間でバタンガス港に到着するはずが、3時間かかってしまった。さらに港の余計な案内人のおかげで、今回唯一の汚点となったとんでもない船会社(Challenge and Passion)を選んでしまった。2時間近く港で待つ羽目になったうえに、さらに帰りのボートが2時間遅れの末に、少々波が荒く、船体が一部破損して波が中に入り、全員がびしょびしょになってしまったのだ。 楽しい海水浴のはずが、一転して悪夢の旅になってしまい、子供達は2度とボートには乗らないと口々につぶやいていた。KIANもトラウマになってしまい、帰宅後、教会に行って、一生懸命祈っていたそうだ。また、私までがKIANによると、ボートで海水浴に行くことはご法度になってしまった。たしかにボート初体験のKIANにとっては恐ろしいものだっただろう。次回は、案内人の口車にのらず、プエルトガレラの市長が運営するBlue Penguinという船会社を無条件で選定することを肝に銘じた。 バタンガスの港で2時間近く待たされ、よやく乗船の運びとなった。船の写真を撮ろうとカメラを構えると皆が寄ってきて、船が見えなくなってしまった。 船の窓からは、小さなボートで近づいてきた子供達が物乞いをする。中と外では天国と地獄の違いだ。おそるおそるはしけを渡るKIAN,なにもかもKIANにとってははじめての経験だ。 行きの船では、皆期待に胸をはずませていたのだが、帰りの船は地獄だということは、まだ誰も知らない。 目的地はホワイトビーチだが、波が荒くて下船できず、近くの港に到着した。そこから10分ほどトライシクルでビーチの中心に到着する。ホワイトビーチは広々とした砂浜で家族で遊ぶにはもってこいだ。下の写真は帰りのもので、普段はこのようにビーチに直接船が着く。 早速撮影会。子供達の喜びようは尋常ではない。 安物のカメラしか持っていない私にはジャンプの瞬間を捉えるのは容易ではない。 セーフジャケットをつけて早速海に飛び込むKIAN。喜びを満面にたたえ、これから二日間、KIANの至福の時が始まった。波と追いかけっこをするのが楽しいKIANは行ったり来たりを繰り返していた。プールと違ってこの波があるから海は楽しいようだ。 連休の初日とあって、ホワイトビーチは観光客で溢れていた。 […]

家族みんなでプエルトガレラ訪問 2016年2月17日 



2月9日、選挙まで3ヶ月を残し、いよいよ大統領選挙を含む統一選の選挙運動が解禁された。統一選挙の詳細は、ブログ「四つ巴の大統領選の火蓋が切って落とされた2015年10月18日」参照 2月9日、早速、主だった大統領候補が一声をあげたが、国民の直接選挙で選ばれる大統領選挙の行方は、数で圧倒する貧困層をいかに取り込むかにかかっており、いわば人気投票の様相を呈す。したがって、各候補はスコーターエリア(スラム)のあるキアポ、トンド、マンダルヨンなどの広場あるいは大通りを遮断して特設ステージを設置し、人気タレント等によるショーまがいのパーフォーマンスを繰り広げた。 有力候補は、ポー上院議員、ビナイ副大統領、ロハス前内務自治長官、ドテルテ・ダバオ市長、サンチャゴ上院議員だが、支持率上位のポー、ビナイ、ロハス、ドテルテの四つ巴の混戦といえる。ちなみにドテルテ候補はダバオ市長への立候補を表明していたが、その後、代理出馬の名目で大統領選に加わった。 支持率一位のグレース・ポー上院議員は2004年の大統領選でアロヨ元大統領と一騎打ちを演じた国民的人気俳優だった故フェルナンド・ポー・ジュニアの娘。前回の上院選でトップ当選、3年の任期を残して大統領選に出馬した。政治家暦は4年だが、清廉なイメージと亡父の人気で、高い支持率を誇る。教会前に捨てられていた孤児であり、大統領としての資格=生まれながらのフィリピン国民、という条件を確認できないということで、現在、最高裁で立候補資格を審議中だ。追記;3月8日、最高裁が立候補資格を認める判決を下し、大統領候補の筆頭に躍り出た。 ポー候補は庶民の信仰を集めるキアポ教会の前で7千人の支持者を集め、副大統領候補のエスクデロ上院議員、12人の上院議員候補らと演説を行い、支持を訴えた。 下の写真は前回の選挙(2010年)のもので、今回の選挙戦のものではありません。 大通りを仕切って作った特設ステージには数千人の聴衆が集まっている。その目的は有名タレントによるショーだ 前回の調査で支持率1位だったジェジョマール・ビナイ副大統領は、元マカティ市長、1989年以来、マカティ市の発展に寄与したという実績で、6年前、副大統領の地位を獲得した。しかし、マカティ市長時代は、あるいは息子の現マカティ市長らの汚職疑惑で現政権に攻撃され、きわどい状況にある。 ビナイ候補はマンダルヨンの大通りを遮断して特設ステージを設置し、18,000人の聴衆に支持を訴えた。もちろん音楽ライブで聴衆を楽しませることは欠かせず、ボクシング界の国民的英雄パッキャオ下院議員(今回は上院議員に挑戦)も応援に駈けつけた。 ダンスやタレントによる歌とトークショーに聴衆は盛り上がる。ちなみに下のタレントはいまやフィリピンNO1の人気タレント、オカマのバイス・ガンダだ    ロドリゴ・ドテルテ・ダバオ市長は20年以上、市長としてダバオ市を支配、もっとも治安の良い都会との定評を築き上げた。その方法と言えば、本人が「自分が大統領になったらマニラ湾が死体で埋まるだろう」と明言するよう、犯罪者を抹殺してしまうことだった。 その豪腕ぶりに、支持者も多く、東洋一のスラムと呼ばれるトンドで行われた演説に3000人の聴衆が聞きほれた。私がヒアリングをした限り、周囲のフィリピン人はドテルテ候補を支持すると明言している。はっきりした政治目標を表明・達成できない現政権に対して、犯罪撲滅という明快な主張は、実にわかりやすい。危険、汚い、金欠の3Kのフィリピンのイメージも向上するに違いない。 CIMG0184 (クリックして動画を見てください) […]

四つ巴の大統領選の火蓋が切っておろされた(その2)2016年2月13日


3年ほど前から、息子が黒豚の放牧養豚に挑戦して、フェンスなどを作ってきた。そして、4頭の子豚で始めたものが、15頭ほどに増えて、そろそろ収穫の時期を迎えた。 一般的な食用の豚は、放牧すると死んでしまうそうだ。要は食用に改良された豚は自然の環境では生き延びることが出来ず、豚小屋と人工的に作られた飼料を与え続けなければならない。しかし、その飼料には抗生物質などが入っていて人の体にどんな影響を与えるか計り知れない。 猪に近い黒豚(Native Pig)ならば、草や残飯、あるいは糠で成長し、手間と時間はかかるが自然農法に通じるものがある。そこに目をつけて4頭の子豚を購入して飼育を開始したのだが、意外と手間取った。ちなみに普通の白豚は半年くらいで食用に供されるが黒豚は2年ほどかかるようだ。 正月も開けて、いよいよ去勢しておいた雄豚一頭を試しに食べてみようということになった。ちなみに去勢しないと肉が臭くて食べられないそうなのだ。そして1月2日、いよいよその時がやってきた。 頭数も増えて、いつもいずれかのメス豚が妊娠している。お産の時が近づくと妊娠しているメス豚は草を噛み切ってせっせと木陰に運んでいる。誰が教えたでもないだろうに生まれてくる子豚のための巣を作っているのだ。なんともはや、心が打たれる自然の営みだ。人に食べられるために生まれてきたとは言え、メス豚は本能に指示に従って、けなげに子育ての準備をしているのだ。 この日が豚生の最後となる雄豚は、それを察しているかのように抵抗する。ファームハウスの裏手につれていくのも3人がかりだ。   いたいけのない雄豚、その目も悲しみをたたえているように見える。 鼻をなたで一撃され、どっと倒れ、即座に頚動脈を一突きされ血を抜かれる。この血も大切な食用となるから大切に回収される。 そして、お湯をかけながら毛をそる。肌は意外にも真っ白だった。息子は、これから頻繁に処分することになるので、自ら手がけることにしたが、これが後から思いがけない結果を生むことになった。 豚の頭はレチョンにしたら最高だ。しかし、静かに眠る黒豚には哀れを感じさるをえない。    黒豚の肉は硬いので数時間かけてアドボにして一部を翌日マニラに持っていった。歯ごたえがあり、脂肪までもおいしくて、みなハッピーの様子だった。 しかし、翌日、息子から連絡が入って、どうしても黒豚を食べられないという。手塩に育てきた黒豚の顔を思い起こすと、吐き気がして、とても食べることなど出来ないというのだ。黒豚を殺すときの顔が夢にまで浮かんでトラウマになってしまったのだ。ビッグマミーも感情的にとても口をつけることはできないとのことだ。そのため、数日後、冷凍された肉はすべてマニラに送られてきた。 […]

黒豚の悲哀 2016年2月11日



こともあろうに1月1日、チト・アラン(マム・ジェーン一家の次兄)の5人目の子供(アリヤナ)の洗礼式(バプティスマル)が執り行われた(ちなみに赤ん坊の母親は3人目だ)。といっても、いわゆる集団洗礼式で、午前中、近所の教会(サンアントニオ教会)で、数十人の子供が参加して、一辺に済ませるものだ。一般庶民はこれが普通で、5年前のKIANの洗礼式は教会とレストランを貸切でやったが、これは特別だ。 息子は、ニノン(後見人)になるよう依頼され、式に出席した。ニノンになると、人生の節目節目で面倒を見る必要がある。したがってかのマルコスは数万人のニノンになったそうだ。 式のあと、両親双方の姻戚が集まって、披露宴が農場で行われた。当方は、当日までそのことを知らなかったが、母親は近所の農家の出で、13人兄弟だそうで、かなりの数の来客となった。 この日の披露宴の主役は、アリヤナ。KIANは案外おとなしく見守っていた。 食事の後は子供達をプールに招待。大人たちは酒盛りだ。 この日は残念ながらマヨンを拝むことは出来なかった。 以前、農場で暮らしていて私がお世話になった デビナも結婚して一児の母になっていた。2週間後にやはりサンアントニオ教会で洗礼式を行ったそうだ。息子とも親しかったのでお決まりのニノンの依頼があり、今後、一生の面倒を約束させられたようだ。   

チト・アランの5人目の子供の洗礼式 2016年2月11日


いよいよ大晦日、今年も盛大にクリスマス兼年越しパーティが行われた。しかしながら、はしゃぎすぎたのかKIANは熱を出して体調不良だ。 しばらく休んで体調を回復したKIANはパーティの余興に参加。それまでの不調が嘘のようにパフォーマンスを披露する。パーティ・ボーイの面目躍如だ。   CIMG4570 写真番号をクリックして、KIANの踊りの動画をみてください しかし、パーティが始まるころには再びダウン。 肝心の家族一同の記念撮影に参加できなかった。 それでも気力だ回復して復帰。クリスマスプレゼントの配布に参加。 12時の鐘がなると、悪魔祓いの儀式が開始される。   そして、深夜の食事会、これで今夜2回目の食事だ。。        外では、この日、犠牲になった豚の料理が早朝まで続けられた。これは翌日のアランの5人目の子供の洗礼式(バプティスマル)のものだと後から知った。

恒例のクリスマス兼年越しパーティ 2016年2月11日



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農場の農産物と言えば、まともなものは米だけだが、最近、息子が滞在して、色々な農産物に挑戦している。ゆくゆくは自給自足を目指しているが、目標としては有機無農薬の一歩先を行く、無肥料無農薬(自然農法)だ。虫も食べないような野菜は人間に良いわけがない。また、自然の植物の堆肥以外の鶏糞や牛糞などもなにが混ざっているかわからないし、有機というだけで安全というわけにも行かない。だから、自然の草木以外の肥料さえもやらないというのがポリシーだ。 ちなみに、農場で出来るバナナやパパイヤなどの果物は、幸か不幸か、植えただけでほったらかしだから、期せずして自然農法となっている。 安価で栄養価の高いパパイヤ。いつでもどこでも幾らでもなる。しかも青い実は野菜、熟したものはみずみずしい、マンゴ、バナナ、パイナップルと並んで熱帯果物の王様だ。 糖尿病などにも効くというグアバ、甘みもなくて、果物と呼ぶのがふさわしいかどうか疑問がある。 チョコレートは大好きでも、その原料を知る人は少ないだろう。木の幹から直接なっているカカオがそれだ。 白い果実に包まれた茶色の実、これがカカオだが苦くて口にする気にはなれない。 白い部分を食べて、残った種を乾かして発酵させ、すりつぶしたものがチョコレートの原料となる。さらに砂糖と油こねて食べるのだが、市販のチョコレートのまろやかさには遠く及ばない。 いよいよバナナだ。一生に一回しか実をつけないが、その量には圧倒される。自然農法のバナナはほの甘くておいしい。 このえたいのしれないバナナも立派なバナナで、案外おいしい。まさにバナナの原種を思わせる。 一見、ただの草のようだが、レモングラスという立派なハーブだ。ハーブティーやチキンのおなかに入れて香りを出すのに使われる。農場の道沿いには大量に生えている。 日本から持ってきた種でつくった貝割れ大根。息子の味噌汁の具として重宝している。   地上最大の果物として有名なランカ(ジャックフルーツ)。果物の王様あるいは悪魔といわれるドリアンに似ているが、はるかに食べやすい。これも若いうちは野菜として、熟すと甘い果物として重宝されている。 今回、初めて見かけたが、なにやらおいしそうだ。塀を覆っているポインズンアイビーが育ちすぎて実をつけたものだが、その名の通り毒がある。 農場の主な産物は米だが、これは、農夫に任せっきりで、無肥料、無農薬にはまだ程遠い。いずれ、私が引退して農場に常駐するようになったら挑戦するつもりだ。

農場の産物 2016年2月11日


今年の年末年始はマヨン火山の当たり年で、その風情を十分味わうことが出来た。 まずはじめは夕方、マヨン火山をバックにポーズをとる我が家のカメラマンのアテ・キム マヨン火山を覆うような雲。ちょっと風情がある 今、農場で暮らしている息子のバイク姿。バイクでタバコ市に買い物に行った帰りだ やしの木とマヨン火山の組み合わせはよく似合う   ビアンカと、ハイスクール時代の親友とのツーショット   トヨタFJクルーザーとマヨン火山の相性は今一かも   筆で書いたようなくも、かなりレアものだ   KIANとマヨン火山とのツーショットはたくさんあるが、KIANももはや少年だ 玄関からのマヨン火山、カラチュチの花がないのがさびしい    […]

マヨン火山百景 2016年2月11日