Monthly Archives: March 2016


ホリーウイークの休みを利用して、レガスピの高台にあるジェーンの土地を訪問した。現在フェンスを建設中で、引き続きレストハウス(5部屋ほどの小ぶりのもの)を建設予定とのこと。近い将来完成するので、退職者の方も是非宿泊してほしい。 左手にはマヨンを望む(農場とはマヨンを挟んで丁度反対側になる) 道路沿いに所有権を主張するフェンスが張られている。              土地は、案外なだらかで資材の運搬もさほどの問題ではなさそうだ。当面はヤギや牛を放牧するということだが、まったく問題なさそうだ。 マヨンの風景は下からも十分満喫できる。 道路から一番離れた敷地の奥に小さな小屋が作られ、そこで作業員が寝泊りして建設工事に従事している。 自給自足をしようとしているのか、畑を作って作物を栽培している。またさらに敷地全体に果物の苗が植樹がされている。 この斜面でも作物を作ることができるという証明でもある。 レガスピ市を眼下に見渡す石の上で一休み。KIANは眠っていたので、私に抱っこをせがんで土地を視察した。KIANにこの土地は誰のものかと聞いたら、誇らしげに「ミー」と答えた。もっともKIANにとってみれば、農場も自分のものと思っているから、しかたのないことだ。しかし、遠い将来を見ると、この土地は確かに遺産として彼の手に入ることになるのだ。幼少にして資産を持つということはうらやましい限りだ。子供に資産を残してやりたい、これは親としての夢なのだろう。 […]

レガスピの土地(MJYハイランド)視察2016年3月27日


今年は、3月24日(木)と25日(金)がホリーウイークの祝日となり、この週、田舎は帰郷した人々で沸きかえった。我々も22日(火)から26日(土)まで農場ですごしたが、雨はまったく降らず、マヨン火山はその雄姿を満喫させてくれた。23日(水)はカーネルらが車で農場に向かったが、連休の前日とあって、ビコールへ通じつ国道は大渋滞で、朝の5時に出発し、到着は夜9時を回った。24日(木)はレいよいよ工事に取り掛かったガスピの土地を見学(別途報告)、25日(金)は、ホリーウイークの最大イベントのパレード、この日は最終日と会ってゴメスファミリーが全員集合。26日(土)早朝、車は朝5時にマニラに向けて出発、我々(KIANとその両親、それに私の息子)は飛行機でマニラに向かった。今回は4泊5日の短期間なのでで瞬く間にすぎてしまった。 私のかばんを引いて旅行客気分を出すのがKIANの最近のスタイルだ。 レガスピ空港から農場のあるタバコ市に通じる国道は4車線に拡幅工事が進められている。せっかく拡幅したが、そこは格好の籾の干し場となってしまっている。一方、拡幅のおかげで道路の中になってしまった木は相変わらず伐採されずに残っている。 たまたま、タイから戻っていた、ビッグマミーのお姉さんのソーニャが作ってくれたカニ(渡りガニ)のカレー、カニ味噌をカレーで味付けをしたタイ料理だそうだ。タイ料理店並のなかなかの美味だった。 みなで食べる食事は、とてもおいしいとみえ、KIANも、みなに混じって台所の食卓を囲んでいる。一方、私は息子と二人だけでダイニングで食事をとるはめになった。 このころ、丁度収穫の時期で、農場の水田も米がたわわに実っていた。新米にありつけるのも、もう少しだ。 闘鶏の雛がたくさん生まれていた。しかし、まだまだ、オスもメスも区別がつかない。全部で30羽ほどの雛がいたが、さらに抱卵中のメスもいたので、50羽程度になるだろう。しかし、育った闘鶏がどこへ行くのか私は知らない。これらの闘鶏はジェーンの兄弟のダシンらが面倒を見ており、当方は場所を無償で貸しているだけなのだ。もしかしたらえさ代も出させられているかもしれないが。 母豚が大きなおなかをしていて、出産もまぢかだ。KIANは、やはりまだまだ、その巨体にビビリ気味だ。  棒を拾って忍者気取りのKIAN、マヨン火山を背景に「マヨンの虎」を気取っている(ちなみにKIANは寅年生まれ、ママ・ジェーンは辰年なので、まさに竜虎となる) 巨大な芋の葉にびっくり、ちなみにこの芋は毒があって食べられないらしい。   カバヨ(馬)のジンポはマヨンを背景に草刈に余念がない。息子は、馬、牛、ヤギなどが苗木を食ってしまうので、かなり広い土地が牧草地となっていて、果物の苗を植えられないとぼやいている。しかし、これらの家畜は農場のシンボルであり、草刈に寄与しているということで処分を免れている。いずれはレガスピのジェーンの土地に移そうという話が持ち上がっているが。 オスざるが2匹いたが、オス同士、なかなか中が良い。今度のサルは、女・子供に優しいので、KIANもビビらないで、手を差し伸べたり、頭を差し出して、「しらみ」をとれとふざけていた。ちなみに、KIANにはもちろんしらみはいないが、ビッグマミーが子供達の頭の毛をかきわけてしらみを取っているのは、よく目にする光景だ。 黒豚については、正月の息子の豚ショックで、その繁殖をあきらめ、その後の処置を考慮中だ。当の黒豚たちは近づくと駆け寄ってきて、可愛らしい。 前回の訪問では見かけることができなかった「カラチュチ」が咲きはじめていた。家の周りに並んでいるので、満開になるとまるで、お花見のようになる。 […]

ホリーウイークの農場訪問 2016年3月26日



先日、PRAのサービス課のピット課長が話をしたいというので、何かと思ったら、Admiral Baysuitesというコンドミニアムと協賛でマニラベイ・クルーズという催し物があるので参加しないかということだった。条件としては退職者を招待することだった。コンドミニアムの販売促進のためのキャンペーンだが、マニラベイを船で遊覧しながら食事をとるというなかなか興味をそそられる催しもなので、二つ返事でOKをした。早速、子供は連れて行っても良いかと尋ねたら、NOとの返事。実は、今週から夏休みにはいったKIANを連れて行きたかったのだが、コンドの販促にはそぐわないようだ。 早速、ビザの発行を待っている方と、もう一人コンドの購入に興味を持っていそうな退職者に声をかけたら、是非という答えが返ってきた。そのほか、数人の興味を持ちそうな母子がいるのだが、子供はNOということなので、割愛した。結局、息子を含めて4人で参加することになった。  マニラクルーズの案内_20160310_0001 まず、はじめはコンドミニアムの見物。キリノ通りとロハス大通りの角の近く、Admiral Baysuitesという高級コンドミニアムだ。プール、ジム、カラオケルーム、映画館、マージャンルーム、子供の遊技場、ファンクションルームなどなど、アニメティはすばらしいの一言につきる。マニラ湾、ヨットハーバーなどを望む景色もすばらしい。ただ、すでに完成して入居もしているであろうが、人気がないのが気になった。 部屋はクルーズが終わってから観たのだが、天井の高さ、設備の仕様など、まさに高級コンドミニアムの名にふさわしいもので、価格もまさに高級だった。ちなみにスツジオタイプ(33m2)が5.7Mペソ、1ベッドルーム(59m2)が10.7Mペソ、2ベッドルーム(100m2)が17.3M、おおむね17万ペソ/m2の単価は、相場の上限だろう。ちなみに、マカティの安めの新築コンドが10万ペソ/m2程度だが、施設、設備、仕様などは雲泥の差がある。しかし、庶民にはとても手が出ないし、投資家も躊躇するところだろう。一方、富裕階層の興味はBGC(ボニファシオ・グローバル・シティ)に移っており、ちょっとマーケット戦略を間違っていたのではないかというのが正直な感想だ。 プールもなかなかの仕様で、高級感があふれている プールから景色は絶景だ 子供の遊技場もこっている ファンクションルームも高級ホテル並だ コンドの見物の後はいよいよ、ココナッツパレスの近くのサンクルーズ・ターミナルから乗船だ。ここからはコレヒドール島に向かう船が出ているところで、何度か来たことがある。 ターミナルの駐車場にはなんとフェラーリのオープンカーが止まっていた ターミナルから眺めたヨットハーバーと、その向こうにそびえているのが先ほど見学したAdmiral Baysuitesコンドだ […]

PRA共催マニラベイ・クルーズに参加 2016年3月16日


1
KIANはKIDS Schoolという幼稚園に通い始めて、はや2年が経過し、いよいよ卒業だ。そして、3月31日に6回目の誕生日を向かえ、6月からはドンボスコ・スクールに通うことになっている(ちなみにフィリピンでは3月と5月が夏休みで、6月早々新学期がはじまる)。参考ブログ「KIANの波乱の幼稚園生活 2014年9月13日」 最近は幼稚園生活が楽しいと見えて、毎日、午後から姉のキム、ビアンカ、あるいは息子の恵之に送られて喜々として通っている。しかし、周囲が小さな子供ばかりで面白くないと、愚痴をこぼすこともあった。だから、お兄さんたちがたくさんいるドンボスコに通うことを心待ちにしている。ちなみにドンボスコは毎週土曜日、ランチを取っているマカティ・スクエア(リトル東京)の近傍、Walter Martのまん前にあり、場所的にはおなじみだ。また、男子校であり、フィリピンでは有数の名門校でもある。 3月11日(金)おりしも東北大震災の5周年にマカティ大学で卒園式が執り行われた。これから6月早々の始業まで、3ヶ月近い夏休みに突入だ。KIDS Schoolは卒園式や学芸会はマカティ大学の講堂で行うのが通例で、この日も、マカティ市からからタギッグ市を横切って、その向こうにあるマカティ大学まで1時間ほどかけて出かけていった。ママ・ジェーン、パパ・カーネル、アティ・キム、それに私と息子の5人が付き添った。この日は平日のため、キャンパスにはたくさんの学生がたむろしていた。 100名近い園児たちが日ごろの成果として踊りを披露したが、それ以上に熱心にわが子の動画を取るパパやママたちが目立った。 いよいよ、卒業生のKIANたちの出番だ。さすが年長組みは体格もよく、踊りも様になっている。白いシャツに赤いネクタイがKIANだ。 対面で指導する先生の動きを真似るだけのKIANだったが、この日は、体のこなし方が様になっていて、なかなかの出来だった。 卒業証書を受け取るKIANだが、日本のようにいちいち内容を読み上げることはなく、なにやら丸めて筒になった紙を渡すだけだ。 卒業生であるKIANには3回の出番があった、Darling Dinosというグループのダンス、卒業生全員での合唱とダンスだ。 音楽に合わせて踊るのは得意で、1歳のときから周囲を沸かせたものだが、振り付けを覚えるのは苦手で、前回の学芸会でも、いかにもぎこちない動きだったが、今回は振り付けにも自分なりの工夫があってなかなかのものだった。 この日の服装のテーマは、セブンティーズ、要は1970年代の服装をしてくることになっていた。1970年代といえば、パンタロンにアフロヘアーだ。 演芸会のあとは、先生たちの記念撮影が延々と続いた。MAY先生はKIANの英語の家庭教師でもあり、特に親しく、はにかみながら写真におさまった。 […]

KIANの卒園式と公文の挫折 2016年3月12日