最近、皆が大声で会話するようになって、うるさくて仕方が無い。タガログ語かビコラノ語で話しているので何をしゃべっているのか皆目検討もつかないが、原因は新しく雇ったメイドが、耳が遠くて、後ろから声をかけると知らん顔をしているくらいなのだ。おまけに英語を全く理解しないので、色々指示をしても(したつもりでも)、同じことを繰り返す。つい、私も大声を出してしまいそうになるが、メイドが緊張して怖がるといけないので、下手なタガログを駆使してやさしく話すように務めているが、効果は薄い。したがって、ヤヤかジェーン経由で伝えてもらっている。一方、メイドは歩きながら鼻歌を大きな声で歌っているので、これまたうるさくてたまらない。 私自身が難聴になってもおかしくない年なのだが、話し声がうるさいと思うくらいだから、絶対に難聴ではないと思っていた。しかし、私が、難聴ではないかと周囲が疑うのには訳がある。それは、遠くから大声で声をかけられても、何を言われているのか聞き取れないのだ。しかし、大きな声だけはうるさいくらいに聞こえるので、そもそも遠くから話しかけるのは礼儀知らずだ、近くまで来て、きちんと話をしろと文句をいう。挙句の果てにはキアンまで一階の事務所で執務をしていると階段の上から、声をかけてくる。キアンは流暢な英語を話すが、これは発音が良すぎるためか、やはり意味がよく把握できない。 こんな無邪気なクッキーに対しても周囲は、何故かがなり散らしているように聞こえるが、クッキーは負けずに大声で泣き叫ぶ また、ママ・ジェーンから、少しややこしい話をされると意味がつかめず、ついしかめ面になる。ジェーンはしかめ面をするなと文句を言うが、私は、わけのわからないことを言わないで、順序だてて話をしろと言い返す。ジェーンは、耳垢を掃除しろとか、補聴器をつけろとか譲らない。私自身、彼らの言うことが理解し難くなっているのは、まぎれもない事実だ。音は、うるさいくらいに聞こえるのだから、補聴器をつけて音量をあげても何の役にも立たないはずだと主張するのだが、補聴器=年寄り、というイメージがあってそう簡単には譲れないところでもある。 さらにテレビを見ていると、ドラマなどの会話が聞き取れない。音を大きくすると聞きやすくなるが、うるさくてたまらない。一方、アナウンサーの話は良く聞き取れるで、さすがと思う一方、聞き取れないのは役者の発音が悪いのだと相手のせいにしたくなる。息子に聞いたら「俺もわからん」というので安心したが、どうも慰めらしい。 話は少しずれるが、一昨日の早朝六時前、キアンが私の部屋にやってきて、今日は、コミュニオン(Communion)だから一緒に学校に来て欲しいと起こしにきた。キアンは代表に選ばれて、神へのスピーチ役をおおせつかっており、数日前から長文の暗記に躍起だった。たしかに良くまあ、暗記したのものだと思う反面、何でたかが7x8=56とか8x9=72とかが暗記できないのかと、いやみを言ったくらいだ。 バロンタガログで、おめかししてコミュニオンにのぞむキアン このコミュニオンが一体何なのか聞いても、これまた理解できない。調べてみるとカソリックの7つのサクラメント(秘跡、Sacrament:洗礼、堅信、聖体、告解、終油、叙階、婚姻の7つ)の一つで、先日の堅信に続く、第3弾、聖体だそうなのだが、これは難聴というよりカソリックの知識不足により理解できないのだろう。この日は両親をともなって、牧師から与えられたウエハース状の物(ホスチア)を食べるのだが、これは、体の中でイエス・キリストの実体に変化するそうで、だから聖体と呼ぶらしい。そういえば、教会では、信者が列になって牧師からこのウエハースを口に入れてもらっているのをよく目にする。キアンは、両親がこのウエハースを不潔に感じて口に入れようとしなかったら、キアンが両親を叱ったそうだ。さらに牧師とすれ違うとき、思わず二人はアピアー(手のひら同士をぶつける仕草)をしたそうで、牧師のキアンに対する友情とも言うべき思いが計り知れるところだ。キアンのCONFESSION-堅信式に参加 2017年11月14日 私自身は、いつ始まるかわからない儀式は割愛してPRAに向かったので、キアンの晴れ姿は目撃できなかった。それに、儀式は撮影禁止なので、いずれにしろ、ブログで紹介することもできなかった。 ようやく歯が生え始めて歯茎が痒いのかしきりに舌なめずりをするクッキー、この年頃、キアンはすでに7本の歯が生えていた。比べてみるとキアンのほうがはるかにお兄さんだった。 こんな矢先、NHKの「ためしてガッテン」で難聴をとりあげていた。 1.難聴とは加齢にともなう耳の機能の低下により(耳の中の音を感じ取る毛のようなものが血流の不足により壊死する現象)、選択的に音が聞き取れなくなるもので、子音が聞こえなくなったりして、音は聞こえても会話として聞き取ることができなくなる。逆に大きな音が耳のなかで響いてうるさいと感じることもある。 2.例え初期の難聴になったとしても、脳が聞こえない音を補完するので、会話は不自由なくできる。そのため多くの人が難聴であることを認識できないままでいる。一方、不意に横から声をかけられると意味が把握できないことがあるが、それは脳がとっさの状況に対応できず補完作用が働かないためだ。 3.難聴が進むと、周囲の会話に交わることができなくなって、人との付き合いが億劫となり、生活が消極的になる。さらに会話による脳への刺激が減ると、脳の一部が壊死して、認知症にも罹患しやすくなる。 4.現在の補聴器は、ただ音量を上げるのではなくて、ひとりひとりの症状にあわせて、聞こえにくい音のみを増幅するので会話として理解しやすくなる。一方、この調整が適切でないと、かえってうるさく聞こえるだけで何の役にもたたない。 […]