Yearly Archives: 2018


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ブログを前のように月に10編くらいは載せようと張り切っていたものの、土日も含めて全く時間がとれない。今日の話題は専門的過ぎるきらいはあるが、フィリピンに滞在する方に共通の話題なのであえて掲載することにした。 ACRとはAlien Certificate Registrationの略で日本語なら外国人登録証にあたり入管(Immigration)で発行される。9g(通称ワークビザ)、9d(通称投資ビザ)、13a(通称配偶者ビザ)あるいはクオータビザなどの長期ビザを持っている場合、保有することが義務付けられている。入出国に際して提出を求められ、再入国許可証の取得にも必要である。銀行で口座を開こうとするとパスポートの他にこのACRの提示を求められ、それが無いと相手にされない。だからフィリピンに来て即口座を開こうとしても不可能なのだ。 今回のブログの主人公のACR しかしながらSRRV(Special Resident Retiree’s Visa)あるいはSIRV(Special Investor’s Resident Visa)などではこのACRの取得は免除され、代わりにそれらのビザ発行の窓口となっているPRA(Philippine Retirement Authority)あるいはBOI(Board of […]

ACR(Alien Certificate of Registration=外国人登録証)の怪 2018年7月1日


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2月早々の肺炎による入院以来、2月は自宅療養、3~4月のホリーウイークの静養のための休暇、5月末の日本出張、そしてそれを補うため4~6月は超多忙という状況でブログに手を付ける余裕が全くありませんでした。ここに来て業務もやっと落ち着いてブログにでも手を付けようかという余裕が出てきました。その間、ブログのネタは山ほどあるのですが、時間が過ぎると鮮度がなくなって筆を取る気になりません。これからは鮮度を見極めながら従来のペースで記載していきたいと思いますのでよろしく閲覧願います。 この間の一番大きな話題は、相続税の支払い方法が劇的に改善されたことだ。 退職者が亡くなられたら、PRAに預けてある預託金や銀行預金の引き出しには相続人による相続手続きが必要となる。相続手続きには、死亡証明書、正当な相続人であることを証明する戸籍謄本、相続人の身分証明書、遺産分割協議書などをそろえて、PRAないし銀行に提出する必要がある。しかしながら、相続手続きの最大の山は税務署(BIR)から相続税の支払い証明書(CAR、Certificate Authorizing Registration)を取得することだ。そのために、BIRが要求する諸々の書類をそろえ相続税を前払いしてさらに3~6ヶ月の期間、ひたすら待つ必要があった(わざと遅くして何らかの見返りを期待しているのではないかという疑いさえもたれる)。 この諸々の書類が曲者で、例えフィリピンに住んでいなくても、上記の他に居住証明、地方税の支払い証明書、固定資産がないことの証明、納税番号(TIN)などの提出が必要だ。しかし、フィリピンに居住していていない限りこれらの書類は準備できない。本来ないものを入手して提出せよという無理難題を押し付けられるのだが、金にものを言わせれば出来ない相談ではないものの、その相場が高騰して相続人の負担を大きくしている。 さらに厳しいのが相続税の前払いだ。日本とは異なって、まず相続税をBIRの要求に沿って支払わなければならない。遺産が大きい場合、相続税の支払いに借金をしなければならないというはめにも陥りかねない。それらすべての難関を乗り越えて遺産の支払いが実行されるのだが、書類の準備も含めて一年以上かかることもざらで、その間の相続人の不安と焦りは想像に難くない。 最近、2件の相続を扱っているのだが、相続手続きの手順を銀行からヒアリングしている最中に元私の部下でCPA(公認会計士)のユージンさんから貴重な情報が飛び込んだ。曰く「2018年1月1日以降に亡くなった場合、税務署からのCARの取得は不要で、銀行が6%の相続税を源泉徴収して遺産の引き出しを可能とする」というものだ。これで相続税の前払い、ややこしい書類の準備、果てしない税務署の怠慢(CAR発行の遅さ)に頭を悩ます必要がなくなった。そこで、早速馴染みのBank of Commerceにヒアリングしてみると、社内通達ではっきりと「もはやCARは不要」となっているとのこと。これは朗報と「さすがドテルテ大統領」と感心した。一石2鳥、3鳥の税制改革で、相続人の負担軽減(税の前払い、期間短縮、ペーパーワークの削減)税務署員の汚職の削減と税収入の増加などなど、いいことだらけの改正だ。 しかし、PRAにヒアリングしたところ、相続の手順は従来どおりでCARが必要という。退職者の便宜をはかるべき立場にあるPRAが法律が改正されたにも関わらず、それを適用しないということは何たる怠慢かと厳しく詰め寄ったものの、担当者レベルではいかんともしがたいところがあり、しばし様子を見ることにした。1万ドルの預託金(年金申請の場合)の大半が相続税や、ややこしい手続きのおかげでなくなってしまうという現実をPRAは一体把握しているのだろうか。そのため件の相続者にはしばし様子を見ることを提案して、相続手続きを保留することにした。 もう一方の相続ではメトロバンクにかなり高額の預金があるが、近くの支店で話を聞いてみると、なんと従来と同じくCARを取得して来いというのだ。どうもこの本店からは支店に指示が出ていないらしい。具体的に相続手続きを行って預金を払い出すのは支店だから、早期に銀行本店からお達しを発行してもらわないと埒があかない。しかしこのまま待つのでは能がないので、CPAのユージンさんから中央銀行(BSP-Bangco Sentral NG Pilipinas)に訴えのレターを提出してもらってメトロバンクに圧力をかけることにした。法律が改正されたのにそれに従わないというのは法律違反であって、一流銀行としてありえない話だというのがユージン会計士の言い分だ。 […]

相続税の支払いに関する法律が改正されました(TRAIN Law)2018年6月10日



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 マカティ市の中心部は、グロリエッタのあるコマーシャル・センター、事務所とコンドミニアム街のサルセド・ビレッジとレガスピ・ビレッジに大別される。そのサルセド・ビレッジの真ん中にあるのがワン・サルセド・プレイス・コンドミニアムだ。1990年ごろアヤラの開発したコンドミニアムで、最近こそロックウエルやボニファシオ・グローバルシティなどの高級コンドミニアム街が登場したが、1990年代は最高級コンドミニアムの名をほしいままにしていた。 2012年に全面的に改装して、アジア開発銀行の職員(スイス人)に4年間賃貸して、その後、マレーシア大使館の職員に1.5年貸して、現在空きとなっている。日本人オーナーが引き続き賃貸しを希望しているので、内覧をご希望方は志賀(0916-543-2812)まで連絡していただきたい。 2ベッドルーム、145m2、8階 フルファーニッシュ  駐車場(1台)付 リース期間一年単位、12万ペソ/月、一年分の家賃を前払い、敷金2ヶ月、ユーティリティ・デポジット一ヶ月、管理費込み、ユーティリティ テナント負担 都会のオアシスともいえる公園とスポーツセンターの間に立地するワン・サルセド・プレイスは将来的にも環境は維持され、高層ビルが林立する他のコンドミニアム街とは一線を画している。裏手のスポーツセンターの会員になればスポーツ三昧の生活も可能だ  オーナーである日本人の方の依頼で、少々くたびれた内装の全面的改装工事をお手伝いした。壁、天井、床、家具など、目に見えるものはすべて作り変えるという大本格的な改装工事だった。2ベッドルームだが、床面積が145平米という大型のユニットで、4ヶ月の工期を費やし、ピークでは十数人の職人が働いていたものが、ようやく完成したのだ。 リビングルームは広々としており、さらに46インチの液晶テレビとシアターシステムが設置されている。 マスターベッドルームには専用のウオークイン・クローゼットとバスタブ付のCRがついている。  ゲストルーム(子供部屋)はシングルベッドが二つ、ゲスト共用のCRがある。 キッチンには広めのメイドルームとメイド用のトイレがある。計画ではメイドルームとトイレはそのままとする予定だったが、他ができてみるとあまりの格差に、同様に改装した。  この日は、こまごまとした買い物を決めるためにマムジェーンとKIANが同行したが、KIANは広々としたリビングを大喜びで走り回り、例のパーフォーマンスを披露してくれた。  プール、ジム、ファンクションルーム等も完璧に備わっている  コンドミニアムの前は広い公園で、遊園地になっている。KIANはすこぶるご機嫌で、帰りたくないとダダをこねていた。                             

高級コンドミニアム・ワンサルセド・プレイス賃貸物件の紹介 2018年5月11日再々掲


クッキーが歩き始めて以来、つたい歩きも含めて、家の中を縦横に歩き回っており、外では、得意のダンスを披露してご近所の注目を集めている。そんなクッキーの洗礼式の時がやってきた。予算の都合で、大分遅めの洗礼式(Baptismal)となったが、2月10日、午後3時半、場所は、キアンの時と同じSacred Heart 教会、両親の結婚式もここで行った馴染みの教会だ。場所は、パソンタモ通り(Chino Roces Av.)からカマゴン通り(Kamagong)を東に向かって二つ目の角、Sacred Heart St.の 交差点にある。 キアンのバブティスマル 2010年10月15日 いよいよクッキーもクリスチャンとして社会にデビューする記念すべき日となるが、披露宴はデュシットホテル(Dusit Thani Hotel)一階の右奥、The Pantryに100人ほどのゲストを招いて行うという豪勢なものだ。また、パパ・カーネルの昇進祝い(Senior Superintendent)も兼ねるそうなので、滅多にない機会なので、是非多くの方の出席を期待したい。出し物としては、キアンのピアノ演奏とダンス、さらにはクッキーの腰振りダンスを披露する予定だ。 […]

クッキーの洗礼式のお知らせ 2018年1月21日



クッキーが1歳と二ヶ月になって、つたい歩きは盛んにするものの、歩くには今一歩という状態が続いていた。周囲は、いずれは歩くと、特に心配はしていなかったものの、今朝、ヤヤと散歩中のクッキーに出くわしたら、ヤヤが歩かせて見せてくれた。二足歩行といえば、人間が人間であるゆえんのようなもので、いよいよクッキーも人間の仲間入りをしたといえる。早速、記念に動画をとらしてもらった。DSCN2532 ちなみにクッキーは歩く前から音楽がなると腰をくねくねしてダンスをしている。常識的に考えれば、歩けもしないでダンスもなかろうと思うのだが、クッキーにダンスの天賦の才があるのではと伺わせる。クッキーのダンスの動画、DSCN2058 をみてほしい。キアンも幼児の頃はダンスが大好きで皆をわかせたが、先日のPRAのパーティでも披露した様にキアンのダンスには一味違うものがある。キアンが2歳のころ、他人の誕生日で見せたダンスの動画を見て欲しい。CIMG2453 乳児から幼児の雰囲気を持ち始めたクッキー 一方、息子の息子のリオ君は、4ヶ月目に入って、いよいよ赤ん坊らしくなってきた。毎朝、おぶ紐を使って、息子に散歩させてもらうのが日課で、この日は日曜なので散歩中に、クッキーの歩き初めにでくわした。クッキーはライバルを興味深げにみつめていたが、やがて息子に手をつながれて安心したようだ。息子の悩みといえば、子守役で同居している嫁の姉さんがリオを溺愛していて、家ではなかなかリオに触れさせてもらえないことだ。幼児期はバンバンと日本語をぶつけて、日本語ネイティブに育てたいのだが、姉さんがタガログ語でバンバン話しかけているので、気が気ではない。日本人として育つか、フィリピン人として育つかの分かれ目だが、バイリンガルという言葉もあるので、目指すのは英語も含めてマルチ・リンガルといったところだろうか。 フィリピンにいる間はリオ君のお散歩が息子の仕事 昨年末以来、どこにでもクッキーを連れ歩くようになったので、クッキーもかなりの刺激を受けたせいがあるのだろう。やることなすことが赤ん坊の域を脱して、幼児になってきている。私が部屋に入っていくと、おいでおいでをして私を呼ぶ。私が、手に何か持っていると、よこせと要求して、興味深げにいじくり回す。取り上げると泣くので代わりを渡すとすぐに機嫌をなおす。何も持っていないと両手をあげて抱っこのおねだりだ。しばらくあやして部屋を出ようとすると、やはり泣き叫ぶ。また、自分で歩くことに喜びを感じたのか、ベッドの上では、介助無しに歩き回って、すっころんでは歓声をあげている。成長することの喜びを身にしみて、噛みしめているようだ。 リオ君を執拗に見つめるクッキー 両親の悩みは、クッキーが非常に乱暴なことだ。キアンがあやそうと近づくと張り手を食らわし、髪をつかんで離さない。教会に連れて行くと、近くにいる同年代の子供に近づいて張ったおす。子供の親がびっくりしてクッキーをにらみ返すと、天使の微笑を返すので、親も思わず微笑んで、一件落着だ。ママ・ジェーンはそんな様子を、はらはらしながら見つめている。キアンが一歳の頃は、ひたすら笑顔でやさしかったのに、顔はそっくりだが、性格はかなり違って気の強い女の子だ。フィリピンでは男は優しくて(マバエット)で、女の子が気が強い(マタパン)のが一般的なのだ。 クッキーも、早々とお姉さん(アテ)になった  

クッキーが遂に歩いた 2018年1月7日


年末は、何のかんのと忙しかったが、一転して正月は、年末の出来事をブログに載せるくらいしかやることがなかった。2日の夕方、ブログを書いていると、突如として、ママ・ジェーンから、クッキーの洗礼式の披露宴を予定しているMAKATI PLACEのCITY CLUBを視察して夕食をとる、との号令がかかって出かけることになった。 MAKTI PLACEは中堅デベロッパーのALPH LANDにより開発された大型のショッピングモールとコンドミニアムの複合施設で、アヤラ・アベニューのはずれブエンディア通りとの交差点近くにある。付近にはRCBCプラザ、The COLUMNなどのコンドミニアムがあり、Makati Fire Station(消防署)の対面だ。そこのThe City Clubという会員制のスポーツクラブのレストランでクッキーの洗礼披露宴を催すという魂胆らしい。 The City Clubのレセプション。周囲に人影はまばらだ 初めての訪問なので、あちらこちら聞きまわって、ようやくたどりついたが、広々としたゴージャスな空間だが、ほとんど人はいない。会員権が本当かどうか知らないが20Mペソ(2千万ペソ)だというから無理もない。数件のレストランが開業していたが、これでは成り立つはずもなかろう。ちなみにジェーンのフィットネス・クラブ(近くのRCBCプラザ内にあって、ジェーンはセクシーな体を取り戻そうと日参している)の友人の紹介だそうだ。その友人は某タバコ会社の社長夫人で大金持ちだそうで、こんな馬鹿高い会員権を買える身分なのだろう。目当てのレストラン(BALESIN)をようやく探し当てたが、客は一人も入っていない。ゆったりとしたレイアウトで、いかにも高級レストランにふさわしい雰囲気をかもし出してはいる。 […]

マニラの正月、クッキーの洗礼式の会場を視察 2018年1月6日



2018年1月5日追記:年末クリスマス休日明けの12月27日(水)早速、BOCで、退職者のSRRV申請用預託金の送金口座を開設した。その翌日、ただちに日本から送金して、正月の休み明け、3日(水)には定期預金口座を開設して、4日には無事にSRRV申請が受理されるという離れ業をやってのけた。PRAにとっても、再認定後のBOCを使うのは初めてことなので、受付には再認定が徹底されておらず、すったもんだしたが、結局OKとなった。DBPを使っていたとしたら、とてもではないが出来ない芸当で、申請は2週間ほどずれこんだことだろう。BOCの面目躍如といったところだ。 2017年12月21日追記:たまたまこのタイミングで3年有効のID更新の依頼を受けたが、この方のIDは一年前に失効していた。したがって、4年分有効のID更新を依頼したのだが、PRAは、それを拒否して、銀行移動申請用紙を提出すれば(ただし、いずれBOCが再認定されれば、この申請は無視しても良いとの含みで)、失効分を含めて2年間のIDを発行するとのことだった。その時点では、まだBOCの再認定は周知されていなかったので、とりあえず従来の規則に従わざるをえなかた。しかし、数日前、PRA担当に聞いたところ、BOCの再認定については、すでに周知されたので、残りの2年間のID更新を認めるという話だった。そして、昨日、無事にさらに3年間有効のIDを手に入れることができ、BOCの再認定が実証された。 2014年5月、私がもっぱら退職者の預託金の送金に利用してきたBOC(Bank of Commerce)がPRAの認定を辞退して「PRA預託金を他の銀行に移動しなければならない」という衝撃的ニュースが流れた。銀行移動をしていないと、銀行移動が申請済みであることを条件に一年間のみのID更新は認めるが、それ以降は認めないという措置をとったため、退職者も必死だった。あれから、早、3年半の歳月が流れ、最近は銀行移動の要請が退職者からあることは滅多にないが、200人近い退職者の口座を紹介してきた私にとっては、一大事だった。BOC全体では2000人に達し、当時、銀行移動の申請が殺到し、PRAの担当部門は機能不全に陥った。Bank of Commerce(BOC)がPRAの認定から外れました2014年5月7日(2015年2月13日改定) そして最近、BOC ベル・エアー・ペトロン支店のケイト支店長からは、BOCが再度認定されるようPRAと交渉している...、話はついた...、後はサインを待つだけ...の情報を受け取続け、待ちに待った決定だった。 長年お世話になってきたBank of Commerce Bel-Air Petron 支店は預金者によりそったサービスを提供する家族的な銀行だ BOCは、国際的な預金利率の低下により、従来と同じ条件では、預託金を預かれば預かるほど赤字になるということで、PRAにMOA(合意書)を見直すよう求めていた。しかし、前のGM(ゼネラル・マネージャー)がそれを認めず、BOCとしては、認定辞退という強攻策に踏み切らざるをえなかった。この時点で大半の銀行は、BOCと同じく認定を辞退したのだが、BDO、Union […]

Bank of CommerceがPRAに再認定されました 2017年12月16日、12月21日、1月5日追記


今年は、クリスマスと新年の休みがすべからく土日と重なって、理論的に最も休日の少ないクリスマス・正月になった。そこで、年末も押しせまって、12月26日(火)と1月2日(火)の両方を特別休日とするという大統領令が発行され、それぞれ4連休となった。しかし、これは官庁と学校だけであり、民間企業は、それぞれの会社の判断にゆだねられるとされた。 12月23日(土)通常の休日 12月24日(日)クリスマスイブ(祝日) 12月25日(月)クリスマス(祝日) 12月26日(火)特別休日 12月30日(土)リザールディ(祝日) 12月31日(日)おおみそか(祝日) 1月1日(月)正月(祝日) 1月2日(火)特別休日 例年、クリスマス・正月はビコールの農場に帰るのが慣習となっており、マニラを2週間くらい留守にすることが多かった。キアンも昨年のホリーウイーク以来の農場行きを楽しみにしていた。しかしながら、ママ・ジェーンは、今年はマニラでおとなしくしている、と宣言した。原因は、田舎に帰ると、姻戚一同に大盤振る舞いをしてやる必要があり、昨今の業績不振でその原資がないということらしい。私としては、たまには農場を視察しなければならないと思うのだが、一人で農場ですごすのも辛いものがあり従うしかない。せめてキアンと二人で行きたいとも主張したが相手にされなかった。 マニラにいたらいたで、クリスマス4連休のあと、27、28、29日の平日は、お二人のビザの発行、SRRV申請者の準備、不動産の移転登記依頼、BOCの再認定に関わる準備、銀行ATM交換など、意外と多忙だった。そして、年末年始の4連休は、一転して暇でブログに専念することになった。 我が家の大晦日のご馳走は鉄板焼肉、材料費は500ペソ程度だそうだ、とにかく料理をしなくて良いので手間がかからない 一旦、夕食を終え、夜の12時、再度年越しの食事をとるというのだが、もし私が寝ていたら起こさないでくれと言って部屋にこもった。テレビでは時差のため、ちょっと早めの紅白をやっていた。もともと紅白には興味はないのだが、NHKしか映らないから、選択の余地はない。それよりも、「朝青龍を押し出したら1000万円」に興味があった。スマホで見ようと思ったが有料サイトなのでかなわなかった。朝青龍は日馬富士の暴力問題で最近再び脚光を浴びているが、あの強い横綱の土俵をまた見たいと思う人は多いと思う。朝青龍にせよ日馬富士にせよ、格闘家が暴力問題で追放されるなんて、なんとも解せないところがある。格闘家の頂点に立つものであれば並みの上品な性格を持ち合わせているはずがあるまいと思うのだが。 正月の飾り物は丸い果物と現金、中国風だ 一方、この夜、私が集中していたのが、YAHOOメールのパスワードの回復だ。とにかく、これがわからないと、スマホでYAHOOメールにアクセスすることができない。先日、ためしに入力した連絡用メールアドレス、japandesk@pra.gov.phがOKであったので、ハッキングではなくて、単に私がパスワードを忘れた、という確信があった。それで、思いあたるペットの好物やパスワードを繰り返し入力した。そして、私の新生銀行のインターネット・バンキングで使っているパスワードをいれたら、いつもの「入力したパスワードが違っています」が表示されず、次に進むことができたのだ。おやっと思ったが、苦節一年、ついにパスワードを見つけた瞬間だったのだ。しかも普段使っている別の自分のパスワードという、おでこにつけたメガネを探していたようなものだ。いずれにせよ、声を張り上げたいくらいにうれしかった。 […]

マニラの大晦日 2018年1月2日



天天で不本意の食事を摂ったあと、モール・オブ・エイシアに向かう予定だったが、遠すぎるのと渋滞を懸念して、昨年同様グリーンベルトでお茶を濁すことになった。昨年は正月に出かけていって、初詣の人で一杯だったのだが、晦日は、ミサがないせいか、それほどの人出ではなかった。しかしながら、それなりのクリスマスの飾り付けとで電飾は見もので、クリスマス・新年の気分を盛り上げるには十分な演出だった。目だったのは、相変わらずの西洋人が多かったことだ。それに目をつけた美人局の活動も活発だったに違いないが、どういうわけか私に近づいてくる妙齢のフィリピーナは相変わらす皆無だった。 グリーンベルト2のレストラン街を歩くクッキー、バンドの音楽につい体が動いてしまうらしい。動画  DSCN2412 グロリエッタにあったWATAMIはここに移動していた。自分の名前(和民)を見ると写真をとらずにいられない 外は、暑いというので、ジェーン夫妻はもっぱらモールの中を歩いた。グリーンベルト5そして4には海外の名だたるブランドが軒を連ね、最高級のショッピングモールとなっているが、買い物客は皆無だった。 グリーンベルト5の見事なクリスマス・ツリー 突如、ジェーンが老婦に話しかけて親しそうにしている。なんと、前副大統領、元マカティ市長、ビナイ氏の妻だそうだ グリーンベルト5、4のビルを背景に グリーンベルト4のクリスマスツリーもそれなりに見事だ 中央広場の電飾を背景に 中央の教会(Sto. Nino De Paz Chapel) […]

師走のグリーンベルト2018年1月2日


天天火鍋といえば、かつてマカティアベニューとパサイロードの交差点にあったとき以来、多人数の食事はここと決め、すでに100回以上通ったなじみの店だ。パサイ・ロードの店が閉店して、しばらく見ないでいたら、マカティアベニューのアラヤ・トライアングルの前のAtriumというビルの一階奥に再開されたという情報を得て、飛んでいったところだ。安くてうまくて量が多くて、おまけに早くて健康的という四拍子も五拍子もそろった店だった。パサイロードにあったころは、いつでも満員で日系商社のご用達の人気店で、特に二階の煙席は、いつも日本人で満員だった。 鍋料理の老舗、天天火鍋発見 2015年1月19日 外に出かける時はいつもご機嫌のクッキー 広大なスペースで歩き回るクッキー、ヤヤは吹き抜けの巨大な空間に目が行っている ここしばらくごぶさたしたのだが、暮れも押し迫る12月30日、久しぶりに全員で行ってみた。台湾風シャブシャブで野菜や海鮮が豊富に食べられのでありがたい。キアンは、ここのイカ団子が大好きだ。ヤヤ達やクッキーは初めてだ。ビルの中に入ると巨大な吹き抜けの空間が広がっていて異様な感じさえあるが、相変わらず閑散としている。この原因は、遠くさかのぼる1989年12月、クーデターの舞台になったためなのだろう。そのクーデターは茶番劇だったが、マカティからは人がいなくなって、私が立ち上げた子会社も閉鎖の瀬戸際まで行った大事件だった。ここに来るたびにそんな30年近く前の事件に思いをはせる人は、極少数だろうと思う。 イエス・キリスト抱く聖母マリア様はここでも健在だ まずは、材料の注文だが、うれしいことに最近、是非食したいと思っていたなまこがあった。これは癌にも効くというレアな食品であるという情報を例の生理学の教授のメールマガジンで聞いていた。その他、カンコン、つる紫、もやし、きのこ、イカ団子、かまぼこ、生き海老などなど、他人の好みは無視して健康に良さそうな具材ばかりを選んだ。ジェーンは、いくらなんでもと、それに豆腐と牛肉を追加していた。最後の締めは恒例のオジヤだが、皆満腹で、クッキー用にテイクアウトすることにした。そこで、ご飯をスープで煮た後、その後、何を入れたらいいのかわからなくなってしまった。ジェーンに聞いたら、生卵と教えてくれたが、なにかをやろうとしているのだが、なにも浮かんでこないのだ。いつもなら、前もってオジヤ用のご飯と生卵を注文しておくのだが、それも忘れていた。認知症とはこんなものかと、ちょっとショックだった。 具材は好きに選べるのがうれしい、一皿150ペソ前後だ テーブルを囲んで料理しながら食べる様は、一家だんらんの雰囲気があって、大変好ましい 食事は、いつものように満足のいくもので、クッキーを除く6人で2000ペソと踏んだ。しかし、勘定書きを見ると3500ペソとなっている。いくらなんでも高すぎると思って精査すると、具材は2000ペソ程度なのだが、ドリンク450ペソ(ヤヤが頼んだソフト・ドリンクが案外高い)、オジヤ用の追加のライスと卵が200ペソ、それにわけのわからない200ペソ(後でタレということがわかった)、さらに10%サービスチャージで、倍近い値段に膨らんでしまっている。タレの200ペソは引いてきたが、結局、3200ペソほど払わされ、一人あたり500ペソを越えてしまった。こうなると食べ放題のトンヤン(ジュピター通りTong Yang)に行った方がましで、あそこなら具材は、なんでも取り放題、アイスクリームやジュース/ビールも飲み放題で、キアンも大喜びだ。 パパ・カーネルのビールを口にしようとするクッキー ちなみに先日、皆で食べた韓国レストラン(Seoul Galbi)は10%引きとはいえ全部で1500ペソだったので、いかにここが高いかだ。あるいは、あそこがいかに安かったかだ。次回は韓国レストランにしようと固く誓って店を出た。レストランは、安い、うまい、早い、量が多い、健康的の五拍子そろったところでなければならないというのが私のモットーなのだ。 ドアの外からはしゃいで大声をあげるクッキー […]

久しぶりに天天火鍋で食事 2018年1月1日