Monthly Archives: November 2022


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一旦途切れてしまった運転免許証を苦労して再発行してもらってから、10年経過して、2回目の更新の時期がやってきた。前回は、マカティのLTO(Land Transportation Office)で更新したが、タガイタイに疎開中の身にとって、わざわざ出かけて行くのは厄介なことだ。 それが、サンタロサのロビンソン・モールにあるココの幼児教育の教室の隣にLTOの免許更新センターがあることに気がついた。聞いてみるとマカティ在住でもそこで更新ができるらしい。ただし、事前にLTOのホームページにアクセスして、オンラインのテストを受けて、その結果を提出しなければならないとのことで、ちょっとたじろいた。 LTOのオンラインテストについては、フィリピンの交通規制のルールなどが主体で、我々には手ごわい問題が多い、したがって誰かフィリピン人に問題を読んでもらって回答をアドバイスしてもらうのがいいだろう。日本人にとっては問題を読んで理解するだけでタイムオーバーになってしまいそうだ。60点以上が合格点なので、ある程度いい加減に答えても何とかなるだろう。私はキアンの手助けで事なきをえて、無事に76点の合格点を取ることが出来た。添付オンラインテスト結果参照。 翌週、ココのテラピーに同行して、勇んで更新を申し込んだら、期限の来年の誕生日まで2ヶ月以上あるので、受け付けてくれないと言う。ママ・ジェーンがねじ込んでくれたが、システムが自動的にはじいてしまうからどうにもならないという。どこでも免許更新ができるということは、すべての免許情報がデータ化され、システムでつながっているらしいが、便利であると同時に融通が利かなくなっているようだ。しかし、この時はかなりの待ち人がいるので、かなりの時間がかかりそうで、翌週ないし翌々週は人がいない時を狙って更新しようともくろんだ。 おかげでこのロビンソンモールをたびたび訪問することになったが、かなり古びており、空きスペースも多い。近くに巨大なSMが出来たために客を全部持って行かれてしまったのだろう。スーパーを覗いてみても客はまばらにしかいない。2階以上に店はなく、テナント料が安いせいか、郵便局、SSS(国民年金)、PhiliHealth(健康保険)、透析センター、それに免許更新センターなどの役所が多く入っている。 翌週、行ってみると、待ち人は少なくチャンスだ。受付の人が手招きして呼んでくれて、例のテスト結果と古い免許証を提出して、600ペソを支払う。次はクリニックの受付で質問票に記入して、血圧の計測、中に入って視力の検査、待ち人は全くいないので、実にさっさと終わる。しかも、キアンがそばにいて、通訳してくれるので、安心だ。キアンは、お父さん?と質問されて、ロロ(おじいさん)と答えて納得してもらっていたが、私はとっさに友達と答えてしまった。 次に隣のLTOの窓口で、585ペソを支払って、サインと指紋と顔写真を撮って、おしまい。5分も待たずに新しい免許証が渡されておしまい、都合、30分もかからなかった。さすが、役所なのでタガログ語でまくしたてられて焦ったが、キアンの通訳で事なきをえた。因みにキアンは、英語、タガログ語、それにビコラノ語を理解するが、話すのは英語だけだ。 ロビンソンには申し訳ないが、場末のせいか、人もおらず、待たずにすむというのがなんともありがたい。しかも一階にはダイソーの100円ショップがあって、ちょっとほしいものが何でも買えるので大いに重宝させてもらっている。

運転免許証の更新をしました 2022年11月19日


11月15日はパパ・カーネルの誕生日で、はつはな亭で誕生会を行うことになった。そのため、タガイタイから日曜の内に家族全員がマカティに出てきて、その日に備えた。 はつはな亭はマカティスクエアのヘラルドスイートホテルの二階にあるが、かつてキアンを連れてしょっちゅう昼飯を食べに行ったところだ。ちょっとはずれのマービンプラザにあるテッペン日本食材店の隣の樹海とともに、数ある日本レストランの中でも一番お気に入りのレストランだ。 8月に入って、コロナの規制も緩和されてきたので、タガイタイで日本食を探し回って、試しに行ってみた。しかし、どこも高いはまずいは量が少ないの三拍子で満足できなかった。そこで、このはつはな亭に行ってみたいと常々おもったいたのだが、ちなみに樹海はすでに閉店したとの情報を得ていた。  誕生会で、子供達も入れて8人で、はつはな亭自慢の個室を予約した。3年近く来なかったが、店構えはかつてと全く同じで、ホテルの入り口には大きなサンタさんが構えている。ママ・ジェーンは相変わらず写真撮影に忙しくていくら待っても店の中に現れない。 その間、メニューをもらって、キアンがいつも注文していたエビフライ定食を探したが、見当たらない。料理の値段は以前とさほど変わらないのがうれしかったが、ウエイトレスに聞いたら、定食メニューは昼間だけで、夜は単品だけだそうだ。そういえば、キアンと通ったときはいつもお稽古帰りの昼だった。ここのランチ定食は品数も豊富で、漬物、茶わん蒸しからソバまでついて、まるで懐石料理のようなのだが、残念だった。 パパ・カーネルもやってきてさて注文の段になって、刺身と寿司の盛り合わせに、新メニューのラーメン二つ、それにエビフライとエビ天ぷらとアドバイスした。ママ・ジェーンは、カーネルには、肉はだめ、焼き物もだめ、寿司は嫌だと、刺身しか注文するものは無くなってしまった。それで刺身二盛と巻きずしを注文することにした。 私としてはあこがれの刺身盛合せを注文してそれで満足だったが、エビフライ一辺倒のキアンが刺身や寿司にも手を出したのには驚いた。彼は、もはやハイスクールの12歳、最近、野菜も食べられるようになって、やっと幼児期を脱した感がある。 食事が一段落するとクッキーとココの幼児組が畳の部屋を走り回り、大騒ぎとなった。かつてキアンも走り回ったり、テーブルの下の掘り抜きに潜り込んだりして大騒ぎだったが、さすがのハイスクール一年生、落ち着いていた。 さて、まだ、7時半となると、このままでは帰るわけにはいかない。そろそろクリスマスで、恒例のアヤラトライアングルの電飾ショーを見に行こうということになり、まさに3年ぶりの電飾ショーにくりだした。 果たして恒例の電飾ショーはコロナ明けということで開催しているのかどうか、定かではないが、期待して行ってみると、確かに電飾が見える。期待して行ってみると、かつての規模からは程遠く、人の出もまばらだ。聞いてみるとこんなものだというので、帰ろうとすると、車で待っていたママ・ジェーンがこれからショーが始まると追い返されてしまった。 戻ってきて聞いてみると、今度はショータイムがもうすぐ始まるという。それで待つこと、15分、いよいよアナウンスがあって、始まりそうだった。そうするとあっちこっちで煙が出始めて、周りが良く見えず、クッキーの手をしっかりつかんで身構える。 まずは、壁にアニメの人形が映し出され踊っており、いわゆる電飾は、ちょっとだったが、レーザー光線らしきものが煙を照らして、7色の光の壁が揺れ動くという今までにはない趣向で、なかなか見ごたえのあるショーだった。 そのころになると人でも多くなり、中には音楽に合わせて踊りだす人もいた。コロナ過で3年近く、家に閉じこもっていた人々にとって、やはりこのような催し物が必要なんだとつくづく思った。 ちょっと時間がかかるがアヤラトライアングル電飾ショーの動画を参照してほしい。

はつはな亭とアヤラトライアングルの電飾ショー 2022年11月18日



NHK BSプレミアムの毎週火曜の夜の番組、ヒューマニエンスで最近「言葉」と「文字」という興味深いテーマを連続で取り上げていた。要は「言葉が人間の思考を育み、文字が人間の文明を育んで人間と動物の違いを生み出し、現在の繁栄をもららした」というのである。ホモサピエンスが発生して20万年、言葉により、人間の思考が大いに発達し、道具を作り、効率の良い狩猟や耕作を行って、地球を征服した。一方、文字は、ピラミッドの時代から5千年程度の時間しか経っていないのだが、その間に人類はそれまでとは比べられない速度で高度な文明を築き上げた。 言葉は十数万年の時を経ているためか、子供は2~3歳でかなり流ちょうに話すことが出来るようになる。そして言葉を覚えて、思考力がついて、人間として成長してくのだ。一方、文字については、幼稚園ないし小学校で、子供たちは「いろは」ないし「ABC」を徹底的に叩き込まないと覚えることができない。これは文字を覚えるというDNAがないので、脳に無理やり押し込まないとだめで言葉の様に自然に覚えるというわけにはいかないのだ。 文字が生まれて5千年というが、庶民にまで文字が普及したのは、ここ数百年にすぎない。要は、人間は文字などなくても立派に生きていくことが出来たのだ。文字はつい最近まで権力者に独占され、庶民は読み書きができなかった。言葉と文字の違いは、言葉は、その人が死ねば、すべて消えてしまうが、文字は時空を超えて、広範囲にそして長期間、情報を伝達することが出来る外部記憶装置として、積み重ねが可能で、文明を構築する重要なツールとなった。 ヒューマニエンスで次に取り上げてもらいたいのが、「数字」だ。子供たちにとって、数字は、多分文字よりも難解で、たったの0から9しかないのに、小学校、中学、そして高校と延々と学ばなけれならず、誰しも途中で投げ出してしまう。日本の大学受験でも、数学ある場合は、志望校/学科から真っ先に外してしまう人が多い。フィリピンにおいては、小学校低学年でギブアップして長い生涯を数字から逃げ回って暮らす人が大半だろう。しかし、この数字こそが、現在の超文明ともいえるコンピューターの世界での要なのだ。ちなみにコンピューターは0と1しか扱っていないのだが、その威力は誰しもスマホで思い知っており、スマホ無しでは一時も過ごすことが出来なくなっている。 この言語、そして文字、さらに数字まつわる人類史を目の当たりにさせてくれるのが子供達だ。我が家の女戦士クッキーは最近6歳になって、小学一年生で、オンライン授業を受けているのだが、3歳のころから母親、顔負けの言い争いができる子で、我が家のボスに上り詰めるのも時間の問題と思われた。しかし、パンデミックで幼稚園が閉鎖されてり、オンラインの家庭教師を雇っていたものの、文字の学習が滞っていた。しかも、クッキーは小学校に入学してから、6歳の誕生日を迎えたので、多分、一年、早く入学したらしい。しかもろくすっぽ幼稚園の授業を受けていないから、算数の授業に全くついていけない。優秀で飛び級というならまだしも、年齢をごまかして、一年、早く入学するなんてことは百害あって一利なしだ。 さらに数字となると、ちんぷんかんぷんで私に白羽の矢が飛んできた。しかし、数えることさえらくすっぽできない子供に、1たす1は2といくら唱えてもらちがあかない。まして、引き算や二けたの数字なんて夢のまた夢だ。私は幼児に数の概念を教え込むというノウハウは持ち合わせていないが、このままでは、文字はなんとか覚えたとしても数字に関してはご多分にもれず、九九もろくすっぽできない普通のフィリピン人ンなってしまいそうだ。 いくら教科書の一桁足し算や引き算を繰り返しても数の概念が無いのだから、馬の耳に念仏だ。そこで、たまたま置いてあったFireman Ladder(すごろくの一種)という遊びに目をつけた。サイコロを二つ使って出た目だけ進む。階段のところで止まると、上にあがれて、棒に止まると滑る落ちてしまう。これを大いに気にいったクッキーは、毎日やりたいやりたいとねだる。数百回も繰り返しただろうか、数というものがなんなのか、そして1から6の足し算はすらすらできるようになった。子供が知識を蓄えるには遊びが一番で、楽しいから覚える、いやいや、やらされたのでは、何の足しにもならないどころか逆効果だ。 しかし、オンラインスクールの方は、二けたの足し算や引き算に進んでいて、すごろくでは12までの数字しか出てこないから、クッキーは相変わらずちんぷんかんぷんだ。そして、コインを使って、買い物ゲームをすることにしたが、一ペソが10個で10ペソ、10ペソコインが5個で50ペソ、10個で100ペソ、さらに10ペソコインが5個と1ペソコインが3個で、53ペソとなるというようなことがクッキーには、どうしても理解できない。このままでは将来、お金が数えられない大人に育ってしまうと危惧される。 オンラインスクールといえば、二桁の足し算にバンバンと先へ進んでいるようだが、ママ・ジェーンはオンラインに後れを取らないように強制的に答えさせようとする。クッキーとしては、いくら怒鳴られてもわからないものはわからないから、対応のしようもない。挙句の果てには、ひっぱだいたりしていたが、まさに愚の骨頂で、クッキーは数字がトラウマになって、算数というだけで、逃げ回るようになるのは必定だ。その結果、自ら算数を教えることをギブアップしたようで、それ以来、口をはさむのやめて、兄のキアンに任せてしまった。 文字の方はどうなんだとキアンに聞くと、数字に比べてはましで、そこそこ上達はしているらしいが、ちょっと長い単語は読ませると、口でもごもご言ってごまかしているらしい。あれだけ流ちょうにしゃべれるのにと、変に感心するが、言葉の十数万年の歴史と文字の数百年の歴史の差なのだろう。一方、数字に至っては、フィリピンではまだまだ庶民レベルでは使いこなしているとはいいがたい気がする。しかし、今では計算機というものがあるから、なんとか辻褄を合わせることが出来ているようだ。キアンに至っては、幼稚園からの公文から始まって、パンデミックの3年間私がじっくり仕込んだので、なんとか追っついているようだが、クッキーについては、なるようにしかならないのだろう。 2019年11月生まれで、パンデミックの最中に育ったココは、つい最近まで、外出ということを知らず、家に閉じ込められていた。今日、3歳の誕生日を迎えるココ(Bernard 3rd、因みにキアンはBernard Jr.で実に親子3人が同じ名前なのだ)は、いまだに言葉を使ってしゃべるというには、ほど遠い。ようやく、周囲の人間をダダとかヤヤとか呼べるようになったところで、半年くらい前から、異常ではないかと、幼児の会話教室に週2回通わせられている。そのおかげで「what […]

言葉、文字、数字、そしてクッキーとココの苦行 2022年11月9日


10月29日(土)早朝、目を覚ますと風雨で外が騒がしい。前日、大型台風が近づいているという情報をえて、進路を確かめると、農場のあるビコールとマニラを直撃する見込みだった。しかし、大型とはいえ、広範囲なだけで、中心気圧は990パスカル程度、風速も30m程度で、さほど警戒するに値するものではないと判断された。早速、現在地を調べてみると、幸い、農場(赤マーク)を北に掠めたものの首都圏、そして私が疎開しているタガイタイ(赤マーク)を虎視眈々とうかがっており、29日夜半まで暴風雨が吹き荒れる見込みだった。 早朝、窓の外を眺めるとバナナの木が風前の灯の様相を呈していた。さらに、街灯用のソーラーパネルが風に吹かれてバタバタしていたり、2階のベランダに雨水がたまって、排水管を通して家の天井から雨漏りしている。そこでヤヤ(子守)とキアンが雨の中をずぶぬれになって、パネルを固定したり、ラバーカップで排水管の詰まりを取り除いたり、活躍してくれた。当方は、先日腰を痛めていたせいもあって高嶺の見物をしていたのだが、久々の事件でエキサイトぎみだった。 午後3時ごろには、いよいよ、台風が至近距離まで近づいたが、風雨は特に強くなることもなく、時間さえ立てば終わる問題と思えた。なお、台風通過後のビコールの農場からも連絡があって、バナナが数本倒れただけで、特に被害はないとのことだった。夜になると、停電となり、Wifiがないので、インターネットTVも見れず、相変わらず外は風雨でうるさいが、もはや寝るしかなかった。ちなみにこの停電は、特に送電施設に被害があったわけではなくて、台風通過前ないし通過後、一旦配電を止めて、送電・配電施設に異常がないか確かめて上で、配電を行うという電力会社の安全管理の一環として行われるものだ。動画をアップしたので参照してほしい。 翌朝、台風はすっかりおさまってすでに南シナ海に抜けていた。ルートを調べてみると、台風は、赤マークのタガイタイ直前で進路を北に変えて、北上し、マニラ首都圏を掠めて、再び進路を西に変えて、南シナ海に抜けていた。一方、台風被害は、セブのあるビサヤ地方とダバオのあるミンダナオ島に集中して、マニラ首都圏は、被害と呼べるものはなかったようだ。それでも29日の台風通過中は道路冠水で方々で交通が遮断されたとのことで、パパ・カーネルはタガイタイに来れず、31日にようやくやってきた。 翌朝、いつもの散歩に出てみると、ビレッジ中に木の葉が散乱していたが、被害と呼べるようなものは見当たらなかった。バナナはもともと木ではなくて草の一種なのでこの程度の風で倒れてしまう。しかし、すぐに新しい芽が出て成長するからかまわない。一方、南国の象徴のヤシの木は強風に対しては葉を落として、細い幹をしならせて風速60mにも耐えることができるすぐれものだ。 被害の中心は、ミンダナオとビサヤ地方で、洪水や土砂崩れのために死者48人、避難者36万人と報告されているが、ルソン島においては特に被害の報告は聞こえてこない。タガイタイで被害があるとしたら、土砂崩れだろう。しかし、ここの造成は自然のままの丘陵地形に道路を付けただけで、特に盛り土をして平らにしているわけではないので、その危険性も少ないと思う。その点、バギオは、かなり無理をして造成しているので、大雨による土砂崩れに被害は甚大になる。 台風22号パエンが去ったと思ったら、引き続き、23号(クエニー)発生のニュースが入った。ミンダナオ島の東にあり、さほどの被害をもたらすことは無いとのことだが、日本と違って、フィリピンでは11月、12月が台風シーズンでこれからが本番なのだ。 29日(土)の台風襲来日以来、フィリピンはハロウィンの1日(火)まで4連休となっている。したがって、この台風でいくら雨が降ったとしても休み明けの2日(水)には水は引いているはず、停電になったとしても回復しているとの読みがあった。しかし、過去、2006年の台風レミン、2009年の台風オンドイ、さらに2013年の台風ヨランダ級の台風に襲われると週単位ないし月単位のインフラの機能マヒが発生するので恐ろしい。 私の食卓に欠かせないアッチャーラ(未熟パパイヤの千切りの酢漬け、フィリピンの唯一とも言える漬物)の原料となるパパイヤは、種から育てて、やっとここまで育ったので楽しみにしている。未熟パパイヤは、消化、美肌に効果があり、完熟パパイヤは果物としておいしいし、まさに奇跡のフルーツだ。それがいくらでも只で手に入る日も近いのが、台風で根こそぎやられてしまうのが一番の心配だった。 バナナについては、日本でもブームで、これぞ南国のNO. 1の奇跡のフルーツと言える。パパイヤほど手軽の作れるわけではないが、一旦うえれば、ほっておいても、どんどん増えて、かなり大量の実をつけてくれるので、うれしい限りだ。

台風22号パエン襲来 2022年11月1日