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7月21日のマルコス大統領のコロナ明け宣言、8月8日の入管の入国規制の撤廃、そして8月17日のPRAのトラベルパスの撤廃と、矢継ぎ早にコロナ明けのニュースが流れた。そして、さらに8月の新学期シーズンを迎え、いよいよ本格的に対面授業が再開された。8月7日、クッキーの小学校、8月16日、ココの幼稚園、そして8月22日はキアンのハイスクールの対面授業が開始され、我が家は、3人の送迎にあわただしかった。 キアンがハイスクールを卒業するまでの5年間、もうひと踏ん張りするつもりだが、コロナ規制撤廃により、外国人の往来も活発になり、当方の主要業務であるPRA関係の動きも活発になりつつある。当方としても、3年半続いたパンデミックの自宅軟禁で、だらけ切った生活に区切りをつけて、すみやかにコロナ前の状態に戻さなければならない。 パンデミック中は、タガイタイに疎開して、用がある都度マニラにでてくるという二重生活をしていた。当方は、いずれの場所でも自宅に閉じこもって、もっぱらリモートで仕事をしていたが、外国人の往来が規制されている状況では、ビジネスは壊滅状態で、有り余る時間を日本のテレビで過ごす毎日だった。同居している子供達もオンライン授業で自宅にこもる不健康な生活を強いられてきた。それが、外出禁止も解かれて、顧客との面会、子供たちの対面授業に伴う通学の送迎、などいよいよ普通の生活にもどることになる。 そうなると必要不可欠なのが、足だ。コロナ前は運転手付き自家用車を使っていた。しかし、そんな贅沢を続けるわけにもいかないので、タクシー/グラブ、ないし、ジープニー、さらに近場は歩くことになる。グラブが良いと勧められるのだが、パンデミック前に試したところ、一度たりとも指定の場所にきてもらえずギブアップした経験がある。しかし、幸い、PRAや日本人街のマカティスクエアには徒歩で30分程度で行けるので、とりあえず、健康のためのエクササイズとして歩くことにした。 問題は、PRAが未だにアポイント制を採用していることで、好きな時間に行って複数の用事を済ませるという芸当ができないことだ。退職者が一つだけの用事のためにアポを取ってやるのは良くても、数件の用事を毎日のように時間と闘いながらこなすのは至難の業。それで、オンラインに頼らざるを得ないだが、パンデミック中の外出禁止の状況では避けられないとしても、返事が来るのに時間がかかって、対面でやるよりもはるかに効率が悪い。早く、日本大使館の様にアポイント制を廃止してほしいものだが、このアポイント制は役所にとっては大変心地の良いもののようで、PRAに限らず、ほとんどの役所で採用しているようなので、果たして元へ戻るかどうかは甚だ疑わしい。 疎開先のタガイタイを引き上げて、少なくとも平日はマニラの常駐しなければならない主な理由は、子供たちの通学だ。やはり、子供たちの発育は人との交わりが大切で、毎日パソコンをにらんでいても人間性というものは身につかない。 下から、もうすぐ4歳のココは先週から幼稚園に通っている。喋るのが遅く、果たして幼稚園に通えるのかと両親は心配していたが、ここ一年の特別レッスンにより、見違えるように上達して、めでたく医者から幼稚園通園可能のお墨付きをもらった。未だ喋る言葉は聞き取りにくいものの、こちらの言うことはほとんどわかるようで、即座に”YES”または”NO”と返事を返す。因みに英語以外にタガログ語やビコラノ語もある程度理解して口走るとのことだ。まあ、幼児の言葉が聞き取りにくく、母親しかわからないという現象は万国共通のものだが。 歩いて10分程度のキアンも通っていた私立幼稚園だが、当初はココを育ててきたヤヤが毎日、トライシクルで送って、そのまま外で待っていて、連れて帰るというシナリオだった。しかし、ちょうどその時ヤヤが具合が悪く、ママ・ジェーンとキアンの役割となった。通常、ママかヤヤが待っていないと3~4歳の幼児は泣き叫んでしまうのだが、気丈なココはへっちゃらで、今日は、トライシクルで一人で出かけて行くという芸当をやってのけた。これからは、専用のトライシクルで、毎日送迎してもらうことになっているそうだが、バッグの中には哺乳瓶を忍ばせながらココが一人で通園するという勇気に感心した。因みにキアンが迎えに行ったとき、先生はキアンのことを覚えていたそうだ。私のことまで聞いていたと言うから、これまた、感心した。 一足先に先々週から小学2年生のクラスに通い始めたクッキーはスクールバスでの通学が楽しいようで、ご機嫌だ。クッキーの強情で負けん気の性格にはキアンが手を焼いており、こんな状態では、学校では皆に疎外され、いじめられるのではないかと心配したが、案外とうまくやっているようだ。これは、弟のココという好敵手の出現により、喧嘩して、逆によく泣かされているので、自分の意地を通すだけではやっていけないということを身に染みて感じているらしい。因みにココに仕返しすると、大人たちは弟のココの味方で、キアンに対する時とは事情が異なり、クッキーも自重するということを身に着けたようだ。クッキーとココの喧嘩の様子は動画を見てほしい。 昨日から名門ドンボスコスクールのハイスクール2年生のクラスに通い始めたキアンは、3年半ぶりに友達と再会して大いにコロナ明けを実感したようだ。小学校一年からパンデミック前の4年生まで、毎日、出迎えに行っていた私にとって、3年ぶりのこの日の出迎えは、感慨深いものがあった。毎日、下校時にはシウマイやアイスクリームを食べさせてやって、一緒に帰るのが日課だった。さらにピアノやタイコンドーの稽古のあとは、日本レストランで昼食をとるのが楽しみだった。注文は決まってエビフライ定食だ。因みにピアノのレッスンはオンラインで継続してかなり上達したが、タイコンドーはオンラインというわけにも行かず、断念した。 キアンの出迎えは、この3年半、自由に外へ出ることが出来なかった私にとって、大いなる自由への解放だ。買い物も外食も自由にできるし、客との面会もキアンを出迎える前に実行できる。自宅からは2km程度なので30分も歩けば、到着して、毎日の健康のための運動としては丁度良い、まさに一石3鳥だ。マカティスクエアの近くまで来ると、新しい日本食レストランが数軒、オープンしていたが、いつか攻略してやるつもりだ。 近所に住んでいる息子夫婦との交流も、晴れて自由となった。二人の孫とも食事をして、特にもうすぐ2歳になるケイラとは、いままで数分程度だった面会が、初めて食事や外出で数時間を一緒に過ごすことが出来た。ジイジと呼ばれるのは照れ臭かったが、私を見つめて、一体誰なんだろうと考えをめぐらして、味方と判断したのか、笑顔を見せてくれた。リオも誕生日ごとにプレゼントをくれる私を肉親と理解してか、初めて抱っこをさせてもらった。 特記すべきことは、日本からのお客さんとの面会や案内が可能になったことで、コロナ明けの最初のお客さんが、かの有名作家の橘玲さんだ。一日タガイタイを案内して、疎開先にもおいでいただいた。因みに橘さんとは、2015年に出版した「ダブルマリッジ」という本の取材に協力し縁があり、その後、しばらく、私のブログをダイヤモンド社のサイト、橘玲の「海外投資の歩き方」に掲載していただいた。

コロナ明け、新学期‐対面授業再開そして疎開終了 2023年8月24日


2023年7月21日付で、コロナ感染防止に関する規制の撤廃が、マルコス大統領により宣言されて、遅ればせながらフィリピンもいよいよ本格的なコロナ明けとなった。しかし、入国規制の変更のアナウンスは未だ無し、しかし、空港の入管では、スマホにe-Travelの入力しても提示しても誰もチェックもせず、現場レベルでは規制撤廃を先取りしているようだ。 そんなわけで、未だに出かけるだけでもおどおどしていた私だが、前回の訪問からパンデミックを挟んで4年ぶりとなるビコールの農場を訪問することを決意した。もちろん、キアン13歳とその妹のクッキー6歳、弟のココ3歳も一緒、クッキーは2歳の時に行ったことがあるが、全く、おぼえていない、ココにとっては正真正銘、初めての訪問となる。 まずは、チケットの予約だが、キアンが奮闘してオンラインでPALの便を取ってくれた、しかし、以前は一人5000ペソ程度で行けたものが、出発直前だったせいか、倍以上の一万ペソを超えていた。しかも幼児の割引もなかったそうで、私のチケットがシニア割引きで一番安かった。航空会社はパンデミックで被った赤字を挽回しようと必死なのだろう。また、PALからは、前日にオンラインチェックインの案内がきており、これもすべてキアンがやってくれた。 このパンデミック中に、従来のレガスピ空港は閉鎖され、新しい空港がレガスピ市の郊外のダラガ市に完成していた。空港の名前もダラガ空港と変更され少々戸惑ったが、出発、そして到着に当たって、空港ではコロナ規制を匂わせるチェックは全く無くて、従来の手荷物検査だけだった。 それが、私のポシェットが引っかかってしまったのだ。飛行機とは4年間縁がなかったのとコロナのことが気になって、うっかりポシェットに小さめのアーミーナイフを持ち歩いていたのを忘れていたのだ。さすが伊達のX線検査ではなく、しっかり発見されてしまった。たしか、息子たちから還暦祝いにもらったものだが、そんな言い訳は聞いてもらえず、情け容赦なく取り上げられてしまった。 ダラガ空港は小さ目ながらもまさに、最新鋭の空港で、国際空港を一部切り取ったような、きれいな空港だった。周囲は一面の畑で、野中にポツンとできた空港だ。しかし、従来、空港から農場まで30分足らずだったものが、一時間半もかかってしまい、タクシー料金も3000ペソと、従来の3倍だ。PALとセブパシフィックがそれぞれ、一日、5便と、4便で、一日、10便程度しか飛んでいないのだから、従来の空港で十分なはずだ。噂では、新空港が建設されて土地は、空港のあるアルバイ県の知事の持ち物だったそうで、何やら胡散臭いうわさがある。 懐かしいレガスピ市を経由して、農場のあるタバコ市につくころは夜になっていた。そしていよいよ待望の我が農場に到着した。ママ・ジェーンのお母さん、兄弟のお嫁さんとその子供たちの歓迎を受けた。 ファームハウスで夕飯はあるのかと心配したが、しっかり、ママ・ジェーンの兄弟が用意してくれていた。しかし、肉と魚だけで、一切の野菜と果物がないことに不安を覚えた。 翌日は、早速、子供たちの庭のプール遊びが始まったが、曇天でマヨンの絶景は拝めない。家の周りには、数匹の雑種の犬がつながれていて、新たな客人に驚いたのかしきりに吠えてうるさいことしきり。農場とファームハウスは息子が2年ほど住んでいたので、手入れが行き届いていた。 しかし、今回の目玉は、wifiだ。しばらくここに生活していた息子の置き土産で、wifiは生かしてあるはずなのだが、なぜか、ルーターが戸棚にしまってあって、しかも鍵がかかっていて使えなかった。事前にこの情報を入手して、息子の嫁からから鍵を受け取っていたのが役にたった。やっと機器を見つけると、キアンはいとも簡単にセットして、携帯、パソコンのE-メールやメッセンジャー、そしてテレビ(大型のスマートテレビ)でYou TubeやNetfrixがが見放題となった。しかも私が持参したチャンネルボックスで、私専用のテレビで日本のすべてのチャンネルも視聴可能になって準備完了だ。 子供たちは、プールとテレビでご満悦、キアンはラップトップと携帯でゲームやNetfrixで満足、さらに私が将来、引退して住むためには必須条件である日本のテレビが見れることがわかった。あるいは、引退しないで、タガイタイの代わりにマニラから500㎞離れたここに住んで在宅勤務ないしリモートワークも不可能ではない。以上の効果に対して、月々1600ペソのwifiの経費は決して高いものではない。 そんなわけで往復日も入れて10日間、どこにも出かけず、農場で退屈もせずに子供たちとすごすことができた。これ恒例の朝夕の散歩も欠かさないで済んだのも、農場の中をはじからはじまで歩いて往復で1㎞くらいあるから、さもありなんである。 しかし、今回は、新たなる発見があった。それは家の周りにパッションフルーツの実が落ちていて、毎日食べ飽きるほど食べられたことだ。甘酸っぱくておいしいが、アンチエイジング、免疫力の強化、糖尿病、高血圧などなどに効果のあるスーパーフードなのだ。それが好きなだけ只でたべられるという、なんともうれしい話だ。 さらに農場には50本くらいのココナッツが植えてあって、ブコジュース、ココナッツミルク、バージンココナッツオイルなどが、これも食べ放題で、スーパーフードの名がとどろいているすぐれものだ。 […]

コロナ明け、4年ぶりに訪問した農場でスーパーフードを満喫 2023年8月5日



3年前、パンデミックが始まるころ、SRRV発行が中断され、その後、発行は復活したものの、50歳以上の退職者のみへの発行となっている。ID更新は3年毎であったものが、一年毎となり、さらに出国にはトラベルパスが必要となり、パンデミックによる入国禁止と相まってSRRVのメリットは吹き飛んでしまった。 そのため、新規申請者は激減している一方、取消申請が急増してPRAがてんてこ舞いしている。SRRV保有者が減って、ビザ預託金が減少し、さらに年会費が減るということは、PRAとしてはその存続にかかわる危機的状況とさえいえる。 そのため、SRRVの魅力を復活することが至上命令となるが、その第一弾がID更新の期限の延長だ。第二弾として期待されるのが、トラベルパスの廃止だろう。従来、SRRVのメリットは、出入国が自由で、フィリピン滞在義務はなく、単に3年毎のID更新/年会費の支払いだけでSRRVを維持することができた。35歳から50歳未満の退職者の申請については、上院議員から「35歳で退職者とは一体何なんだ」という単純明快な疑問が発せられているので難しいかもしれない。 IDカードの2年更新の条件としては、2年分の年会費を前払いすること、預託金が住宅の長期賃貸あるいはコンドミニアム購入等の投資に転用されていないことが条件となっているが、これらは従来と変わりはない。因みに2011年5月以前にSRRVを取得した退職者は年会費を支払う必要もなく、フィリピンにいてもいなくても一生涯フィリピン滞在が保証されるという夢のビザだったが、早期にその地位を回復することを願ってやまない。 下記はPRA 発行のお知らせの本文だ。 ADOVISORY PRA May 232 2023

ID更新が本日より2年間有効となりました 2023年6月1日


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最近、ある退職者の方から、「2023年1月15日に退職ビザを取り消しを申請したのだが、4月16日に完了するとPRAに告げられたが、4月末になっても完了せず、帰国するめどが立たず、ひどい目にあっている。」との連絡があった。「PRAを再三、つついてはいるのだが、PRAの担当者は、申請が多くて、遅れていると、言い訳するだけで、らちが明かない。」とのことだ。 その方が、日本大使館に相談しても、「同じような相談が何件かあり、対応に苦慮している、フィリピン退職庁のリタイアメントビザは解約手続きにトラブルが生じる可能性がありお勧めできない、このまま手続きが滞るようなら、代理人や弁護士による交渉を検討してはどうか。」と匙を投げられた格好になってしまったそうだ。さらに、大使館は、「SRRVのビザの取消手続きがこれほど時間を要するのは、フィリピンイミグレーションではなく、PRAの手続きが意図的?に滞っているためではないか」ともコメントしていたそうだ。 退職ビザ申請の代行サービスを生業としている、私にとって、この情報は聞き捨てならないものだ。大使館のコメントに関しても無責任も甚だしい。確かに退職ビザの取り消しに時間がかかっているのは間違いない事実で、パンデミック前は2か月程度でパスポートが戻ってきていたが、パンデミック中は3~4ヶ月かかるのが常態化していた。パンデミックの規制による、業務時間の短縮、非効率化にまして、取消申請の増加が拍車をかけているようだ。しかし、時間がかかることを見越して、申請時にそれなりの対応をしておけば、例え、思惑通りに手続きが終わらなくても慌てる必要はない。 コロナのパンデミックで、退職ビザの発行停止、外国人の入国禁止などの措置で、退職ビザの新規申請が途絶えて、私のビジネスも風前の灯だった(2022年2月の入国緩和以来復活しているものの、いまだ出足は鈍い)。それを辛うじて支えてくれたのが、退職ビザの取り消しの代行サービスだった。したがって、これだけはパンデミック中も途絶えることなく継続していたが、顧客の様々な状況を踏まえて、いかに取消し申請を滞りなく進めるかが知恵の絞りどころだった。取消申請にまつわる問題の主なものは下記のようなものだ。 ・日本在住で、しかもパンデミックでフィリピンを訪問することはできない ・海外出張等でパスポートを長期に預けることはできない ・退職ビザのシールが貼ってある古いパスポートをなくしてしまった ・ビザ預託金の証書をなくしてしまった、あるいは、どこの銀行にビザ預託金が預けてあるのかわからない ・速やかに日本に帰りたいので早急に取消手続きを終わらせたい、 などなど、問題が無い方は返って少数派だ。 これらの問題を踏まえていかに作戦を練るかが、私の仕事だ。練り上げたストーリーに沿って申請書類を準備して、署名、公証、アポスティーユ(外務省認証、日本で署名した場合)を取得してもらって申請すれば、後は「果報は寝て待ての」諺に沿ってゆったりと待つだけになる。 退職ビザの取消申請は添付のSERVICE REQUEST FORMに必要事項を記入して、退職ビザシールの貼ってあるパスポート原本とPRA IDカード原本を添えて申し込むだけでOKで、きわめてシンプルだ。Affidavit of […]

退職ビザ取消申請について 2023年5月7日



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インターナショナルスクールマニラと言えば、泣く子も黙る名門中の名門学校(幼小中高一貫)であるばかりか、その月謝の高さで名をとどろかせている。幼稚園が7900ドル/年、小学校が12,460ドル、中学校が13,600ドル、高校が14,460~16,160ドルと言った具合で、毎年、100万円から200万円の月謝がかかるという、けしからん学校なのだ。 それがどういうはずみか、このハイスクールに、キアンを奨学生/特待生として授業料免除で入学させようとパパ・カーネルとママ・ジェーンが画策していたのだ。この学校のセキュリティーのチーフと知り合いだそうで、誘われたというのだが、何か情実があるのかと聞いたら全く公正な受験だという。それでは、子供を象に挑戦させるようなあまりに無謀な試みでキアンが可愛そうだ。 まず書類審査では、学校の成績がすべての科目で80点以上であること、日本でいえばオール4以上といったところだろうか。これには辛うじてパスしており、可能性は無きにしもあらずだった。書類提出後、一週間ほどして書類審査にパスしたという連絡をもらって、両親は大喜びだったが、当のキアンもホッとしたようで、これに落ちたら、ママ・ジェーンの雷が落ちることは間違いない。 そして、2月11日が入学試験日だ。目次を見ると、入学試験と言ってもペーパーテストばかりではなくて、グループ討論やプレゼンテーションなどが盛り込まれた人間としての総合力を問うものだった。私も微力ながら協力しようと、テストの目次を吟味して、30秒のプレゼンテーションにはピアノ演奏を披露すること勧めた。ペーパーテストは算数と英語だけなので、キアンの苦手な分数の足し算、引き算、掛け算、そして割り算を復習させた。 そして試験当日がやってきた。朝の7時集合、朝食が振舞われるとのことで、朝6時に出発するというお触れが出た。キアンの晴れの舞台に私の存在が重要と駆り出されたのだが、私は早々と朝食をとって、皆の出発準備が整ったのは6時半、遅れるのではない方やきもきさせられた。土曜の朝なので車はほとんど走っておらず、6時39分に出発して7時ちょうどに到着した。 会場に行ってみると、ほとんどの受験生がすでに到着して、受付を待っていた。27人の受験生といっても、皆つき添いが複数いて100人近い人が集まっていた。ISMの中には初めて踏み入ったが、その施設の充実ぶりに肝をつぶした。 まずは朝食なのだが、私にとって2回目の朝食で血糖値が上がるのではないかと心配だった。そしてオリエンテーションの会場へ。会場には7名の先輩奨学生も参加しており彼らも入学試験の催しに参加して、合格生を決める一票を投じるそうだ。父兄の参加はここまでで、これから6時間、受験生と先生と先輩の入学試験が始まる。 それで思い出したのが、プレゼンテーションのピアノ演奏のために電子ピアノのキーボードを車に積んだままだったのだ。パパ・カーネルが知り合いに頼んでキアンに届くようアレンジしてまずは一安心。そして、昼食をとって、午後から、クッキーとココ、それにヤヤも伴ってキアンを迎えに行った。 キアンを迎えて、開口一番、「どうだったと」、聞くと、キアンは嬉しそうに「楽しかった」とこたえた。特に、ピアノ演奏が受けて、機会を見つけて数回にわたって披露したらしい。そのたびに、校長先生や先輩、そして受験生から拍手喝さいがわいたそうだ。テストの方は英語は得意なのでやさしかったそうだが、算数は、私がやらせた分数の復習がドンピシャリだったとのこと。その他、グループアクティビティでもリーダーシップを発揮して、皆の注目をあびたとのこと。 27人から5名の選抜と聞いて、可能性は、5%程度かと、キアンと話をしていたが、ピアノの演奏に校長先生がいたく、印象付けられていたと聞いて一気に50%程度の確立に跳ね上がった気がした。ピアノについては苦節7年、週2回、教室に通わせて、毎回付き添って膨大な時間と費用を費やしたかいがあったというものだ(特に稽古のあとのご褒美の食事代)。算数もコロナパンデミック中、毎日、家庭教師をやったかいがあった。 キアンから、ありがとう、と繰り返し言われたのは光栄の至りで、この上ない喜びだった。両親からも久しぶりの感謝の意を示してもらった。しかし、この受験は始まったばかりで、これにパスしたとしても家庭訪問、インタビューがあり、道のりは遠い。しかし、もしこれに受かったとしたら、キアンにとって、初めてのチャレンジであり、この成功体験は、彼のこれからの人生にとって貴重なものになるだろう。まさに芸が身を助ける、一芸に秀でたがゆえの金字塔だ。 一方、これに受からなかったとしても、これからの人生におけるチャレンジの良い糧となるだろう。両親には、これに失敗したからと言って責めてはいけない、この経験をバネに、さらにチャレンジを続けるよう励まさなければならないと、諭した。 今回の受験にはピアノの存在が大きなウエイトを占めた。たまたま、ピアノのアンドレ先生には本物のピアノを買い与える時が来たと、強く勧められていたそうで、エドサのシャングリラ・プラザの地下にあるLyricという店を紹介されていた。 その店を探し当てて行ってみると店の前には中古のピアノが大量に並んでいる。価格は中古とは言え、アップライトの75000ペソから15万ペソ、さらにグランドピアノの60万ペソと私にとっては、目の玉がが飛び出るような価格だ。しかし、高いものはそれなり良いようで、どんどんと高いもに目が行ってしまう。しかし、懐具合と相談して、どんな決定をするのか見ものだ。私としては、お鉢が回ってこないように、少々、距離を置いて見守ることにした。「キアンのピアノ演奏の動画」ちょっと時間がかかりますが見てやってください。 そのあと、フードプラザでピザのおやつタイム、私にとって、この日、4回目の食事で血糖値が気にかかってならなかった。

キアンがインターナショナル・スクール・マニラ(ISM)の奨学生に挑戦 2023年2月11日