パンデミックから4年経過して、ようやく日常が戻ってきた感がある。昨年の8月、すべての入国規制は廃止され、出入国が従来通りになった。違いと言えば、出入国票がe-Travelと呼ばれる電子化されただけだ(とは言うもののスマホを持たないお年寄りはどうやって出入国するのか気になるところだが)。私も、同居する子供たちの対面授業の開始に伴って、マニラに居を移した。 規制が撤廃されたからと言って、直ちに日常がっ戻るわけではない。私のビジネスである外国人のビザ(SRRV)等をお世話する仕事は外国人の入国が許されないパンデミック中は壊滅状態だった。さらに、規制が撤廃されたからと言って、即、出かけて行きましょうかというものでもないのだろう。 しかし、2024年、新年を迎えて、そろそろ重い腰をあげようかということで、にわかに、顧客からのコンタクトが増えた。SRRVについては、円安、物価上昇でフィリピンに移住することの経済的優位性が減少したためか、ボチボチというところだ。しかし、この際、SRRVを取り消そうとか、ほったらかしておいたコンドミニアムを処分しようとか、新しいビジネスをフィリピンで始めようとか、今までとはちょっと様子が違う問い合わせが増えている。退職後の人生をフィリピンで過ごすというよりも、フィリピンを成長するマーケットとして、ビジネスチャンスととらえる、現役組が増えているのだ。一転、多忙ともいえるほどの状況になってきた。 今年になってかからPRAに赴いて申請業務代行をしているが、トップマネージメントの交代、パンデミックの終焉に伴って、リモート中心の従来の手順がことごとく異なって、右往左往することが度々だ。同じ申請を3度もやり直させられることもあり、当方としては、まさに肉体的そして精神的リハビリに加えてビジネスのリハビリ真っ最中だ。 パンデミックの始まったころ、多数の中国人がオンラインカジノで違法に就労しているということで、社会問題になった。街に若い中国人が隊列をなして歩いており、コンドミニアムの需要もうなぎ上りだった。そのため、退職ビザ(SRRV)がこれらの違法就労の隠れ蓑なっているとやり玉に上がって、一時、発行停止に追い込まれた。退職ビザをやり玉にあげたゴードン上院議員が「35歳で何が退職ビザだ」と発言したそうで、まさにその通りだ。このころは、パンデミックで外国人が入国できなかったので、いずれにせよ申請者は皆無なので、何の影響もなく混乱することもなかったのが幸いだった。 その後、SRRVが再開されたものの、50歳未満は申請不可となってしまって、現在まで変わっていない。現在、50歳以上のSRRV申請者の数はパンデミック前と同等になったそうだが、全体では、かなり、減少している模様だ。今月初め、久しぶりに日本人の退職者のSRRV取得をお世話したが、Oath Taking (宣誓式)では日本人は、その方一人しかいなかった。しかし、50歳未満の現役世代のフィリピン移住希望者は少なくなく、SIRV(特別投資家ビザー21歳以上、75000ドルの株式投資が条件)の問合せが増えており、SRRVより多いくらいだ。 パンデミック中は話題に事欠いて、ブログのアップも激減して、年に数回のアップに留まっていた。パンデミックが明けて、すわ、と構えてみたものの、3年以上のブランクは簡単にもどらず、話題もなく、半年以上、アップをサボってしまった。ファンの方から病気ですか、などと問い合わせが来るくらいだったが、かと言って話題と言えば、愚痴位なもので、なかなかその気になれなかった。 しかし、今回のブログの本題は、同居しているカーネル・ヤンさんの国家警察ジェネラル就任のニュースで、まさにブログに絶好な久々の話題だ。キャンプ・クラミの国家警察本庁で行われた就任式には都合で出席できなかったのだが、マラカニヤン宮殿で行われたマルコス大統領出席の元におこなれた宣誓式には万全を期して出席を果たした。本来は、家族のみということなのだが、私はカーネルの兄という申告で出席がかなったそうだ。 当日は、早朝4時起き、5時発ということで、暗いうちに起きだして準備が開始された。しかし、準備に時間がかかるのは女性陣で、当方は待ち時間に一仕事ができたほどだ。そしていよいよ出発の時が来たが、すでに6時を回っていた。まずは本庁のキャンプクラミに到着、朝食の準備がしてあったが、遅れていたために朝食にありつけず(私だけはしっかり家で朝食をとったのが幸いだった)、10台の国家警察専用バスに分乗してマラカニヤン宮殿に向かった。 マラカニヤン宮殿ではセキュリティチェックで、約一時間、バスの中でスタンバイ。ようやく会場に入場できたのは8時半だった。1990年に一度、観光目的で訪れたことはあったが、内部は宮殿と言うだけあって、大統領府としてはなかなかの風格を有している。 会場には今回宣誓式に参加する白い制服に身を固めたジェネラルが55人(このうちヤンさんをはじめとする新任のジェネラルは15人程度)、それにその家族で、総勢、300人程度は参加していたろうか。女性はうちわのような肩がついたドレスを身にまとって、最大限の礼装で着飾っている。男はバロンタガログ、私も窮屈なバロンを着て参加させられた。 因みに警察の肩書は、高い位から順に、ジェネラル、カーネル、メジャー、キャップテンとなっており、警察学校を卒業した場合のキャリアはキャップテンから始まる。10年ほど前にメジャーからカーネルに出世したヤンさんは、一昨年大病を患い長期療養を余儀なくされたので、ジェネラル昇進は危ういと懸念されたが、皆さんのご支援のおかげで、念願のジェネラルの座を射止めることができた。全国で、100名程度のジェネラルがいるそうだが、十数万人の組織のトップ百人だから、千人を超える警察官のトップということになる。タガイタイにある国家警察学校の1995年卒業組としては、出世頭だそうだ。 国家警察は56歳で定年だそうなので、その前にジェネラルになるかならないかは、定年後の天下り先での給与に大きな開きがある。まだ、4歳のココを始めとして3人の子を抱える彼としては、まだまだ、頑張ってもらわないといけないので、今回の出世は家族の将来にとっても一大事だ。 […]