Monthly Archives: January 2025


パンデミック前の2019年4月に行ったきり、ご無沙汰していたカジノーCity of Dreamに併設されているDream Playを1月1日、正月に子供達を連れて、久しぶりに訪問した。キアンは、十数回訪問しているが、クッキーは1~2歳のまだ、赤ん坊のころ3度ほど訪問したが、もはや覚えていないだろう。 5歳になったココに至っては、全くの初めてで、見るものすべてがアイパッドに映った世界を見る思いだろう。入場料はなんと一人1500ペソに値上がっているが、以前は、たしか、900ペソだったと思う。ただし、私は付き添いなので350ペソ、しかもシニア割引きで300ペソ足らずだったのがうれしかった。 12月25日から30日までビコールの農場で過ごして、30日、マニラに帰還したそのあと、ママ・ジェーン一家は私を残して、カジノーCity of Dreamに行ってしまった。何かの接待があったのであろうが、あとから迎えをよこすと言っていたのだが、一向にあらわれない。 翌日31日には、間違いなく迎えに来ると言っていたが、それもなくて、さらにヤヤはタガイタイに行っており、大晦日の31日はたった一人で、年末年始を迎えることになってしまった。年末年始を一人で過ごすということは生涯、初めてのことで、近所のとんかつ屋さんもさすがに31日は休みで、家で一人ワインを飲んで孤独にすごした。キアンは私のことを心配して、再三、メッセージを送ってくるが彼にはどうすることもできない。正月は、さらにパンガシナンの教会に出かけると言っており、三が日も一人で過ごす羽目になりそうだった。 それが、突然、子供達だけ帰って来るから、Dream Palyに連れて行ったくれという連絡がきた。ココが、City of Dreamに泊まって、Dream Playの存在を知って、是非をいきたいと懇願したらしい。もちろん、私が費用を負担するのだろうが、正月を一人で過ごすよりもなんぼかましで、OKと即答した。入場料の現金が不足しそうだったが、ATM(デビットカード)で支払う手もある。 後から、ママ・ジェーンは、ホテルがいっぱいで、そうしても部屋が取れなかったと、キアンを通じて言い訳を言っていたが、本当からどうか、あやしいものだ。私が余計だったら、ヤヤのいるタガイタイで過ごしたかったが、5年ぶりのDream […]

Dream Play久しぶりの訪問 2025年1月31日


毎週、月曜と金曜はキアンのピアノのお稽古の日だ。基本的に月曜は夜、8時からオンライン、金曜は午後からマカティ・スクエアの教室で対面レッスンだ。昨年からクッキーも参加して、30分ずつキアンと分けてやることになった。クッキーはドレミファソラシドからの全くの初心者なのでアンドレ先生はちょっと物足らないようで、キアンの分を延長してほしいと頼まれたが、ドレミファソラシドのレッスンに一回、850ペソも出すのはもったいないので当面、週二回、二人合わせて一時間を維持することにした。それでも月々、8500ペソの出費は相当のものだ。 キアンもクッキーもピアノの稽古で外出となると、昼前に幼稚園から戻ってきたココは、一人ぼっちになってしまう。金曜の稽古日は普段は2時半が下校時間なのだが、たまに、12時になることがある。その時は、キアンを出迎えて、ランチに直行して、その後、ピアノのお稽古に行くことにしている。先週はクッキーの都合も良くて、私も入れて、3人でランチとピアノのお稽古に行くことになった。しかし、ココをほったらかしておくわけにはいかないので、3人ともランチに招待してランチとピアノの稽古に行くことになった。 ココの幼稚園が終わって戻ってくるのが11時半、キアンを迎えに出るにはちょうど良い時間だ。この日はクッキーが休みだったので、クッキーと二人でココの帰ってくるのを待ち構えた。しばらく待ってもココが帰ってこないので、ヤヤも一緒にコンドミニアムの入り口まで行って待つことにした。入口に着くと、ココの送り迎えをしているいつものトライシクルがコンドミニアムから出てきた。ということはすでにココを下してきたわけで、ヤヤは慌てて我が家に戻った。幼稚園から戻ってきたココは、家に誰もいないので、泣きわめいているものと思ったが、さにあらず、私と出かけると聞いて、喜び勇んでクッキーと走ってきたのだ。あとからヤヤに聞くと、ココは、ヤヤに対してなぜ家にいないのかと、しかりつけたそうである。さすが令和生まれのヤンチャ坊主だけのことはある。 ヘラルド・スイートのはつはな亭といえば、パンデミック前は毎週、キアンとランチを一緒した馴染みのレストランだ。ウエイトレスはいまだにキアンを覚えていて、キアン、キアンと呼んでくれる。私は、ここで刺身セットを食べるのが定番なのだが、パンデミック前と大差ない価格で提供しており、茶わん蒸しや、おそば、それにアイスクリームのおまけも健在だ。 今日は4人なので、個室に通されたが、ココにとっては初めての経験かもしれない。パンデミック中の幼児期は外出さえも許されなかったココにとっては、何もかもが目新しい経験で、喜んで踊りだしてしまう始末だ。 今日の日替わりランチ定食はキアンの大好きなトンカツだった。値段はセットより100~200ペソ安いし、ソバや茶わん蒸しはどうせ食べないので、キアンとクッキーはそれにした。ココはラーメンやパンシットカントンの麺類しか食べないので、アラカルトメニューの焼きそばを注文した。しかし、私の注文にはソバがついてくるので、温かいつゆ麺にして、試しにココに食べさせたが、ココはうまいうまいと喜んでいた。そうなるとヤキソバが余ってしまうので、次回からはセットメニューのソバをココの食べさせて倹約することにした。 食事も終わって、デザートの番になったが、ココが注文した焼きそばにはアイスクリームはついてないので、3人分しかない。それで、追加で注文しようとしたら、ウエイトレスがすかさず、サービスで4人分を持ってきますと、なんともうれしい申し出をしてくれた。さすが、長年の馴染み客には扱いが違う。 次にピアノのお稽古に向かったが、ココは手持無沙汰で、やることがない。そのため、オモチャを買ってやったら、これぞとばかりに大満足だ。これから私とピアノのレッスンに同行するのが、楽しみになることだろう。さらにクッキーがレッスンが終わると恒例のドーナッツのおねだりだ。クッキーはもはや、私とピアノレッスンに行くのが楽しみになっている。 ピアノが終わると、リトル東京のISEYAに日本食材を買いに行くのが定番だ。納豆、沢庵、味噌、蒟蒻、梅干、乾燥ワカメ、などなど、これらの発酵食品や繊維質は、私にとって毎日の食事に欠かせない食材だ。一方、キアンは今ではスナックと言えば日本製しか食べず、学校でも日本のスナック菓子は評判だそうだ。特に柿の種、バカうけやインスタント焼きそばのUFOやペヤングは、格別だという。麺類専門のココにとっても札幌一番やシーフードカップヌードルなどは欠かせず、とにかく日本の食品は彼らにとっても別格のようだ。 ISEYAでは、最後にアイスクリームを買って、グラブ・タクシーを待っている時間を外の椅子で過ごすのが定番だ。この日はクッキーとココも加わって、日本のアイスクリームを味わった。多少待たされても確実にやってくるグラブ・タクシーが多少高くても、道を案内する必要もないし、きれいだし、運転も穏やかなので、ありがたい。グラブ・タクシーが使えれば、駐車場を探す心配もないし、自家用車などもはや無用の長物だ。 次のピアノレッスンは、事件が起きた。ココを連れて、ヤヤに、”Enjoy yourself”と言われて意気揚々と出かけたのは良かったが、12時を過ぎても待ち合わせ場所のピアノ・スクールにクッキーがあらわれない。10分ほどしてキアンがやってきたが、クッキーは待てど暮らせど現れない。お腹もすいたので、先にはつはな亭に行って注文して待つことにした。12時半になってもおとさたなし、ピアノの先生も現れていたのでキアンは、とりあえず、30分、レッスンを先行した。 料理も来たので、私とココは食べ始めたが、家に電話をしてもクッキーは返って来ていないとのこと。General Santosに出張中のママ・ジェーンに連絡しても音沙汰なし。30分のレッスンを終えて、すきっ腹のキアンが慌ててはつはな亭にやってきて、クッキーの分までたいらげた。そしてクッキーは下校が2時で、来れないとの情報が入ったので、キアンは残りの30分レッスンを終えるために皆でピアノ・スクールに戻った。 なぜ下校が午後2時なのに昼の12時に待ち合わせとなったのが謎だが、クッキーがいなきゃいないで、一向に構わないのだが、情報が無いので動きが取れないというのは一番困る。結局、ランチ、ピアノレッスン、オモチャの手配、それに日本食材の手配も無事に終えたのだが、フィリピ―ノのほうれん草嫌いには往生させられる。

キアンのピアノ教室にクッキーとココが参加 2025年1月29日



昨年、2024年3月に念願のPNP(フィリピン国家警察)のジェネラルに昇進して、マラカニヤン宮殿でマルコス大統領から直々に祝福を受けたものが、アバロス内務大臣の事務所を経て、首都圏南警察(SPD, Southern Police District) の長官に就任したのが9月、そして3か月後の12月23日にはサイバー犯罪を取り締まるACG(Anti-Cybercrime Group)のトップと目まぐるしく地位を変遷している。それに伴って、一つ星ジェネラル、二つ星ジェネラルと昇進して、残すは星三つのPNP 副長官、そして四つ星のPNP長官のみとなった。この11月15日には56歳の誕生日、停年を迎える彼にとっては、いわば、役員になって、常務、専務と出世して、後は副社長と社長の座を残すのみとなったのだ。 目まぐるしいほどの昇進と地位の変遷は、停年という時間制限があるためなのだろう。カーネルからジェネラル、さらに星の数により定年後の天下り先での待遇に大きな差があると思う。できるだけ多くの人に高い地位で停年を迎えさせてやりたいという大統領の親心だ。ドテルテ大統領の時代にPNP長官だったデラロサは麻薬取り締まりでその名を世間に知らしめ、今や上院議員で、国家の方向性を定める重要な地位にある。私が勤めていたころのPRAの長官、アグリパイはやはりPNP長官だった。 14歳のキアンを筆頭に8歳のクッキー、5歳のココと、幼子を抱えるパパ・ジェネラルにはまだまだ働いてもらわなければならない。3人の子供を私立に通わせている彼にとって、3人が大学を卒業するまでの後、16年、これからが金がかかる本番だ。退職時点での地位は、後々の収入を左右する重要な要素なのだ。 このことは、本人よりも妻(ママ・ジェーン)の重大関心事に違いない。したがって、彼女は、ジェネラルの妻の会のような組織に所属して、フィリピン各地で開催される福祉行事に参加するために週、3日位は家を空けて、ジェネラルのサポートに邁進している。したがって3人を面倒見るのはもっぱら、ヤヤと私だ。 パパ・ジェネラルは、平日は夜遅く帰宅して、土日を休むこともあまりないので、ほとんど出かけることもない私が、まさにジージとして、子供たちを相手にしている。特にキアンは、相変わらず私にべったりで、私にとっても唯一の友達でもある。ヤンチャなココも最近は頭角をあらわせてきている。 国家警察幹部の天下り先はどこなのだろう。私の知っている限りは、セキュリティー・エージェントの経営、PRAの長官、インターナショナル・スクールの警備責任者、カジノ・リゾート・ホテルの警備責任者などだ。なかでも頻繁に招待されて宿泊しているいるカジノ・リゾート・ホテルあたりが有望なのではないか。そういうところであれば、かなりの報酬が期待できそうだ。 ひょっとして、最高位のPNP長官にでもなったとしたら、国家を代表する要人の一人となり、大統領を支える重要な地位だ。子供たちにとっても生涯の名誉にもなるだろう。特に妻であるママ・ジェーンは舞い上がってしまって何処かへ飛んで行ってしまうのではなかろうか。私にとってみれば、20年ほど前に会ったときと同じ、やさしいおっさんのままであり、ただ、就任式等に参加するたびに白バイに先導された車で、赤信号もお構いなして突っ走るのがいかにも心地よいだけだ。

パパ・ジェネラルがANTI-CYBERCRIME GROUPのトップに就任 2025年1月28日


パンデミックでタガイタイに疎開した当初、キアンのラップ・トップ・パソコン、台湾製のTHINK PADが熱で、頻繁に動かなくなり、しかもスタート・アップに10分ほどかかるなど、どうしようもなくなってしまった。それで仕方なく私が使っているHUAWEIのASUSのラップトップ・パソコンをオンライン授業に使わせてやった。パソコンがないと、パンデミック中のオンライン授業に参加できず、パソコンはキアンにとっては命綱だ。この、ASUSラップトップはパパ・カーネルの弟のノンさんの選択だが、中国ブランドで大丈夫かと当初心配したが、これが優れもので、すでに5年目はいった今、びくともしない。それ以来、私とキアンが一台のパソコンを共有してパンデミックを乗り切らなければならない羽目になったが、私はさほど仕事もないので、何の支障もないばかりか、いつもキアンがパソコンを使うために部屋にいてくれて退屈しのぎになるので返ってありがたかった。 パンデミックもあけて、パパ・カーネルが使い古しの同じASUSのラップ・トップ・パソコンをアップ・グレードして使えと言ってくれたのだが、パソコン・ショップに持って行ったら、このタイプのラップ・トップはアップ・グレードが出来ないことが分かった。そのため、これは、単にEメールとメッセンジャーのやりとりと文書の作成に使える程度で、キアンの好みの戦争シュミレーター・ゲーム等には使えないので、学校に持って行って使う予備のラップ・トップとすることにした。多分、私とっては十分だろうが、いまさら、ラップ・トップを交換する気にはなれない。 そして今度は、デスク・トップ・タイプの中古パソコンをくれるから、アップグレードして使えということになった。アップ・グレードに必要なCPU(演算処理装置)とGPU(画像処理装置)はパパカーネルが手配して、キアン(すなわち私)はPSU(電源装置)とクーラー(冷却装置)などマイナーな部品を手配しろというもの。価格的には私の負担が7000ペソ程度なので、OKとした。しかし、その後、CPUとGPUは合計で3万ペソ程度で高額であるためか、キアン(すなわち私)が手配しろとのお達しがきた。そうなると新品のラップ・トップを買うのと一緒になってしまうので、大いに躊躇されたが、一台のラップトップを共有しているのもいずれ限界になるので、思い切って決断した。 それで、CPUとGPUを手配すべく、マカティスクエアのパソコン部品ショップのPC‐Expressに行ってヒアリングを行ったが、件のCPUは製造元のインテル社そのものが、すでに生産が中止しており、新しいタイプのCPUにしなければならない。しかし、その場合、マザーボードも交換しなければならないとのこと。さらにケースも交換しないと収まらない、SSD(記憶装置)も必要と、総額が5万ペソを超えるだろうとのこと。そうなると逆に元のパソコンの一体何が使えるのか、これはアップグレードと呼べるのかという疑問が出てきた。ほんの一部の部品で良かったものがじわじわと増え続けて、話をするたびに、さらに増え続ける。ちょっと腹が立ち始めたものの、キアンはすっかりその気になっており、いまさら、ボツにするのも可哀そうだ。 しかし、果たして、こんな高級なパソコンを組み立てたとして、一体それを必要としているのか、今まで通り、一台のラップトップを共有していてもいいのではないかという疑問がわいてきた。そこでキアンに質問した。「なぜ、こんな高級パソコンを必要とするのか、私がコツコツためているキアンの名義の預金を使ってもいいと言うが、これはキアンの来年の授業料のための預金だ。もしも、来年の6月までに再度貯めることが出来なかったら、ドンボスコから公立学校に移らなければならない羽目になるかもしれない」とちょっと脅した。 キアンは、私の脅しにパニックになっていたが、頑なに”I want”と言うだけで、何故かは答えない。そのころ、幸い、思いがけない収入があったのと、珍しくあきらめの悪いキアンを見ていて、ここまで来てボツにしたら、あまりにキアンが可哀そうなので、OKを出した。その時のキアンの喜びようは尋常ではなかったが、さらにフライト・シュミレーターのゲームに操縦桿が必要だと言い出した。パソコンそのものではないものの、5000ペソもするものだ。そしてキアンが白状したのは、フライトシュミレーターのソフト(170ギガバイト)を入れて、遊ぶためには高級なパソコンが必要だったのだ。初めからそういえば、私は快くOKを出しただろうが、キアンとしては私にNOと言われるのが怖くて黙っていたそうだ。 キアンによると古いパソコンのRAM(演算記憶装置)だけが使えるだろうとのことだが、そうなったら、古いパソコンには手を付けないで、すべての部品を購入して、全く新規のパソコンを組み立てて、古いパソコンはクッキーかココに使わせれば良かろうとアドバイスした。RAMだけ回収して古いパソコンを使えなくするよりも、クッキーとココ用にするのであれば、今のままで十分な性能なのだし、近い将来彼らに新しいパソコンを買ってやる必要もなくなる。 次の問題は、誰が、これらの部品を調達して、組み立てるのかということだ。結論として、キアンの教育的観点から、キアンが挑戦することにした。備えとしては、PC Expressでまとめて買えば、組み立てでトラブっても相談できるし、部品同士の相性もアドバイスしてもらえるであろうという目論見だ。因みにPC Expressに組み立てを頼んだら、幾らになるか聞いたら、たったの1000ペソということなので、キアンが失敗したら、簡単にやってもらえるものとにらんだ。 正月明け、学校休みを利用して、お年玉という位置づけで部品を買い求めたが、意気揚々と帰宅したキアンは、同日、組み立てを完了して、無事に稼働させることが出来た。さらに各種ソフトのアップロードも瞬く間に終えて、本格的に使いはじめた。ただしスペースがないので、机だけが相変わらず共有だ。キアンにとって大いなる挑戦だったがパソコンを組み立てて使ったという経験は、レゴやプラモデルの組み立ての延長線上のものであろうが、社会に出るための一歩ともいえる成長だ。

キアン、パソコン組み立てに挑戦 2025年1月27日



キアンが通うドンボスコスクールがあるチノロセス(通称パソンタモ)通りのマカティスクエア近傍は、私が1989年に初めてフィリピンに訪問して事務所を構えたところだ。その後、この10年はキアンの送り迎えに毎日うろついている馴染みの街で、リトル東京レストラン街もあって我々日本人にとっては、極めて居心地が良い日本人街とも言えなくもない。 マカティスクエア内にはキアンが通っている音楽教室もあるのだが、さらに今、キアンが夢中になっているプラスティックモデルを売っているホビーショップがある。さらに日本食材の買い出し、セルフォンショップ、近所のウオルターマートの日本城やMr. DIなどの日用品雑貨、スーパーマーケットなどなど生活に必要なものはなんでもそろう。 パンデミックが明けて、ドンボスコスクールも対面授業を開始して、外出が自由になった今、レゴの後釜としてキアンが目を付けたのがプラスティックモデルだ。私の息子たちが子供のころブームで夢中になっていたものが、再びブームを迎えようとしているらしい。パンデミックの初めは、キアンと私は争ってレゴの組み立てに挑戦した。しかし、レゴは高いので、パンデミックの後半は我が家では下火になっていたが、にわかにプラモデルが脚光を浴びた。 初めは小さなもので試したが、キアンはその難しさに逆に興味を示して、次から次へと要求がエスカレートとしていった。左右両手使いのキアンは、ピアノのレッスンも相まって手先が器用だ。細かな仕事を、時間も忘れて根気強く続けている。男の子のココは、やはり興味深々でタンクを組み立てて欲しいと注文したらしい。女の子のクッキーは全くの無関心だ。 この手の趣味は生涯の趣味になるし、また、子供の脳の発達に大いに役立つ、さらに、私自身の認知症予防にもうってつけではないかと思う。しかし、こんな細かい作業をいまさらやる気にはなれないので、せいぜい、キアンを金銭面で応援するのがやっとだ。一つ、1000~2000ペソ、するので、かなりの負担でもあるが、さらにペイントや接着剤、等々の消耗品の費用がバカにならない。消耗品で儲けるのは古今東西、どこの業界では定石なのだ。 あまりにキアンが夢中になっているので、いつもの通り、ママ・ジェーンから、禁止令が出た。①すでに組み立てて、クッキーやココがバラバラにしたレゴを再度組み立てなければ、新規プラモデルの組み立ては許さない、②組み立ては土日の休みに限定する、③室内ではペイントや接着剤を使用してはならない、等々。何かにつけてイチャモンをつけて後ろ向きの決定をするのが彼女の流儀だ。クッキーと同じで、プラモデルなどの男の趣味は全く理解できず、金と時間の無駄遣いにうつるのだろう。 私が説得しても火に油なので、パパ・ジェネラルに話すようにアドバイスした。彼は、キアンのプラモデルの組み立てにいたく興味を示しており、その楽しさや効能を理解している。彼がどうやってママ・ジェーンを説得したかわからないが、しばらく後、②と③の条件付きで許可が下りた。 土日に限定され、しかも土日はママ・ジェーンとパパ・ジェネラルのモールのショッピングにつきあわされたり、外出が多くて、プラモをやる時間が無いとキアンは嘆いている。両親がキアンを連れて外出したがる理由は、クッキーとココの子守と買い物の運搬係に重宝であるからで、休みにはプラモに没頭したいキアンにとってはとんでもない迷惑なのだ。 キアンは組み立てが終わった飛行機やタンクを学校に持って行って自慢しているようだ。そうすると学友は是非、完成品を売って欲しいという申し出があるそうだ。正直で欲のないキアンは、材料代だけで売ってもいいと言っているらしいが、自分としてはプラモの組み立てそのものが楽しみで、それで十分というわけだ。私としては手間賃を入れて、材料代の倍くらいの値段で売って、売り上げの半分を新しいプラモの材料代に充てて欲しいところなのだが。 この春、キアン一家が日本を訪問した折、キアンの希望はプラモデルの雄、TAMIYAがある本場、日本で、プラモデルの材料を調達することだった。新品は高いので、中古品を探すべくリサーチしたところ、Hobby Offという店がチェーン展開していることがわかった。そこで以前、預けた一万円札でプラモを買うのがキアンの旅の目的となった。上野・御徒町のアメヤ横丁で念願のHobby Offを発見したとき、キアンの興奮は頂点に達した。 上野、御徒町そしてアメヤ横丁と聞けば、私は必ずしも良い印象は持っていないが、キアンにとっては、街は清潔で、ホテルに直結したコンビニでは必要なものはなんでもあるし、将来は是非、日本に住みたいとまで言い始めた。商品は何でも質が良いし、食べ物はおいしいし、日本製の車は故障もしないし、プラモのせいか、すっかり日本びいきになってしまったようだ。日本で働きたいとしたら、日本語が話せることが必須で、キアンは何度か試みたものの未だ、片言も話せない。私という日本語ネイティブスピーカーが傍にいるのだから、練習には事欠かないし、プラモの後は日本語に挑戦するよう強く促している。 一方、キアンは、中国をいたく嫌っている。オンラインで買っても製品は質が悪く、説明書も中国語で、車だってすぐに故障する。ドテルテ大統領の中国寄りの政策のせいか、パンデミック前はオンラインカジノなどで大量の中国人が流入して、やりたい方だいで礼儀知らずで、いたくフィリピン人のひんしゅくを買っていた。そこで私が、そもそもキアンはハーフ・チャイニーズで、名前もYANG(楊)だろうと横やりを入れた。フィリピンは人口の一割の中国系であり、そのまた一割は中国語を話して、中国の文化を維持しているという。キアンは中国系であろうが、心は100%、フィリピン人なのだ。

キアンはプラスティックモデルに夢中 2025年1月24日


2020年初頭に始まったパンデミックの直前、2019年11月9日に生まれたゴメス・ヤン一家の末っ子のココ(本名、Bernard III Gomez Yang、因みにクヤ・キアンの本名はBernard Jr. Gomez Yangで親子3人に同じ名前だ。さらにアテ・クッキーの本名はJane Gomez Yangで母親、Mary Janeの半分を取っている)が5歳の誕生日を迎え、来年は小学校に行くという。パンデミック中は、いつになったらパンデミックは明けるのかと半ば絶望の淵にあったが、パンデミック中に幼児期を過ごしたココが小学校に入学間近と言う。時が流れるのは、済んでしまえば早いものだ。 ココの幼児期は、まさにパンデミックのまっただ中で、18歳未満の子供と60歳以上の年寄りの外出は禁止されていた。今になって考えると戦時中でもあるまいし、信じがたい状況であり、それが数年にわたって続くなんてことは想像に難かった。ココにとっては、家の中に閉じ込められて、近所の子供達と遊びまわることもできなかった。しかも、一家が疎開していたタガイタイでは、家族がマニラに行っている間は数日から一週間、ヤヤと二人きりで過ごすことも多かった。そのためか、話始めるのが極端に遅れ、2歳になっても身振りで合図することが多く、呼びかけにも反応が無かった。 そのため両親は自閉症ではないかと心配して、特殊学校に週2回通わせて、言葉を使うよう指導してもらった。その効果が出たのか、言葉がみるみる上達して、2年もたつと、やかましいほどのおしゃべりになった。しかし、残念なことに、私にとってココの喋る言葉は、英語ではあるものの、2割程度しか理解できない。しかし、時々、はっきりと聞こえて、Where are you going […]

ココ、5歳の誕生日 2025年1月19日