5年半ぶりの日本訪問 その1 2024年5月27日


パンデミックも明けて、日本への渡航も自由になったものの、特にこれと言った差し迫った理由もなしに、日本まで出かけて行くのも億劫だ。一昨年は次兄の葬式にも出席できず、家族に会ったのはパンデミックを挟んでもう7年も前になる。そこで湧いて出たのは、ビジネスパートナーのママ・ジェーンが、お世話になった日本人が脳溢血で倒れて、寝たきり介護状態で、どうしてもお見舞いに行きたいと言い出したのだ。どうせ行くなら子供達、3人にも日本を見せたいというわけで、是非、私に案内をして欲しいと懇願された。

私としては日本に行くきっかけとして好都合なのだが、クッキー(7歳)、ココ(4歳)まで連れて行くのは、子守りまでしなければならないので、大いに躊躇されるところだった。一方、私が同行しないと14歳のキアンが案内から子守りまでさせられてたまらんと嘆いていた。しかし、足代を持つというので、重い腰を上げて、同行することにした。ただし、前半はお見舞いと、子供たちの接待で3泊4日、後半はわたしの家族との時間で、4泊4日、合計で、7泊8日の旅程とした。私の仕事上、せいぜい一週間が限度と踏んだのだ。

飛行場に向かう車の中で、ココはヤヤに長い髪を上手に結ってもらって颯爽とした風情で出発した

家族に連絡すると、特に妻は興奮状態で、長兄の訪問、次兄の墓参り、3人の息子夫婦と孫との家族会、さらに最近日本に家族で移住した次男の住まいの訪問など盛りだくさんの予定のスケジュールを立てるのにてんやわんやとなった。

私としてはホテルの予約、子供たちの接待、ママ・ジェーンの買い物どころと、いろいろ思案してスケジュールと予約にてんやわんやとなった。ホテルは成田空港へのアクセスが良く、お見舞いに行く板橋の介護施設にも行きやすい、前回の札幌旅行でも泊まった上野/御徒町近辺の安宿と決めた。子供達の接待にはママ・ジェーンの第一希望はディズニーランドだったが、ここは、ほとんど一日中順番を待って並んでいるだけなので、却下。フィリピンでもなじみだった、豊洲にできたキッザニア、そして、東京スカイツリー、歩いて行ける上野動物園と決めた。ママ・ジェーンの買い物どころは御徒町周辺に安売り店がひしめいているはずだ。

LCCでは食事は出ないので、夕飯はカップラーメンとなったが、ココとしてはご満悦だ。

航空便はLCCとしては質が高いと評判のZIPAIRとして、帰りはJET STAR及びCebPacificとしたが、費用は5人で、約10万ペソ(28万円)で、一人当たり6万円弱でパンデミック前の水準に戻ってきているようだ。JALの子会社のZIPAIRは評判通り、LCCとは思えない最新鋭の飛行機で快適な旅ができた。

LCCでは飛行機の中で食事は軽食を注文することになる。現金での支払いは不可で、試しにフィリピンの銀行のATMカード兼デビットカードを使ったところ、OKだった。しかし、しばらくして銀行からの通知で「銀行からの確認の電話にでなかったので、直ちにカスタマーサービスに電話をよこせ、さもなくばカードを使用停止にする」というのだ。これから日本でもカードを使おうと思っていたのに、飛行機から電話も通じないし、日本から電話をするにも携帯はもっていないし、困ったことだ。幸い、現金主義の私は、あらかじめ円を手配していたので、事なきを得たが、なんとも理不尽な規則だ。たった1500円の使用について、いちいち使用確認の電話をすることもなかろうにと思うのだが。フィリピンにもどってから、支店に行って回復を依頼したら、即刻OKになったが、次回海外に行くときはやはり現金を用意していかざるを得ないようだ。


ホテルは京成上野駅から御徒町の方向に歩いて10分くらいのところに、二部屋3泊、65000円で泊まれたが、一泊一部屋一万円強、クイーンズベッド一つの、それなりの狭苦しい部屋だったが庶民には十分だ。到着は夜になったが、上野広小路近辺の通りには、群がるようにして若い娘さんがレストランやカラオケの呼び込みをしている光景に目を見張った。そして、窓からはドン・キホーテの看板が見えて、ママ・ジェーンの買い物には超便利なところで思惑通りだった。さらに一階にはファミリーマートがあって、サンドイッチで朝食も済ますことが出来た。

自動改札に興味を持ったココは、自分で切符を機械に入れて達成感にしたっていた。

翌日は、キッザニア訪問。御徒町から新橋を経て、ゆりかもめで向かう。ビルの間を縫うようにして無人運転の電車に子供たちはいたく興味を覚えていた。クッキーとココは電車というもには乗ったことがないので、改札口を通るたびに興奮していた。なお、計画では豊洲市場に寄り道する予定だったが、毎週、水曜は休みで断念した。

ビルの谷間を走るゆりかもめの最後尾に立って景色を楽しむ3人、右の人は運転手さんではなくて、単にパソコンをたたいているだけの乗客だ。

キッザニアの内部は雰囲気的にフィリピンのものと一緒で、あまり変わり映えはしなかった。しかし、クッキーやココは、フィリピンのキッザニアがパンデミックで閉鎖したので、ほとんど経験が無くて、それなりに楽しみにしていた。当方は、いつものように付添人の休憩所で時間をつぶしたが、ママ・ジェーンはここぞとばかり、子供たちに張り付いて、写真撮影に夢中で、入れ替え時間になってもあらわれず、やきもきさせられた。

実にフィリピンのキッザニアと同じ光景だが、よくよく見るとお店が日本のものだ。
地下鉄電車の模型の前でキアンとココ

キッザニアの予約は12時から午後3時までなのだが、ママ・ジェーンがFace Bookでライブをやっているようで、子供たちは、彼女のリクエストに答えて、ポーズをとらされ、彼女が気に入るまで何度もやり直しさせられて、楽しむところではない。それを私が時間だから退場するように促しても、うわの空で、果ては、私になぜ急がなければならないのかと食ってかかってくる始末だ。私は、心の中で、ここは、フィリピンじゃないんだと、叫んでみてもはじまらない。

Face Bookの写真のアップに忙しいママ・ジェーン、子供たちは人形使いのあやつり人形のようなものだ。

キッザニアの帰りは買い物タイム、ホテルの近く、御徒町、上野広小路にはアメ横をはじめとするディスカウントショップがひしめいている。ママ・ジェーンの目的は格安ブランドバッグと化粧品、キアンは最近、凝っているプラモデル。そのため、中古品売買のメッカ、MODE OFFとHOBBY OFFに案内した。

アメ横の入り口、翌日、上野から御徒町まで縦断するつもりだったが、私の足がギブアップして、入り口だけの探索となってしまった。

ママ・ジェーンの買い物を待っている間に、雨が降ってきた。日本は夏日がどうのこうのと言うニュースを見て、寒いということは無いと、断言して荷物が増えることを警戒していた。だが、一転して、この日は寒く、しかも雨ふりで、ちょっと震えるくらいだが、街行く人は長袖に傘を用意して、準備万端だ。きっと天気予報でこの事態を承知していたらしい。ママ・ジェーンだけはちゃっかりとジャケットを準備して涼しげ、というか温かげな、顔をしていた。

疲れ果てたココはベビーカーとでぐっすり、キアンはママの買い物が終わるのをひたすら待つ。

HOBBY OFFで念願の戦闘機のプラモデルを手に入れたキアンは、繰り返し繰り返し、笑顔で私に礼を言って、まさに極楽にいるようだった。私にとってはこの笑顔と感謝が十分なお返しなのだ。

アメ町の次の通りで目ざとくHOBBY OFFの看板を見つけて、ココをママ・ジェーンに預けて入店すると、5階でようやくプラモデルを見つけて、キアンとしては旅の目的を果たすことが出来た。

翌日は、いよいよ今回の旅の目的であるN子さんのお見舞いだ。赤羽駅には御徒町からJRに乗って簡単に行ける。赤羽からタクシーに乗ったが、ここでまたひと悶着あった。今時のタクシーはSUVのような形が主流で、悠々、5人の客を収容できると思われた。4歳のココは勘定に入れないでもいいと思ったのだが、ココも含めて4人までと言われて、2台に分乗する羽目になった。ここはフィリピンではないのだ。キアンと私が2台目に乗ったのだが、一台目に取り残されたママ・ジェーンと二人の子供は、一体どこに連れていかれるのか不安でならなかったらしい。行先は私が運転手にしっかり告げたのだが、日本語でやりとりしているからわからないのは無理もない。

皆で電車に乗るのが珍しくて、まずは記念撮影だ。
10年ぶりにN子さんに再会して、心残りが晴れたようで、さっきの不安はすっかり忘れて、しばしの再開を喜ぶママ・ジェーン

N子さんは初め、我々のことがわからなかったらしいが、写真を見せたり、思い出話をしている間に、徐々に思い出してくれたようで、最後には私を「志賀さん」と呼んでもらえた。ママ・ジェーンによると、涙まで流していたらしい。さらに玄関まで見送ると言い出して、介護士の方がびっくりしていた。ママ・ジェーンとはいずれフィリピンに行くと約束までしたらしい。

玄関まで見送ってくれて、名残惜しそうに手を振ってくれた。

赤羽の駅では変わった彫像の前で、写真撮影会が延々と続いた。フィリピンではあまり見かけない鳩に子供たちはいたく興味をいただいていた。我々にはなんてこともない風景が、彼らには物珍しく映るらしい。

赤羽駅前の彫像の前で、ひとしきり撮影会、キアンはもっぱらカメラマンだ。

お見舞いのあとは、上野に戻り、そこから電車を乗り継いで東京スカイツリーに向かった。一度、行ったことがあるので、わかりやすかったが、入場料が5人でちょうど一万円、ちょっとした出費だ。おまけに、歩き回ったので、スカイツリーから出てきた時は足の指が痛んで歩くのが容易ではなかった。確かに、最近、フィリピンで買った靴が小さ目で、親指が当たっているのだが、10分や20分、歩いてもどうってことは無かった。しかし、電車の乗り換えには意外と歩かされるので、指が参ってしまったのだ。そのため、ホテルの近くのドン・キホーテでサンダルを買って履き替えたが、そこでママ・ジェーンが化粧品の爆買いを始めたので、当方はさっさと切り上げて、子供たちを連れてホテルに戻った。

私のカメラテクニックではスカイツリーのてっぺんまで入れることはできなかった。
延々と広がるビルの海を子供たちはいったいどういうお思いで眺めているのだろう。きっとキアンは友達に写メールを送っているに違いない。
私は高所恐怖症で、地上まで見える硝子版の上に乗ることはできないが子供たちにとってどうってことは無いようだ。
午後の2時から3時はお昼寝時間で東京スカイツリーの見物中に熟睡してしまったココ。

3日目はもう帰国だ。朝一、京成上野駅まで歩いて、成田までの切符を予約して、荷物を預け、上野動物園に向かう。しかし、昨夜ドン・キホーテでたっぷり買い物をしたママ・ジェーンの荷物が増えてキアンが運搬に往生していた。

京成上野駅で街角ピアノを見つけて早速、ピアノの腕前を披露するキアン。

上野動物園では上野の森に感激したママ・ジェーンは、子供たちにピエロのような服を着せて、相変わらず写真撮影に専念していた。

ピエロのような恰好をさせられて園内をベビーカーとで悠然と回るココ
パンダはちらりと眺めるのがやっとだった。
ちょっと遅い昼飯をほおばるクッキーとココ、すでにお疲れのようだ。

ゴリラの後は、一目散に京成上野駅に向かったが、優に30分くらいかかってしまい、写真撮影に予想外の時間を食って危うく予約していたスカイライナーに乗りそこなうところだった。だだっ広い上野公園を端から端まであるいて、京成上野にようやくたどりついて、大量の荷物を電車に運び込んで、ほっと席についてから、一分後には発車となった。前日もキッザニアで入れ替え時間をとうに過ぎて、私をイラつかせて、成田行きのスカイライナーにもギリギリ間に合うというありさまに、ママ・ジェーンもようやく時間厳守の原則を納得して”NOW I KNOW”とため息をついていた。

私の帰国が4日遅れになるのだが、しばしの別れに涙する子供達。因みにココは、永遠の別れになると誤解していた節がある。

帰国便はジェットスターで、第3ターミナル出発なので、ターミナルにたどり着くまで、往生した。見送ったあと、横浜にどうやって帰ったら早く安く到着できるか考えていたら、ターミナル3から横浜まで直通バスが出ていることに気が付いた。時間的にも電車の乗り換えやらで返って早そうだ。来週、フィリピンに戻るときはバスが一番と悟った。しかし、期待していた費用については意外と電車で行くのと似たようなものだった。

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