7月1日(金)、第31回目の創立記念パーティがフィリピン・インターナショナル・コンベンション・センター(PICC)で執り行われた。午後4時スタートということで、3時半に家を出る予定だった。しかし、いつものことで、出がけにもたもたして、出発は4時を回ってしまった。ママ・ジェーンは、どうせ始まるのは5時だと、意に介さない。ちなみにPRAは朝の9時半にははやばやと事務所が閉まるとの話だった。
駐車場には大型の特製ジープニーが3台駐車していた。たまにはマカティ市内も走っているが、冷房つきの豪華ジープニーだ。きっと観光用に使われているのだろう
4時半近くになって、会場に到着したものの、周囲は人の気配がない。しかし、中に入ると、顔なじみのPRAスタッフが出迎えていたので一安心。先日、PRAの事務所でKIANに執拗に頬へのキスを迫った財務の女性スタッフが、KIANの手をつかんで離さない。KIANは迷惑そうに愛想笑いを浮かべていたが、どうも、KIANの好みのタイプではないようだ。問題は、ママ・ジェーンは一歩進むたびに「写真、写真」と叫んで、なかなか会場に近づくことができないことだ。妊娠、5ヶ月を迎えた彼女も安定期に入って、いよいよ本領発揮といったところだ。生まれてくる子は女の子だそうだがニックネームは「クッキー」と決まっていて、この10月末ごろにはKIANもお兄さんになることになる。そうなるとKIANは「クヤ・キアン」と呼ばれることになる。
この界隈は、マルコス時代にマニラ湾の埋立地に建設された大型の施設が並んでいる。後方にはソフィテル(フィリピンプラザ)ホテルが控えている
日本の京都でガイドをしている方が、「最近はフィリピンの観光客が多いが、ガイドの話を全く聞かないで、写真撮影に明け暮れているのであきれる」という話をしていた。さらにまた、このガイドさんが話していた観光客のフィリピン人とは、偶然にも私の知り合いのフィリピン人で、私が京都観光を薦め、さらにバスツアーが良いとアドバイスしたものだった。こんな話をとなりに座っていた退職者の奥さん(日本人)に話をしていたら、なんとそのガイドさんがこのパーティ会場に来ていて、私に挨拶に来たのだ。このガイドさんはフィリピンが好きで、定期的に尋ねて、私のところに立ち寄るのだが、そのガイドさんがらみの偶然の話をしていたら、そのガイドさん本人が偶然にも現れるという偶然のダブルとなった。
国の威信をかけて建設されたこれらの建造物はその広大な内部空間に圧倒される
この写真撮影はパーティの開始から終了まで延々と続いて、一体、パーティに楽しみに来たのから写真を撮りにきたのか区別がつかないくらいだ。しかもフィリピン人は写真を取られることも大好きで、カメラを向けるとうれしそうにポーズをとる。さらに、写真をとるように催促してくることさえある。
パーティ会場の入り口にはたくさんのPRAスタッフが迎えてくれる。PRA看板娘の彼女はもはやKIANの友達だ
GMのスピーチんいよると、1985年、マルコス政権の末期に設立されたPRA(Philippine Retirement Authority)も31年目を向かえ、会員も4000人を越え、世界100ヶ国をこえる国々から退職者も呼び込んでいる。その主たる国々は、中国、台湾、香港、韓国、日本、インド、アメリカ、イギリスなどだが、やはり中華系が圧倒している。これは、華僑という現象が退職ビザを使って脈々と続いているのだろう。ちなみにフィリピンには100万人の純粋な中国人が中国語を話し、中国文化を維持して暮らしており、さらに人口の10%、1000万人が中国の血を引いているというが、KIANもその一人だ。
観光大臣(DOT Secretary)をゲストに向かえ、得意げなポスター
ママ・ジェーンの言うとおり、5時近くになってもパーティは始まる気配を見せなかった。それでも人々は、久しぶりに会った人と写真を撮ったりして退屈をすることはなかった。
PRAカバンサッグGMとしっかりカメラに収まったカーネル一家
5時を回って、いよいよパーティの開始だ。まずは国家斉唱。皆、起立して、右手を心臓に当てて斉唱する。こういう機会はほとんどないので、ぼうっとしていた私に対して、KIANから右手を折って胸にあてるよう叱責が飛んだ。
いつのまにかKIANも場慣れして風格さえ感じさせる
後ろを振り返ってみると、会場はほぼ満席、さらに周囲にはPRAがスタッフが立っており、参加者は優に300人は超えているようだ。招待客は、退職ビザのお手伝いをするマーケッターなどのPRA関係者、退職者、それにPRAスタッフだ。退職者は西欧人が目立ち、日本人がそこそこ、韓国人、インド人などはどういうわけかほとんど見ない。しかし、会場を埋めた参加者の半数以上が女性、特にPRAそしてPRA関係者の7~8割は女性ではないかと思える。しかも、今日の主役の観光大臣も女性とあって、件の奥さんはフィリピン女性のパワーにため息をついていた。
式が始まるころには会場はほぼ満席となった
国家斉唱が終わると、PRA幹部の挨拶、はじめはハビタン部長、カバンサッグGM、ノエル営業部長と続き、真打は観光大臣のWanda Corazon Teo女史。
ハビタン部長がスピーチの口火を切る
カバンサッグGMは観光省出身、在日フィリピン大使館に長く勤務していた日本通
ノエル営業部長のあいさつ
昨日、発足したドテルテ政権の一員として観光大臣に指名されたTeo女史はこれが初仕事ともいえ、パーティが終わるまで、しっかり写真撮影の依頼に答え続けていた。
Hon. Wanda Corazon Teo観光大臣
盲目の歌手の歌を挟んで、PRAスタッフ、マーケッターそして退職者の表彰が続く。フィリピンはプラック(表彰盾)社会といわれるが、何かにつけて表彰を行い、インセンティブとする習慣がある。傍からから見ると何のために表彰したのか良くわからないことも多いが。
PRAのマービンさんの司会で表彰式が行われた
招待状の目次には、普段は軽食としか書いていないのに珍しく、Dinnerとはっきり明記されていたのでこの日は期待ができると予測した。案の定、会場の脇に並んだビュッフェには大量の料理が並んで、長蛇の列をなして料理をとるという羽目にはならないで済んだ。料理の内容もまずまずだった。
KIANもしっかり料理の運び役を果たしていた
式の真っ最中、KIANがトイレに行きたいといいだして、となりに座っていた奥さんが連れて行ったくれた。その間、周囲のPRAスタッフ皆がKIAN、KIANと声をかけるので、その人気に、奥さんはびっくりしていた。実は、前日KIANをPRAに連れて行ったら、10人近いPRAスタッフの前で、堂々と渡り合い、その話術に拍手喝采をあび、一躍有名人になったのだ。また、テーブルでも皆にスナックを配ったり、音楽に合わせて踊ったり、その一挙一動に皆が注目していた。赤ちゃんのときから近所の人気者だったが、小学校に通うようになってもその片鱗は衰えず、大人も子供もとりこにしてしまう。赤ちゃんのときから知っている件の奥さんは、とても素敵に成長している、将来きっと大物になるに違いないと太鼓判を押してくれた。ちなみに、その大物とは国家警察の長官か、あるいは人気コメディアンのバイス・ガンダあたりだが、これからの成長が楽しみだ。ちなみにドンボスコの試験でKIANは2年生への飛び級試験に合格したそうだ(クラスで3人だけ)。しかし、なにも急いで卒業することもないし、2年生の劣等生より一年生の優等生として余裕をもって学んだほうが、勉強嫌いのKIANのためになる、そしてカリスマ性もとぎすますことができる思うで、飛び級の話はなしになった。
アンへレスからは新婚のSRRVメンバーがお子さん連れでやってきていた。近々洗礼式をやるので、ニノンになってほしいと頼まれた
ご他聞にもれず写真が大好きなアテ・キムも大臣とGMと一緒に写真をとってごきげんだ
極め付きはパーティ最後の集合写真、大臣とGMを中心にPRAスタッフ全員が舞台に上がって集合写真だ
それにしても、最後まで写真撮影に明け暮れた第31回PRA創立記念パーティだった。