昨年、2006年12月1日、超大型台風レミンによりマニラの南500kmの私の田舎、ビコール地方アルバイ県は壊滅的な被害を受けた。特にマヨン火山の噴火で中腹にたまっていた土石が強い雨で一気に流され、川沿いの民家のほとんどは土石流に押し流され、1000人 をこえる人が亡くなるという大惨事となった。フィリピンの東方沖は台風のゆりかごといわれ、台風が生まれるところだ。ここでゆっくり育った台風が、 そろりそろりと北上し、台湾、日本等を襲うのだ。台風の発生は多くはセブの北側で、その南のミンダナオには台風は一切やってこないとされている。
国道が土石流で埋もれ、皆ひたすら歩くしかない
土石流で屋根まで埋まった家
2004年5月、ビコールの農場に住んでいた時、中規模の台風がやってきだ。朝から吹き始めた風は昼になっても止まらず、雨は完全に横に降り、椰子の木は気が狂ったように長い葉を真横にたなびかせ震わせていた。夕方になって風は止まったが、なんと12時間も強い風が吹き続いたのだ。フィリピンにやってくる台風はなにしろのろいのが特徴だ。生まれたばかりだから、まるで時速5~10km、歩くほどの早さだ。そのため、台風はほとんど一箇所にとどまっているようで、行き先もよたよたと定まらない、迷走台風だ。
台風レミンで屋根が吹き飛ばされた我が家
従って、フィリピンでの台風の予測は全然当たらない。大型台風が来るからといってマラカニアン(大統領府が置かれているところ)の おふれで学校も役所も全部休んでしまったのに、一滴の雨もふらないなどということがままある。私も、前日台風が来るというのでPRAは午後から休みになったも のの、翌日出勤したら事務所の鍵がしまったままで誰もおらず、退職者との約束はあるし、ドアーの前で途方にくれたことがある。となりの民間の事務所は やっているわけで、警備員に聞いたところ、台風で役所は休みだというのだ。外は雨も風もないじゃないかといってみたところで、マラカニアンの決定だから、私が騒いで見たところで始まらない。それより、そのニュースを早めに聞いてさっさと家で昼寝でもしていたほうがお利口さんだろう。
川沿いのスコーター、これで水が出たらひとたまりもない
そんなわけでフィリピンではいつも台風に翻弄される。駐在員時代の1994年、 新築の事務所ビルが出来上がった翌月、10月にマニラを台風がおそった。私の住んでいたアヤラ・アラバン・ビリッジの中のアカシヤの木が軒並み倒れ、道路 が閉鎖されてしまった。それでもなんとか事務所にたどり着いてみると今度は事務所の窓が吹き飛ばされそうで、コンピューターを緊急避難させた後、窓が 枠ごと飛ばされ、事務所内は洪水になってしまった。窓枠が壊れたのは業者の手抜き工事は明らかで、業者に緊急に修理するよう要求したが、彼らいわ く、10年に一回の台風だから仕方がないというのだ。
それから12年たった2006年(PRA退職後)、11月1日、 首都圏を直撃した台風ミレニョは約半日マニラにとどまり、猛威を振るった。私はいつものこけおどしと台風を甘く見て事務所に行ったが、停電で仕事 にならず帰ることにした。しかし外は、強風と雨、おまけに道路は冠水し帰れなくなってしまったのあ。夕方まで事務所に留まってなんとか帰ったが、その停電が一週間近く続いたのだ。幸い事務所は非常用電源があったので翌日から仕事をすることができたが、ほとんどの店には電気がない。私の住んでいるコンドミニアムは、その日の夜9時ごろには電気が回復していた。これは大変異常なことでほとんどの地区は数日から1週間かかったのだ。その筋の情報によると私のコンドミニアムにはマカティ市長の彼女が住んでおり、その彼女が市長に文句をいったから、あっと言う間に電気が回復したのだそうだ。まだ見たこともない女性だが、是非一度お会いしてお礼を言いたいと思っている。