日本から妻と子がいなくなる 2012年12月15日


  日本から3組の母と子供達が退職ビザの取得のためにフィリピンを訪問された。総勢8名のいわゆる母子疎開だ。目的は、ずばり、「放射能汚染が蔓延する日本にもはや住む場所はない」と語る。到着早々、皆さんは、始めてのフィリピン訪問と言う話を聞いて、その勇気と決意に驚いた。初めて訪問する国、それも3Kの悪名高いフィリピン(?)で永住することもいとわないという、すべて子供の健康と将来だけが命なのだ。

 5人のお子さん連れ、総勢8名の健康診断や銀行手続きなどの申請準備に予想外の時間がかかった。どこか、訪問するたびに、まず、おしっこで、トイレ探しに追われ、喉が渇いたと、ミネラルウオーターの調達に走らなければならない。

 到着日の午後は書類の準備と健康診断、そしてPRAのパーティに参加(12.12.12の記念すべき日、別途報告の予定)。翌日は終日マニラ見物。そして3日目は銀行手続きとビザ申請、そしてモール・オブ・エイシア訪問と、連日、夜10時すぎまでの強行軍だった。

マニラ見物の最初の訪問先は、ラスピニャスのサウスビラ・インターナショナル・スクール。母子疎開の先輩の案内で、子供の教育環境とオハナ・コンドやイリジウムなどの住宅環境の視察。先輩のお勧めで、SMサウスモールのMary Graceイタリアン・レストランで昼食をとる。しゃれた店構えは日本のレストランに勝るとも劣らない、それで値段は半分以下と、お母さん達は大満足だ。

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次に向ったのがフォートボニファシオ・グローバルシティとアメリカンセメタリー。広々とした芝生に子供達はおおはしゃぎ。そしてマニラ・インターナショナル・スクールや日本人学校の立派さにびっくり。インターの学費、年間160万円にはためいきをつく。彼女達は、放射能汚染で住めなくなった日本を逃げ出す一般庶民だから、企業の援助で、このような学校に通う駐在員子女とはちょっと事情が違う。将来、ご主人も日本に住めなくなると生活の糧を失ってしまうリスクもあるから、財布の紐は固い。フィリピンで外国生活をエンジョイしようなんて気はさらさらなくて、まさにサバイバルの気概を持っている。

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お一人がクリスチャンということで、特にイントラムロスや、チャイナタウンの世界遺産の教会群に興味をもたれていた。世界遺産、サンアガスティン教会で、丁度、結婚式をやっていた。この街は歴史地区とはいえ、現役で活動している生きた街なのだ。マプア工科大学などの大学が並ぶ一角は平日のため学生があふれていた。 

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かのフィリピン近代史の英雄、先代のアキノ元大統領の葬式が行われたのが、クリスチャンの総本山、マニラ大聖堂だ。残念ながらその中には入れなかったが、遠くから記念撮影。そして次に向ったのがチャイナタウン。その一角のビノンド教会は天井の絵画が有名だそうで、そう思って見るとなかなかユニークで見ごたえがある。

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 キアポ教会周辺の人の洪水にはさすがに緊張、お母さんは子供達の手を固く握り締める。その辺をうろつく犬達に恐怖感を覚えるのは、フィリピンの犬は皆狂犬病にかかっていると信じているからだ。一方、一山5ペソ、10ペソで売っている野菜に、「これなら生活していける」と確信する。しかし、このころすでに暗くなりかけていたので、世界遺産、サンセバスチャン教会は割愛して、本日のフィナーレ、マカティのアヤラトライアングルの電飾ショーに向った。

  クリスマスが近いせいか、マカティの渋滞は半端ではない。大分時間がかかったので、5歳のR君は居眠りをしてしまった。アヤラ・トライアングルの地下駐車場でR君をママが抱きかかえると、思わずお漏らし。あわててトイレを探し回る。エレベーターで上がって外に出ると、まさに電飾ショーが始まったところ。クリスマスソングにあわせて公園の木々に取り付けられた電飾が点灯する様子に、皆、感激だ。

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8時を回っていたが、貪欲なママ達はさらにグリーンベルトに繰り出す。ぐるっと一回りして、名古屋から出店しているMA MAISONのトンカツを試食。わざわざフィリピンに来てまで日本のトンカツやで食うことはなかろうと、躊躇されていたが、食材が日本から来たものではないことを確認した上で、OKとなった。唯一日本から持ってきているというソース等には皆さん手をつけられなかった。さらに、ジャパニーズ・ライスと表示されていることに敏感に反応していたが、一口食べて、「こんなまずいご飯が日本から来ているはずがない」と確信し、安心して口に運んでいた。

 そこのトイレで見つけたのが、モール・オブ・エイシアで和民(わたみ)が開店したというお知らせだ。名前の元祖であるこの私を追っかけて、フィリピンにまできて出店するとはけしからんと思うが、いずれ試しに食べてみたいと思う。ちなみに和民(カズタミ)は私の本名だ。

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翌日、PRAでビザ申請を無事に終えて、モール・オブ・エイシアに向った。もちろん、まずはトイレ探し。そして、花火があがるマニラ湾側にいそぐ。途中、スケートリンクを見て、「なんで~~」と思わず絶句。そして広大で人であふれえる屋内の市街に、「日本よりも都会じゃ」と思わず声をうならせていた。

花火見物を満喫して、食事。屋内に9人が座れる席がないので、外のテーブルに座ったが、決して暑くはないし、快適だ。そして、ビール好きの皆さんと、まずは乾杯。そして、「今時、放射能を浴びる心配をしないで、屋外で食事が取れるのが、うれしい」と、まさかの感想をもらす。皆さんは決して東北や関東から来たわけではないのだが、「いずれ瓦礫の焼却などで、全国に放射能汚染は広がり、日本中が放射能汚染地域になる」と信じている。 

モール・オブ・エイシアは全面的にクリスマスの装飾が施され、無数の若者が闊歩している。「日本がすでに失った活気がここにはある。すでに下降線をたどり、転がり落ちるしかない日本に比べ、フィリピンは、これからの国だ。この3日間の訪問で、今まで持っていたフィリピンのイメージ、周囲の人がしたり顔に語るフィリピンの負のイメージ、すべてが吹き飛んでしまった。」というのが、皆さんの締めくくりの感想だった。

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 今回、訪問された3人のお母さんは、放射能汚染を真剣に考える少数派かも知れない。彼女達は、「日本の政府は必死に放射能汚染の事実を隠そうとしているが、現実は恐ろしい方向に向っている」と警鐘を鳴らす。彼女達の言うことが事実かどうか、数十年の歳月が過ぎれば、歴史が証明するだろう。

 

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