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8月30日追記 30日のマニラ新聞によると、ウーバーは29日、LTFRBに一億9千万ペソの罰金と、登録運転手に対しては約3億ペソの補償金を支払い、営業停止処分の解除され、2週間ぶりに営業が再開された。庶民にとっては、これで一安心だ。 8月27日追記 27日のマニラ新聞によると、LTFRB(運輸省陸運事業認可調整委員会)はウーバーに対して、一億9千万ペソの罰金を支払い、さらに所属の全運転手に対して営業停止期間一日当たり約1995万ペソの経済的補償を行えば処分を解除すると通告した。これに対し、ウーバーは一千万ペソの罰金を支払うと申し出ていたので、その差は数十倍に上り、ウーバーがこの通告を受け入れるのかどうかが注目されている。ちなみにウーバーの登録車数は6~7万台に上るそうで、ペナルティは一台あたり3000ペソ、補償金は300ペソで、法外とは言い難い金額だ。 8月15日早朝、日本からコンドミニアムの契約に来られた方のサポートでボニファイシオに出かけるためにジェーンにウーバー(配車アプリ)で車を呼んでもらおうとした。ところがその日の新聞を見るとウーバーに一ヶ月の営業停止命令が出たというニュースがマニラ新聞の一面で報じられていた。ジェーンは別の配車アプリのグラブで呼ぶからと大丈夫と言うので、とにかく外で車を待つことにした。ところが、外ではSRRV申請中の奥さんがたまたま日本から来ていたご主人と必死に携帯をいじくっている。空港に行く前にボニファシオの住居を見に行こうと思っているのだが、一時間待ってもウーバーもグラブも捕まらないという。 注 ちなみにウーバーとはアプリをスマホにダウンロードすることにより、近くを走っている空車が地図上に表示され、自分の居場所と行き先を入力すると値段が表示される。気に入った車をリクエストすると、何分で来ると返事が来る。無線タクシーのようなものだが、自社のタクシーだけではなくて、ウーバーに登録している全ての車が対象となる。一方、この車はタクシーではなくて、一般の車で空いている時間にアルバイトで送迎サービスをしている人達だ。 最近は、運転手がいないので自分で運転して出かけるのだが、どこに行っても駐車場を探すのが一苦労だ。先日も日本大使館でちゃんとお金を払って駐車したのに車を牽引車で持っていかれそうになって、あわてたことがある。この時は駐車係の人が必死に私を探しに来てくれて、事なきを得たのだが(駐車場料金20ペソのところをいつも50ペソ渡しているので、その恩返しをしてもらったのだが、まさに一宿一般の恩義だ)、これからは遠出はタクシーで行くことにした。そこでジェーンにウーバーのアプリをダウンロードして、わたし用に車を呼べるようにして欲しいと頼んだ。一方、これを機会に手持ちのソニーのタブレットにシムカードを入れてスマホを使えるようにして、ウーバー専用に使おうという決意もした。ジェーンは案外すばやくアクションして、自分用にウーバーを使ってみたが、早い、きれい、親切の三拍子そろったサービスと感激していた。 いつ来るかわからない空車タクシーを当てもなく待つなんてことは、すでに時代遅れでウーバーやグラブは生活必需品といっても過言ではない。昔の言葉で言えば、白タクだが、GPSとインターネットそれにスマホという最先端の技術を組み合わせ、しかも空いている車(資源)を有効活用するというすぐれもののビジネス・モデルだ。ソフトバンクの孫さんが中国の配車アプリの会社に数百億円の投資をしたというニュースがしばらく前にあったが、世界的な潮流といえるようだ。一説にはウーバーの企業価値はGM(アメリカ最大の自動車会社)をも上回る600億ドル(6兆円)を越え、空いている車をシェアするという観点から車の必要台数が激減し、世界の自動車産業の未来をゆるがしかねない代物だともいう。民泊という言葉ももてはやされているが、民泊サイトのAirbnbも同じくスマホ時代のホテル業界を揺るがしかねないすぐれもののビジネスモデルだ。 しばらくして、ジェーンもギブアップして、流しのタクシーを拾って行けと連絡してきたが、こんな状況で流しのタクシーがつかまるわけないし、覚悟を決めて自分で運転していくことにした。しかし、ボニファッシのどこなのか、駐車場はどこにあるかなど、必死の覚悟で出発した。コンドの入り口では件の奥さんとすれ違った。窓を開けて聞いてみると、ご主人はなんとかグラブを捕まえたが、ボニファシオはあきらめて空港へ直接向かったとのこと。ならば、私はボニファシオに行くので一緒にどうぞと、期せずして私もカー・シェアリングをやることになった。 久しぶりに訪問したボニファシオは新たに完成した高層ビルが異次元の様相を見せていた ちょっと遅れて目的地に到着して契約は無事に済んで、食事のあと、マカティの建設中の契約物件の下見、それに銀行に寄って、一日の予定を完了した。自分で運転するという選択肢がなかったら一大事だった。電車が4本しかなくて車に頼らざるをえない交通インフラの貧弱なマニラではウーバーやグラブの配車アプリは、まさに交通インフラの要といえるものなっていて、自家用車を減らして交通渋滞を解消する切り札といえるだろう。 LTFRB(運輸省陸運事業認可調整委員会)はタクシーなどの公共交通機関の営業免許を発行する役所だが、その命令に違反したということで営業停止命令を発行したとのこと。一方、グラブは違反をしていないとのことで営業停止を免れたそうだ。ウーバーはきっと上納金の支払いが滞らせたので、当局の怒りを買ったのではないか、あるいは、ウーバーの出資者にはノイノイ・アキノ前大統領の妹の女優、クリス・アキノが名を連ねているためというのが巷のもっぱらのうわさだ。 久々に一ドル51ペソ代をつけて、円も一万円が4600ペソ代に回復して日本人退職者には一息ついた その辺の役所の都合はどうでも良いのだが、命令の翌日、即刻実施というのは庶民を混乱に陥れるだけで、クリークサイドの立ち退き問題(クリークサイドに突然の退去命令)にせよ、どうみても庶民の都合はまったく蚊帳の外いうのが癪にさわるところだ。この辺の政府の姿勢が昨今のペソ安につながっているのではないかという気がしないでもない。ジェーンは黙っていれば、ばれることはない、だからウーバーも使えると豪語していたが、警官がアプリを使って車を呼んで、やって来たら現行犯逮捕をするというのだから、たまったものではない。しかし、一旦ウーバーの利益を被った庶民は黙ってはいないだろう。早期にウーバーが営業を開始できる日を願ってやまない。  

ウーバーに営業停止命令 2017年8月20日  8月27日、30日追記


退職ビザ申請中のお若い奥さんご一家の要望で、マニラ郊外の居住エリアの住まい、学校、買い物どころなど、生活環境の視察ツアーに同行した。行き先は、日本人などの外国人が比較的多く住むメトロマニラの南のはずれ、アラバン/パラニャケ/ラスピニャス、ラグナ県のサンタロサ、そしてカビテ県の別荘地帯、タガイタイ。サンタロサは時間の都合で素通りしたが、アラバン/パラニャケ/ラスピニャスとタガイタイに関してそこにお住まいの方に案内をお願いしてつぶさに観察することができた。 足は11人乗りのハイエースを使ったので4歳と0歳のお子さんを含む4人一家とヤヤ(子守)、それにガイド役の私とキアンを乗せ、さらに途中で二人のガイド役の日本人に同乗してもらってもまだまだ余裕があった。8時半にラスピニャスのSMサウスモールの前のマクドナルドで待ち合わせたが、日曜日ということもあってマカティからスカイウエイ経由で30分で到着した。 アラバン、パラニャケ、ラスピニャス地区はアヤラアラバンビリッジを始めとする高級ビリッジや中級ビリッジ、それにコンドミニアムが多数あり、フェスティバル・モール、タウンセンター、さらにはSMサウスモールなどの巨大ショッピングモールも近くにあって住環境は申し分ない。学校についても、サン・ベーダ(San Beda)、エリザベス・セトン(Elizabeth Seton)、モンテッソーリ(Montessori)などの一流私立、さらにサウスビル(South Vill.)などのインターナショナル・スクールが通学圏にあり子育てにも申し分無い。ただ、この地域を横断するアラバン・ザポテ道路がいつも渋滞しているのが難点だ。 はじめに訪問したのがオハナ・コンドミニアム、フィリピンの建設会社の雄、DMCIが開発した大型コンドミニアム群だ。ちなみにここは私が日本人退職者の依頼でユニットを管理していて、賃貸や売却のお手伝いをしている。たまたま、新しいテナントが入るというので改装中だったが、リゾート風のつくりで、生活環境は抜群。ただし、歩いて買い物に行くのはちょっとかったるいので、車が必須だろう。 アラバンの高級コンドミニアム”OHANA” 2012年8月19日 オハナはまさにリゾートビラといった雰囲気で住環境としては申し分無い 次に訪問したのが、アラバン・ヒルズ・ビリッジに入ってすぐのサン・ベーダ、休日で閉まっているの写真を撮り損ねた。 San Beda College Alabang […]

マニラ郊外の生活環境視察ツアー2017年8月14日



日本に行くことが決まって一番の悩みはいかにキアンの了解を取ることだった。ほとんど毎日、出迎えと塾や習い事に連れて行って、週、二回外で食事を取ることがキアンにとって無上の喜びだ。それが一週間無しとなると、キアンがどんな反応を示すか、想像が出来なかった。話をしてみると、キアンの関心事は私がフィリピンに帰ってくるのか、ということで、そうであれば行ってもいいと、なかなか分別がついてきたようだ。かつては、ほんの2~3日の留守でも大泣きしてしまったのとは大違いだ。その代わりに出発の前日の土曜は、10時からはじまるピアノのレッスン以降、夜まで私と外で一緒にすごすことを許され、さらに一緒に寝ることにまでなった。 一直線で上に向かう飛行機雲、キアンもこのようにまっすぐ伸びて欲しいものだ ピアノのレッスンの後は、お気に入りの樹海でランチ、注文はお決まりのエビフライ定食。そしてロックウエルの銀行で用を足した後、ドリーム・プレイに向かった。キアンにとっては最高の遊び場だが、二人で1700ぺソ近いお金は日本の水族館やスカイツリーと一緒だ。ドリームプレイで夕方まで過ごし、再び、マカティスクエアの樹海で夕食、さすがにことの時は焼肉定食を注文した。 ドリームプレイでご機嫌のキアン 何も知らないクッキーは口をとがらすしぐさをするようになった 出発は午後なので、午前中はキアンと過ごした。その時、なにも思ったのかキアンが文書をしたため、一週間後には戻ってくるとの確約書を渡された。キアンにとってはこのまま私がいなくなるのではないかという不安が払拭できないらしい。 キアンの書いた確約書、上の日付は私が書いた帰国までのカレンダー   皆で空港まで送ってくれたが、キアンはいつまでも窓から私を見送っていた。この後、離陸まで数十回のメールのやり取りがあった 私にとっては一週間という時はあっという間に過ぎてしまったが、キアンにとっては長かったらしくて、私の部屋でテレビを見たり、私の席のとなりで食事を取ったり、常に私の存在を感じながらすごしていたそうだ。 家に帰ってくると、クッキーがお座りができるようになっていた  

キアンとの契約 2017年7月31日 


最近、羽田発のマニラ直行便がフィリピン航空が2便、全日空が一便、飛んでいるのでかねてから試してみたいと思っていた。全日空はターミナル3を使うので、マカティからは10分そこそこでいける。それに羽田空港には自宅から京浜急行一本でいけるのですこぶるアクセスが良い。全日空なら往復の時間帯もすこぶる良い。ちなみに行きの便は、マニラ発1440、羽田着が2000、帰りの便は、羽田発0945、マニラ着が1330で文句なしだ。 羽田に到着して、早速京浜急行の乗り場に行くと、なんと羽田空港発新逗子行き急行が乗り換え無しで金沢文庫の手前、能見台まで乗り換え無しでいけるではないか。しかも一時間もかからず、日曜のせいかがらがらで座っていける。こうなったら、今後帰国する時は羽田しかないと心に誓った。能見台について帰りの時刻表を見ると、始発の直行が6時26分で9時45分発にはゆうゆう、しかもそれ以降10分おきに出ている。ターミナル3はマカティから15分程度だし、にわかに、日本が近くなった気がしてきた。 京急、能見台駅の時刻表、羽田へのアクセスは抜群だ  兄弟会は千葉の我孫子(常磐線)の長兄の家に行かなければならない。これがまたいくつも電車を乗り換えなければならないので、一苦労する。息子の嫁さんの情報では横浜で京急から東海道に乗り換えれば上野まで直行でいけるというが、東海道線は東京どまりで上野までは行かないはずだ。そこで、電車に乗ってから路線図をよく見てみると、なんと、湘南新宿ラインのように上野東京ラインというものができていて、品川から我孫子まで乗り換え無しでいけるのだ(まるで異業種の連係プレーのような雰囲気だ)。そうなると、帰りは我孫子で上野東京ラインに乗って品川まで行って、そこで京急に乗り換えれば、あとは一本だ(上大岡で普通に乗り換える必要があるが)。これまた、長兄の家が近くなったものだと関心しきりだ。 マニラ首都圏にはLRT、MRT、LRT2、それにPNRの4本しか走っていないが、東京には上記のほかに地下鉄が網の目のように走っている。同じ1000万人の大都会といえど数十年の時の差を感じる いよいよマニラへの帰還の日を迎えた。始発の6時26分にのれば、一直線で羽田にいけるのでなんとも気楽だ。帰りは待ち時間があるのでつぶさに40年ぶりの羽田空港を観察するつもりだ。  京急羽田駅からの上りのエスカレーターに感心 まるで膜を張ったような天井は一体どうやって支えているのだろうか 出発ロビーから上に行ってみると日本橋や江戸の街並みを再現して観光日本をアピールしている 朝が早いので人通りは少ないが、外国人観光客は興味深々だろう 本屋さんでは我が「金無し、コネなし、フィリピン暮らし」発見 映画を見ている間にマニラに到着。最新鋭のターミナル3がなぜかみすぼらしく感じる。空港スカイウエイが完成したせいか、定額制のクーポンタクシー、空港専用のイエロータクシーのほか、格安のバス(20ペソ)や普通のメータータクシーなど、街に向かう交通手段にはかなりの選択肢がある。その成果、ターミナル1やターミナル3で活躍する空港職員によりタクシーの呼び込みは姿を消していた。親切そうな彼らの後をついていくとマカティまで2000ペソなどというとんでもない価格を吹っかけてくるの、決して相手にしないことだ。 退職ビザを持っていると右端のDiplomatのブースが使えて並ばずに入国審査ができる 多くのイエロータクシーも客待ちしている 一般のタクシーも客待ちを許されているが、マカティまで150ペソ程度で行ける […]

40年ぶりの羽田空港とターミナル3 2017年7月31日



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日本へ帰るとなるとお土産がかかせない。フィリピンからのお土産はドライ・マンゴ位しか思いつかないが、2年前の帰郷の時にブームとなっていたバージン・ココナッツ・オイルが嫁さんたちに大いにうけたので今回もそれで行くことにした。しかし、液体であるだけに重いのが欠点だ。1リットル入りを4本、500ccを7本、兄弟が多いのでかなりの本数になってしまったが、カバンが持ち上げられないくらいの重さ(約19kg)で預け入れ荷物の上限ぎりぎりだった。(ちなみに預け入れ荷物は一個当たり20kgまで、2個まで預けることができる) 最近キアンが凝っている和食レストラン「樹海」と併設されている日本・韓国食材店の在庫をほとんだ買い占めてしまった さらに兄弟会や古希の祝いでは、この4月に改訂3版が発行された拙著「金無し、コネなし、フィリピン暮らし」を配ることにした。実を言うとマニラで事務所を訪れる方々が、少なからず、分けて欲しいと希望されるので、事前に20冊購入してもらい、持って帰ろうと思っていたのだ。しかし、20冊を目の前にして、その重さに驚いて、兄弟や息子に配ってしまおうと思い立ったのだ。 アマゾンなどのインターネットショッピングで購入したがその重量にびっくり 家に戻って、女房がお酒が届いていると話していた。そういえば、親しくしているフィリピン子育てママがお酒を送ると話していた。桐の箱を開けてみてびっくりしたのが、祝古希 和民 xx家一同 とラベルに印刷してあったのだ。初めはワタミ(和民)ブランドのお酒かと思ってみたが、どうもギフト用の特注品らしい。しかも、誕生当日(昭和22年1月11日)の読売新聞のコピーがついているという凝りようだ。このママさんは、情報通で名が通っているが、これまた、感激の一品だ。 焼酎は血糖値を下げるというので、よくオンザロックで飲むのだが、もったいなくてちょっと封を切る気にはなれない 昭和22年1月11日といえば、戦後間もないころだが、掲載されている記事の見出しは現在のものと大差がないようだ 次に、三男の嫁さんの実家からいただいたのが名前入りの壁掛け時計だ。かずたみがかづたみとなっているが、わざとそうしたらしい。たしかにかずたみよりしゃれている。これを壁にかけて、次は77を目指そうかなどという気になってくる。 これも特注の壁掛け時計、喜寿の祝いまで使い続けるつもりだ 息子達のギフトはカメラだった。防水、耐ショック、防塵のヘビーデューティの携帯デジカメだ。現在、使用中のカシオのカメラと同じタイプだが、いよいよ限界に近づいてきたので、物色中だったのを知ってプレゼントしてくれたようだ。私にとってはカメラは商売道具で、常に持ち歩いて、フィリピンの情景を撮影するのが仕事の一部だ。今までのカシオのカメラに比べて高性能だけに、ちょっと使い勝手が複雑で、少々重いのが難点だが、現状ではこのカメラがベストチョイスだろう。大型の一眼レフは使わないのかと聞かれたが、常に持ち歩くためにはポシェットに入らなければ無理だ。このカメラの作品が「金無し、コネなし、フィリピン暮らし」の改訂4版に掲載される日が果たしてくるかどうかだ。 オリンパスの同タイプ、Stylus TG-4 Toughと競い合ったがニコン COOLPIX AW130に軍配があがった 10年近く使い続けたカシオ、キアンが赤ちゃんの頃、床に何度も落としてこんな姿になってしまった。このカメラの後継機種がないのが残念だ […]

古希の祝いとフィリピンのおみやげ 2017年7月31日


還暦(60歳)をとうに越して、いよいよ古希(70歳)を迎えてしまった。古希の祝いに帰ってこないかとの誘いに、老骨に鞭を打って一週間の旅を決行した。正直な話、貧乏暇なしというのが本音で、客商売をほとんど一人で切り回している関係上、なかなか時間と金の都合が付かないのだ。 初日の曜日は家で、うだうだしていたが、二日目、火曜日は、三男の嫁と孫二人を連れて、あこがれのスカイ・ツリーに行ってみた。いまさらどこに行きたいということはないのだが、タワーとしては世界一高いスカイ・ツリーだけは興味があった。帰国するたびに成田からの道のりで電車から建設の進捗を毎回眺めていたこともある。 スカイツリーは後回しにして、まずは併設されている「すみだ水族館」に立ち寄った。最近、テレビでも紹介されたので、是非にということだった。この水族館はあたらしいだけあって、魚と水槽がモダンに配置されていて、生き物というよりもコンピューター・グラフィックを見ているような気がした。若いときに金魚に凝った時期があったので、さすがプロは違うと感慨にふけった。しかし2050円の入場料はきついものがある。 見事なあずま錦が泳ぐ様はまさに人間がつくった造形だ 丹頂もこれだけ集まると絵になる  次にスカイツリーに行ってみると、平日のせいか、ほとんど人はいないのだが、列を作るための広大なスペースが広がっている。きっとエレベーターのチケットを買うのに休日なら数時間、並ばなければならないのだろう。その中で、シニアが座って待てる場所があって、好感を覚えた。 フィリピンでは、シニアは、どこでも並ばず、割引ありの恩恵にあずかることができるが、日本でようやくシニアという文字にめぐり合うことができた  一人2060円も払ったエレベーターだが、ほんの数分で何の違和感もなく展望デッキに到着した。窓から見る地上はまさに地上を這いつくばる生物を天国からながめるといった感じの平面の世界だった。息子の嫁さんの話によると、先日訪れたとき、息子は、エレベーターのある塔の中心から一歩も離れることができず、ガラス窓から地上を見ることはできなかったそうだ。 正に箱庭というべき平面が続き、ここに大津波が襲ってきたら、という妄想が頭からはなれなかった 子供達は、一体何を思いながらこの非現実的景色を眺めているのだろう  展望デッキの下の階に下りると、床がガラス張りの部分がある。子供達はその上で跳ねて遊んでいたが、私は、どうしてもガラスの上に立つことは出来なかった。実は、私も高所恐怖症なのだ。 孫娘の妹はほとんど私の記憶はないと思うのだが、なぜか私を見つめることが多かった  翌日、水曜日は、孫娘の姉の誕生会で、息子の家を訪問した。4LDKの立派な家だが、30台半ばで低利で購入したものの、娘二人の子育てとローン返済のために馬車馬のように働き、休息することを許されない状況にあるそうだ。 なかなかの飾り付けだ。ちなみに姉が持っている人形は女房の手作りだ  しかし、誕生会が佳境に入りかけたとたん、女房が具合が悪くなり、タクシーで帰宅させざるを得ず、誕生会をあとにせざるを得なかった。しかし、その後、嫁さんのご両親が、私と話をしたいということで、近所の居酒屋、串倶楽部で飲みなおした。 […]

古希の祝いで日本に行ってきました 2017年7月30日



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キアンが公文に通い始めて2年半が経過して、ようやく二桁の引き算が始まったところで壁にぶつかった。たとえば、34-19=15という計算だが、4から9は引けないので十の位から10を借りてきて14-9=5とし、十の位は30から借りた10を引いて20、さらに20から10を引いて10となり、答えは15となる。文章で書くと長ったらしいが、これを頭の中で一瞬のうちに計算して答えを出さなければならないのだが、キアンは借りてきた10を十の位から引くのを忘れる、というミスを繰り返す。また、キアンを教えていてると14-9=5という計算を10、11、12、13、14と唱えてその数字の数を指で数えて5と解を導き出している。どうも二桁マイナス一桁の計算もマスターしていないようで簡単な計算もミスが多い。 公文で勉強に励むキアン こんな調子だから、キアンは公文の宿題をやるのが辛くてたまらない。ママ・ジェーンに怒鳴られながらようやく終わった宿題を私に見せると容赦なくバッテンが続いて脇で見ているキアンは悔し涙を流す。マミーがそう教えたと言い訳するが、私が解き方を教えようとすると耳を貸さない。時にキアンは公文の宿題を隠して、そのキアンもどこにおいたのか忘れてしまい、ママ・ジェーンはキアンをどなりちらす。それでキアンが泣きじゃくると、今度は私がママ・ジェーンに小言をいう。公文は正にキアンにとっての苦悶で、こんなものがなければ家中がこんな大騒ぎをしなくても済むのにと、幼心で宿題を隠すという手段に出るのだろう。 妹のクッキーをあやすキアン 毎週火曜と木曜にはドンボスコスクールが終わってから公文に直行するのだが、これだけは何の文句を言わずに喜々として出かけていく。それは、私が学校で出迎えて、車で一緒にサルセド・ビリッジの塾に連れて行くためだからだ。お腹がすいたといってミニストップでアイスクリームやシューマイを買ってやったり、私に甘え放題だ。 車の中では禁止されているスマホでゲームを楽しむキアン さらに水曜と土曜にピアノのレッスンに私と一緒にいくのものキアンの癒しのひと時だ。先日、ピアノのレッスンの後、ママ・ジェーンのきついお達しもあり、そのまま家に帰ろうとしたら、車の中で30分ほど泣き続けた。「毎週水曜は一緒に外で食事をする約束だったはずだ」と権利を主張してやまない。キアンにとっては私と外で食事をすることが無常の喜びで「家ではマミーがいつも怒鳴るから、外で食事がしたいんだ」と泣き続ける。2歳のころから土曜の昼は外で食事をするのが習慣で5年続いてきたのだから、無理もない。結局その日はママ・ジェーンを説得して、近所のとんかつ屋で夕食を一緒にとった。 ピアノのあとのレストランでの食事を満喫するキアン 食事の直後、土砂降りの雨の中でずぶぬれになった後、疲れ果てて座ったまま居眠りするキアン しかし、小学2年生の算数の標準的学力とは一体どの程度のものなのだろう、日本の小学生にとって二桁の引き算はいつごろから始めるのだろうか。キアンは二桁の引き算に挑戦し始めてから2~3ヶ月なるが、こんなもんなんだろうか。ママ・ジェーンも数字には滅法弱いから遺伝的に数字に弱いDNAを持っているのだろうか、などと考え始めてしまう。そもそもキアンを公文に通わせたのは普通のフィリピーノの数字の弱さに愕然とさせられるものがあるためで、私の傍で育ったキアンだけはそうなってはほしくないという私の切なる思いからだった。しかし、これほどまでに苦労しているとなると、教育の問題よりもDNAなのか、どんなに苦労したところで徒労なのかと思ってしまう。こんな話も後で笑い話になってくれればいいと思うのだが、私の苦悶はまだまだ続きそうだ。  2年生になってからはスクールバスで毎朝6時に登校するキアン    8月24日追記 私だけがいらついていても始まらないので、こうなったら、しばしほっておくことにした。宿題のチェックもしないでそのまま公文に提出して先生にキアンの実力を見せ付けて対処させることにした。そのために月謝を支払っているのだから、教えるのは先生の役割のはずだ。しばらく経って宿題をそっと見てみると、なんと全問正解しているではないか。キアンは得意げにI’ concentrated(集中していたから)と答えた。宿題も、催促無しで期限までにちゃんと終えている。環境さえ整えておけば、自分で勝手に学んでいるようで、とやかく口を挟まない方がよさそうだ。

キアンの公文(=苦悶)はそれでも続けるべきなのか 2017年7月9日


第32回PRA創立記念パーティが盛大に挙行された。昨年の創立記念パーティ及びクリスマスパーティと同じ会場だが、テーブル数が10x5=50脚、各テーブルに12席で合計600人を収容する盛大なもの。パーティも中盤にはいると満席に近い状態で、食事も豊富で、並ぶこともなく皆、満喫していた。 普段、事務所でお相手してくれるPRAスタッフが着飾って受付をしていた 案内役のPRAスタッフと記念撮影 バンドが広大な会場に鳴り響く演奏を披露していた フィリピンではめずらしく、6時きっかりの開演で、プログラムの始まる一時間は大音響のバンド演奏が鳴り響いてとなりの席との会話もままならないほどだった。その間、ミリエンダやアイスティーを提供してもてなしてくれたが、ビールがなかったのがちょっとさびしかった。 会場は世界各国の退職者でにぎわったが、私のテーブルは子連れの若いお母さん方で占められた アグリパイGM以降、さびしいパーティが続いていたが、今年は多くの退職者をむかえ盛大なパーティが復活した キアンはアンリ(Unlimited制限なし)のアイスクリームにご機嫌で10杯ほどお代わりした 7時からはPRAのトップのChy GMの挨拶からお偉いさんの延々たるスピーチが続いて、それが終わるといよいよ食事とプロ歌手のエンターテイメントがはじまったる。 お偉いさんのテーブル、左の人は元入管のトップ、ロドリゲス下院議員。混迷を極める入管に復帰して退職ビザの発行をスムーズにしてほしいところだ 食事が終わってからは、カラオケ大好きのChy GMの独演が始まって、次はダンスタイムだ。ここ数年登場していた孤児院の子供達の踊りはなかったが、きっとGMのお気に召さなかったのだろう。 カラオケ大好きのGMの面目躍如といったところだが、PRAの機能向上にも力をいれて欲しいところだ ダンスフロアーには男女10人ほどのプロのダンサーが踊りのお相手してくれていたが、皆、お年を召していた、ちょっと今一の感があった。しかしキアンは乗り乗りで写真をとりながらもステップをとめることはなかった。キアンのダンスはCIMG0520  をGMのダンスは […]

第32回PRA創立記念パーティ挙行される 2017年7月9日



早いものでまたまたPRAの創立記念パーティの日がやってきた。13年前の2004年にはじめてこのパーティに出席して、当時のPRA No. 2(Deputy General Manager)のマルセルさんやトップ(GM)に強くPRAに勤務することを勧められたのが昨日のことのように思い出される。あのことが、今でも私がPRAに深く関わっている原点になったのだから、創立記念パーティは私にとって欠かせない行事だ。 場所は前回と同じなのでわかりやすいと思う。また、前回は期待通りのご馳走で、食事の争奪戦で必死に並ぶ必要もなく、ゆっくり楽しめた。さらにトップのGMのChy(チ)さんには前回のクリスマスパーティで初めておめにかかったが、歌が大好きで独演会の様相を呈していた。この人の主催するパーティであれば、前回同様に楽しいパーティになりそうだ。ただ、7月7日は金曜日なので帰りの足を確保していかないと場所が場所だけにやばいことになるかもしれない。 第31回PRA創立記念パ-ティのお知らせ 2016年6月22日 第31回PRA創立記念パーティ開催 2016年7月2日 PRAクリスマスパーティ 2016年12月18日  

第32回PRA創立記パーティのお知らせ 2017年6月25日


先日、内藤さんという女性が事務所を訪問された。ご本人は近い将来、フィリピンの退職ビザを取得して、子育てをフィリピンで行うことを計画しているのだが、それよりもオンライン学習塾を立ち上げるので、その辺のアドバイスを、ということだった。 話を聞いてみると、確かに海外で子育てしているお母さん方には耳寄りの話という気がした。海外でどんなに良いインターナショナル・スクールやローカル校に通ったとしても、日本の学習指導要領との違いにより、いざ日本に帰ってきて再び日本の学校に通ったとすると、その学力のギャップに戸惑うことが多い。必ずしも学力が劣るということではないが、要は違いなのだ。もちろん、英語力は格段のプラスのギャップが付くだろうが、他の教科では海外では習わないことが多いという。特に国語となると致命的だ。 そこで、そのギャップを埋めるために、カリスマと呼ばれる講師陣の指導をもとにした教材でオンライン学習をするのだが、教材はアニメになっていて、子供達が喜んで学習に励むようにプログラムされている。さらに、個々の子供の学習の程度により、カリキュラムが選択されるというシステムもあって家庭教師的な要素もあるそうだ。 しかもオンラインだからどこの国で学んでいようが、どんな時間帯であろうが、子供の都合で学習できるというまさにいいこと尽くめだ。費用も月々8800円と容易にまかなえる範囲だ。 詳細は「170517_オンライン学習塾」をクリック。 私ができることは、このようにブログで情報を発信することぐらいなので、内藤さんには、日本人会、マニラ新聞などを訪問して紹介するよう薦めた。日本人会ではちらしを置いてもらうようなことはできないと、断られたけども、担当の日本人がチラシを欲しがったとのこと。きっとお子さんをマニラで学校に通わせているのだろう。 塾長である内藤さんは、大変気さくで、キャリアウーマン、頼りになりそうな姉御肌で、自らを有言実行の人と称していた。

オンライン学習塾 JPOSの紹介 2017年6月18日