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しばらく前になるが、KIANが両親に伴って、ランドマークのおもちゃ売り場を訪問した際、Jurassic Worldのレゴの前で動かなくなってしまった。両親は、こんな高いおもちゃを買う金はないとKIANの願いを一蹴した。それからKIANは寝てもさめてもそのレゴを買ってくれと両親にせがんだ。寝言にまで出てくる始末だったそうだ。 そこまで来ると両親の根負けで、私に買ってやってくれと頼み込んできた。普段は、おもちゃを買いすぎると小言を言われるている私だから、ここぞ出番と張り切ってランドマークにKIANを連れて行った。ようやく目当てのレゴを探し当てて、値段を見たら、目が飛び出るような値段だ。たかがレゴに8000ペソの大枚をはたくのは、私でさえ大いにためらう。しかし、ここで拒否したら、私への信頼は失墜するし、またまたKIANは夢でうなされると思い腹をくくった。今年のクリスマスのプレゼントの先渡しという理由をつけて買ってやることにした。 組み立てはクヤ・ケイシ(息子)の役目だ。出来上がりが待ちきれないKIANはクヤ・ケイシのそばを離れない。そして、その後も、買うおもちゃはレゴと決まっている。もちろんそんなに高いものは買ってやれないが、数百ペソも出せば、KIANに丁度よいレベルの中国製のレゴが買える。 しかし、レゴのよいところは、古いものでもそれを部品として何か新しいものを自由に組み立てることができることだ。幼少時代をレゴとプラモデルですごしたという自称するクヤ・ケイシは、その後も古い部品を使ってKIANが喜びそうな車や飛行機を組み立ててくれた。KIANも負けずに何か作って自画自賛している。作品を食事時や寝るときもはなさない。最近のレゴは、クヤ・ケイシがレゴで遊んでいたことに比べると様々なキャラや部品があって、かなり現実味を帯びたものが作れておもしろそうだ。 つい最近までは、キャラ一個を組み立てるのがやっとだったKIANだが、このJurassic Worldモデルをきっかけにレゴの組み立てにはまったようだ。まさに5歳という年齢はレゴの適齢期なのだ。KIANはレゴの組み立てに数時間、夢中になっておりテレビ漫画や携帯ゲームを上回る集中振りだ。レゴは、子供の空間の想像力と創造力を培う優れもののおもちゃとされている。単純な足し算を繰り返す公文の宿題は大きらいなKIANだが、レゴに集中している間は、空間という課題に挑戦して、おおいに力(リョク)を養っているに違いない。 毎日、公文の宿題に音を上げているKIANだが、私が見ても、5+3、6+3などを延々と繰り返すだけで、面白みも何もない。先日、公文の帰りにコインを出して、5ペソコイン、2枚で幾らになるかKIANに聞いてみた。KIANは困惑した顔で、55ペソなどとあてずっぽうに答えていた。5+5=の計算は紙の上ではできても、5ペソ+5ペソは10ペソになることがわからない。どうも数字というものの概念はまだあやふやらしい。 KIANに勉強はきらいかと聞いたら、面白くないからきらいと答え、また、遊びは好きかと聞いたら、面白いから好きと答えた。何故と聞いたら、もちろん答えはない。勉強が好きだという子供はいないし、遊びがきらいな子供はいない。いたとしたら、何か異常な状況があるからだ。だから、勉強=遊び、にしたら、誰しも喜んで勉強するに違いない。空間の勉強を授業形式でやったら面白くもなんともないだろうが、レゴなら、勉強嫌いのKIANでも何時間も夢中になれるのだ。 公文の算数にしてもそれを遊びにしたら、KIANも夢中になるだろう。算数をしながら遊ぶ、それがすなわちゲームだ。トランプや囲碁将棋で、子供は遊んでいるうちに足し算や引き算、さらには図形というものを勉強することができるのだ。以前チャレンジしたもののKIANが小さすぎてギブアップしてしまったが、まさにゲームで遊ぶときがやってきたのだ。 動物の子供が子供同士で遊んでいるのは大人になったときの狩りや戦いのトレーニングだそうだが、子供の遊びも将来の実生活のトレーニングなのだ。アイスクリームなどもKIANにお金を持たせて買いに行かせるのがいいだろう。お金を勘定する、それがまさに算数なのだ。ある物知りのお母さんが、子供がどうしても数字の概念を把握できなかったら、数字のあとに円をつけるとイメージがつかめると言っていた。5ペソコインが2個で10ペソになるという体験をKIANに積ませることが大事な時がきたようだ。

KIANは現在レゴに夢中(その3) 2015年12月6日


最近、我が家でもてはやされているのがバージンココナッツオイル、クエン酸そして重曹だ。これらはいずれも食品だが、万能薬品といってもいいくらいの優れもので、これさえあれば、医者も薬もいらないとさえ言われている。 バージンココナッツオイルの効能については以前、このブログで紹介したので今回は割愛する。「奇跡の食用油、ココナッツオイル2015年7月13日」 クエン酸と重曹の効能は大分前に伝え聞いていたので、手に入れて使ってみた。しかし、何の自覚症状もないので、忘れかけていた。しかし、最近、親しくしている人たちの強い勧めで、我が家の住民が(ジェーンやキム)こぞって使い始めて、その効果を絶賛した。私が何の自覚症状がないのは、どこも悪くなくてすこぶる健康だからにちがいない。ちなみに、私は、薬というものを一切常用していない。 クエン酸(Citric Acid)は、酢、梅干、トマト、レモン、グレープフルーツなどに含まれ、昔から疲れたらクエン酸と言われている。クエン酸は体内の毒と言われる乳酸をエネルギーに変えて体をアルカリにして万病に効くそうだ。だから、トマトが赤くなると医者が赤くなる、ともいわれ、医者の天敵だった。 一方、重曹(NaHCO3 炭酸水素ナトリウム、Bicarbonate Sodium))はベイキングソーダ(Baking Soda)とも呼ばれパン作りや料理、水回りのよごれや家の掃除に使用される。私が子供のころはお腹の調子が悪い時は重曹と相場が決まっていた。身体を弱アルカリに保ち、体内の酸を中和し、美容と健康に大きな効果を発揮するそうだ。 こんな良いものも、時代とともに忘れ去られ、その効能を知って常用する人も減ってしまった。その原因は、これらが安すぎることだ。これらが行き渡って人々が健康になると薬も医者も要らなくなってしまうので、医薬の世界で葬り去られてしまったのだそうだ。これは、ココナッツオイルが受けた迫害にも似ている。 先日、息子が久々にフィリピンにやってきた時、到着時から体調を崩し、強い腹痛と水のような下痢に悩まされていた。息子は薬嫌いで、下痢の特効薬、イモジウムを勧めても拒否して、2~3日、外出もままならない状況だった。そんな時、やおら、私がほったらかしておいたクエン酸を飲んでみたいと言い出した。昼に飲んだのだが、数時間後、直ったと、息子がうれしそうにしていた。まさに劇的な効果を発揮したのだ。それ以来、息子は、クエン酸無しでは生きていけないとまで言い出している。 クエン酸(英語名Citric Acid)をフィリピンで探してみたがどこにも見当たらない。仕方なく、日本からやってくる人にお願いしたが、500gで400円程度で、簡単に買えたそうだ。私としてはクエン酸を水に溶かして飲むのも寂しいので、ダランダンの生ジュースを飲むようにしている。グレープジュースもいいが、高いし、輸入物は何がはいっているか知れたもんではない。ダランダンのすっぱみがなんともさわやかで、成分的にはクエン酸と大差ないものと思う。ダランダンの生ジュースは健康の元 2015年4月12日 ジェーンとキムは歯磨きに重曹を使っているという。使いするぎるとエナメル質がなくなってしまうとも言うが、歯を白く美しくする効果があるという。そして、キムが口を開けてた歯と矯正ブレスレッドを見せてくれた。たしかにブレスレッドは光輝いていた。さらにキムはブレスレッドのおかげで口の中が傷ついて口内炎ができて痛くて仕方がないという。そこで重曹を傷口にこすりつけたら、翌日には完治してしまったそうだ。 重曹はパン作りにつかうベーキングパウダーだからスーパーでも簡単に手に入る。ちなみに一ポンド(454g)で47.95ペソ(125円)と格安だ。只、ジェーンはフィリピン製は品質に不安があるから日本から取り寄せたいと主張している。        

我が家の万能常備薬 クエン酸と重曹 2015年12月3日



APECの6連休、さすがに退屈して農場からやってきていた息子とプエルトガレラを訪問した。ここはマニラにもっとも近いビーチリゾートとして有名で数百のリゾートが立ち並ぶ海水浴とダイビングのメッカで、このブログでも何度か紹介した。 KIANも5歳となり、先日のライアビーチの訪問で味をしめビーチには目がない。しかし、パパカーネルの都合があわず、息子との二人旅となった。前日、両親がビコラノ語で、我々がビーチに行くと、話しているのを、聞いて、KIANが血相を変えて私の部屋にやってきた。「ダダ(私)は僕をおいてビーチにいくのか?あるいは、ママは嘘を言っているのか」と詰め寄る。回答に窮して「ママを説得してKIANも同行させるようにしろ」と話をしたが、浮かぬ顔をして部屋を出て行った。 翌日、早朝、APECの交通規制を危惧してボボイにバタンガス港まで送らせ、9時ごろには港まで到着することができた。船で一時間ほどでプエルトガレラに到着したが、早速、KIANから電話が入った。「ダダはビーチにいるのか、帰ってきたら噛み付いてやるから覚悟しろ」と怒っている。 サバンビーチはマニラではあまり見かけない白人と、どこでもいっぱいの韓国人で相変わらずにぎわっている。日本人はほとんど見かけない。息子の勧めでSABANG HILL RESORTに宿を取ったが、高台で全室が海に面していて、いかにもビーチリゾートの宿だった。宿泊代は、スタンダードで一泊2000ペソ、安くはないがリーゾナブルだ。サバンビーチの眺望がすばらしい。しゃれたプールやレストランもこぎれいだ。        サバンのビーチは、同じプエルガレラのホワイトビーチに比べて、少々狭苦しいが、泳ぐというより、ここを基地にしてダイビングを楽しむ人が多い、船を下りて左に進んでビーチのはずれを右に登るとSABANG HILL RESORTがある。目印は通路を挟んでレストランにしてしまっているTind’s Restaurantだ(写真右下)。 サバンビーチの特徴は、マニラにも劣らない夜の街があることだ。家族連れならホワイトビーチが適しているが、男連れならサバンがいいだろう。狭い路地にその手の店がひしめいている。 ところでKIANの追求の手は緩まない。帰りのボートの中で、再び携帯のベルがなった。「今どこにいるのか、ビーチに行ったのか」、さらにボートのエンジン音を聞いて、「その音はビーチの音に違いない、僕はビーチの音を知っている」と、ダダはたじたじだ。昼過ぎ、戻ってきたら両親とお出かけ中で留守。夜、帰ってきたら、早速私の部屋に来たが、ドアの外で照れくさそうにはにかんでいた。息子は、どう口裏を合わせようかと心配していたが、所詮5歳の子供であり、私の顔さえ見れば期限は直るのだ。

プエルトガレラのサバンビーチリゾート訪問 2015年11月30日


17日(火)から始まったAPECは、一週間、首都圏に未曾有の渋滞をもたらした。14日(土)は、まだまだ大丈夫だろうと空港の先までタクシーで出かけていった。しかし、すでに各国の閣僚がフィリピンに到着し、幹線道路が封鎖されていた。そのおかげで、走ったこともない裏道を迂回するはめになり、かつその迂回路が大渋滞してにっちもさっちもいかないはめに陥っていた。   反対側のマカティに向かう高速道路は車が糞詰まりの状態だった(左)。郊外の道路沿いには塀の小屋を作って人が暮らしていた。 その帰り道は、APEC中は前面封鎖される予定のロハスブルバードが通行可能でバクララン、大使館、そしてブエンディアを経由して戻ってきた。その間、すでに警備は始まっており、APEC中、25000人が全国から動員されたという警官が警備につきはじめていた。 会場に近いロハスブルバード通り沿いには多くの兵士が警戒の準備をしていた(左)。庶民の買い物どころバクラランには屋台が一層されて普通の町並みになっていた(右) エドサ通りとロハスブルバード通りの立体交差からながめると、エドサ通りはすでに閉鎖されていた(左)。日本大使館はロハスブルバード沿いにあるためにAPEC開催中は回転休業となる(右) 16日(月)はAPECの休日の前日だったが、夕方のマカティは、ほとんど車が動かず、歩いてマカティを縦断して約束のマカティアベニュー沿いのTIANTIANレストランにたどりついた。朝方、健康のためにPRAまで歩いたので、その日は、2回もマカティを歩いて縦断するはめになってしまった。 17日(火)から20日(金)はAPECの4連休で、17日(火)と18日(水)は家でじっとしていたが、19日(木)と20日(金)は息子のたっての願いでプエルトガレラのビーチリゾートに行く事になった。もしやの事態にそなえて、ボボイに送り迎えをさせたが、案外とスムーズに帰ってくることができた。しかし、20日(金)は各国首脳が帰国する日で、ゲリラ的に幹線道路が閉鎖されて、ひやひやの連続だった。 APEC専用レーンが設けられた高速道路。APECのために訪問した各国の首脳陣を拝めることなどはできないが、庶民はその形跡を垣間見るだけだ

APECで未曾有の交通渋滞 2015年11月30日



11月、世間を騒がせたのが銃弾所持事件だ。多くの旅行者が銃弾を保持していたということで空港の検閲で逮捕、送検された。旅行者ばかりではなくて、出迎えに来た人まで、手荷物検査で銃弾が発見され捕まった。 ほとんどの人は実際に銃弾を所持しており、お土産、あるいはお守りのために常時所持していたものだった。通常、ナイフなどを所持していた場合は、没収となるだけだ。しかし、銃弾となると、悪質とみなされた場合、送検される。例え送検されなくても数時間の足止めを食らい、旅行が継続できなくなり、大迷惑だ。なかには、自分は銃弾など所持していない、空港職員が隙をみて荷物に紛れ込ましたものだと主張した。その目的は、荷物検査で銃弾を発見して、それを見逃す代わりに何がしかの謝礼を要求する手口だ。 私も、息子からプレゼントされた小さめのアーミーナイフを常にポシェットに入れて所持していた。そのまま飛行機に乗ろうとして、検査に引っかかってしまった。離れたところに連れて行かれて、ポシェットの中を開けるように要求され、アーミーナイフが出てきた。その時、頭をよぎったのが、お金を渡して見逃してもらう手だ。1万円はする代物だから、500ペソくらい払っても痛くない。しかし、躊躇している間に没収されてしまった。そのあと相棒のジェーンに相談したら、すぐに件の空港職員を呼びつけて、探すよう指示し、10分くらいで出てきて、500ペソ支払って返してもらったが、さすがジェーン姉御だった。大分前には爪切りをとがめられて500ペソを支払ってことがある。この爪きりは20年位使っているドイツ製の一品で私の宝物の一つだったのだ。 ターミナルの外は旅行客および出迎え人でごった返す。中にはカバンをテープでぐるぐる巻きにしている人もいる 荷物検査で危険物が出てきた場合、それを見逃す代わりに金銭を要求するのは日常茶飯事で、空港検査員の貴重な収入源だ。そのため、銃弾を旅行者のカバンに忍び込ませて、それを荷物検査で発見し、金銭を要求するというマッチ・ポンプの疑いが庶民の間に広がった。空港警察と空港職員がぐるになっての犯行ということで、空港職員と警察の権威が失墜し、話は、大統領まで上っていった。この事態に、司法省が検事を送り込んだり、事件の再発を防止するために大幅な空港警察の増強が行われた。 ターミナルを巡回する警察官はどういうわけか若手で、悪しき風習にしたっていない若者を起用しているようだ。 しかし、空港警察員が増えると庶民は、さらに恐れをなすという悪循環となり、空港職員は無実を訴えて集会を行い、大統領は、フィリピンの空港は安全という宣言を行って、観光客の減少を食い止めようとしている。 空港に行くと荷物をテープでぐるぐる巻きにして銃弾を紛れ込ますことができないないようにしている人も目立った。また、空港内の待合室に入るためには荷物検査があるので、中に入らないで外で待つ人も目立った。庶民は、警官が銃弾を荷物に忍び込ませて、検査員が発見して金銭をせびるという話を信じて疑わない。  

銃弾所持事件で空港の権威が失墜 2015年11月30日


APEC 直前、国家公務員の給与が大幅にアップされるという法案が国会に提出され、年内可決を目指しているとの報道があった。民間の給与水準との大きな格差により、汚職を必要悪とみなす風潮が強かったが、それを是正して汚職撲滅を目指すという主旨だ。 ちなみに大統領は現在の月額16万ペソ(約42万円)が4年後には2.5倍の40万ペソ(約109万円)と大幅増となる。下級の公務員はアップ率が低く、4年後で20%程度。対象は国家公務員153万人、それに地方公務員が対象で、国民(就労者)の一割程度が恩恵に預かることになるだろう。 初年度580億ペソ(1500億円)、4年間の総額は2258億ペソ(5900億円)に達する。ちなみにフィリピンの国家予算は約2.6兆ペソ(6.8兆円)で、その8%に相当する。(2015年11月30日現在、1ペソ=2.6円) ------------現在の給与--------4年後の給与--ーアップ率 一般職員(一等級)   9000ペソ(23400円) ⇒ 11000ペソ (28600円) 22% 部長クラス(24等級) 56000ペソ(145600円)⇒ 93000ペソ(241800円) 66% 局長クラス(28等級) 88000ペソ(228800円)⇒153000ペソ(397800円) 74% 兵士・巡査       15000ペソ(39000円) ⇒ 16600ペソ (43160円)  11% 大尉・警部       39000ペソ(101400円)⇒ 56600ペソ    (147160円) 45% 参謀総長・警察長官 82000ペソ(213200円)⇒ 150000ペソ(390000円)83% 下級公務員あるいは兵士や警官のアップ率はわずかで、相変わらず日本の給与水準の10分の一程度だ。しかし、高級公務員や軍・警察の幹部は5分の一程度で物価水準を加味すると日本と大差のない生活水準が維持できるだろう。裏を返せば、これら高級官吏の給与・モチベーションを上げて汚職をなくそうということなのだろうが、高級官僚=権力=汚職という構図が見えてくる。 […]

公務員の給与が大幅アップ2015年11月30日



APEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議が開催される18日(水)と19日(木)は休みとなると発表されていたが、このほど、その前後17日(火)と20日(金)も休みとなるという情報を退職庁(PRA)からもらった。民間会社は、2日間だけの休みだそうだが、役所と学校は4日間休みとなり、その後の土日を含めるとなんど6連休となってしまう。 PRAの入り口には17日から20日まで事務所が閉鎖されると誇らしげに通知されている 今年1月のローマ法王の来訪で、15日(木)から19日(月)、土日を挟んで5連休という事態があったが、それを上回る暴挙だ。経済協力会議もいいがフィリピン経済に与える影響は甚大なものになるのではないか。 それに伴って16日(月)から20日(金)の一週間は、航空各社の大幅な欠航があり、マニラ国際空港は、ほとんど閉鎖状態になる。したがって、この期間にマニラを訪問あるいは日本に帰国予定の方は、航空会社とよく連絡を取って運行を確認する必要がある。一方、空港からマニラの足については、ほとんど欠航しているので、案外すいているかもしれない。 さらにまた、マニラ湾沿いの大通り、ロハスブルバードは16日(月)から20日(金)まで全面的に閉鎖される。そうなると日本大使館も一週間、開店休業となってしまうので閉鎖せざるをえないだろう。ちなみに空港からマカティへの道は閉鎖にはならないようだが、マニラ方面はロハスブルバードが閉鎖されるので大きく迂回しなければならないだろう。 当方としては、20日(金)にビザを発行予定の退職者がいて、2日間の休みはなんとか吸収出来ると一縷の望みを託していたが、さらに二日間の休みとなると、絶望的だ。さらにまた、まさにAPEC週間の初日の16日(月)に入国して、ビザの申請をしようとしている退職者も、一週間、スタンバイの憂き目にあってしまうことになる。 16日(月)は、役所は、今のところ開く予定だが、どれだけの職員が出勤するか、果たして役所が機能するのか、当てにはならない。そうなると、役人は14日(日)から22日(日)まで思いがけない大型九連休となる。 ちなみに、今年のクリスマスは、24日(木)のクリスマスイブ、25日(金)のクリスマス、26日(土)と27日(日)で4連休、28日(月)と29日(火)は平日だが、30日(水)がリザールデイ、31日(木)が大晦日で休み、1日(金)は正月、2日(土)と3日(日)で5連休となる。土日と休日が全く重ならない絶妙な日取りだ。4連休と5連休の間の28日(月)と29日(火)の二日間を営業日としても誰も来ないので、大方の会社そして社員は大型11連休をとる。 今年はローマ法王の来訪、APEC、そしてクリスマス休みと、とんだ大型連休の年となったものだ。  

APECで恐怖の6連休 2015年11月6日


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KIANは5歳半となり、いよいよ来年は小学校に入学する。ここのところ英会話の上達は目覚しいものがあり、私ごときの英語ではなかなかついて行けない(Nativeとして喋っているのだから当たり前かもしれないが)。数字も公文のおかげで100以上まですらすら数えられ、まさに幼児の域を脱しつつある。 先日も、携帯ゲームに夢中になっているKIANの体をつまんだりしてからかっていたら、KIANは癇癪をおこして「Get out from the room(出て行け)」と怒鳴られた。わたしが、「OK, I will go out(出てくよ)」といったら、思わず自分の言ったことの意味に気が付いて、あわてて私を引き止めて「Joke only(冗談)」と苦笑いをしていた。普段からママ・ジェーンに言われているのをまねしたのだろうが、まるで、大人の会話だ。 しかしながら、家庭教師までつけて、これだけの努力をしているにも関わらず、KIANの文字を書いたり読んだりする力は、いまだにきわめて低いといわざるをえない。ようやく、YES、NO、CAT、DOGなどのきわめて簡単な単語を読んだり書いたりできる程度だ。ただし、JURASSIC WORLDなど、興味のある単語はパソコンにインプットさえできる。これをやらないとお目当てのゲームを開けないからだが、少なくとも文字を書いたり読んだりすることがこれからの人生に重要な役割を担っていることを認識しているようだ。だから、パソコンの画面やちらしや本の文字を指差して、なんと読むのかと頻繁に聞かれる。いったん音声にすれば、簡単に理解できるようだ。人間はそもそも文字を直接理解する能力はなくて、音声にして初めて理解することができるそうだが、まさにKIANを通して実感できる。 寝る子は育つというがKIANは実によく眠る 一方、公文の数字の勉強は、+1や+2、さらに+3までの足し算ができるようになっている。実に簡単な計算だが、毎日毎日宿題に挑戦して、似たような問題を続けて紙に答えることはできても、言葉でTwo […]

KIANの英語と公文 2015年11月6日



中央銀行によると、2010年から新紙幣への切り替えが開始されたが、旧紙幣は本年末で使用ができなくなる。ただし、2016年中は銀行で新紙幣に交換することができる。2017年からは紙幣としての価値を失う。 PRAの支払い窓口に張り出された中央銀行の告示 新紙幣が発行された当時は、珍しくて、ピン札を大事に取っておいた。同時に旧紙幣のピン札も残すように心がけたが、旧紙幣のピン札を手に入れることは容易ではなくて、現在手元にあるのは、20ペソ、100ペソ、200ペソ札の3枚だけ。新紙幣は、その後、珍しくともなんともないので、使ってしまった。 昔、旧紙幣のピン札を日本に持ち帰り、そのまま保管している人は、しばらく(10年単位の期間)持っていれば高く売れるかもしれない。一方、箪笥を調べて旧ペソ紙幣を見つけたら、早めに処分した方がよい。 新紙幣と旧紙幣の区別は、基本的なデザインと色合いは同じだが、モデルとなっている政治家が皆若くなっていることで、500ペソ札については、ニノイアキノが妻のコーリーアキノとペアになっている。また、裏面は記念的建造物からフィリピンの自然、動物などの図柄に変更されている。

旧札が使えなくなる 2015年11月6日


万聖節の休みを利用して、バタンガスでもっとも美しいビーチというふれこみのライヤ・ビーチ(Laiya Beach)を訪問した。マニラから南に高速道路(SLEX)でリパ市(Lipa City)まで行き、高速道路を降りてからロザリオ(Rozario)、サンフアン(San Juan)を経てLaiya Beachに至る、約130km、3時間半の行程だ。ちなみにSan Juanはバタンガス州とケソン州の境界にあり、ビーチリゾートが点在するマニラ湾とは反対側にある。 この日は、万聖節ということもあってか、リパ市内の道路は糞詰まりのようにびくともせず、市内を通過するだけで一時間以上の時間を費やしてしまった。特に墓地のある付近の渋滞はすさまじいものがあった。 サンフアンにようやく到着した時は12時を回っていた。適当なレストランで食事を取ったが、周囲は、スペイン風の古風な家が並んでいた。この付近は第二次世界大戦の被害を受けず昔の民家が残っているそうだ。 サンフアンの町に入ると右にリゾートの看板が並んでいる角を右に入ると田園風景が続き、いかにもビーチリゾートに近いという雰囲気がある。宅地造成も行われており、いずれ高級住宅街が立ち並ぶことだろう。 途中、高級リゾートを左に見ながら、ライヤ・ビーチに到着すると20軒以上の宿があり、その先は工事中の道路となる。その外れ近くにあるのが、ラ・ルーツ・ビーチ・リゾート(La Luz)だ。数軒のリゾートを見たが、ここが一番評判のよいところで、値段的にもこなれているので決めた。ちなみに、宿代が2泊で9000ペソ、3食、4人で8000ペソ(1.5日分)、合計、17000ペソだった。必ずしも安くないが、この辺に立ち並ぶ宿はもっと安そうだ。          砂浜はWhite Beachとはちょっと言い難く、砂というより小粒の砂利に近い。ボラカイあたりと比べたら、2流のビーチで、スリッパを履いて歩くと砂利がかんで足が痛かった。波は少ないが、傾斜がきつくて、遠浅とはいい難い。 宿は、5人で一部屋を使ったが広々として清潔だった。もちろん温水シャワーなどはない。 海岸沿いに屋根付きのスペースがあってくつろげる。KIANもご機嫌だった。ビコールの農場にも、是非こんなスペースが欲しいと思う。 […]

バタンガス ライヤビーチ訪問 2015年11月5日