その他


私が覚えている限り、10年以上、荒れ果てたまま放置され続けたプールがいよいよ復活した。ここ2~3年、反対や賛成の張り紙や張り出され、ごたごたしていたのだが、ようやく工事が始まったのが、昨年の10月だった。そして、半年がかりで完成し、いよいよ、このホリーウイークに開放された。ホリーウイークの一週間は無料だったそうだが、KIANは農場で過ごしていたので、4月5日の最終日だけ、その恩恵に預かることができた。 早速、子供用のプールの縁に立ったKIANは大胆にもプールの中央にジャンプした。頭まで沈んでしまい、あわてたが、立てる浅さなので、事なきを得たが、KIANは恐怖で青ざめた。農場の簡易プールの深さはせいぜい1フィート(30cm)なので、転んでも水に浸かる程度だったから、KIANにとっては想定外の事態だったようだ。 プールの改装と言っても、床から壁、すべてを作り直すもので、費用は200万ペソもかかったそうだ。建設の当初から見守っていたが、従来の深さ、4フィートから6フィートを踏襲しているので、KIANが泳げるのは子供用のプールに限られる(それでも3フィートくらいの深さgがある)。大人用としても3フィートから4フィートあれば十分だと思うのだが、私の思いは伝わらなかったようだ。最近は、水の事故を防ぐために背が立たないようなプールを新規に作ることはない。 KIANは、毎日のようにプール遊びをせがむが、一日、一人150ペソ、ビアンカと双子、全部で600ペソは痛い。それで、ちょっとかわいそうだが、ビアンカとKIANだけに絞って、300ペソをビアンカに渡して、いつでもKIANが望むときに遊べるようにした。ちなみにプールは、隣のコンドミニアムパームタワーに所属しており、そこの住人は50ペソだ。月ぎめで1000ペソ/人くらいなら賄えそうなので、交渉したが、管理組合の役員会で相談するという。 それが、一週間経った今日、親しくしている向かいの弁護士で組合長さんが、特別に50ペソで遊ばせてくれることになった。ジェーンの顔がものを言ったらしい。その話をビアンカが持ってきて、300ペソの予算で双子も遊べるとうれしそうにしている。一人50ペソなら4人で200ペソ。これではOKをするしかない。 先日、にの腕に取り付ける浮き袋を買ってやったのだが、KIANまで見せてくれ、大分水に慣れてきたようだ。ちなみに子供用のプールの深さはKIANの肩まであって、顔を出すのがやっとだったが、今日は胸の高さに下がっていた。確かに水位を下げて浅くするという手があった。いずれにせよ、プールのある家に住みたいというKIANの希望がかなったのだ。 水泳は、年をとってもほどほどの運動で、私にも最適なのだが、いずれ近いうちに、KIANの水泳を指導してやり、一石二鳥を狙おうと思う。今日は、午前中は空手の稽古だったのだが、帰るやいなやプールに飛び込んで暗くなるまで過ごしていた。そうすると、夜もぐっすり眠って、KIANの成長にすこぶる望ましい。家の中に閉じこもって、パスコンでゲームをしたり、テレビで漫画を見ているよりも、どれだけましか計り知れない。 空手にプール、公文に公園遊び、ピアノにKizooona、さらに家庭教師に英語の読み書きを習うという5歳になったKIANの多忙な日が続く。しかも、ジェーンは、さらにお絵かき教室に通わせたいとまで考えているのだ。

コンドミニアムに待望のプールが復活 2015年4月12日


夕方、おせち会から帰ってくると、今度は、我が家での誕生会だ。昨夜、夜遅くまでかかって、ヤヤ・ドナとビアンカがケーキを作ってくれた。手作りのケーキなどは初めて経験で、感激ものだった。しかし、おせち会に行っている間に、双子がつまみ食いをしてしまって、半がけのケーキだったのが、少々気に障った。その点を追求すると、息子の恵之が食べたとの反論。息子に聞いてみると、彼らが、食べないかと誘ったそうで、しっかりと言い訳を考えて行動していた。10歳にしては、なかなかの悪知恵だ。一方、皆、おせち会で満腹だったので、料理は、ありあわせのそばゲッティ。参考ブログ「新作料理、そばゲッティ 2014年7月13日」参照。 KIANも、私の誕生会とわかっていて、しっかりと、「Happy Birthday to you, happy Birthday Dada」と合唱してくれた。   そのあとは、いつの間にかKIANの誕生会の様相を呈して、一所懸命、ろうそくを吹き消していた。さらに、KIANの提案で、電気を消して、ろうそくの灯りで食事。なかなかムードのある食事だった。

ささやかながら六十?回目の誕生会 2015年1月19日



1月11日、奇しくも六十?回目の誕生日にブラカンにお住まいの野畠さんに恒例のおせち会に招待された。毎年、招待されるのだが、遠いので、参加することはなかった。しかし、野畠さんとは長い付き合いであり、かつ、現在、とあることで、毎日のようにメールをやり取りをしているので、是非一度、訪問したいと思っっていた。しかし、自分の誕生日に一人で遠出するのも気が引ける。それで、野畠さんにジェーン一家も招待してもらえるかと聞いたところ、是非ということで決まった。ジェーン一家は、大の和食好きだから、寿司や刺身が食べ放題と聞いて、二つ返事だった。 話はずれるが、この日、行きがけに立ち寄ったガソリンスタンドでは、ガソリンは40ペソを割り、ジーゼルは30ペソを割っていた。従来、ガソリンは50ペソ、ジーゼルが40ペソを超え、三菱モンテーロを満タンにするのに2000ペソ程度かかっていたが、現在は1500ペソで済む。それが、翌日にはさらに5%ほど下がっていた(左のXCSの値段が48.65となっているのは、何かの間違いだろう)。原油価格の下落は、国際的な経済不安を引き起こしてはいるが、庶民としては、とりあえず喜ばしいことだ。 エドサを過ぎてNlex(North Luzon Express Wayエンレックス)に入るとまもなく、右に、巨大な建造物が見える。いわば東京ドーム、Arenaという屋根付きの競技場で、昨年、Iglesia ni Cristoという新興宗教団体の創立記念大会が開かれ、200万人の信者が集まったそうだ。 途中、道を間違えて、2時間ほどかかってしまい、KIANは退屈して、姉のキムと戯れている。田んぼや養魚池など、いかにも田舎の景色を過ぎて、ようやく野畠さんの家に付いた時は、予定時刻の12時半になっており、宴会は、すでにたけなわだった。 普段は、50人近い、招待客が来られるそうだが、今年は、20人程度に絞ったとのこと。それでも、刺身を含む、大量のご馳走とマカティスクエアのテッペンからやってきた寿司職人による握りたての寿司を堪能できた。       ジェーン一家には特別席が用意されていて、刺身と寿司のオンパレードだ。KIANはお年玉をもらって大喜び。 大きな庭の片隅には犬の墓があり、これを指し示して、ジェーンは農場に、私の墓を作ってくれると話していた。こうやって、死んだものと近くにいて、生前と同じ気持ちを持って接するのはクリスチャンならではなのか。 最後は、野畠さんを交えて、記念撮影だ。

正月恒例のおせち会に参加 2015年1月19日


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2009年3月にロングステイ財団、山田元部長の依頼を受けて以来、パスコは、ロングステイ財団公認マカティ・サロンとして6年間、活動を続けてきました。主な活動としては、毎年一回、日本で行われるロングステイフェアの出展、季刊誌ロングステイへの寄稿、その他、会員からの相談などで、フィリピンでのロングステイないし移住のための情報を提供することでした。 ロングステイ財団公認サロンとしての直接的なメリットは特にありませんでしたが、フィリピンをプロモートするものとして、いわば、ボランティア的な活動でした。 しかしながら、財団公認サロンとして看板を上げるとなると、ロングステイヤーの宿、観光、買い物、送迎などのお世話など、当社の主要業務(退職ビザ、会社、相続、登記などの行政書士的業務)とは相容れぬものがあり、少なからず負担となっていました。 しかも、何か不満があると(例えばPRAの手続きの遅れに対する不満など)、直接、財団にクレームされる始末で、当方としては、かえって財団公認サロンであることが足かせにさえなるという事例がでてきました。 そんな事情で、1月末を持ってマカティ・サロンは財団公認を返上しますが、パスコは「退職者の何でも相談所-パスコ・デ・サロン」として、従来と同様な活動を続けていきます。したがって、退職ビザの取得とそれに関連する各種手続き、不動産の購入にまつわる契約・登記手続き、会社設立、相続など、各種行政手続きに関しては遠慮なく相談においでください。 また、ロングステイ財団についても、公認サロンという立場ではなく、パスコとして、種々の情報を提供するなどの協力は続けていく所存です。

ロングステイ財団公認返上のお知らせ 2015年1月19日



台風22号(ルビー)が、何事もなく過ぎ去って、街はいよいよクリスマス一色だ。何とはなしに、街には人が溢れている。19日(金)、若い退職者のビザの発行を無事に終えて、3時ごろ、事務所に向かったが、タクシー待ちの人がたくさんいて、タクシーがどうしても拾えない。ちなみに、この日、相棒のジェーンが友人のクリスマスパーティのためにパラニャケに出かけてしまい、車が使えなかったのだ。仕方なく、歩きとジープの組み合わせ事務所に戻ったが、途中雨が降り始めた時は、少々あせった。ジェーン曰く、「クリスマスパーティ真っ盛りで、人々は忙しくて、仕事どころではないのだ」と。 今年の年末年始の休みは24日(水)のクリスマスイブの特別休日から始まる。そして、25日(木)がクリスマスで休日、26日(金)はブリッジ休み、27日(土)と28日(日)をあわせると実に5連休となる。 29日(月)は平日だが30日(火)は英雄リザールの処刑の日で休日、31日(水)は一年の締めくくりの日で休日、翌年、1月1日は新年の休み、2日(金)はビリッジ休み、そして3日(土)と4日(日)を加えて、これまた、実に6連休となる。 5連休と6連休の狭間の29日(月)に働こうとする人はいないので、結局、24日から4日まで、12連休を取る人がほとんどだ。ちなみに、23日(火)は天皇誕生日で、日本大使館は休み。そうなると22日(月)も休んで、20日(土)から4日(日)まで、16連休が実現してしまうことになる。そんなに休んだとしたら、その間、一体何をしたらいいのか悩ましい、あるいは、商売をしている人は、半月も営業を止めたら死活問題だ。 したがって、今年は、15日の週と、22日(月)、23日(火)そして29日(月)しか残っていないことになり、PRAの玄関には、今年は22日、23日、そして29日しか営業日がないこと、そして来年の営業開始は1月5日(月)であることを誇らしげにアナウンスしていた。 しかも、最近のニュースでは、来年、1月15日(木)から19日(月)までローマ法王が来比するということで、首都圏に大渋滞の発生がする恐れがあり、MMDA(首都圏開発局)が、その間、5連休にするよう大統領に提言することが決まったそうだ。こんな休みばかりで、フィリピン経済はどうなるのだろうかと、余計な心配をしたくなる。 一方、この年末年始の大型連休を前に、KIANと言えば、サンタの大きな靴下を毎朝、調べるのが楽しみだ。4歳と9月目を迎えたKIANは、靴下の中にプレゼントを見つけると、「サンタがくれた」と、疑いもなく喜んでいる。         PRAの玄関に誇らしげ掲げられた年末・年始の営業日のアナウンスは、当方にとっては非情とも映る(左)。KIANはサンタの靴下をクリスマスプレゼントを生み出す魔法の袋とでも思っているのだろうか(右) マカティ北に位置するロックウエルは元発電所、その跡地に20年ほど前、最高級のコンドミニアム街が出現した。パワープラント(発電所)モールは小さめながら、高級感を漂わせる。  すべての店はクリスマスの飾り付けで覆われ、そこかしこにクリスマスのオブジェがしつらえられている。            サンタの出現にKIANは大喜び、サンタはKIANに「月曜日には幼稚園に出かけて行ってクリスマスプレンゼントをあげるからね」とささやいた。もちろんこれはジェーンが頼んだもので、私がトイザラスで買ったトランスフォーマーのおもちゃのことをさしている。KIANは、そんな作り話を素直に信じて、両手を挙げジャンプして奇声をあげて喜んでいた。  

年末年始の大型連休 2014年12月14日


当社は2台の車を使って、退職者のサービスを行っているが、2台ないと毎日のサービスができないのだ。すなわちナンバー・コーディングという厄介なルールで、平日の一日は車が使えないのだ。一台はもっぱらジェーンの旦那のカーネルが使っているのだが、彼の場合は、国家警察の幹部なのでナンバー・コーディングも関係なくいつでも乗れる役得がある。 シニア・シチズンシップのおこぼれで、マカティ市内に限って、私が乗っているときだけは、このナンバーコーディングからは免除される恩恵によくしている。ただし、日本大使館や空港へ行くときなどはパサイ市になるので、使うことはできない。ホンダのCRVを使っていたときは、末尾番号が1と2で2台とも月曜に乗れないという馬鹿馬鹿しい状況にあったこともある。 そんなわけで、退職者のサービスに欠かせない車だが、持ち主のジェーンがそろそろ新車のSUVに替えたいと、これらの車を売りたがっている。希望売買価格はともに85万ペソだ。私としては、ナンバー・コーディングが適用されないPNP(国家警察)のナンバー・プレートをつけてほしいと願うのだが。一方、カーネルは当面タクシー通いとなるのだろうか。 三菱モンテーロ 3列シートで7人乗り、後部座席はフラットになり、多人数、多荷物、道路冠水時などには威力を発揮する。年式は2010年、走行キロ数は約55000km 三菱ランサー スポーティセダンタイプ、5人乗り。年式は2013年、走行距離は18700km足らず、ほとんど新車に近い

車売りたし 2014年10月19日



我が家があるマカティ、サンアントニオビレッジから歩いて5分くらいのところに日本食材店の老舗「はっちん」がある(カマゴンとセイクレッドハート通りの角の近く)。週に一度くらいは、私の朝食用に納豆や地鶏の卵などを買いに行くのだが、この日、久々に生うにがたくさん置いてあった。10cmx12cmx4cmくらいのタッパーにいっぱい詰まって、450ペソ。これはとばかりに買い求めた。良くみると、サーモンの刺身(120ペソ/100g)、マグロ、イカ、など刺身の具が色々おいてある。さらに奥には冷凍のしめさばなどもあり、まさに5点船盛りができそうだ。さらに塩サバも買い求めて、〆て1500ペソ。5点盛り、サバ塩焼き、うに丼、これを4~5人で食べると、おなじみのサイカの半分ぐらいで出費で済みそうだ。ジェーンは、もうサイカからのTake Outはいらない、これで十分と言っていた。 田舎からやってきているKIANのおばあさん(ジェーンのお母さん)も加えて、KIANの学芸会の後、サイカで食事。注文した料理は、刺身、サバ塩焼きなど、純日本料理ばかりだ。 はっちんに並んでいる刺身の材料。100gあたり100ペソはkg1000ペソになり、破格の値段だが、生で食べるためには必要なコストだ。 ここには海苔巻き弁当などもおいてあって他の日本食材店とは一線を画す。 我が家では、ジェーンが刺身大好きで、とりわけ、ウニとしめ鯖には目がない。カーネルは、毎回決まってサバの塩焼き定食だ。最近はキムも加わって、従来のビーフ鉄板焼きからサーモンの刺身、あるいはサバ塩焼きに乗り換えた。私は、もっぱら海鮮チラシ寿司だが、畑や海から取れたものをそのまま生で食べるのが一番と聞いているので、まさに、我が家の健康食のスターだ。 ちょっと多すぎて刺身で食べるだけでは終わらない。そのため、うに丼にしてたっぷり味わった。このうに丼を食べたキムが翌日、下痢に悩まされた。私はなんともないので、ウニの責任ではないと思うのだが、はじめて食べた大量のウニに胃がびっくりしてしまったのだろう。 ご存知の方もあると思うが、フィリピンではウニを日本に輸出している。だから、はっちんでウニがこんなに安く売っている。大分前にフィリピン人の友人とはっちんを訪れたら、ウニがあると感激していた。彼はウニが大好きなのだがなかなか手に入らないので、それ以来、はっちんを頻繁に訪れているとのこと。まさにウニ中毒なのだそうだ。 フィリピンのウニは、馬糞ウニというウニから採る。素手で持っても痛くない、とげの短いウニで、熱帯の海の2~3mの深さにいくらでもいる。昔、ポリリオ島に出かけた折、これをバケツにいっぱいとって、ホテルでさばいて、同行した日本人に振舞ったことがある。実が柔らかくて、採るのが非常に難しくて、小さなおわんに半分くらいしか採れなかったが、採れたてのウニの味は格別だった。

我が家はお刺身ブーム 2014年10月18日


フィリピンはサリサリ(何でもあり)とハロハロ(ごちゃ混ぜ)の文化といわれるくらい、フィリピン人にとってサリサリ(ストアー)は、なくてはならない庶民の味方だ。サリサリの売りは、日常生活に必要なもの、特に食品は何でもそろっていること。しかも、その日暮しの庶民が買えるように、最小単位でばら売りする。その最たるものが、タバコの一本売り、そして携帯のロードをペソ単位でチャージすることだ。さらに、24時間営業のサリサリもあり、まさにコンビニエント・ストアーの元祖的存在だ。 サリサリと並んで庶民の味方となっているのが、トロトロ(レストラン)で、フィリピン人好みの食事を格安で提供している。ちなみに、トロトロとは指し示すという意味で、並べられたおかずを指でさして買うことから、この名前がついている。 我が家のあるプライム・シティ・コンドミニアムの前のセント・ポール通りに出てみると、左右100mくらいの間に、約10軒のサリサリとトロトロがあり、どこも繁盛している。目の前がPhinesという24時間営業のパン屋さん兼サリサリ、その右は、サリサリ兼トロトロで、いつも人であふれている。ここの看板娘は双子のオカマで、カメラを向けると恥ずかしがって店の奥に逃げ込んでしまった。 セント・ポール通りを右に行くと、いくつかのトロトロに先に24時間営業のサリサリがある。店員はビコール出身だが、一度、農場のあるタバコの市街地でばったり出会って、こちらに微笑みかけてきた。数秒後、それが件のサリサリの店員とわかって、微笑を返すことができた。 私は、毎日最低5回は、このサリサリに足を運ぶ。目的はタバコの一本買いだ。箱で買うと、つい吸いすぎて、喉が痛む。そこで、禁煙ではなくて節煙のために、タバコを箱で買うことはやめた。事務所で仕事をしていて、タバコが吸いたくなったら、サリサリまで行ってタバコを一本買って、吸う。そうなると、なかなか本数が行かない。一日、2~3本でおさまることさえある。ちなみにタバコ一本の値段は4~5ペソ(10円強)で、一昔前に比べて倍くらいに値上がりしている。 小銭がないので、10本入りの箱を35ペソ(80円)で買い求めたら、店の子が、「今日は威勢がいいのね」という顔をして、目を丸くしていた。てっきり私がタバコを箱で買えない、困窮日本人かなにかとでも思っているらしい。フィリピン人は弱いもの、困っている人の味方だから、返って親しみを覚えているらしい。 ご他聞にもれず、糖尿病の予備軍の私の課題は、食事と運動だ。おかずは魚中心、毎日納豆を欠かさず、ご飯控えめの腹七分、それは、ほぼ達成している。一方、運動のほうは、ジムもトライしたが、ベルトの上をひたすら歩くような無機質な行動は耐え難く、三日坊主だった。かといって、散歩するにはマニラの町は環境がよろしくない。最近、なにか足の衰えを感じて、このままではいかんと思い悩んでいた。 しかし、タバコの一本買いの習慣が、思わぬ効用があることに気がついた。 私の部屋は3階にあるが、ビールを飲んで、タバコが吸いたくなると、わざわざサリサリまでタ バコを買いに行かなければならない。階段を下りて、セントポール通りに出て、サリサリまで、約250m、往復、約500mの道のりだ。それを一日、5回やっ たとすると、2.5km、約30分、4000歩くらい歩いていることになる。これに、仕事で出かけたときの歩数も加えると一日5000歩はくだらない。1万歩までは達しないものの、50%とは、まんざらでもない。 タバコが増えるのは健康に良くないが、それによって運動量が増すというプラスの効用もあることになる。まさに、株の信用取引のようなリスクヘッジになるというわけだ。

サリサリ・ストアの思いがけない効用 2014年9月28日



先日、新たに退職ビザをおとりになったかたから、大量のおそばをいただいた。早速、食べてみたが、大変おいしいので、周りのフィリピーノにも勧めたが、反応は今一だ。一人で食べていたのでは、100束くらいあるので、とても賞味期限内には食べ切れそうにない。 そこで、PRAの創立記念のおりに我が家に立ち寄った鏡さんなどの退職者の方に、おすそ分けをした。皆さん、そばが大好きと喜んでくれたが、まだまだ、大量にある。また、誰かにおすそ分けをしようと思ったら、ジェーンからストップがかかった。 子供達が、そばつゆのかわりにスパゲッティソースで食べたら、大好評だったというのだ。せっかくのそばをスパゲッティソースでは、誰しも、もったいないと思うだろうが、そばは健康によいし、KIANが喜んでいるとなっては、NOと言えない。実際に、食べてみると、たしかにまんざらでもない。名づけてそばゲッティは我が家の定番料理となった。 そばとスパゲッティソースの組み合わせ、まるでゲテモノのようだが、意外といける そばゲッティ・セカンドバージョン、私のために野菜たっぷりのそばゲッティを料理してくれた。 右は、お客さんのお土産のJaw Bonesという組み立ておもちゃに夢中のKIAN。色々組み合わせて形ができるので、レゴのように子供の創造力を養う教育的おもちゃだ。しかし、これが35ピース入りで5500円もすると後で知ってびっくりした。 先日、ラスピニャスにお住まいの退職者を案内して、ビコールの農場を訪問した。いずれ紹介するつもりだが、ジェーンがレガスピ市の丘の上の土地を手に入れて、その契約に行くというので、同行したものだ。ジェーンは、先日、3~4日、同じ用事で家を留守にしたが、KIANがさびしがっていたので、今度はKIANを同行したい。しかし、KIANの面倒を見る人間が必要なので白羽の矢が立ったのが私、いわば、子守(ヤヨ)として同行させられたのだ。 同行した退職者は、農場のお米がおいしい、そしてどの料理もおいしいと、大変喜んでくれた。そこで、お土産に2kgのお米をあげたのだが、その後も継続して買いたいという。そして、PRAの創立記念においでになったおり、ビコールの農場から送ってきたお米、5kgを46ペソ/kgで売ったのだが、しめて230ペソの売り上げ、この程度の収入ならプレゼントしたほうがましだと思った。 そのほかにも農場でとれた、アボカドとバナナが送られてきた。今まで、いつ農場に行っても、まだ収穫するには時期尚早で次回の楽しみとした。そして、次回行ってみると収穫も終わって何もない、ということが繰り返されてきたのだ。そこで、収穫したら、すべてマニラに送ることという指令をだした結果が今回だ。しかし、おすそ分けで、あっという間になくなってしまい、やっぱり、味わうことができそうにない。 農場で取れたアボカドとバナナ、おすそ分けで熟れる前に瞬く間になくなってしまった。 タガイタイから来た退職者の方からいただいたパイナップル。スーパーにあるものに比べて、外観がとても新鮮できれいだ。もちろん味も格別だ。右の写真はチョコレートとピリナッツ、カーネルのお母さんがつくったものらしいが、まるで砂糖の塊で、私には今一だった。 本文とはあまり関係ないが、ラスピニャスの退職者を訪問した折にたちよった日本料理店KEI。マカティスエアの本格和食レストランで食べなれている私には、ちょっと違和感のあるメニューだったが、味は、案外いける。お勧めの味噌ラーメンは昔、仙台のラーメン屋で食べた洗面器ラーメンのように大型だった。

新作料理、そばゲッティ 2014年7月13日


息子が一ヵ月ぶりに日本から帰ってきた。息子の帰還にはピザで歓迎するのが最近の我が家のしきたりだ。この日は、近所で見かけた張り紙のモンスターピザのを試してみることに決めていた。直径3フィート(90cm)の巨大なピザにいたく興味を引かれていたのだ。しかも888ペソは以外に安い。 午後の4時ごろ、キムに注文させたが、いくら待っても誰も電話に出ない。やっと出たと思ったら、マカティのサンアントニオに届けるのならば、別の電話番号にかけてほしいという。そうしたら、やはりうんともすんともない。やっとつながって注文したのだが、その間、約20分、自分が注文したら、とっくに切れてあきらめるところだ。しかし、そこは、待つことに慣れているフィリピン人は、根気良く待っている。ちなみにデリバリーには2時間かかるというが、夕食にはちょうど良い時間だ。 ぴったり2時間後、ピザが配達された。興奮気味のKIANは表に飛び出してきた。直径90cmのピザを家の中に運ぶのは容易なことではない。キムと二人がかりで運んだが、KIANがまとわりついて往生した。この巨大なピザは、まさに6人がけの円形のダイニングテーブルを占領したが、8種類の具が一枚のピザにしつらえられて、たっぷり10人前はある。一体こんな大きなピザをどうやって作るのか、一度製作現場を見てみたいものだ。 飛行機が遅れて6時の夕食時間になっても息子は現れず、待ちくたびれたKIANは箱の脇からピザをちぎって食べ始めてしまった。かわいそうなので、息子の帰還を待たずにピザパーティが始まった。パパカーネルとママジェーンは、友人のパーティで出かけていたが、この日は、特別と、禁酒令を破って、缶ビール開け、私もピザを食べ始めた。         食事を始めて、しばらくして息子が帰った来た。転げるように階段を下りてKIANが出迎え、クヤ・ケイシー(恵之おじさん)と叫んで、息子に飛びついて行った。KIANは息子が大好きなのだ。それから、食事が終わっても、KIANは息子から離れなかった。 ちなみに、ピザの生地は薄手で、フィリピーノの評判は大変良かった。KIANとなると相変わらずピザの縁の硬いところだけをほおばっていた。歯の矯正ブレスレッドで硬いものが噛み切れないキムははさみで細かく切って食べていた。私も食べ過ぎて、寝る前に血糖値を計ったら189もあってちょっと反省した。

モンスターピザに子供たちは大はしゃぎ 2014年3月23日