NHK BSプレミアムの毎週火曜の夜の番組、ヒューマニエンスで最近「言葉」と「文字」という興味深いテーマを連続で取り上げていた。要は「言葉が人間の思考を育み、文字が人間の文明を育んで人間と動物の違いを生み出し、現在の繁栄をもららした」というのである。ホモサピエンスが発生して20万年、言葉により、人間の思考が大いに発達し、道具を作り、効率の良い狩猟や耕作を行って、地球を征服した。一方、文字は、ピラミッドの時代から5千年程度の時間しか経っていないのだが、その間に人類はそれまでとは比べられない速度で高度な文明を築き上げた。 言葉は十数万年の時を経ているためか、子供は2~3歳でかなり流ちょうに話すことが出来るようになる。そして言葉を覚えて、思考力がついて、人間として成長してくのだ。一方、文字については、幼稚園ないし小学校で、子供たちは「いろは」ないし「ABC」を徹底的に叩き込まないと覚えることができない。これは文字を覚えるというDNAがないので、脳に無理やり押し込まないとだめで言葉の様に自然に覚えるというわけにはいかないのだ。 文字が生まれて5千年というが、庶民にまで文字が普及したのは、ここ数百年にすぎない。要は、人間は文字などなくても立派に生きていくことが出来たのだ。文字はつい最近まで権力者に独占され、庶民は読み書きができなかった。言葉と文字の違いは、言葉は、その人が死ねば、すべて消えてしまうが、文字は時空を超えて、広範囲にそして長期間、情報を伝達することが出来る外部記憶装置として、積み重ねが可能で、文明を構築する重要なツールとなった。 ヒューマニエンスで次に取り上げてもらいたいのが、「数字」だ。子供たちにとって、数字は、多分文字よりも難解で、たったの0から9しかないのに、小学校、中学、そして高校と延々と学ばなけれならず、誰しも途中で投げ出してしまう。日本の大学受験でも、数学ある場合は、志望校/学科から真っ先に外してしまう人が多い。フィリピンにおいては、小学校低学年でギブアップして長い生涯を数字から逃げ回って暮らす人が大半だろう。しかし、この数字こそが、現在の超文明ともいえるコンピューターの世界での要なのだ。ちなみにコンピューターは0と1しか扱っていないのだが、その威力は誰しもスマホで思い知っており、スマホ無しでは一時も過ごすことが出来なくなっている。 この言語、そして文字、さらに数字まつわる人類史を目の当たりにさせてくれるのが子供達だ。我が家の女戦士クッキーは最近6歳になって、小学一年生で、オンライン授業を受けているのだが、3歳のころから母親、顔負けの言い争いができる子で、我が家のボスに上り詰めるのも時間の問題と思われた。しかし、パンデミックで幼稚園が閉鎖されてり、オンラインの家庭教師を雇っていたものの、文字の学習が滞っていた。しかも、クッキーは小学校に入学してから、6歳の誕生日を迎えたので、多分、一年、早く入学したらしい。しかもろくすっぽ幼稚園の授業を受けていないから、算数の授業に全くついていけない。優秀で飛び級というならまだしも、年齢をごまかして、一年、早く入学するなんてことは百害あって一利なしだ。 さらに数字となると、ちんぷんかんぷんで私に白羽の矢が飛んできた。しかし、数えることさえらくすっぽできない子供に、1たす1は2といくら唱えてもらちがあかない。まして、引き算や二けたの数字なんて夢のまた夢だ。私は幼児に数の概念を教え込むというノウハウは持ち合わせていないが、このままでは、文字はなんとか覚えたとしても数字に関してはご多分にもれず、九九もろくすっぽできない普通のフィリピン人ンなってしまいそうだ。 いくら教科書の一桁足し算や引き算を繰り返しても数の概念が無いのだから、馬の耳に念仏だ。そこで、たまたま置いてあったFireman Ladder(すごろくの一種)という遊びに目をつけた。サイコロを二つ使って出た目だけ進む。階段のところで止まると、上にあがれて、棒に止まると滑る落ちてしまう。これを大いに気にいったクッキーは、毎日やりたいやりたいとねだる。数百回も繰り返しただろうか、数というものがなんなのか、そして1から6の足し算はすらすらできるようになった。子供が知識を蓄えるには遊びが一番で、楽しいから覚える、いやいや、やらされたのでは、何の足しにもならないどころか逆効果だ。 しかし、オンラインスクールの方は、二けたの足し算や引き算に進んでいて、すごろくでは12までの数字しか出てこないから、クッキーは相変わらずちんぷんかんぷんだ。そして、コインを使って、買い物ゲームをすることにしたが、一ペソが10個で10ペソ、10ペソコインが5個で50ペソ、10個で100ペソ、さらに10ペソコインが5個と1ペソコインが3個で、53ペソとなるというようなことがクッキーには、どうしても理解できない。このままでは将来、お金が数えられない大人に育ってしまうと危惧される。 オンラインスクールといえば、二桁の足し算にバンバンと先へ進んでいるようだが、ママ・ジェーンはオンラインに後れを取らないように強制的に答えさせようとする。クッキーとしては、いくら怒鳴られてもわからないものはわからないから、対応のしようもない。挙句の果てには、ひっぱだいたりしていたが、まさに愚の骨頂で、クッキーは数字がトラウマになって、算数というだけで、逃げ回るようになるのは必定だ。その結果、自ら算数を教えることをギブアップしたようで、それ以来、口をはさむのやめて、兄のキアンに任せてしまった。 文字の方はどうなんだとキアンに聞くと、数字に比べてはましで、そこそこ上達はしているらしいが、ちょっと長い単語は読ませると、口でもごもご言ってごまかしているらしい。あれだけ流ちょうにしゃべれるのにと、変に感心するが、言葉の十数万年の歴史と文字の数百年の歴史の差なのだろう。一方、数字に至っては、フィリピンではまだまだ庶民レベルでは使いこなしているとはいいがたい気がする。しかし、今では計算機というものがあるから、なんとか辻褄を合わせることが出来ているようだ。キアンに至っては、幼稚園からの公文から始まって、パンデミックの3年間私がじっくり仕込んだので、なんとか追っついているようだが、クッキーについては、なるようにしかならないのだろう。 2019年11月生まれで、パンデミックの最中に育ったココは、つい最近まで、外出ということを知らず、家に閉じ込められていた。今日、3歳の誕生日を迎えるココ(Bernard 3rd、因みにキアンはBernard Jr.で実に親子3人が同じ名前なのだ)は、いまだに言葉を使ってしゃべるというには、ほど遠い。ようやく、周囲の人間をダダとかヤヤとか呼べるようになったところで、半年くらい前から、異常ではないかと、幼児の会話教室に週2回通わせられている。そのおかげで「what […]