ニュース


5月9日の統一選(大統領選)は、事前の支持率調査の通り、ドテルテ候補(現ダバオ市長)の圧倒的勝利に終わった。それから2週間、新聞(マニラ新聞)では、毎日、ドテルテ新大統領に対する期待の記事が掲載され、選挙前の批判、懸念の記事はほとんどない。巷の人々も、国民が民主的に選んだ大統領ということで、まずは期待の目で見守ろうといういう声が多く、国民そして政財界が新大統領を受け入れた格好だ。 高らかに勝利宣言をするドテルテ候補 一方、副大統領は現政権の信任を得たロブレド候補(現下院議員)が僅差でリードしているが、対立候補のマルコス候補(現上院議員)は選挙集計に不正が行われたとして、追求の構えを崩さず、泥仕合の様相を呈している。しかし、悪あがきといった見方が一般的だ。 その他着目すべきは、上院議員選挙ではボクシング界の英雄、パクヤオ候補(現下院議員)が12名の改選に対して第7位で当選を確定した。一方、ビナイ副大統領(今回の大統領選で敗北)の次女のアビー・ビナイがマカティ市長に当選したが、それを不服とするベニャ候補(現市長)を支持する市職員が選挙に不正が行われたとして職場を放棄するなどの混乱が生じている。さらにフィリピンで初めてとなるトランスジェンダー(オカマ)のジェラルディン・ロマンがルソン島バタアン州から立候補し下院議員に当選した。 以下は投票日以降のマニラ新聞の一面の見出しだ。 5月10日(火):新大統領にドテルテ氏ー比国民、変革に期待 5月11日(水):連邦制移行に意欲、会見へ制憲議会立ち上げも(ドテルテ市長)、会見で敗北宣言(ロハス、ポー両氏)ードテルテ市長を祝福 5月12日(木):円滑な交代を約束(アキノ大統領)、米中両国が期待感、マルコス氏が不正疑惑指摘ー中央選管は反発 5月13日(金):治安向上と発展で支持拡大ー真の分権実現に夢託す(ダバオ市民が語るドテルテ氏)、ドテルテ氏当確を歓迎ー専従民族と欧州連合が声明 5月14日(土):大統領選を振り返って、異端の指導者を押し上げた30年の怠慢(解説) 5月15日(日):休刊日 5月16日(月):犯罪者は命を失う、撲滅に決意を再表明(ドテルテ氏)、選挙プログラム修正に物議(マルコス副大統領候補) 5月17日(火):死刑復活を表明(ドテルテ市長)、ドテルテ市長と会談(日本大使)-事実上の当選を祝意、悪徳警官をあぶり出しー国家警察が内部捜査開始ードテルテ氏発言を受け 5月18日(水):ドテルテ氏の豪腕に期待(日本商工会議所藤井副会頭) 5月19日(木):差別乗り越え下院で当選ー比初のトランスジェンダー議員、オバマ米大統領が祝意表明ードテルテ氏と電話会談 […]

統一選(大統領選)のその後ードテルテ効果 2016年5月22日


5月9日行われた統一選挙の投票は、即日開票が行われ、夜のテレビでは早くもドテルテ候補の大統領当選確実との報が流れていた。開票結果の途中経過では、事前の支持率調査と全く同じで、ドテルテ候補は圧倒的な優勢を誇り、いよいよドテルテ大統領が実現することになった。一方、アキノ路線を踏襲するロハス候補とポー候補は、アキノ大統領が投票直前に候補者を一本化するよう働きかけたとおり、二人を合わせれば、ドテルテを辛うじて上回る票となっている。しかし、政財界はダーティハリーを標榜するドテルテ候補に大統領としての資格があるのか、疑問ないし反発しているので、このまますんなり政権交代が実現するかどうかは予断を許さない。 開票結果を速報するABS-CBNのキャスター 事前の支持率調査に比べて、ビナイ候補の票がドテルテ候補に流れているようだ(午後10時の集計) 約40%の票を集めて独走するドテルテ候補 事前の調査どおり20%強の票を集めているロハス候補 やはり20%強の票を集めたが選挙戦開幕当時の勢いは復活しなかったポー候補 選挙戦終盤、失速して15%弱の得票率にとどまっているビナイ候補 予測どおり一桁の得票率に終わったサンチャゴ候補 翌、10日、順調に票をのばし、支持者に囲まれながら、高らかに勝利宣言を行うドテルテ候補 一方、副大統領はマルコス候補と与党公認のロブレド候補の一騎打ちとなっている。9日夜の時点ではマルコス候補が僅差で首位となっていたが、10日の朝では同じく僅差でロブレド候補が首位に立っていた。副大統領選は最後まで予断を許さない状況だ。政界の異端児のドテルテ候補については、現政権も懸念を示し、ドテルテ降ろしののろしを 上げている。しかし、ボンボン・マルコスが副大統領に地位にあったのでは、かつてアロヨ大統領がそうであったように、ドテルテ降ろしは、返って宿敵マルコ ス政権の復活の手助けをしてしまうことになりかねない(アロヨ副大統領は、2001年、エストラーダ大統領をエドサ革命2で大統領の座から引きずり降ろ し、自らが大統領に就任し、以降、2010年、ノイノイ・アキノが政権につくまで、腐敗政治を続けた)。その点、現政権よりのロブレド候補が副大統領になれば、ドテ ルテ失脚というシナリオにおける切り札に使うことができて、大統領選の行方以上に重要な役割を担うことになる。 上位二人マルコスとロブレドは僅差で争っている […]

ドテルテ候補が新大統領に当選 2016年5月10日



昨日まで、街頭そしてテレビで熱戦を繰り広げていた統一選(正副大統領、上院、下院、正副知事、州議、正副市長、市議、正副町長、町議、合計約1万8千議席)が、いよいよ投票日を迎えた。この日のために多くの有権者(18歳以上)は投票をするために田舎に帰り、投票率は70%を優に越えるそうだ。フィリピンでは、その地に6ヶ月以上住んでいないと投票権がないためだが(ちなみに候補者は10年)、投票日はマニラが空っぽになる。投票の結果は締め切りから24時間、11日の朝に判明するとのことだ。 選挙の宣伝カーは意外と少なく、党派ごとの演説集会とポスターが選挙運動の主体だ ここのところ暑い日が続いているので、サリサリは選挙ポスターを日よけに使っている 投票までの手続きはこうだ。①選挙権を満足する証明を提出して事前に登録する ②自分の整理番号を掲示板から探す ③受付で整理番号とIDを示して本人確認を行い投票用紙をもらう ④投票用紙に目当ての候補者に印を付ける ⑤投票用紙を機械で読み取ってもらう ⑥プリントされた投票の記録をもらって再度投票箱に提出する ⑦ 投票終了のマークを手に記してもらい二重投票を防止する 投票所に掲げられた投票の手順(タガログ語なので私には意味がわからないが) 掲示板のリストから自分の名前を見つけ、番号を確認する(日本のように投票のための通知は来ない) 番号を確かめ投票用紙を受け取る 統一選のため、大統領以外にも大量の候補者の名前に印を付けなければならない 投票用紙を自動的に読み取る機械(人の手を介さないので不正は起きようがない、ような気もするが蛇の道はへびらしい) 選挙となると熱くなり、暴力沙汰がおこることもしばしばで、前日からアルコールの販売や、店でアルコールを提供することは禁じられている。いわゆるアルコール・バンだ。しかし、外国人は大目に見られているようで、日本レストランではアルコールを提供しており、逆に多くの日本人以外の客もたくさん訪れていた。 コンビニ入り口のアルコール販売の禁止を告げる張り紙 コンビニの張り出しによると、アルコールの販売禁止は、5月8日12:00amから5月9日11:59pmとなっている。この場合、私には、8日の昼から9日の夜中までの一日半、販売禁止と読める。一方、マニラ新聞には8日の午前0時から10日の午前0時まで丸々2日間の販売禁止となっており、これが正解だ。フィリピンでは0時という表記をしないので、12:00amは午前0時の夜中のことで、12;00pmは逆に午後0時の昼間をさすのだ。だから気をつけないと深夜と昼を取り違えてしまう。いっそ、24時間表記を広めたらこんな混乱はなくなると思うが、フライトが1500や2300などと書いてあると、ほとんどフィリピン人は一体何時なのか理解できない。 コンビニのアルコール売り場は覆いをかぶせている 普段は渋滞がひどい月曜、早朝のパソンタモ通りに車の陰はほとんどない 私の住んでいるサンアントニオ・ビレッジにはビナイ大統領候補(現副大統領)が住んでいる。投票所のちょっと先には別の投票所(双子の片割れアリアの通う学校)があり、そっちを覗いてみた。投票所(学校)の至近距離にはビナイ候補の邸宅があり、ひょっとしたらビナイ候補の投票にでくわすかも知れないという魂胆だ。 […]

統一選(大統領選)がいよいよ投票日を迎えた 2016年5月9日


1
4月24日(日)、次期大統領選候補者の最後のテレビ討論会がルソン地方パンガシナン州のパンガシナン大学で行われ、人々はテレビにかじりついてその中継を固唾を呑んで見守った。来月5月9日の投票日まで後2週間を残すばかりとなった大統領選の行方に人々は興味深々だ。現在支持率一位はドテルテ候補(現ダバオ市長)、副大統領はマルコス候補(現上院議員)だ。ドテルテはダバオ市長として治安の向上に貢献したが、そのやり方はダーティハリーそのもの、また、女性を侮蔑する発言で物議をかもすなど、共和党アメリカ大統領候補のトランプにイメージが重なる。マルコスは言わずもがなの21年間の独裁政権を率いた元マルコス大統領の跡継ぎだ。このいわくつきの候補者は果たして一国を率いて行く資格があるのかとメディアは批判を浴びせている。 左からビナイ候補(現副大統領)、サンチャゴ候補(現上院議員)、ドテルテ候補(現ダバオ市長)、ポー候補(現上院議員)、画面から外れているのがロハス候補(前内務自治長官)だ。 ドテルテ候補は、ダバオ市で長年暗躍している「処刑団」(その犯行とみられる超法規的殺人事件が1998~2015年の18年間に1424件発生している)とのに関与が指摘されている。さらに選挙演説中に発した冗談について、オーストラリア政府、宗教団体、他の大統領候補から不適切な発言と糾弾ののろしが上がっている。その冗談とは、彼が市長に就任した一期目、1989年にダバオ市の刑務所で発生したオーストラリア人女性の人質事件に触れ、「なんてこった、やつらは彼女を強姦して殺した。彼女はとても美しかった。やつらは俺より先に彼女に手を付けた」だ。上記の失言にもかかわらずドテルテ候補は支持率第一位34%を維持しているが、庶民はそんな発言をする候補に寛容で、強い指導力のある人物を好ましく思っているようだ。 ドテルテ候補はその強力な個性で支持率をあげ、他の候補を引き離している 支持率2位(22%)はポー候補(現上院議員)。その清廉で潔癖なイメージで当初は支持率一位を維持し、アキノ現大統領の影の後継者と言われている。しかし、たった4年の政治暦では、いかに清廉潔癖でも一国を率いて行く指導力があるのか、疑問符が投げかけられている格好だ。 清廉潔癖を売り物にするポー候補。捨て子が大統領に、という夢をかなえることができるのか 支持率第3位(19%)はビナイ候補(現副大統領)。当初、支持率一位を誇ったこともあったが、アキノ政権の汚職キャンペーンが功を奏したのか、支持率は低迷し、ドテルテ候補に水を開けられている。 汚職という思い看板を背負ってビナイ候補は復活することができるのか 支持率第4位(18%)はロハス候補(前内務自治長官)だ。アキノ大統領の後継者として現政権の支持を受けているものの、当初から支持率第4位を抜け出せないでいる。ロハス元大統領の孫という家柄からか、高慢というイメージがあって庶民の支持を得ることができないでいる。 貴公子ロハス候補は庶民の支持を集めることができない 支持率第5位(2%)はサンチャゴ候補(現上院議員)。その毒舌とユーモアで有名な上院の長老だが、肺がんで生死をさまよい、今回の討論会もようやく参加することができた。かつて2回の大統領選に打って出て毒舌で人気を博したが、過去の人との感がある。 ユーモアにあふれる毒舌で人気のサンチャゴ候補は、もはや過去の人か 副大統領候補は、マルコス上院議員が支持率29%で一位、ロブレド下院議員支持率23%で2位、エスクレド上院議員が支持率20%で3位、カエタノ上院議員が支持率16%で第4位とマルコス上院議員が抜け出している。マルコス独裁政権の21年間がフィリピンの黄金期だったのかあるいはまた暗黒期だったのか、庶民にとっては別世界の出来事と映っているようだ。 我が家の近くの交差点を閉鎖して設けられたステージでビナイ・グループの選挙運動。空席が目立ち、今一盛り上がりに欠けていた まん前で開かれた選挙集会のおかげでかき入れ時と張り切るトロトロレストラン

四つ巴の大統領選の行方 2016年4月26日



2月25日(木)はエドサ革命記念日で祝日だ。エドサ革命とは30年前(1986年)、1965年以来21年間続いたマルコス大統領の独裁政権を打倒した、ピープルズ・パワー革命とも呼ばれる政変の記念日だ。この政変は、上院議員だったベニグノ・アキノ(通称ニノイ・アキノ、マニラ国際空港は彼の名をとってNinoy Akino International Airport(NAIA)と呼ばれる)が1983年、死を覚悟して帰国し、飛行機からおりるタラップで射殺されるという事件に端を発している。そして夫の遺志をついで大統領選に立候補したコーリー・アキノに対しマルコスが当選とされた選挙を不正として、ラモス(コーリー・アキノの次の大統領)などの将校がキャンプ・アギナルドに立てこもり、それを民衆が取り囲んで守り、マルコスを国外においやった無血革命だった。 首都圏、マカティのアヤラとパセオデロハ大通りの交差点にあるニノイ・アキノの像 首都圏のバイパス、エドサ通りのキャンプ・アギナルドに隣接した広場に置かれたピープルズ・パワー・モニュメント、左端の像が英雄ニノイ・アキノだ この記念日に現大統領のノイノイ・アキノ(コーリー・アキノ元大統領の息子)が演説で強調したのが、マルコス独裁政権の批判だ。 コーリー・アキノのあと、ラモス元大統領は名宰相と呼ばれたが、その後の大統領、エストラーダ(現マニラ市長)、そしてアロヨ(服役中)は汚職にまみれ腐敗した政権だった。それを嘆き悲しんだコーリー・アキノが亡くなったのが2009年で、その葬式は国葬を上回る国民葬で、全国民がフィリピン最後の英雄との別れを惜しんだ。そのブームにあやかって、翌年の2010年の大統領選挙では息子のノイノイ・アキノが圧勝した。そして6年がたった今、マルコスの実の息子、ボンボン・マルコスが副大統領に立候補して、しかも現在支持率一位で、アキノ現大統領が危機感を募らせているのだ。 マニラ大聖堂からマニラ・メモリアル・パークまでの21km、8時間の行進に、沿道は20~30万の人々で埋めつくされた。 コーリーアキノの娘、人気女優のクリス・アキノが母を語る姿はテレビを独占した エドサ革命から30年、国民の半分以上は、この政変後に生まれた。また、選挙権を持っている18歳以上の国民の半数近くがこの事件の記憶はないだろう。一方、マルコス時代は、古き良き時代、フィリピンの黄金期という認識も出てきている。これは、エストラーダ、アロヨと続いた腐敗政治、そして現アキノ大統領になっても、これといった変化はないという、国民の率直な感想だろう。マルコスのような力強い指導者を期待している面があり、その証拠に、ダーティハリーの名をほしいままにしているダバオ市長のドテルテ大統領候補も人気が高い。アメリカ大統領の共和党候補のトランプ人気に通じるものある。 ルソン島北部、北イロコス地方のラワグ(Laoag)はマルコスの出身地、そこにはマルコスの像が高々とたっている マルコスの廟には、今でもマルコスの遺体が安置され、参拝することができる マルコス一家の故郷、北イロコス地方およびラワグ市は、今でもマルコス一家の人気は高い。2010年の選挙では、マルコスの妻、イメルダが下院議員、息子のボンボン・マルコスが上院議員、そして娘のアイミーが知事に当選して、まさにこの地方の支配者として君臨した。1990年代、イメルダが亡命先のハワイからフィリピンに戻ってきたとき、人々(特に貧困層)は「Well Come […]

エドサ革命とマルコスの復権 2016年2月28日


2月9日、選挙まで3ヶ月を残し、いよいよ大統領選挙を含む統一選の選挙運動が解禁された。統一選挙の詳細は、ブログ「四つ巴の大統領選の火蓋が切って落とされた2015年10月18日」参照 2月9日、早速、主だった大統領候補が一声をあげたが、国民の直接選挙で選ばれる大統領選挙の行方は、数で圧倒する貧困層をいかに取り込むかにかかっており、いわば人気投票の様相を呈す。したがって、各候補はスコーターエリア(スラム)のあるキアポ、トンド、マンダルヨンなどの広場あるいは大通りを遮断して特設ステージを設置し、人気タレント等によるショーまがいのパーフォーマンスを繰り広げた。 有力候補は、ポー上院議員、ビナイ副大統領、ロハス前内務自治長官、ドテルテ・ダバオ市長、サンチャゴ上院議員だが、支持率上位のポー、ビナイ、ロハス、ドテルテの四つ巴の混戦といえる。ちなみにドテルテ候補はダバオ市長への立候補を表明していたが、その後、代理出馬の名目で大統領選に加わった。 支持率一位のグレース・ポー上院議員は2004年の大統領選でアロヨ元大統領と一騎打ちを演じた国民的人気俳優だった故フェルナンド・ポー・ジュニアの娘。前回の上院選でトップ当選、3年の任期を残して大統領選に出馬した。政治家暦は4年だが、清廉なイメージと亡父の人気で、高い支持率を誇る。教会前に捨てられていた孤児であり、大統領としての資格=生まれながらのフィリピン国民、という条件を確認できないということで、現在、最高裁で立候補資格を審議中だ。追記;3月8日、最高裁が立候補資格を認める判決を下し、大統領候補の筆頭に躍り出た。 ポー候補は庶民の信仰を集めるキアポ教会の前で7千人の支持者を集め、副大統領候補のエスクデロ上院議員、12人の上院議員候補らと演説を行い、支持を訴えた。 下の写真は前回の選挙(2010年)のもので、今回の選挙戦のものではありません。 大通りを仕切って作った特設ステージには数千人の聴衆が集まっている。その目的は有名タレントによるショーだ 前回の調査で支持率1位だったジェジョマール・ビナイ副大統領は、元マカティ市長、1989年以来、マカティ市の発展に寄与したという実績で、6年前、副大統領の地位を獲得した。しかし、マカティ市長時代は、あるいは息子の現マカティ市長らの汚職疑惑で現政権に攻撃され、きわどい状況にある。 ビナイ候補はマンダルヨンの大通りを遮断して特設ステージを設置し、18,000人の聴衆に支持を訴えた。もちろん音楽ライブで聴衆を楽しませることは欠かせず、ボクシング界の国民的英雄パッキャオ下院議員(今回は上院議員に挑戦)も応援に駈けつけた。 ダンスやタレントによる歌とトークショーに聴衆は盛り上がる。ちなみに下のタレントはいまやフィリピンNO1の人気タレント、オカマのバイス・ガンダだ    ロドリゴ・ドテルテ・ダバオ市長は20年以上、市長としてダバオ市を支配、もっとも治安の良い都会との定評を築き上げた。その方法と言えば、本人が「自分が大統領になったらマニラ湾が死体で埋まるだろう」と明言するよう、犯罪者を抹殺してしまうことだった。 その豪腕ぶりに、支持者も多く、東洋一のスラムと呼ばれるトンドで行われた演説に3000人の聴衆が聞きほれた。私がヒアリングをした限り、周囲のフィリピン人はドテルテ候補を支持すると明言している。はっきりした政治目標を表明・達成できない現政権に対して、犯罪撲滅という明快な主張は、実にわかりやすい。危険、汚い、金欠の3Kのフィリピンのイメージも向上するに違いない。 CIMG0184 (クリックして動画を見てください) […]

四つ巴の大統領選の火蓋が切っておろされた(その2)2016年2月13日



17日(火)から始まったAPECは、一週間、首都圏に未曾有の渋滞をもたらした。14日(土)は、まだまだ大丈夫だろうと空港の先までタクシーで出かけていった。しかし、すでに各国の閣僚がフィリピンに到着し、幹線道路が封鎖されていた。そのおかげで、走ったこともない裏道を迂回するはめになり、かつその迂回路が大渋滞してにっちもさっちもいかないはめに陥っていた。   反対側のマカティに向かう高速道路は車が糞詰まりの状態だった(左)。郊外の道路沿いには塀の小屋を作って人が暮らしていた。 その帰り道は、APEC中は前面封鎖される予定のロハスブルバードが通行可能でバクララン、大使館、そしてブエンディアを経由して戻ってきた。その間、すでに警備は始まっており、APEC中、25000人が全国から動員されたという警官が警備につきはじめていた。 会場に近いロハスブルバード通り沿いには多くの兵士が警戒の準備をしていた(左)。庶民の買い物どころバクラランには屋台が一層されて普通の町並みになっていた(右) エドサ通りとロハスブルバード通りの立体交差からながめると、エドサ通りはすでに閉鎖されていた(左)。日本大使館はロハスブルバード沿いにあるためにAPEC開催中は回転休業となる(右) 16日(月)はAPECの休日の前日だったが、夕方のマカティは、ほとんど車が動かず、歩いてマカティを縦断して約束のマカティアベニュー沿いのTIANTIANレストランにたどりついた。朝方、健康のためにPRAまで歩いたので、その日は、2回もマカティを歩いて縦断するはめになってしまった。 17日(火)から20日(金)はAPECの4連休で、17日(火)と18日(水)は家でじっとしていたが、19日(木)と20日(金)は息子のたっての願いでプエルトガレラのビーチリゾートに行く事になった。もしやの事態にそなえて、ボボイに送り迎えをさせたが、案外とスムーズに帰ってくることができた。しかし、20日(金)は各国首脳が帰国する日で、ゲリラ的に幹線道路が閉鎖されて、ひやひやの連続だった。 APEC専用レーンが設けられた高速道路。APECのために訪問した各国の首脳陣を拝めることなどはできないが、庶民はその形跡を垣間見るだけだ

APECで未曾有の交通渋滞 2015年11月30日


11月、世間を騒がせたのが銃弾所持事件だ。多くの旅行者が銃弾を保持していたということで空港の検閲で逮捕、送検された。旅行者ばかりではなくて、出迎えに来た人まで、手荷物検査で銃弾が発見され捕まった。 ほとんどの人は実際に銃弾を所持しており、お土産、あるいはお守りのために常時所持していたものだった。通常、ナイフなどを所持していた場合は、没収となるだけだ。しかし、銃弾となると、悪質とみなされた場合、送検される。例え送検されなくても数時間の足止めを食らい、旅行が継続できなくなり、大迷惑だ。なかには、自分は銃弾など所持していない、空港職員が隙をみて荷物に紛れ込ましたものだと主張した。その目的は、荷物検査で銃弾を発見して、それを見逃す代わりに何がしかの謝礼を要求する手口だ。 私も、息子からプレゼントされた小さめのアーミーナイフを常にポシェットに入れて所持していた。そのまま飛行機に乗ろうとして、検査に引っかかってしまった。離れたところに連れて行かれて、ポシェットの中を開けるように要求され、アーミーナイフが出てきた。その時、頭をよぎったのが、お金を渡して見逃してもらう手だ。1万円はする代物だから、500ペソくらい払っても痛くない。しかし、躊躇している間に没収されてしまった。そのあと相棒のジェーンに相談したら、すぐに件の空港職員を呼びつけて、探すよう指示し、10分くらいで出てきて、500ペソ支払って返してもらったが、さすがジェーン姉御だった。大分前には爪切りをとがめられて500ペソを支払ってことがある。この爪きりは20年位使っているドイツ製の一品で私の宝物の一つだったのだ。 ターミナルの外は旅行客および出迎え人でごった返す。中にはカバンをテープでぐるぐる巻きにしている人もいる 荷物検査で危険物が出てきた場合、それを見逃す代わりに金銭を要求するのは日常茶飯事で、空港検査員の貴重な収入源だ。そのため、銃弾を旅行者のカバンに忍び込ませて、それを荷物検査で発見し、金銭を要求するというマッチ・ポンプの疑いが庶民の間に広がった。空港警察と空港職員がぐるになっての犯行ということで、空港職員と警察の権威が失墜し、話は、大統領まで上っていった。この事態に、司法省が検事を送り込んだり、事件の再発を防止するために大幅な空港警察の増強が行われた。 ターミナルを巡回する警察官はどういうわけか若手で、悪しき風習にしたっていない若者を起用しているようだ。 しかし、空港警察員が増えると庶民は、さらに恐れをなすという悪循環となり、空港職員は無実を訴えて集会を行い、大統領は、フィリピンの空港は安全という宣言を行って、観光客の減少を食い止めようとしている。 空港に行くと荷物をテープでぐるぐる巻きにして銃弾を紛れ込ますことができないないようにしている人も目立った。また、空港内の待合室に入るためには荷物検査があるので、中に入らないで外で待つ人も目立った。庶民は、警官が銃弾を荷物に忍び込ませて、検査員が発見して金銭をせびるという話を信じて疑わない。  

銃弾所持事件で空港の権威が失墜 2015年11月30日



APEC 直前、国家公務員の給与が大幅にアップされるという法案が国会に提出され、年内可決を目指しているとの報道があった。民間の給与水準との大きな格差により、汚職を必要悪とみなす風潮が強かったが、それを是正して汚職撲滅を目指すという主旨だ。 ちなみに大統領は現在の月額16万ペソ(約42万円)が4年後には2.5倍の40万ペソ(約109万円)と大幅増となる。下級の公務員はアップ率が低く、4年後で20%程度。対象は国家公務員153万人、それに地方公務員が対象で、国民(就労者)の一割程度が恩恵に預かることになるだろう。 初年度580億ペソ(1500億円)、4年間の総額は2258億ペソ(5900億円)に達する。ちなみにフィリピンの国家予算は約2.6兆ペソ(6.8兆円)で、その8%に相当する。(2015年11月30日現在、1ペソ=2.6円) ------------現在の給与--------4年後の給与--ーアップ率 一般職員(一等級)   9000ペソ(23400円) ⇒ 11000ペソ (28600円) 22% 部長クラス(24等級) 56000ペソ(145600円)⇒ 93000ペソ(241800円) 66% 局長クラス(28等級) 88000ペソ(228800円)⇒153000ペソ(397800円) 74% 兵士・巡査       15000ペソ(39000円) ⇒ 16600ペソ (43160円)  11% 大尉・警部       39000ペソ(101400円)⇒ 56600ペソ    (147160円) 45% 参謀総長・警察長官 82000ペソ(213200円)⇒ 150000ペソ(390000円)83% 下級公務員あるいは兵士や警官のアップ率はわずかで、相変わらず日本の給与水準の10分の一程度だ。しかし、高級公務員や軍・警察の幹部は5分の一程度で物価水準を加味すると日本と大差のない生活水準が維持できるだろう。裏を返せば、これら高級官吏の給与・モチベーションを上げて汚職をなくそうということなのだろうが、高級官僚=権力=汚職という構図が見えてくる。 […]

公務員の給与が大幅アップ2015年11月30日


APEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議が開催される18日(水)と19日(木)は休みとなると発表されていたが、このほど、その前後17日(火)と20日(金)も休みとなるという情報を退職庁(PRA)からもらった。民間会社は、2日間だけの休みだそうだが、役所と学校は4日間休みとなり、その後の土日を含めるとなんど6連休となってしまう。 PRAの入り口には17日から20日まで事務所が閉鎖されると誇らしげに通知されている 今年1月のローマ法王の来訪で、15日(木)から19日(月)、土日を挟んで5連休という事態があったが、それを上回る暴挙だ。経済協力会議もいいがフィリピン経済に与える影響は甚大なものになるのではないか。 それに伴って16日(月)から20日(金)の一週間は、航空各社の大幅な欠航があり、マニラ国際空港は、ほとんど閉鎖状態になる。したがって、この期間にマニラを訪問あるいは日本に帰国予定の方は、航空会社とよく連絡を取って運行を確認する必要がある。一方、空港からマニラの足については、ほとんど欠航しているので、案外すいているかもしれない。 さらにまた、マニラ湾沿いの大通り、ロハスブルバードは16日(月)から20日(金)まで全面的に閉鎖される。そうなると日本大使館も一週間、開店休業となってしまうので閉鎖せざるをえないだろう。ちなみに空港からマカティへの道は閉鎖にはならないようだが、マニラ方面はロハスブルバードが閉鎖されるので大きく迂回しなければならないだろう。 当方としては、20日(金)にビザを発行予定の退職者がいて、2日間の休みはなんとか吸収出来ると一縷の望みを託していたが、さらに二日間の休みとなると、絶望的だ。さらにまた、まさにAPEC週間の初日の16日(月)に入国して、ビザの申請をしようとしている退職者も、一週間、スタンバイの憂き目にあってしまうことになる。 16日(月)は、役所は、今のところ開く予定だが、どれだけの職員が出勤するか、果たして役所が機能するのか、当てにはならない。そうなると、役人は14日(日)から22日(日)まで思いがけない大型九連休となる。 ちなみに、今年のクリスマスは、24日(木)のクリスマスイブ、25日(金)のクリスマス、26日(土)と27日(日)で4連休、28日(月)と29日(火)は平日だが、30日(水)がリザールデイ、31日(木)が大晦日で休み、1日(金)は正月、2日(土)と3日(日)で5連休となる。土日と休日が全く重ならない絶妙な日取りだ。4連休と5連休の間の28日(月)と29日(火)の二日間を営業日としても誰も来ないので、大方の会社そして社員は大型11連休をとる。 今年はローマ法王の来訪、APEC、そしてクリスマス休みと、とんだ大型連休の年となったものだ。  

APECで恐怖の6連休 2015年11月6日