フィリピーノ気質


フィリピーノは中国とマレーの両足でたち、スパニッシュのハートで感じ、頭の中はアメリカンといわれる。それに財布の中身は円。その時々の支配者の影響を受けているのだ。したがって、東南アジアにありながら、日本とは理解しがたいほどの相違がある。決して日本的な発想で物事を推し量ることはできない。これがハロハロ(ごちゃまぜ)でサリサリ(色々何でもあり)の文化といわれる所以だ。

フィリピーノ気質 ハロハロ、サリサリ


フィリピンの役所の仕事は、なぜこうも効率が悪いのだろうか。窓口の申請者のことも何も考えていないし、平気でまた来いという。こっちが何時間もかけてやって来ているのをわかっているのだろうかと。まるで賄賂を取ること以外に興味はないのだろうか、やろうと思えば出来るはずだ。なぜなら賄賂を払うとあっという間にことが進むのだから。 一般の役所は税金で運営費が賄われている。とにかくフィリピンの国はお金がないから、彼らのマネージメントは、いかに税金の無駄遣いを減らすかということに神経を集中している。人件費は決まった出費なので、いかに経費をかけないかだ。それには仕事をしないということが究極の節約法なのだ。窓口の申請者などくそくらえだ。職員が仕事の効率を上げようとしても、経費のかかることをしてはいけないのだ。残業などもっての外、例えサービス残業でも電気代がかかるからやってはいけない。日曜出勤などといったら怒られる。 そうなると、志を持って役所に入った新人でも、数年すると仕事をしないで一日を費やす術を覚える。強いて目がさめるのは賄賂を取れるチャンスだけだろう。役所で生き抜く術は仕事をしないことなのだ。だから、役所ではラジオが必須だ。執務中皆ラジオを大きくかけて楽しんでいる。10時と3時のミリエンダもかかせない。あるフィリピーノに、日本のビジネスで育った人には、フィリピンでの役所の勤めは一日と持たないであろうとアドバイスされた。 こんなことでフィリピンの将来はどうなるのだろうと、心配される方も多いかと思う。しかし、そんなことを憂えるのは外国人だけで、当のフィリピーノはあまり気にしていないようだから、こちらも早くなれたほうがいいんじゃないのだろうか。 ところが、PRAにとってはちょっと事情が違う。PRAは税金ではなく、各種手数料等の稼ぎで食っている。ビザの申請者がいないと収入がないばかりか、組織の存続さえも危ぶまれる。したがって、ビザ申請者はお客様、神様であるはずだ。他の役所と違って、マネージメントの意識は違うが、末端の職員までそれが徹底されているかは、少々疑問がある。これからフィリピンが退職者のメッカとなるには、彼らの意識改革にかかっているといえると思う。

雑記帳 お役所仕事は、なぜ遅い?



フィリピーノに何かやらせると、なぜかテキパキというよりヤキモキさせられることが多いようだ。なぜか一回で済まずに、やり直しやら、やり忘れが多く、1日で済むはずのものが2日も3日もかかる。また、役所に何か申請に行っても、行く度に新しい要求があって何度も何度も足を運ばされる。役所の場合は特別だとしても、一般的にとにかく遅い。1日で出来るとすれば1週間、1週間で出来るはずのものが1ヶ月、1ヶ月と思ったら1年といった具合だ。日本人が短気なのか、フィリピーノが、気が長いのか、さっさとやったほうが、気持ちがいいと思うのだが。 原因は色々あるのだろうが、起こるべき事を予測して事前に準備するという段取り、そして、他の人と情報を共有したり、協調してことにあたるコーディネーションの気質に問題があるような気がする。自分だけでことにあたり、他の人に聞いたり頼んだりしない、やってだめならその時初めて次の手を打つ。だから、遅くなる。実に時間がことを解決する社会だ。短気でいらいらタイプの人は根本から体質改善をしないとフィリピンでは生きていけないかもしれない。 しかしながら、逆に問題に直面したときの彼らの解決能力は目を見張るものがある。また、一人で器用に何でもこなして大変頼りになる。日本人は予測した事態がはずれるとパニックに陥ってしまい、怒ったり、うろたえたり、誰かを責めたり、誰彼となく頼りにしようとする、彼らは平然として慌てず、何とかしてしまうのだ。この国で生きていくためにはどちらが優れているかは、自明の理だと思う。

雑記帳 フィリピン人の仕事はなぜ遅い?


フィリピンで日本人が遭遇するトラブルや役人が賄賂を請求する姿を見ていると、フィリピーノは悪人だらけと言う気がしてくる。あんなに仲の良かった相手が手のひらを返したように情け容赦のない敵になったり、フィリピン人は、もう決して信用すまいと決意してしまったりする。しかし、本当に悪い人ばっかりなのだろうか。 フィリピン人が悪いというとき、必ずお金が絡んでいる。彼らが見た事もないようなお金をちらつかせる日本人に対して、どうしてもそのお金を当てにしてしまうのだ。それがあれば、家族が幸せになれる、弟も学校にいれてやれる、などと夢を見てしまう。しかし、そんな関係は長続きしない。いつか、お金が元で人間関係が壊れてしまう。そうなると、金を返せといっても返せるはずもないから、相手は開き直ってしまう。周りの人も、金のことしか考えないあんな冷たい日本人は、とれるだけとってほっぽり出せばいいと、余計なアドバイスをする。向こうの理屈で言えば、悪いのは金に汚い日本人という事になる。 金で人間関係は築く事はできない。日本人は金さえあればなんとでもなると考えがちだ。特に金に引かれて多くのフィリピン人が近づいてくる。そこでうまく人間関係を築く事ができないと、惨めな結末になるのだ。フィリピーノとうまく人間関係を築く事ができると、こんなにやさしくて、頼りになる人達は、日本ではなかなかお目にかかれないとさえ思ってしまう。フィリピン人のやさしさに心が癒される思いがする。 それは、彼らがいかに家族を大事にするか、友達を大事にするかということを見れば、あきらかだ。家族から頼まれるといやとは言えない彼らなのだ。だから、家族をサポートする事が結婚の条件になったりする。でも、いったん面倒をみると、面倒見るのが当然の義務のようにとことん甘えてくるのが、理解に苦しむところだ。 例えば、誰かが打合せに遅れて来ると、我々はイライラして、それが日本人であれば“あいつもフィリピーノタイムに染まったか”などとバカにしたり、場合によっては、怒鳴りつけてやろうか、などと思ってしまう。そしてやっとこさ到着すると、待たされていたフィリピーノは何事もなかったようににこにこして、ありきたりのいい訳に理解を示している。その時、彼らはなんとやさしいんだろうと感心するのだ。 年をとってくると、ど忘れしたり、ミスやそそうが目立ってくる。その時、家族や他人にいちいち文句を言われたのではたまらない。しかし、フィリピーノはニコニコと理解を示して、決して責めたりしない。だから、老人にとってはとても居心地がいいのだ。ただし、この理解を子供達にも示すのは、しつけという点でどうかなと思いもする。結論として、フィリピン人は人がよすぎる、とさえ私は感じてしまうこともある。

雑記帳 フィリピン人は、本当に悪い人?