フィリピーノ気質


2月25日(木)はエドサ革命記念日で祝日だ。エドサ革命とは30年前(1986年)、1965年以来21年間続いたマルコス大統領の独裁政権を打倒した、ピープルズ・パワー革命とも呼ばれる政変の記念日だ。この政変は、上院議員だったベニグノ・アキノ(通称ニノイ・アキノ、マニラ国際空港は彼の名をとってNinoy Akino International Airport(NAIA)と呼ばれる)が1983年、死を覚悟して帰国し、飛行機からおりるタラップで射殺されるという事件に端を発している。そして夫の遺志をついで大統領選に立候補したコーリー・アキノに対しマルコスが当選とされた選挙を不正として、ラモス(コーリー・アキノの次の大統領)などの将校がキャンプ・アギナルドに立てこもり、それを民衆が取り囲んで守り、マルコスを国外においやった無血革命だった。 首都圏、マカティのアヤラとパセオデロハ大通りの交差点にあるニノイ・アキノの像 首都圏のバイパス、エドサ通りのキャンプ・アギナルドに隣接した広場に置かれたピープルズ・パワー・モニュメント、左端の像が英雄ニノイ・アキノだ この記念日に現大統領のノイノイ・アキノ(コーリー・アキノ元大統領の息子)が演説で強調したのが、マルコス独裁政権の批判だ。 コーリー・アキノのあと、ラモス元大統領は名宰相と呼ばれたが、その後の大統領、エストラーダ(現マニラ市長)、そしてアロヨ(服役中)は汚職にまみれ腐敗した政権だった。それを嘆き悲しんだコーリー・アキノが亡くなったのが2009年で、その葬式は国葬を上回る国民葬で、全国民がフィリピン最後の英雄との別れを惜しんだ。そのブームにあやかって、翌年の2010年の大統領選挙では息子のノイノイ・アキノが圧勝した。そして6年がたった今、マルコスの実の息子、ボンボン・マルコスが副大統領に立候補して、しかも現在支持率一位で、アキノ現大統領が危機感を募らせているのだ。 マニラ大聖堂からマニラ・メモリアル・パークまでの21km、8時間の行進に、沿道は20~30万の人々で埋めつくされた。 コーリーアキノの娘、人気女優のクリス・アキノが母を語る姿はテレビを独占した エドサ革命から30年、国民の半分以上は、この政変後に生まれた。また、選挙権を持っている18歳以上の国民の半数近くがこの事件の記憶はないだろう。一方、マルコス時代は、古き良き時代、フィリピンの黄金期という認識も出てきている。これは、エストラーダ、アロヨと続いた腐敗政治、そして現アキノ大統領になっても、これといった変化はないという、国民の率直な感想だろう。マルコスのような力強い指導者を期待している面があり、その証拠に、ダーティハリーの名をほしいままにしているダバオ市長のドテルテ大統領候補も人気が高い。アメリカ大統領の共和党候補のトランプ人気に通じるものある。 ルソン島北部、北イロコス地方のラワグ(Laoag)はマルコスの出身地、そこにはマルコスの像が高々とたっている マルコスの廟には、今でもマルコスの遺体が安置され、参拝することができる マルコス一家の故郷、北イロコス地方およびラワグ市は、今でもマルコス一家の人気は高い。2010年の選挙では、マルコスの妻、イメルダが下院議員、息子のボンボン・マルコスが上院議員、そして娘のアイミーが知事に当選して、まさにこの地方の支配者として君臨した。1990年代、イメルダが亡命先のハワイからフィリピンに戻ってきたとき、人々(特に貧困層)は「Well Come […]

エドサ革命とマルコスの復権 2016年2月28日


2月14日(日)は世界的にバレンタインデイ。日本では女性が目当ての男性にチョコレートを贈って気持ちを伝える、ということになっているが、これはチョコレートメーカーの陰謀だそうで、一般的には男性が女性に愛を示すときであるらしい。最近はお目当てというより義理チョコが優勢のようで、チョコレートメーカーは、狙い通りとほくそ笑んでいるに違いない。 ちなみにフィリピンでは、前日、赤いバラの販売所が街中にあふれ、価格が高騰する。我が家にも毎年、大きな赤いバラの花束が当然のようにどこからともなく現れる。もちろん、カーネルからジェーンへのプレゼントだが、私が目にしたときは一緒の特製ケーキにすでに手がつけられていた。食いしん坊のビアンカかアリアの仕業に違いない。 そして、この日は、札幌からフィリピンを訪問されていた藤田さんと出野さんが家にこられ、自慢のたんたん麺をご馳走してくれた。藤田さんは札幌で税理士の事務所を営んでいて、これから企業のフィリピン進出を支援したいと考えている。そして出野さんは札幌に評判のたんたん麺専門店を3店営んでおり、今回はフィリピンへの進出の可能性を探って、進出ブームとなっているラーメン専門店を下見に食べ歩きしているそうだ。 11時を過ぎて、二つのことに気がついた。まず、ラーメンは湯を大量に使うので、事前にお湯を沸かせて置くこと、さらに、我が家には出来上がったラーメンを入れる大き目のお椀がないことだ。お湯を沸かすおなべについては、幸いちょうどよい深鍋があった。一方、お椀については急遽、ビアンカに、近くのスーパーに買いに行かせた。 そうこうしているうちに皆さんがやってきた。藤田さんと出野さん以外に友達のマユさんが一緒だった。さすが、北海道出身、ジェーンやキムも色は白いほうだが、マユさんの桁違いの色白にびっくり。昼も近いので、挨拶もそこそこに早速持参した材料で、ラーメン店オーナーの自らのたんたん麺作りが始まった。 一方、女性陣は早速、談笑と記念撮影に花を咲かせる。ジェーンにとってみれば、赤いバラの花束は、いわば勲章だから手から離さない。そして、私からは、札幌の名物ラーメンの出張サービスがバレンタインのプレゼントだ。 出来上がったたんたん麺はつゆありとつゆ無しの二種類。カシューナッツが入っていて、ピーナッツバターの味がして家系(いえけい)のラーメンとは一味違う。麺も太めで、普通のラーメンとはちょっと違うが、また、中国料理の麺とも一線を画している。    まずは、ラーメンお宅のKIANに試食してもらったが、親指を上にして「Good」と一言、合格点だという。しかし、ちょっと食べて後は手をつけなかった。実はKIANが食べるラーメンは具も何も入っていない麺だけをお皿にとって食べるので、このような味わいのある本格的なラーメンは食べることができないのだ。5歳にして、状況をとらまえてそれなりのお世辞を言うあたりは、すでにフィリピン人としての処世術をすでに身に着けているようだ。 そしてカーネルやジェーンが味見をしたが、これなら優にフィリピン人の食通に受け入れられるというものだった。このほか、サイドディッシュとして餃子ないしチキンのから揚げがほしいとのコメントがあったが、チキンのから揚げも、ラーメンに負けないおいしいものを提供してほしいところだ。何しろチキンのから揚げはフィリピン人庶民の食文化の最高峰に位置していて、チキンのから揚げさえあれば、フィリピン人は一年中すごせるというものだ。ちなみにジョリビーは、このチキンのから揚げでフィリピンを制覇し、新興のINASALもチキンのバーベキューで一世を風靡した。 ジェーンは知らぬ間に友人とラーメンの食べ歩きをしているようで、事務所/コンド街のマカティ・サルセド・ビレッジのど真ん中にある「MENDOKORO RAMEN BA、麺所ラーメン場」では富裕/中間層のフィリピン人が列を成しているという。彼らにもこのラーメンなら十分やっていけるという評価だが、コメントは「一見して野菜が少なくて健康志向に欠ける印象をもたれるのではないか、そしてラーメンといえば、黄身が生のゆで卵が感激的だ」。これに対し、このたんたん麺はまったく人口調味料を使っていないこと、つゆなしにおいては、塩の使用量が一般の半分以下であるなど、非常の健康的なラーメンであるとのことだった。ゆで卵については考慮の余地はあるとのこと。 たんたん麺を味わい終わったところで、みなで記念撮影。とても貴重なバレンタインパーティだった。それにつけても関心するのがフィリピーノのホスピタリティで、見ず知らずの日本人のたんたん麺の試食の依頼に対して、快く受け入れるばかりか、それを多いに楽しみにして喜んでいるところだ。訪問客の藤田さん、出野さん、そしてマユさんもフィリピン人との出会いを大いに楽しんでくれたものと思う。  

たんたん麺とバレンタインデイ 2016年2月21日



4月から働いているヤヤ(子守、実際の役割はメイドだが、我が家では響きがいいので、ヤヤと呼んでいる。ちなみにアテはお姉さん、チタは叔母さんで、アテ・キム、アテ・ビアンカなどとKIANは呼んでいる)は、とても優秀で、料理は上手で、炊事、洗濯、掃除を一人で切り盛りしている。KIANもヤヤが大好きで、いつも粛々と手際よく仕事をこなし、我が家には、なくてはならない存在となっていた。28歳、独身、名前はAudi(オーディ)といい、ジェーンと同郷の娘だ。 そのヤヤが、前の雇用主から戻ってきて欲しいと、声がかかった。8年雇われていた絆は強いものがあり、どうしても辞めさせて欲しいと申し出てきた。ジェーンを初めとして皆が留めたが決意は固かった。 Dream Playに出かけたとき、写真嫌いのヤヤは顔を両手で隠している。サイカの恒例のランチでも後姿しか写真をとらせない。 そんなある日、ヤヤが私の部屋に、あいさつにやってきた。これから、田舎に帰るというのだ。たまたま部屋にいたKIANは、ヤヤに「I know that you are going home and not coming back. […]

ヤヤ(子守)が帰って来た 2015年9月26日


子供のころ、車(初代トヨタ・コロナ)を父が購入し、家に新車がやってくる日、家の前の道路で心待ちにしていた。やがて、向こうの角から新車が曲がってくるのが見え、一同歓声をあげて新しい家族の一員を迎えたことを、今でも鮮明に覚えている。 KIANも新しい車がやってくるということは十分認識しており、当日は、親子でトヨタの販売店に車を引き取りに行った。うわさは耳にしていたものの、ある日、突然、7月中にトヨタFJクルーザーがデリバーされるとジェーンから聞かされた時はびっくりした。お金の相談は、全く無かったので、彼ら夫婦の勝手だが、どこからそんな金をやりくりしたのか見当が付かない。      車両価格は180万ペソ、優に500万円を超えるので、頭金だけでも100万~150万円はかかっただろう。それに月賦が4~5年間、4~5万ペソをはらい続けなければならない。給与レベルが日本の10分の一といわれるフィリピンでは、まさに家を買うほどの覚悟が必要なのだが、かれらの車に対する執着は並大抵ではない。 頭金の資金調達のためか、翌日、カーネルの友人が訪ねてきて、三菱のモンテーロを引き取っていった。5年乗って、73万ペソで売ったそうだが、新車価格は120万ペソくらいだったと思うので、いい値段だ売れた。翌日、彼らの部屋には無造作に73万ペソの現金が袋に入れておいたあった。 最近、ビザを取りに来る退職者が、はじめてフィリピンを訪問したが、街を走っている車が、きれいで高級なのでびっくりしたと感想をもらいしていた。まるで、どこか、アフリカか中南米の国のようにポンコツ車が排煙を上げて闊歩しているのではないかと思っていたが、BMW、ベンツ、ポルシェ、レクサスなどの高級車がそこかしこにあり、日本よりはるかに高級車が多いと。フィリピンと言えば、スコーター(スラム街)とスモーキーマウンテン、それに睡眠薬強盗と保険金殺人くらいのニュースしかないから、そう思っても無理はないかもしれない。 ちなみにFJクルーザーとは、4輪駆動でエンジンはガソリン4リッター、5速オートマティック、ミリタリー調の本格的SUVで、フィリピンで今、一番人気といえる、急増中の車だ。4ドアだが後ろのドアは外に取っ手はなく、中から開く観音ドアーというユニークなものだ。前のドアが開いていないと開くことができず、後ろのドアが真ん中のポストの役割を果たしており、意外とゆったり乗降ができる。 ちなみに街を走っている車は、三菱モンテーロ、トヨタフォーチュナー、ホンダCRV、それに欧米メーカー(BMW、ボルボ、フォード、クライスラーなど)や韓国(現代や起亜)のSUVないしFamily Carと呼ばれる3列シートの車が、半数を占めていると言っても過言ではない。道路冠水が頻発し、大家族のフィリピン人にとっては、これが重宝なのだ。 カーネルは職業柄か、ミリタリー調の車が好きで、できれば、ハマー、Jeep、ランドローバーあるいはランドクルーザーなどを欲しかったらしい。しかし、これらは一千万円を優に越え、さすがに逆立ちしても手がとどかない。そこで妥協したのがトヨタのFJクルーザーだったようだ。 KIANにとっては、派手な黄色のボディカラーが気に入ったらしい。子供達のアイドル、トランスフォーマーのバンブルビィーをイメージさせるからだとジェーンが説明する。翌日、KIANは、幼稚園にFJクルーザーで通園し、先生や園児に「My New Car」と得意になってお披露目したそうだ。私としては、日本からの退職者を乗せるにはちょっと気が引けるところだが。

新車が家にやってきた 2015年7月18日



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先日、事務所で、双子の片割れアリア(10歳)がKIANをひっぱだいた。勉強しているところを邪魔をされ腹を立てたらしい。KIANはアリアにスパンクされたと、丁度通りかかったアリアの母親(Mae)に訴えた。Maeはけんかしちゃだめよと軽くたしなめただけだったが、アリアは、一言、”I have reason” とつぶやいた。 ちなみにMaeは海外出稼ぎの募集に応募するために、たまたま我が家に逗留しているのだが、元彼のボボイ(ジェーンの弟)は口もきかず、顔も合わせないようにしている。詳しい事情はわからないが、ジェーンはボボイとMaeの間にできた子供を4人とも預かり、双子はマニラ、下の男の子二人は農場に住まわせ面倒を見ている。なんのことはない、ジェーンと私が4人の子供の面倒を見ていることになる。ジェーンの私への言い訳は、双子はKIANの遊び相手になって面倒見てもらえるから、農場にいる二人の男の子は、将来、農場のCare Taker(管理人)として役に立つから、住まわしてやりたいというものだ。 したがって、私のアリアのつぶやきに対する反応は、”You have reason to spank Kian,but you have no […]

マミーの怒りが爆発した2015年6月14日


5月26日はキアンの姉のアテ・キムの19回目の誕生日だった。昨年は、18歳の誕生日(デブー、女としてのデビュー、あるいは成人式)ということもあってルートン・マカオで誕生会を執り行ったが、今回は、家で質素に済ませた。 昨年の18歳の誕生日と、ヤヤの作ったケーキで誕生日の予行演習をするKIANとキム。 この日の夕方、2階のダイニングに見知らぬ若者が座っていた。不審な顔をすると、向こうは親しげに話かけてきた。キムの友人だというが、そのアクセントから韓国人であることがわかった。そういえば、2~3度、家にやってきたことがある、マプア工科大学のキムの友人であることを思い出した。 内輪のささやかな誕生会ながらも意外ともりあがっている 彼は、キムの誕生祝に駆けつけたのだ。特につきあっているわけでもなさそうだが、思い出したようにたずねてくるのだ。キムに気があるのは明らかだが、フィリピーノのアタックに比べて実に遠慮深い。ジェーンも女子を口説こうと思ったら、彼のようにまずは家族と仲良くなるのが、先決だと、まんざらでもないようだ。 恒例のHappy Birthday to youの歌のあとは、KIANはキムと一緒にロウソクを吹き消す キムには、なにやらハングル文字で書かれたケーキ、それに大きな誕生日プレゼントを持って来ていた。そのプレゼントを開けてみると、大きなリモコン式のヘリコプターだった。これは、どう見てもきKIAN用で、まさに、将を射んとせば、馬を射よ、の諺を地で行っている。スペインの文化を引き継ぐフィリピンでは、家の外でギターを奏でたり、まさに女心をくすぐる作戦に出るところだが、中国文化の影響を受ける日本そして韓国は、ちょっと異なるアプローチをとる。 誕生ケーキにはKIANの名前もしっかりと書かれている。ヘリコプターはダイニングテーブルいっぱいの大きなものだ ヘリコプターについては、コンド街の中ではちょっともてあそぶので、広い農場で存分遊んでもらうことにして、KIANには当分お預けとなった。パーティは、夜中まで続いたようだが、翌朝、KIANは彼を探していた。ヘリコプターの効果は絶大だったようだが、キムの心の琴線に響いたかどうかは、定かではない。

アテ・キムの19回目の誕生日 2015年6月7日



4月も半ばを過ぎて、いよいよ、乾季の夏がやってきた。日中は、暑くて、とても外を歩く気がしない。先日もこの夏、最高の36度を記録した。夜も、西日があたる部屋は寝る時間になっても大分暑いようで、ビアンカと双子は音をあげたらしい。 そこで、つい3日前、夜の10時過ぎ、ビアンカが、一緒に寝てもいいかとドアをノックした。19歳の女の子が、一緒に寝るというのは、ただ事ではない。良く聞いてみると、エアコンの効く部屋で寝たいだけらしい、しかも9歳の双子も一緒だ。この間、数秒、いろいろな思いが頭を駆け巡ったが、OKと即答した。時間がかかると、なにかやましいことを考えているのではないかと、疑われても困る。 翌日、ビアンカと双子が私の部屋で寝たと聞いて、にわかに殺気立ったのがKIANだ。その日、KIANも私の部屋に寝るといって聞かない。ママ・ジェーンを説得してOKをもらったKIANは、ご機嫌で寝る準備をしていた。ママ・ジェーンによるとKIANはやきもちをやいていたらしい。 しかし、翌日、目が覚めたら、いつもの両親の部屋で寝ている自分に気がついたKIANは怒った。誰が、一体自分をこの部屋に連れてきたのかと、周囲を問い詰める。犯人はアティ・キムなのだが、私が自分で歩いて階段を下りてきたというと、両手を前に差し出して、自分はキョンシーみたいなまねはしないと言い張る。KIANは私の部屋で寝込んでしまうことが多々あるが、その時は、いつもアティ・キムがころを見計らって両親の部屋に連れて行くのを知っているのだ。       ちなみに私の部屋は、エアコン、TV、それに大き目のベッドがそろっているので、昼間は、子供達に占領されている。しかも、今度は夜まで占領されることになってしまった。だんだん自分の居場所がなくなってしまうのではないかと、不安になるが、こんなことはフィリピンでは常識らしい。いつもベッドの上で双子とはしゃぎまわるKIANだが、洋服ダンスの中を個室に仕立てて、立てこもるのも大好きだ。とにかく、どういうわけか私の部屋は子供達の遊技場になってしまったのだ。 他人同士の男と女が同じ部屋で一晩を過ごす、こんなことがフィリピンでは当たり前に行われており、少女が身内に犯されたなどという話が絶えない。少女が、家族と思った慕っていた男の餌食になってしまうわけだ。本人は年頃になってきて、自分が女として男の欲情をそそっているのに気がつかないで、爆睡してしまうためなのだろう。 一方、そのKIANは、相変わらず、ピアノを演奏したり、タオルマンになったりして、無邪気な遊びに忙しい毎日だ。ちなみにKIANは姉のアティキムと同様、横一本の帝王の手相を持っているので、将来は、国家警察の長官と期待される所以だ。大いに遊んで大いに学んで、両親そして私の夢を実現して欲しい。  

家族は、皆でごろ寝するのがフィリピン流 2015年4月26日


3月14日は、KIANの卒園式に参加した。場所は、マカティ大学で、ボニファッシオを横切ったタギッグ市の近傍にある。KIANもいよいよ年中を卒園し、後一年で小学生になる。赤ちゃんと思っていたKIANもほどなく小学生になると思うと時の速さを痛感する。   記念のアルバムをもらって喜ぶKIAN この日は、幼児から年少、年中、年長の2歳から5歳までの園児がそれぞれ踊りを披露した。舞台の前では先生が見本の踊りを行って、舞台の園児がそれを真似て踊るのだが、KIANは周りを眺めながら必死にあわせている。いかにも稚拙な踊りだが、両親たちは、わが子を必死にカメラに収めようとしている。 舞台に並ぶ子供達と写真の撮影に夢中の父母 KIANはもともと2歳のころから独創的な踊りを見せて周囲を喜ばせたものだが、そこには独創的性はなくて、いかにも型にはめられた子供らしい稚拙な動きを見せるだけだった。音楽に合わせて好きに動くようにすれば、子供たちの豊かな感性が培われると思うのだが、ここでは園児らしいと思われる大人の感性を押し付けているだけのように見える。そのためか、KIANの踊りに対する興味をうせてしまったようだが、集団教育の限界なのだろうか。 押し付けのダンスを演技するKIANだが、腕白なKIANが子供らしさを演じることを強制され、不本意なKIANが見える 学校とは、子供の伸びようとする才能の枝を切り取ってしまって、子供を型にはめているだけにしか思えない。KIANは公文や英語の家庭教師、それに空手やピアノを習わせて、さらにKizooonaやサルセド公園で遊ばせているが、そっちのほうが面白いから幼稚園に行く必要はないという。これらは、個人レッスンなので、一律に型にはめるのではなくて、KIANにあわせたレッスンが行われ、さらにのびのびと遊べる。 控え室のKIANとアティ・キム 確かにKIANの言うとおりなのだが、現在、2年間の幼稚園は、義務教育なので、通わせないと小学校の入学資格がなくなってしまう。従って、KIANには消化試合のつもりで我慢してもらうしかないようだ。 爪が伸びてはがれそうなので、切ってやろうとすると指が切られんとばかりに嘆くKIAN(左)。いかにも読んでいるかのごとく本を眺めるKIAN(右) 最近、ママジェーンが、KIANは文字や数字を書くのが他の園児に比べて劣っていると心配する。一方、KIANの思考やおしゃべりは、とても4歳児とは信じられないほど、他の子供よりはるかにおませなのにと。それに対しては、私は、前のブログに書いたように五感による思考、それを言葉にする能力、そして最後に文字や数字となる。KIANの思考やおしゃべりが優れていることは、大いに誇るべきであり、4歳の子供が文字が今一など心配無用。自分が4歳のときに果たして文字や数字が書けたであろうか。ろくすっぽおしゃべりもできない3~4歳児が文字をすらすら書いたら、まるでサルが物まねで文字を書いているようで、気持ちが悪い。 最近人気のはつはな亭、畳の間で皆でランチ おやつの定番、アイスクリームを食べる子供達は至福のひと時だ  

KIANの卒園式 2015年4月12日



毎週土曜、恒例となっているサイカでのKIANとのランチで、料理を待っているとき、KIANが突如として、「ダダはガールフレンドがいるのか」とただならぬ発言をした。発言の根拠は、私が、その時、KIANを無視して携帯のテキスト(携帯メール)に集中していたためだった。私が発信していた相手は客だが、KIANにしてみればテキスト=ガールフレンドと思っているのだ。 その根拠は、以前、しばらく我が家に居候していたママ・ジェーンのお兄さん、アランがテキストしているのを見て、KIANが「誰にテキストを送っているのか」と聞いたら、アランおじさんは正直に「ガールフレンド」と答えた。そういえばボボイおじさんも携帯を一時も離さず、常にテキストにいそしんでいる。彼らにしてみれば、他にやることもないから、ガールフレンドと一緒にいないときは、ほとんど一日中、テキストで会話しているようだ。ちなみにアンリ・・・・と称して、携帯電話会社各社は同じ携帯電話同士であれば、一日十ペソのロードで無制限の(Unlimited=アンリ)テキスト、25ペソなら無制限の会話もできるサービスを提供している(スマートの場合)。だから、一日中、テキストにいそしんでいられるのだ。 コンドでは、次々と赤ちゃんが誕生して、KIANはもはやお兄さんだ。この双子は男と女で、一卵性双生児ではない。しかし、瓜二つだ。 そういえば、ママ・ジェーンもほとんどの時間を携帯とにらめっこをしている。彼女はI フォンを利用しているので、テキストばかりではなくて、E-メール、Face Bookやさらには新聞などを読むのにも利用している(ちなみに事務所兼住居の我が家には複数のパソコンでインターネットを利用できるようにWifi環境を整えてある)。もちろん、友人あるいはパパ・カーネルとのテキストもあるが、私にも、時に大量のテキストを送ってくる。たとえ、二人とも家にいる時でさえも、2階と1階でテキストの交換をしているくらいだ。 私にガールフレンドがいるという話は、KIANからジェーンにも伝わっていた。「KIANが、お腹がすいているのに、ダダはガールフレンドにテキストを送るのに夢中だった。」と、報告したそうだ。さらに、パパ・カーネルには、「マミーは携帯とにらめっこばかりをしていて、ちっとも自分をかまってくれない。」と小言を言ったそうだ。ちなみに、17歳のキムは携帯の所有やFace Bookの利用を禁止されている。それはもちろん、いい寄る虫から彼女を守るための親の算段だ。 私の部屋でテレビを楽しむ子供たち。私の部屋では、小言はないので、子供たちはのびのびと時間をすごすことができる。 フィリピーノがテキストで会話することと言えば、「How are you, Dd you finish […]

ダダ(私)にガールフレンドができた 2014年3月24日


最近、ママ・ジェーンからKIANの前ではビールを飲んではいけないというおふれが出た。これは一大事、私の人生の最大の楽しみを奪うつもりかと反発したが、敵もかたくなに主張を繰り返し、パパ・カーネルのきついお達しだともいう。 私の日々の楽しみは、KIANと一緒に食事をとる事で、その時のビールがたまらなくおいしい。夜は、食事中にサンミゲル・ビールの小瓶2本、そして、そのあと寝るまでに2本と大体4本くらい空ける。最近はランチにも1~2本飲んで、少々度が過ぎているかなと思うこともないが。 サンミゲルビール(主にピルセンとライトが人気)は圧倒的なシェアを誇る。私は氷を入れて呑むが、そうすれば、飲み終わるまで冷たくておいしい。ビールに氷をいれて呑んだら、フィリピン通の証拠だ しかし、減らせというのならばまだしも、一気に食事中に飲んではいけないというのはいかにもつらい。もし、飲んだら、KIANを一緒に食事させないとまで言い張る。KIANもママ・ジェーンに洗脳されて、私がビールを飲むかどうか見張っている。先日、ママ・ジェーンがいないので、ヤヤもキムも私にビールを飲むことを勧めた。鬼のいぬまに洗濯といったところだ。 ヤヤも、KIANに「Secret、ヒ・ミ・ツ」と言い聞かせた。KIANはわかったようなわからないような顔をして「Secret?」と繰り返した。うわさをすればなんとかやらで、その時、ママ・ジェーンがちょうど帰ってきた。KIANはママ・ジェーンのところに飛んでいって「ダダ(私のこと)がビールを飲んだ」と言いつけた。「フィリピーノに秘密はない。皆に知ってほしかったら、秘密ね、と言えば、あっという間に広がる」といわれるが、まさにKIANは3歳にして、そんな意識をもちあわせているようだ。 セブンイレブンの冷蔵庫に並んでいるビール。サンミゲルのほかにもレッド・ホース、コルト45、などの地元のビールが並んでいるがキリン一番絞りや朝日・辛口も奮闘している(香港等からの輸入品)。ただし、値段は70~80ペソで倍誓い。レッド・ホースはアルコール度が6.9%でサンミゲルの5%より、高い。そのせいか庶民には人気がある ジェーンの主張は、先日、KIANがパパ・カーネルに向かって「パパもビールを飲め、そうすればダダのように強くなる。」進言したそうだ。ジェーンは「ダダはKIANのアイドルだから、ダダのやることは何でも正しいと思っている。3歳のうちから酒を礼賛するようでは、先が思いやられる」と、カーネルがとても心配している、と言うのである。 そもそもフィリピン人で普段から酒を呑む人はあまりいない。酒を飲むのは誕生日などのパーティだけで、食事をしてから、未明まで飲み明かす。したがって、晩酌という習慣はないようだ。酒を飲むときは外に出て、それなりのところで飲んでいるが、もしかしたら皆、恐妻家だからかもしれない。特に女性が食事中に外で飲んでいるのを見たことがない。普段からビールを飲むのはビア・ハウスのGRO(ホステス)くらいかもしれない。 近所のとろとろレストランは、夜になるとビール酒場になる。GROはいないが、夜な夜な、たくさんの男女がビールとカラオケを楽しんでいる。特に土日は昼真っから、テーブルに大量のビール瓶を並べて酒盛りをしている姿がある もともと瓶入りのサンミゲル・ビールを飲んでいたが、ある日、国家警察の警官がビール瓶が爆発してまともに歩けなくなるような大怪我をした。その情報がつたわるやいなや、我が家では瓶ビールが禁止となり、缶ビールに変更された。缶ビールはサリサリには売っていないので、セブンイレブンかスーパーで買うしかない。したがって22~3ペソで買えるものが、一気に40ペソになってしまった。しかし、今回は缶ビールさえも禁止となったのだ。 KIANがボトルから豪快に飲んでいるのは、もちろんビールではなくてただの水。ビールはコップではなくて瓶から直接飲むのがフィリピン流だ もっとも、禁酒はKIANとの食事中だけの話で、食後は自由というのだが、一滴の酒も受け付けないママ・ジェーンは、食前の一杯が格別だということを知らない。ちなみにジョルビーやマクドナルドなどのファースト・フード系は一切アルコールを出さない。一方、ビア・ハウスと呼ばれる庶民の遊びどころは、もっぱらビールしか出さない。 しかも、そのビールが40~50ペソ程度と格安で飲めて、男性客を呼び寄せる売りになっている。ちなみに、かの高級ナイトクラブ、ベイ・エンターテイメントでさえも110ペソだ。GROのレデイズ・ドリンクもビール(どういうわけかサンミグ・ライト)のみで、だからビア・ハウスのGROは皆ビール腹だ(ただし、GROがのむビール200ペソ程度)。ビール=ビアハウス=GROという連想が働いて世の女性軍はビールを敵視するのではないか、と疑いたくなる。 空港に近い、バクララン、エアポートロード沿いには20~30軒のビア・ハウスが並び、夜遅くなると道路にGROがお出ましして、客を店に引き込んでいる ビール無しの食事も、やってみるとどうってことはなく、その代わり、氷入りの冷たい水をがぶがぶ飲んでいる。一方、我が家は大分前から禁煙で、私は、仕方なくサリサリ・ストアで一本買いをして、外で吸っている。おまけに、ビールも隠れて飲まなければならなくなってしまって、肩身がせまい。しかし、内心、健康のためにはよろしかろうと、あえて我が家のルールに従ってはいるのだが、愛飲家と愛煙家にとっては天国だったはずのフィリピンも、そうとばかりは言っていられないようだ。

我が家の禁酒令 2014年3月12日