最近、ボボイの娘の双子(8歳)が成績表を持って帰ってきた。彼らは近所の公立小学校の3年生だ。姉のアレアの成績は日本の5段階評価で言えば、3と4が中心でまあまあ普通、妹のアレクサは2と3が中心で、劣る、といった評価だった。これに対して、ボボイは怒りをあらわにして、アレクサを叱責していた。 はじめは何のことやらわからなかったが、ジェーンの説明で状況を理解したが、成績が悪いといって叱責されても、子供にとってはいたし方あるまいと思う。その後も、彼女達は反省して勉強をするわけでもなく、相変わらずテレビを見ているだけ、ボボイもそんなことはすぐに忘れてしまい、双子の勉強の面倒を見るわけでもない。 成績表を良く見てみると、二人とも算数が70点で最悪だ。テストの点数が70点なら、さほどでもないと思うが、評価では71から79点がPOOR(劣る)となっている。70点という数値は評価外だというわけだ。そういえば、たまにキムが双子に算数を教えていることがあった。彼女ら二人は学校の授業にまったくついていくことができず、キムに教えてもらっていたらしい。 それにしてもフィリピンの子供が勉強しているのを見たためしがない。家で勉強らしきことをしているのは宿題があるときだけらしい。そういえば、自分も小学校時代は宿題以外に勉強などしことはなかったから、当たり前なのかもしれないが。ジェーンは授業だけで十分で、家で勉強するものはいないと言うが、医者や弁護士あるいはエンジニアーなどの資格を有する職業に就くためには、相当な勉強をしないと国家試験に受からないと思う。ジェーンの話は、きっと巷の庶民のことなのだろう。 ジェーンに算数のことを話すと、フィリピン人はみな数字に弱いから、どうってことはないとうそぶく。 だから、双子が計算が苦手だとしても普通に生きて行くためには何の支障もないともいう。それに引き換え、日本ではどこの店の店員でもおつりなどは暗算で即座に計算してよこすのに、フィリピンのサリサリのお姉さんは、数十ペソの買い物をして100ペソ払ったら、お釣りを暗算で計算できる人はあまり見かけない。せいぜい数ペソ買って10ペソ払ったときののお釣りどまりだ。確かに周りがそうであれば、特に劣等感も持たずに暮らしてはいけるだろう。 しかし、家族の期待を一身に集めるKIANがテレビばっかり見ている双子に影響されて、怠惰で愚鈍な子供に育っては困る。KIANは将来国を背負って立つ人間になるのだから、つまらぬ弱点を持ってはならない、と私は警鐘をならす。そもそもテレビは一方向で、情報を受け取るばかりで、何の相互作用もないから、脳が一向に働いていない。もっと相互作用あって、脳をフルに働かせる、トランプや囲碁、将棋、チェスなどのゲームで時間を費やしたほうが何ぼか役に立つかわからないと。 普段は盤面を手で掃いてめちゃめちゃにして人の遊びを邪魔するのに、写真撮影となると、まるで自分もプレイに加わっているようなポーズをとっているKIAN そこで、事務所にあった、囲碁や将棋を持ち出して、まずはキム(17歳)に回り将棋やはさみ将棋、5目並べ等の簡単なものから、本格的な将棋や囲碁のやり方を教えた。KIANといえば、並べた将棋や碁石を散らかすだけで、ゲームをやるには程遠い。しかし、いずれは興味を示すに違いないので、まずは、環境を整える周囲の努力が必要だ。 トランプ遊びもKIANには、まだちょっと手強いようだ 私の子供のころはテレビもない時代で、近所の子供たちといつも将棋や囲碁で遊んでいた。こんなとき、脳はフル回転で、私の8歳年上の長兄を負かしたときなど有頂天になったものだった。しかし、その後、飛んでくる兄の罵声とピンタをいかに避けるかが私の課題たったが。 鍵盤は弾ける人が誰もいないのですぐに廃れてしまった 現代は、テレビのみならず、コンピュータ・ゲームが盛んで、子供たちもアイ・パッドなどでゲームを楽しんでいる。しかし、これらは、どう考えても脳の訓練には向いているとは思えない。バーチャルで人を殺しても、リセットすれば生き返ってしまい、人間的あるいは生きているという要素がない。こんなゲームが、無差別殺人などに結びついているのではないかと憂えるばかりだ。KIANも最近はパスコンを器用に操って遊んでいるが、昔ながらのゲームを教えて脳の訓練ばかりではなく、人間としても感性を見につけてほしいと願う。 自転車にローラースクーターはKIANの外遊びの定番だ