フィリピーノ気質


最近、ボボイの娘の双子(8歳)が成績表を持って帰ってきた。彼らは近所の公立小学校の3年生だ。姉のアレアの成績は日本の5段階評価で言えば、3と4が中心でまあまあ普通、妹のアレクサは2と3が中心で、劣る、といった評価だった。これに対して、ボボイは怒りをあらわにして、アレクサを叱責していた。 はじめは何のことやらわからなかったが、ジェーンの説明で状況を理解したが、成績が悪いといって叱責されても、子供にとってはいたし方あるまいと思う。その後も、彼女達は反省して勉強をするわけでもなく、相変わらずテレビを見ているだけ、ボボイもそんなことはすぐに忘れてしまい、双子の勉強の面倒を見るわけでもない。 成績表を良く見てみると、二人とも算数が70点で最悪だ。テストの点数が70点なら、さほどでもないと思うが、評価では71から79点がPOOR(劣る)となっている。70点という数値は評価外だというわけだ。そういえば、たまにキムが双子に算数を教えていることがあった。彼女ら二人は学校の授業にまったくついていくことができず、キムに教えてもらっていたらしい。 それにしてもフィリピンの子供が勉強しているのを見たためしがない。家で勉強らしきことをしているのは宿題があるときだけらしい。そういえば、自分も小学校時代は宿題以外に勉強などしことはなかったから、当たり前なのかもしれないが。ジェーンは授業だけで十分で、家で勉強するものはいないと言うが、医者や弁護士あるいはエンジニアーなどの資格を有する職業に就くためには、相当な勉強をしないと国家試験に受からないと思う。ジェーンの話は、きっと巷の庶民のことなのだろう。 ジェーンに算数のことを話すと、フィリピン人はみな数字に弱いから、どうってことはないとうそぶく。 だから、双子が計算が苦手だとしても普通に生きて行くためには何の支障もないともいう。それに引き換え、日本ではどこの店の店員でもおつりなどは暗算で即座に計算してよこすのに、フィリピンのサリサリのお姉さんは、数十ペソの買い物をして100ペソ払ったら、お釣りを暗算で計算できる人はあまり見かけない。せいぜい数ペソ買って10ペソ払ったときののお釣りどまりだ。確かに周りがそうであれば、特に劣等感も持たずに暮らしてはいけるだろう。 しかし、家族の期待を一身に集めるKIANがテレビばっかり見ている双子に影響されて、怠惰で愚鈍な子供に育っては困る。KIANは将来国を背負って立つ人間になるのだから、つまらぬ弱点を持ってはならない、と私は警鐘をならす。そもそもテレビは一方向で、情報を受け取るばかりで、何の相互作用もないから、脳が一向に働いていない。もっと相互作用あって、脳をフルに働かせる、トランプや囲碁、将棋、チェスなどのゲームで時間を費やしたほうが何ぼか役に立つかわからないと。 普段は盤面を手で掃いてめちゃめちゃにして人の遊びを邪魔するのに、写真撮影となると、まるで自分もプレイに加わっているようなポーズをとっているKIAN そこで、事務所にあった、囲碁や将棋を持ち出して、まずはキム(17歳)に回り将棋やはさみ将棋、5目並べ等の簡単なものから、本格的な将棋や囲碁のやり方を教えた。KIANといえば、並べた将棋や碁石を散らかすだけで、ゲームをやるには程遠い。しかし、いずれは興味を示すに違いないので、まずは、環境を整える周囲の努力が必要だ。 トランプ遊びもKIANには、まだちょっと手強いようだ 私の子供のころはテレビもない時代で、近所の子供たちといつも将棋や囲碁で遊んでいた。こんなとき、脳はフル回転で、私の8歳年上の長兄を負かしたときなど有頂天になったものだった。しかし、その後、飛んでくる兄の罵声とピンタをいかに避けるかが私の課題たったが。         鍵盤は弾ける人が誰もいないのですぐに廃れてしまった 現代は、テレビのみならず、コンピュータ・ゲームが盛んで、子供たちもアイ・パッドなどでゲームを楽しんでいる。しかし、これらは、どう考えても脳の訓練には向いているとは思えない。バーチャルで人を殺しても、リセットすれば生き返ってしまい、人間的あるいは生きているという要素がない。こんなゲームが、無差別殺人などに結びついているのではないかと憂えるばかりだ。KIANも最近はパスコンを器用に操って遊んでいるが、昔ながらのゲームを教えて脳の訓練ばかりではなく、人間としても感性を見につけてほしいと願う。         自転車にローラースクーターはKIANの外遊びの定番だ

囲碁と将棋に挑戦 2014年2月18日


最近、街を歩いていて目立つのがおでぶちゃんが急増していることだ。「3人寄れば二人はデブ」というのが、知り合いの建築家の女性の言葉で、細身の女子大生を探すのが容易でないぐらいだ。「太っていることは豊かな証拠で、美人の条件」というのがアラブ、そして南太平洋のサモアあたりでもも太目がもてはやされていたと思う。しかし、フィリピンは。そんなはずはなくて、セクシーが良いとされている。ちなみに、最近を話題をさらった、ミスワールドやインターナショナルもセクシーなスリム・ボディだ。いち早く20歳をこえて大人になったデバイン(右から2番目)は見る間に巨漢となってしまった。周囲のいとこ連中は当時まだ、15-6歳なのでセクシーなスリムなボディをしているが、数年もするとデバインの後を追うのだろうか 足がすらっとしてお尻の上がったフィリピーナの後姿はとても魅力的だ。それが最近は、そんな女性を見かけることが少なくなってきたのだ。最近、お世話になっているPRA指定クリニックの担当看護婦がPRAに出入りしているのだが、目も顔も体もまん丸の愛想のいい子だ。PRAから紹介を受けるときに、「あの太目の子?」と聞いたら、「太目ではないチャビー」だという。チャビーとは太くもやせてもいない、その中間という意味らしい。 KIANの出産後、60kgをこえっるまで太ってしまい、出産後、太目が解消するために毎日数時間ジムに通っているジェーンは、世間的には、もはや、やせの領域にはいるらしい。女性の視点では太目にたいしてとても寛容だが、明日はわが身ということなのだろうか。しかし、男性の目としては、依然、ウエストとヒップの比率は7:10の理想を譲るわけには行かない(たとえば、スリーサイズが10:7:10すなわち85cm、60cm、85cmなど)。それが10:10:10(90cm、90cm、90cm)というのでは、ちょっといただけない。ジェーンの同窓生が農場に集まってダンスを披露してくれたが、30代半ばになると、チャビーとは言いがたい女性が大半となる。右のオカマはスリムボディなのだが そもそもフィリピン人は野菜が嫌いで鶏のから揚げや脂身たっぷりのポーク・アドボ(豚肉のしょうゆ煮)、クリスピーパタ(豚足の油揚げ)などが大好きで、朝昼晩と大量の米を食する。さらに午前と午後のミリエンダ(おやつ)にスパゲッティやピザあるいはポテトチップなどのジャンク・フードをのべつ幕なしに食べる。それにコーラなどのソフ・トドリンクがことのほか大好きだ。ジョルビーやマクドナルドを上回る勢いのファースト・フード・チェーンのイナサールの売りは、鶏のバーベキューにお代わり無料のライスだ。 彼らは、おかずのソースをご飯にかけて食べる。そうすれば少ない具でもたくさんで食事ができる。おかずがなければしょうゆをかけて食べることもある。これが少ないコストで最大のエネルギー得て、大家族が生き延びるすべなのだろう。 ジェーンもデバインも女性の視点の標準ではチャビーということになるのであろうが、男性の求める標準では間違いなくオーバーウエイトだ こんな食生活が常識で身についている彼らは、貧しくて、3度の食事もまともにありつけない状況にあってはちょうど良い。しかし、経済の発展に伴う中間層の勃興により、多くの人々が食に不自由しない生活を始めている現在、このような食生活を根本的に変えないかぎり、街がおでぶちゃんだらけになるのは必然だ。  メディアは、相変わらずジャンク・フードやインスタント食品の宣伝に明け暮れ、コンビニの売れ筋もジャンク・フードとソフト・ドリンクが本命だ。国をあげて、早く食の改善に取り組まないと、国を滅ぼすことになりかねない。メタボ予備軍のKIANの食生活も周囲の意識の不足のためか、ジャンク・フードに席巻されつつあることに危機感を抱いている今日この頃だ。             ポッコリとしたおなかを誇らしげに見せるKIAN

3人寄れば二人はおでぶちゃん 2014年1月26日



 先日、PRAのノエル営業部長(女性)と部下のマービン課長(男性)が、ロングステイフェアに参加するために安いホテルを探していた。私は、ホテル・サンルート有明をロングステイ財団に提供してもらっていたが、そこは、コーポレートレートでツインが14000円だそうた。そのことを彼らに話したら、ツインを二人で利用するから、予算におさまるので、そこを予約したいとのことだった。  そこでびっくりしたのが、PRAの職員二人、男同士あるいは女同士ならまだしも、上司と部下の男と女が一緒に泊まったりしたら、日本なら大スキャンダルになってしまう。そのことを話すと、彼らは家族のように親しいから大丈夫なのだと言う。ちょっと逆説的だが、他人の男女が同じ部屋に寝ても、親しい間柄なら、フィリピンでは特にスキャンダルでもなんでもないのだ。  KIANはベッドの脇などをシーツなどで囲って小さな部屋を作って中に入るのが大好きだ。だからテントを買って組立ててやったら、早速、中に皆を連れ込んでご機嫌だ  さらに、一昨日、キムが、今夜はKIANと一緒に私の部屋に寝ると言い出して、びっくりした。母親のジェーンも一緒だと言う。何故かと思ったが、自分たちの部屋がペンキ塗り立て中で、臭くて寝ることができない、のだと、悟った。しかし、旦那のカーネルがジャカルタに出張している間に、妻が他人の男の部屋で寝るなんて、日本だったら大スキャンダルだろう。しかし、家族のように親しい我々が、一緒に寝たところで何の問題も抵抗もないようだ。  そうでなくても、キムとKIANが、最近、私の部屋でDVDの漫画を見ながら、二人とも寝込んでしまうことに、不思議な想いを抱いていたところだ。キムといえば、花も恥らう17才のお年頃の娘が、私のベッドに一緒に寝ているのには、いささか抵抗を覚えるが、本人はなんともないようだ。私が、遠慮するようにと話をしたとしたら、何か私が下心を抱いているのではないかと、逆に疑われそうで、言い出すこともはばかれる。ちなみに私の部屋のテレビはUSBが使えるので、USBにKIANの好きな漫画映画をたくさんセーブして、それを見て楽しんでいるのだが、家族的な雰囲気があってまんざらでもないというのが本音だ。 私の部屋で漫画を楽しむキムとKIAN達。夜だとこのまま寝込んでしまうこともしばしばだ  国家警察の幹部という重責を担うジェーンの旦那、カーネルはいつも夜中未明の帰宅だ。たまには2~3日、帰ってこないこともある。そして、まる2日寝ていないと、24時間、部屋に閉じこもって寝ていることもままある。それでも、KIANはお構い無しに部屋で大騒ぎをしている。KIANがおきている限り、 KIANは活発に行動するので、カーネルも寝ているところではないはずだ。  だったら、KIANを別の部屋で寝かせれば良いではないかと、アドバイスするが、ジェーンは、とんでもないと、相手にしない。家族はいつも一緒に寝るのが当たり前で、その原則が最優先するようだ。カーネルといえば、周りでどんなにKIANが騒いでいても文句一つ言うわけはなく、しずかに目を閉じている。  タバコの農場に帰ると、ジェーンは母親や甥姪と農場のファームハウスのゲストルームの一室に寄り固まって寝る。総勢、20名程度に及ぶこともあるので、もう一部屋に分散して寝てはどうかと言っても、皆と寄り添って寝るのがうれしいのだと、耳を貸さない。家族が一緒に寝て、家族の絆を確かめ、幸せを味わっているようだ。  そもそも、フィリピンでは小さな住居に大勢で暮らしているから、家族一同が狭い部屋にごろ寝するのだと思っていたが、どうもそれだけではないようだ。私といえば、最初の子供ができたとき、夜泣きに耐えられず、別室で寝ることにした。それ以来、夫婦別室が定常化して、今に至っているが、確かに家族の絆というような思いはどこかへ置き忘れてきてしまったような気もする。 商売柄、日本から来る退職者のホテルの予約をすることが多いが、ほとんどの夫婦はツインベッドを希望する。しかし、フィリピン人の夫婦は例え、60~70になっても一つのベッドに抱き合って寝るのが普通だという。別のベッドで寝ようなどと言い出したら、それこそ離婚に発展してしまいかねない。  人類700万年、動物の時代も入れると数億年の間、家族はねぐらあるいは巣で寄り固まって、一緒に寝るのが当たり前だった。お互いの体温を感じる距離で、寒さや飢えをしのぎ、そして災害や敵から身を守ってきた、それが家族というものなのだろう。ところが、核家族がもてはやされ、無縁社会などというものが定番化している現在の日本に、体温を感じあう家族というものは果たしてありうるのだろうか。

家族は一緒に寝るのがフィリピン流2013年11月16日


スイスの経済フォーラムは2013年版の「男女格差報告」でフィリピンが世界第5位と発表した。上位、4カ国はすべて北欧諸国で、東南アジアの国としてはダントツ。ちなみに、日本は136か国中、105位だった。  男女格差と表現すると、当然のように男性に比べて女性が差別されており、その格差が小さいことの順位ということだろう。しかし、世の中、常に男性が上位とは限らない。フィリピンでは、どう見ても女性上位、女性が世の中や家庭を引っ張って行っているのではないかと感じる。  従って、男女格差というよりも、女性の地位の順位という事なのではないか。そうなると、少なくともフィリピンなどのトップ10の国々は、男性よりも女性のほうが、色々な面で上位にあるということであろう。  私の住まいがあるバランガイ・サンアントニオのバランガイキャップテンの現職はマミー・ゴーで再選をねらっている   フィリピンでは、女だてらにとか、女のくせに、などという、言葉は死語だ。上司が女性であることに男性は何の抵抗も示さない。マルコス以降、女性大統領が2人半、男性が2人半で拮抗している(エストラーダは任期途中でアロヨに変わったので0.5人と数えた、一方エストラーダの後継で、かつその次の大統領となったアロヨは1.5人と数えた)。一方、司法長官、最高裁長官など国の主要な役職の多くを女性が占めている。従って、女だからこそ、という言葉が当てはまるだろう。   銀行の支店長などはほとんどが女性で、PRAなどの役所でも、マネージメントをはじめ、半数が女性だ。職場においては、男女の区別は全く無い。唯一違いがあるとすれば、女性は60日間のマタニティー・リーブ(有給出産休暇)が保障されていることだ。従って、妊娠のための退職という現象はおこらない。それでは子育ては、どうなるのかということだが、フィリピンではママの親、兄弟姉妹、あるいはメイドやヤヤ(子守)が皆で子育てするから、ママが仕事を放棄する必要は無いのだ。もちろん、介護辞職なんてのもない。だから、女性が職場で自由に能力を発揮できる。 そのマミー・ゴーが票田である我がコンドミニアムに選挙活動にやってきた。KIANから花束をプレゼントされて、最大限の感謝の意を示す。右は管理組合長の検事さまだ。   それでは家庭内ではどうなっているのだろうか。ここでは、紛れも無いかかあ殿下で、フィリピンでは例外なく、妻が家庭を仕切る。家庭内の仕事は料理は夫、洗濯は妻、などと役割が分担されているが、決定権は常に妻にある。そうなると、社会では50:50、家庭内では100:0で女性が有利となると、どちらが上位か、自ずと答えは明らかだ。 ジェーンの結婚式でこの結婚が有効であることの裁定を下した判事、そしてその右はコンドの管理組合の理事長で、二人は法科の同期生だ   1990年代にフィリピンでエンジニアリング子会社の運営を担当しており、多くの学生を面接し雇用していたが、日本では男の仕事と思われている土木工学(Civil Engineering)の学生が、フィリピンでは半数以上が女性だったのに驚いた。そいて機械、電気、建築なども少なからず、女性がおり、化学工学においては大多数が女性だった。工学系でさえ、その有様だから、文系では女性が圧倒していることだろうと容易に想像される。ちなみにフィリピンの大学進学率は日本と同等で30%を越えるが、女性のほうが若干高い。   そんなわけで、 大志をいだく日本女性は、閉塞感のある日本を抜け出して、是非フィリピンに渡って能力を存分に発揮して欲しいと思う。 先日、ダバオに退職者用施設を計画している石野田さん(中央右)をアシストして計画のプレゼンテーションを行った、この時、GM(中央左)他PRAの部長クラスの3名の幹部(両端)が同席したがいずれも女性だった。

男女平等、フィリピンが世界第5位に躍進 2013年10月27日



外国では、ちょっとした習慣の違いから、とんでもないひんしゅく、あるいは誤解を生じ人間関係ににひびが入ってしまうことがある。外国に行って、日本流を押し通したとしても、周囲が理解せず、とんだピエロを演じてしまうことになるから、その国の習慣にはいくら気を使っても使いすぎるということはない。  その一つが、フィリピンでは、恋人や夫婦が外で食事をするとき、彼ないし彼女は必ず隣に座るという習慣だ。すなわち、認め合った二人は必ず仲良く隣同士に座るのだ。これが、あなたの彼ないし彼女に対しての礼儀であり、そしてまた、第3者への意思表示でもある。日本では通常、対面で座るのが習慣だが、これは話し合うのには最適だと思うが、親しい仲でもそうでなくても同じであって、第3者からは区別がつかない。   夫婦は当然のごとく隣り合って座り、子供もその隣にすわる。隣は彼ないし彼女の優先席なのだ  しかし、フィリピンでは男と女が隣り合って座っていたら、その二人は夫婦ないし恋人同士であって、それ以外の関係ではありえない。要はその二人ができていると世間にアナウンスしているのだ。だから、仮にあなたが彼女を対面に座らせたとしたら、彼女は、「ああ、そうなんだ、あなたは私を愛していないのだ」と認識して、彼女は距離をおくだろう。逆に、彼女が対面に座ったとしたら、「私は、あなたの恋人ではありません」という宣言だ。  なぜ、恋人同士が隣にすわるのか、これは、フィリピン人に質問しても、フィリピン人にとっては、あまりに当たり前なので、答えが返ってこない。多分、対面では距離があって、スキンシップというわけにはいかないし、ひそひそ話もできない。となりに座って体を接しあい、スキンシップをエンジョイするのが恋人同士の距離なのだ。一方、食事時といえども他人である異性を50cm以内の至近距離に置くのは身の危険を感じるのかもしれない。 KIANもガールフレンドを家に連れ込んで並んで座っているが、話すこともないようで、二人ともゲームにいそしんでいる  ここで注意しなければならないのは、やたら、異性の隣に座ってはいけないということだ。そこは恋人の指定席だから、そんな関係にないあなたが座ったとしたら、彼女にとって、あなたが恋人なのだと周囲に宣言していることになるから、本人は、とても恥ずかしい思いをする。もし、傍に本命の彼がいたとしたら、あとで内輪喧嘩になることは目に見えている。そんなことをしたら、彼女は二度と会ってくれなくなるだろう、彼とあなたとの関係もおしまいだ。何故、彼らとの関係が壊れてしまったのか、疑問に感じていたら、そんなへまをやらかしてしまったのかもしれない。  カラオケなどでは、当然のようにGRO(ホステス)がとなりに座ってくるが、これは、商売柄、店内ではうたかたの恋人役になるのだから、当然だ。しかし、外へ出たら事情は違う。誰とでも平気でとなりに座る女は、尻軽女として世間から軽蔑されるのだ。 SMデパートであっという間に売り子をものにしてしまったKIAN   ちなみにフィリピンでは酌をするという習慣がない。皆手酌で、好きなときに好きなだけ酒を飲む、決して他人に無理強いをしない、極めて合理的だ。だから、女性が男性に対して酌をするということは決してしない。カラオケでは GRO(Guest Relation Office、要はホステス)は酌をしてくれるが、これは商売だからだ。フィリピン人向けのクラブに行くと、ウエイトレスは酌はしても、GROは酌をしない。だから、日本の女性が男性に酌をするのは大変奇異に見え、商売女かと誤解されるから、決して酌をしてはいけない。フィリピンでは強いて言えば、酌をするのは男性のほうなのだ。

恋人とはいつでもどこでも隣同士 2013年10月20日


7月も半ばを過ぎると、マニラにはいよいよ本格的な雨が降って、道路の冠水も日常茶飯事となる。パソンタモ通り沿いの和食レストランやカラオケが集中するリトル東京/マカティ・スクエアあたりは、よく道路冠水が起きることで有名だ。道路冠水の原因は、もちろん大雨だが、小一時間ほど、ちょっと強い雨が降るだけで、低い場所にある道路は簡単に冠水してしまい、いたるところで道路網が寸断される。ジープニーやSUVならば、水しぶきをあげて走り去るところだが、タクシーなどのセダン・タイプの車は、かなり必死の覚悟で走らなければならない。一旦エンジンが止まってしまうと、排気口から水が逆流して、エンジンがかからなくなってしまうためだ。こんな時に役に立つのがエンジンのない車、すなわち自転車なのだ。 道路冠水は雨季(6月~11月)のマニラの風物で、いたるところで、道路が冠水し、交通が麻痺する  10年ほど前にパソンタモ通りではかなり本格的な下水道工事が行われたが、効果があったのは1~2年で、すぐに元にもどってしまった。そもそも、マニラは地形が平坦だから、いくら道路に沿って排水溝に埋設したとしても、勾配がほとんどないから、流速も小さくて、土砂やごみが堆積して排水路の断面がすぐに小さくなるか、ふさがってしまう。  フィリピンでは予算の関係か、メンテ(維持管理)というものをほとんどしないから、せっかくの排水溝が宝の持ち腐れになってしまうのだ。もし、適切な勾配を維持しようとしたら、末端で水位が海面以下となって流れる先がなくなってしまう。そのため地下に大規模な貯留槽を作って、ポンプでくみ出す等、大規模な工事が必要になるのだが、そんなことは予算の関係でとてもできない。  しかもフィリピン人の悪い習性として、ゴミは下水に捨てるということがまかり通っている。特にスコーターではこの傾向が顕著で、行政の頭痛の種となっている。そんなわけで、道路冠水は雨季のマニラの風物誌として不動の地位を守っているのだ。 2009年台風オンドイによる首都圏の洪水被害は、我がコンドミニアムの前の道路も1m近い水位となってしまい、2週間近く首都圏の機能が麻痺した。    ところが、2009年、台風オンドイの影響で首都圏マニラを襲った大洪水はちょっと事情が違う。マニラの排水を一手に引き受けるパシッグ川が、上流からの大量の雨水と、満潮が重なって、水かさを増し、堤防を越えて陸側に流れ込んでしまったのだ。その結果、空からの雨水と川からの雨水が溜まって、まさにマニラが大きな水溜りになってしまったのだ。この時は排水溝がパシッグ川に流れ込むところに設けられている水門やポンプは、なんの役にも立たなかった。  本来、マニラ上流の雨水は一旦ラグナ湖にためて、大雨の後、徐々に海に流す洪水対策が取られている。この時は、ラグナ湖の水位が上昇して、貯留池としての役割を果たすことができず、大量の雨水がパシッグ川からマニラを襲った。すべてが想定を上回る大雨のために起きたのだが、その辺の解決策は政府レベルで進められているはずだ。 パシッグ側の水位が高いときは水門を閉めて、雨水の逆流を防ぎ、同時にポンプで排水する。従って、満潮で水位が高いときに強い雨が降ると、雨水の流れる先がなくて、至るところで道路冠水が発生する  さて、いよいよ本題だが、マニラ市は、最近、スーパー等で使うレジ袋をすべて紙製のものに変更するという施策を実行した。そこで、運転手役のボボイに質問した。「何故、プラスティックの袋を紙袋に変更したのか?」と。彼は、「知らない。」と答えた。さらに「それは良いことか?」たずねたら、「良くない。とても不便だ。」と回答し、会話は先へ進まなかった。  さらに。17歳のキムに同じ質問をした。キムは「それは地球のCO2を減らし、オゾン層の減少を防ぎ、地球の環境破壊を防ぐためだ。」と学生らしい回答だった。しかし、これではマニラ市の役人の思いを全く理解しておらず、市民の協力を得るまでは道のりは遠い。 首都圏の小売店の袋はすべて紙製に換えられた。紙であれば、薪代わりに使うこともできるし、捨てられてもいずれ溶けて流れて下水管を詰まらせることもなかろうというわけだが、その努力は報われるのだろうか  そこで今度はジェーンに質問した。ジェーンは即座に「下水道を詰まらせているプラスティックのゴミを減らし、洪水の元凶となっている排水管の詰まりを解消するためのものである。」と回答した。さらに続けて、「私は、買い物袋を持って買い物に行くので、紙の袋さえも必要としていない。それを徹底するために、いっそ、レジの袋を有料にすればいいのだ。」という、模範解答が帰ってきた。   そこでボボイの回答を披露すると、「庶民は、公共の利益については全く関心がなく、自分の利益だけを追求している。なかには、下水管をプラスティックで塞いで道路冠水をわざわざ引き起こし、それで、人や荷を運んだりしてチップを稼いでいるけしからん輩までいる。だから交通整理の係官は雨が降って交通整理の仕事がないとマンホールがプラスティックで覆われていないか見回っているのだ。」と憤慨し、庶民の意識の低さを憂いでいた。庶民レベルまで彼女のような意識を持ったら、マニラももっと住みやすくなると思うのだが、先の長い話だろう。

道路冠水/洪水と紙製レジ袋の因果関係 2013年7月20日



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昨夜、夕食をとっているとき、おかずに出た、スープの具の魚がぼそぼそであまりにまずいので、二度と買わないようヤヤに申し付けた。一緒に食事を取っていたジェーンとキムにも同意を求めたが、はっきりした返事がない。それでもしつこく、何故おいしくないか、マグロにしてはおかしい、など、同じ話をぐたぐたと続けた。そうするとジェーンが堪忍袋の尾が切れたように、食事中に食べ物への小言はやめろ、それは神への冒涜だと言うのである。食べられるだけでありがたいと思え、出された食事は黙って食べ、もしもどうしてもいやなら手をつけないで、「まずい」などと決して口に出してはいけない、特に子供の前では禁句だと、と叱りつけられた。 KIANの大好きなサイカでは、堅い焼きそばとエビフライ定食が、定番だ  それに対して、私の抗議は続く。フィリピン人同士としてはそれはそれはいいだろう。しかし、外国人に接するときは大いなる誤解を生じて、摩擦の原因になる。口ではおいしいと言いながら、本当はまずいから手をつけない、外国人にとって、それは嘘つきと映るのだと。  この日、たまたま、KIANと双子を連れて、あこがれのサイカに食事に連れて行った。いつもビーフ鉄板焼き定食では、物足りないだろうと気を利かせて、和風ハンバーグ定食を双子に注文してやった。これはアスパラ・ベーコン巻もついてフィリピン人に対しては定評のある料理だ。しかし、ハンバーグに乗っていた半熟の目玉焼きをフォークで突っついて、ちょっと味見をしただけで、二人とも決して手をつけなかった。おいしくないのかと何度聞いても、おいしいと答えるばかりで、KIANの堅い焼きそばのつゆをご飯につけて食べたりしている。いつものうれしそうな顔も全くないし、ヤヤもノーコメントで、当方としては手の打ちようがない。 この日は、私が注文した冷やし中華にも手を伸ばしていた。お酢の味がする冷やし中華はKIANの苦手だったはずなのだが、ちょっと嗜好がかわってきたようだ  夕飯の時のジェーンのコメントで、双子の態度が理解できた。双子は、口ではおいしいと言いながらも、本心は全く逆で、まずくて手が出なかったのである。他人がいくらおいしいと言っても、本人がまずいと感じて、手をつけないのだから、どうしようもない。いつもホットドックと目玉焼きを常食とし、チキンのからあげが最高のご馳走と思っているのだから、所詮、日本レストランでご馳走しても猫に小判なのは、わかっているつもりだ。私にとっての主賓はあくまでもKIAN王子なのだが、双子はKIANの家来だから連れて行かないわけにはいかない。  以前、よく通っていたレストランで、隣に座った店のマネージャーからおすそ分けをもらったことがある。おいしいかと聞かれて、正直にまずいと答えた。そうしたら店中が爆笑に包まれた。さらにもう一度おいしいかと聞かれ、また、まずいと答えたら、さらにまた爆笑の渦。これは私が、あまりに非常識な答えを返したので、まるで漫才のように映ったのだろう。特に他人から勧められたものを正直にまずいと答える非常識な人間はフィリピンにはいないのだろう。おいしいけど、後で、とかあいまいな返事で、ごまかすのフィリピン流なのだ。 お好みのビーフ鉄板焼きではなくて、和風ハンバーグ定食を注文され、それには全く手をつけず、ブスッとしながら食事をする双子  思っていることを、そのまま口に出さないのはフィリピン人の特性で、彼らの言動を、その態度から理解することが重要だ。そうでないと、フィリピン人の心情を理解できず、変にギクシャクしてしまう。それを、嘘つきめ、などと思っていたら、100年フィリピンに住んでいても友人はできないだろう。  大分前に、駐在員時代にフィリピンの文化社会人類学者の講義を受けたことがある。その中で、興味ある話題として、フィリピン人の「7つのYES」というのがあった。フィリピン人が例え「YES」と答えてもそれには7つの意味があって、それを的確にとらえないと、相手の真意は理解できないというのだ。 家ではホットドックがと目玉焼きが主食。よくまあと思うほど毎日食している ①本当のYES ②よくわからないが、多分、YES ③わからないから、とりあえず、YES ④あなたがそういうのであれば、YES […]

フィリピーノは何故嘘をつくのか(7つのYesの謎) 2013年6月9日


昨夜、NHKで、爆笑問題の司会で、日本の性の多様性についての番組をやっていた。レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー(性倒錯者)、4つまとめてLGBTというらしい。レズは女同士、ゲイは男同士が愛し合うもので、最近、アメリカの一部の州では同性の結婚が認められるなど、世の中に認知されつつあるようだ。バイセクシュアルは両性を相手にするもの、光源氏などはこの手であったようだ。トランスジェンダーは体と精神が性的に一致しない、いわゆるオカマやオナベだ。これら、LGBTは20人に一人、国民の5%に達するというから、全国で600万人という大変な数にのぼる。そのメッカが新宿2丁目だそうで、そこには同じ性向の人々が相手を求めて多く集まるそうだ。  モール・オブ・エイシアの近くのシーサイド・マーケット・レストランの呼び込みはほとんどがバクラだ。声をかけられているのはビジネスパートナーのジェーン   レズビアンとゲイでは例え結婚しようとも子供を作ることはできないから、いずれ滅ぶべき資質のはずだ。さらに、そもそも性が存在すること自体が種の保存のためだから、同性同士の愛というもの自体が、自然あるいは神の教えに背き、排除されるべき存在だとフィリピンではみなされる。さらに、かのエイズは同性愛者の間で爆発的に流行し、人類を恐怖に陥れたが、これはまさに神の同性愛に対する警告あるいは処罰なのではないかとさえ考える。アメリカや日本などの先進国ではこの同性愛がはばをきかせているようだが、ここ敬虔なクリスチャンの国、フィリピンで話題になることもなく、存在しないか、深く静かに潜行している。この辺をジェーンに糾してみると、その存在さえも信じられないとの回答が戻ってくる。 同じくシーサイドマーケットレストランの呼込み嬢、カメラを向けると集まってきてポーズをとってくれた   トランスジェンダー、すなわちオカマやオナベは日本と同様に人口の5%を占めるとしても納得が行く。女装のオカマは少ないものの歩く姿を見れば、一目でそれとわかるし、まるで男の格好をして女の子と手をつないで歩いているオナベもいたるところで見かける。フィリピンではこれらのトランスジェンダーは市民権を得ているから、その本性を隠そうとしないのだ。その点、ちょっとかわった人々を社会から排除して差別する日本とは大いに異なっている。  彼女らは最大限女らしさを発揮しようとするが、傍目にはそれが奇妙でおかしい  そもそもトランスジェンダーは、人間が生まれてくるときに、肉体の性別に対して、精神のミスプログラミングで、食い違いが発生してしまったものだろう。しかし、それはそれで、人間社会にバラエティを与える余興のようなものだ。だからフィリピン人は彼らを受け入れ、自然な友人関係を築いている。どうしても女に見られたいバクラは化粧をしたり、整形をして、女らしく見せようとする。これは普通の女性が化粧をしたり、整形をしたり、ダイエットする思いと一緒ではないか。  ジェーンの兄のアランの実質妻(癌で他界)の兄のジョジョ。農場にしばらく暮らしていたので、私の息子の良き友となっている。お決まりのビューティッシャンだが、その性格はすこぶる良くて、人気者だ  オカマのことをフィリピンではバクラという。このバクラは、普通の事務所でもいるし、不動産の営業や、いたるところで普通に働いている。特に、ビューティパーラーやダンスインストラクターはほとんどがバクラだ。彼らあるいは彼女らはバクラであることを誇りにさえ思っているようだ。一方、バクラであることが就職には影響しないという、なんともおおらかな世の中だ。  農場のクリスマスパーティに女装で飛び入りで参加したジョジョの友達。彼らは女装することに大いなる喜びを感じるらしい。周囲の子供達は大騒ぎだ  オナベのことをトンボイというが、髪を短く切って少年のような格好をしているが、胸が膨らんでいて、独特な雰囲気をかもし出している。彼らはセキュリティ・ガードなどの男性的職業につくことが多い。かの花街の雄、ミスユニバーサルで出演していたローズ・アン・グループの女の子達のボーイフレンドは、ほとんどがトンボイだったそうだ。 近所のレストランで出会ったトンボイ。腕には刺青をして大いに勇ましい  現在、フィリピンでナンバー・ワンのコメディアンであるバイス・ガンダは。まさにバクラだ。本人もバクラであることを売りにして、舞台でも地で通す。それが大いに共感を呼び、圧倒的な人気を博している。知名度においては芸能界一番といっても過言ではない。ちなみにバイスは英語であり、「副」という意味で、ガンダはタガログ語で「美」という意味、日本語にしたらどうなるか、いい言葉が思い浮かばないが、まさにバクラの人気者にふさわしい名前だ。  前々回の統一選のマカティ市長候補の応援会場でパーフォーマンスを披露したバイス・ガンダ。聴衆は候補者よりもバイ・スガンダのショーに喝采を送った  いつも女の子に見られるKIANが、バクラではないかと、つい先日までママ・ジェーンは心配をしていた。フィリピンでは子供ができると、この性の不一致がないかどうか、親は心配する。赤ちゃんは男も女もないのでわからないが、物心つくころになると、ママは肉体的な性と精神的な性が同じかどうか目をこらして観察するのだ。KIANの場合は、最近のあまりにもスケベな行動に、ママ・ジェーンのそんな心配は吹き飛んでしまったようだが、今度は、セックス・マニャック(異常性欲者)ではないかと、心配は絶えない。  […]

フィリピンの性事情 2013年6月8日



ビザ申請にやってきた女医のYさんをマニラ見物に案内した翌日、今度はジェーンがエステに案内した。フェイシャルとボディのエステが希望で、これだけは私の手に負えない、そのため、ジェーンのお出ましとなり、グリーンベルトのベロ・ビューティ・クリニックに案内してもらった。ベロといえば芸能人ご用達の有名なエステ・クリニックだ。 グリーンベル4の2階を覗いてみたら、洋麺屋五右衛門が開業していた。同行したYさんによると日本でも有名な店だそうだ。ラーメンの山頭火やユニクロの出店ラッシュの流れのようだ。 その日は、日曜だったので、我が家にはカーネル、息子、キム、ヤヤ、KIAN、それに田舎からやってきていたマミー(ジェーンのお母さん)やビアンカ、それに5人の子供達がいた。そこで、事件が立て続けにおきた。まさに我が家の大黒柱=守護神のジェーンがいぬまに、鬼か悪魔が家に忍び込んだように、3つの事件が同時に発生したのだ。 ショーケースにはおいしそうなピザやスパゲッティが並んでいる。日本風イタリア料理は、果たしてフィリピン人に受け入れられるのだろうか その① 部屋中、煙事件  昼飯時間になったので、2階に上がったところ、誰もいない部屋中に、煙がもうもうとしていた。白い煙ではなくて油くさい黒っぽい煙でダイニングとキッチンがもうもうとしている。一体何がおきたのかと、大声でヤヤを呼んだ。ヤヤは部屋でKIANの相手をしている。ビアンカやマミーも3階から降りてきた。なにやら皆で大騒ぎをしている。  マミーはえらい形相でビアンカ(17才)やヤヤ(子守)を怒鳴りつけている。ヤヤとビアンカは、事態の収拾に忙しい。何かビアンカがへまをしたのかと、ヤヤに聞くと「私にも責任がある」という。後から、ことの次第を聞いてみると、要は、ヤヤが昼食の準備中にKIANが泣くのであやしに行って、ビアンカに後のことを頼んだ。しかし、ビアンカはメンスで体調が優れず、3階に上がって、寝てしまった。そうこうしているうちにフライパンの油が煮立って蒸発して、部屋中が油くさい煙でいっぱいになってしまったのだ。 この日は双子の8歳の誕生日ということで、サイカに招待した。もちろん主役はいつもKIANだが、双子にとっても喜びのひと時だ  しかし、マミーのビアンカに対する怒りは収まらず、ビアンカを怒鳴り続ける。マミーは養女のビアンカを農場でメイド代わりに使っているから、親あるいはボスとして、ビアンカを叱るのは日常茶飯事だ。蒸発した油に火でもついたら大火事になりかねない。だから、マミーの怒りは30分しても収まらず、ビアンカに罵声を浴びせ続ける。多分、ビアンカの生い立ちから始まって、恩知らずなど手厳しい言葉が飛び交ったのだろう。一方のビアンカはただ黙々と後始末をしている。マミーの顔を見ると、もはやヒステリーの絶頂で、いぶかしげに見つめる私の目などは全く見えてはいないようだった。 食事の後、ジェーンから双子の記念写真をとるようにとの指示があり、急遽、車の中で記念写真。マニラと田舎と分かれて住んでいるせいで、体格や顔に少々違いが出てきているが、この写真ではどちらがどちらかわからない その② KIANのこむら返り事件  数日前から、下痢で体調を崩していたKIANが足がつって、ふくらはぎの痛みを大声で訴えていた。カーネルやキムはいたが、手に負えない。私も駆けつけて、KIANの足を押さえて直そうとするが、KIANはつま先を伸ばして抵抗し、ふくらはぎは硬直している。なんともならず、皆、パニックに陥るばかりだ。   ジェーンが戻ってから件の女医さんに診てもらったら、下痢が続くとナトリームやカリームが不足してこむら返りを起こしやすいとのこと、だから緊急にそれらの成分を補給する必要があるとのこと。用意しておいたポカリ・スエットは、どうしてもKIANが嫌がるので、味噌スープを飲ませることにした。女医さんも、それがいいという。ちなみに味噌スープはKIANの大好物だ。普段、ソフト・ドリンクを口にしないKIANはポカリ・スエットがどうしても飲めないようだ。 たまたまビザの申請に来た女医さんにお腹の具合を診てもらうKIAN。なぜか、お医者さんに診てもらうだけで安心して具合がよくなってしまうものだが、英語の達者な女医さんと話をして、KIANも大分、安心したようだ その③ カメラのメモリー消去事件 […]

我が家の同時多発事件 2013年5月16日


夏休みを利用して、農場のあるタバコからジェーンの甥と姪、4人、さらにマミーやビアンカなど合計6人が、遊びに来ていた。それに息子が日本から戻り、も ともとの住人7人とあわせて総勢14人が我が家に滞在していた。まだこのほかにも、6人の甥や姪が田舎に残っているが、夏休みの後半には彼らもやってくる 予定だそうだ。  その中で、いつも、なんとなく一人でつまらなそうにしているのが、ジェーンの弟、ボボイの3人目の子供のタムタム君(7才)だ。 双子の姉(アレアとアレクサ、8才)と、長兄ダシンの次女バレリー(10才)も一緒なのだが、なんとなく仲間はずれになっていることが多い。 子供達を連れて行きつけのサイカで食事を取ることが多いが、ボボイはタムタム君の面倒をかいがいしく見ている  そんなある日、事件がおきた。 KIANがタムタムに絡みついてきたので、タムタムがKIANを振り回して、転ばせてしまい、その折、KIANは顔を床にたたきつけて口びるを切って血を 流してしまったのだ。その話を聞いて寝室に行ってみると、泣き疲れたKIANが、上口びるを大きく腫らせて寝ていた。タムタムは、自分自身がまだまだ幼い 子供と思っているから、4つ下のKIANに対しても手加減というものを知らない。それにKIANは誰彼となくパンチを食らわしたり、足蹴りをかます乱暴者 だから、人が見ていないことを幸いに日ごろのうっぷんを晴らしたのだろう。  3才になりたての子供をやっつけようと思えば簡単な話で、タムタムが人目を盗んで、階段の上からKIANを突き落とすことさえもありうる。そんなわけ で、私からジェーンに「一刻の猶予なくタムタムを我が家から追放せよ」という命令が下された。 この裏には、日ごろからタムタムの存在がうっとうしく思われた私の心理が働いていたかもしれない。 近所のスーパーマーケットで試食品を口にする子供達。中央のちょっとらっきょ頭をしているのがタムタム君。KIANも、この試食品大好きだが、この直後、バレリーがKIANから受け取った試食品を食べてしまい、大騒ぎになった […]

タムタム君の試練 2013年5月12日