フィリピーノ気質


フィリピンにやってきて最初にびっくりするのが、街中いたるところにショット・ガンを構えて立っているセキュリティ・ガードの存在だ。このことが、”フィリピンは危険”というイメージを助長していると思う。銀行やポーンショップ(質屋)そしてホテルやコンドミニアムにセキュリティ・ガードは必須だ。それにオフィス・ビルやデパート、レストランやコンビニなど、お金や人の集まるところには必ずいる。 果たして、彼らが活躍するほどフィリピンでは犯罪が多発するのだろうか。私にはとてもそうは思えない。彼らが、銃を使う機会は一生に一度もないだろう。も ともと犯罪がないのか、あるいは彼らの存在のおかげで犯罪がないのか、どちらか分からないが、フィリピンの風物ないし慣習といってよいかもしれない。 慣れると、彼らの存在ははなはだ重宝で、常にそこにいて出入りする人間を見張っていてくれるというのは店の人、住人、客にとってはとても心強い。しかも、 彼らのテリトリーの中では警察権を持ち、逮捕、場合によっては犯人を射殺することもできる私設の警察なのだ。昔、ちょっと事情があって私専用にボディガー ドを雇ったことがあったが、つかず離れず24時間守られているというのは、なんともはや心地良く、安心できるものだった。 (いつも退職者を案内するBank of Commerceのガード、こちらが上客であることを知っていて、駐車や時間外の入店など、色々と便宜を図ってくれる) セキュリティ・ガード、運転手、シー・マン(船員)は巷の男の仕事の3羽ガラスといってもよい。一方、女の仕事はメイド、ウエイトレス、セールスガール (売り子)、マッサージガール、それにGRO(ホステス)などと働く機会は男よりも多い。オフィスや工場などでも男女の数は似たようなものだ。だから、巷 で所在無げにたむろしているのはほとんどが男だ。  このセキュリティ・ガード達は専門の会社に所属し、訓練を受けて、それぞれの依 頼先に派遣される。これらの会社を経営しているのは国家警察幹部のOBが多く、元PRA長官のゼネラル・アグリパイも大きなセキュリティ・エージェントを 経営し、マカティ・グロリエッタのセキュリティガードの派遣を一手に引き受けていたそうだ。 […]

セキュリティガードの賢い利用法 2011年7月21日


 フィリピンに住んでいたらやっぱりフィリピン人好かれたい。皆に好かれて愛されれば、何かあっても皆が守ってくれて、安心だ。病気になったり、経済的に 困っても皆が助けてくれるだろう。日本では、あまり気にもしないことが、いやがられたり、きらわれたりする。逆に、どうでも良いと思っていることが、やけ に感謝されたりする。「うそはうそだから悪いこと」、「悪いことをしたら叱られるのは当たり前」「借りたものは返せ」、「うそは泥棒の始まり」などなど、 道徳教育でとことん仕込まれた日本での倫理・常識は日本においてきて、この際フィリピーノ流をしっかり身に着けよう。 中庭の飾り物をおもちゃに遊ぶのが大好きなKIAN 1.マバゴとマバホ(香りと臭い) フィリピーノはにおいに敏感だ。体臭と口臭をことのほか嫌う。だから、でがけに必ずシャワーを浴びて準備万端でお出ます。フィリピンで体臭や口臭を感じ させる人はまずお目にかからない。しかし、欧米やアラブ、あるいはインド人などと比べたら、はるかに清潔と思っていた日本人でもかなりの確立で臭う人はい る。特に老臭や口臭は避けがたい。老臭にはクエン酸を多く含む食べ物、梅干などが効果があるそうだ。また、パセリを常食する人に口臭はないという。ちなみ にタバコや酒で臭い人は多いが、何故かフィリピン人はこれさえも無い。フィリピーノが鼻の下を人差し指でこすったら、臭いという意思表示で、最大の侮辱の 表現だから、さっさとその場から離れ去ったほうが良い。もてるコツ、その一は「いつも清潔に、においは大敵」だ。 ランドセルにミルクやおやつを背負って出かけるのが日課のKIAN 2.マバエット(優しい)  理想の男性像はと聞くと、のまず最初に出てくるのが「優しい人」、だ。いつでも笑顔、怒っていても笑顔、遅れてきても笑顔、文句を言うときも笑顔、とにかく笑顔を絶やしてはいけない。仕事で部下に何かややこしいことを質問するとどうしても難しい顔になってしまうが、相手はそれを「怒っている」と受け止めて、構えてしまう。あるいは怖くなって、言い訳から始まって、まともな答えが返ってこない。そんな場面でも笑顔を交えて話せば、相手もリラックスして協力的になる。笑顔以外の表情はこの国ではいらないくらいだ。もてるこつ、その2は「いつも笑顔で優しく」だ。   水遊びが大好きなKIANはびしょびしょになりながら、鉢植えに水をやる。コンドミニアムの中庭をさまようKIAN […]

フィリピーノにもてる五つのこつ 2011年7月5日



 拙著、「金なし、コネなし、フィリピン暮らし」の133ページの囲み記事で紹介した、五つの「あ~ない」はフィリピン人と付き合っていく上での心得を端的にまとめた、先達の伝説的名言だ。すなわち 「あせらない」、「あきらめない」、「あたまにこない」、「あてにしない」、「あまやかさない」だ。これにあやかって、いつも気になるフィリピーの気質を、五つの「あと~」にまとめてみた。  1.なにか頼むといつでも答えは「あとで(ママヤ)」、何かしていて忙しい訳でもないのに、何で「あと回し」なのか理解に苦しむ。そしていつやるのかと思ってみていると、いつまでもやらない。それで催促すると、また、「あとで、(ママヤ)」と同じ答えをする。なぜやらないのかと、責めると、「しつこい、(マコリット・カ)」と逆襲される。そして、期限ぎりぎりになって、あわてて始めるが、もはや手遅れとなっていることが多々ある。あるいは、いつまでもやらないので、仕方がないから、自分でやってしまう。件の敵は、きっと、「はじめから自分でやればいいのに」と、思っているのだろう。 ちょっと風邪気味で大きな鼻ちょうちんをつけてぐったりとして抱かれているKIAN  2.遅れてきたり、忘れたり、何か失敗をしでかしても、いかにもそれがはじめから必然であって、自分に責任はない、という「あと訳(あとからするとってつけたような言い訳)」をする。例えば、書類を日本に送ってもらおうと、タイプした日本の住所を渡して郵便局に行かせたら、戻って来た伝票の住所が違う。町名が抜けていたのだ。彼いわく、「住所が長すぎるので落ちてしまった、郵便番号があるから問題ない」と、それがミスだとは決して認めようとしない。確かに書類は届いたから良かったものの、送り先不明で戻ってきたら、とんでもない費用と時間のロスだ。ちなみに日本へのEMS(国際スピード郵便)の料金は717ペソで彼らの2日分の給与に匹敵するのだ。  お気に入りのテレビ番組を興味深げに眺めるKIAN   3.サリサリやトロトロではつけ売りが一般的で、個人的に何か売っても、その場で現金で支払うことはほとんどなく、「あと払い(ウタン)」が当たり前だ。お金を貸したらまず戻ってこないと思ったほうが良いが、この「あと払い」も踏み倒されてしまうことが多い。こんな商売をやったら儲かる、農地を買ってこんな作物を作ると儲かるから、まず金を出してくれ。儲けは「あとで払う」から、と数万円から数十万円の出資を持ちかけられた経験をお持ちの方が多いと思う。そして実際に出資金の配当あるいは返済をしてもらった人は果たして何人いるだろう。くれというのは恥ずかしいから、「貸してくれ」、あるいは「出資してくれ」というが、実際はもらったものと思っていて、それによって自分達の生活の糧を稼ごうとしているだけなのだ。彼らにしてみれば、「本当に戻ると思っていたのか」と、心の中であきれているのだろうが。 ヤヤ(子守)もKIANと一緒に楽しそうにテレビに見いっている。大人と1歳の赤ちゃんが一緒に楽しむ番組は一体なんだろう  4.フィリピン人の時間のルーズさにほとんどの人は頭に来た経験があるだろう。その原因はさておき、約束した時間をとうに過ぎているので、電話で「いつなったら来るのかと」催促すると、決まって「あと少し(マラピット・ナ)」と答える。そしてすぐ近くに来ているはずなのにさらに30分も現れない。歩いても10~20分くらいのところを、なぜ30分もかかるのだ。この「あと少し」を決して信じてはいけない。いつかそのうち来るだろうと、マイペースで他の事をしながら気長に待つか、自分も遅れていくことだ。  KIANの笑顔はまるで天使だ。すべての大人を魅了する。  5.事務所や部屋をフィリピーノが使ったらすぐに分かる。なぜなら、パソコンやテレビを使ったら、そのまま「あと片付けをしない」ので、色々な設定を自分でやり直さなければならないのだ。人のものを使ったのだから、使わしてくれた人が使いやすいように「元に戻しておこう」とは決して思わない。「やったらやりっぱなし」が、フィリピン流だ。これを責めると、やはり「マコリット・カ」逆襲される。「親切心で貸してやったのだから、ついでに元へ戻す位のことを自分でやって何が悪いのか」と。  それが数秒後には悲しげな顔に激変、そしてまた数秒後には再び笑顔が戻る  フィリピン人は奥が深くて理解するまで数十年の月日を要するようだが、我々日本人にとってネガティブな面ばかりではない。愛すべきフィリピーノを大分こき下ろしたので、フィリピーノの心に宿る日本人にはもはや失われた「五つの愛」を紹介する。 ①切っても切れない家族の深い絆、家族愛 ②お年寄りと赤ちゃんを心から愛し、大事にする、弱者への愛 […]

フィリピーの気質、新五つの「あと...」2011年7月4日


 本名Kimbery May Yang、ジェーンの旦那の娘が今回の主役だ。私の著書「金無し、コネ無し、フィリピン暮らし」の最終ページを飾ったことで、一躍有名になった(?)彼女 に私が始めて出会ったのが2006年6月、まだ10歳(小学5年生)になったばっかりの子供だった。父親のカーネル・ヤンは長いことシングル・ファーザー で、KIMは母方の実家に預けられている。実家はバギオの東方ヌエバ・ビスカヤにあるが、年末休みと夏休み(3月~5月)には片道7時間かけてとんぼ返り で迎えに行くのが父親の役目だ。  2007年11月、All Saint Days(万聖節)の休みでタバコへ行った時、11歳(小学6年生)になっていたKIMはとても可愛くなって女っぽさが出ていた。  右端の背の高い若い男は私の息子のKCで、このころ年に3~4回、フィリピンに遊びに来ていた。  2007年のクリスマスはカーネルのお母さんもタバコの農場に招待して、盛大にパーティを催した。ちなみにカーネルの実家はレガスピでタバコから車で30分くらいの近場にある。  2008年5月の夏休み、12歳のKIMは、休みが明けるといよいよハイスクール1年生になる。ハイスクールからはマニラで父親と一緒にクラスはずだったが、願書の提出が遅れ、さらに4年間田舎に住むことになってしまった。 12歳になったKIMは身長も母親代わりのジェーンとほとんど同じになっている。父親は背の高い家系なので、どこまで背が伸びるのか楽しみだ。 そしてこれが問題の写真だ。パソンタモ沿いのオリエンタル・ガーデンというコンドミニアムのプールサイドで取ったものだ。フィリピンの人はこんな子供でも、カメラを構えるとポーズをとることを忘れない。  このときはたっぷりマニラに滞在したので、マニラホテル、シーサイド・マーケット・レストラン、知り合いのバプティスマル(洗礼式)など出かける機会が多かった。 […]

KIMの成長記録 2011年6月13日



先日、訪問中の子供達を招待して天々火鍋で食事を取った。その後、私は客とカラオケに出かけたのだが、皆が帰るとき事件は起こった。コンドミニアムの近くまでやってきて、運転をしていたボボイが、強引に角を曲がって、向こうから来た車とすれ違えなくなってしまった。姉のジェーンは狭い道を向こうから車がやってくるのに、なぜ突っ込んでいったのかと、ボボイを責めた。そこで謝ってしまえばいいのに、ボボイはいつものように、なんかかやと言い訳を言った。そこでジェーンが切れてしまい、ボボイにぼこぼこにパンチをくれてやったのだ。 (KIANは何かほしいものがあると、それを指差して手に入るまでねだる。私を見ると指差すが、これは抱っこのおねだりだ)  後から、ジェーンはそのときの様子をパクヤオ選手のようにパンチを浴びせたと、笑って話して聞かせてくれた。メイドのレンは、それを見ていて恐ろしがって泣いていたそうだ。今まで現場は見たことはないが、ジェーンがボボイに張りピンタを30分くらい浴びせ続けたとか、そんな話を何度か聞いたことがある。相手はボボイに限らず、他の甥や姪にたいしても、たまにあるそうだ。普段はあんなに兄弟、甥や姪を思いやっているのに、なぜ時たま鬼のように怒るのか理解に苦しむ。悪さをしても言い訳をして謝らないと頭に血が上って、怒りをコントロールできなくなるらしい。 (KIANは私の部屋で遊ぶのが大好きだ。普段は親の部屋にいるから、ここには色々と目新しいものがあって、KIANには宝物のように思えるのだろう。私の孫の手を振り回して部屋中を歩き回っている。)    先日NHKで「虐待の連鎖」という番組をやっていた。芥川賞を受賞した有名なシングル・マザーの作家が、息子を虐待してしまうためにカウンセリングを受けていた。彼女は息子が意にかなわないことをすると、怒りをコントロールできなくなり、8時間も殴り続けるという。しかも、それが子供への虐待ということを認識できないでいるそうだ。カウンセラーは彼女から、小さいころ両親に虐待を受けていたことを聞き出した。本人は虐待と思うわず、自分が悪いことをしたからと殴られるのあって、良い子でいようと気をつけたという。そしてまた、その両親も親から虐待を受けていたことが明らかにされていく。親から子へ、そして子からそのまた子へと虐待が引き継がれていくのだという。 (家の中を自由に歩き回ることができるようになったKIANは台所のキャビネットからお気に入りの容器を探し出して、意気揚々と部屋に引き上げていく)   一方、ジェーンはどうなのか。以前良く話していたのは、母親に箒や棒で尻を散々殴られたことだ。もちろん何か悪さをしたためだが、彼女は泣かないで必死に歯を食いしばって耐えたと、笑いながら話していた。現在。彼女の母親思いには頭が下がるようで、決して母親を恨むようなことはない(ちなみにジェーンの母親は旦那と死に別れてからは、女手一つで4人の子供を育てた苦労人だ)。しかしながら、ジェーンは、この虐待ともいえる行為をしっかり受け継いでいるようだ。しかし件の子供達はジェーンの怒りを虐待と受け止めず、少しもうらむこともなく、心から慕っている。どこから虐待で、どこからがしつけなのかの判断は難しいところだろうが、親はえてして自分の感情をコントロールできずに、子供に暴力を振るうのを、しつけと称して言い逃れをしているような気がする。 (家中を歩き回って疲れたのかおもちゃの車に乗ってヤヤに汗を拭いてもらっているKIAN。興味は乗ることだけにはとどまらず、車をひっくり返して構造を研究している。)    人は多かれ少なかれ、虐待の連鎖のような親の負の遺産を背負って生きているのではないだろうか。その遺産が人格一部をを形成しているのだろう。切れ安い人の親はきっと切れやすかったのだろう。仲の良いやさしい夫婦の子供はやはり優しい。子供の人格を形成する上でいかに家庭環境が重要であるかだ。たとえ夫婦の一方に虐待の連鎖の気(ケ)があったとしても、一方の親が子供を暴力から守るだろう。NHKの番組の場合は両親とも虐待の連鎖を背負っていたのが悲劇だったようだ。そして彼女自身はシングル・マザーなので歯止めをかける身内がいない。NHKはこの虐待を止めるには彼女自身が虐待を受けていたこと、そして自分が子供に対して虐待をしていることを認識することが重要だと説く。   (気に入ったものを手にすると得意げに差し出すKIAN。これを受け取るとすぐに返してよこせとせがむ。それを無視して取り上げると、大騒ぎになってしまう)   しかし、親から受け継いだ遺伝子をそう易々と変えることができるのだろうか。もちろん、否である。だから子育ては夫婦の役目なのであって、劣性の遺伝子(虐待)は優性遺伝子により封じ込められなければならないのだ。しかし、究極の核家族であるシングル・マザーという状況そのものが虐待という遺伝子を封じ込めることができず、それが猛威を奮って、子供が犠牲となっているのだ。きっと、この子も将来、親の負の遺伝子を受け継いで、いじめや虐待を行うことになってしまうのだろう。 (DVDのスイッチを自分で入れて曲にあわせて踊りだすKIAN) […]

虐待の連鎖 2011年5月26日


     先日、訪問中の日本人と銀行に数百万ペソという大金を下ろしに出かけた。大金を下ろして銀行を出た途端に強盗におそわれるという事件が発生したこともあるので、この日はカーネルに護衛に付き添ってもらうなど、慎重を期した。出かける段になって車に乗ると運転役のボボイの子供、タムタムが乗っているのに気がついた。まさかと思ったが、ボボイはかいがいしく後ろの3列目の座席を用意してタムタムを同行させようとしている。びっくりしたが、姉のジェーンもカーネルも黙っている。一方、自分の息子のキアンを連れて行ったのではいざという時足手まといになるからと、ジェーンは、連れて行って欲しいと涙を流して見つめるキアンを置いていったのにだ。注:タムタムは弟が出来て母親が面倒見切れないので現在、ボボイと一緒にマニラに出て来て我々のところに居候している。     同行した日本人も私も狐に包まれたように黙っていた。フィリピンでは人の子供にとやかく言うのはご法度だ。しかしボボイは平気な顔をしている。後から聞いたその日本人のコメントは、「もし賊に襲われたとしたら、子供の存在が我々を窮地に陥れる可能性もある。銃をしたためて同行したカーネルも難しい局面に追い込まれるであろう。何故ボボイは子供を連れて行ったのか、そして何故皆はタムタムが一緒に行くことを止めなかったのか」だった。もっともなことなのだが、当のボボイは一体何を考えているのだろう。私としてはタムタムに関しては一言も二言もあるのだが、親とその姉のジェーンがいる前で、子供を車から降ろせとはなかなか言いがたいところがある。  以前、私が私が所属していた会社のフィリピン子会社を経営していたころ、私の右腕とも言えるアドミのトップの子供が事務所に遊びに来ていた。それを駐在日本人の一人が守衛を使って、子供を事務所の外に出した。その報告を受けて、親の心境いかなるものかと慮って、その日本人に、「彼女は私の部下なのだから、そんな実力行使に出る前に、私に言ってくれ」と、文句を言ったことがある。そうしたら彼は「私が何か悪いことをしましたか」と食ってかかってきた。案の定、数年後、人づてに耳にした彼女の感想は「こんな屈辱を受けたのは生涯で初めてだ」ということだ。だからフィリピーノの子供の扱いはとても微妙で難しい。ちなみにレストランで子供が大騒ぎをしていて、それを他人が咎めたりすると、その親に食ってかかられる。フィリピンでは子供は天使で何をしても許され、それを他人が咎めるなんてありえないことなのだ。 (台湾シャブシャブのTiantianで「Beatiful Eyes」とせがまれて思いっきり目をつぶっておどけるキアンと初めて口にするデザートに顔をしかめるキアン。はえかけの可愛い小さな歯が見える)  後から聞いたボボイの言い訳は「その日、出かける目的を知らなかった。単に税務署に行くのかと思った」ということだそうだ。しかし、カーネルや顧客の日本人が出かけるときに、それがどんな目的であろうが、何の断りも無しに子供を連れて行くこと自体、我々には理解しがたいところだ。決して悪気も何も無いのだろうが、何故こんな非常識な行動に出るのだろうかと疑問に思う。一方、このことが問題になってボボイはタムタムに関して、こんな時どう取り扱っていいのかわからなくなってしまったようだ。  この問題は事務所で子供を遊ばせるのを私が非常に嫌がっているのに、ボボイは私の目を盗んで事務所のパソコンで遊ばせているという現象にも現れている。私は1階の事務所は、2階から上の居住エリアとは区分して、子供達が立ち入るところではないと宣言している。しかし、彼は私がいない間なら問題ないだろうと考え、私が帰ってくるとタムタムをつれてそそくさと事務所を出て行くのだ。彼にはその辺の区別がどうしても出来ないようだ。  私がフィリピンに駐在しはじめたころ、日本人のマネージメントとフィリピン人の社員と、どうやって協調していったらよいか、当地の有名な心理学者を招いてセミナーを実施したことがある。その内容は拙著「金なし、コネなし...」の第9章「日比文化交流、覚えておきたいフィリピーノ気質」のネタになっているものだが、その講義録は広く頒布され「フィリピーノとうまくやるために」と題して、フィリピン駐在日本人の古典的ノウハウ冊子となっている。その時、心理学者は「フィリピーノは公私の区別が出来ない」と教えてくれた。というか、どうもフィリピーノは公私の区別という概念を持ち合わせていないようなのだ。心理学者曰く「もし、公用の車を貸与して、私用には使ってはいけないと言っても、それを守らせることは不可能だ。だから車を与えたら公私とも自由に使ってよい。ただし、ガソリンは公用の分しか払わないとして、月々5千ペソまでなどとするのが良い。守れない規則を作って、それで規則違反ととがめてみても、いたずらに社内に軋轢を生むだけだ。」  だからボボイにとって、私用でタガイタイに遊びに行くからタムタムを連れて行っても良い、しかし今日は公用だからタムタムを連れて行ってはいけない、ということは理解できないことのようなのだ。それでも客や姉に咎められたのだから、やってはならないことなのだと認識はしたようだが、それを自分で判断することに多いに不安があるようだ。だから私は姉を通じて、「その都度、客あるいは私に了解を求めるように」とアドバイスした。 (食卓の上でしこを踏んではしゃぐキアン。勢い余って転げてもかまわずはしゃぎまわる。6ヶ月目の写真で朝青龍と称されたが、いよいよしこを踏んで暴れまわるようになった。)  それから数日して、かの日本人を皆で空港に送った。その時、姉のジェーンは日本人にタムタムを連れて行っていいかと聞いていた。我々にすれば良いに決まっているのに、彼らには判断しがたいところがあるのだ。この辺はとやかく言ってみても、文化・慣習・風習の違いだから仕方がないのだろう。フィリピーノに公私の区別はなく、まさに公私一体なのだ。 (新しいベッドが来て、自分の姿が背もたれに写っているのにいたく興味を示すキアン。何事にも興味深々で10ヶ月目の赤ちゃんとはとても信じがたい。)

フィリピーノは公私一体 2011年1月27日



 以前、タバコの農場にやってくるたびに携帯のチャージャーがなくなるのにいらだった。探し回ると、そのころジェーンが面倒を見ていた親戚の子が借りて 使っていた。使うのはいいが、使い終わったら必ず戻しておいてくれと何度も何を押した。しかし、私が来ないときはどうやって携帯にチャージしているのだろうと不思議に思ったものだ。このことはマニラでも頻繁に起こった。寝る段になって携帯をチャージしようとすると、枕元においたはずのチャージャーがない。そのため夜遅くジェーンやメイドをたたき起こしてチャージャーを探す羽目になる。それで、元へ戻しておくようにとうるさくいうと、戻るようにはなったものの、いつもプラグが外れたままだった。 (モンテーロの後ろの座席に乗り込んだ従兄弟たちに囲まれてちょっとナーバスなキアン、あともう二人の従兄弟がいる) マッ サージとメイドを兼ねていたタンとデバインが昼間、私の部屋のテレビをFMにして、仕事中、音楽を聴いているようだった。それまた結構なことなのだが、テレビがFMのままになっているのが気に食わない。私はNHKワールドしか見ないからスイッチを入れたらいつもNHKワールドが映るようにしてある。FMか らNHKワールドが映るようにするには案外手間がかかるのだ。  (アイスとご対面のキアン。アイスがその気になれば一咬みだが、アイスは忠犬で、死んでも人を咬む様なことはしないから安心して相手をさせられる。)    最近新しいメイドが毎日部屋を掃除してくれる。エアコンの位置の関係で、扇風機を併用しているが、その位置加減が難しい。メイドは掃除をするのに扇風機が 邪魔と見えて、位置を変えてしまう。だから私は毎日扇風機の位置の調整をしなければならない。メイドには部屋においてあるもののレイアウトを変えないよう にとジェーンを通じて口をすっぱくしていっているのだが、それだけは直らない。もしかしたら、ジェーンがメイドに伝えていないのかもしれないが、私として はメイドに直接文句は言わないようにしている。私が言うと、どうしても角が立ってメイドが怖がってしまうようなのだ。   バネサ、アラインそしてバレリー、それぞれ14、10、8歳の従姉妹同士だ)。 (ティウイの名物ハロハロ専門店に12名の従兄弟たちが勢ぞろいして出かけた。ここはハロハロだけで客が絶え間なくやってくる有名店だ) […]

フィリピーノは何故、返さない、戻さない 2011年1月8日


最近は30代~40代の若い方や単身女性の退職ビザ取得者が目立つが、退職後、若い連れ添いを求めてフィリピンにやってくる熟年退職者も相変わらず少なくない。これらの方は何らかの事情でフィリピンとは縁が深く、フィリピーナの魅力にはまっている人たちだ。すでに連れ添いを見つけて退職ビザを申請する方や、これから見つけようと張り切っている方など様々だ。  この春、退職ビザを取得したWさんも、現役時代に築き上げた財でフィリピンで充実した楽しい老後を過そうと期待に胸を膨らませてフィリピンにやってきた。ビザ申請中に色々リサーチを終え、半年後、本格的にフィリピンに住み始めたときはすでに連れ添いの候補者がいた。ご本人は独身なので結婚も視野に入れて彼女との将来を設計し、家族とも親しくなって、早くも1ヵ月後にはめでたく射落とすことが出来た。  ビザの申請段階から、これからのフィリピン暮らしについて色々アドバイスしていた関係で、Wさんからは何かにつけてアドバイスを求められた。 (アンヘレスのクラブ・アトランティスは相変わらずの盛況だ。そろそろクリスマスの飾り付けが始まっている)  彼女の仕事と家族の関係でアラバンに小さなコンドミニアムを買って、そこに一緒に暮らすことにしたいう話を聞いた。その時点では彼女とは深い関係にいたっておらず、会ったののもまだ数えるほどとのことだった。 1.アドバイス その1  男と女の関係ほど危うくて当てにならないものは無い。仮にアラバンに住んだとして、彼女との仲が思惑通りに進まなかったら、あるいはまた、例えいい仲になったとしても、いつ壊れるかもしれない。そうしたら、アラバンに一人で暮らすつもりですか、夜遊びが好きなあなたに、そこの暮らしが耐えられますか。それが出来ないとすると、そのコンドミニアムを彼女にくれてやるか売りとばすしかないでしょう。そうなるとすべてを失うか、あるいは半値くらいで売れればオンの字ですよ。  この話を聞いて、われに帰ったのか、Wさんは、即座に気が変って、マカティスクエア近辺のコンドミニアムを物色して住むことにした。彼女も納得し、めでたくLive In(同棲)生活が始まった。   (アトランティスのショーはなかなか見ごたえがある。ショータイムは9時なので、それにあわせて行くことにしているが、その直前は風船飛ばしで盛り上がる)  しばらくして、Wさんから会いたいとの話があって事務所で面会した。曰く、彼女と喧嘩をしてしまい、部屋に帰ってこない。喧嘩の原因は新居のHouse Warming Party(引っ越し祝い)をやることになり、彼女は妹を呼びたいと言い出した。そこでWさんは、以前、妹に会った時の印象が悪かったので、妹は呼びたくない、I am disgusted […]

フィリピン流恋の手ほどき 2010年12月2日



フィリピーノは野菜をあまり食べないことはご存知だと思う。業界最大手のファースト・フード・チェーンのジョルビーではご飯とチキンのから揚げだけのメ ニューが一番人気だ。ハンバーガー専門のマクドナルドもそれにあやかってご飯とチキンのメニューを追加した。しかしここで話題にしようとしているのは野菜 のホウレン草ではなくて、報連相、すなわち報告、連絡、相談のことだ。1980年代の日本で「報連相で会社が強くなる」という本が話題になった。早速買っ て読んだがいたく共鳴したものだった。それ以来、報連相の重要性を常に痛感しているのだが、フィリピーノはその報連相に滅法弱いのだ。 フィリピーノを部下に持つと、「実に報告が無くて、こっちが聞くまで何も言ってこない」、「横の連絡が取れておらず、何もかも上のものが指示をしなければ ならない」、「わからないことがあっても聞き返さない、相談しない、ほったらかしておく」など、どうにもストレスが溜まる。そしてそれを責めると彼らは萎 縮してしまって、返って気まずくなり、最悪辞めてしまう。この辺のところを当地の心理学者にセミナーをやってもらい、教えを乞うた。答えは「長年、縦の指 示系統で動いてきたフィリピーノは横の連携が苦手。自ら上司に報告や提案することを求められず、上司が問いかけて初めて答える。できない、わからないと言 うことは自らの無能を申告することになるので、とても恥ずかしい。」のだそうだ。それでは自らが向上していくことはできないではないかと自問してもやまな い。  報連相を是とする日本のビジネス習慣とは隔たりが大きい。しかしフィリピーノを使う限り、こちらがそれにアジャストするしか方法は無い。しかし例外もある。1989年、マカティでクーデター騒ぎがあった時に採用したアカウンタントがそれだ。ただのおばさんに見えたが採用後、そのレスポンスの速さにくだをまいた。そのころはE-メールも普及していなかったので、色々な指示はメモを書いて渡していた。彼女にメモを書くと、5分以内に返事が戻ってきた。しかも 社内の色々なことについて実に良く報告、連絡あるいは相談があり、社内で起きていることが手に取るようにわかるようになった。専門外のミーティングに出席しても、ミーティングメモを作成させると、わかりやすい英語で完璧なメモをあっという間に出してきた。会計担当だった彼女は見る見るうちに出世して、4年 後にはアドミ部門(総務・人事・財務)のトップ、取締役本部長にまで上り詰め、給与は10倍以上に上昇した。  1994年ごろRCCという大型のジョブが舞い込んだ。日本の親会社がシンガポールで受注した大型石油設備のエンジニアリングを実施することになったのだ。社員に報連相を徹底するためにこんなスローガンを掲げた。「RCCプロジェクトをReporting、Communication and Consultationで成功させよう」。そして報連相の勉強会や講習会など各種イベントを開催した。効果のほどは定かでないが、会社の競争力を増すため報連相の徹底にエンドレスの努力が必要だったのだ。 […]

フィリピーノはほうれん草が大きらい 2010年11月27日


フィリピーノ・タイムとは時間通りに来ない、いつ来るのか、はたまた来ないのか、当てにならないことを言う。フィリピーノは一般に時間に遅れることを恥じない、遅れても詫びない、また人が遅れても責めたりしない、平気でいつまでも待つ。役所でもたくさんの人が文句も言わず自分の順番をひたすら待つ。遅いとか、割り込んだとか、文句を言っているのは外国人だけだ。エアコンの取り付けや家具の配送など、約束した日に来ただけでもラッキーで、配送を待つために一日中家に待機しなければならない。  女の子をデートに誘ってもまともに来ることはありえない。夕方5時ごろ携帯で、6時に食事をすることを約束したとしても、やってくるのは6時半から7時だ。何とか彼女を射とおそうとする当方は、待つのも甲斐性とひたすら待つしかない。歩いても10分くらいのところを「On the way」とメールを送りながら、それから30分くらいかかる。一体何なんだと、怒ってはいけない。それは、有利に恋愛ゲームを進めるための彼女なりの作戦なのだ。 (先日、日本から帰ってきた折に飛行機から撮影した夜のマニラ。この日は快晴で夜景が美しかった)  以前、約束の時間に遅れそうなのでマニラ市内を車で飛ばしたことがあった。約束の相手はフィリピーノだが、一旦約束した時間は万全を尽くして守るのが日本男児だ。そこで隣に座っていた相棒のジェーンが切れた。いわく「少しくらい遅れてもフィリピーノは気分を害しない。こんなに飛ばしたら事故を起すかも知れない。命と約束をどっちが大事なの。少々遅れたからと言って死ぬわけじゃないでしょ!」。たしかにその通り、約束の時間に遅れたとしても命をとられるわけではない。交通事故の方がよほど怖い。しかし、約束の時間に遅れると思っただけでパニックになってしまうのだ。  もう大分前の話になるが、福知山線の脱線事故で100人近い死者を出した。この話を相棒のジェーンにしたら、「日本人は、本当に馬鹿だ。たった数分の遅れが出ないようにとスピードを出し過ぎて、おまけに脱線して百人もの人を死なすなんて。数分の遅れが何なんだ。人の命を一体何だと思っているんだ」まさに仰るとおりで返す言葉がなかった。それ以来ジェーンは「日本人は、親切で、頭が良くて、お金持ち」というフィリピンにはびこる信仰の「頭が良くて」という部分に疑問を持ったようだ。 (プレートナンバーの末尾の番号により、特定の曜日に走ることを禁じた法律を路線バスにも適用するということになり、バス会社は採算性を著しく阻害すると猛反対をした。そして新規則実施の当日、渋滞の緩和には何の役にも立ってないと批判の声が上がっている)  それにしてもフィリピーノの時間のルーズさは許せない。そもそもタイム・マネージメントが出来ていない。スケジュール・コントロールなんて言葉は死語のようだ。マイペースで仕事をして、終わった時が完了予定で、いついつまでに終わらせるためにはどうすればよいのか、などとは考えていないようだ。フィリピンにやってきた日本人は、このことをフィリピン人が劣っているのだと感じる。しかし、日ごろ優秀なフィリピン人に舌を巻くことが多い当方は、何故そうなのかと考え込む。  フィリピンを含む東南アジアには四季がない。1年中暖かく、バナナやココナッツは季節に関係なく、いつでも取れ、田植えも水さえあればいつでもできる。その時のお天気次第で、いついつまでにやらなければいけないということはない。そして寒い冬が無いから、特に冬支度というのがいらない。寝るところがなければ外で寝ても凍え死ぬことはない。一方、温帯に住む人間は冬の食料を蓄え、薪を積んで長い冬に備える。田植えの時期も稲刈りもタイミングよくやらないと冬の備えが出来ない。それが出来ないとそこには死が待っているだけだ。だから我々温帯人は「時間に遅れる」と思っただけでパニックに陥ってしまうのだ。   フィリピーノには、いついつまでにこれをやらなければ明日は無いというような悲壮感とは無縁だ。そんな生活を数十万年やってきて、急に現代になって「タイム・イズ・マネー「ビジネスはスピード」「ジャスト・オンタイム」などとせかしてみても、さほど真剣に受け取れないのはやむを得ないことかも知れない。約束した時間に行かなければならないなんて彼らにとって無視しうる些細なことなのだろう。 (11月14日に行なわれたボクシング世界タイトルマッチでフィリピンの英雄パクヤオ選手は勝利し、前人未到の快挙、8階級制覇を成し遂げた)  そもそも人類はアフリカの熱帯で発生し、赤道に沿って世界に広がった。北の寒い地域に向うのは随分と後のことだ。だから人間の体は元来熱帯向けに出来ていて、寒いところではリウマチなどいろいろな持病が出てくる。特にお年寄りにとって寒暖の差は辛い。熱帯の気候はとても体に優しく、人々はストレスなく伸び伸びと生きていられる。それは肉体だけではなく、精神的にも言えることで、果物や作物が1年中取れ、寒暖差の少ない熱帯こそが人類の故郷なのだ。  退職してゆったりと生きていくならば、ここフィリピンで彼らの生きかたを学ぶべきだ。そうすれば、きっと幸せな老後をすごすことが出来るだろう。先日ジェーンが日本に行った折、横浜駅で朝のラッシュに遭遇し、サラリーマンが皆走っているのをいたく興味を持って眺めていたのが思い起こされる。「日本人、そんなに急いでどこへ行く」と。 (マカティメディカルセンターのクリスマスの飾り。イエスキリストが天使となって宙を舞っている。我が家のクリスマスの飾りはキアンが喜ぶようにサンタが宙を舞っている) 

フィリピーノは何故時間を守らない 2010年11月25日