フィリピーノ気質


アンヘレス・シティの花街で働く女性の総数は2万5千人に達すると、スービックでポコアポコ・コンドテルを経営するWさんが話していた。アンヘレスの フィールド・アベニューのクラブの数は約100軒、一軒当たり平均100人の女性が働いていたとしても、1万人にしかならない。一体他の女性はどこにいる のだろう、ウエイトレスも含めた人数だろうか、などと独り言は続く。さらにWさんによると、アンヘレスはアジアではバンコックの次ぐ規模の歓楽街だそう だ。でもその集中度はバンコックに勝るのではなかろうかというのが、当方の印象だ。 一昨年、Nさんの経営するフレンドシップクラブの開所式に招待されて以来、なにかと縁が続き、毎月のように訪れているアンヘレスだが、この日の退職者の案内では、スービック訪問を早めに切り上げ、夜はアンヘレス、フィールド・アベニュー探索というスケジュールとした。    最近は大型店が隆盛で、従来の小さな店には客足が遠のいている。大型店の代表が「アトランティス」、「ドルハウス」、老舗の「ブルーナイル」最近オープン した「紫禁城」、さらにマッカーサー通りの近くには幾つもの大型店が新規オープンしている。一方、小型店として頑張っているのが24時間営業の「ブー ドー」だ(ちょっと目立たないがアトランティスからマッカーサー通りに向って100mほど進んで右側の店)。 まず初めは、9時と10時半にやるショーが見ものの「アトランティス」探訪。最近は細長い風船を舞台と客席でやり取りするのがおもしろい。また、来るたび にショーの出し物が違う。店の普通の子達が毎回これだけのショーを見せるのだからたいしたものだ。ちなみにここには300人の女性が働いているそうだ。       さて、次に案内したのが、小型店の代表「ブードー、VOODOO」、昼間でも比較的多くの客がいる人気店だ。そこに入った途端、びっくり仰天、なじみの子が1年ぶりに戻っていたのだ。うわさではフィリピーノ・ボーイフレンドの子を宿して辞めたはずだったのに。   早速呼んで身の上話を聞いてみた。「19歳の誕生日に酔っ払って寝てしまい、目が覚めたら下半身が痛いので変に思ったが、従兄弟に聞いて、自分がレイプさ […]

あるフィリピーナの悲劇(アンヘレス編)2010年8月23日


最近NHKで「無縁社会」という造語の番組をシリーズでやっている。日本では、家族を持たず社会とも絶縁し、孤独にくらす人々が急増しているのだそうだ。一方、昨年無縁死した人は全国で3万に上るという。一人住まいの家で死後数ヶ月たって発見された老人のケースも放映されていた。刑務所で暮らす60歳以上のお年よりは受刑者全体の10%をこえ、刑期を満了して出所しても行き場のないお年よりは無銭飲食などの罪を繰り返し、また刑務所に戻ってくるそうだ。その割合は出所したお年寄りの70%以上に上るそうで、身寄りのないお年寄りを拒否しないで受け入れる場所は刑務所だけだという。また2030年には生涯独身で過ごす人が男で3人に一人、女で4人に一人になると言われているそうだが、そうなると全国で3000万人以上の人が孤独で暮らしていることになる。そんな社会を人間の社会と呼べるのだろうか。  孤独で暮らす人々はそれぞれ事情はあるのだろうが、根本的な原因は何なのだろう。核家族、少子化、老人介護、そして無縁社会。そこにはなにか一連の流れがあるような気がする。大家族制度が崩壊し、核家族化し、その核家族を形成できなかった人々は行き場がなく、一人で暮らすしか術がなくなってしまったのだ。家族というものが老人や子供を守ってきたのが、核家族化により、老人の行き場がなくなり、子供も育てることが出来なくなってしまった。そして、その核家族を形成できない人々は家族からはじき出されて孤独に暮らす。なんともはや弱いものにとっては暮らしにくい社会だ。 そんな無縁社会と全く無縁なのがフィリピンだ。フィリピンには家族と無縁な人などいない。お互いに頼りあい、助け合って、時には傷つけあって生きている。だから弱い人ほど家族に守られて幸せに暮らしている。その大家族を背負って立つブレッド・ウイナー(大黒柱)には大変な負担で、そのために若いみそらで花街で働く女性も多い。しかし彼女達はその責任を背負って逞しく生きている。経済的に苦しいので家族から無縁になろうなどという不届きな考えは決しておこさない。家族と共にあるのが生きている証なのだ。そして家族が一同に集まる食事時は家族が家族であることを噛みしめる至福の一時だ。これを、無縁社会に対して家族社会と名づけられるのではないだろうか。  出口のない日本の惨状をもたらした核家族に対して、フィリピンの大家族が真っ向から対立するのが、熟年日本人男性と若いフィリピーナの結婚だ。熟年諸氏は若いフィリピーナと結婚して二人だけの甘いスイートホームを夢想する。一方フィリピーナはブレッド・ウイナーとなるお金持ちの日本人と結婚して、家族に富をもたらし、女王様として家族一同から敬われる生活を夢想する。  お見合いの席では張本人のフィリピーナよりもその家族の方が結婚に熱心で、熟年諸氏にはなんとも解せないところがある。実際フィリピーナと結婚した熟年諸氏の多くは家族一同が暮らせる大きな家を建てさせられ、それもすぐに妻の家族に占領されて、おまけに親兄弟さら嫁や甥姪の食料まで面倒見なければならないというはめに陥っている。そんなことをしていては、なけなしの退職金もすぐに底をついてしまうので、離婚してしまったという話もよく聞く。  そもそも家族が結婚に熱心なのはきっと、日本人亭主を食い物にする気に違いないと、見合いに臨んだ熟年諸氏は警戒する。そして、住まいは二人だけで、家族は入れない、家族の支援は月々1万ペソまで、などという条件交渉が始まる。熟年諸氏は日本を破滅の道に導こうとしている核家族なるものをフィリピーナに押し付けようとしているのだ。   フィリピン人と結婚してフィリピンに住むとしたら、この大家族という概念を理解し受け入れるのでなければ決して結婚生活は成功しないだろう。日本の社会を破滅させつつある核家族などという概念を持ち込んで、百万年の歴史のある人類の宝であり、そしてフィリピン人の生きる術である家族というものをないがしろにしてフィリピンで生きて行けるはずがない。もちろん期待に胸を含ませる家族に対しては自分が出来る範囲のことをすればよいのであって、分不相応な待遇を提供する必要はない。要は妻と同等に誠意と愛を持って対応すればいいのだ。そうすることにより家族の一員として迎え入れられ、家族の長老として、この先数十年の老後の生活はばら色となるだろう。フィリピンで結婚する場合、それは、すなわち家族と結婚することなのだ。  

無縁社会と家族社会 2010年2月3日



 私の相棒のジェーンのファミリーは、一家全員が農場に集っておおみそかを迎えるのがここ数年の慣わしだ。ダバオで暮らしていた次兄のアランも加わって、今年は一家全員が集まることができる(弟のボボイの妻が具合が悪くて欠席したが)。クリスマス・イブはジェーンがマニラにいるので、この日はクリスマス・パーティも兼ね、甥と姪たちはジェーンからのクリスマス・ギフトを楽しみにしている。  夕方、6時過ぎ、軽く夕食を済ませ、後は新年を迎える12時まで遊びの時間だ。その間、大人たち、特に女性陣は新年の料理の準備に余念がない。10人の甥と姪たちに養女のビアンカを加えて、11人。そのうち5人が9歳~13歳の年長グループで、6人が3歳~6歳で遊び盛りの年少グループだ(アランの娘のアレインは写真左の一番後ろ、年少組みの写真に入っているが、年長組みに分類される)。今年のおおみそかの話題の主は、ボボイの末の子供のタムタム君3歳だ(写真左の左端)。  この日は丁度満月で、普段、満月の夜は辰年生まれのためドラゴンの血が騒ぐというジェーンも、今日はクリスマスとおおみそかが重なったファミリー・デイとあって終始上機嫌だった。まいかけ姿で料理の合間をぬってカラオケを楽しんでいるのは長兄のダシンだ。  カラオケに一番夢中だったのが、いとこ仲間で最年長、ダシンの長女のバネサだ。ほとんど歌いっぱなしだったが、映画「タイタニック」の主題歌を何度も繰り返していた。アランと次女のアレインは、久しぶりの再会にパパ、パパと甘えていた。  年長グループの5人は至って仲がよく、和気あいあいとカラオケやパソコンでゲームを楽しんでいた。しかし、年少グループの6人のバトルがこの後始まったのだ。  年少グループの遊び道具として、木琴ひとつ、それと木馬のようなおもちゃの乗り物3個が与えられた。これらの優先使用権をめぐって、3歳4ヶ月のタムタムとその他の子供、特に双子の姉4歳4ヶ月とダバオから来たヤナ、3歳丁度との間で壮絶な争奪戦となったのだ。このタムタムはヤナが来るまでは最年少だったのだが、親の過保護の下で育ち、気に入らないことがあると、双子の姉を張り倒すような狼藉者だ。タムタムは、一見ひ弱な男の子だ。ちょっと前まではオムツをして母親のおっぱいを飲んでいたのだが、今日は頼りの母親がいないので、兄弟やいとこ達と真正面から向かい合う羽目になった。     そもそもタムタムは2006年瀕死の状態で生まれた。腸がねじれていて、即手術をしないと命がないという状況だったのだ。早速手術を行ったものの思わしくなく、さらに100km離れたナガ市の病院に搬送して再手術が必要とされた。そのときジェーンに「10万ペソほどかかるが、父親のボボイにそれを支払う経済能力はない。このまま死なせるか、どうしたらよいか。」と質問された。そんなことを聞かれたら「お金がいくらかかっても助けよう。」と答えるしかない。私に死刑宣告ができるはずがないではないではないか。結局、都合20万ペソという大金を援助する羽目になってしまったのだが、その支払いに半年ほどかかってしまった。  その後、タムタムは成長が遅く、両親のタムタムをいつくしむ様子は並みたいていなものではなかった。まさに溺愛である。時がたち成長するにつけ挽回はしつつあるものの、いまだに両親の過保護下にあるタムタムは、あたかも自分が王様のような気分でいる。ギャーと一声泣けば、両親がなんでも言うことを聞いてくれる。だから、遊び相手に対しても気に入らないとギャーっとわめいて、わがまま放題、癇癪を起こすとすぐに手を出す。自衛策として、姉やいとこ達はドアに鍵をしてタムタムを入れなかったり、一緒に遊ぼうとして寄ってくるのを突き飛ばして仲間にいれなかったりする。なにしろ彼が入ってくると、ルールも順番もへったくれない、やりたい放題で、思うようにならないと泣いたり、わめいたり、暴力を振るうわで遊びにならないのだ。しつけという言葉がないフィリピンだが、こうして親の代わりに年長の子供たちがしつけをしてくれるのだ。  大人が見ていると、小さい子を大きい子が皆でいじめているという状況に見える。だから大人は「小さい子だからといって邪険にしないで仲間に入れてあげなさい」と周りを諭すことになる。これがまた、周囲の子供には気にいらない。タムタムが悪いのに、小さいからといっていつも優先され、逆に怒られる。そんなわけで、彼は、「触らぬ神にたたりなし」の神となってしまい、誰からも相手にされない、典型的な嫌われ者に育ってしまったのだ。ちなみにタムタムの名前は私の和民(カズタミ)のタミからとったもので、ゴッド・ファーザーの私としてもほっておくわけにも行かない。  そこで私は周囲の大人たちに諭した。「このままでは、この子は誰からも愛されず、友達もいない可愛そうな人間になってしまう。その原因が自分にあることも知らず、世間を忌み嫌い、うらみ続ける人生を送ることになろう。それを矯正できるのは周囲の子供たちだけだ。彼らはタムタムの生い立ちがどうだからといって、特別扱いはしない。いやなものはいや、だめなものはだめとはっきり言う。そんな子供たちの世界こそが彼を嫌われ者から立ちなおさせることができるのだ。だから大人がしゃしゃり出て、ああしろ、こうしろと口を挟んではならない。タムタムの両親にも彼のためだと思って目をつむるよう言い聞かせなさい。」と。もちろん大人たちは私の言うことを理解してくれたが、今日は欠席している22歳の若い母親が理解できるかどうか心配だ。母鳥は巣立ちを促すためにヒヨを巣から落とすというが、タムタム君も巣立ちをするときが来たのだ。  日本でも最近は少子化や核家族化が進み、親と子供だけの世界で子供が育っている。だから、タムタム君みたいな世間知らずの子供がそのまま大人になっているのではないか。子供は、子供同士の遊びの中で、世間というものを知り、人との付き合い方や思いやりというものを学んでいく。そんな学習の機会にめぐり合わず、精神的に未熟児のまま育ってしまった大人が、秋葉原の無差別殺人のような理解しがたい事件を起こすのだろう。日本でも、子供たち同士の世界というものの重要性がもっと見直されるべきだと思う。  さて、11時を回ると花火の時間となる。バランガイ(村か部落のようなもので最小行政単位)でも大きな花火が打ち上げられている。マニラなどの都会では街中が煙って、周囲が見えなくなるほどの花火や爆竹が炸裂する。さいわい農場では遠くで響く花火の音に新年を迎える気分になるくらいのもので、決して耳障りなものではない。    12時を間近に控えて、料理の準備ができた。スナックなので、スパゲッティ、パンシット・ビーフンに上海ルンピア、それにデザート類とシンプルだ。なくなったはずの夕べの同窓会の残りの豚肉料理も出てきた。それから新年はお金がたくさん手に入るように、お米の上に紙幣を並べた飾り付けをする。これは中国人の習慣で、13種類の丸い果物を飾るのがフィリピン式だそうだ。中国人とのハーフであるジェーンはおおみそかの習慣もハロハロ(混ぜこぜ)だ。 […]

フィリピンの年越し(タムタム君の巣立ち) 2010年1月5日


  先日、とある退職者の一件で、整体師の日本人がが事の顛末と知り合いに話したら、「あなたもフィリピン人になってきている」と評され、えらく立腹していた。日ごろからフィリピン人はどうも理解できないと言っている日本人が自分自身がフィリピン人らしいと言われて、侮辱された気分になったようだ。    日本からこられた方が、フィリピン人のやることなすことが日本人と違い、困惑し、「フィリピン人は、あるいは、フィリピン人のやることは、理解できない」と嘆かれることが多い。といいつつ、フィリピンを何回も訪問し、フィリピンが大好きな方が多いのだけれども。  あるタイに長くおられた方が、「タイ人は、こうなんですが、フィリピン人はどうなんですか」と色々質問された。びっくりしたが、まるでフィリピン人のことを語っているかのごとく、すべてが同じなのだ。どうも東南アジアの人々の気質は大変似通っているようだ。タイは仏教国、フィリピンはキリスト教国なのだが、根っこは同じようだ。 (下の写真はスービックの取材の際に対応してくれたSBMAのスタッフ。彼らはまさに国際人だ。)  ハリー・ポッターの映画で、事件が落着して、校長先生がハリー・ポッターに向って「このことは絶対に秘密で人に漏らしてはならない。ということはすでに全校生徒が知っているということだ。」と言うくだりがある。「フィリピ人に秘密はない」といわれるが、もし皆に伝えてほしかったら「これは絶対秘密だよ」といえば、あっという間にうわさが広がってしまう。これは何もフィリピンに限ったことではなくて、ハリー・ポッターの故郷のイギリスでも同じことなのだ。  フィリピンでは「ハイ」という代わりに、眉毛を吊り上げる動作をする。アメリカの映画を見ていたら、今まで気がつかなかったが、若者がその動作を頻繁にするのだ。さらに、先日、イギリス人を農場に招待し、マッサージ嬢のタンとデバインの家を訪問した際のことだ。そこで80歳は超えているだろうと思われるおじいさんが挨拶に出てきた。おじいさんはイギリス人と握手すると、その手の平を人差し指でこすった。これは、拙著「金なし、コネなし、フィリピン暮らし、84ページ」でも紹介しているが、Hをしようという意味なのだ。この話をイギリス人が仕草で話をしてくれ、大笑いしたが、イギリスでも同じ合図をするようだ。  ご承知のように、フィリピンはレディファーストの国だ。エレベーターに乗ったり、先に食卓につくのは女性だ。買い物の荷物を持って歩くのは男性、車のドアを開け閉めするのも男性だ。一方、女性は一家の大黒柱、カカア殿下が当たり前だ。これはフィリピンに限らず、香港、シンガポール、タイなど私の知っている限り各国共通だ。フィリピンは英語圏だから、現在でも欧米の文化がそのまま流れ込んでくる。国民の1割近くが出稼ぎなどで海外暮らしをしているということからも、外国との文化経済交流は活発で、フィリピンは東南アジアにあっても日本よりもはるかにインターナショナルな国なのだ。 (下の写真はポーズを取るパスコのスタッフ。いつもとても明るくて優しい)  フィリピンは危険な国というが、欧米人は決してそうは思っていない。アメリカや南米諸国、あるいは東南アジアの他の国々と比べてはるかに安全だ。ただ、新聞やテレビに報道されるニュースは悪いことばかりで、決して良いニュースは流れない。だから、日本にいてはフィリピンのことは決してわからないのだ。しかし、日本と比べて安全と言っているわけではない。日本以外の国としては決して取り立てて言うほど危険な国ではないのだ。フィリピンで普通の生活をしている限りて被害に会うことはめったにない。  フィリピンで人にだまされて大金や家をとられたということは良く耳にする。この原因は日本人があまりにも安易に人を信用して契約書を読まず、あるいは読めず、時には契約書や書いたものも何も無しに大金を出してしまうことに問題がある。俺々詐欺ではないが、金に対してあまりにも鷹揚なのだ。これはフィリピンに限ったことではなく、どこの外国に行った所で同じことだ。  日本と比べてフィリピンがどうのこうのというのは、どうも観点が違うような気がする。強いて言えば、日本と外国の違いなのだ。忘れてはならないのは、フィリピンは外国であって日本ではないのだ。多数のジャパユキさんが日本で働いていたから、多くのフィリピン人が流暢な日本語を話す。だから、フィリピンにやってきても日本にいるような気分になって、ここが外国であることを忘れてしまっている日本人が多い。フィリピンの言語である英語やタガログ語を全く話せず、あるいは話そうとせず、フィリピン人の親切や人の良さに甘えてしまっているのだ。だから、「日本ではこうなのに、フィリピン人は、なぜだめなのか」と不満が絶えない。 (下の写真の子供達も立派に国際人なのだ。)   日本の文化は中国から伝わった儒教の教えをバックボーンとした独特のものを持っている。日本の島国という地理的環境と儒教の教えという特殊な環境に育まれ、それが唯一絶対思っている方が多い。しかし、それは日本と韓国で位しか通用しない独特の考え方だ。国際社会そしてフィリピンでは全く通用しないのだ。 […]

フィリピン人は国際人(インターナショナル) 2009年10月7日



  ちょっと古い話になるが、8月末、大統領顧問代行(国家安全保障担当)を務めるチャベット・シンソン前南イロコス州知事(68才)が暴行を働いたとして内縁の妻(チェ、35歳)に告訴された。シンソンは17年間、関係を続けてきた内縁の妻の不倫現場を発見し、妻とその浮気相手の男に暴行を加えたものだ。シンソンは本妻とはすでに別れているが、フリピンの法律では裁判所の判決がなければ離婚(アナルメント)できないので、内縁関係のままとなっている。   当のシンソンは、フィリピンの刑法では「妻や夫の不倫現場に遭遇して、逆上し暴力を働いたとしても罪にはならない」という規定を盾に無罪を主張している。チェは18歳の学生時代にシンソンに出会って以来長い関係を続けているが、元々尻軽女だったらしい。一方のシンソンも女出入りが激しく、妻にとってみれば浮気はお互い様とも言えるものなのだ。写真左下がシンソン、右は浮気相手の若手男優。   しかしフィリピンでは、妻やガールフレンドの浮気は反道徳とされ、彼女らは世間の非難を浴びる。妻に浮気された男は「頭に糞を載せている」称され、恥ずかしくて世間に顔向けができない。一方、男の浮気は性(サガ)あるいは甲斐性として容認される。もちろん妻からはとことん絞られるが、結局は元の鞘におさまる。シンソンはエストラーダ元大統領の不正を暴き、失脚に追い込んだことでも有名な強気の政治家だが、この事件で世間の笑いものになってしまったのだ。一方、妻のチェは、はしたない恥知らずの女として世間に侮蔑の目で見られている。フィリピンでは未だに姦通罪という罪が存在するが、これは女性の不倫にのみ適用されているようだ。写真左下は熱弁をふるう女性擁護団体の闘志、右はシンソンを責める不倫相手の男性の父(弁護士)。    一般的に、夫あるいはボーイフレンドが浮気した場合、妻は浮気相手の女を探し出し、夫に手を出すなと談判する。場合によっては取っ組み合いのけんかになることもある。夫はそれを見ていて、喧嘩に勝った女のほうについていく。一方、妻あるいはガールフレンドが浮気した場合、夫は逆上して妻に暴行を加えることも少なくない。すなわち、不倫をして責められるのは常に女なのだ。不倫の責任は常に男にあるとされる日本とは逆のようだ。「これは不公平ではないか」と、相棒のフィリピーナに聞いてみたところ、「男はいつもちゃらんぽらんで女のけつをおっかけるものなのだ。だから理性のある女が自分あるいは相手をコントロールしなければならない。だから不倫があった時は常に女に責任があるのだ」と話していた。すなわち、浮気の責任は常に男にあるとみなされる日本とは逆に、フィリピンでは女に責任があるのだ。   一方、フィリピンでは熟年男性と若い女性のカップルは極普通のことで世間的に容認されている。60歳前後の日本人男性と20代のフィリピン女性のカップルは当たり前だ。しかし熟年女性と若い男性のカップルは反道徳とされ、世間から白い目で見られる。男が、女性の金を目当てに近づいていると見られるのだ。フィリピンでは熟年女性が、一回りあるいは二回りも下の男性と付き合うというのはありえないことなのだ。これはオスは生殖能力がある限り、子供を生むことのできる若いメスを追い掛け回すが、生殖能力を失った年老いたメスを若いオスが相手にすることはありえない、という動物界の常識にかなったものだ。生殖能力のないメスに近づくオスが他になにか目的があるに違いない、というのはきわめて自然の摂理にかなった観察だと思う。  日本人男性としては、フィリピンには独身の若い女性がいくらでもいるので、間違っても人妻に手を出したり、一~二回りも年上の女性に手を出したりしないよう、気をつけてほしい。

フィリピン人妻の浮気の顛末 2009年9月27日


  整体師の下でマッサージをしているのが、タンとデバインだ。小さな体で力強いマッサージをするので評判が良い。9月9日は彼らの田舎でフィエスタ(村祭り)があるというので、特別に飛行機での帰郷を褒美として与えた。といっても格安の航空券を利用して、バスで帰るのと大差のない費用で済んだ。初めて飛行機に乗るというので、彼らは指折り数えてその日を待った。しかし始めての経験で飛行機の乗り方もわかるまいと、同じく我々も格安航空券を利用して同行した。彼らの田舎はわが農場の隣町なのだ。  彼らの街のフィエスタには参加できなかったが、翌日の昼ごろ、散歩がてらに客3人と歩いて彼らの家を訪問した。途中、のどかな田園を歩いていくと、すれ違う人たちは笑顔でForeigner(見知らぬ人、外人)を迎えてくれた。特に、同行したイギリス人は大きな体でいかにも白人、ものめずらしさもあったようだ。こんなのどかな環境に育ったら、悪い人間などありようもないないといった雰囲気だった。途中、昔、有名だったロカモンテというリゾートの跡地も立ち寄った。小川や咲き誇る花がきれいだった。  まずタンの実家、お父さんや姉さん、そしてお兄さん達が出迎え、12時を回っていたので、早速昼ごはんをご馳走になった。突然の訪問なので食事の用意があるはずがない。全部食べてしまったら、彼らの食べ物がなくなってしまうので、控えめにいただいた。その時どういうわけかタンの顔が輝いていた。どうも外国人4人の訪問が彼らにとって前代未聞のことであり、そのうれしさが顔に表れていたらしい。  そして次にデバインの家へ行った。狭い家にたくさんの家族がひしめいている。しかし、きれいに掃除がしてあり、清潔だ。そこでも当然のごとく昼飯が出る。エビや上海ルンピアなど思いのほかのごちそうだ。フィリピンでは出されたものに手を出さないのは失礼なので、少しだけいただいたが、とてもおいしかった。  農場の家に戻ってきてから3度目の昼飯を食べるはめになったが、その時、相棒のジェーンにタンやデバインの歓待ぶりについて話をした。そしたら、ジェーンは、かれらは食べ物を隣近所から借りて来て振舞ったのだと、ことなげなく言う。それを聞いていたイギリス人は感極まったように、うなり声を上げた。現代の世の中に、借金をしてまで人を歓待するという気持ちが残っていたのか、イギリスなどではとうの昔に失ってしまった慣習だ、というのだ。  タバコ周辺のトリップ、タンやデバイン訪問、家での誕生日会など通じて驚きと感激の連続だったイギリス人はこの地をHaven(避難港)とすることを決意した。彼曰く、「イギリスにはもはや人の心を失っている。女も男のようで女らしさのかけらもない。イギリス経済も破綻寸前で、どこかの予言の通り2012 年に一旦、世界は破滅し、不死鳥のように人類は新しい形でよみがえるであろう。その間、どこか避難するところがほしいが、優しい心を保っているフィリピンこそが避難港として最適だ。そして再生した世界を制するのはフィリピンではないか。とにかくここには多くの学校や教会があり、教育と信心を持った次代を背負う子供達がたくさんいる。  こんな話は先日ご家族で退職ビザを取得した日本人も言っていた。日本もイギリスも先進諸国と称する国々は破滅への道を歩んでいるのではなかろうか、と思う。ところでこの日本人家族も次回は是非タバコを訪問したいといっていた。果たしてかれらはそこでHaven(避難港)を見つけることが出来るだろうか。

タンとデバイン物語 2009年9月27日



 6月6日のマニラ新聞によると日比国際結婚の2007年の実績は9379件、離婚数は4737件となっている。これは中国に次ぐ2番目の件数だが、 2005年に始まったジャパユキさんへのビザの発給制限により出会いのチャンスが減ったせいか、減少傾向にあるという。一方、離婚数は2桁台の伸びで増加に歯止めがかからない。1992年~2007年の日比の結婚総数は122,252件、離婚総数は42,607件、3組に一組が離婚したことになる(もっとも日本人同士の離婚も同じような数値だそうではあるが)。しかし、結婚から離婚に至る時間差を考慮すると、半数近くが離婚しているとも読める。ちなみに日比夫婦の子供の総数は75,317人に上るそうだ。    フィリピン人妻をもつ日本人と話す機会が多いが、色々苦労しているようだ。書籍「奥様はフィリピーナ」においてもいみじくも「1年に365回の離婚の危機を乗り越えて、二十年近い月日が経ってしまった」とのことである。夫婦の仲というものは他人が見るほど単純ではないだろうが、果たして日比国際結婚というのはそもそも成り立つものなのだろうか。 今藤 元著、彩図社刊   前のブログ「フィリピンは男性天国?それとも女性天国?」でも紹介したとおり、フィリピンではかかあ殿下が普通だ。そして、昨今は様変わりしているとはいえ、日本は亭主関白が美徳とされている。特にフィリピーナと結婚するのは熟年男性が多いから、ねっからの亭主関白とチャキチャキのかかあ殿下が一緒に暮らすことになる。日本の亭主は妻のことを重宝なメイド兼ヤヤ、さらには秘書兼運転手くらいに思っているから、そんな調子でフィリピン妻を扱ったら、大変な剣幕でやられるのは目に見えている。しかも人前でしかりつけたりしたら、たとえ彼女に落ち度があったとしても、数日間は口も聞いてもらえないだろう。一方、亭主の行動を常に監視し、なんでもないことにやたらとやきもちを焼くフィリピン妻にはうんざりする。さらに、逆に、妻に対してやきもちを焼かないと「愛していないの」と食い下がられる。こんな調子では1年に365回、喧嘩するのもうなずける。  亭主関白はあごで妻を使う。一方フィリピン女性は亭主をあごで使う。二人して相手にあごをしゃくりあう。この勝負どっちが勝つのか、あごの長さで夫婦関係が決まるのだろうか。フィリピンに住んでいるのであれば、両者があごをしゃくる方向をメイドに向ければ良い。それですべて解決だ。しかし、メイドを雇うことなど夢の夢の日本ではどうしたらいいのだろう。仲良くやっていきたかったら、フィリピン女性と結婚したのだから、日本人男性も覚悟を決めて、先進国の男性並みに家事の半分ぐらいは担当する心意気が必要だ。相手だってほとんどやったこともない料理を作って亭主に食べさせるのだから、当然だろう。  まがりなりにも文化慣習の全く違う世界で育った男女が一緒になるのだから、恋愛感情だけではすぐに行き詰ってしまう。自分の主張だけを繰り返していたのではいつまでたっても喧嘩が絶えないから、お互いが50%づつ歩み寄って、落としどころを見つけることが肝要だろう。「添い遂げる」というのは、日本流に考えれば、妻が旦那に添う、というニュアンスがある。しかし、フィリピンでは逆に男性が女性に添ってくるものなのだ。だから、日比国際結婚では両方が相手に添うように努力して丁度良いのだろう。   フィリピーナは底抜けに明るいが、心の底はデリケートで複雑、我々の理解の外だ  数値の上では日本男性とフィリピン女性の結婚が98%と圧倒しているが、私の周囲にフィリピン人と結婚した日本女性も数名いる。亭主をたてて影にまわる日本女性と、妻をたてて影に回るフィリイン男性が一緒になったら、料理をしても荷物を持つのも「アコ・ナラン、アコ・ナラン(私にまかせて)」と、実に仲むつまじい夫婦となること請け合いだ。フィリピン男性にとって見れば、妻が料理をして食べさせてくれるだけで感激ものなのだ。これでは夫婦がぶつかりようがない。  フィリピンでは男性もやきもちを焼く。妻が一人で出かけると、男が一緒ではないかと、やたらとチェックのメールが入る。果ては一緒にいる友人の女性に証人として電話に出てもらったりするはめになる。フィリピン人なら、なんて愛されているのだろうと、まんざらでもないのだが、日本女性の反応はいかがなものか。まあ、男勝りで、男を征服するという意識が強い女性はフィリピン男性と結婚すると良いかもしれない。最近は肉食女性と草食男性なんて言葉もあるから、日本も大分国際的になってきたのかもしれないが。   男にとって、世界で一番の幸せは、イギリスの車に乗って、アメリカの家に住み、フランスのリゾートに住んで、中国料理を食べそして日本の女と結婚する、ことだという話を聞いたことがある。世界では日本の女と結婚するのはステータスとも言われている。まさに日本女性はブランドなのだ。一方、日本男性の評価はあまり聞こえてこない。所詮世界では2流なのだろう。そのくせ、亭主関白などと威張り散らしてみても、それは日本だから通じるのであって、フィリピーナは屁とも思わない。フィリピーナはなんといっても強くて逞しい国際人なのだ。

日比国際結婚は是か非か 2009年6月13日


   日本から見ればフィリピンは間違いなく男性天国と見られているだろう。日本のフィリピン・パブと同じシステムのカラオケ・パブないしクラブがマニラだけで100件はあるだろうが、そこではうら若いフィリピーナが夜な夜な日本人男性を癒している。一方、ショー・クラブやゴーゴー・クラブでは水着姿のダンサーやモデルが舞台で腰をひねらせ、客の指名を待っている。中には目を覆うような過激なショーを見せるところもある。カラオケを除くこれらのクラブは原則、連れ出しが可能だ。さらに、フィリピン庶民の遊びどころであるビア・ハウスは全国いたるところ無数にある。観光客相手には手っ取り早い置屋も健在だ。どうみてもフィリピンは男性天国のようで、それを目指して訪れる観光客も少なくない。  マカティの老舗カラオケパブとアンヘレスのゴーゴークラブ。  ところがフィリピンに長く住んでいる日本人は、「フィリピンはまさに女性天国だ」という人が大多数だ。企業の駐在員の奥様方はメイド、ドライバー、ヤヤ(子守)などにかしずかれ、会社支給の豪邸に住み、趣味やショッピングに明け暮れている。これをあこがれの「駐在員妻」と言うそうだが、そんな夢の生活を数年間過ごして日本へ帰ると、カルチャーショックで、日本の生活になじめないという。日本で奥様は、メイド、子守、秘書、ドライバー、果ては旦那のご機嫌取りのホステス役まで、全部一人でこなさなければならないのだ。  フィリピン人の場合も、お金持ちの奥様や旦那が高給取りの奥様は、まさに駐在人妻と同様あるいはそれ以上の優雅な生活をしている。それでいてさらに、妻は家庭のボス、常に旦那を尻に敷いているのだ。亭主関白という言葉のタガロク語は知らないが、旦那を尻に敷くのをフィリピンでは「アンダー・ザ・サヤ(ペチコートの中)」と表現する。レディファーストなんていうのは当たり前、しかもフィリピンにおいては女性の方がはるかに地位が高いから、男女平等というような言葉は意味をなさないのだ。  それに甘んじているフィリピン男性はどうなのだろう。フィリピン男性の優しさは我々にとっては驚愕に値するほどだ。男性は女性をあらゆる手立てで口説き落とし、さらに愛する女性に尽くして幸せにすることが無常の喜びだそうだ(最近では孕まして逃げてしまう男性も多いようだが)。ちなみにバレンタイン・デイには妻や恋人に赤いバラをプレゼントして愛の証を立てるのは男性、さらに料理は男の仕事だ(だから、ほとんどのフィリピン女性は料理ができない!)。   バレンタインには赤い花束を女性に贈る  しかしフィリピンにはその日の糧にも困る人々が多数を占める。そんな時、旦那の尻をたたいて働かせ、あるいはシングルマザーとして逞しく子供を育てるのが女性だ。困難に直面して女性は実に逞しく、頼りになる。だから一家の大黒柱なのだ。会社でも幹部は女性が多い。銀行の支店長などはほとんど女性だ。カラオケやナイトクラブで働く女性も、たいてい一家を背負って立っている。18や19才の娘が病気の父親や、弟や妹の学費を稼ぐために体を売るという覚悟は並大抵のものではなかろうと頭が下がる。     こんな女性の社会進出を助けているのがメイドとヤヤの存在だ。高校(日本の中学に相当し、4年制)卒、あるいはそれさえももろくに出ていないとまともな就職口はない。そんな娘達が月々数千円~1万円で雇えるのだ。だから、共稼ぎやシングルマザーだとしても、子育てや家の仕事は全く問題ない。特に介護が必要な両親を抱えていたとしても、苦にならないのだ。 かいがいしく盛り付けをするフィリピーノ(左写真の奥)、子供にヤヤはつきものだ(右写真の右の女性)。  さて本題に入るが、こんな男女関係のフィリピン人カップルの男性が浮気したらどうなるのだろう。日本なら妻が旦那を責めて、離婚などややこしいことになる。あるいは利口な妻はことを荒立てぬよう知らぬ振りをする。フィリピン女性は、常日頃から旦那あるいは彼氏の浮気を徹底的に監視する。そして尻尾をつかんだら、ただちに浮気相手の女を攻撃するのだ。時には取っ組み合いの喧嘩までやる。男性は喧嘩の成り行きを見守るばかりだが、たいていは妻や元々の彼女が勝利する。旦那は妻に「2度と浮気はしません、愛しているのはお前だけだ」と侘びを入れて、一件落着する。しかし1週間もすれば新しい浮気相手の物色を始めるのだ。  一方、妻あるいは彼女の浮気はどうなるのだろう。もし自分の妻あるいは彼女が浮気したとしたら、男性は「糞を頭に載せている」と評され、恥ずかしくて外を歩けないほどのものなのだ。だから旦那は浮気した妻を徹底的に責める。このときだけは男性が手荒いことをすることも容認されるようだ。女性の方は、なんとふしだらな女だと社会的にも制裁を受ける。ちなみに「姦通罪」という罪も存在するが、これは女が浮気したときにだけ適用され、男の浮気には適用されないそうだ。  以上の通り、カップルの相手が浮気した場合、責められるのは常に女性なのだ。その理由は「浮気するのは男の性(サガ)、だから理性ある女性は、口説かれても拒否するのが当たり前で、妻子ある男性を愛してしまい、浮気を許したのは女性側の落ち度なのだ。」という、なんとも男性に都合のよいものだ。  果たしてフィリピンは日本人男性にとって天国なのだろうか。あるいは地獄なのだろうか。一方、女性にとっては、フィリピンはどうみても天国のような気がする。

フィリピンは男性天国?それとも女性天国?2009年6月11日



 先日書いたセックス・ビデオ・スキャンダルの事件は、その後ますます激しく巷の話題を独占し、一種の社会現象と化している。芸能人のスキャンダルなどを専門に取り上げるSNN(Showbiz News Ngayon)というニュース番組がある。司会はかの元大統領、Cory Aquinoの娘のKris Aquino(下写真右)。週一回の番組だったが人気上々で、今では毎日放映している。その番組に毎日のようにこの「セックス・ビデオ・スキャンダル」が取り上げられているのだ。  先日第2回目の聴聞会が上院で開催された。必死に息子の無実を訴える母親(写真下左)と神妙に聞き入る話題の張本人のHyden Jr. Kho(写真下右)、二人ともここまで話題が大きくなると、神の裁きに頼るしかない。    Hayden Jr.に、セクシーコメディアンであるRuffa Mae(写真下右)を寝取られた男優も登場したが、彼女自身は沈黙を守っている。ビデオに登場した他の女優あるいは女性達も恥ずかしさに耐えて沈黙を守っているが、Katrina Halili(後述)だけが訴訟を起こし、いきまいている。人々は、そんな彼女をレベルの低い女だからと白い目で見ているが。  一方、第3者であるはずの有名人も話題に登場している。Hayden Jr. […]

セクシュアルビデオで話題騒然(その2)2009年6月10日


 今フィリピンで最も話題となっているのは、医者で俳優というエリート、Hayden Jr. が自分で写したガールフレンドとの営みの現場ビデオがインターネットで出回ってしまった、ということだ。しかも、相手は有名な5人の女優を含む50名の女性との現場で、日記のように自分の性行為を写すのが彼の趣味だったそうだ。   事の起こりは自分のガールフレンドを寝取られて腹を立てた同僚の医者が彼のコレクションのビデオを盗み出して、ユーチューブに公開してしまったのだ。ビデオは瞬く間に広まり、、ダウンロードして配るものやら、DVDに焼いて売りさばくものやらが続出した。ちなみに取り締まりに当たった国家警察(PNP) の本部(キャンプ・クラミ)には、一部屋いっぱいに押収したDVDやUSBが積みあがって処分に困っているという。ユーチューブにアクセスすれば今でも見れるそうだが、まがい物が出回っているので見つかるかどうか保証の限りではない。     彼はUST(University of Sant Thomas)というアジア最古といわれる名門大学を卒業し、Mr.USTだったそうだ。ハンサムで医者という彼は、ベロというクリニックに就職した。ベロはビューティ・クリニック・チェーンとして大成功を収めて、オーナーのVicki Beloは億万長者だ。そのBeloの目に留まってBeloのボーイフレンドとなった彼は瞬く間に出世して、ベロの幹部となった。ハンサムで若くて金のある男をほっておくわけがない。女優を初めとする多くの女性との交流があったとしても不思議ではない。テレビ局はパリに滞在するBeloを追いかけて取材した。このような時、Beloは臆する風もなく堂々と取材に応じていたが、それがフィリピン流だ。  本人が故意にやったのではないのだから、世間から責められることはないはずだが、うらやみややっかみもあってか、かしましい女性陣の追及が手厳しい。聴聞会に出席したある中年の男性は、ビデオに出ていた女性が自分の娘に似ていたというので、Hayden Jr. […]

セクシュアルビデオで話題騒然 2009年5月30日