フィリピーノ気質


  フィリピーノに、今なら100ペソ、明日ならば1000ペソ上げるというと、今の100ペソを選択するそうだ。明日のことなど当てにならないし、今確実に100ペソもらったほうがいいという。そして今日の稼ぎを全部使ってしまい、明日は明日の風が吹く、宵越しの金を持たないという江戸っ子気質をもっているのがフィリピーノなのだ。そのため貯金とか備えという概念が希薄で、お金を貯めているフィリピーノはほとんどいない。聞いてみるとほとんどが借金を抱え、それを返すのに汲々としている。これは、亜熱帯という気候が一年中作物をもたらし、備えということが必要のない暮らしを何万年もしてきたことによると私は解釈している。 この預金をしないということについて、最近気が付いたことがある。もし仮に思わぬ大金が転がり込んだとして、それを大事に預金したとすると、早晩姻戚や親しい友人のトラブルや病気やらでなくなってしまうことは目に見えている。もし姻戚にトラブルがあって金を無心されて、金があるのに断ったとする。そうなるとたとえ相手がそのことを知らないとしても、罪の意識に駆られて耐えることができない。あるいはまた、金があるのに助けてくれなかった、あいつは人の心を持たない悪魔のような奴だと逆恨みされてしまうのだ。そして結局は姻戚のためにすべての蓄えを使い果たしてしまうことになる。それならば、いっそ家や車など簡単に換金できないものに使ってしまい、自分の生活をエンジョイしたほうがましということになる。どうもフィリピンでは必要以上の現金を持つということは必ずしも良いことではなく、逆に人間関係を破壊する要因になることが多いようだ。フィリピンに住むならばフィリピン流に「宵越しの金は持たない」といった生活態度を身につけなくてはいけないのかもしれない。少なくともフィリピーノと家計を共にするのであれば「郷に入っては郷に従え」という原則がここでも活きているようだ。 この笑顔に一万年の重みがあるのです   お祭り(フィエスタ)が近づくと、できる限りの借金をして数百人分もの食べ物と飲み物を用意して、不特定多数の客を歓待する。そしてその翌日から1年間、次のフィエスタまで、その借金を返済するためにせっせと働くのがフィリピーノなのだ。言ってみれば先に貯めて使うか、使ってから貯める(返す)のかというだけの差かもしれない。ただ先に使って返済の形をとると利子を払わなければならないとことが違うだけだろうが、借金ならいざとなると踏み倒せるだけ有利かもしれない。いずれにせよ、フィリピーノにとっては、人から借りるのも、自分の貯金を使うのも、どっちにしても大差のないことなのだ。 このように常に金銭的に水平線以下で暮らしているから、フィリピーノはお金を借りることあるいはお金の無いことには慣れている。お金が入ったら持ち前の負の預金と相殺され、あっという間に消えてしまう。したがって、あげようが、貸そうが、預けようが、いずれにせよいったんフィリピーノの懐に入ったらその人のものになってしまい、もはや戻ってこないということが多発するのだ。こと金銭に関しては、あげる、貸す、預けるは、フィリピーノにとってはほとんど同義語だ。すなわち、借りた金を返さない、あるいは預かった金を使ってしまう、そして、それに対して特に罪の意識が希薄なのだ。その辺は、所有という概念が根本的に違うのか、日本人にとっては大変わかりづらいところだ。 水平線以下であろうとあるまいと子供は子供だ 水平線以下の生活に慣れると、まとまったお金が入るとそれを使うことに夢中になる。貯めておこうなどという発想は決して起きない。金がなければないでよし、金があったらなくなるまで使うのがフィリピーノなのだ。だから、いったん金があることを知られるとフィリピーノはあの手この手でその金を使うことを提案してくる。親や兄弟が実に頻繁に病気になったり、甥や姪が入学したり、使う理由は際限なく沸いてくる。金があるのに出さないと恨まれる、かといって出せばきりがない。 俺は金がたくさんあるなどということを絶対にくどき文句にしてはいけない。言質をとられてとことん使わされる。大きなお金は持ってこない、お金が無いのが一番、だまされることも無くフィリピンで安全に生きていくコツだ。本当にフィリピーナに愛されたら、お金なんぞなくても、きっと彼女が養ってくれるだろう。でも無一文で好きになってくれるかどうかは、保障の限りではない。 愛しのフィリピーナ予備軍 そこでフィリピーナと生計を共にすることになった時の注意点。 年金や給与あるいは利子など、月々の決まった収入で暮らす。例え全部使い切ってしまっても来月になればまた入ってくるので安心。 クレジットカードなどで日本の貯金が下ろせるようにしない。日本の金がなくなるまでとことん使われてしまう。彼女にカードを預けて勝手に下ろせるようにするなどもっての他。 フィリピンに大きなお金を持ってこない、また日本にあるお金も内緒にする。日本の資産は不動産など簡単に換金できない資産にしておくことが望ましい。 […]

豆辞典 フィリピーノは宵越しの金を持たない


 原油の異常な高騰のあおりを受け、世界的に穀物等をはじめとするあらゆる食材が高騰し、食糧危機の到来が取りざたされている。フィリピンでもガソリンがリッター当たり60ペソ(150円)にのせるなど、人々の生活を直撃している。しかしフィリピンではもう一つの食糧危機が到来しているのだ。ラプラプやマグロなどの海水魚(写真上)が半値以下に値下がりし、一方ではテラピア(写真下右)やバゴス(写真下左)などの養殖魚が倍以上に値上がりしている。それでもラプラプなどを買って食する人はまれで、ただ放棄されているという。  その原因は、先日の台風6号(フランク)により、シブヤン海、シブヤン島沖(ルソン島、ミンドロ島、パナイ島に囲まれた内海)で大型フェリーが沈没し800 人近い死者を出したが、その遺体が回収されず、海に漂い、魚のえさになっているとうわさである。キリスト教信者が大半を占めるフィリピンでは、極端にこのようなことを忌み嫌う。そのため、マニラの市場では誰も海水魚を食べようとしないのだ。  またさらに、この界隈の漁民は漁を行なうことを禁止され、その日の糧にも窮しているという。パラワン島など遠く離れた漁場で取れた魚は関係ないと思うのだが、海はつながっているから、人々は気持ち悪がって手を出そうとしない。そのため、全国の漁業関係者、おろしや小売などまでも大打撃を食らっている。ただほくそ笑んでいるのは、魚の養殖業者だ。普段はラプラプなどの海水魚の半値以下で売られているテラピアやバゴスが一気に倍以上の値をつけ、ラプラプよりはるかに高値で取引されているというのだ。

もう一つの食糧危機2008年7月3日



最近、フィリピーナに結婚をせがまれているという日本人独身男性の話をよく耳にする。一方、日本では、フィリピンからタレントさんが入れなくなって、フィリピンパブがばたばたつぶれている。最近、フィリピンパブで働いているのはほとんど日本人と結婚しているフィリピーナだ、偽装結婚が多くて日本人の配偶者のビザ発行が滞っている、などなどの話もある。いろいろ聞いているうちに、これら二つの話が一つの糸で結ばれているのに気が付いた。要は日本で働きたいフィリピーナが、この際だれでもいいから独身日本人を見つけて結婚し、日本行きのビザを入手しようと必死なのだ。 一体結婚をなんと思っているのか、離婚がないという国で、このように結婚を仕事にありつく手段にするなんて不届き極まりないと怒る方も多いかと思う。こんな女にだまされるなよ、彼女はビザが欲しいだけでお前のことなんかちっとも愛していないんだよ、と忠告さえするだろう。しかし、逆に独身男性としては千歳一隅のチャンスではないだろうか。独身であるということが大きな武器になっているのだ。一旦ゲットしてしまえば、離婚という制度のないフィリピンでは生涯の伴侶となるわけですから、きっかけなど何でもいいではないですか。今、結婚というえさで釣り糸をたれたら、フィリピンでは入れ食いなのだ。 そもそも結婚にいたる出会いは、さまざまだ。お見合いという制度がまかり通っていたのだから、愛は後からでも二人で育んでいけるものなのだ。しかしながら、彼女たちが結婚する第一目的は日本で働くことだから、結婚の代償にしばらくの間は日本に居させてやらないと何のために結婚したのかと、彼女としては深く後悔する結果になってしまうだろう。その挙句に仲たがいが生じてしまうことになることは容易に想像できる。例え彼女がそう思わなくとも、周囲が彼女を責めたりそそのかしたりするだろう。せっかく日本人と結婚したのに日本にもいけないで、フィリピンでくすぶっていて、仕送りもしてくれない、などと。そうなると、日夜旦那に日本に行かせてくれとせがんで、一体お前はなんのために俺と結婚したんだと、失望してしまうのだ。日本へ行くために結婚したのよ、などとは言えないし、離婚して他の人と結婚というわけにも行かないし、亭主の顔を見るのもいやになってくるというわけだ。 中にはフィリピン人妻が日本に出稼ぎに行って、日本人の旦那がフィリピンに住んでいるというケースもあるそうだ。その点は相手の立場も考えて、うまく解決策を見つけて仲むつまじくやってほしいと思う。  

豆辞典 フィリピーナの結婚願望


携 帯電話など今更取り立てて取り上げる必要もないかと思うが、フィリピンではそのお国柄から、携帯電話をとりまく環境も日本とはかなり違ったものとなっ ている。大きな違いは、フィリピンの携帯電話はほとんどがプリペイド方式であり、事前にプリペードカードによりチャージした分(ロードと呼ぶ)だけ使えることだ。また携帯電話の本体と電話番号が別個になっていて、携帯電話の中に収められたシムカードを交換することにより電話番号はそのままにして電話機本体を 自由に代えることができる。もちろんロードはシムカードに記録されている。したがってスマート、グローブなどの携帯電話会社は携帯本体の販売は行っていない(ただし、日本式のプランという制度もあって、3年契約で携帯本体が無料などという制度もある)。 このため、話している最中にロードがなくたったり、“ロードがないから電話できないので電話してください”という失礼なメール(当地ではデキストと言う)が 来たり、日本ではありえないことが頻発する。また、携帯電話が盗まれるということがたまにあり、一方、携帯電話をなくしたら絶対に出てこない。シ ムカードを交換すれば別の番号で使えるので、売払われてしまうのだ。だから、携帯をなくしてしまったら、すぐにテキストをいれて、1万ペソとかいう法外なお金で買い戻すと伝えると、しっかり戻ってくる。ビジネスマンにとっては、電話番号は命だから仕方がない。 中古機なら1000ペソ程度から買える  ロードは基本的にプリペードカードを買って登録する。プリペードカードの値段は100、300、そして500ペソだ。カードの裏をコイン等でこすってカード番号とPIN番号を出し、Globe Telecomであれば223に電話をかけ、引き続き10桁のカード番号と#を入力し、さらに6桁のPIN番号と#を入力すれば登録は終わり。残りのロードを確認するためには、222に電話をすればテキストで返事が来る。自分の携帯のロードを他の携帯に移すこともできる(パサロードと呼ぶ)。したがって、サリサリストアーではロードのばら売りが行われ、毎日その日に必要なロードを10ペソ単位で買っている人が多数いる。 グローブプリペイドカード 裏側、223とダイアルし、6042145862#141477#と入力する テキストは一回1ペソだが、通話料金は6ペソ/分で、かなり割高だ。日本と同様ほとんどのフィリピン人はテキストで会話を行っているが、何か用事があって電話をかけてもらう場合、かかってきたら、いったん切ってかけなおすのが礼儀だ。一方、PLDT(フィリピン長距離電話会社、日本のNTTに相当)の 電話は、固定料金制で、市内電話である限りいくら使っても月々の料金は一定だ。もし、両方が家や事務所にいる場合は固定電話でかけなおすのが普通。 この固定料金制は従量制に変更されつつあるが、この制度のおかげでフィリピンの人は大変長電話だ。だから暇な秘書などは、ほっておくと一日中電話を […]

豆辞典 フィリピンの文化を変えた携帯電話



フィリピン人と付き合っていくための心構えを5つの “あ...ない” でまとめた人がいる。大変よくできているとは思うのだが、多少日本人の偏見に基づいた言い分でフィリピン人にしてみれば “とんでもない、5つのあ...ないが必要なのはこっちの方” と言うかも知れない。いってみれば、慣習文化の違う国民が一緒に暮らしたり仕事をしようとすると、よほどの忍耐が必要ということだろう。あなたもこの五つの戒めを常に頭においてフィリピン人と付き合ってほしい。意外と役にたつ。 あせらない あきらめない あたまにこない あてにしない あまやかさない

フィリピーノ気質 五つの¨あ……ない¨


フィリピン人女性と結婚している日本人男性の数は一口に10万人とも言われている。年の差を気にしないというフィリピン人女性の考え方、海外出稼ぎ労働者(OFW)で代表される海外へのあこがれ、そして貧困というバックグランドがフィリピン人女性を日本人との結婚に駆り立てるのだろう。フィリピン女性が日本へ嫁いだ場合、比較的うまくいっているとの話を耳にする。一方日本人がフィリピンに来た場合、10年もうまくやってきた仲なのに、一年足らずで破綻してしまった言う話を聞いたことがある。 世界でもまれな離婚制度の無いフィリピンでは教会でおごそかに式が執り行われ、牧師と立会人が婚姻を承認する 私 なりに原因を分析すると、日本で結婚生活をした場合は、フィリピン人奥さんが必死に日本の習慣になじもうと努力し、日本語も覚え、旦那は、今までどおりに 日本流を押しとうすことができる。奥さんは月々わずかの家族への仕送りを条件に「おしん」になるのだ。しかし、日本人の旦那がフィリピンにやってきた 場合は、英語もタガログ語もできない、フィリピンのことはなにもわからず、奥さん頼り。おまけに稼ぎも無い、いかにも頼りない旦那なのに怒ることだけは一 人前、家族の前でも平気で奥さんを馬鹿にして怒鳴る、時には暴力を振るう。これでは奥さんはたまらない。フィリピン人にとって人前で怒鳴られたり、はったおされたりすること は死ぬほど恥ずかしいことで、許すことはできないのだ。 そうなるともはや離婚しかなく、奥さん側は買ったばかりの家や車は、慰謝料として当然我が物にしようとするだろう。旦那の婚姻ビザ(13aビザ)を キャンセルして、フィリピン国外に追放しようとしたりもするだろう。一方、旦那は何がいけないのかわけわからずおろおろするばかりだ。さて、不幸にも 離婚となったとき、フィリピンでの離婚に関する法律はどうなっているのだろうか。フィリピンには離婚という制度はない。だから、フィリ ピン人はいったん結婚すると離婚することができないのだ。 し かし、旦那は日本人だから、離婚できるはずだ。正確に表現すると、日本人とフィリピン人のカップルが、日本に居住している限りは、日本の法律に従い、 離婚でき、フィリピンに居住している場合は、フィリピンの法律により、離婚できないのだ。だから、離婚するなら、日本へ行って離婚すればいいのだ。し […]

豆辞典 フィリピン人配偶者との離婚は可能か



フィリピンの街を歩いていて横丁を覗くと、まさにうじゃうじゃと表現されるほど子供が遊んでいる。一方、日本では団地でも子供の姿を見るのはまれだ。なぜこんなに子供がいるのだろう。経済的には決して楽でないはずの人たちが、まるで見境もなく子作りに励んでいるようだ。 フィリピン人の子供を愛する様は尋常ではない。行儀が悪いからと、他人の子供を叱ったりすると、親に怒られる。子供だから何でも許されるのだ。フィリピンはまさに子供天国だ。女性の夢は子供を持つことで、子供たちに囲まれて、たとえその日食べるものがなくとも、幸せなのだ。一方、男性はひたすら女性を口説き、ものにしようとしている。その結果次々と子供ができるのだ。 子供ができると男性も観念して結婚するようだ(逃げてしまう男性も多いようだが)。したがって、子供を育てるのは女性の仕事だ。男に逃げられても、旦那が失業中でも、女性はたくましく子供を育てる。それが生きがいであり、使命なのだ。そして、フィリピン中いたるところに子供があふれることになる。しかし、彼らは親にとても愛されて幸せなのだ。フィリピンには、実の親による子殺しなど決してない。人間として本来のものが強く機能している気がする。 甥や姪に囲まれて幸せそうな私の相棒 フィリピン政府では、この子沢山の傾向を是正しようと必死だ。これは世界的傾向だが、堕胎が法律で禁止され、避妊でさえも嫌う傾向にあるフィリピン人に対しては無駄な抵抗とも思える。なにしろ子は宝、神からの授けものという意識が脈々と生きているのだ。その場合、フィリピンの将来はどうなってしまうのだろうか。 一方、日本では、団塊の世代が60歳を迎えつつあり、国民の老齢化は深刻な問題となっている。国民の大多数が老人になってしまったら、誰がこの老人を支えるのだろうか。いくら技術や機械があっても、それを使うのは人間だ。その人間がいなくなったら国は滅ぶ。 人口が増えるというのは国にとって大変な負担かもしれないが、人口が減っていくあるいは老齢化していくという現象に比べたらはるかにましだ。いつか日本の老人がフィリピンの若者に介護というだけでなく、経済的にも支えられる時が来るのではないかという気がする。

雑記帳 子沢山はフィリピンにとってマイナスか?


フィリピン人の子供好きは、驚嘆に値する。子供が熱をだしたり、バプティスマ(洗礼式)とか、入学式だったりすると、会社などくそくらえだ。それを責めたりすると返って怒られる。したがって、子供は何もしても許される。公共の場で走り回ったり、大声を出して騒いだり、子供だからUnderstand(理解)してやらなければいけないのだ。 フィリピンの子供が家に遊びにくるとぞっとする。うるさい、ちらかす、こわす、その図々しさといったらまさにベビーギャングだ。それを見ている親が何の注意もしないのは一体何なんだろう。しかも、このくそがき供に何かあるごとに幾ばくかの金を与えなければならないというのは、なんとも理解に苦しむところだ。きっとこの国には“しつけ”などという言葉はないのではないか。 しかしながら、この子供時代の甘やかしがあの優しさに満ちたフィリピーノを育てるコツなのだろうか。この子達が将来自分のことを面倒見てくれると思ったら、我慢しなければならないのだ。どんなに頭にきても決して怒鳴らず、じっと笑顔で接しなければならないのだ。子供を叱るとその親たちにまで恨まれるので、友人を無くしてしまう。なにしろ子煩悩にスーパーがつく人達なのだ。 フィリピンに10年いても、まだこの子育ての原理は理解できない。しかし、日本の家庭の様子を見ていると、フィリピンの方がよいのではと思ったりもする。なにしろ、家庭内暴力とか、登校拒否だとか、親殺し、子殺しなどということを聞いたことがない。ファミリーはみんな幸せなのだ。ファミリーのためには何もかも捨てることができるほどなのだ。

雑記帳 フィリピン人の子供



フィリピン人特有の観念を表す言葉“パキキサマ”を紹介する。付和雷同とでもいうのだろうか。組合のストライキなどで色々調べてみると誰も特にストライキをするほどの不満があるわけでもない。ほんの一握りの人間がこぶしを振り上げているに過ぎず、他はその流れに従っているだけ。村八分になるのが怖いから、声の大きいもののいうことに従っているに過ぎないということが多々ある。ただ、あまり、たいした問題でない場合はとりあえずみなの意見に従っておくのが、この国で生きていくすべかも知れない。

フィリピーノ気質 パキキサマ


賄賂は悪という観念があるが、フィリピンでは少々ニュアンスが違うようだ。なにかやってもらったら心づけを払う、感謝の気持ちを表すもので、いくばくかのコミッションをやることは、社会生活をうまく送る潤滑油のようなもののようだ。人になにか頼んで、それが少しでも助けになったら、少しでいいから心づけをあげること。喜んで受け取ると思う。そして次はもっと一生懸命手伝ってくれるだろう。でもあまりやりすぎないこと。次にもっと期待されてギクシャクしてしまう。 これが、役人が当然行うべきことをやるのにコミッションをとるということにつながってフィリピンの役人を堕落させ、政治を悪くする原因になっているようだ。もっと役人の給与を上げて、役人が賄賂を取らなくても十分生活できるようにすることがフィリピンをよくする近道だと思う。大統領の給与が月々10万ペソそこそこでは他は推して知るべしだ。

フィリピーノ気質 何が何でもコミッション