学校・教育情報


  学校探しのご家族に同行して、この日はBritespark International School を訪問した。ケソンとパシッグ市の境界、オルテガス・アベニューとC5(シーファイブ)の交差点の近くにあるこの学校は小規模で、場所も環状道路に面していて、環境は今一だ。しかし、裏は工場跡地にロビンソン・ランドが大規模なコンドミニアムを計画しているので、近々校舎を新築して移転するそうだ。 生徒数は幼稚園から高校まで全部で200人足らずとかなり小規模、特に高校は一クラス数人だそうで、私塾といった面持ちだ。先生は20人、それに職員らしき人がたくさんいる。月謝は年間14~15万ペソで、インターナショナルスクールとしては並だが、私立としてはかなり高額だ。幼稚園でも9万ペソもする。  お子さんが入学試験を受けている間に、教頭先生といろいろ話をしたが、少人数のせいか、理想的な教育を目指しており、将来のリーダーを養成するのだと張り切っていた。教科書はすべてアメリカ製、日本の教科書に比べて数倍のボリュームで、1年でこれだけの量を消化するのは容易ではないと思われる。        しかし、子供達が、こんな環境で勉強できたら、高校を出るころには一般の公立校出身の子とでは大きな差がついてしまうと思う。また、こんな高額の授業料を支払える親は外国人かお金持ちの子だろうから、人生のスタートからエリート教育を授けられ、将来社会を牽引する人材となるのだろう。  英語が全くできないお子さんがどうやって授業についていけるのか、色々議論をした。学年を一年遅らせて、スタートして、途中で英語が十分となったら、中途で進級する、といった芸当も可能だそうだ。いずれにせよ、放課後にESLという英語の補習授業を受けて、英語の特訓をする必要がある。その費用は授業料とは別途で、2万ペソ/月だそうだ。  月々2万ペソも支払って、英語の補習を何年も続けていたのでは、親がたまらない。先生によると、4月から入学した日本人の子供は2ヶ月ほどで、授業についていける英語力を身につけることができたそうだ。テストの結果、英語を除く学科は十分な力を持っているということで4年生への編入を許されたが、ESL を受講するという条件付だ。   最近、好みのトイ・ストーリーを見ていると、画面が訴える危機に対して、明らかにそれを理解し、はらはらどきどきしているKIAN。トイ達が救われる場面では完成をあげて喜んでいる。もちろん、言語は英語だが、かなり理解し始めているようだ。KIANが通う保育園の授業料は年間2万ペソだが、幼稚園に進んだら、上記のような環境で教育を受けさせたい。しかし、年間10万ペソを越えるような授業料の支払能力は両親にはないから、例のもっとも授業料の高いマニラ・インターナショナル・スクールの特待生(スコラーシップ、授業料免除)をねらっているそうだ。

Britespark International School 訪問 2012年8月15日


  マニラの南、パラニャケ市とラスピニャス市にまたがるBFホームズにあるのがSothville International Schoolだ。今回は日本からやってきているご夫婦の9歳になる娘さん(小学4年生)の入学手続きのために訪問する機会があった。小中高(12年)一貫教育で大学もある。生徒数は2000人、大学は2000人を擁し、中堅の学校だ。  住宅地にあるために、キャンパスは広大というわけではないが、一通りの施設を擁している。  幼稚園から小学校5年生までと6年生以上と中高が別棟になっており、校舎の全面は父兄の使う大きな駐車場がある。 年間の授業料は施設料も含めて20万ペソ、フィリピンの物価感覚では200万円に匹敵し、大卒社員の年収にも匹敵する。それでもボニファシオ・グローバルシティのインターナショナル・スクールに比べれば4分の一程度が、これは別格だ。またフィリピンの私立学校の授業料が2万~10万ペソだから、超私立といった感じだ。ちなみに先日訪問したエミリオ・アギナルド・インターナショナル・スクールは1600ドル(7万ペソ)だったから、約その3倍だ。  それだけの授業料をとるだけに施設も中々のもので、子供達にとって理想的な環境を提供している。 一クラス15~20人、我々が一クラス50人以上の教室だったことを思うと格段の相違だ。 図書室も立派の一語につきる。  食堂もあり、我々が教室で食べていたのとは少々勝手が違う。  早速、入学試験、算数と英語の試験があった。設問形式の算数と英語はギブアップ。しばらく待って校長先生の面接があって、両親と共に面接が行われた。それだけで、入学はOK。フィリピンはアメリカ式で入学は簡単で、中で頑張るというやり方だ。どこかの国のように才能のある子でも受験準備が不十分だと、さっさと門前払いをしてしまうのとはわけが違う。しかし、ほとんどの授業は英語だから、当面、普通クラスに入ってもついていけない。そのため当面は家庭教師(個人授業)をやってくれるそうだ(もちろん別途の授業料を支払う必要があるが)。さすがインターナショナル・スクール、外国からやってくる子供を受け入れる大勢が整っている。  小学6年生以上の生徒が学ぶキャンパスでは韓国人の子供が目立つ。中には大学生と見間違う生徒も多数いたが、子供達の国籍はまさに国際的だ。 コンピューターは現在の教育には必須で、一人一台の環境が整っている。 中庭の校庭も立派。  外国人やフィリピン人とのハーフが多く、20万ペソもの授業料が払える家庭の子供達だから、皆お金には困っていない。そして構内にはハンバーガーやアイスクリームを売っていて、いやがうえにも子供達の食欲をそそる。だから、その辺を歩いている子供は心なしか、デブちゃんがおおかった。

サウスビラ・インターナショナル・スクール訪問 2012年8月12日



   EMILIO AGUINALD COLLEGEは、医学、薬学、看護・介護士など医学系の学生を中心に養成しているフィリピンの中堅大学だ。エルミタ、タフト通り沿い、LRT、UN駅の至近距離、いつもNBIクリアランスでお世話になるおなじみのNBIからも近い。  今回、ここで日本語クラスの先生を務める渡部さんから、退職者でボランティア的に日本語を教えてもらえる人はいないかと聞かれ、私のブログで紹介しましょうと、いうことになった。そこで日本語教室のあるエミリオ大学を訪問したのだ。ここでは日本語クラスのみならず、海外から英会話を勉強する留学生も受け入れている。留学生はEIENと同様にこの大学の寮に住むのだが、二人部屋で3食付、月々560ドルと安く、毎日(月~金)6時間、マンツーマンの授業料が月々880ドルだそうだ。中国人、日本人、韓国人など多国籍の学生が寮の中を歩いていたが、話声を聞くまで、全く区別がつかなかった。ちなみに日本語クラスは50時間で8000~9000ペソ程度。  タフト通りはUP、ラサール、フィリピン女子大、アダムソンなど多数の大学が並ぶ学生街だ。エルミタにあるので、多少ごみごみしているが、いたるところ学生であふれている。特に昼時のマクドナルドやジョルビーは学生で埋って席がとれないくらいだ。        エミリオ大学の周りは白い制服の女の子が圧倒的に多い。彼女達はきっと看護士の卵なのだろう。フィリピンでは看護士は天使の職業として人気があり、大量の看護士を世界に送り出す。アメリカの病院はフィリピン人医師と看護し無しでなりたたないと言われるほどだ。 エミリオ大学に隣接して大学病院がある。さらに近傍には大学のスポーツ施設があり、かなり大きいプールがあった。これらは日本語教室や英会話教室に通う生徒も使えるそうだ。 通りは制服姿の女子大生が闊歩する。  さらに、大学に隣接してホテルも経営しているので、日本から英会話の勉強にやってきて、寮に住むのは今一と言うような退職者には向いている。 さらにエミリオ大学ではインターナショナルスクールを経営しており、幼稚園から小中高(12年)、全体で200名ほどの子供が学んでいる。一クラスは 15名ほどで、それこそ先生の目の届く理想の教育をしているそう。学費は年間1600ドルで、新たにフィリピンにやって来て英語が不得意な子供には英語の補習授業もある。 英会話の授業は1平米程度の小部屋でマンツーマンで英会話の特訓を毎日6時間やるわけだが、3ヶ月から6ヶ月程度でものになるという(もちろん個人差や年齢の差はあろうが)。諸外国から生徒が来ているが、英会話学校の多くはセブやバギオの観光地にあり、エルミタの下町に位置するエメリオは苦戦していると言う。たしかにここでは土日の休みに遊ぶところがない。  しかし、逆にマニラ在住の日本人が通うとしたら、かえってこの立地が有利になるのではないだろうか。退職ビザを取る方々の半数近くが英会話を学びたいと思っているので、通学という形を受け入れたらいいのではないかと思う。その場合、1日2時間程度、月水金などいうフレキシブルな時間割が必要となろう。 […]

エミリオ・アギナルド・カレッジの紹介 2012年8月4日


  2歳を越えたKIANのやんちゃぶりはとどまるところを知らず、私の顔を見るたびに「Out Side」と言って、外へ出たがる。所要で出かけるとき、なるべく一緒に外に連れて出るのだが、客が同行するときはそうもいかない。最近はコンドミニアムの入り口でお茶を濁すだけではもの足らず、「Out Side」を連発し、一日中、外へ出る機会がないときは、事務所の中で暴れまわって、ストレスの発散に励む。 8月1日の通園初日、制服を着てパパに抱かれる姿は、まるで幼稚園児のようだ。  たったの2歳なのだからと、大人の考える枠にはめておくのはKIANにとっては酷なことのようだ。そこで私が提案したのが保育園に通わせて、同じような年頃の子供と遊び回って、友達との交遊やストレス発散に励ませることだ。いろんな経験を積ませれば積ませるほど子供は伸びて行く。せっかく伸びようとしている子供を枠にはめておくと、子供は伸びることを止めてしまうと、説いた。    2歳児を預かってもらえるところなど、あるはずがない、日本とは違い、ここではせいぜい4歳からの2年保育だとママジェーンは主張したが、探してみたら、それがコンドの中にあったのだ。そこで、2週間ほど前に体験入学に連れて行った。  両親に手を引かれて颯爽のお出ましだ。  回りの子供は皆、3歳児だが、そんなことお構い無しに、一緒に歌ったり、踊ったりして、皆を引っ張っていた。しかし、お絵かきに時間になって、もっと歌い続けたいKIANに、先生が絵を書くことを強制しようと、KIANの手を取った。そのとき、たまたま右手の人差し指の爪を剥いでしまい、バンドエイドを巻いていたKIANの逆鱗に触れた。痛みで大泣きをして、先生を蹴飛ばして教室を飛び出してしまったのだ。そこで、指の痛みが取れてから、ということで、きりの良い8月1日からの通園となった。 教室では早速ご機嫌に皆と交じり合う。  教室にKIANを置いて、ヤヤと私が帰ろうとした。それに気がついたKIANは大泣きをして追っかけてきた。父兄等の参観は禁止されているので、一時して私も、ヤヤも引き上げて行った。その後どうなってか気になっていたが、当のKIANは歌やダンス、お絵かきを満喫して、2時間後意気揚々と引き上げてきたそうだ。他の子供はすでに2ヶ月前から通園しているそうだが、そんな中でKIANの活発さと物怖じしない態度に先生は大いに喜んだそう。 同級生は、皆3歳児だがKIANは常にリーダーシップを発揮して、年の差などものともしない  通園初日から、KIANは他の子供達のおやつを取り上げて食べてしまったり、気に入らないとパンチを浴びせたり、KIANのやりたい放題に、他の子供達の親が抗議をして、退園の憂き目にならなければ良いのだがと、ママジェーンは心配している。当初から、KIANが年上の子供にいじめられたり、物怖じして泣いてばかりいる、などということは一切心配しなかったが、案の定、年上の先輩達をいじめて、保育園を追い出されてしまうのではないかということが、皆の気がかりだ。2歳4ヶ月にして18kgと、体重だけは4~5歳児並みのKIANにとって3歳児などはへのカッパのようで、日本で社会現象となっているいじめの逆バージョン、一体将来どんな子供そして大人へと育つのか興味深々だ。

KIAN保育園に通園開始 2012年8月1日



 従来フィリピンの教育制度は小学校が6年、ハイスクールが4年、そして大学が4年(文系)、5年(工科系)で、合計が日本等の諸外国に比べて2年短かった。したがって、フィリピンンでハイスクールを卒業しても日本の大学進学の資格がないなど海外への大学進学に不都合があった。したがって、外国人の子女の教育はインターナショナル・スクールに進学しなければならず、高額の授業料を支払わなければならないなど、外国人にとってフィリピンに在住する上での頭痛の種だった。  今回の教育制度の改革で、現行の小学校6年とハイスクール4年の終了後シニア・ハイスクール2年を創設し、合計12年間の教育とともに、幼稚園1年を義務教育とし、合計13年間の教育を大学進学前に受けることになる。これらの教育について公立学校では授業料は無料で、幼稚園と小学校は義務教育となる。 本制度は本年度ハイスクールに進学する生徒から適用され、4年後の2016年からシニア・ハイスクールが開始され、2018年から新制度の卒業生(18歳)が出る。  シニア・ハイスクールはすべてのハイスクールに併設されるが、大学進学の学生が2年間いなくなることになり、大学に付属のシニア・ハイスクールを併設することも検討されている。 ちなみに、フィリピンでは18歳未満のアンダーエイジ/マイナーの雇用が禁止されている。これは何も花街の話に限ったことではなく、ウエイトレスなどの一般的な職業にも適用されていて、ハイスクールを卒業しても法的に2年間は働く術がないのだ。しかし、大学に進学できない貧しい家庭の子供達が学校を出ても働くことができず、親のすねかじりを続けるなどということなどは実際にはありえず、何らかの形で働いてはいるのだが、法の庇護下になく、低賃金を余儀なくされるという矛盾を包含している。今回の措置で、これら16歳から~18歳までの青少年が無料で就学する機会が与えられるということは大いに歓迎すべきことだ。

フィリピンの教育制度が国際標準に改革 2012年6月3日


           1歳と4ヶ月にもなるとKIANの好奇心と行動力はとどまるところを知らず、ちょっと目を離すとどこかへ飛んで行ってしまう。そこでママ・ジェーンが買 い求めたのがジェケットに紐がついていて、赤ちゃんの行動をコントロールできる代物だ。ヤヤ(子守)にとってこんな都合の良いものはない。紐でKIANの 行動を縛り付けておけば、自分は座ってヤヤ友達とおしゃべりにふけっていられる。   これを見て大いに疑問を呈したのが私だ。犬猫でもあるまいし、紐でつないでおくなんて、たとえ赤ちゃんであろうとも人間としての尊厳を汚すものだと激しく抗議した。そしてさらに、こんなものは面倒を見るヤヤの手抜きであって、KIANの大いなる成長を妨げるだけのものだと。人間は自ら判断して行動をすることが重要で、失敗や成功を通して喜びや落胆があり、成長していく。大人の目から見れば、赤ちゃんが単に走り回って遊んでいるだけかも知れないが、当の赤ちゃんにとってしてみれば、いつもチャレンジの連続なのだ。だからこのような行動規制は本当に赤ちゃんの身に危険が迫った時に限定されるべきで、例えば下の写真の下り階段に設けられた開き戸のような場合とかだ。  最近のKIANはおもちゃよりも大人が使っているものを何でもほしがり、何でも大人と同じようにやって見ようとする。まさにチャレンジの連続だ。それを、汚すから、壊すから、危ないからと何かと行動を規制しようと、ママ・ジェーンは顔をしかめるが、それはせっかく赤ちゃんが成長しようとしているのを妨げているにすぎない。  だから、何でも自由にさせてもらえる私と一緒に食事を取ったり遊んだりするのがKIANは大好きだ。その代わりKIANの食事のあとはテーブルや椅子、そして床とそこいらじゅう食べかすだらけでびしょびしょだ。それを、「フィリピーノは、例え赤ちゃんでも食物を遊びに使うのは神を冒涜するものとしてきらう」、とママ・ジェーンは口やかましい。それでもガラスのコップはすぐ壊すので、プラスティックのコップを買ってきたりして、しぶしぶ 協力してくれてはいるが。  KIANが部屋を走り回って遊んでいると大人たちは頭を角にぶつけるのではないかとか、転んでしまわないかとか、先回りして保護したり、大きな 声でKIANを脅して制止する。私といえばただ黙って見ているだけだが、大人はどうしても色々な事が気になって、赤ちゃんの行動を一定の枠にはめようとする。それでは赤ちゃんを檻に入れているようなものではないか。 檻の中にいては赤ちゃんは何も覚えない。頭をぶつけて痛ければ次回は気をつけようとするだろうし、熱いものを触れば、危険を察知するようになる。何事もやらせて体験して覚えさせることだ。それを、何でも先回りして過保護に育てると、自分で危険を察知して回避する術を学べない。そして大きくなってから、何かひどい目に会うと、自分を事前に保護してくれなかった両親、あるいは他人に責任があると、いわゆる他責の人になるのだ。秋葉原の無差別殺人やむしゃくしゃして患者のつめをはいだりするなんて行為は、きっとこういう過保護人間がしでかすのだろう。 紐につながれて歩いたり、行く先々で大人が規制をかけて、言われなき罵声(行動を制止する大声)を与えられ続けたら、もはや自分の判 断で動くことができなくなるだろう。その結果自分の判断で物事を進められず、常に誰かのアドバイスがないと前に進めない、なんとも頼りにならない人間に 育ってしまう。しかし、「ただほっておいては、ものごとの善悪の判断もできなくなる。だから間違ったことをしたら叱るべきだ」とママ・ジェーンは反論す […]

賢い赤ちゃんの育て方 パート2 2011年8月24日



英語を話す家庭で生まれた赤ちゃんは3歳位になると流暢に英語を話す。ゼロからスタートしたのに、ほとんどの日本人は中高6年間英語を勉強していても、 とてもかなわない。一方、タガログ語にいたっては2~3才の子供が数ヶ月で覚えるところを、当方は15年以上にフィリピンにいても足元にも及ばない。 (なんとも可愛らしい仕草でミルクを飲むキアンだが、その好奇心は厭きることを知らない) 年を取ればとるほど新しいこと、特に言葉は頭に入りにくいものなのだが、とにかく赤ちゃんそして子供は言語の天才で、すぐに言葉を覚えてしまう。だか ら、彼らに英会話の学び方を教わるのが一番手っ取り早いのではないだろうか。それでは赤ちゃんはどうやって言葉を覚えるのだろう。 生ま れたての赤ちゃんはもちろんどの言葉も知らない。だから最初に話す言葉はバブ・バブやママ・パパで世界共通だ。しかし、この1歳未満の時に赤ちゃんの頭脳 では喋るための準備が目覚しく行なわれているそうだ。赤ちゃんは周囲の言語を聞いて、その言葉を発音するための能力を培い、不必要な能力を削いでいく。例 えば、RとLの発音を日本人は区別できないが、赤ちゃんはそれが出来るのだが、日本語にはその区別が無いので、この時点でRとLを区別する能力を削除して いるのだそうだ。もし、両親が国際結婚のため家庭内で複数の言語が飛び交っているとしたら、両方の言語をネイティブで話す基礎がその時出来るそうだ。だか ら、子供が混乱しないように家庭内では一つの言語に統一しようなどという両親の努力は、子供の能力を削ぐ結果になるだけだ。 そして、1 歳から徐々に単語を発し始め、2~3歳では爆発的に語彙数を増やし、いくつかの単語を連ねた言葉を話し始める。我々が外国で生活するのに必要な会話能力と しては充分なレベルだ。喋ることは食べたり動いたりする人間の基本能力の一つ、だから、脳や器官に異常が無い限り、誰でも能力に関係なく喋ることが出来る ようになる。昔中学や高校で英語が出来た・出来ないなんて関係のないことだ。そもそもアメリカに生まれた赤ちゃんは誰でも英語を話すのだ。 […]

英会話の賢い学び方 2010年11月24日


 いよいよ8ヶ月目に入ったキアンだが、フィリピーノ流の子育てがどうにも気に障って仕方がない。ヤヤ(子守)にかしずかれて、両親や兄姉の愛情を一身に受けているのは多いに結構なのだが、キアンにとっては多いに不満があるようだ。    赤ちゃんの成長は目を見張るようで、ちょっと前まではミルクを飲んで、寝ているだけだったのに、最近では、何にでも興味を示し、すぐにつかんで口に入れようとする。人が食べているのを見るとよだれを流して食べたがる。それを汚いからと身の回りから遠ざけ、人が食べているところを見せまいとする。   私は、そんな親馬鹿に多いに疑問を呈したい。子供がミルクを飲むことと寝ること以外に興味を持ち始めたということは、人間としての成長を開始した大事な証だ。だから色々なおもちゃを与え、多いに好奇心を満足させ、なめ回させることが大事なのだ。最初はつかんではなめて放り投げることしかしないが、赤ちゃんの脳はフル回転だ。ただベッドの上で静かにしているのではなくて、多いに這い回って、手当たり次第にアタックして、そんな遊びから子供は学び、成長する。机の前で座ってやるのが勉強ではなくて、遊びが子供を成長させる最高の勉強でありトレーニングなのだ。  下の写真はベッドの中で何も与えれずにまるで檻に入れられているKIAN。せめてヨーグルトの容器をなめて好奇心を満たしている。   私の小言により、おもちゃを与えれらたKIANは嬌声を上げて喜んでいた。遊びでも、勉強でも、スポーツでも何でも楽しんでやることが大事で、楽しんでいるうちに自然と能力がついてくる。この時期、何もさせないで、静かにさせておくと、何にも興味を示さず、自ら成長することをしない木偶の棒になってしまう。下の写真のうれしそうな顔が証拠で、この時、KIANは人間として生まれてきた喜びを満喫しているはずだ。  人間として目覚めた赤ちゃんは、この時、何にでもなれる万能細胞で、人間でも、サルでも狼でも、環境に適合して何にでもなれる。だからこの時期、将来、人から尊敬され、人間社会で望まれる人格と能力を兼ね備えた人間になっていくための成長の礎を築いているとも言える。人には生まれつき持っている性格、能力、資質があるというが、私は、どうもこの時期にそれらの資質が形成されるのではないかという気がする。   一方、6ヶ月も過ぎると赤ちゃんは離乳食が必要で、これがミルクだけの食生活から卒業し、必要な栄養を食物から取り、同時にまた胃や腸、体の仕組みを成長させていく原動力になる。だから、赤ちゃんが食べたがるのは本能であって、それに答えて離乳食を与えることが、体の成長に欠かせないのだ。しかし、フィリピンでは2~3歳までほとんどミルクだけで成長し、幼稚園に行っても哺乳瓶を咥えているという。「子供がミルクを欲しがるから与える」というが、これはあきらかに母親の怠慢で、この時期、赤ちゃんが欲するものを無視して、そんな悪しき習慣を子供に押し付けているのだ。キアンが我々の食べるスープを与えられて、いかにそれを喜んでいるか、そして、もっとくれと要求するまなざしを見ていると、「ミルクを欲しがるから与え続けている」という、母親の証言は、母親の都合の良い作り話でしかないと実感する。  

賢い赤ちゃんの育て方 2010年11月1日



今回、日本在住のご家族が12、10、2歳の3人のお子さんを、フィリピンで英語を自由に操る国際人として育てたい、という計画を持ち、そのための視察ということで案内をした。   新興都市として発展がめざましいボニファシオ・グローバル・シティの一角に外国人子弟が多く通うインターナショナル・スクール・マニラ(ISM)、ブリティッシュ・スクール・マニラ(BSM)、マニラ日本人学校(MJS)などがある。 新興ビル群の間を抜け、セント・ルークス病院、STIコンピュータースクールの前を通り、マーケット・マーケットの手前を左に折れたところがこれらの学校街だ。  まず、目に飛び込んでくるのが ISM。その規模と近代的な概観に圧倒される。1990年代にマカティのマカティ・アベニューから移設したものだが実際に見るのは初めてだった。校庭では 金髪の子供や色の黒い子供など世界各国の子供達が運動をしていた。ちなみに生徒数は2000人に達するが、授業料も年間150万円前後と超高級だ。学年は 小、中、高、4-4-4制で合計12年、日本と一緒。幼稚園もある。メトロマニラにはISMのほかにもBrent ISM(ラグナ)、Southville IS(パラニャケ) Britesparks IS(ケソンシティ)などいくつかのインターナショナルスクールがあるが、授業料はISMより安めのようだ。ISは教育環境といては理想的だが、高額の授 業料は個人として負担するには限られた人以外は難しいだろう。なお英語を覚えるまでの間はESLクラスという特別クラスで授業を受けることができる。 左に見えるのがBSM。規模は不明だが、授業料はISと同等だそうだ。その次がMJS。少々規模的には劣るが立派な外観だだ。 この日は飛び込みで担当者に面会した。午後しか受け付けないといわれたのだが、ご家族が門の前に来ているとなれば、会わないわけにも行かないだろう。ここ は主に駐在員の子弟が数年間学ぶところで、いずれは日本へ帰国して学校に戻れるようにすべてのシステムは日本式に運営されている。学費は月々1万ペソ程 […]

メトロマニラの学校事情 2010年10月14日


 フィリピンで留学型の英会話学校がブームになって久しい。フィリピン全土に約700校、生徒数500~700人規模の学校もあるというが、これらは 100%が韓国資本だそうだ。これらの英会話学校は宿舎を併設し、韓国、台湾、日本などからの10代~60代の生徒に、1週間~1年程度、英語尽くめの生活を提供する。料金は3食、宿舎、マンツーマンの英会話授業付で1ヶ月10万~20万円程度。アメリカなどへ留学する5分の1~10分の1だという。英会話が出来なければ就職もおぼつかないという韓国からは年間5~10万人の留学生がフィリピンに押し寄せているという。  今回訪問した EIEN英会話学校はマカティから北にちょっと離れたオルティガスのビル街にあるが、オルティガスだけで40の英会話学校があるという。これは1990年代のビル建設ラッシュの時に大量の高層ビルが建設された結果、借り手市場になり、安い物件が大量に出たためと推測される。   EIENは韓国資本ではあるものの、本社を日本に置き、日本のマーケットを中心に生徒を募集している。したがって、生徒比率は日本、韓国、台湾がそれぞれ 30%、その他が10%だ。生徒数は現在、60名程度だが、昨年までは200名程度在籍した。来年になれば、韓国経済が復興し、再び大幅に生徒数が増えるものと見込んでいる。  社長の李さんは東大の大学院を終了した後、東大で社会学の講師をする傍ら、2006年にEIENを立ち上げたエリートだ。英会話の次はフィリピンで日本の介護老人を対象とした介護ビジネスを立ち上げようと計画している。EIENのURLは http://www.eienjapan.com/   学校の入り口はいかにも韓国式で派手派手だ。内部の設備も決して美しいとは言いがたいが、充分清潔で機能的だ。マンツーマンの教室も1.2m角程度で極端に小さい。日本人が経営したらこのような感覚は生まれてこないと思う。李さんによると、日本人経営では決してこの価格は実現できない、だから、フィリピンの英会話学校は100%韓国人経営なのだという。現在、63の教室があり、したがって63人の先生が働いている。もちろん先生は全員フィリピン人だ。毎日6時間、マンツーマンの英会話の授業を受けるそうだが、いやがうえでも英語が上達するだろう。そして外へ出れば、英語尽くしの世界が広がり、実戦の場にも事欠かない。  14階と15階が事務所、教室、自習室および食堂となっている。7階、16階、17階は居室で、一人、2人、3人部屋などがある。元々コンドミニアムであるものを改装して学校にしたものだ。   韓国人のフィリピンに対するイメージについて李さんに質問してみた。フィリピンで英会話を勉強しようと日本人に声をかけたとしても、10人中9人は、「あんな危険なところで?」と拒否反応を起こすだろうが、韓国も同じだったと、李さんは言う。しかし、1990年代、フィリピンで英語を勉強した人が見違えるように英会話がうまくなって帰ってきて、安い、近いということで、われもわれも押し寄せるようになったのだそうだ。フィリピンが危険などというのは単なるイメージであって、実際に行ってみればすぐにそんなイメージは払拭される。だから韓国からは、年間70万人の観光客が訪れ、日本をはるかに凌駕するようになっている。日本でも何かのきっかけで、そんなブームが来ないものかと期待しているのだが。

英会話学校、EIEN訪問 2009年7月6日