提言・提案


企業から派遣されて駐在している日本人は、たとえ、それが中近東やアフリカにでも命令されれば、躊躇せず赴く企業戦士だ。それがたまたまフィリピンだっただけだ。セキュリティの万全な高級ビレッジあるいは高級コンドミニアムをあてがわれ、ドライバーつきの車で、ドアーツードアー、決して危なげなところには近づかない。会社にかしずく駐在員は決してスキャンダルを起こしてはならないのだ。 企業からの駐在員は在比日本人をあまり相手にしない。相手にしても何の得にもならないばかりか、何や怪しげな人種とでも思っている節がある。そのため、マニラ日本人会は駐在員のもので、その他の在比組日本人は別途に会を作るなど一線が画されているようだ。 彼らのフィリピンはゴルフとカラオケ、それにできの悪いフィリピン人社員でしかない。所詮、数年したら任務を果たして帰国する身だから、フィリピンのことは何も知らなくてもいいのかもしれない。 しかし、中にはフィリピンを好きになり、定年後舞い戻ってくる人が少なからずいるようだ。そうなると、退職ビザなどの永住ビザをを取って、フィリピンに自分の意志で住んでいる在比組みの仲間になる。土着という言葉が適切かどうかわからないが、フィリピンに土着してみると駐在員時代では見えなかったフィリピンが見えてくる。そして新たなる驚きと感動そして戸惑いを味わうことになるのだ。

雑記帳 駐在日本人は異国の人


日本にはフィリピンがまるで地獄のように報道されていると思う。ストリート・チルドレンが道にあふれ、トンドや鉄道線路沿いのスクオーター・エリア(不法占拠地帯)は、まさに現在の地獄だ。人々はその日の糧を得るのに必死で、明日を生きる見通しもない。しかしながら案外彼らは幸せで、家族の絆を噛みしめている。これはキリスト教の教えのせいだろうか。しかし、我々があの生活をしなければならないとしたら、それはまさに地獄だ。 一方、マカティの高級コンドミニアムやビレッジに住んで、メイドやドライバーにかしずかれた生活は、まさに天国にいるここちだ。賃金の安いこの国だから、日本並みの給与をもらっていると悠々こんな生活ができるのだ。駐在員の奥様はこんな優雅な生活を経験したために、日本に帰ってからカルチャーショックに陥るといわれる。 天国の生活を支えてくれるメイドやドライバーはスクオーターエリアかそれに毛の生えた程度の家に帰っていく。同じ家に住んでいてもそこには天国と地獄が同居しているのだ。メイドを使う立場に生まれてよかった、使われる立場だったら死んだほうがましだと思ったものだ。 地獄に住む人々が天国に住む人々を支える、地獄あっての天国で、それがフィリピンなのだ。それでいて案外バランスがとれていて、双方が幸せなのだ。しかし心の幸せは案外地獄側にあるかもしれない。

雑記帳 フィリピンは天国、地獄?



日本人の大多数がフィリピンは貧しい、貧乏人の国と思っていると思う。しかし、私は、その意見に異を唱えたい。日本に報道されるニュースは悪いニュースばかり、かつてのスモーキーマウンテンや東洋一のスラムと言われるトンドそしてジャパ行きさんはこぞって取材の対象となった。私の知っている限り、フィリピンの姿を比較的正しく描いたのは、“課長島耕作、フィリピン編”くらいだろうか。 確かにフィリピンにはその日の糧にも困る貧乏人がひしめいている。国民の60%は困窮状態にあるともいわれる。しかし、フィリピンの国民の10%を占める上流階級は、フィリピンの富の90%を保有するといわれ、彼らの住む、高級ビレッジはその規模と豪華さで圧倒される。マカティのフォルベスパーク、ダスマリニャス、ウルダネッタ、アラバンのアヤラアラバン、ケソンのニューマニラ、等々の高級ビレッジを覗いてみると、これだけの数の豪邸をいったい誰が保有しているのか、いったいどんな人が住んでいるのか、と首を傾げたくなる。 これらのビレッジは一般の人の入門を禁止しているから、こんな世界があるなんてフィリピン人でさえも知らない人が多い。ビレッジの内部が外に報道されることもない。ビレッジの管理者が報道規制をしているのだろうか、もちろん海外のメディアで報道されたという話は聴いたことがない。 企業の駐在員ということで、このようなビレッジに暮らす機会があったのだが、そこは、まさに外部のフィリピン人社会とは別世界だ。ビレッジといっても、その大きさはゴルフ場がその一部となっているくらいの規模なのだ。高校や大学もビレッジの中にあり、住宅の値段もここの人にとっては天文学的数字だ(1億円~2億円)。 私は、ひょっとするとここに住んでいるような人達が本当のフィリピン人なのではないかと思うことがある。政治、経済、社会すべてをこの人たちが動かしているのだから。ではどういう人たちなのだろうか。頭がよくて品性と人格があり、そして当然金がある。さらにどういうわけか美男美女でもある。彼らは国の状態を憂えるのだが、自分の財産をなげうってまで国を救おうとはしない。なぜなら、このような低賃金で働く多くのフィリピン人があってこそ、彼らの富が維持されるのだから。

雑記帳 フィリピンは、本当に貧乏?


“ジャパ行きさん”効果というか、今、たくさんの日本人がフィリピーナと手を取り合って、フィリピンを訪れている。うら若いフィリピーナを伴って退職者ビザを申請にこられる日本人もいる。そして、当然の結果として、フィリピーナとの結婚という問題がおきてくる。すでに10万カップルが誕生しているそうだが、その一方で、9割が離婚するとも言われている。 “そもそも、フィリピーナとの結婚なんて止めたほうがいい。彼らは金だけが目当てで、家を建てたり、目的を達したらさっさと離婚して根こそぎ財産をもっていかれてしまう。”とアドバイスする人も多くいる。確かにフィリピンの法律では、結婚後に入手した財産は誰が金を出そうが夫婦共有で、離婚となれば折半になる。これが結婚前に手に入れたものにまで及ぶこともあるそうで、やらずぶったくり、合法的泥棒だ。 しかし、男女の仲は計算づくで計れるものではない。特に、フィリピーナは年の差なんて気にしない。10代の女性が60台の男性を本気で愛してしまうのだ。そこに打算がないわけではないだろうが、本当に本気なのだ。となれば、孤独だった日本人男性にとっての女神だ。だから彼女たちの結婚願望を満足させてやらないわけにはいかない。したがって私は結婚賛成派。どうぞ幸せになってくださいと手を合わせる。 しかしながら、フィリピンと日本の文化、慣習の隔たりは大きく、いたるところで摩擦を呼ぶであろうことは容易に想像できる。まがりなりにも国際結婚だ。幾多の難関を乗り越えてぜひその結婚を成就してほしいと思う。特にうまく彼女の家族とも良い人間関係を作り上げて老後を迎えたとき、きっと幸せな生涯を送ることができることと思う。それには、郷にいっては郷に従えという教訓を忘れないで、まず、フィリピン流に物事が考えられるように、自己改革が必要だ。

雑記帳 フィリピーナとの結婚は是か非か?



フィリピン人はバカだという人がたくさんいる。確かにやる事なす事その場限りで、先のことも考えず、計画性も何もないようだ。デパートの売り子も何の商品知識もないし、レジも長い行列ができていても平気、コンビにでも10人も店員がいるのにレジには長い列。しかも平気で口笛など吹いている。仕事もやらせても決して100%はやらず、何かやり残す。家に仕事に来ても、道具か材料を忘れて、やり直し。一日で終わるはずが3日かかる。思わず口の中で“バカ”と叫んでしまう。 しかしながら、それなりの会社でそれなりの地位にいる人は、なんとも頭が良くて知識も豊富。さらにハートもあって人格も高潔、おまけにお金持ち。日本では、見た事もないような人物がたくさんいる。有名大学出身のエリート学生を雇ってみると、その能力に舌を巻く。どうも2種類のフィリピン人がいるようだ。頭が悪くて金もない、一方は頭が良くてお金もある、おまけに顔も格好も良い人達。 日本では、どんな職業についていてもそれなりのプロであり、その対応はプロのそれを感じる。素人には真似のできない技をもっている。本人も自分の仕事には誇りを持っている。しかしながら、フィリピン人の巷で出会う人達、あるいは身近なメイドやドライバーなどには、その技を感じることができない。したがって“バカ“となるわけだ。 フィリピンで比較的下位の層を形成する人達は、常にジョブ(仕事)を得る事に汲々としている。私の夫はジョブレス(失業中)という話しをしょっちゅう耳にする。彼らは、例えジョブを手にしても常に失業の脅威にさらされている。フィリピンの雇用主は被雇用者を訓練し育てる事に熱心ではない。ビジネスが不調になるとすぐに首にして雇用調整をする。雇おうとすればいくらでも雇えるからだ。したがって、プロが育たない。転々と職を変える、あるいは変えざるを得ない彼らは、技術を磨く事ができないのでだ。特に某デパートの売り子は正社員はおらず、6ヶ月ごとに全員解雇してしまうそうだ(フィリピンでは6ヶ月以上雇うと正社員にしなければならないという法律がある)。 フィリピン人と個人的に付き合ってみると、頭の良い人も悪い人も色々だ。ただ、考え方や、習慣の相違から、彼らの行為を、つい頭が悪いためと考えがちだ。良く聞いてみると、向こうもこちらのやる事を頭が悪いためと思っているようだ。バカと相手を思うのは五分五分のようだが、お互い相手の習慣を良く理解して、バカバカと罵り合わないようにしたいものだ。

雑記帳 フィリピン人は、本当にバカ?


フィリピンで日本人が遭遇するトラブルや役人が賄賂を請求する姿を見ていると、フィリピーノは悪人だらけと言う気がしてくる。あんなに仲の良かった相手が手のひらを返したように情け容赦のない敵になったり、フィリピン人は、もう決して信用すまいと決意してしまったりする。しかし、本当に悪い人ばっかりなのだろうか。 フィリピン人が悪いというとき、必ずお金が絡んでいる。彼らが見た事もないようなお金をちらつかせる日本人に対して、どうしてもそのお金を当てにしてしまうのだ。それがあれば、家族が幸せになれる、弟も学校にいれてやれる、などと夢を見てしまう。しかし、そんな関係は長続きしない。いつか、お金が元で人間関係が壊れてしまう。そうなると、金を返せといっても返せるはずもないから、相手は開き直ってしまう。周りの人も、金のことしか考えないあんな冷たい日本人は、とれるだけとってほっぽり出せばいいと、余計なアドバイスをする。向こうの理屈で言えば、悪いのは金に汚い日本人という事になる。 金で人間関係は築く事はできない。日本人は金さえあればなんとでもなると考えがちだ。特に金に引かれて多くのフィリピン人が近づいてくる。そこでうまく人間関係を築く事ができないと、惨めな結末になるのだ。フィリピーノとうまく人間関係を築く事ができると、こんなにやさしくて、頼りになる人達は、日本ではなかなかお目にかかれないとさえ思ってしまう。フィリピン人のやさしさに心が癒される思いがする。 それは、彼らがいかに家族を大事にするか、友達を大事にするかということを見れば、あきらかだ。家族から頼まれるといやとは言えない彼らなのだ。だから、家族をサポートする事が結婚の条件になったりする。でも、いったん面倒をみると、面倒見るのが当然の義務のようにとことん甘えてくるのが、理解に苦しむところだ。 例えば、誰かが打合せに遅れて来ると、我々はイライラして、それが日本人であれば“あいつもフィリピーノタイムに染まったか”などとバカにしたり、場合によっては、怒鳴りつけてやろうか、などと思ってしまう。そしてやっとこさ到着すると、待たされていたフィリピーノは何事もなかったようににこにこして、ありきたりのいい訳に理解を示している。その時、彼らはなんとやさしいんだろうと感心するのだ。 年をとってくると、ど忘れしたり、ミスやそそうが目立ってくる。その時、家族や他人にいちいち文句を言われたのではたまらない。しかし、フィリピーノはニコニコと理解を示して、決して責めたりしない。だから、老人にとってはとても居心地がいいのだ。ただし、この理解を子供達にも示すのは、しつけという点でどうかなと思いもする。結論として、フィリピン人は人がよすぎる、とさえ私は感じてしまうこともある。

雑記帳 フィリピン人は、本当に悪い人?



フィリピン人にだまされて家をとられた、あるいはフィリピン在住の日本人にだまされて店をとられた、とかいう話しを良く耳にする。なぜ日本人は簡単にだまされるのだろうか。それは、フィリピンでは外国人は土地を買えない、小売や飲食店等の諸々のビジネスがフィリピン人に限定されている、というフィリピン人を保護する法律があり、そこで、簡単に他人名義で土地を買ったり、ビジネスをする、といった安易な方向に動いてしまうからなのだ。 また、フィリピン人と親しくなると、あれが儲かる、これが儲かると盛んにビジネスを勧める。日本人は何しろ金を持っているから、それを当てにして一山当てようと一所懸命勧める。もちろん、その時点ではだまそうなどとは思っていないから、なかなか説得力がある。確かに儲かりそうで、相手もとても信用できそうだ、そこで、だめもと、賭けと思って金を出す事になる。この位なら、例えなくなっても首を吊ることもなさそうだと。 実を言うと、そのフィリピーノもほとんどがビジネスをするのは初めてで、はじめてみると思いもよらぬ費用がかかる。そのため、さらに追加の費用がかかることになる。それがないとビジネスが前に進まないので、投資額が嵩んでいく。初めの予定の2倍にも3倍にもなっていく。 そこで、ビジネスが頓挫してしまう事が多いのだが、それでも何とかうまく行ったとする。そこでフィリピーノは一生懸命やって儲かったのだから、当然、自分もその利益を受け取る権利があると考え、バンバン金を使い始めるので、投資したあなたにはいつまでも儲けが回ってこない。回ってきたとしてもまったく投資金額に見合うものではないだろう。結局やめたという事になって、だまされたとなるのだ。その時はもうフィリピーノとの仲は冷え切っているので、事業を解散して投資金を回収することなどできるはずもない。法的には、発足と同時にすべてが名義を貸したフィリピーノのものとなっているのだ。 さて、土地と家だが、やはり、フィリピーノの友達や彼女は、いとも簡単に名義を貸すという。色々な約束や契約もしてくれる。最初は慎重だったのだが、相手が熱心に進めるので、つい踏み切ってしまうことになる。相手のねらいは多分コミッションだろう、特に彼女のおじさんや友人に頼んで家を建てたりすると、建築費の半分は軽く抜かれてしまう。それがフィリピーナの奥さんであるとすると、きっと別れたときの慰謝料の確保ということだろう。 しかし、時がたって、あなたとの関係が冷たくなってくると、簡単に言葉を異にする。特に相手が死んでしまったりすると、相続人が出てきて、家から出て行けとか言いはじめる。いくら頭にきても、法律上完璧に相手のものだから、手の打ちようがない。約束や契約を盾にしても、その契約そのものが法律違反だから何の役にもたたない。結局、騙されて家を取られたということになる。 ある退職者の一件で、当地の裁判官に相談をしたことがある。回答は“There is no medicine for stupidness.(バカにつける薬はない)”の一言だった。フィリピン人にとって、何でこんな状況で金を出すのか、とても信じられないことを日本人はいとも簡単にやってのけるのだ。すべてが終わった後では、裁判官といえども手の施しようがないのだ。 このように他人名義の家やビジネスはご法度だ。コンドミニアムの購入やリースで済ますべきなのだ。ビジネスをやるなら、面倒くさくても会社を設立して権利を守るべきだ。しかし、そんな手続きをすることなど、英語も苦手な日本人には至難の技だ。適切なアドバイスをしてくれる人もなかなか見当たらない。アドバイスすべき人が騙す側に回ってしまう事が日常茶飯事で、弁護士さえももっとも信用できない人種の一つであるという世の中なのだから。 決して周囲の甘い言葉に迷わされる事なく、これといった確信ができるまで、あるいは絶対に信用のおけるアドバイザーやパートナーが現れるまで、是非大事なお金は銀行にしまっておいてほしい。 日本人が日本人を騙すという事が、とり沙汰されているが、これはフィリピンやフィリピン人の特殊性あるいは日本との法制度の相違を巧みに利用したとんでもない行為と憤りを感じる。フィリピン通の日本人に対してはさらに兜の緒を締めて気をつけることだ。

雑記帳 日本人は、なぜだまされる?