提言・提案


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バイアグラ(成分名:シルデナフィル)のジェネリックが発売され、世の熟年男性に福音となったことは、以前、報告した。バイアグラと同様の薬効を持っているシアリスに関して貴重な情報を得た。それは、シアリスの主成分は、タダラフィルであり、これは、血管壁の弾力性を回復し血管を若返らせるアンチエイジングの特効薬/秘薬であるというのだ。 糖尿病による主要な問題は血流の障害で、糖を過剰に含んだ血液が血管を傷つけ、さらに血液がよどんでいるために体中に血液を循環させることができず、脳溢血、心筋梗塞、壊疽、視覚障害、認知症、前立腺肥大症、などなど、感染によらない疾患、すなわち成人病(生活習慣病)を呼び起こすというものだ。もちろん、食生活の注意は必須であろうが、シアリスを若干(5mgを一錠)、毎日服用することにより、全身の血管がよみがえるという。このことは、全身に十分な栄養、酸素、そして免疫細胞などを送り込むことができて、肉体を正常に機能させることができるということだ。 まさに血の巡りがよくなるということで、不治の病の糖尿病ばかりか、サイレントキラーといわれる高血圧、そしてほとんどすべての成人病(生活習慣病)を克服できるというすぐれものだ。その副作用が、男性であれば、ちょっとした刺激で容易に勃起してしまうという、まさに青春がよみがえるというものだ。こんな副作用は大歓迎だが、一説によると、セックスを頻繁に行う熟年夫婦は、若々しくて肌の色艶もよく、健康長寿を楽しんでいるという。前立腺肥大、癌に罹病する確率もセックスを頻繁に行う熟年男性はそうでない男性に比べて低いという。まさにセックスはアンチエイジングの秘訣だそうだ。秘薬で秘訣、なんとも頼もしい限りだ。 問題は、コストだ。従来のように一錠、1400円もするのでは、とても毎日、服用するのも難しい。しかし、フィリピンではシアリスのジェネリックが販売されているそうなのだ。20mg一錠入が、約800ペソ、5mgなら、約220ペソで済む。これなら十分まかなえる。そこで、ジェネリックの薬屋を数件回ったが、どこも品切れで手に入れることができない。さらにマーキュリードラッグストアに行ったら、同じ値段で、シアリスを売っていた。しかし、こちらは、処方箋がないと売れないと硬いことを言っている。 まさに健康に対する投資だが、近い将来、ややこしい病気にかかって薬漬けの生活が待っていることを考えると、大いなる投資効果が見込めるといえる。ただし、シアリスを飲んだからといって、暴飲暴食に明け暮れたので元も子もない。糖尿病の経験で培った食生活の知恵を今後も生かし続けることは言うまでもない。 人生、死ぬまで健康でいたいというのは誰しもの願いだ。感染症はいろいろな薬が開発されて治る時代になったが、薬ではどうしようもない成人病(生活習慣病)が血のめぐりを良くするシアリスで克服できるというのは、福音以外の何ものでもない。 下の写真はバイアグラ(成分名:シルデナフィル)のジェネリック、これはいくらでも手に入る

シアリスはアンチ・エイジングの特効薬2015年5月26日


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生理学の教授から送られてくるメールマガジンのせいか、最近、とみに健康と食べ物に関心がある。教授によると、世の先生方は、何の根拠もないのに食べ物のことを、とやかく指導する。しかし、10年~20年も経つと、全く正反対のことを声高に主張して、人心を迷わす。 水の嘘 私が、子育て真っ盛りのころ、子供たちが食事中に水を飲むと妻がそれをたしなめた。水を飲むと胃液が薄まって消化によくないというのだ。さらに、子供のころ、走った後には、どんなにのどが渇いても水は飲んではいけないと先生に指導された。たぶん、その筋の専門家のアドバイスだったのだろうが、今は、マラソン選手は競技中に盛んに給水するし、少なくとも一日、2リットルの水を飲んでおしっこをたくさんしろと、医者は繰り返す。一昔前の「水を飲んではいけない」という指導はなんだったんだろう。 私が、クエートに駐在していた時、数年するうちに歯の根元がえぐれてしまった。物知りの友人に話したら、それは、クエートでは水道水は蒸留水でミネラルが含まれず、歯そして骨のカルシウムが不足してやせ細ってしまうのだと教えてくれた。だから、飲み水や料理の水は、すべてミネラルウオーターを使っているという。日本に帰ってから、えぐれたを歯に詰め物をしたが、歯医者にその話をしても、歯の磨き方が悪いのだととりあってくれない。しかし、日本に帰ったら、ぴたりと止まったので、歯医者でさえも知らぬことがあるのだろう。 フィリピンでは、ミネラルウオーターのコーナーにAbsoluteとかWilkinsonの銘柄の蒸留水が売っている。純粋だからいいのだと主張しているが、なぜ、売っている水がミネラルウオーターと称されているのか理解していないようだ。人が作り上げた純粋な水など百害あって一利無しなのにだ。 食事は人類にとって至福の時だ 塩の嘘 一昔前、天然塩がスーパーから姿を消し、専売公社はイオン製法の塩のみを市場に供給した。これは純粋な塩というか、NaCl(塩化ナトリウム)という科学物質でもはや食物ではない。イオン製法によって生産された塩、NaClの98%は工業原料として使用されているという。一方、海水から生産された天然塩は10倍近い価格で売られているが、これらは、その10%程度がマグネシウムなどのミネラルを含み、体にとって必須なものだ。 塩の取りすぎは、高血圧など諸悪の根源とされ、事細かに塩の摂取の制限が唱えられている。しかし、これらの説は全く科学的根拠はなく、塩、あるいはこれらのミネラルの不足の方が健康への悪影響は大きく、天然塩は積極的に摂取すべきなのだという。昔、上杉謙信が武田信玄に「敵に塩を送る」という言葉が残っている位、塩は人体にとって必須なもののはずなのだ。 こんな話を聞いて、フィリピンのマーケットを探したところ、スーパーにはイオン製法の塩しか置いていなかった。フィリピンではイオン製法の塩の方が健康に良いと言う嘘がまかり通っているようだ。先日、キアポに行ってみたら、あきらかに天然塩と思われる塩がイオン製法の塩と同じ値段で売られていた。ここぞとばかり5袋ほど買って、我が家では天然の塩を使うように言いつけた。 キアポで売っていた天然の塩と銘菓「柿の種」を食するKIAN 穀物の嘘 戦後、アメリカの支配を受けて、国民の健康を増進するためとパン食と肉食が盛んに奨励された。これは、アメリカ産の小麦や飼料を輸出するための国策だったということは歴史上の事実だ。一方、穀物や麺類をたくさん食べることがもてはやされ、ラーメンライスなどのメニューがあったくらいだ。これも、国策だったそうで、そうすることによって成人病が爆発的に増加し、医薬品業界と医療業界は大いに潤っているそうだ。 フィリピンでもその傾向は、いまだ強く、チキンのから揚げにライスというのがファーストフード界の雄、ジョルビーの定番メニュー、そしてパンシット広東(焼きそば)にライスなどが、国民的食事の典型だ。また、新興著しいファーストフードのINASALは、ご飯お代わり無料という仕組みで、脚光を浴びた。 しかし、長年の穀類/糖質(特に砂糖)の大量摂取が、すべての成人病(生活習慣病)の元凶であり、肥満の原因であるということは、すでに定説だ。糖質の摂取を制限して、肉、魚、野菜、果物、木の実など元来、人間が誕生以来数百万年の間、食べてきたものに回帰することが心臓病、脳溢血、糖尿病、認知症、癌など、現在、死因の上位を占める病気、成人病(生活習慣病)を回避する唯一の特効薬なのだ。ちなみに、穀物の摂取は農耕時代、せいぜい1万年の歴史で、人の体は、まだそれに順応していないのだそうだ。また、野生の動物は、決して生活習慣病にはかからないが、人間と同じ食生活をするペットは人間と同じ生活習慣病にかかり、アニマル・クリニックはメタボ犬やメタボ猫で一杯で、おおいに繁盛しているようだ。 […]

食品の嘘と本当 2015年4月12日



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ここ数ヶ月、我が家の食卓を飾ったいたのがダランダンの生ジュースだ(旬は3月までだそうだ)。ダランダンとは柑橘系でカラマンシーを大きくしたようなみかんの原種といえるような果物で、フィリピンで採れる。房の皮が厚くてみかんと思って食べると、すっぱみが強くて、とても口にする気になれない。しかし、ジュースにして飲んでみたら、ほどよいすっぱみでとてもおいしい。ビタミンCが豊富な感じで、糖尿病や認知症にも効果がありそうだ。 しかし、実が小さいのでコップ一杯のジュースを作るのに、10個くらい絞らなければならず、手間がかかる。したがって、我が家の女の子たちが、毎日、ダランダンのジュース作りに励むことになった。       ダランダンはもっぱら近くの屋台で買うのだが、いっぺんに5kgくらい買うが、1kg、たったの30ペソと格安だ。一般の輸入オレンジやみかんは1kg 200ペソ位するので、はるかに安い。だから、私は、農薬で汚染された輸入果物(りんご、オレンジなどほとんど中国産)を買わないで、マンゴ、バナナ、パイナップル、パパイヤなどのフィリピン特産の果物を買えと主張する。 一方、ママ・ジェーンはスーパーで売っているバナナやパイナップルはミンダナオのDoleなどの銘柄物なので、何が含まれているかわからないから決して買わないと言う。ウエットマーケットや屋台で買うのが、見てくれは悪いが安くて安全で間違いない。バナナやパパイヤは、常に我が家においてあるが、野菜嫌いのフィリピン人にはこれらの果物が必須なのだ。 我が農場にはバナナやパパイヤはあるものの、パイナップルは気候のせいかなかなか成功しない。しかし、ダランダンなら行けそうと、大量の種を農場に送りつけた。今回、ホリーウイークの休暇で来てみたら、以前から葉っぱだけで実をつけていない役立たずの柑橘系の木がダランダンで、いくつか実をつけていた。まさに、農場で見放されていた木が、注目を浴び始めたのだ。

ダランダンの生ジュースは健康の元 2015年4月12日


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先ごろ、シンガポールの建国の父といわれるリー・クァンユー元首相が死去した。享年91歳だった。私が、就職した年、初めての海外赴任がシンガポールだったので、懐かしい思いがした。新入社員にとってはじめての海外赴任、そしてさらに初めての海外渡航は胸躍るものがあった。その時、問題だったのが、英会話だ。高校時代は英語を点数稼ぎにするくらい得意だったのだが、いざとなると全く英語をしゃべることはできなかった。早速、英会話帳のようなものを手に入れて赴任前、毎日、首っ引きで眺めたが、何の効果もなかった。そして、いよいよ、某年、1月1日、先輩とシンガポール行きの飛行機に乗ったが、飛行機の中で、となりに座ったカンボジア人が英語でしつこく話しかけてくる。ろくすっぽ会話などできないので、うっとうしくて、「私は英語を話せません」と英語で辛うじて言ったら、「これからシンガポールに行くのに英語をしゃべれないでどうするのか」と、叱られてしまった。 シンガポールに到着してまもなく、 ホテルで電話を使いたくて、先輩に「電話を使いたい」をどのように言ったらいいかと聞いたら。「Can I use telephone」だと、教えてくれた。なんだ、こんなことかと思って使ってみたら、確かに通じた。読み書きにはある程度自信があったのだが、思ったことを即座に英語にすることができない。そこで、思いついたのが、毎晩のキャバレー通いだ。仕事が終わったら、夕食後、毎晩、夜が更けるまで、キャバレーで時間を過ごした。たしか、1時間、15シンガポールドルで、気に入った英語のうまい女の子を指名するのだが、1000円/時間足らずの出費で、英会話教師を雇うより安かったと記憶している。気楽な時間に気楽な場所で、ただ、ひたすら馬鹿話をするだけだが、相手もそれでお金がもらえるのだから、快く付き合ってくれた。まさに一石二鳥だ。そして、半年、なんとか思うことを英語で表現できるようになった。それ以来、私は、英会話は学ぶのではなく、慣れるもの、実践あるのみ、と説いている。        部屋においたゴミ箱にトウモロコシとバナナの食べかすを捨てたら、ほどなく小さなアリが列を成していた。彼らの情報伝達能力には驚くべきものがある そのころは、まさにシンガポールの勃興期で、私は、シンガポールに石油精製プラントを建設する一役を担っていたのだが、50歳過ぎのリークァンンユー首相が活躍しており、私にとっても会社人生の出発点でもあった。シンガポールは、多民族国家で、共通語は英語、そしてもともとの地元の言葉がマレー語、それから国民の大多数を占める中国語だ。しかし、この中国語が、出身地域により北京語、広東語、福建語、海南語などと多数の言語が使われる。さらにポルトガル語を話す人も若干いた。だから、シンガポールでは少なくとも、五ヶ国語を話さないとスムーズな会話ができないといわれていた。人が顔を合わすと、お互いの共通語を探し出し、もっとも話がしやすい言葉で会話をはじめる。3人寄れば3つの言葉が飛び交うと言われ、場合によっては、中国人同士がマレー語で会話することもしばしば起こる。 その時、あるシンガポール人に「ものを考えるときはどの言葉で考えるのか」と質問をした。そうしたら、しばらく考えて、「英語で話をしているときは英語、中国語で話をしているときは、中国語だ」と答えた。今になって考えてみると、それは間違いだと思う。人がものを考え、思い、あるいは感じるときは、言葉ではなくて、五感および感情などで構成される思考回路というものが別にあるのだと思う。その証拠に夢に出てくるのは映像や感情が主体で、言葉は出てくることは少ない。自分自身、英語で話しているときは、頭の中は英語で充満されている。しかし、思考そのものは、使用している言語に関係ない世界(脳)で行われ、単に、その思考を英語で表現するか、あるいは日本語で表現するかの違いだけなのだと思う。 黒豚の家族たちの行動もなかなか統率が取れており、そこにはお互いのコミュニケーションがあるように思える この五感などで構成された思考を言葉に表現して声に出すことが会話であり、さらに文字で書き表すことが文章だ。人間がいつから話をするようになったかは、わからないが、数百万年の歴史があるのだろう。一方、文字の文化は数千年に過ぎない。人類には数千の言語があるが、それらはすべて後天的なもので、生まれてから数年のうちに身につけ、種族を区別する根源となる。一方、文字は、主だったもでは、ローマ字、漢字、アラビックなど数えるほどしかないが、その習得には、十数年の歳月を要する。 五感においては、動物も人間も共通で、場合によっては動物のほうが優れている。しかし、言語を獲得した人類は思考を言葉により表現できるようになった。そして、さらに文字を使い文章にして情報交換するようになり、動物とは徹底的な差別化を行い地球を制覇した。一方、思考をつかさどる五感というものは、すべて動物が持っているものだから、数億年の歴史があるといえるだろう。 すでに高度な英会話能力を獲得しているKIANだが、文字を読んだり、書いたりすることは、まさにビギナーで、その差は驚くべきものがある。最近では、本人が、タガログ語もビコラノ語もわかると豪語しているが、文章に関しては、あきれるくらいにレベルが低い。このことが、まさに数百万年の言語の歴史と、数千年の文字の歴史の差だと思う。しかし、数億年の歴史を持っている五感は、赤ちゃんが生まれたときから高度に備わっているもので、場合によっては大人よりも優れていることが知られている。動物もしかりで、五感の能力は人をしのぐものがあり、赤ちゃんや動物の能力を馬鹿にしてはいけない。 鳥は、かなり勝手な行動をとって、さほどのコミュニケーションがあるようには思えない […]

動物は会話をするのか(思考、言葉、そして文字)2015年4月7日



「2014年12月13日追記」 このブログを書いて数日後アティ・キムが一通の書類を見せてくれた。幼稚園で書いたサンタ宛のKIANの手紙だ。なかなか読めなかったが、そこには「僕はとてもいい子にしていたから、プレゼントにロボットをください」と幼稚な文字で書かれていた。KIANはすでに文章を書くことができるとアティ・キムは、話していた。KIANがABCが苦手だと思っていたが、どうもそれは杞憂のようだ。  翌日には、そのプレゼントを幼稚園に届けて、15日(月)のクリスマス会に間にあわさなければならないというので、その日、早速、新装成ったグロリエッタのトイザラスを目指した。このToysRusが皆、読めなくて、Toy for Usとか、わけのわからない読み方をしていたが、当方は、誇らしげにトイザラスと読むのだと教えた。 KIANの手紙はほとんど判読不能だが、彼が文章を書けるとは思いもよらなかった。多分、見本を書き写したものだろうが、言葉を文字で書くという概念が大事だ(左)。トイザラスの店員は一つ物を売るのに10分くらいかかって、全くの新米で往生した。また、この店はいつごろ開店したのかという問いに、店の開店時間である11amと答えるばかりだった。ちなみにトイザラスはSMのすぐ近く、2階にある。 しかし、すでに夕方の5時半、ラッシュアワーだ。家から歩いて10分ぐらいのところで、車は全く動かなくなり、あきらめて、歩いて家に帰った。運転手のボボイが戻ってきたのは、なんと7時を回っていた。 翌朝、といっても10時過ぎに再びグロリエッタに向かった。しかし、トイザラスの場所を聞いても、ほとんど誰も知らない。それは、この3年間、改修工事を行っていたグロリエッタ(1)が新装オープンにしたばかりだったのだ。外側にはHoliday Innやワタミなど新しいホテルやレストランが開店し、その対面には高層のコンドミニアムが完成間近だ。ガス爆発事件以来、再開発が続いていたものだが、マカティ・コマーシャル・センター/アヤラセンターの顔として生まれ変わったのだ。      グロリエッタの中央には吹き抜けの大きな広場があるが、改装された部分は、大きなイベントホールとなっていた。グロリエッタの外、パサイロードとの間には、高層コンドミニアムが完成間近だ。 KIANがこのままでは留年させざるをえないと、幼稚園に脅かされて、ママ・ジェーンはKIANに家庭教師をつけた。週、3回 一回、一時間、時間400ペソで、月々5000ペソ程度、少々負担になるが、しばらくの間ということで決心した。そして、約2ヶ月が経過した。とてもやさしそうな、いかにも子供に教えることをプロとしているといった感じの先生でKIANも大好きだ。 教えることは、もっぱらABC、abc、で、その文字の発音と呼び方だ。26文字x2の52文字を毎回、繰り返すだけだ。しかし、それでは、飽きてしまうので、歌のように唱えたり、正解すると床のマス目を一歩進めるとか、先生は、色々と飽きさせない工夫をしている。KIANにとってはそれが楽しいようだ。 事務所で、教えているので、私も気になってパソコンの画面の脇から、そっと観察しているが、2ヶ月間、ABCから次のステップへは進んでいない。KIANにとってABCを覚えるのは相当苦労のようだ。幼稚園を一年間さぼった罰かもしれない。しかし、二人は、しっかりと英語で会話しているのに、今更、ABCを唱えるのは、日本人にとってはいかにも違和感がある。2ヶ月もたったのに、先生はKIANは「A little bit improved.  少しだけ進歩した」、と評していた。 […]

KIANはABCに苦戦 2014年11月30日


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人は他人(ヒト)のために生きるというのが、人生の終盤にさしかかった私の結論だった。(参考ブログ「人は何のために生きる 2012年11月11日」参照)。そして、晩年は、ビコールの農場に孤児院を開設して、親に見捨てられた恵まれない子供達を育てようという夢を持っていた。 その後、息子が農場を継いで、フィリピーナと結婚して、農場で暮らすと言いはじめた。そして、フィリピンを基盤として、日本へは一年の半分ぐらいを出稼ぎに行くという。さらに子供は、3人作ると宣言している。そのころには私も現役を引退して、農場で余生を送ることになっているだろう。そうなると、孫たちを面倒見るのは、第一は母親であろうが、父親代わりは私となるだろう。 KIANの得意な寝姿はまるで椅子に座ってパソコンを操作しているような格好だ。家庭教師からABCを教わるKIANだが、彼が意外と勉強好きなのに驚いた。回りで、うろうろしていると手で追い払われる たとえ、日本人を父親に持っていたとしても、フィリピン人の母親とその家族と暮らしていたのでは、瞬く間に現地化して、日本人としてのアイデンティティーを失ってしまう。日本に行っても、たどたどしい日本語では、変なガイジンになってしまうので、日本語はネイティブでなければならない。英語、そしてタガログ語、さらに地元のビコール語は、ほっておいてもこなすようになるだろう。この日本語だけは、私の役割なので、家では、日本語だけを使うというルールのほか、インターネットやテレビで日本語の環境を整え、常に日本語に接する環境を用意するつもりだ。日本語の読み書きもインターネットで自習させなければならないだろう。 そんなことを考えていると、私の引退後の生活が見えてきて、子育てが、私の引退後の生きがいとなるだろうと、喜んでいる自分を発見した。そもそも、子育ては両親だけで行うものではない、家族全員がをれぞれの役割を担って行うものだ、というのが私の持論だ。参考ブログ「恋愛・結婚・家族のメカニズム2009年3月4日」参照。 夜は私のベッドで映画を楽しむのが日課のKIAN、いろいろなものを使っておどけてみせる KIANとの4年半の暮らしで、学んだものは、たとえ他人の子供であっても、子育ては、楽しい、ということだ。別に、何の見返りも期待するものではないが、KIANと一緒にいるだけで人生の充実感を覚え、与えるというより、受け取るものが多い。KIANの喜びが私の喜びであり、幸せだ。カラオケでGRO(ホステス)を相手にしているよりも、KIANを相手にしているほうがよほど楽しい。今や、KIANは私のベストフレンドだ。 甘やかしすぎるという感は大いにあるが、KIANの母親-ママ・ジェーンあるいは姉-アティ・キムがきびしく対応しているので、良いバランスだと思っている。おじいちゃんやおばあちゃんが甘いのは古今東西共通だ。問題は、同居しているKIANのいとこ達には、申し訳ないが、何の感情もわかない、ということだ。不公平といわれるかも知れないが、公平にしなければならない理由も見当たらないし、私は、神ではないから、自分の感情をコントロールする気にもなれない。 小さいころよくやったBeautiful Eyes(天使の瞬き)をやって見せるが、あのころのかわいらしさにはかなわない(右) 最近、退職者の方が、子育ては何のためにもならないという話があった。老後の面倒をみてもらえるわけでもないし、結婚するとさっさと家を出て、たまに孫を連れて遊びに来るくらいで、子育ての苦労に見合うものではないと。しかし、それには異論がある。 知り合いの40代の男性は、40歳で、子供をもうけ、猛烈なやる気が出た、だから60歳になって、その子が育ったら、また子供を作って、がんばるのだと語っていた。我が子のために稼ぐのは、男としての本能だろう。そう考えてみると、恋愛、結婚は子作りの準備段階で、子作り・子育てが本命なのだ。だから、子育ては何かのために行うのではなくて、子育てそのものが人生の目的であり、人生そのものなのだ。 自分が、20代から30代にかけての子育て時代は無我夢中で、子育ては生きがいだなんて悠長なことを言っている余裕はなかった。そして、今、自分の子供が育ってしまい、生きている目的を見失っていたような気がするが、KIANと出会って、子育てこそが、人生の永遠の目的であり、人生そのものなのだと悟ったのだ。 ヤヤ・ドナに見守られてパソコンで遊ぶKIANと大きなガンのおもちゃを担いでご機嫌のKIAN […]

人は何のために生きる(その2 子育ては人生そのもの)2014年11月16日



ここ数年、生理学者から、毎日、メールマガジンが送られてくる。題目は、不老長寿で、健康で長生きするための食生活、食品と薬の効能と害、病気のメカニズム、臓器の役割と仕組み、などなど、幅広い分野を、毎回数十ページで解説し、すでに1000編以上が送られて来ている。そして、最近の話題が、生活習慣病を溶解する(なくす)方法は、糖質制限、すなわち、米、パン、麺類等の主食を制限して、野菜・果物、肉・魚、それにナッツや豆など、たんぱく質と脂肪そして繊維質中心の食生活を行うことだと説いている。これは、最近話題になっている糖質制限ダイエット法の理論的バックグランドでもあるようだ。 生活習慣病とは、ご承知の通り糖尿病や肥満を代表とするいわゆるメタボで、脳溢血や心臓病など、細菌やウイルスによらない、人体そのものの機能障害に起因する病気で、癌もその一部で死因の60%以上を占めている。血糖値や血圧を下げる薬など製薬会社の儲け頭になっているが、これらの病気は薬で完治させることはできず、人々を一生、薬漬けにして莫大な利益を製薬会社にもたらせている。 これらの病気は、すべて、現代人の米、パン、麺類など糖質中心の食生活に起因しており、それを変えない限り、増加する一方で、やがて国を滅ぼす。現に、医療費の増大などによる健康保険の破綻など国家の財政を揺るがす問題となっている。 今日は恒例の土曜食事会にKIANの家族一同が参加して、いつものハーフ塩ラーメンとエビフライの衣、糖質ばかりを食べている。右は、姉のキムといちゃいちゃしているKIAN 人類700万年の歴史のほとんどは狩猟採集生活で、肉や昆虫、魚貝や海草、果物・木の実や山菜などを食して生きてきた。それは常に飢餓との戦いだったが、やがて、牧畜により、牛乳、チーズやバターなどの乳製品を食するようになり、さらに1万年ほど前から農耕が始まり、穀物という食料を安定的に確保できるようになった。 人類は、つい最近になって穀物というものを口にするようになったのだが、これら穀物は、炭水化物あるいは糖質が主で、米、パン、麺類、いわゆる主食といわれるものだ。そして、穀物から主要なエネルギーを賄うことにより、人類は人口を飛躍的に増加することが可能となり、地球制覇を成し遂げた。現代人にとって、穀物抜きでは食生活を語ることはできない。 しかし、件の生理学者は、この糖質の摂取こそが、人類をして生活習慣病に罹病させる原因だと説く。人類は700万年の間、糖質以外の食物を摂取して生きるよう体の仕組みを作ってきた。しかし、糖質を主に摂取するようになって、人体が機能障害を起こし、いわゆる生活習慣病を引起こしているというのだ。ちなみに野生動物は生活習慣病にかからない。しかし、人間に飼われたペットは、人間と似た食生活をするために、生活習慣病にかかり、メタボ犬やメタボ猫が出現している。 さらに、700万年の間、常に飢餓にさらされてきた人類は、食べられるときに食べて脂肪をためて、飢餓に備えるという仕組みを体内に持っている。この蓄えられた脂肪は、現代は飢餓によって消費される機会がないため、体内に蓄え続けられる。これが肥満となり、現在、世界人口の30%、約21億人の肥満とされ、生活習慣病の主因になっている。人類は農耕により、穀物を手に入れ、地球を制覇するに至ったが、その代わりに、生活習慣病という宿命を背負ったのだ。 街で見かけた、生活雑貨の移動販売。私が、子供のころは、豆腐、納豆、金魚、などの移動販売が盛んだった。なにか、昭和の半ばの雰囲気がある 血糖は糖質の摂取で急激に増加する。上昇した血糖値のコントロールのために多量のインシュリンが必要となるので、すい臓の機能の障害が発生し、糖尿病になる。さらに高血糖、高血圧などによる血管と血液の不具合が脳卒中や心臓病の原因になり、糖質は、人体にとって有害なばかりなのだ。特に砂糖はその作用が急速で、糖尿病を加速する一方、麻薬と同様、中毒作用があり、酒やタバコよりもはるかに害がある。さらに、癌細胞の栄養素は糖質から作られるブドウ糖であり、糖質を制限させることにより、癌細胞を消滅させることが可能だそうだ。 このように糖質の制限により、すべての生活習慣病が溶解するのだと学者は説く。 札幌一番ソース焼きそばKIANの一番の好みだ。キムと二人で一本のそばをはじから食べて、最後はめでたくキス。昔、カラオケのお姉ちゃんを口説くのに良く使った手だ 一方、フィリピン人の食生活を振り返ってみると、とにかく米を食べる。米におかずの汁をかけて、大皿に山盛りのご飯をたいらげる。さらにミリエンダ(おやつ)でスパゲッティやピザ、さらに焼きそば(パンシット)など、炭水化物/糖質のオンパレードだ。これは、安価にエネルギーをとる最も効率の良い方法で、貧困を生き抜く知恵でもある。だから、少し豊かになってくると、この食生活の延長で、半数以上の女性がおでぶちゃんになってしまった。だから、彼らは50台ともなると、糖尿病や心臓病で亡くなっていく人が実に多い。 一方、KIANの食生活と言えば、パンシットとご飯、それに鶏のからあげ位のもので、徹底的な野菜嫌いだ。ただ、私の影響で味噌汁と海苔が好物なのがせめてもの救いだが、白いご飯にしょうゆあるいはポン酢をかけて食べる根っからの糖質依存証だ。また、我が家では、ソフトドリンクとジャンクフードを禁止しているが、ジャンクフードのほうは、私に隠れて食べているようだ。これら野放しにしたら、すべての食品が糖質になってしまい、KIANの将来はメタボ一色になってしまう。 今日は、パパカーネルの45歳の誕生日。早朝からケーキにローソクをたててKIANが部屋にやってきた。KIANはローソクの火を吹き消すのが大好きで、いつも誰かの誕生日を心待ちにしている […]

メタボ社会は国を滅ぼす(その6、糖質制限で生活習慣病を溶解)2014年11月15日


フィリピーノの数字の弱さには定評がある。サリサリのお姉さんで、おつりの勘定を暗算でできる人にはめったにお目にかかれない。私の良きアシスタント役として活躍してくれているKIANのお姉さんのキム(18歳)は、大変優秀だが、こと数字の話になると、話題をそらす。 9月12日のマニラ新聞に、この件について、面白い話が載っていた。米紙、ウォールストリート・ジャーナルの記事で、米国の心理学者や教育学者の研究成果だそうだが、要は、英語そのものが数字を理解するのに不向きで、英語圏、すなわち、米英あるいはフィリピンではそれがハンデキャップとなっているというのだ。アメリカ人の数字の弱さは、確かに定評がある。 お願いするときは、両手をすり合わせて、「プリーズ」と繰り返す。こんな顔をされるとどんなことでも聞かざるをえない。一方、機嫌が悪いと、白目をして下唇をつきだすで、思わず噴出してしまう。 たとえば、11はイレブン、12はトエルブなどの単語だが、日本語などでは十と一あるいは十と二で表現し、これらが二桁の数であることが良く理解できる。さらに17や18はセブンティーンあるいはエイティーンと表現され、70あるいは80のセブンティーあるいはエイティーときわめて取り違えやすく、しかも、十進法の一の位と十の位が、十台とそれ以上では逆転していて、きわめて理解しづらい。 新聞の記事はそこまでだが、さらに九九に至っては、日本の九九と英語のそれでは圧倒的な違いがある。英語では、9x9=81をナイン・タイムズ・ナイン・イコール・エイティーワンなどと長ったらしい読み方をするが、日本語なら九九八十一(ククハチジュウイチ)と数分の一の時間で唱えられる。 私の執務机の周りで遊ぶのが大好きなKIAN。机の上や引き出しの中のものをいじくりまわして遊ぶのが無常の楽しみらしい。右の写真は、幼稚園の催しもに着けた衣装でご機嫌で帰宅してきたKIAN。幼稚園から帰ってくると、まず私のところに飛んでくるのが日課だ。 フィリピーノは英語で算数の授業を受けるので、まず、十以上の数字、十進法の理解と足算に苦しみ、さらに九九で挫折して、それ以降、大多数の生徒が、一生、算数・数学には無縁の生活を送ることになる。だから、KIANには、数字や九九をを日本語で覚えさせたいと思っているくらいだ。また、一方フィリピンでも普及している公文式ではどのように算数やABCを教えているのか、いたく興味を持っている。場合によっては、公文に通わせることも考えている。 KIANが幼稚園に通い始めてから3ヶ月を過ぎたが、KIANはABCを勉強するのが大きらいで、先生から、このままでは、来年も年少を繰り返さなければならなくなると忠告されている。いわば、留年あるいは落第だ。そんな事態をさけるために、ママ・ジェーンは、家庭教師を雇って、KIANにABCを特訓させようと企てているらしい。私は、頭が良いと評判のKIANがABCがきらいで幼稚園を留年させられ、落第生とレッテルを貼られるかもしれないという馬鹿馬鹿しい現象に腹立ちを覚えている。        カメラを構えると得意のワッキーフェイスを披露しておどけるKIAN ちなみに、KIANが数字として認識できるのは三つまでで、それ以上になると、「たくさん」としか認識できないようだ。ABCも、その日習ったアルファベットしか書けない。それよりも、単語を丸のまま読んでくれといい、一つ一つの文字ではなくて、言葉全体を記号として認識しようとしているようだ。 そもそも、人類数百万年の歴史で、数字や文字が発明されたのは、せいぜい数千年前の話で、世界的に数字や文字が普及したのはたかだか数百年の歴史しかない。人類は、数字や文字無しで、脳を発達させ、人類という、他の動物とは極めて異なる類を形成した。その原動力は、二足歩行で自自由になった手を使い、さらに道具を使って脳を飛躍的に発達させたことにある。 だから、脳の発育に数字や文字は不要だ。現にKIANは数字や文字無しに、おもちゃやスプーンを器用に扱い、英語を流暢に話し、タガログ語やさらに日本語まで理解するという、大人顔負けの知恵を持っている。先日、「重い」の意味を聞いたら、「Heavy」と答え、「待って」の意味を聞いたら、「Wait」と正解し、日本語を教えてほしいと要求する。我が家では、英語、タガログ、ビコラノ、そして日本語が飛び交うが、それぞれが、異なる言語で、同じことを違った言葉でしゃべるということをしっかり理解しているのだ。親たちのタガログ語やビコラノでの会話に、英語で割ってはいることもしばしばだ。 私の部屋で一日の大半を過ごすKIANは、私がいても遠慮はしない。先日は、この姿勢から、にわかに小さなおちんちんを出して、ベッドの上におしっこを撒き散らし始めた。私の顔面も命中させて、大喜びだった。この攻撃には私もたじたじで、一騒動になった。その後も大きな水鉄砲で部屋を水浸しにする気配だったので、「I will threw you from window if you do it」と脅したら、構えだけで水を発射することは、さすがになかった。 子供の脳は、遊びや音楽、そして親兄弟との日常の生活を通じて日夜、飛躍的に発展して行く。それを、子供を机に縛り付けて、1、2、3やABCを繰り返させるなんて愚の骨頂だ。ちなみに、KIANは、ワン、ツー、スリー...テンを諳んじているが、サイコロの目を見せて、いくつかと聞くと、三つまでしか正解は言えない。4つ以上は適当に知っている数字を言うだけだ。しかし、数字や文字は時が来れば、自然に覚えるもので、それよりも、活発に遊んで、歌って、踊って、食べて、寝るのが一番と思う。そもそも、歌や踊りは人類の遥か昔からの楽しみで、歌や踊りを楽しむお祭りのない種族は、存在しない。だから、歌や踊りは、人間としての本能に近いものだと思う。 […]

フィリピーノは何故数字に弱いのか 2014年9月13日



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1990年ごろ、脳内革命という本がベストセラーになった。内容は、何かうれしいことがあると、脳からドーパミンという物質が出て、快感を感じ、それがやる気を引き起こすというものだった。それから、ドーパミンという言葉が一般に使われるようになった。その話を医者の兄にしたら、医学会ではそんなことは常識であって、あえて本に取り上げるほどのものでもないということだった。しかし、脳から発生する物質がやる気の基になるとは、素人の私にとっては大変新鮮なものだった。 4歳になるというのにKIANは相変わらず、歯磨きが苦手だ それから、20年以上経過して、NHKで、脳の仕組みに関する最近の研究成果について興味ある番組をやっていた。3回連続で、iPS細胞でノーベル賞を受賞した中山教授を招いて脳の仕組みを解説していた。第一回は脳の成長の仕組み、2回目は愛情の仕組み、そして3回目は老化の仕組みだ。 Vの字がKIANの最近のポーズだ 人間の脳は4歳くらいまでにその発達を止める。そうしないと、膨張し続けた脳は、アルツハイマーのような症状を示し、逆に萎縮してしまうそうだ。そして、その後は、脳の性能アップを図る段階で、小学生のころに、音楽を習わせると、五感がフルに働いて、脳はその回転を早め、いわゆる頭の良い子供になるそうだ。私は、KIANにテレビやTVゲームばかりではなくて、碁や将棋などのゲームをやらせたいと思っているが、音楽と同じような効果を発揮すると思う。 音楽は、楽譜を見て、手で楽器を奏で、耳で聞いて判断し、そして楽器の演奏を調整する。五感を瞬時に働かせ目的を達成するという、成長する脳に対して最適な刺激を与えることができる。物理的には脳の情報伝達細胞が情報の伝達を高速化し、要は頭の回転を早めることが実証されているそうだ。ゲームにしても、ゲームをしている間は、脳はフル回転で、じっと見つめているだけのテレビとは大違いだ。 ニューヨークのスラムの9歳の子供たちに音楽を教えたところ、ほとんど大学進学する子がいない地域で、音楽を教わった90%以上の子供たちが大学に進学するという事実に全米が注目しているという。 旧正月の飾りを前にポーズを取るKIAN 4歳ごろまでに脳の器(うつわ)が出来上がった子供は、その後、ゲームや音楽などの訓練で脳の性能を高め、そして、その後は高性能の器に知識を詰め込んでいく長い学校生活となる。だから、小学校を低学年までの間に器となる脳の容量と性能を確保しておかなければ、その後の人生に期待はできない。 この時期(幼稚園~小学校低学年)に、子供はよく遊びよく寝て脳の器を育て、ゲームや音楽などを楽しむことによって脳の性能を高めることが必要で、机に座って、ひたすらABCを唱えたり、123と数えたりするだけの詰め込み教育は全く意味をもたない。 KIANが、パパ・カーネルの実家においてあったキー・ボード(電子ピアノないしオルガン)にいたく興味を示した、という話を聞いて、早速、ヤマハ楽器の販売店(ブエンジアと通りとN・ガルシア通りの角のユーパンコ・ビル)にキー・ボードを探しに行ったら、1万~2万ペソで手に入ることを知った。この程度ならば何とかなると、近々購入することに決定したが、ママ・ジェーンに話によると、キャッシュ・アンド・キャリーには、カシオの製品が7千ペソ程度で買えるそうだ。いずれ購入したら、このブログで報告したい。 息子の帰国はピザで歓迎するのが最近のしきたりだ。KIANは親指を立ててポーズをを取る 第二話は、男女の愛や家族を思いやる愛情の仕組みだ。 恋人同士がキスをしたりしているとき、脳下垂体からオキシトシンというホルモンが発生する。さらに子供を生んだ母親には大量のオキシトシンが発生して、生まれた子供に深い愛情を感じることが実験で確かめられている。人は、このいわば愛情ホルモンが出ると、恋人や子供に愛を感じるのであって、要は、恋人を愛したり、わが子を愛するのは子孫繁栄のために脳細胞が発する愛情ホルモンによる指令なのだ。この仕組みが欠落すると、引きこもりなどの発達障害を引き起こして、他人との交わりをもてなくなる。無縁社会を構成する人たちもこの愛情ホルモンが欠如しているのではないか。 引きこもりの人にオキシトシンを注射すると、目に見える改善が見られ、社会生活を送ることができるようになるそうだ。ちなみ、マウスに注射すると、オスとメスが寄り添って、愛着行動を起こすという実験がある。そうなると、ほれた女に、いかに愛情ホルモンを発生させるかが、恋の成就の秘訣ということになるが、それは、やはり、贈り物と、おいしいものを食べさせることに尽きるのではないか。しかし、この愛情ホルモンを放出させるほれ薬ができたら、世紀の発明としてブレイクするに違いない。 […]

脳内革命、第2弾 2014年5月10日


毎週土曜、恒例となっているサイカでのKIANとのランチで、料理を待っているとき、KIANが突如として、「ダダはガールフレンドがいるのか」とただならぬ発言をした。発言の根拠は、私が、その時、KIANを無視して携帯のテキスト(携帯メール)に集中していたためだった。私が発信していた相手は客だが、KIANにしてみればテキスト=ガールフレンドと思っているのだ。 その根拠は、以前、しばらく我が家に居候していたママ・ジェーンのお兄さん、アランがテキストしているのを見て、KIANが「誰にテキストを送っているのか」と聞いたら、アランおじさんは正直に「ガールフレンド」と答えた。そういえばボボイおじさんも携帯を一時も離さず、常にテキストにいそしんでいる。彼らにしてみれば、他にやることもないから、ガールフレンドと一緒にいないときは、ほとんど一日中、テキストで会話しているようだ。ちなみにアンリ・・・・と称して、携帯電話会社各社は同じ携帯電話同士であれば、一日十ペソのロードで無制限の(Unlimited=アンリ)テキスト、25ペソなら無制限の会話もできるサービスを提供している(スマートの場合)。だから、一日中、テキストにいそしんでいられるのだ。 コンドでは、次々と赤ちゃんが誕生して、KIANはもはやお兄さんだ。この双子は男と女で、一卵性双生児ではない。しかし、瓜二つだ。 そういえば、ママ・ジェーンもほとんどの時間を携帯とにらめっこをしている。彼女はI フォンを利用しているので、テキストばかりではなくて、E-メール、Face Bookやさらには新聞などを読むのにも利用している(ちなみに事務所兼住居の我が家には複数のパソコンでインターネットを利用できるようにWifi環境を整えてある)。もちろん、友人あるいはパパ・カーネルとのテキストもあるが、私にも、時に大量のテキストを送ってくる。たとえ、二人とも家にいる時でさえも、2階と1階でテキストの交換をしているくらいだ。 私にガールフレンドがいるという話は、KIANからジェーンにも伝わっていた。「KIANが、お腹がすいているのに、ダダはガールフレンドにテキストを送るのに夢中だった。」と、報告したそうだ。さらに、パパ・カーネルには、「マミーは携帯とにらめっこばかりをしていて、ちっとも自分をかまってくれない。」と小言を言ったそうだ。ちなみに、17歳のキムは携帯の所有やFace Bookの利用を禁止されている。それはもちろん、いい寄る虫から彼女を守るための親の算段だ。 私の部屋でテレビを楽しむ子供たち。私の部屋では、小言はないので、子供たちはのびのびと時間をすごすことができる。 フィリピーノがテキストで会話することと言えば、「How are you, Dd you finish […]

ダダ(私)にガールフレンドができた 2014年3月24日