提言・提案


最近、ボボイの娘の双子(8歳)が成績表を持って帰ってきた。彼らは近所の公立小学校の3年生だ。姉のアレアの成績は日本の5段階評価で言えば、3と4が中心でまあまあ普通、妹のアレクサは2と3が中心で、劣る、といった評価だった。これに対して、ボボイは怒りをあらわにして、アレクサを叱責していた。 はじめは何のことやらわからなかったが、ジェーンの説明で状況を理解したが、成績が悪いといって叱責されても、子供にとってはいたし方あるまいと思う。その後も、彼女達は反省して勉強をするわけでもなく、相変わらずテレビを見ているだけ、ボボイもそんなことはすぐに忘れてしまい、双子の勉強の面倒を見るわけでもない。 成績表を良く見てみると、二人とも算数が70点で最悪だ。テストの点数が70点なら、さほどでもないと思うが、評価では71から79点がPOOR(劣る)となっている。70点という数値は評価外だというわけだ。そういえば、たまにキムが双子に算数を教えていることがあった。彼女ら二人は学校の授業にまったくついていくことができず、キムに教えてもらっていたらしい。 それにしてもフィリピンの子供が勉強しているのを見たためしがない。家で勉強らしきことをしているのは宿題があるときだけらしい。そういえば、自分も小学校時代は宿題以外に勉強などしことはなかったから、当たり前なのかもしれないが。ジェーンは授業だけで十分で、家で勉強するものはいないと言うが、医者や弁護士あるいはエンジニアーなどの資格を有する職業に就くためには、相当な勉強をしないと国家試験に受からないと思う。ジェーンの話は、きっと巷の庶民のことなのだろう。 ジェーンに算数のことを話すと、フィリピン人はみな数字に弱いから、どうってことはないとうそぶく。 だから、双子が計算が苦手だとしても普通に生きて行くためには何の支障もないともいう。それに引き換え、日本ではどこの店の店員でもおつりなどは暗算で即座に計算してよこすのに、フィリピンのサリサリのお姉さんは、数十ペソの買い物をして100ペソ払ったら、お釣りを暗算で計算できる人はあまり見かけない。せいぜい数ペソ買って10ペソ払ったときののお釣りどまりだ。確かに周りがそうであれば、特に劣等感も持たずに暮らしてはいけるだろう。 しかし、家族の期待を一身に集めるKIANがテレビばっかり見ている双子に影響されて、怠惰で愚鈍な子供に育っては困る。KIANは将来国を背負って立つ人間になるのだから、つまらぬ弱点を持ってはならない、と私は警鐘をならす。そもそもテレビは一方向で、情報を受け取るばかりで、何の相互作用もないから、脳が一向に働いていない。もっと相互作用あって、脳をフルに働かせる、トランプや囲碁、将棋、チェスなどのゲームで時間を費やしたほうが何ぼか役に立つかわからないと。 普段は盤面を手で掃いてめちゃめちゃにして人の遊びを邪魔するのに、写真撮影となると、まるで自分もプレイに加わっているようなポーズをとっているKIAN そこで、事務所にあった、囲碁や将棋を持ち出して、まずはキム(17歳)に回り将棋やはさみ将棋、5目並べ等の簡単なものから、本格的な将棋や囲碁のやり方を教えた。KIANといえば、並べた将棋や碁石を散らかすだけで、ゲームをやるには程遠い。しかし、いずれは興味を示すに違いないので、まずは、環境を整える周囲の努力が必要だ。 トランプ遊びもKIANには、まだちょっと手強いようだ 私の子供のころはテレビもない時代で、近所の子供たちといつも将棋や囲碁で遊んでいた。こんなとき、脳はフル回転で、私の8歳年上の長兄を負かしたときなど有頂天になったものだった。しかし、その後、飛んでくる兄の罵声とピンタをいかに避けるかが私の課題たったが。         鍵盤は弾ける人が誰もいないのですぐに廃れてしまった 現代は、テレビのみならず、コンピュータ・ゲームが盛んで、子供たちもアイ・パッドなどでゲームを楽しんでいる。しかし、これらは、どう考えても脳の訓練には向いているとは思えない。バーチャルで人を殺しても、リセットすれば生き返ってしまい、人間的あるいは生きているという要素がない。こんなゲームが、無差別殺人などに結びついているのではないかと憂えるばかりだ。KIANも最近はパスコンを器用に操って遊んでいるが、昔ながらのゲームを教えて脳の訓練ばかりではなく、人間としても感性を見につけてほしいと願う。         自転車にローラースクーターはKIANの外遊びの定番だ

囲碁と将棋に挑戦 2014年2月18日


最近、NHKで、「介護を拒否する一人住まいの認知症のお年寄り」、あるいは元NHKのレポーターの「認知症のお母さんの介護生活の3000日の記録」、「辞職して親の介護をする中高年-介護辞職」などの番組をやっていた。日本の介護の現場は、どうしようもない状況に陥っているようだ。 日本では予備軍も含めて、800万人の認知症のお年寄りがいるという。そして、この方たちの多くが一人あるいは夫婦だけで暮らしている。私の身の回りを見渡して見ても、子供夫婦と一緒に暮らしているお年寄りはほとんど見かけない。お年よりは皆、口をそろえて、子供達に面倒はかけたくないと話す。そして子供達も将来、親の面倒を見るという気はない。 かと言って、いざ親が認知症など介護を必要とするときが来たら、ほっておくわけにも行かないし、特別養護老人ホーム(特養)は40万人の入居待ちがおり、私設の有料老人ホームに入れようとしても、一般人には高嶺の花だ。そうなると、介護のために会社を辞めたり、離婚して親の介護に専念したり、自分の家族を犠牲にせざるを得ない方も多い。だからこそ、お年よりは、ますます子供に面倒をかけまいと、一人住まいや介護拒否が加速する。そして、最終局面では、面倒を見るほうも見られるほうも地獄を見ることになる。 最近はおやつ代わりにミルクを粉のまま食べるKIANはメタボ予備軍だ  先進国としての通例で、国は、年金制度、健康保険、介護保険、生活保護などの社会福祉を充実することにまい進してきた。しかし、高齢化社会、少子化社会を向かえ、収入と支出のアンバランスにより、膨大な国家予算をつぎ込むことなり、その破綻は秒読みの段階にになっている。日本はそれぞれの福祉制度にフィリッピンの国家予算をはるかに凌駕する国家予算を割り当てている。しかも、それは皆、国債などの借金で賄われているのだ。 政党は票集めのために社会福祉の充実を旗印にしているが、現実は、年金支給開始年齢のの引き上げ、個人負担の増額、在宅介護の奨励など、出費の削減にやっきだ。それは、膨大な国家の負債により財政が破綻、そして国が破綻するということが、海外では、すでに現実となりつつあり、日本も例外ではありえないからだ。 しかし、手厚い福祉制度に胡坐をかいて、核家族化、そして無縁社会をまい進してきた日本人にとっては、国家の福祉に頼らざるをえない体質(メタボ社会)になってしまっている。そんな日本人に対して福祉の後退は、お年寄りの致命傷となり、子供達は、この世に生を授けられることさえも拒否される世の中になっている。 ルートンマカオで定番の野菜とシーフードのスープを食べたら一気に一杯半も平らげたKIAN。普段食べない野菜や豆腐、イカにエビなども喜んで食べていた   先般、お世話したお年よりは、すでに軽度の認知症で、高齢の奥さんにとって、その介護は過酷で精神状態までおかしくなりかねない切羽詰った状態だった。お子さんは、それぞれの生活があり、介護を助けることもできない。特養に入れようにも、この程度の認知症では対象外と門前払いをされ、申し込むことさえできなかった。私営の老人ホームに入れたら、財政的に子供達の生活が破壊されてしまう。 解決策として考えたのが、フィリピンでの介護で、外国人を専門に面倒を見ているWellness Placeというところに父親を預けた。月々10数万円、これなら、なんとか賄える。これにより、家族崩壊の危機を乗り越えることができた。しかし、この選択は、海外に居住する、海外通の息子さんあってのことだ。今後、介護老人を抱える家庭は、国を頼りにするのではなく、日本を脱出して、自ら解決策を海外に探る以外に方法がないかもしれない。 一方、フィリピンには老人介護の問題も少子化の悩みもない。国民の半数が貧困という社会では老人と子供は強い家族の絆に守られて、幸せに暮らしている。介護施設も皆無で、自分の親を介護施設に送る込むという様な不謹慎な子供はいない。フィリピンでは老人と子供は神の子であり、天使なのだ。 となりの家の歩行機械で一生懸命運動をするKIAN。メタボ解消に躍起だ  それでは、日本のお年よりは、何故、子供に面倒を見てもらうことを拒否して、一人暮らしをするのだろうか。逆説的な言い方だが、財政的に可能だからこそ、一人暮らしをするのだ。たしかにお金さえあれば、色々と面倒な家族などいないほうが気楽でいいかもしれない。嫁姑の確執もないし、夫婦の揉め事も、兄弟や子供が持ち込むトラブルに悩まされることもない。 財政的裏づけとは、まさに社会福祉の目玉、年金だ。年金があれば、子供を頼りにしなくても老後の暮らしが送れる。老いて子に従う必要もなくて、好きなときだけ土産を持って孫の顔を見に行けばよい。年金がもらえない人は生活保護という便利な制度まである。 […]

メタボ社会は国を滅ぼす(その5-年金と健保)2013年12月22日



 私は従来から、フィリピンの負のイメージあるいは偏ったイメージ(危険、汚い、金欠の3K)を払拭し、フィリピンの良いところを見直してもらうよう努めてきた。すなわち、近い、安い、優しいの3つのい、すなわち 3I(3つの愛)であり、それに英語圏であることと退職ビザというすぐれものの永住ビザの存在だ。 いつも、フィリピンの良いところを見つけようと心を砕いて、フィリピンをほめることばかり考えていた。   先般、ロングステイフェアで、フィリピンでロングステイすることに興味を抱いている方から、「それではフィリピンの悪いところは何ですか?」と聞かれ、返答に窮した。そんなことをまじめに考えたことが無かったのだ。考えてみれば、フィリピンを紹介するに当たって、よいことばかりを並び立ててもだめで、良いところ、そして悪いところを公平に紹介するべきだと悟った。   そこで、初めて、フィリピンの悪いところを整理してみた。 ①インフラの未整備:いずれの発展途上国でも同じだろうが、フィリピンの交通事情はいただけない。電車は数本しかなくて、主要道路は万年交通渋滞だ。それにちょっと大雨が降るとマニラ中の道路が冠水して交通網が麻痺してしまう。 道路冠水で交通マヒに陥ったマニラの道路  さらにちょっと大きな台風が来ると、途端に停電する。数日の停電はざらで、大きな台風では数週間、今回のレイテ地方を襲った台風30号(ヨランダ)のような超ど級の台風の場合は、半年は固いだろう。それにもかかわらず電気料金は日本以上に高い。  それにタクシーが悪い。日本人の訪問者の多くが空港でタクシーを使うのを嫌う。それは危険というよりも、運転手との値段交渉がいやなのだ。彼らはたくみに料金を割りまして、ぼろうとする。さらに、空港職員までもがタクシー、タクシーと呼びかけてきて、レンタカーに案内し、マカティまで正規タクシー(クーポンタクシーあるいはイエロータクシー)の倍以上の1000ペソ程度の料金を要求する。 しかも、全日空を除くすべての外国航空便が到着する第1ターミナルは出迎えが至難の技で、自家用車で出迎えることも容易ではない。そうなると 空港からの足は、タクシーに限られるので、訪問者にとっては死活問題だ。   ②分厚い貧困層の存在:フィリピンの半数以上の国民が一家族、月々一万ペソ(22000円)以下で暮らす貧困層だそうだ。だから、国中にスコーターと呼ばれるスラムが点在する。首都圏マニラにもそこかしこに点在するので、外国人にとってのイメージ・ダウンもはなはだしい。 川にこぼれ落ちそうなスラム   このような地域には犯罪者も多数住んでいるので、見知らぬ人が立ち入ることは、極めて危険で、それが、治安の悪さを印象付ける。日本では、このスラムに迷い込んだ日本人を、こぞってドキュメンタリー小説やテレビなどで紹介するので、まるでフィリピン中がスコーターであるような印象を与えている。   しかし、貧困層だからといって、誰もが悪というわけではなくて、ほとんどの人は良い人で、フィリピン人としてのアイデンティティーであるホスピタリティがあふれている。また、これら貧困層があってこそ、メイドやドライバーなど仕事や家庭を支える人々を安価に雇用することができるのであって、フィリピンのメリット(安い)の裏返しでもある。 東洋一といわれるトンドのスラム街 […]

フィリピンの悪いところ?2013年11月12日


昨夜、NHKで、人類の起源と心臓病についての番組をやっていた。人類は進化と引き代えに心臓病になるリスクを抱え込んだというものだ。数億年前に高性能ポンプ(心臓)を持って俊敏な行動を可能とする哺乳類が誕生し地球を制覇した。そして、700万年前に人類は2足歩行を開始し、両手を自由に使えるようになり、食料の確保が容易になった。血管の総延長は10万km、地球2週半に至るとが、その隅々に血液を絶え間なく送り続けるという至難の役割を担っているが、2足歩行により、重力のために血液が足にたまってしまう一方、脳への血液を送るために大きな負担が心臓に生じたのだ。  そして270万年前に急速に脳を巨大化させる代償にコレステロールが血管に沈着して心筋梗塞を引き起こすリスクを抱えた。それにはGCという脳の成長を抑制する物質が関与し、人類はこれを失うことにより、脳が急速に発達したのだが、これが1万年前にはじまった農耕牧畜文化により、動物の肉を食することにより大量にGCを体内に取り込む結果となった。このGCを異物と認識し、免疫細胞が攻撃することにより、血管の内壁が損傷され、コレステロールが沈着し、血管を詰まらせ、心筋梗塞にいたるというわけだ。  姉のKIMと従妹のIAを抱きかかえて微笑むKIAN。ただし二人といえば、KIANに首を強く絞められて悲鳴を上げている  損傷した心臓は脳に十分な血液を送ることができず、死に至るわけだが、最近、心臓手術のあとのリハビリテーションにジムのトレーニングが取り入れられているそうだ。歩行訓練等により、第2の心臓と呼ばれる足の筋肉を増強し、血液を心臓へ送り返す機能を高め、心臓の負担を軽減しようというのだ。従来は、心臓の術後といえば安静が第一で、歩くことさえはばかれていたが、まさに逆転の発想だ。心臓が弱いからこそ、静かにしていないで、運動しろということなのだ。   さらに、先週、NHKの「ためして ガッテン」で、世界の記憶王の脳のトレーニングが、なんとサイクリングだという、意外な事実を紹介していた。心臓のリハビリに運動、記憶力のトレーニングに運動、何か相反するものが意外と連動しているというわけだ。最近は介護施設でも認知症の予防、老化防止に筋力トレーニングが取り入られているそうだが、これも同じ発想だ。 髪をなびかせスケーターで爆走するKIAN  人類が700万年前に2足歩行を開始し、手を自由に使うことにより、脳を急速に発達させ、他の動物を差別化し食物連鎖の頂点に立った。そして、ついには文明という武器により地球を制覇した。この原点は手を器用に使うことにある。赤ちゃんは6ヶ月もすぎると、身の回りのものすべてを手にとって遊び始める。そして、彼らの日常は遊びに始まって遊びに終わる。おもちゃは彼らの命だ。こうしている間に脳はものすごい勢いで発達しているのだろう。まさに全身を使って遊びまわることが脳の育成と訓練に欠かせないのだ。遊びやスポーツが楽しいのはそれを彼らが必要としているからで、勉強や塾のために彼らの遊びやスポーツの機会を奪ってはいけない。 あちらこちらにガールフレンドがいるKIAN  机に座ってABCや123を勉強すること、さらには学校の授業や受験勉強が脳を発達させるだろうか。たしかに出来上がった脳に情報を書き込むことはできても、脳そのものを発達させることは無いような気がする。記憶力のトレーニングにサイクリング、認知症の予防に筋力トレーニングというのが、それを物語っている。子供の脳を発達させるには、好きなだけ十分に遊び回らせることだ。そして疲れ切って寝ている間に脳細胞が合成されるのだ。だからこそ、やんちゃな子供ほど将来は大物になれるのだ。静かで、とても良い子なんて赤ちゃんは、とても将来は期待できない。脳に書き込まれた情報量の差異をテストする入学試験が真の能力を測ることができないのは、自明の理だ。 私の執務机の下にもぐりこむのが大好きなKIAN  私は、 ウォーキングが血糖値を下げるのに劇的な効果があることを体感し、毎日、歩くことを心がけていた。しかし、マニラの環境がゆえにウオーキングの楽しみを味わえず、2年ほど前に中断してしまった。そして、しばらく前にジムに入会したが、機械の上でひたすら足を動かすことに飽きて、数回通っただけでギブアップした。いずれ引退したら、ビコールの農場で野良仕事に明け暮れるのだから、運動は十分と、それだけを頼りにしていた。しかし、引退は何年先の話になるか誰にもわからない。そうこうしているうちに野良仕事もできないへなへなになっても困る。 姉のKIMの体にあわせてポーズをとるKIAN  そもそも人類が健康のために運動する、という発想はなかったはずだ。人類の活動は猟や農耕であって、食料を得るために不可欠な行動で、無駄なエネルギーを費やす運動などは子供達の遊び以外ではなかったろう。腹が減るから寝ていたほうがましだ、てなところだろう。だから、子供の遊びのように、アンチエイジングの活動も、楽しくなければ長続きはしない。 セロテープに貼り付けた花札を橋に見立てて車を走らせるKIAN  そこで思いついたのが、仕事とウオーキングの結合だ。客がいなくて、一人でPRAや銀行に行くときは歩いて行くことにした。平日、混んでいるときは、車で行っても歩いて行っても時間的に大差ない。仕事だから、後回しというわけには行かないし、ただ行くための手段を変えるだけだから、抵抗もなさそうだ。以前、事務所が遠くにあるときは事務所まで毎日歩いた。それが住居と事務所が一緒になってしまい、歩く機会がなくなってしまったのだが、その時も歩くこと自体は苦にはならなかった。明日から早速実行しよう。いつも車で走っている同じ道も歩いたら別のものが見えてくるかもしれない。毎日コースを代えて歩くのも面白しろそうだ。思いがけない出会いがあるかもしれない。 […]

アンチエイジングの秘訣(赤ちゃんは天才)その2 2013年10月28日



中国経済の勃興も一段落した感があり、今、日本が目を向けているのが、東南アジアだ。いつも取り残された感じが強かったフィリピンにも熱い視線が向けられている。グロリエッタやグリーンベルトそしてモールオブエイシアなどに日本の居酒屋チェーンやラーメン・チェーンを初めとする本格的和食レストランの開店が相次いでいる。先日は安倍首相もフィリピンを訪問して、アキノ大統領などと経済協力を話し合い、親交を深めた。中国、韓国との首脳との会談が実現しない今、まさに東南アジアが日本の良きパートナーとなりつつあるようだ。  どこの国でも同じことだが、市場として成り立つためには中間層の果たす役割が大きい。中国、インドそしてブラジルなど、経済勃興の鍵は中間層の躍進だった。最近、日本人商工会議所の月報(2013年1月号)で、面白いデータが発表されていた。フィリピンの世帯収入毎の収入の分類と世帯数だ。 社会階層  世帯収入(ペソ/月)世帯数(万)と割合(%)日本物価換算収入      富裕層    15万ペソ以上    4 (0.2)    150万円以上 中間層(A) 10万~15万     18 (0.9)    100万~150万円     中間層(B)  2万~10万     380 (20.6)    20万~100万円 貧困層  […]

フィリピン経済勃興の鍵、中間層 2013年8月11日


肺炎を患って以来、ほとんど一週間、ベッドの上で寝たり覚めたりして過ごしたが、その間、気がついたことがある。普段、朝あるいは夜中に目が覚めると、いわゆる朝だちで、しばらくの間、小便をするためにトイレにいけない。ところが、この一週間は、目が覚めると、すぐにトイレにいけるのだ。やることもないから、注意深く観察してみたが、どうも、朝だちがないようなのだ。もちろん、こんな時に女性のことを考える余裕もないが、実に肉体も精神も淡白になっているようだ。病気だから当たり前なのだが、どうにも気力も活力もどこかへ行ってしまったようで、夢もチ望もないといった気分だった。  男は何故、朝立ちをするのか、子供のころはおしっこが漏れないように固くなっているのだ、などと思っていたが、どうもそれだけでは説明できない。なぜなら、いつ起きても朝立ちしており、どうも寝ているときは、常に勃起しているようなのだ。肝心なときは、ついごめんなさいをしてしまうくせに、睡眠中は、数時間、連続して元気でいるらしい。そうなると男は皆、絶倫である素質をもっているのではないかと思う。この辺のメカニズムは、是非、例の生理学者の先生に教えを請うて、実践に活用したいと思う。  そして、一週間経過後、相変わらずベッドで寝起きを繰り返していたのだが、目が覚めると、朝立ちしていることが認識できた。まだ、なんとなく心もとないが、たしかに朝立ちだ。そして、2週間経過後、前のようにしっかりと朝立ちしており、しばらくの間、トイレにいけない状態になった。このことから、私は、心身ともに回復したのだと確信することができた。どうも、男にとって勃起とは健康のバロメーターのようだ。Yahooのサイトにアクセスすると「スッポン8倍を飲むと、あのころの逞しさが甦る」なんてコマーシャルが目に付くが、まさにそれだ。  ところで、最近、件の生理学者のメールマガジンに「高齢者のセクシャル・ヘルス」という記事があった。ヒトは死ぬまで性行為ができるように設計されており、アメリカの研究では75~85歳の男性の40%近くが定期的にセックスをしているということがあきらかになったそうだ。老人ホームでも性を抜きにしてあるいは性に目をつぶって運営をしていくことはもはやできないそうだ。性には無縁と思われていた高齢者が、老人ホームで青春を謳歌する時代になっているのだそうだ。  WHOでは人間が健康を維持して長生きをするには、 ①     セクシャル・ヘルス ②     フード・ヘルス ③     スポーツ・ヘルス が必要で、なかでも①セクシャル・ヘルスがもっとも効果があるとしている。 そしてその効能のベスト10は ①     ストレスを和らげる ②     免疫力を上げる ③     カロリーを消費する ④     心臓疾患のリスクを低減する ⑤     自尊心を高める […]

肺炎にかかってしまいました(その3)2013年7月14日



肺炎にかかって3週間が経過した。医者の完治宣言は出ていないものの、もう薬もやめて、ほぼ平常の生活にに戻っている。幸いだったことは6月21日(金)の罹病以来、臥せっていた初めの1週間はほとんど来客や用事がなかったことだ。2週間目の病み上がりには、毎日数時間程度の用事でゆっくりと休養がとれた。そして、ほぼ、体調が整った今週は、急に仕事が舞い込み始めて、多忙ともいえる一週間だった。  最初の数日の具合が悪いときは食事も喉を通らず、一方、栄養を取らないといけないので、栄養ドリンクやら果物やら、食べやすいものを食べた。口がまずくなって普段食べていた納豆ご飯中心の粗食は食べる気がしなかった。そうしたら、血糖値が200~300程度まで上がってしまい(正常値は、空腹時で 110、食後で150程度)、いかんともしがたい状況に陥った。長年、薬に頼らず食事の節制と運動で血糖値をコントロールして来たものが、肺炎でその辺の作戦がしっちゃかめっちゃかになってしまったのだ。  医師に相談すると、病気をすると体がその病気に対して臨戦態勢となるために血圧と共に血糖値も上昇する。しかし、血糖値が高すぎるということは血の巡りが悪くなるので、病気への抵抗力が低下する。したがってやはり血糖値のコントロールが必要なのだそうだ。この際、血糖値は薬でコントロールすることにして、栄養は十分とるようにして、安静にしているようにとの指示を受けた。最近、発売された薬で副作用がなくゆっくり血糖値を下げる10年に一度出るか出ないかという良薬というのを処方してもらった(Januvia 50mg 一日一回服用)。肺炎が完治した時点で、血糖値のことは考えることにして、当面、今まで控えてきた肉や揚げ物などおいしいものを遠慮しないで食べることにした。  そして、今、念頭にあるのが、崎谷医師の提唱するナチュラル・パレオという食事法で穀類(米、麦、豆、いもなど)の摂取をやめ、肉・魚、果実や野菜・海草などだけを摂取するというものだ。この食事法は血糖値のみならず、ダイエットにも効果があり、高血圧、癌、認知症などあらゆる生活習慣病を劇的に改善するというのだ。すでにかなり有名なものだが、かつては、こんな偏食が体にいいはずがないと、興味がもてなかった。しかし、最近、私に毎日送られてくる生理学者からのメールマガジンでこの食事法を推奨していたことに着目した。その理由は下記だ。 ①人類の700万年の歴史において、穀物中心の食生活になったのは、ほんの1万年前の話だ。それまで、人類は700万年のほとんどを、狩猟や採集で食料を得てきた。その間、食べていたものは肉や魚、果物や木の実、さらに山菜・きのこ・海草などだけだ。 ②農耕が始まって人類は安定して食料を得ることができるようになり、劇的に人口が増えた。そして主食は米、パン、麺、ジャガイモ、豆などの穀物類となった。 ③元来、人類の体は、穀物、すなわち炭水化物ないし糖質からカロリーをとって生きるようにできていない。穀物が主食になったときから、人類は高血糖となり、さらに癌、脳溢血などの病を抱え込むはめになった。現代では、飽食も加わってメタボリック症候群と呼ばれ人類最大の敵となっている。 ④従って、人類は、原始人の食事、すなわち、穀物を摂取しない食事法により、これらの病、メタボから逃れることができ、健康を維持して長生きができるのだ。  この話は、なんとも納得の行く、説得力のある話だ。今まで血糖値をコントロールするために、カロリーの高い肉類を避けご飯と納豆に味噌汁、そしてたまに外でちらし寿司や冷やし中華をとるという私の食生活は、どうや根拠の薄いものとなってしまったようだ。  さらに、かの生理学者は、野菜や穀物だけしか食べないベジタリアンは癌を促進するものとして否定している。かの有名なアップルのスティーブ・ジョブスや女優のオードリー・ヘップバーンもベジタリアンだったが癌で他界した。だから、肉や魚を食卓から排除してはいけない。狩猟や採集で集めたものを食する、すなわち原始人の食事が人体には理想的なのだそうだ。  かと言って、穀物を排除したら人類は、食糧不足となって生き延びていけない。しかし、飽食の中にいる我々は、穀物を最小限にして、肉や魚、そして野菜中心というのは、取り組みやすそうだ。言い方を換えれば、おかずばかり食べていればいいというなんとも贅沢な話だ。しかし、ラーメンやおにぎり、そしてサンドイッチやスパゲッティが食べられないのは辛いことかもしれない。  また、いくら穀物を控えたとしても、肉や魚を食べ過ぎてもいけない。カロリー制限は長寿の秘訣であることは、マウスの実験でも明らかにされているそうで、原始人食という限り、ある程度空腹・飢餓状態が必要で、それにより細胞が活性化されて、健康で長寿を満喫できるそうだ。  マックやジョルビーでハンバーガーを食べて、フレンチフライをつまんで、砂糖たっぷりのコーヒーやコーラを飲んで、さらに、おやつにポテトチップを食べていつもお腹一杯、なんて食事が最悪であることは言われなくてもわかる。穀物を植物油であげたジャンク・フードがフィリピンのコンビニにはあふれているが、これは、やがてフィリピンの子供達の健康と精神を破壊するに違いない。だから、KIANがジャンク・フォードの袋を抱えていると、周囲に私から檄が飛ばされ、家の中からジャンク・フードが追放されるのだ。 […]

肺炎にかかってしまいました(その2)2013年7月14日


6月20日(木)、GMAの取材があった翌朝、ベッドの中で悪寒が走った。見る見る熱が出て、節々が痛む、熱も38度あり、典型的な風邪の症状を示した。これはやばいと思ったが、一眠りして汗をびっしょりかいたら、症状は治まっていた。ほんの数時間の出来事だった。しかし、息を大きくすると右胸の肋骨あたりが痛む。ちょっと心配になって午後から日本人会クリニックに出かけて行った。  日本人医師に見てもらったが、単なる肋骨の痛みであろうということで帰っきたが、そのとき、強い雨が降っていて、それに当たってびしょ濡れになったのが良くなかった。そして、再び、具合が悪くなって、翌土曜、日曜ともがき苦しむことになった。  6月24日(月)の朝一、早速クリニックに行って、レントゲンと血液検査をすると、すでに肺炎が悪化しているということで、入院を勧められた。しかし、入院となると、日本のテレビもインターネットも無し、しかもKIANの顔も見れないし、まるで刑務所に入れられる気分だ。医師に相談して、入院するのはベターだが、とりあえず薬を処方して、2~3日、様子を見ることでOKとなった。ちなみに肺炎のことを英語でPheumonia(ニューモニア)ということも医師から教わった。これから皆に病状を説明するのに必須だ。  そして、6月26日(水)、2日後に診察してもらうと、劇的に回復していて、この調子なら1週間も静かにしていれば、良くなるだろういいうことだった。もちろん入院の必要ない。そして、さらに6月29日(土)に診察してもらったら、1週間後の7月5日(金)には全快宣言が出せるであろうとのことだった。  7月5日(金)は、友人と全快祝いにエア・フォース・ワン(フィリピンでナンバーワンといわれるナイト・クラブ)に繰り出そうかとを計画していた。しかし、まだレントゲンに影があり、肺炎が完治していないということで、もう1週間薬を処方され、全快祝いはお預けとなった。しかし、体調的にはほとんどよくなっており、半日程度の外出は可能で、徐々に仕事には復帰していった。ただ片肺で酸欠のせいか、2~3時間、机に向かったり、外出すると疲れを感じることはあった。  ここで問題が発生した。私の部屋のテレビがケーブル・テレビ局の不調で見れなくなってしまったのだ。安静にしていろといわれても、大分体調が回復しているので、そうは寝てもいられない。テレビでも見て、ベッドでゆっくりしていたいところだが、そのテレビが映らなくなってしまったのだ。後、1週間(7月 15日)の全快予定まで、どうやって時間を過ごすか悩ましいところだ。  私も今年から高齢者(65歳以上)の仲間入りをした。今まではちょっとした風邪で済んでいたものが、肺炎という、高齢者の死亡原因として良く聞く病気を簡単に患ってしまった。今までの様に休みもなしに仕事をして、毎晩ビールを4~5本飲んで、タバコも吸う、夜遊びもそこそこにこなすなんて生活からはおさらばしなければならないだろう。しかし、そうなったら、逆に男としての活力まで失われて、一気に老け込んでしまうのではないかと心配ではある。  ところで私は無保険だ。住民票を抜いているので、健康保険には加入していない。また、当地でも医療保険には加入していない。今まで、生命保険も含めて考えると2千万円近いお金を無駄にしてきたということへの反省で、保険は損をするという通念があるためだ。当地での医療保険は入院などの大病だけをカバーするなら、年間、十数万円(60歳程度の場合)で済む。今回は通院なのでカバーされないが、入院したとするとカバー範囲だ。しかし、それでも掛け損になるには目に見えているので、手を出していない。ちなみにこの医療保険は民間だから、年を取っていつも病気がちの状態になるころには、掛け金は幾何級数的に高くなる。  今回かかった費用は、クリニックの診療代が6回で15000ペソ程度、薬代が7000ペソ、合計で22000ペソ、約5万円だ。もし、入院していたとすると、最低でも15万円程度はかかったろう。これを日本と比べたらどうなるか定かではないが、健康保険に加入していたとしても自己負担で5万円以上にはなるのではないか。しかも肺炎となれば、必ず入院させれるから、医療費全体としては数十万円に達していただろう。  今回は、無保険という状況から、医師とも相談して、自宅療養とした。その結果、3分の一程度の治療費で済んだ。また、今後は病気にかかるまいと健康への注意も怠らないだろう。自助努力で医療費は数分の一にも減らせることができるはずだ。であれば、保険にかかるよりも安く済む。  日本では健康保険の制度が徹底しているから、病院の医療は神の領域で医師のいいなりの治療が行われる。患者の負担はさほどでないから、医師が勧める治療をNOと言う人はいないだろう。終末治療も同じで、いわば、垂れ流しの治療が行われる仕組みができている。それが国保、あるいは健保の破綻を促しているのだ。   日本の健康保険はすばらしい制度ではあると思うが、それだけに人々から医療費を節約しようというインセンティブを奪ってしまっている。生活保護も一緒で、働くよりも生活保護を受けたほうがいい生活ができるという矛盾が生じて、働ける人の働く意欲を削いでしまっている場合がある。年金についても、それがあるがゆえに核家族化が進んで、逆に高齢者を家族から追いやっている側面がある。その辺に日本の福祉というものを考え直す余地があるのではないだろうか。要は自己責任という世界だ。   療養中、いつも姉のキムと一緒に私の部屋に来て、お見舞いがてら遊んで行ったKIAN。これが唯一の慰めであり癒しだった。

肺炎にかかってしまいました 2013年7月7日



人類の死因の第一位を占める癌。考えようによっては戦争や災害あるいは原発よりも恐ろしい人類にとって最大の脅威であり敵である。しかし、癌は外部のウイルスや病原菌、あるいは毒物が入り込んで発症するのではなくて、人体の細胞の変異によって発症し、人体そのもののが敵となるために、なんとも対処が難しい存在だ。   最近やっていたNHKスペシャルで、癌の原因が、人間の進化、特に脳の発達と生殖活動に起因するという興味深い話をしていた。すなわち、脳の発達に必要な物質をFASという細胞が作り出し、それが同時にがん細胞の成長に必須の栄養素となるのだそうだ。また、精子の増殖は癌の増殖の仕組みと一緒で、ともに人間が人間たるゆえの特性で、そのために人間は、他の動物に比べてはるかに癌に罹病する確率が高いという。まさに癌は人類が進化したゆえに抱え込んだ体内爆弾=宿命なのだ。 カーネルの姪の結婚式に彼の姉妹や子供達がマニラにやってきた。多くの観客を迎えて踊りを披露して喝采を浴びるKIAN  脳の発達とがん細胞の成長の話は、さておいて、癌と生殖の因果関係は、興味のそそられる話だ。人類とチンパンジーは700万年前、共通の祖先から枝分かれして、独自の進化の道を歩んだ。そのため、人類とチンパンジーのDNAの違いはわずか1%だそうだが、その違いの中に癌をめぐる運命的な相違が隠されている。  チンパンジーのメスは、さかりがつくと、生殖器を膨らませて、オスにアピールする。オスは、それを見極めて、効率的に交尾をする。オスのプロポーズは、メスに食料を分け与えることで、お礼に交尾をさせてもらう。しかし、人間のメスは、したたかな策略を弄し、さかりがついた時に生殖器を膨らませてオスにアピールすることをやめた。そうなると、オスはいつ交尾をしたらよいかわからなくなり、のべつ幕無しにメスに交尾を迫らざるを得なくなった。そうしないと、自分の子孫を残すチャンスがなくなってしまうというわけで、結果的に年がら年中オスはメスに食料を分け与えるはめになったのだ。  農場から息子が4人の連れを伴って戻ってきた。今回は皆にはじめての飛行体験をさせるという豪華なご褒美付だ  それがメスの狙いだったが、メスにも事情があった。2足歩行を行うことにより飛躍的に脳が発達して、知恵を獲得した人類であるが、それがゆえに、産道が狭まって、赤ちゃんは未熟児状態で生まれ、数年間は母親の手厚い保護を受けなければ生き延びることができなくなった。その間、メスは自らが食料を確保することができないから、オスをたぶらかして、自分とそして赤ちゃんの食料を確保する作戦に出たのだ。  子孫を残すために、スケベという宿命を神から授けられたオスは、一日中狩をして、メスに食料を貢がなければんばらないという悲しい運命を背負ってしまった。これが、男女の関係の根源的な本質で、要は、メスが食糧確保のためにオスをスケベにして、そのスケベが癌の増殖の元になってしまったのだ。 息子の歓迎会はピザパーティ。お祝いはいつも自分のためと思っているKIANは大喜びのポーズをとる  ところで、スケベと癌と何の関係があるのだろうか。四六時中セックスをしなければならないオスは、メスを妊娠させるために精子の果てしない増殖に努めなければならなくなった。この果てしない無秩序な増殖こそががん細胞のそれだったのだ。だったら、オスだけが癌にかかるのか、という疑問が生じるが、オスとメスの違いは、それこそ、コンマ1パーセント以下のDNAの相違だから、癌になりやすい資質としてはメスもオスも一緒だ。メスの癌といえば乳がんや子宮ガンが圧倒しているが、これら生殖器に癌が集中するというのも合点がいくところだ。  人類が子孫を残そうとする資質が、癌にかかる確立を高めてきたということは、何か皮肉だが、ものごと、いいとこ取りばかりはできず、そのうらに隠されたリスクも抱え込まなければならないということを示唆している。まさに人類の繁栄は癌になりやすいという代償を持ってなしえたのだ。 ゲームとなるとKIANの出番だ。息子のタブレットに興味深げに挑戦するKIANだ  癌にかかるリスクを増大してまでも進化させてきた男のスケベと女の打算。これこそが恋愛の原動力であり、駆け引きであり、男と女のLove Gameなのだ。日本ではこの男女の関係にいろいろとややこしい人的要素が加わって私にとってすでに理解できないものになっているが、敬虔なクリスチャンであるフィリピン人は、神の教えに基づいて、男女の基本的関係を守り続けている。  婚姻を証明する書類のことをフィリピンでは婚姻契約(Marriage […]

フィリピン流恋の手ほどき(その4,癌とスケベと女の打算)2013年5月26日


先日、フィリピンの介護施設にお父さんを入居させるので、退職ビザの世話をして欲しいとの依頼があった。軽度の認知症だが、お母さんとの二人暮しで、子供達はそれぞれの生活があって、一緒に面倒を見ることはできない。高齢のお母さんは介護疲れでほとんどノイローゼで、もはや我慢の限界だという。もちろん訪問介護のサービスをも受けているが、体格の良い大柄の夫を高齢の身一つで24時間、休み無しで面倒を見るのは容易なことではない。  公共の施設を当たってみたが、まだ入院させるほどの認知症とはいえないと門前払いをくらい、申し込みさえもできなかった。特養などは、どこも数百人~数千人の順番待ちで問題外(待機者は全国で42万人にのぼる)。私立の施設に入れようものなら、経済的に子供たちすべての家計が成り立たなくなってしまう。そこでたどり着いたのが、フィリピンでの介護だ。フィリピンでは唯一ともいえる外国人向けの介護施設を見つけ、そこに入れることとなった。1ヶ月だけと、騙し騙し連れてきたそうだが、認知症の親を日本で家族が自力で面倒を見ることは並大抵な事ではなく、家族崩壊の危機に直面せざるをえない。その解がフィリピンにあったのだ。  先ごろ、大学の先生が、フィリピンの介護施設の現状についてヒアリングにやってきた。私の回答は以下の通りだ。 ①フィリピンでは介護施設は成り立たない。現にいくつもの日本人向け介護施設が作られたものの、どれも介護施設としての運営が成り立っていない。あるいはアモーレの里のようにあれほどまでに立派な施設を作ったにも関わらず、運営をスタートさせることさえもできなかった。 ②フィリピンには介護ビジネスの市場はなく、身寄りのない介護老人を収容する公的な施設があるものの、とても日本人を収容できるような代物ではない。そのようなところで、日本人向けの介護施設を作っても、ローカルの需要がないかぎり運営していくことができるだけの介護老人が集まらない。 ③介護老人を抱える日本の家庭がどんなに惨憺たる状況にあったとしても、自分の親をフィリピンに送り出すというような発想を持つことができる家庭はめったにない。自分自身がフィリピンで暮らそうと決意することさえもよほどの勇気と努力が必要なくらいなのにだ。 ④今まで作られてきた日本人向けの介護施設は、大きな投資を伴うだけに、意外と高額で、特に部屋を買いとらならなければならないので、数百万円の初期費用が必要で、日本の公共施設並みというわけには行かなかった。特に、国の補助も介護保険も利かないから、大きなメリットを見出すことができなかった。 ⑤現在、フィリピンで唯一の介護施設と、運営者が豪語するWellness Place (ケソン・シティ)は借家と住み込みの介護学生などを利用してグループホーム的に運営して、比較的安価な価格でサービスを提供している(介護の程度により、5~8万ペソ)。ここでは外国人の親、あるいは海外在住のフィリピン人の親などを収容している希少な施設だ。  ここは一般の住宅を借り上げて介護施設としているために、高級住宅街に住んでいる気分で、違和感がない。それに、特に介護老人だけが収容されているという施設ではなく、一軒に3~4人お年よりが、介護士の世話で暮らしているという、いかにも普通の生活がここにはある。特に、そのビリッジ内には老人医療を専門とする医師であり運営者のDr. Delizoが居住しているので、医療的にも安心だ。  フィリピンで暮らし、骨を埋めようとしたら、フィリピンに家族と呼べるような人が必要だ。それには長い年月と彼らの本当の信頼と愛が必要だ  それでは、何故、フィリピンでは介護ビジネスが成りたたないのか。  ① フィリピン人は、年老いた親を家族の宝として大事に扱い、自分の親を介護施設に送りだすなどという発想はない。それに大家族なので人手はいくらでもあり、年老いた配偶者が一人で面倒を見なければならないというような状況はありえない。  ②仕事や子育てなどで、家族が介護が必要な親の面倒を見ることができないとしても、宿と食事にちょっとした小遣いをやれば、人ではいくらでも集まる。メイドやヤヤ(子守)を雇うとしても月々数千円~1万円でことが済むから、人手不足の問題はない。ここでは人口が多くて貧しいということが逆にメリットになっている。 […]

フィリピンの介護ビジネスの現状 2013年5月19日