提言・提案


最近NHKで、実質婚(あるいは事実婚)というテーマの番組をやっていた。法的な婚姻関係にはないが、実質的に婚姻関係にある場合の損得についてだ。かつては内縁の妻、あるいは夫と称していたものだが、最近は内縁という響きがよくないためか実質婚(事実婚)と称しているようだ。  熟年になって、離婚あるいは死別によって配偶者を失った親が、子育ても終わり、その後の長い老後の人生のパートナーを求めて、お見合いなどで婚活、そして結婚するということが多いそうだ。しかし、結婚となると相続の問題やら、相互の子供達の関係で、色々ややこしいことが多い。そのため、法的には婚姻関係にはないが、実質的な結婚生活を行うという選択をするようだ。  仮に法的に結婚して、どちらかが亡くなった場合、なくなった配偶者の子供に義理の親の扶養義務が生じるため、子供達は結婚に反対することが多い。また、親の遺産が見知らぬ人間に持っていかれてしまうのも子供としても納得できない。しかし、実質婚ならその面倒もないので、子供の理解が容易に得られるというわけだ。  核家族ないし家族崩壊の進む日本で、いかにもありうる問題だが、親の面倒でさえ嫌う子供達が余計なお荷物を背負いたくないという、いかにも考えそうな、なんだか寂しくなる現実だ。一方、子供たちに迷惑はかけたくないという親達が、残りの人生を一人で生きるのは、あまりに寂しいから、熟年でパートナーが必要とするのも理解できる。  かつては日本も、配偶者を失った親たちは、子供そして孫と生活して、何の寂しさを味わうこともなかった。しかし、子供や孫との同居することが普通でなくなってきた日本の家族では、親としても新たな核家族のメンバーが必要となっているのだ。  日本の熟年独身男性が老後のパートナーを求めて、若いフィリピーナと結婚をするケースが多い。自分より、二回りや三回りも年下なら、自分より先に死ぬことはない、しっかり介護もしてもらえるという、なんとも身勝手な理屈だ。一方のフィリピーナは日本人と結婚すれば、日本に行けて、フィリピンに残された家族の生活も面倒見ることができるという、かたぎな覚悟=打算で結婚に踏み切る。さらに、どうせたいして長生きもしないだろうから、いずれ、晴れて自由な身になり、新しい夫を見つけて、ばら色の人生を歩めるであろうという淡い夢を見ていることだろう。まさに実質婚に対して形式婚というわけだ。  お互いの目論見=打算が一致して、結婚にいたるだが、果たして、そんな結婚生活がうまく行くのか、多いに疑わしい。しかし、まさに、この形式婚を二人の努力でいかに実質婚に熟成させられるかが鍵だ。  フィリピン人にとって、家族とは両親、兄弟、自分と兄弟の配偶者、自分と兄弟の子供達等々と範囲が広く、軽く2-30人に達する。ファミリーメンバーの関係も、実質、形式、血のつながり、その他成り行きなど種々雑多だ。それらが運命共同体として助け合って生きていく  フィリピンでは離婚という制度がない。アナルメントという「裁判官がその結婚が不当で初めから存在していないと判定した場合、婚姻を解消できる」という制度がある。しかし、数百万ペソの費用と数年の歳月を要するために、よほどのお金持ちでないと離婚はできない。だから、結婚をしていても、もはや実質的に婚姻関係にない夫婦が、それぞれ別の家族を持ち、生活しているという、ややこしい夫婦がたくさんいる。  一方、離婚はできないとか、夫婦の資産は共有とか、面倒な規制がある法的な結婚(形式婚)を嫌って、はなから実質婚を行う傾向もある。実質婚でも実質的に家族を形成し、なんら普通の結婚と変わらない結婚生活を送り、子供も作る。お互いの家族との交流もなんら変わるところがない。これは、両者がある程度の社会的ステータスがある場合などに見られるようだ。  そもそも法的な結婚とは何なのか。結婚生活が破綻して離婚という羽目になったときの離婚調停やら愛し合っていたはずの夫婦の憎悪と確執は一体何なのだろう。元々実質婚だけであれば、恋人同士が別れるときのように、しばしの涙ですんでしまうだろう。  そもそも結婚とは、愛し合う男女が共同生活をして子供を作り、家族が形成される、さらに子供が配偶者を向かえ、孫を作り、皆で育てる。そのような共同生活を送り、日々の糧を共同あるいは分業して得るという人類の最小限の共同体だ。それは自然発生的なもので、別に法律であれやこれやと規定しなくても自然のルールというものがあるはずだ。紙に書いたルール=法律が、時代が変わって現状にマッチしなくなったとしても別に不思議なことではない。 ゴメス一家の大黒柱のジェーンは一家を見事に統率しているが、ジェーンの一粒種のKIANは将来の大黒柱の期待を一身に背負い、プリンスとして君臨する。三才の誕生日には一族がかけつけて未来のKINGを祝う  ジェーンの長兄のダシンは形式婚と実質婚が見事に合致した理想の家族だ。二人は幼馴染が結婚し、3人の子供をもうけ、お互いに他の異性を知らないという絵に描いたような夫婦だ。子供達も、とても優しい聡明な子供に育っている。ところが最近、長女のバネサ(17才、大学1年生)が同級生と恋に落ちて、ジェーンが徹底的に妨害し、母親は理解を示すものの、父親はジェーンの命を受けて反対し、バネサは見る影もないほどにやせこけてしまう、という問題に直面している。恋の相手は中々聡明な男子だそうだが、スコーターの極貧の子で、そんな恋はバネサの将来にとって百害あって一利無しと、ジェーンが認めないのだ。  次兄のアランは、たまたま遊びの相手にした女を妊娠させて、ジェーンが強制的に結婚させた。3人の子供までもうけたものの、実質婚といえるにはほど遠く、やがてアランは別の女と一緒になり、中むつまじい実質婚生活を送っていた。可愛い女の子までもうけたが、実質妻はガンで他界し、子供達を形式妻の実家やマミーに預けたまま、アランはあらたな相手を見つけて実質婚をはじめている。件の形式妻は、やはり別の男と実質婚生活をしている。 […]

実質婚と実質家族 2013年5月18日


大分前、NHKで、「男は視覚で恋をする、女は理性で恋をする」というテーマの番組をやっていた。男女の恋愛を学術的な観点に立って解析したものだ。  この恋愛の原理は、その後、私が、男女の問題を考える上での基本となっている。欧米や日本では、男女の関係は、人工的な文明(?)が大分入り込んで、ややこしいものになっているが、フィリピンでは、神の教えを忠実に守っているので、この恋愛の原理が適用できて、わかりやすい。  フィリピンでの恋愛の一般原則は、ブログ「フィリピン流恋の手ほどき(その2)」で取り上げたが、今回はより、具体的な問題に論及する。  マム・ジェーンの姪子たちは、16~17歳と、胸も膨らみ、お尻も、もっこりし始めて、いよいよ、男の視覚を刺激するお年頃になってきた。18歳未満のマイナーとのセックスは、それが合意のうえでも、いたした男は罪になる。ということは、それだけ、この年ごろの女性は、男に狙い撃ちにされ、社会は、それを法律で取り締まってでも阻止しなければならないという訳だ。  マム・ジェーンの度重なる注意にも関わらず、姪子たちは、皆、ボーイフレンドができていた。そもそも、あの携帯電話というやつが、男の恋のアタックを容易にする。執拗なテキスト(メール)に、女は身も心もとろける。このころの、さかりがついたばかりのメス達(失礼)は、まだ理性というものがない。男の甘い言葉に、メスとしての生殖本能を呼び起こされ、彼女たちは、これが純粋な「愛の世界」だと勘違いして燃え上がる。彼女たちは携帯を一時も離さず、彼からの甘い言葉を待ち続ける。といっても、「I love you」とか、「Mahal Kita」とか、「I miss you」などの単純な言葉を並びたてているだけなのだが。その点、カーネルが、娘のキム(17歳)には携帯を持たせたないという強硬手段に出ているが、さすが警察のやることは違う。 そんな男の甘い言葉にほだされて男の求めに応じ、なけなしの処女を提供してしまう少女が多い。高々16~7歳のハイスクールの男子生徒に扶養能力があるはずもなく、女が妊娠すると、男は逃げて、女は、出産そして花街への転落というお決まりのコースをたどる(フィリピンで、避妊は宗教上嫌われ、堕胎は法律で許されないため、セックス=妊娠=出産となる)。  そして、女は、花街で、スケベ親父の相手をしながら、はじめて、「恋は、理性でしなければならない」と悟るのだが、すでに時遅しだ。こんな年齢の恋は単なる「青春の甘酸っぱい一ページ」で終わるのが一番いいのだ。へたに成就すると一生涯、悔やんでも悔やみきれないことになる。  マム・ジェーンは姪子達にボーイフレンドがいることを悟り、再び訓話を施す。「もし、男に処女をささげたのであれば、その男の元に行け。学校の費用や生活の面倒はもはや見ないから、勝手に生きていけ。それがいやならボーイフレンドとは即刻別れろ」と。マム・ジェーンに見放されたら、甲斐性のない両親では大学進学は夢の夢だ。そうしたら、自分の未来がないことぐらいは彼女たちにも理解できる。大学1年のバネサ(写真、左、17歳)は早速、ボーイフレンドと別れることを決意したそうだが、果たして本当に別れるのだろうか。  たとえ、ボーイフレンドの元に走ったとしても、フィリピンでは、男に甲斐性がなくて、女が一家の生計を支えていかなければならないことが多い。教育がなければ、メイドあるいはデパートの売り子くらいしか働く先がなくて、一家で食っていける収入は得られない。そうなると、女が稼げるのは花街くらいになってくるが、それでもそこそこのご面相が必要条件となり容易なことではない。  娘の母親たちは、恋に落ちた娘の行く末を十分承知しているから、理性をもつように導こうとする。しかし、母親とボーイフレンドのはざまに立った娘は、えてして、黙っていればわからないと、突っ走ってしまう。ところが、そのうち、出っ張ったお腹を隠すことができなくなり、すべてがあとの祭りとなる。 […]

フィリピン流恋のてほどき(その3, 女は理性で恋をする)2013年1月3日



  最近、韓国の大統領選で与党候補のパク・クネが僅差で勝利した。かつて、韓国の独裁政権、朴大統領の娘だ。20代から父親をサポートして政界に入った超エリートだそうだ。   日本では、民主党の総崩れで、自民党が圧勝、安部政権が発足した。政治の話は苦手だが、自民党であろうが民主党であろうが、やることは同じだから、日本の向かう先はなるようになるしかないだろう。それに引き換え、民主国家の首脳は例外なく直接選挙で選ばれるので、意気込みが違う。  先に、アメリカはオバマ大統領が現職の強みで圧勝した。また、中国では習近平が総書記に就任し、トップの座についた。さらに、北朝鮮ではキム・ジョンウンが父、キム・ジョンウィルのあとをついだ。昨年はフィリピンの大統領にコーリー・アキノ元大統領の息子、ノイノイ・アキノが就任し、ロシアのプーチン大統領の返り咲きを含めて、日本を取り巻く国々の首脳がすべて交代した。そこで目立つのが2世首脳が多いことだ。韓国の朴大統領、北朝鮮の金正日、フィリピンのアキノ大統領の父親、ニノイ・アキノはマルコス独裁政権の宿敵だった。 さらに、インドネシアのスカルノ、ベトナムのゴ・ジンジェム、中国の毛沢東、ソ連のスターリンなど、日本を取り巻く国々は、第2次世界大戦後、ほとんどが独裁政権だった。こららの国々は独裁を脱却して以降、著しい経済発展を遂げているが、シンガポールのリー・カンユー、マレーシアのマハティールなどは独裁政権のもとにいち早く後進国・発展途上国を脱却した。さらに、現在、中近東では独裁政権打倒の嵐が吹きまくっており、やがて、発展途上国の仲間入りをするだろう。 幸い、独裁政権の恩恵(?)にあずからなかった日本はいち早く先進国の仲間入りをして、経済発展を遂げた。しかし、成長のピークを過ぎ、さらに3.11の深手を負って日本の経済は急坂を転げ落ちている。そんな状況で、自民あるいは民主どちらにせよ、特に歴史を背負うわけでもないこれらのサラリーマン首脳は、国の発展を背負ってたつ周辺諸国の首脳に立ち向かって、日本の国益を守り、あるいは日本を復興、そしてさらなる発展に導いていけるのであろうか。  一方、フィリピンは株価が毎日のように史上最高値を更新するという状況が続いている。庶民の生活に大きな変化はなく、スコーターは相変わらず健在だが、着実に経済が発展していると感じる。それのもまして、頼もしいのが若者そして子供が国中にあふれていることだ。日本では社会の仕組みからして子育てはできない状況に陥っているが、フィリピンでは、人口抑制法案がやっと通過したくらい、子作りの勢は止まらない。国の基本である人がいなくなったら社会はおしまいだ。フィリピンなら、誰が大統領になろうとも今後、逞しく生き延びていくだろう。そして、日本がフィリピンの後塵を拝する時が、いつか来るかもしれない。

政権交代の行方 2012年12月26日


 最近、NHKで「シングル・マザー」の番組をやっている。毎週、月曜日、沢口靖子が主役で、日本のシングル・マザーの困難な日常を追い、母親一人で、子育てをしていくことの難しさを描いている。往年の美人女優の沢口靖子がいかにも惨めな役をこなしているが、ちょっと見るに忍びがたい。おおかた、日本のシングル・マザーはこんな状況にあるのだろう。  私が、子供のころ、戦争で夫を亡くした母子が暮らす母子寮というのがあって、クラスに数人、そこから通っている生徒がいた。皆、なんとなく不潔で、一種独特な雰囲気をかもし出していた。小学校のまん前には、政府が貧困家庭に安価ないし無料で住宅を提供していた営団(エーダン)住宅あったが、フィリピンのスコーターほどではないにせよ、一種独特な雰囲気をもった街並みだった。戦後の日本経済の復興で、このような施設は姿を消していったが、シングル・マザーという形で復活し、200万人を超える生活保護を受ける人たちとともに、貧困層を再形成している。  日本では、高校生や、未婚の女性が妊娠すると、ほとんど宿った子供をおろしてしまうから、このような状況におかれる女性ははまれだろう。出産後、何らかの事情で、夫あるいはボーイ・フレンドと別れるような状況に陥った女性が、シングル・マザーになり、苦難の道を歩むのだろう。 自分専用の机に食事を持っていって、鳥のから揚げをピストルに見立てて、狙い撃ちをするKIAN  問題は、母親の家族はどうしているのか、ということだ。NHKの番組にしても、そこに母親の家族の姿は描かれていない。子供のおじいさんやおばあさん、あるいは母親の兄弟姉妹はシングル・マザーに手を差し伸べないのだろうか。たとえ父親がいないとしても、次代を担う立派な家族の一員であることには変わりはないはずなのにだ。  一方、堕胎が法律で許されず、宗教上避妊も憚れるフィリピンでは、女性が妊娠したら、出産する以外に方法はない。だから、フィリピンでは高校生など10代でシングル・マザーになるケースは枚挙にいとまがない。この世代の男は、ひたすらやりたいだけで、成人男子としての自覚はないし、扶養能力はない。だから、ガール・フレンドが妊娠したら、さっさと逃げてしまうのが通例だ。中にはパーティなどでよっぱらって寝込んだ女の子を集団でレイプして、誰が父親かもわからない、なんてけしからん話もある。 ヤヤと姉のKIM、従妹のALYAと食事にでかける KIAN。ママがでかけていなくてもヤヤや姉に囲まれて彼は幸せだ   したがって、花街の半数以上の女性はシングル・マザーと言っても過言ではなく、これらの女性は子供を養うために、たとえ、売春婦にまで身を落としたとしても、逞しく子供を養っている。しかし、母親が働いているとしたら、当の子供はどうしているのだろう。フィリピンでは、家族が赤ちゃんを宝物のように大事にするから、全く問題ない。母親が、花街で鼻の下の長いおやじの歓心をかっている間、しっかりと家族に見守られて、育っているのだ。  こんな女性の生きがいは子供だ。「男には、もうこりごりだ、二度とボーイ・フレンドなんかいらいない」、と口をそろえて彼女達は語る。そもそも、セックスそのものが子供を作ることが目的で、ボーイ・フレンドや結婚などは単なる子供をつくるための手段だから、女にとって、子供さえあれば、十分満足なのだろう。金のない亭主や無責任なボーイ・フレンドなどは無用の長物なのだろう。 腹違いの姉のKIMは若干16歳のカレッジ1年生だが、この年でシングルマザーになって花街に身を落とす女性もざらだ。彼女は父親のカーネルに厳しく監視され、携帯ももたせてもらえない、ボーイ・フレンドなんてもってのほかだ。  そもそも動物界では、メスは、さかりがつくとオスを迎え入れ、妊娠したら、オスなどは相手にしないばかりか、当のオスに対してでさえも子供を守るために牙をむく。所詮、オスは種付けだけのために存在しているのであって、カマキリのように、種付けを終わるとメスのえさになってしまうという、あわれなオスも存在するくらいだ。  シングル・マザーであろうがなかろうが、子供さえ無事に育てば、種(シュ)は維持される。カップルで子供を育てるか、母親だけで育てるかなどは、たまたま、その時代の慣習であり、種の保存にとってあまり本質的な問題ではない。フィリピンでは家族で子供を育てるから、シングル・マザーであろうがなかろうが、種は維持される。一方、堕胎や虐待で子供を殺し、生まれてきた子供はカップルでないと育てられない、なんていう日本は、日本民族という種を維持できるのかどうか、極めて疑問だ。

日比シングルマザーの悲哀 2012年11月28日



   2才を過ぎて、KIANの会話能力は目覚しい成長を遂げているが、着目すべきことは、周囲は、彼に英語で会話をさせようとしていることだ。彼は、近所の子供や、大人の会話から、すぐにタガログ語を覚えて来て使う。  たとえば、「後で」は、タガログ語で「ママヤ」と言うが、何か言われて、やりたくないとき、KIANは「ママヤ」と答える。そうすると、ママ・ジェーンは間髪を入れず、「LATER」と、切り返す。そうするとKIANは、とっさに「ママヤ、レイター」と言う。おまけに「ママヤ、レイター、アトデ」と、切り返すこともある。 パソコンのゲームや映画が大好きのKIAN  KIANは、あきらかに、それらの言葉が同義語であることを理解している。周囲は、彼に英語で話しかけることを心がけている。ヤヤ(子守)や姉のキム、従妹のアレア(7才)もしかりだ。ただし、私だけは、日本語と英語とタガログ語のちゃんぽんだ。KIANが2才で話し始めたころはタガログ語だけだったが、保育園に通うようになって、授業が英語であること、周囲の子供が英語を主体に話すことなどから、KIANの英語特訓も始まった。  特訓といっても、日常の会話を努めて英語にしているだけで、特別の勉強をしているわけではない。紙に文字で書いても理解できないから、当然のことではある。しかし、最近は英語主体で「Yaya very bad,  hit Kian 」などと、英語でママジェーンに嘘をつく始末だ。 最近は和食レストランの「サイカ」がお気に入りだ。    ママジェーンの英語での問いかけも十分理解しているようだ。 「Did you […]

KIAN 2歳と8ヶ月の英会話学習 2012年11月26日


   若かりし学生時代、「人は何のために生きるのか」という命題に取り付かれていた。小学校、中学校、そして高校時代は、学業、受験に追われて、そんなことを考えるゆとりもなかった。そして大学に入り、親元を離れて自由になってきたとき、「自分は一体何のために生きているのだろう」という疑問をもち始めた。一生懸命勉強して、良い大学に入り、一流企業に就職することが、一体、何のためなのか。親の期待に答えるためなのか、自分の将来のためと親は言うが、納得できない。 街で見かけたGTR。前から見たら、見かけないスポーツカーだったが、後ろから見たら一目でわかった。幻の名車、ニッサンGTRだったのだ。フィリピンで買ったら雄に1000万円は超えると思うが、こんな車をあえて輸入して乗り回す人がいるのだ、と感心すること仕切りだった。   そしてたどり着いた結論が「人は何かのために生きるのではない、いかに生きるのか、が問題なのだ」というものだ。生は自分の意志で与えられたものではない、自分が今こうしているのは親の意志ではあろうが、誰もこの自分が生まれてくることは知らず、自分がこの世に生まれてきたのは、自然の営みと偶然の産物なのだ。それを、とやかく言っても始まらないから、生まれてきた以上は、いかに生きていくことが問題なのだ、と。 生後6ヶ月、70kgくらいで豚は短い一生を終え、人の胃袋に入るために、とさつ場に送られる。輸送は生きたままで行われるが、これが腐敗を防ぐ最も有効な運搬手段なのだ。 そして、息子が、そんな年になった時、私に質問してきた。「人は何のために生きるのだろう」。そして私は「若いころ、同じことを考えたが、結論は、人は何のために生きるのではなくて、いかに生きるかが問題なのだ」と答えた。それから、息子は二度と質問せず、なにか吹っ切れたような雰囲気だった。  ところが、老境の域に差し掛かった今、考えが変わってきた。「人はいかに生きるのかが問題だ」は、間違っていないとしても、より正確には「人は他人(ヒト)のために生きるのだ」が今の悟りだ。そして、「他人(ヒト)のためになってこそ、人生のいきがいであり、喜びなのだ」と。 保育園でKIANが製作した粘土の絵。自分自身で全部やったとは信じがたいが、KIAN、2歳と7ヶ月の傑作だ。  人は子供時代を終えると、まず興味を覚えるのが他人の女性だ。若いときの思い出は、ほとんど、女性が絡んでくる。ほれた女性に自分の一生をささげてもいい、なんて、しおらしい思いに駆られる。まさに他人のために生きる人生の始まりだ。彼女の気をひいて、彼女の愛を獲得して、我が物にすることに人生を賭ける。   そして、思いを遂げて結婚した後は、当然の成り行きとして、子供ができて、今度は、その子供のために全人生をかけようと、けなげな決心をする。他人のために生きる、第2弾だ。そして、子供が育って結婚し、孫ができると、その孫が生きがいになる。孫は子供よりも可愛いというが、それだけ人間として成長した証だろう。そして孫の成長を見届けて、生を終えるのだ。まさに一人前の大人に育った後は、他人(ヒト)のために生きる人生であり、他人(ヒト)の喜びが自分の喜びであり生きがいなのだ。  朝の9時にSMを覗いてみたら、入り口付近に惣菜が並んでいた。日本のデパートの主役はもはや、惣菜ともいえるぐらい、豊富で美しい、食欲をそそる惣菜が並んでいる。しかし、SMの惣菜は、お世辞にも食欲をそそるものではなかった。  しかし、姑と嫁が断絶してしまった日本の社会では、子供が結婚して独立してしまうと、生きがいを失い「私は何のために生きているのだろう、死ぬにはまだ早いし、これがどうやって生きていこうか」、と悩み始める。そんなとき、私は「人は他人(ヒト)ために生きるのだ」という話をする。そんな話を日本から来た女性と話をしているときに、マム・ジェーンに対して「人は何のために生きるのか」という問いを投げかけた。もちろん彼女は、それまで私達がどんな話をしていたか知らない。そして彼女の答えはいみじくも「People alive for other […]

人は何のために生きる 2012年11月11日



   先日、「日本を捨てた男たち」の著者でマニラ新聞の記者の水谷さんが取材協力を求めて事務所を訪問された。私がお世話した退職者でいろいろユニークな方々を紹介してほしい、というのだ。私の周りには水谷さんの著書に出てくるような困窮日本人はいないということを前置きして、最近の退職ビザを申請する方々の特徴を話した。 ①    申請者の半数近くは50歳未満の比較的若い方である。もちろん現役組だ ②    私とコンタクトをとり主体的に動いているのは奥さん(ご夫婦で申請の場合)あるいは独身ないし単身の女性。すなわち女性が半数に近く、しかも子育て真最中の方も多い ③    申請者の半数近くは、大学教授、医者、先生、大手上場会社勤務など社会的にステータスのある、あるいはあった人である ④    申請者の半数近くは退職ビザ取得のために初めてフィリピンを訪れた方々である。ビザの取得手続きをするために初めてフィリピンを訪問する方も多い  フィリピンで永住ビザを取る人は、「日本を捨てた男たち」に登場するようなジャパ行きさんの尻を追いかけてやってきた中年ないし熟年男性、あるいは老後を物価の安いフィリピンでゆったりと過ごすご夫婦、と大方の人は思っているに違いないが、少なくとも2万ドルの預託金を積んで退職ビザを取得する方々においては、これら中・熟年男性あるいはご夫婦は少数派になってしまった。 この話に水谷さんは大いに興味を持ち、是非これらの方々を紹介してほしいということになった。記事にするかどうかは別として話を聞いてみたいというのだ。さっそく、インタビューに応じてくれそうな方々にコンタクトをとってみたが、ほとんどの方が快く依頼に応じてくれた。 何か悩みでもあるのだろうか。オー・マイ・ゴッドのポーズをとるKIAN 水谷さんとは困窮日本人の話が続いたが、日本大使館は、これらの日本人が困窮に陥ったのは、自己責任を原則とし、必要以上の手を差し伸べない、せいぜい、日本にいる家族にコンタクトを取って、帰国費用の支援を求めるだけだ。しかし、あんな息子、あんな親、あるいは、あんな兄弟には、愛想をつかしているから、勝手にしてほしい、というのがほとんどの家族の回答だそうだ。また、彼らは、例え日本に帰ったとしても生活の目処は立たず、このまま、フィリピン人の世話になるしか手は無いという。 そして、大使館の邦人保護の担当官は、女の尻を追いかけてフィリピンにやってきて、持ち金を使い果たして困窮に陥るのは、自己責任の世界で、何のゆかりもないフィリピンの人々に迷惑をかけて申し訳ないとコメントする。この「迷惑をかける」という言葉に、私は、「かちっと」来た。困り果てている人に対して、支援することが、「迷惑をかける」という感覚だ。一方、日本の家族は、例え家族だとしても、この迷惑な依頼に拒否反応を示す。そして縁もゆかりもない人々に迷惑をかけていることを意に介しない。 我々日本人は子供のころから「人に迷惑をかけてはいけない」、「他人様、世間様に迷惑をかけないで生きていくことが美徳なのだ」と教えられてきた。だから、自殺する人の遺書には「迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」とつづるのが定石だ。世間や家族への恨みやつらみよりも、世間にかける迷惑を詫びるのが先決なのだ。E-メールでも英語では「JUNK MAIL、ごみメール」が日本語では「迷惑メール」となってしまう。 お気に入りのトラックの写真を撮るKIAN。最近はカメラを構えるとすぐに自分で写真を撮ろうとする。 しかし、フィリピンの人は困った人を助けるのは決して迷惑とは思っていない。困った人を助けるのは、人間としての義務であり喜びだと思っている。それが家族だとしたら、快く、自分の三度の食事も削って喜んで支援する。家族の範囲は親や子どもはもちろん、兄弟、兄弟の配偶者、配偶者の兄弟にまで及び、その数は数十人に達することもあった、としてもだ。  […]

「他人(ヒト)に迷惑をかけない」のは果たして美徳なのか 2012年11月5日


 昨夜、NHKスペシャルでiPS細胞(万能細胞)を発見した功績でノーベル賞を受賞した山中伸弥教授の特集をやっていた。従来の万能細胞(ES細胞)は受精卵をこわして作る、すなわち、自然の命から取り出すものに対して、これは皮膚の細胞を初期化して、万能細胞を作りだすものだ。したがって、患者の皮膚から作った万能細胞で、臓器や神経細胞などを作って患者の体に戻せば拒否反応もなく、倫理的問題にもならない、まさに理想の再生治療=夢の技術が実現しようとしているのだ。  さらに種々の病気のメカニズムの解明や薬のテストなども実験室で行うことができて、パーキンソン氏病やアルツハイマーなどの難病に画期的な新薬ができることが期待される。すなわち、医学会に革命をもたらす画期的な発見なのだそうだ。  一方、山中教授は倫理的な規制の議論が必要と付け加えるが、この技術を使えば、様々な臓器を作って体に組み込んだり、さらには一個の生命そのものも人工的作ることができてしまう、ということを暗に示唆しているに違いない。 赤ちゃんはまさになんにでもなれる可能性をしめた万能細胞そのものだ。  昔、手塚治虫などの漫画で見た、人工の臓器などを人体に組み込んだ、まさにサイボーグ=鉄腕アトムの世界であり、さらに、生殖というプロセスを経ないで自分の分身、クローンを作ることができるという、FS映画の世界だ。ゴルゴ13でも「毛沢東の細胞を使って毛沢東の分身を数百人作り、彼らを訓練して、理想の国家指導者を作り上げるプロジェクト」の話があった。こんな漫画やFS映画の世界が技術的に可能となったのだ。   さらに、植物の世界で、すでに実用化されている遺伝子組み換え技術と組み合わせると、超人ハルクのような生命体もできるかもしれない。また、ハリーポッターに出てくる人と動物を組み合わせた半人半獣が出現しても不思議でない。 たったの2歳半で読書をするKIAN。本当の所は何も理解しているわけではないのだが。  山中教授は、その辺の倫理規制が必要で、どこまでこの技術の利用を可能とするか、国際的な取り決めが必要だという。しかし、原子爆弾がそうであるように、独裁国家などが取り組んだら、その動きを簡単押さえ込むことはできない。独裁者は自らのクローンを作って永遠の命を保とうとするだろうし、自らのクローンで軍隊でさえ作れるだろう。「地球外でクローンを増産し、軍隊を仕立てて販売するというビジネス」の映画があったが、そこでは、彼らは生命体ではなく使い捨ての機械という設定だった。  さらに、人工的に作った臓器や神経は命として認識されず、売買され、実験や治療に使われることが是とされている。しかし、その延長線上にある一個の独立した生命体はどうなるのだろう。近未来に、生殖という過程を経て誕生した人間と、人工的に作られた人間(クローン)という2種類の人間ができて、後者は機能的には全く同じでも、人権をもたない道具あるいは機械として売買されるという状況が出現するかもしれない。現代の技術をもってすれば、これらクローンに自分が機械であるという認識を植え込み、人間に逆らうことはできないようにプログラムすることは容易であろう。(以前たしか、こんな設定の映画を見たことがある)。 最近はCARという自動車のアニメに凝っていて一日中繰り返して見ている。まさに自分がCARになった気分でテレビの中に入り込んで車を運転している。  そうなってくると、このiPS細胞を夢の技術と呼んで、ノーベル賞を与えて浮かれていていいのだろうか。この夢の技術で、本来人間に与えられた生命の限界を、果てしなく克服して、寿命を延ばしていくことが、人類全体にとって益ととなるのだろうか。動物そして人類は世代を交代することによって進化を遂げてきた。言い換えると、動物は個々の生命が次の世代を生み、自らは死んでいくことによって多様化し、環境に適応したものが生き延びて、生命の宿る地球を維持してきた。  今、人間が、自分自身の細胞で悪い部分を取り替えて永遠の命を獲得したとしたとしたら、人類は進化することを止めて、まさに破滅の道を歩みはじめることになるだろう。さらに遺伝子組み換えにより、自然に存在し得ない生命体を作り出すなど、人間あるいは動物の生命というメカニズムを人間が操れる時代が来たとすると、このiPS細胞の技術はまさにパンドラの箱を開ける悪魔の技術となってしまうのではないだろうか。

iPS細胞は夢の技術かそれとも悪魔の技術か 2012年10月22日



昨夜、NHKのクローズアップ現代で、IMFのトップが「日本を救う道は女性の社会進出だ」という提案を行っていた。日本の女性で働いているのは20%程度で、欧米の60~80%に比べて、はるかに少ない。オランダが女性の労働力の活用による税収の増加で、政府財政が黒字に転換し経済が活性化されたと紹介していた。  確かに少子高齢化で、働く層が激減し、それがまた、次の世代を担う子育てを放棄させ、悪循環に陥って、いずれ日本が消滅しかねない危機的状況に直面してる。そこで、人口の半数を占める女性が労働力として活用されれば、一気に問題は解決されるのだろう。  しかし、日本では60%の女性が結婚を契機に退職し、子育てが終わって職場に復帰しようとしても、その道が閉ざされているという。一方、男性の勤務は長時間残業が常態化し、とても育児に時間を割くことができず、妻にまかせっきり。これがまた、ますます女性の産後の職場復帰を難しくしている。  解決策としては、産後の女性の職場復帰を可能にするために、保育所の充実、パートタイマーの待遇と地位向上、フレキシブルな勤務時間制度、など、学ぶべき福祉先進国の取り組みを紹介していたが、道のりは険しそうだ。 PRAのスタッフは半数以上が女性、彼らは結婚しても出産しても決して職場を去らない。出産休暇や産後の職場復帰が制度的に保障されているだけでなく、家族という強力な子育てのバックアップがあるのだ。  翻ってフィリピンを見てみると、PRAなどの役所や銀行を初め、女性スタッフが過半数を占める事務所が大多数のように見える。また一方、女性の管理職も普通で、男性も女性の管理職の下で働くことに何の違和感もない。大統領まで女性だった位で、去年の統計ではフィリピンは世界で8番目に女性の社会進出が盛んな国で、日本は先進国最下位の98位だった。   これは、海外出稼ぎが最大の産業で、国民の1割が海外で働くとと言われるフィリピンでは、女性が国を守る必要があるからだろう。しかも、フィリピンでは、かかあ殿下が普通で一家の大黒柱を自負する妻達は、金銭的にも強い責任感があるので、子供が何人いようが働くことを厭わない。  さらに、統計的には不確かだが、フィリピンには女性が男性の3倍いるという。これは多分、働き盛りの若者のことで、海外出稼ぎのゆえの現象であろう。フィリピンにいる男性は3人の彼女を持つ義務があると豪語する輩もいる位だ。こうなると女性の労働力抜きではフィリピンの企業は成り立っていかない。 フィリピンで働く女性は、ほとんど例外なくヤヤ(子守)を雇っている。彼らは1万円にも満たない月給で 住み込みで24時間子供の面倒を見てくれるので、働く女性の強い見方だ。また一方、ヤヤ自体も立派に働いて、社会貢献をしているのだ。 フィリピンでは保育所などほとんど見かけない。家庭でおばあさんやおばさん、それにお姉さん達が子供の面倒を見てくれる。必要があればヤヤ(子守)を雇えばよい。子供の数だけヤヤを雇っても知れている。  仮に日本で月々2~3万円で24時間勤務の住み込みの子守が雇えるとしたらどうなるだろう。子育てや介護の問題は一挙に解決するはずだ。香港やシンガポールでは数万人のフィリピン人メイドや子守がその国の女性の社会進出を援護している。そしてこれらフィリピン人女性も海外出稼ぎ労働者としてフィリピン国家の財政に貢献しているのだ。  頭の固い日本のお役所がちょっと発想を変えれば、IMFのお偉方が提案する女性の社会進出が簡単に実現できるのだ。世界では月々1万円以下で働く人々が人口の大半を占めている。そして、この労働市場の開放は両国にとって計り知れないメリットを持っているはずだ。 マム・ジェーンは自分の子供(KIAN 中央)を含めて、12名の甥姪を擁し、経済的に当てにならない親達(ジェーンの兄弟)に成り代わって、全員に高等教育を授けようと意気込んでいる。子育てはもちろん、親達に任せているが、金銭的なバックボーンとなっているのだ。  日本では看護士や介護士を外国から受け入れるのでさえ、EPAなどという摩訶不思議な制度を設けて、実質的に受け入れを拒んでいる。ましてやメイドや子守などとなると、どんな議論が巻き起こるのやら見当がつかない。だから、かつて発展途上国と呼ばれた、シンガポール、香港、台湾、韓国などに抜かれ、そして差をつけられ始めているのに違いない。   そこで、着目したいのが、2030年には人口の3分の一を超えるという65歳以上の高齢者だ。65歳になれば年金が100%もらえるから、それ以降は、言い方は悪いが、社会のお荷物となって悠々自適の生活をもくろんでいる方々だ。 […]

メタボ社会は国を滅ぼす(その4‐女性の社会進出が日本を救う)2012年10月18日


  昨夜のNHKの番組によると、現在日本で生活保護を受けている人の数は200万人を越え、それに費やされる税金は3 兆円を越えるという。しかもそのうちの30万人は、働き盛りの人間だが、引きこもりなどが原因で働くことができない人たちだそうだ。このほかにも健康保険、年金、介護保険、障害者年金など、福祉のためのお金が数兆円単位で使われている。さらに東北大震災の復興予算など巨額の金が赤字国債で賄われようとしている。少子化や不景気で税金を払う人が減り続けている現状で、一体どうやってこれらの費用を賄うことができるのか。生活保護の3兆円という金額は、これだけで実にフィリピンの国家予算に匹敵するお金なのだ。 この日KIANは保育園の仲間と、ママとヤヤに付き添われて遠足に出かけた  つい先日、ギリシャの緊縮財政に反対してゼネストが行われた。国民の半数以上が公務員と言われるギリシャでは、国家予算の緊縮=公務員の削減、給与カットだろうから、公務員のゼネストも無理はない。しかし、ゼネストを打ったからといって、いくら政権が交代したとしても、財政が破綻してしまったギリシャ国家は、ない袖が振れないのが現実だ。民政一体になって解決策を見出さないと、やがて国家そのものが消滅してしまうだろう。 まずはハンバーガーの料理の実演、作っている最中から食べ始めてしまうKIAN ギリシャに続きいてスペインも怪しくなって、ヨーロッパ全体が共倒れになる恐れさえある。高齢化社会が進む日本も、これら、福祉予算が膨張して、数%ばかりの消費税を上げたところで、とても追いつきそうもない。仮にもし日本にもギリシャのような状況がやってきたらどうなるのだろうか。  当然のことながら、まずは①公務員の削減、給与カット、年金カット 次に②生活保護の人数と金額の削減、そして③年金の更なる開始年齢の遅延と支給額のカット、さらに ④健康保険、介護保険の保険料の引き上げと自己負担の増額ないし適用範囲の制限、などなど。さらにもてる者を狙い撃ちにした増税。デノミによる国の借金の帳消し。それらによて景気はますます後退し未曾有の不況がやってくるだろう。一般の人々も多くが職を失い、いよいよ貧困日本の出現だ。 次に行ったのが、Gold Locksのケーキ作りの実演。衛生帽をかぶって気分満点のKIAN 街には食い詰めた人々が徘徊し、炊き出しなど、第2次世界大戦直後のような様相と化すだろう。特に自ら生活の術を持たず、国家の生活保護や年金を頼りに生きてきた高齢者が巷にあふれかえる。これがメタボ社会の結末だ。 動物園に到着すると舞台に上がってダンスを披露。最近新しいステップを覚えたらしい。こんなKIANに、先生方は手を焼く一方、どの生徒よりも可愛がっている。  一方、フィリピンの福祉はどうなのだろう。生活保護や介護保険なんて聞いたこともない。年金や健康保険の制度はあるにはあるが微々たるものだ。要は、すでに日本に経済破綻が来た後の状況なのだ。それでも人々は明るく逞しく生きている。国をうらんだり、ゼネストや暴動も起こらない。家族の絆を頼りに生き続ける彼らの幸福度は今の日本よりはるかに上だ。 オランウータンを見つめるKIAN、最後は仲良くなって抱き合ったそうだ。しかし他の子供は怖がって決して近づかなかった 日本も、経済破綻=貧困日本をきっかけに再び、フィリピンのように家族の絆を取り戻して再生するのか、あるいはギリシャのように混乱をくりかえし、やがて消滅してしまうのだろうか。

メタボ社会は国を滅ぼす(その3-生活保護)2012年9月29日