提言・提案


  昨夜、NHKで、いじめをテーマにした特別番組をやっていた。いじめを苦に自殺する生徒は、日本ばかりでなく韓国やヨーロッパでも多発し、社会問題化しているという。学校や地域がその撲滅に取り組んでいるが、番組では各地の取り組みを色々紹介していた。例えば、スマートフォンで直接校長先生に悩みを打ち明ける仕組みを作り、そこでは早期発見や秘密厳守が大事だという。学校外のNPOに連絡を取る方法も、人に知られずに済んで効果的だという。 従妹のイアの髪を引っ張っていじめるKIAN。KIANにとっては遊びだが、いじめられ役のイアにとってはたまらない。  わが子を虐待して死に至らしめるというニュースも頻繁に聞こえてくる。地域で監視して家庭内でこのような虐待が行われていないか、早期に発見して子供を保護することが肝心だという。  そうなると日本人は、まず、母親から命を授けられても、生まれる前に殺されてしまう(堕胎されてしまう)か、無事に生まれても幼少時代は親に虐待され、青少年時代は学校でのいじめにおびえ、社会に出ると上司のパワーハラスメントで新型うつ病になる。こんな社会だったら部屋=自分の城に引きこもるか、他人や家族とも縁を切って無縁社会で暮らすしかないだろう。そしてまた、介護が必要になったら、再び施設や家庭でのいじめや虐待が待っており、介護難民にもなりかねない。そして最後は自殺か無縁死で一生を終えるのが日本人の大多数の一生ということになってしまう。 「Angry Kian Yang」言って人を指鉄砲で撃ちまくるのがKIANの怒ったときにスタイルだ。怒ると目が鋭くなってなかなか迫力がある。 番組では、いじめにせよ虐待にせよ、その解決方法としてテクニカルな方法ばかりが議論されて、その原因について全く論及されなかった。いわゆる病気に対する対処療法だけで、いじめや虐待のない社会作りという観点は全く議論されていなかった。私の子供のころは虐待やいじめなど全くなかった。なぜなかったのか、多分それは日本がまだ貧しくて、家族が寄り添って姻戚が頼りあって生きていたからに違いない。あるいは人口授乳で育って母親の乳房を知らずに育ち、コンピューターゲームのバーチャルな世界に浸り、人間同士の触れ合いに欠如して育ったからなのか。 パンシットカントン(焼きそば)と肉まんだけの粗末な食事だが(13人で1300ペソ足らず)、皆で食べることが家族の絆を養う大事な行事なのだ。 フィリピンでは虐待もいじめもない。貧しいながら皆、幸せで生を謳歌している。彼らから見れば日本はとてもリッチで憧れの国ではあるが、それは大いなる誤解の産物だ。フィリピン人にとって、深刻な問題は金だけだ。そのほかのことについては何の悩みもない。だから金さえあればもっと幸せになれると思っている。確かに正解だが、その先のことは想像がつかないらしい。 トライシクル(商業用サイドカー付のオートバイ)に親戚一同十数人が乗り込んでお帰りだ。ここには幸せが満ち溢れている。 飽食、核家族そして家族崩壊=メタボ社会という不治の病にかかった日本を救う道があるとしたら、それは貧困に逆戻りさせることだろう。最近、再上場を果たしたJAL、そしてルノーとの提携により再生したニッサンなど、再生には大いなる痛みが必要だった。これらは外部の力、京セラの稲盛会長やルノーから派遣されたカルロス・ゴーンだからこそ成し遂げられた。しかし、今、日本が外部の力=経済破綻、自然災害、放射能汚染などが原因で再び貧困に陥ったとしたら、すでに家族という伝家の宝刀を失った日本人は耐えることができるだろうか。

メタボ社会は国を滅ぼす(その2-いじめと虐待)2012年9月26日


  カロリー制限が健康で長生きの秘訣だということが通説となっているが、動物実験でも、好きなだけ食べさせたマウスとカロリーを半分程度に制限したマウスと比べて、明らかに後者が長生きをするそうだ。  ある生理学者は、カロリー制限により、細胞が活性化され、老化物質が減少し、健康で長寿が可能となると分析する。そのためには毎日、ある程度の空腹感を味わい、食後も食べ足らない程度にコントロールするのが良いという。そうすれば、いわゆるメタボとか成人病とも無縁だ。  そうなると、お腹がすいたらいつでもどこでもミリエンダ(間食)を口にして、一日に5回も6回も食事をとるフィリピン人は平均寿命が50歳代といっても無理はなかろう。しかも、甘いもの、脂っこいものが大好きときている。そういえば、街を歩くフィリピン女性の三人に二人はどう見ても必要以上に脂肪を体に溜め込んでいるようだ。 これらの写真はデバイン(マムジェーンの姪で元私のメイドでお世話になった)とKIAN、彼らはメタボの代表選手だ。  そもそも人類あるいは動物は飢餓との戦いの歴史だった。だから動物や人類の体は食料不足に対する対策は色々取ることができる。食料の豊富なときに体内に脂肪を蓄えたり、熊やリスなどの冬眠もそれだ。  ところが一方、食べ物が豊富で食べ過ぎに対処する策を全く身につけておらず、飽食はメタボと総称される種々の機能不全をよびおこしてしまう。食べ物が豊富にある限り、食いためるというのが動物の本能だからどうしようもないことだろうが。 飽食は体を蝕み、やがて肉体のいたる部分で機能不全を引き起こし死に至るわけだが、最近、このことは個々の人間ばかりではなく、人間社会にも当てはまるのではないかと思えてきた。  戦後日本は高度成長を遂げ、誰もが容易に住宅や車を手に入れて、多くの電化製品に囲まれ、贅沢とされてきた焼き肉やすき焼き、そして寿司や蒲焼も当たり前に食べるようになった。  このことは、核家族と称して、夫婦と子供1~2人程度で暮らすことを理想とし、人間社会が原点としてきた家族という仕組みの崩壊を促した。さらに人間関係が面倒くさいと、一人暮らしも増加した。要は、家族で助け合わなくて食っていけるので、人々は孤立化ないし無縁化していった。 その結果もたらされたものは、虐待やいじめ、老々介護やホームレス、家庭内暴力や閉じこもり、そして無差別殺人など弱者を排除して強いものだけが生き残る社会だ。 家族の一員として小さいころから助けあい、頼りあうという人間性を学ばないで育った人たちが大きくなって弱いものいじめをするという、なんとも情けない世の中になってしまったのだ。  さらに、生涯、結婚しない、すなわち家族を持たない人々は2030年には40%に達するという。65歳以上の老人も全人口の3分の一になると予測されている。さらに結婚しても子供を作らない夫婦も多い。そうなると子作り、子育てに励む、けなげな人々は少数派になってしまうから、少子化に歯止めがかからない。  たとえ、子作りに参加しなかったとしても、年を取れば、社会あるいは国家の負担となる。現在、生活保護を受ける人々が200万人を越え、一人当たり月々 10万円が支給されるとすると年間2兆円を超える国費が消費されている(フィリピンの国家予算をはるかに凌駕する金額だ)。しかし、少子高齢化で、社会を支える、要は税金を払う現役組/若者が減少していったら、どうやって社会/国家が成り立っていくのだろうか。 フィリピンは日本に比べたらはるかに貧しい。しかし、貧しいがゆえに強力な家族の絆に支えられて、人々は朗らかで幸せだ。虐待もいじめもない。おまけに介護施設も不要で老人問題なんてものは存在しない。日本では毎年3万人が自殺して、やはり3万人が無縁死するそうだが、フィリピンで自殺すると新聞記事になるくらいだ。 […]

メタボ社会は国を滅ぼす 2012年9月10日



 先日、フィリピンになじみの深いまだ30代の若い方から聞いた話だ。この方は既婚だが、フィリピンにガールフレンドがいた。しかし、相手が本気になって、日本にまで電話を掛けまくってくるので、手を焼いた。それで20万ペソの現金を手切れ金として渡して、別れ話をした。これだけあれば何かビジネスをはじめて自活していけるだろうとの思いやりだ。  これが大間違いだ。フィリピンでの別れ方は一切のコミュニケーションを絶つ、それだけだ。別れたい女に金をやる輩はおらず、泥棒に追い銭くらいに思っている。たとえ妊娠させてしまっても面倒を見たくないと、雲隠れする男はごまんといて、花街の身の上話のネタを提供しているくらいだ。別れようとしている女にこんな優しさを見せたら、それこそもっと惚れてくれというのと同じで、相手の心をわしずかみにするようなものだ。 某ホテルで見かけた花嫁。離婚という制度がないフィリピンでは正式な結婚にこぎつけるのは中々容易なことではない。  確かに、日本人がカラオケのGRO(ホステス)と仲良くなって彼女の身の上話を聞くと、同情して色々金銭的面倒を見てやりたくなる。さらにハイスクールも出たか出ないでは将来もないと、学校に行かせてやろうと、なんとも優しいのが日本のおじ様族だ。しかし、この若いみそらで、はげおやじの相手をしてくれるなんて、金が目当てとわかっていても、なんとかしてやりたくなるのが日本人だ。しかし、彼女達は生活の糧のために金が必要なのは当たり前としても、そんなはげおやじを本気になって愛してしまうところが恐ろしいともいえるのだが。 KIANのいとこのハイスクール4人組。彼女達の話題といえば恋愛、白馬に乗った騎士が現れるのを心待ちにしている。しかし、そのほとんどが覆面を被ったおおかみで、そんな輩から娘を守ろうとする父親との攻防が絶えない フィリピン流恋の手ほどきは、狙った獲物は逃さない、執拗に愛を告げて、熱くなったハートを花束で駄目押し。KIANはすでにその辺を心得ているようだ ところで、当事者が既婚者であろうが独身であろうが、フィリピンには恋の手管の定石がある。  ①相手をみそめたら、まずはメール攻勢。思いっきり甘い言葉を連発して口説かなければならない。I miss you 、Did you eat already?Good night、I […]

フィリピン流恋の手ほどき(その2)2012年3月17日


  昨年、認知症のお母さんの退職ビザを取得された方がいた。そのとき、「認知症患者の世話が日本では大きな社会問題となっているが、フィリピンではどうなのか」という話になった。そうしたら、マム・ジェーンは「フィリピンには認知症はいないのよ、なぜならその前に皆死んでしまうから」と、こともなげに語った。なるほど確かに認知症のことが話題になったこともないし、見かけたこともない、そもそも年寄りをあまり見かけない。その一方で、うじゃうじゃというほどガキがたくさんおり、街は若者であふれ、うろついている年寄りは我々外国人が大半だ。  いかにもかわいらしいKIANの寝姿。赤ん坊は無邪気なだけだが、周囲をとりこにする力を持っている  フィリピン人の平均寿命は50歳代だというから、確かに長生きをする人は少ないのだろう。したがって認知症患者もいないのだ、となんとなく納得したが、その話を医者にしたら、「そんなはずはない」という。「フィリピンにも年寄りはたくさんいるし、平均寿命が短いのは幼児死亡率が高いからだ。そして日本と同等の割合で認知症患者はいるはずだ」という。しかし、フィリピン人から、「親が認知症で苦労した」、あるいは「苦労している」という話を聞いたことがない。そこで思い出したのが、ジェーンのお父さんの晩年の話だ。彼は下の世話を娘にさせながらタバコが欲しいとねだる。そこで娘は枯葉をまいて火をつけて与えたら、おいしそうに吸っていた、などと笑いながら話していたことがある。話からすると、彼は明らかに認知症だったはずだ。  何が悔しくて泣いているのか、床に伏して思いっきり泣き叫ぶKIAN、こうなったら手がつけられない  しかし、フィリピン人は子育ても同様、肉親の老人の世話できることが幸せであり、役目だと思っている。自分を育ててもらった親の面倒を見ることは自分の子供の面倒を見るのと同様、当然のことで、家族の一員として当たり前の役割なのだ。人間誰しも老いて赤子に帰っていく。これから育って大きくなっていく赤子と、これから小さくなってなくなっていく赤子がいるだけのことだ。だからフィリピン人は認知症の親の面倒を苦労とはとらえない。 思い通りに行かないと泣き叫んで思いっきり不満を主張するKIAN。周囲が何を欲しているか分からなかったり、状況がそれを許さなくてもお構い無しだ。鼻ちょうちんがかわいい。  ならば、日本では何故社会問題となってきているのか。昨今の核家族化で認知症の親を面倒見るだけのゆとりが日本の家族にはない。だから、介護施設や病院に入れることになる。住み慣れた家や家族から引き離された認知症の老人は凶暴化したり、症状が悪化する。介護施設でも厄介者扱いで、挙句の果てにベッドに縛り付けるなどということがまかり通る。一方、家族に囲まれて住み慣れた家に住むフィリピンの認知症のお年よりは、穏やかで家族のお荷物にもならない。単に、最近物忘れがひどくてぼけてきた、程度なのだ。だからまるで赤子のように無邪気で敬愛されるべき存在なのだ。 この誕生ケーキは私のものなのだが、そんなことはお構い無しにろうそくの火を吹き消そうとするKIAN。赤ん坊は何をしても許される。老人も同じことのはずだ。   KIANの成長を見ていると、赤ん坊は、実にわがままで野蛮とさえ感じる。自分の思い通りにならないとすぐに泣き叫ぶ、むやみやたらにものをいじくりまわして壊す、小便も糞も垂れ流しだ。朝も昼も夜もなく、泣きわめいて親を困らす。それでも周囲の大人はKIANの一挙一同に歓声をあげて喜び、いつくしむ。何の知識もなく本能の赴くままに、分けの分からない行動をとる赤ん坊を、人は決して認知症とは呼ばない。赤ん坊なのだから、当たり前なのだ。一方、同じような行動をする認知症のお年寄りに対しても、「年寄りなのだから、当たり前のこと」と、フィリピン人は理解を示す。 階段の途中から下で執務する私に微笑んで手を振ったり、傘をさしてみたり、少々人間的な行動を取り始めたKIAN。その一挙一動が注目と賞賛の的だ。  フィリピンでは認知症を病気ととらえず、自然の老いととらえる。一方認知症になったとしても家族に囲まれているので、あえて患者呼ばわりされるような状況には陥らない。要は、認知症を病気ととらえて、治療するとか入院させるとか、そんな発想はフィリピンにはなくて、一人の人間の誕生から死に至るプロセスの一環として捉えている。すなわち、「フィリピンに認知症はいない」、ではなくて、「フィリピンに認知症患者はいない」、なのだ。 手にするものは何でも携帯と捉えて耳に当てて意味の分からないことをしゃべっているKIAN。年寄りが同じ事をしたら、認知症だとして大騒ぎになってしまうだろう。

フィリピンに認知症はいない? 2012年2月14日



  マイナー(Miner)あるいはアンダー・エイジ(Under Age)とは18歳未満の未成年者を指すが、最近マイナーをめぐる外国人の逮捕・収監あるいは花街のクラブの閉鎖が相次いでいる。ちなみにフィリピンでは、日本のように20歳ではなくて、18歳をもって成人(Legal Age)とみなされ、それ以下をマイナーあるいはアンダーエイジと呼ぶ。 フィリピンでは12歳でハイスクールに進み、16歳で卒業する。その後大学へ進む子供は30%程度で、残りの70%はハイスクールどまりで、働くことになる。大半は貧しい家庭の子供だから、一家の大切な稼ぎ手となるのだが、18歳未満の未成年者の雇用は花街はもちろん一般のレストランなどでも禁止されている。そのため、ハイスクールを卒業した18歳未満の未成年者が年齢を偽って、働がざるを得ない状況がある。 外国人男性がフィリピンに来て、大いに誘惑されるのがこのマイナーの女の子を相手に買春をしたり、あるいは裸の写真を撮ったりすることだ。些細な金で可能であるので、つい誘惑に負ける。それを斡旋するけしからぬフィリピン人も後をたたないが、時には、その斡旋をしたフィリピン人が警察にちくって外国人を逮捕させ、示談金などをせしめる、という法律を逆手にたった犯罪もまかり通っている。大抵の場合は年齢を偽って働いているのだが、「知らなかった」という言い訳は効かないのが怖いところだ。最近は、たとえ外国にいても、サイバー・セックスなるものも同等にみなされるようなので要注意だ。  つい最近でも、かのミス・ユニバーサル・ナイトクラブが警察の手入れを受けて閉鎖に追い込まれた。容疑はマイナーに売春をさせていたということで、クラブのフロアー・マネージャーなども逮捕・収監されてしまった。しかもマイナーと人身売買(売春を最近は人身売買と称している)という容疑が重なると、保釈がなくて裁判の間も収監されたままとなる。さらに恐ろしいのは、その場に居合わせた客も共犯者として逮捕されてしまうことだ。ナイトクラブに遊びに行って、そこでたまたま、マイナーの女の子が年齢を偽って働いていたとして、そこに客として居合わせただけで逮捕・収監されてしまうとは、なんとも納得できないが、それが現実なのだ。いくら注意したところで、見知らぬところでマイナーの雇用が行われていることだから、どうしようもない。フィリピンも先進国のように遊びにくくなったものだとため息が出る。 フィリピンでは、たとえ殺人事件だとしても告訴する人間がいなければ犯罪としてなりたたない。これはアメリカの法律に則ったもののようだが、犯罪者の家族が、被害者の家族を抱きこんで、殺人事件を闇に葬ってしまうことさえも可能なのだ。しかしながら、マイナーの人身売買となると、検事は、例え被害者の告訴がなくても起訴することが可能だそうだ。件の年齢を偽って働いていたマイナーの子は自ら望んだものだから雇用主や客を告訴するはずがない。しかし、検事は独自の判断で起訴することが可能で、「相手が合意したから行為に及んだ」という言い訳は、やはり用をなさないのだ。 マイナーを雇うことは花街の接客係ばかりではなくて、レストランやメイドとして雇うことさえ禁止されている。通常は問題にならないだろうが、マイナー本人が雇用主から注意され逆恨みをして警察に駆け込んだりしたら、チャイルド・アビューズ(児童虐待)ということで逮捕されてしまう。また、第3者が密告すると雇用主が逮捕され、件のマイナーは職を失う、という状況も起こりうる。だから、人を雇う場合、マイナー本人は家のために稼ぎたいから当たり前に年齢を偽るが、成人であることを念入りに調べてからでないと、とんでもない爆弾を抱えこんでしまうことになる。  そこで疑問に思うのが、フィリピンは貧しい貧しいといいながら、ハイスクールを卒業してから大学へ進学しない70%程度の国民の就労機会を2年間剥奪するということが正しい国の政策なのだろうか、ということだ。16歳ともなれば肉体的には十分大人で、もはや子供ではないくて、大概の肉体労働は可能だ。幼稚園や小学生程度の子供が働かされているということが児童の就労として世界的に問題視されてはいるが、日本でも中学を卒業しても18歳まで働いてはいけないとしたら、大問題となるだろう。私はてっきり、18歳未満の未成年者が花街で接客を行うことを禁止していると勘違いしていたのだが、すべての職種で就労の機会を奪われているということに義憤を覚える。それがめぐりめぐって、外国人を思いがけない罪に陥れていることにもなっているのだ。政治家はマイナーの保護を何か勘違いしているのではないだろうか。逆に雇用の機会を奪い、マイナー本人は年齢を偽って働き、挙句の果てに雇用主を処罰するなど、無用な犯罪を誘発しているのではないだろうか。

マイナー(未成年)にご用心 2011年11月27日


マニラ新聞に載っている円対ペソの交換比率がついに1万円で5705ペソと5700を突破した。日本円を収入源とする退職者にとってはうれしい悲鳴だが、私の知っている限り、過去最高だと思う。ほんの数年前に3700ペソ代をつけた時と比べると50%以上の上昇だ。円対ドルは76円台だが、最近1万ドルあるいは2万ドルを積んで退職ビザを申請する方にとっては80万円あるいは160万円以下でビザが取れると喜んでいる。私が2002年にビザを取ったときは、5万ドルを送金するのに700万円程度かかったことを考えると、なんともありがたい話だ。  しかし、日本の輸出業界にとっては、この円高は大打撃だろう。日銀もFRBも手をこまねいているだけで、なす術もない。世界経済は、もはやコントロールできない怪物となって一人歩きしており、この先どこへ進むのか誰にも予測できない。 そうなると、今すぐフィリピンに住む予定がなくても、将来そのつもりがあるのならば、今ビザをとるか、少なくともフィリピンの銀行にドル送金してドルで持っていたほうが有利だ。さらに円が上がって65円くらいになるという話もあるが、戦後最高という円高の機会に思い切ってアクションを取ったほうがよさそうだ。  ところで、最近、この円高を機に退職ビザをとる、退職するには程遠い若い方が増えている。先日ご一緒した、その一人のKさんの主張は以下の通りだ。 ① 今回の大震災は決して終わりではなく、これから起こるであろう関東大震災や東海、南海大震災の前触れに過ぎない。さらに福島の放射能は関東を汚染し始めており、これからの大震災であちらこちらの原発がやられると日本中が放射能汚染にさらされ、日本には生きて行く場所がなくなる。 ②世界経済、そして日本経済は、すでに破綻の道を歩んでいたが、今回の大震災はその歩みを加速したものにすぎない。しかも、今回の大震災や原発の事故は某国の陰謀という説もある。 ③今、世界経済は未曾有の混乱、恐慌をむかえようとしている。とくに日本の経済は震災を期にすでに破綻しているといっても過言ではない。ギリシャの経済破綻を新興国BRICSが支援するという時代になり、先進国というだけで安穏としていられる時代は終わった。 ④日本政府はすでに震災増税を打ち出しているが、今後、国民からの収奪が常態化するであろう。第2次世界大戦の最中がそうだったように、国民は国への滅私奉公を強いられ、金(きん)などの財産も没収されることになってしまうだろう。 ⑤円は極端に安くなり、1ドル1000円の時代がくるかもしれない。そうなると海外へ脱出する飛行機代も出せず、ビザ取得のための1万あるいは2万ドルのお金も一千万、二千万の大金となり、支払えなくなってしまう。 ⑥一方アメリカは膨大な量の国債を不払いにすることにより、経済破綻することはなく、アメリカ国債を大量に買い込んだ日本等の金融機関が破綻するだけだ。 ⑦年金で暮らす退職者が海外で受け取る年金も円安の分だけ目減りして苦しい生活になる。だから、日本経済破綻の後では、日本で貧困生活を続けるしか術がない。 ⑧自分の暮らしは自分で守るしかない。特にある程度の資産を持っている場合は、それをいかに守るか真剣に考えるときが来ている。 ⑨すべての資産を海外へ移し、本人も外国に居住する、それが身を守る唯一の方法だ。不動産は二束三文で売ってもいい、来年では遅すぎる、今年中にことを終えなければならない。 ⑩資産として、株式も、現金も、金も、不動産も当てにならない。ここまできたら当てになるのは食料だ。あのジョージ・ソロスはすべての資産を食料につぎ込んでいる。彼らが食料をコントロールし始めたら、今度は食料危機がやってくるだろう。 […]

Kさんの危惧 2011年9月25日



先日、PRA(フィリピンん退職庁)のGM(長官)と打ち合わせをしていた折、いかに日本から退職者を呼び込むかという議題になって、長官は突如として「日本の若者はセックスをしないのか」と質問してきた。日本は少子化で、介護老人を世話する人がいなくなっている。この傾向はこれからますますひどくなって、フィリピン人の出番がある、などと話をしていた最中である。私はあわてて「いやそんなことはない、若者はセックスをまるでスポーツのように楽しんでいて、貞操などという言葉は死後だ」と説明した。長官は「ならば、どうして子供ができないのか」ときりかえしてきた。私は、「日本では避妊意識が徹底しており、かつ堕胎が法律上許されているので、多くの新しい命が消えて行っているのだ。フィリピンのように避妊薬(ピル)や堕胎が法律で禁止されていたら、日本でも巷に子供があふれるようになるだろう」と話した。 マカティのもっともモダンな街、グリーンベルトの中央にある教会、日曜日は、中に入りきれない多くの人々が教会を取り囲んで祈りをささげている。  しかし、少子化はそれだけが原因ではない。家族制度が崩壊した日本では子供がほしくても子育てができないのだ。フィリピンのように大家族であれば子供は皆が面倒を見てくれるので、母親も子供を預けて休んだり、仕事に行ったりできる。人手が足りなければヤヤ(子守)を雇うこともできるから、子育てに縛り付けられて、母親が育児ノイローゼになるなんて話を聞いたこともない。有給の出産休暇は2ヶ月も、もらえるし、出産開けには100%の女性が職場復帰する。その点フィリピンは日本よりもはるかに先進的で、女性ににとって、そして赤ちゃんにとって天国ともいえる状況だ。そんな社会体制を整えれば、日本だってまだまだ少子化を食い止めるチャンスはあるだろうに。 教会の周りの広場にはたくさんのカラバオ(水牛の模型がおいてある。それをまたいで喜ぶKIAN。後ろではたくさんの子供達が記念撮影をしている。 「フィリピンは貧乏で子作り以外に楽しみがないから、やたら子供ができるのだ」なんていう日本人がいるが、それはとんでもない勘違いだ。日本はたしかに戦後生まれの団塊の世代が頑張って、第2次世界大戦の壊滅的状況から世界を日本ブランドで席巻する経済成長を遂げた。しかし、豊かになった日本人は、結婚したらマイホームを手に入れ、妻と一人か二人の子供だけで暮らす理想の生活、核家族化を邁進した。さらに退職したら夫婦二人だけで年金暮らし、子供とは一緒に暮らさない、子供に面倒はかけない、などときれいごとを並べたてている。要は家族が頼りあわなくても生きる糧を獲得して、家族の役割を忘れ去ってしまったのだ。そして現在、核家族どころか、一人で暮らす老人、あるいは生涯独身で核家族でさえ持てない人が急増している。これでは少子化に歯止めをかけるどころではない。   私がいフィリピンにやってきた1989年以前に立てられた教会だが、なかなかモダンなデザインだ。その後に建設されたグリーンベルトの庭園によくマッチしている。 フィリピンでは家族の絆がなによりも強いから、たとえ職がなくても、収入がなくても誰かに面倒を見てもらえる。だから、昼間から大勢の若者が何もしないで街角にたむろしているが、彼らは、なんとか食っていけるのだ。兄弟やいとこが長いこと居候していても、追い出したりしないで飯を食わせている。居候するほうも何の遠慮もなしに毎日3度、ただ飯を食らっている。しかし、一旦、職に就くと彼らが恩返しに困った家族を面倒見る。だから、職がなくても病気で職を失っても、彼らは明るく、日本人のようにすぐ自殺したりしない。だからフィリピンでは、誰かが自殺すると新聞のニュースになるくらいだ。この家族の仕組みこそが人類をここまで発展させ、地球を征服させた原動力なのだ。 最近オープンしたグリーンベルト5はゆったりした広場が特徴だ。KIANは大喜びで、ここぞとばかりに走り回り、ビューティフル・アイズを連発している。  そもそも、子供や老人の面倒を見るのは家族の役割だから、その家族が崩壊したから、少子化、そして介護老人の問題が表面化している。これらの弱者を保護する家族がなかったら、それは国があるいは社会が面倒を見なければならない、ということになる。それが福祉国家だと、もてはやされているが、それに必要な莫大な費用と人材はどこからまかなわれるのか。現役の若い人達が生み出した税金と若い人そのものとなるのだろうが、それが少子化で、若者がどんどん減っていったら、国も社会も回らなくなってしまう。生産活動から離れ消費するだけ、しかも医療や介護などに莫大なコストを必要とする高齢者ばかりが多数を占め、一方では、それを支える若者の減少する。まさにこれは破滅への道のりで家族制度を放棄した先進国がたどる道なのだ。  こんな世の中あるいは国家が存続できるはずがない。日本の経済破綻や大災害によるまさに日本沈没が取りざたされているが、まさにその日が近いという気がする。日本の首相の首を何度すげ替えてみても事態は変わらない。今回の大災害のように日本を大きく揺さぶって目を覚めさせないと取り返しのつかないことになるだろう。だから、日本もフィリピンに学んでかつての家族を復活させるべきだとしみじみ思う。 グリーンベルト5からながめたアヤラの最高級コンドミニアム、ザ・レジデンス・グリーンベルト。3棟ともほぼ完成して、その取引価格は20万ペソ/平米といわれ、50平米のユニットで1千万ペソ(2千万円)、100平米なら2千万ペソ(4千万円)もする。もはや日本とかわらない価格だといえるが、ここはフィリピンの中心マニラ、そしてそのまた中心のマカティの一等地にあるのだから、単純に比較はできないかも知れないが。 フィリピンでも人口抑制の議論が活発だ。人口の増加が貧困に拍車をかけている、だから人口抑制のための避妊薬(ピル)の解禁やコンドームの普及などが必須だという。フィリピンの人たちが避妊や人口抑制に目をむけて、少子化に励んで豊かになっていったとすると、肝心の家族の絆はどうなってしまうのだろう。日本だって、一昔前は家族の絆は強かった。介護施設などはなくて、家族で老人を面倒見ていた。それがちょっと豊かになったら、家族のことを忘れてしまった。    最近ブームのコンドミニアムのモデル・ルームを見に行くと、21平米とか25平米とか、それこそマッチ箱みたいなユニットがほとんどだ。まさか、ここでおじいちゃんやおばあちゃん、それに居候まで一緒に住めるはずがない。フィリピンでも豊かな核家族を夢見る人が増えているのではないか、そしてフィリピン最大の強みの家族が失われつつあるのではないか、と危惧される。 グリーンベルトの散歩のあと、天天火鍋で食事をしたが、店で出会った女の子に盛んにアプローチするKIAN、と思ったらヤヤに何かをねだって大泣きするKIANだ。 […]

日本の若者はセックスをしないのか?2011年9月9日


  今、日本では、3.11の大震災の教訓から、1000年に一度の地震あるいは津波を想定して、いかに災害から都市やインフラそして人命を守るかという議論が盛んに行われている。  人類が誕生して数百万年を経ているが、文明と呼ばれるものが存在した歴史時代はせいぜい5千年だ。それも中国やメソポタミア、エジプトやローマ・ギリシャなどの限られた地域だけで、世界のほとんどの地域は、大航海時代といわれる500年前ないし1000年前位までは原始社会の時代が続いていた。そして、現代文明といわれるものが世界的に広がったのは、ここせいぜい50年~100年にすぎない。 2000年代に建設が開始されたマカティ市の東にあるボニファシオ・グローバル・シティは近代都市の典型だ。マカティ市との間にはウルダネッタ、ダスマリニャスやフォルベスパークの超高級住宅街とマニラ・ゴルフのコースがが広がり、フィリピンでは不動産価値がもっとも高い地域になっている。 かつて巨大な建造物といえば、時の権力者が、その権力を誇示するために建設した、城郭、寺院、そして墳墓などで、庶民は掘っ立て小屋のようなところで暮らしていた。しかし、現代文明の時代になって、高層ビルが林立する巨大都市、高速道路や鉄道、港湾やダムなどのインフラ、そして石油精製や石油化学、発電所などの産業インフラ施設など、巨大な構造物がが世界中に建設され、人類のより快適な暮らしと人口の増加に貢献してきた。現代文明社会ではこれらの巨大建造物無しでは人類は生きてゆくことができない。 最近完成したスカイウエイ高速道路からのマカティ市の中心街のながめ、1990年代に始まった高層建築ラッシュで街の風景は一変した。現在は第2次建築ラッシュで、写真中央のザ・レジデンス・グリーンベルトのような高層コンドミニアムの建設がマカティ市内だけでも20プロジェクトをこえる。 1000年に一度の災害というものは現代文明社会には未経験の大災害だ。だから、こんな大災害がやってきたら、もっともきびしい設計基準を適用して建設されたはずの原子力発電所でさえもひとたまりもなかった。だから、どんなに議論を重ねたとしても、現代文明の落とし子である都市やインフラなどの巨大建造物はひとたまりもなく、壊滅的な被害を受けるのは目に見えている。しかも、これらの巨大建造物の再生には長い年月と膨大な資金を必要とし、原子力発電所のように再生不可能な場合もあるだろう。 マカティのビル群とスカイウエイの構造物。これら巨大建造物は自然の力に対して剛で対応しているので、設計基準を上回る想定外の地震などがきたら、自滅して崩れ落ちるしかない。そしてそこに残されるのは人の手ではどうしようもない瓦礫の山だ。 しかし、人類はこんな災害を100万年の間に1000回以上経験して来ているはずで、さらに1万年あるいは10万年に一回という、はるかに大きな災害もあったはずだ。ノアの箱舟も話もそんな大災害の実話だあろう。一方、さらに遠くさかのぼれば、氷河期や地殻変動で海水面が100メートル以上変動したり、大陸そのものが移動したり、自然の活動というものは計り知れないものがある。数億年前にはたった一発の隕石で恐竜が絶滅した。そんな時、これらの巨大建造物は機能を失い、映画「サルの惑星」に出てきたような廃墟が残るだけだろう。人類の5千年の歴史時代においてさえも、古代の都市は跡形もなく地中に埋もれている。例え、現代文明社会といえども未来永劫ではなく、これからも人類は破壊と再生を繰り返して生き延びていく運命にあるのだ。 タガイタイのタアアル湖の中央の島は火山であり、海が噴火でせき止められて、火口湖となり街が水没した。そして近代文明の波は、ここにも押し寄せ、SMはこの絶景の地に高層コンドミニアム群を建設中だ。  かつて原始の時代の海岸線といえば、小さな船と漁民が生活する小屋があるだけだった。だから、巨大津波が来ようとも、山に逃げて、津波が去ったら小屋を作り直すだけで、翌日からは普通の生活ができた。古代の都市といえども地震で破壊される巨大建造物は城や寺院だから庶民の生活に関係ない。庶民は家の瓦礫を取り除いて、住まいを再建するのに数日もあれば十分だったろう。命さえ助かれば、庶民の生活の再生は容易だった。また、その土地そのものが水没してなくなるような地殻変動に対しても、部族あるいは種族単位で新天地に移動して生き延びてきた。   自然の象徴のマヨン火山は現在も活発に活動を続け、その美しい姿を保っている。周囲の人々は、その営みに翻弄されながらも共存して生きてきた。火山の中腹にたまっていた火砕流が2006年の超大型台風・レミンの大雨で一気に流れ出し、川沿いのスコーターのほとんどが土石流に埋もれ、多くの人命が失われるとともに道路も寸断された。幸い、わが牧場はレガスピ市をむいている火口と反対側にあるので、このような被害は皆無だった。   しかし、巨大化した都市やインフラの再生は容易ではない。また。特に数百万~一千万人という膨大な人口を抱える大都市を襲う災害は、逃げ場のない未曾有の人々の命を奪うだろう。さらに生き延びた人々は生きる術を失い、個人的には再生することもできない。頼みの国家も手をこまねいているだけだろう。巨大都市そして巨大インフラを再生するにはあまりにも大きなエネルギーを必要とし、一方、現代文明の恩恵になれた人々はそれら無しでは生き抜いていくことができない。 マニラの東にあるラグナ湖はマニラを水害から守る調整池としての役割を果たしているが、大雨が降ると水面は周辺の住宅地よりも高くなり、水門を閉めて街を水害から守る。微妙なバランスで成り立っている洪水コントロールシステムも、2009年9月、台風・オンドイの想定外の大雨には全く無力で、マニラ全域が浸水した 。 […]

原子力はパンドラの箱なのか(その2)2011年9月3日



           1歳と4ヶ月にもなるとKIANの好奇心と行動力はとどまるところを知らず、ちょっと目を離すとどこかへ飛んで行ってしまう。そこでママ・ジェーンが買 い求めたのがジェケットに紐がついていて、赤ちゃんの行動をコントロールできる代物だ。ヤヤ(子守)にとってこんな都合の良いものはない。紐でKIANの 行動を縛り付けておけば、自分は座ってヤヤ友達とおしゃべりにふけっていられる。   これを見て大いに疑問を呈したのが私だ。犬猫でもあるまいし、紐でつないでおくなんて、たとえ赤ちゃんであろうとも人間としての尊厳を汚すものだと激しく抗議した。そしてさらに、こんなものは面倒を見るヤヤの手抜きであって、KIANの大いなる成長を妨げるだけのものだと。人間は自ら判断して行動をすることが重要で、失敗や成功を通して喜びや落胆があり、成長していく。大人の目から見れば、赤ちゃんが単に走り回って遊んでいるだけかも知れないが、当の赤ちゃんにとってしてみれば、いつもチャレンジの連続なのだ。だからこのような行動規制は本当に赤ちゃんの身に危険が迫った時に限定されるべきで、例えば下の写真の下り階段に設けられた開き戸のような場合とかだ。  最近のKIANはおもちゃよりも大人が使っているものを何でもほしがり、何でも大人と同じようにやって見ようとする。まさにチャレンジの連続だ。それを、汚すから、壊すから、危ないからと何かと行動を規制しようと、ママ・ジェーンは顔をしかめるが、それはせっかく赤ちゃんが成長しようとしているのを妨げているにすぎない。  だから、何でも自由にさせてもらえる私と一緒に食事を取ったり遊んだりするのがKIANは大好きだ。その代わりKIANの食事のあとはテーブルや椅子、そして床とそこいらじゅう食べかすだらけでびしょびしょだ。それを、「フィリピーノは、例え赤ちゃんでも食物を遊びに使うのは神を冒涜するものとしてきらう」、とママ・ジェーンは口やかましい。それでもガラスのコップはすぐ壊すので、プラスティックのコップを買ってきたりして、しぶしぶ 協力してくれてはいるが。  KIANが部屋を走り回って遊んでいると大人たちは頭を角にぶつけるのではないかとか、転んでしまわないかとか、先回りして保護したり、大きな 声でKIANを脅して制止する。私といえばただ黙って見ているだけだが、大人はどうしても色々な事が気になって、赤ちゃんの行動を一定の枠にはめようとする。それでは赤ちゃんを檻に入れているようなものではないか。 檻の中にいては赤ちゃんは何も覚えない。頭をぶつけて痛ければ次回は気をつけようとするだろうし、熱いものを触れば、危険を察知するようになる。何事もやらせて体験して覚えさせることだ。それを、何でも先回りして過保護に育てると、自分で危険を察知して回避する術を学べない。そして大きくなってから、何かひどい目に会うと、自分を事前に保護してくれなかった両親、あるいは他人に責任があると、いわゆる他責の人になるのだ。秋葉原の無差別殺人やむしゃくしゃして患者のつめをはいだりするなんて行為は、きっとこういう過保護人間がしでかすのだろう。 紐につながれて歩いたり、行く先々で大人が規制をかけて、言われなき罵声(行動を制止する大声)を与えられ続けたら、もはや自分の判 断で動くことができなくなるだろう。その結果自分の判断で物事を進められず、常に誰かのアドバイスがないと前に進めない、なんとも頼りにならない人間に 育ってしまう。しかし、「ただほっておいては、ものごとの善悪の判断もできなくなる。だから間違ったことをしたら叱るべきだ」とママ・ジェーンは反論す […]

賢い赤ちゃんの育て方 パート2 2011年8月24日


先日、訪問中の子供達を招待して天々火鍋で食事を取った。その後、私は客とカラオケに出かけたのだが、皆が帰るとき事件は起こった。コンドミニアムの近くまでやってきて、運転をしていたボボイが、強引に角を曲がって、向こうから来た車とすれ違えなくなってしまった。姉のジェーンは狭い道を向こうから車がやってくるのに、なぜ突っ込んでいったのかと、ボボイを責めた。そこで謝ってしまえばいいのに、ボボイはいつものように、なんかかやと言い訳を言った。そこでジェーンが切れてしまい、ボボイにぼこぼこにパンチをくれてやったのだ。 (KIANは何かほしいものがあると、それを指差して手に入るまでねだる。私を見ると指差すが、これは抱っこのおねだりだ)  後から、ジェーンはそのときの様子をパクヤオ選手のようにパンチを浴びせたと、笑って話して聞かせてくれた。メイドのレンは、それを見ていて恐ろしがって泣いていたそうだ。今まで現場は見たことはないが、ジェーンがボボイに張りピンタを30分くらい浴びせ続けたとか、そんな話を何度か聞いたことがある。相手はボボイに限らず、他の甥や姪にたいしても、たまにあるそうだ。普段はあんなに兄弟、甥や姪を思いやっているのに、なぜ時たま鬼のように怒るのか理解に苦しむ。悪さをしても言い訳をして謝らないと頭に血が上って、怒りをコントロールできなくなるらしい。 (KIANは私の部屋で遊ぶのが大好きだ。普段は親の部屋にいるから、ここには色々と目新しいものがあって、KIANには宝物のように思えるのだろう。私の孫の手を振り回して部屋中を歩き回っている。)    先日NHKで「虐待の連鎖」という番組をやっていた。芥川賞を受賞した有名なシングル・マザーの作家が、息子を虐待してしまうためにカウンセリングを受けていた。彼女は息子が意にかなわないことをすると、怒りをコントロールできなくなり、8時間も殴り続けるという。しかも、それが子供への虐待ということを認識できないでいるそうだ。カウンセラーは彼女から、小さいころ両親に虐待を受けていたことを聞き出した。本人は虐待と思うわず、自分が悪いことをしたからと殴られるのあって、良い子でいようと気をつけたという。そしてまた、その両親も親から虐待を受けていたことが明らかにされていく。親から子へ、そして子からそのまた子へと虐待が引き継がれていくのだという。 (家の中を自由に歩き回ることができるようになったKIANは台所のキャビネットからお気に入りの容器を探し出して、意気揚々と部屋に引き上げていく)   一方、ジェーンはどうなのか。以前良く話していたのは、母親に箒や棒で尻を散々殴られたことだ。もちろん何か悪さをしたためだが、彼女は泣かないで必死に歯を食いしばって耐えたと、笑いながら話していた。現在。彼女の母親思いには頭が下がるようで、決して母親を恨むようなことはない(ちなみにジェーンの母親は旦那と死に別れてからは、女手一つで4人の子供を育てた苦労人だ)。しかしながら、ジェーンは、この虐待ともいえる行為をしっかり受け継いでいるようだ。しかし件の子供達はジェーンの怒りを虐待と受け止めず、少しもうらむこともなく、心から慕っている。どこから虐待で、どこからがしつけなのかの判断は難しいところだろうが、親はえてして自分の感情をコントロールできずに、子供に暴力を振るうのを、しつけと称して言い逃れをしているような気がする。 (家中を歩き回って疲れたのかおもちゃの車に乗ってヤヤに汗を拭いてもらっているKIAN。興味は乗ることだけにはとどまらず、車をひっくり返して構造を研究している。)    人は多かれ少なかれ、虐待の連鎖のような親の負の遺産を背負って生きているのではないだろうか。その遺産が人格一部をを形成しているのだろう。切れ安い人の親はきっと切れやすかったのだろう。仲の良いやさしい夫婦の子供はやはり優しい。子供の人格を形成する上でいかに家庭環境が重要であるかだ。たとえ夫婦の一方に虐待の連鎖の気(ケ)があったとしても、一方の親が子供を暴力から守るだろう。NHKの番組の場合は両親とも虐待の連鎖を背負っていたのが悲劇だったようだ。そして彼女自身はシングル・マザーなので歯止めをかける身内がいない。NHKはこの虐待を止めるには彼女自身が虐待を受けていたこと、そして自分が子供に対して虐待をしていることを認識することが重要だと説く。   (気に入ったものを手にすると得意げに差し出すKIAN。これを受け取るとすぐに返してよこせとせがむ。それを無視して取り上げると、大騒ぎになってしまう)   しかし、親から受け継いだ遺伝子をそう易々と変えることができるのだろうか。もちろん、否である。だから子育ては夫婦の役目なのであって、劣性の遺伝子(虐待)は優性遺伝子により封じ込められなければならないのだ。しかし、究極の核家族であるシングル・マザーという状況そのものが虐待という遺伝子を封じ込めることができず、それが猛威を奮って、子供が犠牲となっているのだ。きっと、この子も将来、親の負の遺伝子を受け継いで、いじめや虐待を行うことになってしまうのだろう。 (DVDのスイッチを自分で入れて曲にあわせて踊りだすKIAN) […]

虐待の連鎖 2011年5月26日