提言・提案


 いよいよ8ヶ月目に入ったキアンだが、フィリピーノ流の子育てがどうにも気に障って仕方がない。ヤヤ(子守)にかしずかれて、両親や兄姉の愛情を一身に受けているのは多いに結構なのだが、キアンにとっては多いに不満があるようだ。    赤ちゃんの成長は目を見張るようで、ちょっと前まではミルクを飲んで、寝ているだけだったのに、最近では、何にでも興味を示し、すぐにつかんで口に入れようとする。人が食べているのを見るとよだれを流して食べたがる。それを汚いからと身の回りから遠ざけ、人が食べているところを見せまいとする。   私は、そんな親馬鹿に多いに疑問を呈したい。子供がミルクを飲むことと寝ること以外に興味を持ち始めたということは、人間としての成長を開始した大事な証だ。だから色々なおもちゃを与え、多いに好奇心を満足させ、なめ回させることが大事なのだ。最初はつかんではなめて放り投げることしかしないが、赤ちゃんの脳はフル回転だ。ただベッドの上で静かにしているのではなくて、多いに這い回って、手当たり次第にアタックして、そんな遊びから子供は学び、成長する。机の前で座ってやるのが勉強ではなくて、遊びが子供を成長させる最高の勉強でありトレーニングなのだ。  下の写真はベッドの中で何も与えれずにまるで檻に入れられているKIAN。せめてヨーグルトの容器をなめて好奇心を満たしている。   私の小言により、おもちゃを与えれらたKIANは嬌声を上げて喜んでいた。遊びでも、勉強でも、スポーツでも何でも楽しんでやることが大事で、楽しんでいるうちに自然と能力がついてくる。この時期、何もさせないで、静かにさせておくと、何にも興味を示さず、自ら成長することをしない木偶の棒になってしまう。下の写真のうれしそうな顔が証拠で、この時、KIANは人間として生まれてきた喜びを満喫しているはずだ。  人間として目覚めた赤ちゃんは、この時、何にでもなれる万能細胞で、人間でも、サルでも狼でも、環境に適合して何にでもなれる。だからこの時期、将来、人から尊敬され、人間社会で望まれる人格と能力を兼ね備えた人間になっていくための成長の礎を築いているとも言える。人には生まれつき持っている性格、能力、資質があるというが、私は、どうもこの時期にそれらの資質が形成されるのではないかという気がする。   一方、6ヶ月も過ぎると赤ちゃんは離乳食が必要で、これがミルクだけの食生活から卒業し、必要な栄養を食物から取り、同時にまた胃や腸、体の仕組みを成長させていく原動力になる。だから、赤ちゃんが食べたがるのは本能であって、それに答えて離乳食を与えることが、体の成長に欠かせないのだ。しかし、フィリピンでは2~3歳までほとんどミルクだけで成長し、幼稚園に行っても哺乳瓶を咥えているという。「子供がミルクを欲しがるから与える」というが、これはあきらかに母親の怠慢で、この時期、赤ちゃんが欲するものを無視して、そんな悪しき習慣を子供に押し付けているのだ。キアンが我々の食べるスープを与えられて、いかにそれを喜んでいるか、そして、もっとくれと要求するまなざしを見ていると、「ミルクを欲しがるから与え続けている」という、母親の証言は、母親の都合の良い作り話でしかないと実感する。  

賢い赤ちゃんの育て方 2010年11月1日


昨年の今頃、我が糖尿病の経緯について報告した。あれから1年、その苦闘は続いている、というよりはそれが生活の一部となっている。血糖値の測定、食事 のコントロール、そして散歩は日課だ。体重も60キロ代後半でほとんど変化がない。身長が177cmだから、理想的な体重を保っているといえよう。 とりわけ食事は海産物と野菜が中心で肉類はめったに食べない。たまに食べてもコロッケなど少々肉の味がする程度のものだ。元々肉の脂身が好きな方だから、 トンカツやステーキなど食べたら、あっという間に平らげて、血糖値もうなぎのぼりで、軽く200を超えて250位になってしまう。 ここ のところ足繁く通っているMARUCHANでは、2回に一回は「サバばってら」を注文する。あの油の乗っているサバがたまらない。後は寿司やコロッケ当た りが定番のメニューだ。いずれにせよ、元来の日本食を食べている限り、血糖値はほどほどにおさまっている。だから、やはり日本人は日本食があっているのだ ろうと納得する。しかも、フィリピンでは日本より安く日本食が食べられるのでありがたい。 日本人はつい最近までほとんど元来の日本食を食べていた。肉食が家庭に進出したのはつい、40~50年前のことだろう。子供のころ、すき焼きが滅多に無いご馳走だったことを憶えている。そして肉や乳製品は栄養・滋養に富み、健康増進に優れているともてはやされ、すき焼きやトンカツ、そしてカレーライス等が子供達の憧れのメニューとなった。また、最高級の牛肉が霜降り肉というくらい、脂肪は肉のうまみを左右する。だから、肉を食べるといやが上でも脂肪を大量にとってしまい、血糖値があがってしまう。 一方、数千年、数万年の間、肉や乳製品を食べ続けてきた西洋人は、肉をいくら食べても簡単 に血糖値は上がらない。なぜなら、インシュリンの出方が日本人とは違うのだ。一方、海産物と野菜中心の健康食で古来から生き続けてきた日本人は、ほんのこ こ数十年の肉食という付け刃では体がついてこない。だから、1千万人もの人が糖尿病予備軍ということになってしまうのだ。日本人よ、糖尿病が怖かったら、 日本人原点の食生活に回帰せよ、だ。  外食してカラオケなどに行くとどうしても散歩する時間がなくなってしまう。酒の量も進んでしまう。家に戻ってから恐る恐る血糖値を計ってみると、なんと正常値の110~120程度なのだ。ちょっと解せないので、一度日本の医者に聞いてみたが、そんな話は聞いたことが無いといわれた。きっとビールなどで血が 薄まってしまうのではないかと思うが、これは事実なので、夜のお誘いに対しては糖尿病を気にしないで付き合うことにしている。 […]

糖尿病体験記(その2)2010年9月14日



女性のセクシーなボディは男性のあこがれであると共に女性にとっては女であることの証でもある。美白と同様、美容に関わるものにとって永遠のテーマだ。。下の写真はアンヘレスのゴーゴー・クラブ「アトランティス」、ほとんどの女性が10代でセクシーなボディを誇らしげに披露している。   数年前、女優クリス・アキノが脂肪サクション(吸引)により、セクシーなボディを取戻して再びスターダム(ちょっと言葉が古いけど)にのし上がったことにより、その手術を行なったベロ美容クリニックが大繁盛した。左下の写真がクリニックのオーナーのベロ、右は兄ノイノイ・アキノ大統領候補の応援演説をするクリス・アキノ。  したがって、フィリピンではちょっと太った女性でお金持ちは、食べすぎと運動不足でたるみきった腹、腕そして太ももの脂肪を手術で簡単に取り除いて、セクシーなボディを取戻そうとする。ちなみに手術料は25万ペソ程度というから、こんなことのために大金を払える人はそういるもんではない。   手術はまず、機械で脂肪をぐちゃぐちゃにしてチューブで吸引するそうだが、脂肪には神経がないからさほど痛くないらしい。こんなことをして細くなったとしても、食習慣を変えない限り所詮元の木阿弥だと思う。しかし、ダイエットで食事を制限するのは辛い、でもセクシーになりたいという女性の願望を留めることはできない。   私がPRAにいる時代に色々とお世話をした日本人のカップルがいる。しばらく日本に帰っていたのだが、先日電話がかかってきた。フィリピン人と結婚している奥さんの妹さんがこの脂肪サクションをやって、1週間後に亡くなってしまったのだという。入院費や葬式代はクリニックで持ったものの、このままでは気がすまないから、何とかしたいという。話は単純なので、弁護士を雇って法廷闘争に持っていくしかないだろうとアドバイスした。   私に言わせれば、そもそも体の一部を機械的に取り除くなんて、体に良い訳がない。クリニックから戻って2日目に痛いと言い出して、肌が茶色に変色し始めたという。そして入院し、1週間足らずの命だった。詳しい原因はわからないが、健康だった人が術後に変調をきたしたのだから、手術に起因していることははっきりしている。どこが大事な神経や血管を傷つけてしまったのかもしれない。 脂肪サクションが死と隣り合わせた危険な手術であることなど報道されたためしがないが、ここで大いなる警鐘を鳴らしたい。これは、まさに死亡サクションなのだ。やはり、地道な食事のコントロールと運動でセクシーな体を取戻すあるいは維持して欲しいと思うが、それがいやならセクシーな女であることをあきらめるべきだ。何事を達成するにも努力は欠かせないのだ。    余談だが、娘さんは日比混血でいわゆるメスチーサの美人だが、日本語とタガログ語と英語を自由にあやつる才女だ。名門ラサール大学を卒業して近々航空会社でスチュアーデスとして働くことが決まっている。5年前にあったときより随分やせているので、セクシーになったねと冷やかしたら、この1週間で13kgやせてしまったのだという。ほとんど食事も喉を通らなかったそうだ。そこで「怪我の功名」だねと言ったら、わかってもらえなかった。日本で小学校を卒業してからフィリピンに来たそうなので、無理のないことかも知れないが。

脂肪サクションの恐怖 2010年7月29日


先日NHKで日本の子供の学力低下が問題となっていると報道されていた。とある19歳の女性は両親が離婚して母親が毎日遅くまで働いていて、妹の世話や家事で勉強する暇がなかった。わからないことがあっても教えてくれる人もいなかった。そのため、学校の授業について行けず、結局高校を中退して働いた。しかし職場でも簡単な算数ができず、学力不足ゆえの疎外感のため、将来の人生が描けないでいるという。  その例えとしてあったのが、「面接で1か月分の給与の額を聞かされて、1年でいくらもらえるのか即座に計算できなかった」だった。今、仮にフィリピンで巷の人に、「1ヶ月の給与が12000ペソで、1年で幾らになりますか」と聞いて、何人の人が144000ペソと暗算で即座に答えることが出来るだろうか。 10人に一人いればいいほうだろう。となると、フィリピン人は皆学力がとてつもなく低いのだろうか。 パソコンに興じる子供達  近所のサリサリ・ストアーで2本のサンミゲルビールを買って帰るのが私の毎日の日課だが、2本のビール(1本ビン付で21ペソ)に氷5ペソを買って、50 ペソ支払ってお釣りがいくらか、売り子は計算機を使わないとわからない。21+21+5=47、50-47=3、を一々計算機で計算するのだ。だからボタンを押し間違えて、とんでもない結果になっても、暗算でわからないから評価できず、計算機に従ってお釣りをよこそうとする。 サリサリのお姉さんではさもありなんというところだが、かつて、フィリピン随一の法律事務所、シッシップ・サラサールの会社法専門のエリート弁護士と打ち合わせを持った時のことだ。フィリピンの会社法の説明を受けているとき、彼女は簡単な計算を黒板で試みた。一応エンジニアーを専門とする当方としては、いとも簡単な計算だったが、彼女はわけがわからなくなりパニックに陥ってしまったのだ。こんな優秀な弁護士でも、こと計算となると日本の小学生並みなのだ。  私の知り合いに計装の施工会社の社長さんがいるが、彼がアメリカの大学院に留学していたときの話だ。かれはもともと数学が苦手だったが、アメリカの大学院では数学に関して最優秀の学生だったそうだ。だから、アメリカ人は数学がまるでだめだと笑っていた。 マクドナルドのドライブスルーのお姉さん  何故、欧米系の人々は数学ないし算数が苦手なのだろう。もちろんすべての人ではないだろうが、一般的にそう感じられる。フィリピンの算数/数学の教育は小学校から英語でやるから、教育の仕方は欧米系と一緒だろう。これは一体何だろう、と色々話し合ったことがあるのだが、小学校で反復練習した九九に原因があるのではないかという結論に至った。英語で九九を言うと、日本語ならKuku hachijuichiというところをNine times Nine equal Eightyoneとなり、いかにもまどろっこしくてリズム感がない。こんなものでは何度反復しても憶えられないだろう。これが算数のスタートで決定的なネックとなり、大多数の生徒が暗算で計算するのを放棄してしまうのだろう。特に現代は計算機があるので何とか繕うことができてしまいあきらめるのも早いのだ。 […]

日本の学力低下 2010年2月10日



最近NHKで「無縁社会」という造語の番組をシリーズでやっている。日本では、家族を持たず社会とも絶縁し、孤独にくらす人々が急増しているのだそうだ。一方、昨年無縁死した人は全国で3万に上るという。一人住まいの家で死後数ヶ月たって発見された老人のケースも放映されていた。刑務所で暮らす60歳以上のお年よりは受刑者全体の10%をこえ、刑期を満了して出所しても行き場のないお年よりは無銭飲食などの罪を繰り返し、また刑務所に戻ってくるそうだ。その割合は出所したお年寄りの70%以上に上るそうで、身寄りのないお年寄りを拒否しないで受け入れる場所は刑務所だけだという。また2030年には生涯独身で過ごす人が男で3人に一人、女で4人に一人になると言われているそうだが、そうなると全国で3000万人以上の人が孤独で暮らしていることになる。そんな社会を人間の社会と呼べるのだろうか。  孤独で暮らす人々はそれぞれ事情はあるのだろうが、根本的な原因は何なのだろう。核家族、少子化、老人介護、そして無縁社会。そこにはなにか一連の流れがあるような気がする。大家族制度が崩壊し、核家族化し、その核家族を形成できなかった人々は行き場がなく、一人で暮らすしか術がなくなってしまったのだ。家族というものが老人や子供を守ってきたのが、核家族化により、老人の行き場がなくなり、子供も育てることが出来なくなってしまった。そして、その核家族を形成できない人々は家族からはじき出されて孤独に暮らす。なんともはや弱いものにとっては暮らしにくい社会だ。 そんな無縁社会と全く無縁なのがフィリピンだ。フィリピンには家族と無縁な人などいない。お互いに頼りあい、助け合って、時には傷つけあって生きている。だから弱い人ほど家族に守られて幸せに暮らしている。その大家族を背負って立つブレッド・ウイナー(大黒柱)には大変な負担で、そのために若いみそらで花街で働く女性も多い。しかし彼女達はその責任を背負って逞しく生きている。経済的に苦しいので家族から無縁になろうなどという不届きな考えは決しておこさない。家族と共にあるのが生きている証なのだ。そして家族が一同に集まる食事時は家族が家族であることを噛みしめる至福の一時だ。これを、無縁社会に対して家族社会と名づけられるのではないだろうか。  出口のない日本の惨状をもたらした核家族に対して、フィリピンの大家族が真っ向から対立するのが、熟年日本人男性と若いフィリピーナの結婚だ。熟年諸氏は若いフィリピーナと結婚して二人だけの甘いスイートホームを夢想する。一方フィリピーナはブレッド・ウイナーとなるお金持ちの日本人と結婚して、家族に富をもたらし、女王様として家族一同から敬われる生活を夢想する。  お見合いの席では張本人のフィリピーナよりもその家族の方が結婚に熱心で、熟年諸氏にはなんとも解せないところがある。実際フィリピーナと結婚した熟年諸氏の多くは家族一同が暮らせる大きな家を建てさせられ、それもすぐに妻の家族に占領されて、おまけに親兄弟さら嫁や甥姪の食料まで面倒見なければならないというはめに陥っている。そんなことをしていては、なけなしの退職金もすぐに底をついてしまうので、離婚してしまったという話もよく聞く。  そもそも家族が結婚に熱心なのはきっと、日本人亭主を食い物にする気に違いないと、見合いに臨んだ熟年諸氏は警戒する。そして、住まいは二人だけで、家族は入れない、家族の支援は月々1万ペソまで、などという条件交渉が始まる。熟年諸氏は日本を破滅の道に導こうとしている核家族なるものをフィリピーナに押し付けようとしているのだ。   フィリピン人と結婚してフィリピンに住むとしたら、この大家族という概念を理解し受け入れるのでなければ決して結婚生活は成功しないだろう。日本の社会を破滅させつつある核家族などという概念を持ち込んで、百万年の歴史のある人類の宝であり、そしてフィリピン人の生きる術である家族というものをないがしろにしてフィリピンで生きて行けるはずがない。もちろん期待に胸を含ませる家族に対しては自分が出来る範囲のことをすればよいのであって、分不相応な待遇を提供する必要はない。要は妻と同等に誠意と愛を持って対応すればいいのだ。そうすることにより家族の一員として迎え入れられ、家族の長老として、この先数十年の老後の生活はばら色となるだろう。フィリピンで結婚する場合、それは、すなわち家族と結婚することなのだ。  

無縁社会と家族社会 2010年2月3日


児童養護施設でボランティアをしていて先日亡くなった退職者の影響で、養護施設にいたく興味を抱くようになった。英語ではOrpharnage(孤児院)というそうだが、フィリピンでは避妊が宗教上嫌われ、堕胎は法律で禁止されているから、いやでも望まれない子供がたくさん生まれてくる。大概の場合は家族が、神が授けてくれた天使として育てるのだけれど、売春婦と不特定の客の間に生まれた子供など、親が面倒見ることがままならないケースも多い。そのような子供やストリートチルドレンを預かって育てるのがOrphanageだ。 Tuloy Sa Don Bosco(ドンボスコに来たれ)はアラバンにある、7ヘクタール(7万平米)もの敷地を持つ大きな施設だ。野菜畑や養魚池を持ち、子供達が自然の恵みを得て、伸び伸びと暮らしていると聞かされ、私がタバコの農場に作ろうと心に描き始めた養護施設にイメージが似ているので早速見学に行くことにした。ちなみにドンボスコは有名な牧師で、有名な教会や学校の名前になっている。  中に入ると立派な建物が並び、高級住宅街のようだ。しかし、子供達の姿が全然見えない。それは、日曜の午前中なので、皆教会に行っているためだそうだが、何かフィリピン独特の喧騒とは無縁の世界だ。  そこで教会に行ってみると、養護施設の教会というよりも高級住宅街にある由緒ある教会といった面持ちだ。中世の教会の雰囲気を出すためにレンガを使い、建築的にもすばらしい。中に入ってみると数十人の子供達が大人に混じって牧師の話を聞いていた。入り口には誇らしげに教会建設のために寄付した人たちの名前を刻んだ碑がかざってある。その中にはアヤラ・アラバンビ・レッジに住むフィリピンNO1財閥の総帥、ゾベル・デ・アヤラの名前もあった。 ミサの間、周囲を見学してみた。体育館は大学並みの立派なものだ。サッカー場まである。体育館の通りにはロータリークラブが職業訓練の施設として30万ドルの寄付を行なったという碑があった。 野菜畑もきれいに手入れがされている。しかし、これだけの施設にいる子供達に食べさせるにはいかにも貧弱だ。きっと職業訓練の一環なのだろう。 教会の外にいた人に聞いてみたら、現在施設には50人足らずの子供しかおらず、二つの宿舎はスポンサーがいないので空っぽだという。現在二つのスポンサー(マクドナルドとカルテックス)の寄付で9歳から18歳の子供達が50人ほど暮らしているそうだ。平日は外の子供が勉強や職業訓練に通ってくるそうで、赤ん坊や幼児は対象としていないそうだ。宿舎にはマクドナルドのシンボルマークが飾られている。  教会のミサが終わって子供達が出てきた。こんな施設で生活しているなんて、どこかのエリートの集団かなにかと勘違いしてしまいそうだ。これほど立派な宿舎、教会、教室、体育館を建設したのだから、きっと相当な額の寄付があったのだろう。しかし、それが子供達のために役立っているのだろうか。寄付を集めることが目的となり、何か肝心なことを忘れているのではないか。平日に来れば印象は違うのかもしれないが、いずれにせよ、私が描いている農場の養護施設とは程遠いので、さっさと退散することにした。  外に出てみると、目の前で闘鶏をやっていた。公式のものではないらしいが、そこにはフィリピンらしい活気と喧騒があり、なぜかほっとした。

Tuloy Sa Don Bosco児童養護施設の見学 2010年1月24日



しばらく前、NHKで「アンチ・エイジング(老化防止)」と「赤ちゃんは天才」という番組をやっており興味深く視聴した。その番組によるとアンチ・エイジングのために脳を活性化する秘訣は下記の7つに要約されるという。 1. 体をよく動かす:よく歩くことやスポーツ、家庭菜園などの作業 2. 手先を使う:工作や裁縫、料理など 3. 日常の作業を自分でやる:片付けごとや炊事、洗濯などの家事仕事 4. やりなれないことをやる:左手で箸を使う、目をつぶって歩いたり、後ろ向きに歩くなど 5. 会話を楽しむ:若者や子供たちと積極的におしゃべりをする 6. 新しいことにチャレンジする:英会話やパソコン、ボランティ活動など 7. 好きなことを楽しんでやる:趣味や娯楽、カラオケなど    一方赤ちゃんは、あらゆる可能性を秘めた天才だという。サルに育てられればサルになり、狼に育てられれば狼になる。環境から何でも学び、何にでもなれる可能性を持った、まさに万能細胞のような存在だというのである。赤ちゃんは環境に適応し、もともと持っている能力を特化させ、不必要な能力を捨て去り、やがて当たり前の人間になっていく。要は年を経るごとに技能や知識は増えていくものの、可能性という点では老化していく。極論すればエイジング(老化)は生を授かった時から始まっているのだ。  下の写真はパスコの法律顧問のマリソールの子供。マリソールは9年制の法律学科を卒業する寸前に身ごもってしまい、典型的な「できちゃった婚」で、結婚式の前日まで結婚をためらっていたが、今では相思相愛で、3人目の男の子をこの8月に出産した。ちなみに3人の男の子は皆、父親似で、同じ顔をしている。写真は両親と一緒の長男、ジェルミ君6歳。将来はきっと母親の期待を担って弁護士か医者にでもなるのだろう。 生まれたての人間の赤ちゃんは、他の動物が生まれてすぐ歩きはじめる一方、未熟児で生まれるという事情から、しばらくは寝てばかりいる。しかし、1歳になって歩き始めたあたりから、肉体ばかりではなく、目覚しい知能の成長を開始する。そして2歳ともなると流暢に話し始める。私はフィリピンに住んで15年目を迎えるが、3歳児の会話能力には足元にも及ばない。彼らは、誰が教えるでもなく、たったの3年でその土地の言葉を流暢に話すことができてしまうのだ。  私の相棒のジェーンに、3歳になったばっかりの姪の女の子がいるが、名前はヤナという。赤ちゃんの時、数ヶ月間、農場で暮らしていたことがある。しばらく後、母親がダバオで亡くなった。その後、2年ほど父親とダバオで生活していたが、父親に仕事がないのでこのクリスマスに父親と一緒にタバコに戻ってきた。  ヤナはダバオで暮らしていた関係でセブやミンダナオ地方の言葉であるビサヤ語を話す。タバコに暮らすいとこたちはビコール語あるいはタガログ語を話すため、お互いに言葉が通じない。ヤナはそんなことはお構いなしにビサヤ語でまくし立てる。周囲の人たちは、大人も含めてさっぱり理解できないが、雰囲気でなんとかなるようだ。久しぶりのいとこを迎えた子供たちは言葉などお構いなしに皆で、はしゃぎまわっている。私の片言のタガログ語は、なんとか理解してもらえるようで、レベルがあって返って話しやすい。ちなみに、おじいちゃんが中国人のせいかジェーンに似ていてなかなかの美人でもある。 彼女がタガログ語やビコール語を話せるようになるには3ヶ月もあれば十分だろう。なぜなら子供は語学の天才なのだ。最近、フィリピン人の奥さんを持つ日本人の方が、幼い子供を連れて退職者ビザを申請することが多いが、その子供達はすぐにタガログ語を覚えてしまう。父親がたちが何年たっても英語もタガログ語もろくすっぽ話せず、フィリピン人の妻を頼りにしているのとはわけが違う。いずれお父さんが子供に通訳してもらう日が来るだろう。 […]

アンチエイジングの秘訣(赤ちゃんは天才)2010年1月5日


 マニラにある児童養護施設を訪問する機会があった。施設の従業員の大半は女性だが、ここはかなり大きな施設で優に100人を超える孤児達を面倒見ている。昼間はあまり大きい子は見かけなかったので、外の学校に通っているらしい。小さな子は大部屋にいて、いつも静かに寝かされていた。  私の相棒のフィリピーナがおおぜいの赤ちゃんを見つけて中に入ったところ、初めは物見しりをして様子を見ていたものの、そのうち、そこいら中の赤ん坊がおしっことなどと言い出して収拾がつかなくなってしまった。数少ない職員が世話をしているために一人一人の面倒まではとても見切れないのだろう。だから初めて見かける女性にでさえ甘え始めたのだ。  とてもよくしつけられているものとみえ、街角で見かける子供達の泣き声やわめき声などの喧騒は、ここには見られない。みな静かに座っているか、昼寝をしているかで、楽しそうな笑顔もみれない。しかし、この子達皆が好き勝手を始めたら、たしかに収拾がつかなくなるだろう。  大きな子供達が学校から戻ってくると、施設の入り口の広間ではいつも発表会やダンスの披露が行なわれていた。聴衆の子供達もきちんと座って行儀が良く、とてもフィリピンの子供達とは思えない。フィリピンの学校の授業風景は良く知らないが、まあこんなものなのかも知れない。しかし家に帰ると子供達は家の周りで友達と活発に遊び回っているはずだ。  フィリピンの子供はとても大事にされ、甘やかされ、家族の宝物として位置づけられている。家族の愛に育まれてとても思いやりのある優しい子供に育つのだ。だから家族の絆は命よりも大事。そんな家族の愛を知らず、親に甘えることもなしに育つこの子供達は将来どのような大人に成長するのだろうかと案ぜられる。  しばらく前、孤児の家を経営する日本人退職者と知り合いになり、寄付を募るお手伝いをしたことがある。田んぼの中の粗末なバラックだったが、50人くらいの孤児が楽しそうに暮らしていた。退職者と訪れると「ロラ、ロラ」と皆が駆け寄ってきた。そこには笑顔や愛が溢れていて、いつか自分もこんなボランティアをやってみたいと思ったものだ。  ところが、日本のNGOからかなり大きな寄付が行なわれることになった途端、協力者のフィリピン人牧師の態度が豹変し、かの退職者は施設に近寄ることさえも出来なくなってしまった。そして牧師は多額の寄付を教会の改装費などにあてるために独り占めしてしまったそうだ。大金がはいるとなると、施設の経営が途端に商業化してしまい、本来の目的は藻屑と化し、単なる金集めの道具となってしまうのだ。   先日、PRAではクリスマス・パーティの代わりに、政府の老人ホームを訪問してクリスマス・ギフトなどのチャリティ活動を行なった。身寄りがなく介護が必要なお年寄りが収容されているそうで、当日は多忙で出席することは出来なかったが、次の機会には是非出席したいと思っている。フィリピンでは子供と同様、お年寄りも家族の大事な宝物として手厚い保護を受けている。したがって、老人問題は存在しないのだが、中には全く身寄りのないお年寄りもいて、そのような人々が施設に入っているそうだ。   以前日本で、妻と一緒にいくつかの介護施設を訪問したが、その様子は上記の児童養護施設と一緒だった。そこではお年寄りは何もすることもなく、ただ生きているだけだった。指示されるがままに体操したり、催し物に参加したり、そこにはお年寄りの笑顔はなかった。妻は「こんなところには死んでも入りたくない」といっていた。また、しばらく老人ホームにいた方が「周囲はおかしな人ばかりで、自分もおかしくなってしまいそう」と言って、数ヶ月で出てしまったという話を聞いたこともある。  日本の介護施設も、身寄りのない老人を介護する慈善施設として発足したのだろうが、現在は完全にビジネスとみなされている。さらに介護保険も発足し最も有望なビジネスとして着目されているが、企業は利潤を追求することが本来であり、慈善事業として発足した介護施設をビジネスの対象とすることには本質的な矛盾が存在するような気がする。だから、「無届老人ホーム」などのようなものが発生してしまうのではないか。   子供達が親から離れて施設で暮らすことは非常に不自然なのだが、やむを得ない事情があってのことだ。同様にお年寄りだけが集まって介護施設で暮らすのも極めて不自然であり、家族に囲まれて暮らすことがお年寄りにとって最も望ましい姿のはずだ。それを介護保険などを導入しビジネスとして進めていかなければならない日本の現状は何かおかしいと思う。   […]

児童養護施設の現実 2009年12月21日



 先日、退職者の方が重い腎臓病を患って亡くなった。 「退職者が回復してもとの健康を取り戻す可能性はない。このまま酸素マスク、点滴などの救命治療を継続して、生き続けたとしても植物人間の状態が続く。そのため、これらの救命治療をやめて自然に任すか、あるいは救命治療を継続するか、決断してほしい。」というのが医者のアドバイスだった。  ちなみに、フィリピンでは家族の同意があれば、本人がその意思を示すことが出来なくても、これら救命治療を停止して、自然な死を迎えさせることが許されている。日本では、医師も家族も一旦始めた救命治療を停止することは出来ない。もしそれを実行した場合、殺人とみなされるそうだ。だから日本には、意識を失い、死を待つだけしかない多くの人々がこの救命治療のために生き続けている。それには莫大な医療費を要し、健保や家族への大きな負担となっているはずだ。たとえ、本人がそれを望まないとしても、今の法律ではなす術がないそうだ。  本人としても残された家族に莫大な費用負担を強いるということは決して本望ではないだろう。しかも、もはや手遅れで死ぬべき人間をただ単に生かし続けて死期を遅らせるということが果たして医学のあるべき姿なのだろうか。生は尊いものであることは間違いないとしても、人間あるいは動物として、もはや生きているとはいいがたい人々を医学の力で生かし続けることは、動物社会や過去の歴史の中ではありえないことだ。これらに費やされる社会資源は膨大で、社会を支える人たちに重くのしかかっている。それが、政府の施策だとしても、その原資は税金や保険の掛け金で国民が支払っているものだ。国民の負担が大きくなると、そのしわ寄せは個々の家計に影響し、結果として少子化によって防衛するしかなくなってしまう。  動物社会において、メスは閉経を迎えると速やかに死ぬという。メスとしての役割を終えたのだ。一方、オスは自分で食料を獲得する力がなくなると死ぬ以外にない。人間はこの原理から除外され、その後、数十年という長い間活き続け、若い世代に負担をかける。長寿というのは喜ばしいとされるが、果たして平均年齢が100歳なんてことになったら、人間社会に次世代をになう子供を作る資源が残っているのだろうか。もちろん、長寿で元気、自らも家庭や社会に貢献しているのなら、大いに結構なことなのだが、自ら生きる力のない人々が生き続ける結果の長寿社会などは決して喜べることではないだろう。  逆説的な言い方になるが、古い世代が死んでいくことが次の世代を育んで行くということではないだろうか。もし世代交代がなかったとしたら、生物の進化はない。アメーバは細胞分裂だけをして生き続けるので、何億年の間もアメーバのままだという。人間も数百万年の間、世代交代を繰り返し、現代社会があるのだ。老いるものの死と新しい命の誕生こそが種として生きるということではないのか。だから癌などのように、ウイルスや細菌によるものでなく、自分の体そのものの変異による病気は人が死ぬための仕組みなのではないか。それを克服しようとすることはかえって種として生存していくということを否定することになるのではないか。まだ生きるべき人を救う医学は多いに歓迎されるものの、単に寿命を延ばす医療は全く無意味だと思う。  フィリピンでは金があろうがあるまいが、男と女が愛し合い自然の営みにしたがって子を作り、そして逞しく子育てに励む。避妊は宗教上嫌われ、堕胎は法律で禁止されている。だから妊娠すれば必ず生む。そして親は生まれてきた子供を育てるために必死に働く。どんなに貧しくても子供達に囲まれて皆幸せだ。これが人間そして生きるものの本来の姿があると思う。ここには介護や老人の問題はない。家族がこぞって面倒を見てくれるので、老人は幸せだ。しかし、高額な治療など出来ないから、重い病にかかったら、悲しみに包まれながら死んでゆく。それが自然の摂理なのだと思う。  日本では新しく生まれる生命を絶つ堕胎は許されているが、自ら生きることが出来ない人を自然に死なせる尊厳死は許されていない。なんという矛盾なのだろうか。フィリピンでは堕胎は殺人という意識を持っているが尊厳死は許されている。老いたものが世を去り、新しい命が誕生するのは自然の摂理であり、浅知恵の人間が棹さすべきものではないのだ。国を支える新しい世代がいなくなったら国は滅びる。フィリピンは貧しい人は多いかもしれないが、とても逞しくて活力あり、未来があると感ずる。

ある退職者の死の教訓 2009年12月15日


 7月17日は台風イサン(6号)の通過でマニラに強い風邪と雨が降った。マカティのパソンタモ通りは恒例の道路冠水で往生したが、マニラ周辺のパシッグ、マリキナ、タギッグなどでは腰まで冠水するところがあり、4000人の住人が避難するほどだったそうだ。  夜、不用意にも下着のままで外へ出てみると、震えるほどの涼しさであわてて家に戻る始末だった。翌日(今日)のマニラ新聞によると、マニラの最低気温は 23.2度で、フィリピン人にとってはコートを羽織るほどの寒さだ。高原都市バギオでは最高気温でも20度に達しないほどだ。6月から本格的に雨季に入っているフィリピンは10月まで、こんな天気が続く。一方、日本は全国的に35度前後まで気温が上昇し、本格的夏に突入している。日本の夏のシーズンではフィリピンのほうがはるかに涼しくてすごしやすいのだ。洪水騒ぎも限られた地域で起きているだけで、住まいをちゃんと選べば悩まされることもない。  そこで、夏場は避暑地としてフィリピンですごすという逆転の発想が成立する。さらに11月から乾季に入るフィリピンは雨も降らず、涼しめの気候が3月まで続く。そして4、5月はフィリピンの夏でそれなりに暑い。そうなると、日本の寒い冬(12月~3月)は避寒のためにフィリピンですごし、桜咲く4~5月の春、そして10~11月の紅葉の秋は日本ですごすというのがお勧めだ。すなわち、11月の寒くなるころにフィリピンに行き、3月に日本へ帰る、そして6 月に再びフィリピンへ、そして9月の残暑も終わるころに再び日本へ帰るという、年に2回、フィリピンと日本を往復する生活だ。    幸い、フライトも4時間足らず、国内を移動する感覚で暑い夏や寒い冬を避けることができる。退職後、フィリピンと日本の両方に住居を構え、このような渡り鳥生活を楽しむというのはどうだろう。そして介護が必要な年になったら、フィリピンに永住し、心優しいフィリピーナに面倒を見てもらおうという算段だ。

フィリピンー日本、渡り鳥生活の勧め 2009年7月18日